大西禎夫
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大西禎夫 おおにし よしお | |
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生年月日 | 1898年9月28日 |
出生地 |
日本 香川県三木郡氷上村 (現・木田郡三木町) |
没年月日 | 1966年3月30日(67歳没) |
出身校 | 慶應義塾大学部理財科卒業 |
前職 | 実業家 |
所属政党 |
(民主党→) (民主党連立派→) 自由党 |
称号 |
正五位 勲三等旭日中綬章 |
親族 | 兄・大西虎之介(貴族院議員) |
選挙区 | 旧香川1区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1949年 - 1955年1月24日 |
香川県会議員 |
大西 禎夫(おおにし よしお、1898年(明治31年)9月28日[1] - 1966年(昭和41年)3月30日[2][3])は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(3期)。
経歴
[編集]香川県三木郡氷上村長楽寺(現三木町長楽寺)で大西行礼の三男として生まれる[4]。1921年(大正10年)慶應義塾大学部理財科を卒業した[2][3][4]。
1945年(昭和20年)高松琴平電気鉄道社長に就任して、21年間在任した[4]。その他、讃岐信託常務取締役、百十四銀行取締役[1]、屋島登山鉄道取締役社長[1]、四国鉄道協会相談役、日本鉄道会議所理事[1]、高松商工会議所顧問、同副会長[1]、香川県交通安全協会会長[1]、全日本観光連盟理事などを務めた[2][3]。
政界では、香川県会議員に就任[2][3][4]。1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で香川県第1区から民主党所属で出馬して当選[2]。以後、第26回総選挙まで当選し、衆議院議員を連続3期務めた[2][3][4]。この間、衆議院通商産業委員長、自由党総務などを務めた[2][3][4]。
その他、香川県体育協会長に在任し[1]、香川県の体育振興に尽力した[4]。
長年、鉄道事業に携わり常に施設充実を図って輸送力の増強に尽くし交通発展に寄与したとして1965年(昭和40年)、藍綬褒章受章[5]。
1966年(昭和41年)3月30日死去、67歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、正五位に叙される[6]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本人事録 第6版』全国篇、中央探偵社、1963年。
- 『香川県大百科事典』四国新聞社、1984年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
議会 | ||
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先代 坪川信三 |
衆議院通商産業委員長 | 次代 松浦周太郎 |