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太平中関

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
太平中関
太平中関の位置(秋田県内)
太平中関
太平中関
太平中関の位置
北緯39度43分33.12秒 東経140度13分10.86秒 / 北緯39.7258667度 東経140.2196833度 / 39.7258667; 140.2196833
日本の旗 日本
都道府県 秋田県
市町村 秋田市
人口
2016年(平成28年)10月1日現在)[1]
 • 合計 327人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
010-1103
市外局番 018[2]
ナンバープレート 秋田

太平中関(たいへいなかぜき)は秋田県秋田市にある大字郵便番号は010-1103。住居表示未実施地区。

地理

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秋田市の東部、太平地区の中では南部に位置する。北西部を太平川が東西に横断し、北岸に並行して秋田県道28号秋田岩見船岡線及びその旧道(太平街道)が走る。県道・街道の周辺に寺中・平形・下館・川原と集落が多く集まり、寺社が多い。南岸は太平川支流の谷深くまで農地が広がり、その中の一つに井関沢集落がある。務沢と三番片貝沢・八幡台にかけてゴルフ場秋田太平山カントリークラブ」がある。その他は山林地帯である。

西・北西は太平目長崎、北東は太平寺庭太平黒沢、東は太平山谷、南は河辺北野田高野下北手寒川に隣接する。

小字

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32の小字が現存する[3]

  • 字家ノ沢(いえのさわ)
  • 字井関沢(いせきざわ)
  • 字一番片貝沢(いちばんかたかいざわ)
  • 字上館(うえだて)
  • 字扇田(おおぎだ)
  • 字小園崎(おそのざき)
  • 字川原(かわら)
  • 字鴻巣沢(こうのすざわ)
  • 字五城目(ごじょうめ)
  • 字五城目下段(ごじょうめげだん)
  • 字逆水(さかみず)
  • 字三番片貝沢(さんばんかたかいざわ)
  • 字信田(しだ)
  • 字寺中(じちゅう)
  • 字下館(しもだて)
  • 字陳ノ川(じんのかわ)
  • 字杉ノ下(すぎのした)
  • 字台ノ下(だいのした)
  • 字槻ノ浜(つきのはま)
  • 字寺ノ沢(てらのさわ)
  • 字二番片貝沢(にばんかたかいざわ)
  • 字八幡台(はちまんだい)
  • 字八幡野(はちまんの)
  • 字雛沢(ひなざわ)
  • 字平形(ひらかた)
  • 字坊主淵(ぼうずぶち)
  • 字堀内(ほりうち)
  • 字宮沢(みやざわ)
  • 字務沢(むさわ)
  • 字本宿(もとじゅく)
  • 字森合(もりあい)
  • 字屋敷前(やしきまえ)

河川

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歴史

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中関の名は明治時代になってから成立したものであり、それ以前は寺中(じちゅう)・堀之内(ほりのうち)・井関沢(いせきざわ)と呼ばれていた[4]

寺中は、文禄元年8月22日1592年9月27日)の「秋田家分限帳写」に館岡半兵衛代官所の中で「寺中村 489石余」とあるのが初見資料である(秋田図書館所蔵文書)[5]。慶長6年(1601年)の「秋田家分限帳」にも、鵜瀞長右衛門預かりの鉄砲衆・鑓衆知行として17石7件、工藤小兵衛預かりの弓衆として17石・4件が設定されている[5]。山中の平坦地であり地理的条件に恵まれていたため、開発が早く中世にも充実していたものと考えられる[5]

江戸期には寺中堀内村となり、久保田藩領で、「正保国絵図」では本田当高330石となっている[5]。「享保黒印高帳」では村高445石余・当高531石余(うち本田471・本田並34・新田26)[5]。「享保郡邑記」では104軒あって、うち枝郷の川原・下館・本宿・平形・宮沢の5ヶ村分が63軒となっている[5]。このうち宮沢は、悪病が流行り1軒を残すのみとなり、当初「寺中堀之内」であった村名の「之」を除くと記録されている[5]。「寛政村附帳」では親郷目長崎村の寄郷とされ、当高375石余(うち蔵分356、給分19)[5]。「天保郷帳」では531石で、「羽陰温故誌」によるこの頃の人口は464、馬100・牛40であった[5]

井関沢村は、始め河辺郡(寛文4年(1664年)4月に豊島郡から改称)で、享保年間に秋田郡へ移った[6]。同じく久保田藩領で、地形的に寺中堀内村の内部にあり、開村以来黒印は堀内村で預っていたという(享保郡邑記)[6]。「享保黒印高帳」では村高69石余・当高46石余(うち本田並26・新田20)[6]。「享保郡邑記」では6軒[6]。「寛政村附帳」では親郷目長崎村の寄郷とされ、当高71石余(給分のみ)[6]。「天保郷帳」では46石余[6]

沿革

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  • 1873年(明治6年)3月 - 大区小区制の改正に伴い、秋田郡寺中堀内村・井関沢村は秋田県第1大区6小区に属した[7]
  • 1876年(明治9年) - 寺中堀内村・井関沢村が合併し中関村となる[4]
  • 1884年(明治17年)頃 - 郡区町村編制法の下で、南秋田郡目長崎村・八田村・中関村・寺庭村・黒沢村・山谷村が連合。戸長役場は目長崎村に設置される[4]
  • 1887年(明治20年) - 連合6ヶ村の戸数491、人口3,095(地方行政区画便覧)[8]
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、連合6ヶ村が合併し南秋田郡太平村が発足。太平村大字中関となる[4]
  • 1954年(昭和29年)10月1日 - 太平村が秋田市へ編入されたことに伴い、名称に「太平」を冠した上で秋田市の大字となる[4]

字域の変遷

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地区内で町名整理・住居表示実施その他に伴う区画変更は行われていない。

世帯数と人口

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2016年(平成28年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
太平中関(小字全域) 128世帯 327人

交通

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鉄道

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地区内に鉄道路線は無い。最寄り駅はJR東日本奥羽本線羽越本線秋田新幹線秋田駅

バス

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  • 秋田中央交通
    • 《太平線》 - 川原 - 八幡神社前 - 下館 - 平形 - 太平中学校前 - 寺中 -

道路

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施設

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字家ノ沢

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  • 井関沢公民館

字上館

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  • 天照皇大神宮
  • 太平つつじ園

字小園崎

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  • JA新あきた東部低温倉庫

字川原

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  • 川原公民館
  • 太平電話交換所

字寺中

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  • 寺中公民館
  • 堀内公民館
  • 林清寺

字八幡野

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  • 若宮八幡神社

字平形

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字宮沢

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  • 永元寺

字務沢

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参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」1980年
  • 「秋田市史 第四巻 近現代I 通史編」秋田市編、2004年
  • 秋田市 地名小辞典

脚注

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  1. ^ a b 秋田市年齢別・地区別人口(平成28年10月1日現在:平成27年国勢調査からの推計値)”. 秋田市 (2017年2月1日). 2017年7月7日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  3. ^ 秋田市 地名小辞典 町名一覧 タ
  4. ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」p.474。
  5. ^ a b c d e f g h i 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」p.323。
  6. ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典 5 秋田軒」p.98。
  7. ^ 「秋田市史 第四巻」p.18。
  8. ^ 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」p.389。

外部リンク

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