山内 (秋田市)
山内 | |
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藤倉水源地 | |
北緯39度47分1.23秒 東経140度11分17.86秒 / 北緯39.7836750度 東経140.1882944度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 秋田県 |
市町村 | 秋田市 |
人口 | |
• 合計 | 363人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
010-0823 |
市外局番 | 018[2] |
ナンバープレート | 秋田 |
山内(さんない)は秋田県秋田市にある大字である。郵便番号は 010-0823。
地理
[編集]秋田市の北東部、旭川の上流に位置する。北東から南西へ向けて旭川が流れ、南北を尾根に挟まれた谷地である。旭川と並行して秋田県道15号秋田八郎潟線が貫通し、田中・藤倉・小田などの集落や農地が点在する。上台・大畑・小田の境界付近に、近代化遺産指定された藤倉水源地がある。また、丸木橋に秋田東病院がある。
北東(旭川上流)は仁別、東・南東は太平八田、南は柳田,南西(旭川下流)は添川、西は上新城道川、北西は上新城湯ノ里、北は上新城白山に接する。
小字
[編集]12の小字が設置されている[3]。
- 字荒田(あらた)
- 字市王寺(いちおうじ)
- 字大畑(おおはた)
- 字小田(おだ)
- 字上台(かみだい)
- 字正面田(しょうめんでん)
- 字田中(たなか)
- 字藤倉(ふじくら)
- 字増沢(ますざわ)
- 字松原(まつばら)
- 字丸木橋(まるきばし)
- 字女夫石(めおといし)
河川
[編集]歴史
[編集]出羽国秋田郡助河村として成立したとされる。山内の名は南北朝時代から確認され、1349年(貞和5年 / 正平4年)に月泉良印が「山内邑奥松原之郷」に曹洞宗亀像(蔵)山補陀寺を開いたとの記録が初見である[4]。旭川沿いの道の他、秋田城・土崎港から新城川を遡り山を越える道もあり交通の便が良いため、古代から拓けていた[4]。
戦国時代の1591年2月10日(天正19年1月17日)、「豊臣秀吉朱印蔵入帳写」に「山内村 172石余」とあり、1597年(慶長2年)時点での物成は40石、翌1598年(慶長3年)には10石であった[4]。また、1592年9月27日(文禄元年8月22日)の「秋田家分限帳写」では、鍋倉右近代官所のうちに「山内村 240石」とある[4]。
江戸時代には久保田藩領で、1603年(慶長8年)の村高は143石と推定されている[4]。「正保国絵図」では山内新田村の本田当高141石とされているが、「元禄七郡絵図」では265石と増大している[4]。「享保黒印高帳」では村高248石余・当高228石余(うち本田144・本田並38・新田46)[4]。「享保郡邑記」では59軒あって、うち枝郷の藤倉・石上・下台・種台の4ヶ村分が38軒となっている[4]。「寛政村附帳」では親郷泉村の寄郷とされ、当高203石余(うち蔵分146、給分57)[4]。「秋田風土記」では78戸(枝郷4戸)があり、230石[4]。「天保郷帳」では228石余で、この頃の人口は380人・馬60頭であった[4]。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年) - 大区小区制の改正に伴い、秋田郡山内村は秋田県第1大区6小区に属した[5]。
- 1884年(明治17年) - 郡区町村編制法のもとで、南秋田郡泉村・保戸野村・新藤田村・濁川村・添川村・山内村・仁別村が連合。戸長役場は泉村に設置された[4]。
- 1885年(明治18年)4月 - 泉小学校藤倉分教室を設置[6]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、新藤田村・濁川村・添川村・山内村・仁別村の5ヶ村が合併し南秋田郡上旭川村が発足。旧5ヶ村は大字となる[4]。
- 1892年(明治25年)
- 1903年(明治36年)10月 - 藤倉ダム(藤倉水源地)建設開始。
- 1907年(明治40年)10月1日 - 藤倉ダムより給水開始。
- 1911年(明治44年)8月15日 - 藤倉ダム完成[7]。
- 1909年(明治42年) - 仁別森林鉄道本線(仁別林道)が開通[8]。松原駅が開業する[9]。
- 1933年(昭和8年)3月14日 - 旭川村が秋田市に編入され、秋田市山内となる。
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 秋田市立秋田東中学校藤倉分校が設置される。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 東中学校藤倉分校が独立し、秋田市立藤倉中学校となる。
- 1968年(昭和43年)9月25日 - 仁別森林鉄道が全線廃道[8]。
- 1973年(昭和48年)9月 - 上水道源の切り替えに伴い、藤倉ダムからの取水を停止。
- 1975年(昭和50年)4月1日
- 1978年(昭和53年)10月 - 仁別森林鉄道の一部路盤跡が秋田県道401号雄和仁別自転車道線として再整備される。
- 1985年(昭和60年)5月 - 藤倉水源地が近代水道百選に選定される。
- 1993年(平成5年) - 藤倉水源地が国指定重要文化財(近代化遺産)に指定される。
字域の変遷
[編集]地区内で区画整理・住居表示実施などに伴う字名・町名の変更は行われていない。
世帯数と人口
[編集]2016年(平成28年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
山内字小田 山内字上台 |
15世帯 | 40人 |
山内字正面田 山内字丸木橋 |
22世帯 | 170人 |
山内字田中 山内字女夫石 |
40世帯 | 107人 |
山内字藤倉 | 12世帯 | 28人 |
山内字松原 | 5世帯 | 18人 |
計 | 94世帯 | 363人 |
交通
[編集]鉄道
[編集]かつては仁別森林鉄道で、沿線住民の利便のために旅客列車も走っていたが、現在地区内に鉄道路線は通っていない。最寄り駅は中通七丁目にあるJR東日本奥羽本線・羽越本線・秋田新幹線の秋田駅。
バス
[編集]- 秋田中央交通 仁別リゾート公園線
- (添川方面) - 補陀寺前 - 松原 - 松原上丁 - 丸木橋 - 藤倉下丁 - 藤倉 - 釣センター前 - 藤倉上台 - (仁別方面)
道路
[編集]- 秋田県道15号秋田八郎潟線
- 秋田県道401号雄和仁別自転車道線(仁別サイクリングロード)
施設・史跡
[編集]- 字大畑
- 字小田
- 藤倉釣センター
- 字上台
- 杉の木園(知的障害者支援施設)
- 字田中
- 松原公民館
- 松原簡易郵便局
- 藤原藤房墓
- 字藤倉
- 藤倉神社
- 秋田ペット霊園葬儀センター
- 藤倉児童館
- 字松原
- 字丸木橋
- 秋田東病院
- 丸木橋公民館
- 字女夫石
- 女夫石八幡竜神社
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 5 秋田県』1980年。
- 秋田市『秋田市史 第四巻 近現代I 通史編』2004年。
- (財)日本森林林業振興会秋田支部・青森支部『近代化遺産 国有林森林鉄道全データ 東北編』秋田魁新報社、2012年。ISBN 978-4-87020-325-9。
- 秋田市 地名小辞典
脚注
[編集]- ^ a b “秋田市年齢別・地区別人口(平成28年10月1日現在:平成27年国勢調査からの推計値)”. 秋田市 (2017年2月1日). 2017年7月7日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 秋田市 地名小辞典 町名一覧 サ。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 「角川日本地名大辞典」p.316。
- ^ 「秋田市史」p.18。
- ^ a b c 秋田市立旭川小学校 学校の歴史。
- ^ 広報あきた 627号。
- ^ a b 「近代化遺産 国有林森林鉄道全データ 東北編」pp.210-221。
- ^ 「近代化遺産 国有林森林鉄道全データ 東北編」pp.46-47。