保戸野原の町
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保戸野原の町 | |
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秋田大学教育文化学部附属中学校 | |
北緯39度43分34.74秒 東経140度7分2.17秒 / 北緯39.7263167度 東経140.1172694度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 秋田県 |
市町村 | 秋田市 |
人口 | |
• 合計 | 647人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
010-0904 |
市外局番 | 018[2] |
ナンバープレート | 秋田 |
保戸野原の町(ほどのはらのまち)は秋田県秋田市の町。郵便番号は010-0904。住居表示実施済み地区。
地理
[編集]秋田市の中央部、保戸野地域の中でも中部に位置する。町域内中央の広い範囲を秋田大学保戸野キャンパス(附属幼稚園・小学校・中学校・特別支援学校)が占め、「四校園」と通称されている。四校園の東は古くからの住宅地、西側は新興住宅地となっている。南東に秋田保戸野郵便局、北東に秋田生鮮市場保戸野店がある。
北東は保戸野八丁、南東は保戸野中町、南は保戸野すわ町、西は保戸野千代田町、北は泉南三丁目に隣接する。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1905年(明治38年)8月1日 - 南秋田郡旭川村より保戸野字原ノ町を分割し、秋田市へ編入する。
- 1930年(昭和5年)4月30日 - 秋田県師範学校が手形字深田から保戸野字原ノ町へ移転する。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 秋田県師範学校と秋田県女子師範学校が統合され、秋田師範学校が設置される。保戸野字原ノ町の校地は秋田師範学校男子部となる。
- 1949年(昭和24年)5月31日 - 秋田師範学校、秋田青年師範学校、秋田鉱山専門学校を合わせて秋田大学が設置される。保戸野字原ノ町の旧秋田師範学校地に学芸学部(本部)が設置される。
- 1963年(昭和38年)10月 - 秋田大学学芸学部が保戸野字原ノ町から手形字深田(1930年までの秋田県師範学校所在地)へ移転する。
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 住居表示実施に伴い、保戸野字原ノ町などが廃止され、保戸野原の町が設置される。
町名の変遷
[編集]特記のないものはすべて住居表示実施に伴う変更。
実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町・字ともその一部) | 備考 |
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保戸野原の町 | 昭和41年4月1日 | 泉字下ノ町 いずみ あざしたのまち |
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平成11年10月1日 | |||
昭和41年4月1日 | 泉字八丁 いずみ あざはっちょう |
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保戸野字阿弥陀田 ほどの あざあみだでん |
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保戸野字新川境 ほどの あざしんかわさかい |
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保戸野字原ノ町 ほどの あざはらのまち |
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保戸野愛宕町 ほどのあたごまち |
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保戸野愛宕町西丁 ほどのあたごまちにしちょう |
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平成11年10月1日 | 保戸野すわ町 ほどのすわちょう |
住居表示変更 |
実施後 | 実施年月日 | 実施前 | 備考 |
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保戸野千代田町 | 平成11年10月1日 | 保戸野原の町 | 住居表示変更 |
世帯数と人口
[編集]2016年(平成28年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
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保戸野原の町 | 288世帯 | 647人 |
交通
[編集]鉄道
[編集]町内に鉄道路線はない。最寄駅は中通七丁目にあるJR東日本奥羽本線・羽越本線・秋田新幹線の秋田駅。
バス
[編集]- 秋田中央交通
- (千秋トンネルノースアジア大学線) - 附属校園前 -
- (楢山大回り線) - 原の町 -
- (泉山王環状線) - 原の町 - 保戸野八丁 -
- (神田旭野線) - 原の町 - 保戸野八丁 -
- (臨海営業所発 神田旭野線) - 泉ななかまど通り -
- (神田土崎線) - 原の町 - 保戸野八丁 -
- (添川線) - 原の町 - 保戸野八丁 -
- (泉ハイタウン線) - 千代田町 -
道路
[編集]- 秋田県道233号土崎港秋田線(原の町通り)
- 保戸野学園通り
- 泉ななかまど通り
施設
[編集]-
秋田大学教育文化学部附属特別支援学校
-
秋田保戸野郵便局
-
秋田生鮮市場保戸野店
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」角川日本地名大辞典編纂委員会、1980年
- 秋田市 地名小辞典