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保戸野原の町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 秋田県 > 秋田市 > 保戸野原の町
保戸野原の町
秋田大学教育文化学部附属中学校
秋田大学教育文化学部附属中学校
保戸野原の町の位置(秋田県内)
保戸野原の町
保戸野原の町
保戸野原の町の位置
北緯39度43分34.74秒 東経140度7分2.17秒 / 北緯39.7263167度 東経140.1172694度 / 39.7263167; 140.1172694
日本の旗 日本
都道府県 秋田県
市町村 秋田市
人口
2016年(平成28年)10月1日現在)[1]
 • 合計 647人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
010-0904
市外局番 018[2]
ナンバープレート 秋田

保戸野原の町(ほどのはらのまち)は秋田県秋田市郵便番号は010-0904。住居表示実施済み地区。

地理

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秋田市の中央部、保戸野地域の中でも中部に位置する。町域内中央の広い範囲を秋田大学保戸野キャンパス(附属幼稚園小学校中学校特別支援学校)が占め、「四校園」と通称されている。四校園の東は古くからの住宅地、西側は新興住宅地となっている。南東に秋田保戸野郵便局、北東に秋田生鮮市場保戸野店がある。

北東は保戸野八丁、南東は保戸野中町、南は保戸野すわ町、西は保戸野千代田町、北は泉南三丁目に隣接する。

歴史

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町名の由来は、旧名のうち原ノ町から[3]

沿革

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  • 1905年(明治38年)8月1日 - 南秋田郡旭川村より保戸野字原ノ町を分割し、秋田市へ編入する。
  • 1930年(昭和5年)4月30日 - 秋田県師範学校手形字深田から保戸野字原ノ町へ移転する。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 秋田県師範学校と秋田県女子師範学校が統合され、秋田師範学校が設置される。保戸野字原ノ町の校地は秋田師範学校男子部となる。
  • 1949年(昭和24年)5月31日 - 秋田師範学校、秋田青年師範学校秋田鉱山専門学校を合わせて秋田大学が設置される。保戸野字原ノ町の旧秋田師範学校地に学芸学部(本部)が設置される。
  • 1963年(昭和38年)10月 - 秋田大学学芸学部が保戸野字原ノ町から手形字深田(1930年までの秋田県師範学校所在地)へ移転する。
  • 1966年(昭和41年)4月1日 - 住居表示実施に伴い、保戸野字原ノ町などが廃止され、保戸野原の町が設置される。

町名の変遷

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特記のないものはすべて住居表示実施に伴う変更。

実施後 実施年月日 実施前(各町・字ともその一部) 備考
保戸野原の町 昭和41年4月1日 泉字下ノ町
いずみ あざしたのまち
平成11年10月1日
昭和41年4月1日 泉字八丁
いずみ あざはっちょう
保戸野字阿弥陀田
ほどの あざあみだでん
保戸野字新川境
ほどの あざしんかわさかい
保戸野字原ノ町
ほどの あざはらのまち
保戸野愛宕町
ほどのあたごまち
保戸野愛宕町西丁
ほどのあたごまちにしちょう
平成11年10月1日 保戸野すわ町
ほどのすわちょう
住居表示変更
実施後 実施年月日 実施前 備考
保戸野千代田町 平成11年10月1日 保戸野原の町 住居表示変更

世帯数と人口

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2016年(平成28年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
保戸野原の町 288世帯 647人

交通

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鉄道

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町内に鉄道路線はない。最寄駅は中通七丁目にあるJR東日本奥羽本線羽越本線秋田新幹線秋田駅

バス

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  • 秋田中央交通
    • (千秋トンネルノースアジア大学線) - 附属校園前 -
    • (楢山大回り線) - 原の町 -
    • (泉山王環状線) - 原の町 - 保戸野八丁 -
    • (神田旭野線) - 原の町 - 保戸野八丁 -
    • (臨海営業所発 神田旭野線) - 泉ななかまど通り -
    • (神田土崎線) - 原の町 - 保戸野八丁 -
    • (添川線) - 原の町 - 保戸野八丁 -
    • (泉ハイタウン線) - 千代田町 -

道路

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施設

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参考文献

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脚注

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  1. ^ a b 秋田市年齢別・地区別人口(平成28年10月1日現在:平成27年国勢調査からの推計値)”. 秋田市 (2017年2月1日). 2017年7月7日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  3. ^ 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」p.729。

外部リンク

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