小林泉美 (棋士)
小林泉美 七段 | |
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名前 | 小林泉美 |
生年月日 | 1977年6月20日(47歳) |
プロ入り年 | 1995年 |
出身地 | 東京都 |
所属 | 日本棋院 |
師匠 | 小林光一名誉三冠 |
段位 | 七段 |
概要 | |
タイトル獲得合計 | 11 |
戦績 | |
女流本因坊 | 3期(2001-03) |
女流名人 | 3期(2001,03-04) |
女流棋聖 | 2期(1998-99) |
小林 泉美(こばやし いづみ、1977年(昭和52年)6月20日 - )は、日本棋院所属の囲碁の女流棋士。小林光一名誉三冠門下。東京都出身。タイトル10期。
女流棋士初の女流タイトルグランドスラム達成者。
祖父は木谷実九段、父は小林光一名誉三冠、母は小林禮子七段という囲碁一家に生まれる。弟と妹がいる。
来歴
[編集]2001年、女流棋士初の女流三大タイトル(女流棋聖・女流本因坊・女流名人)の同時二冠(棋聖以外)を成し遂げる。また三大タイトル経験者となる。
2003年に張栩と結婚。当時張栩が本因坊を、泉美が女流本因坊のタイトルを持っていたため「本因坊カップル」と呼ばれた。
2005年に女流最強戦に優勝し、女流棋士初のグランドスラム(女流五タイトル中三冠(女流名人・女流最強・女流早碁)を達成し、史上初の女流五タイトル経験者となる。またタイトル獲得数が10となり、母・禮子と並ぶ[1]。
また、2003年と2004年に2年連続で十段戦の本戦入り、NHK杯で2勝を挙げ3回戦に進出するなど、女流棋戦だけでなく、一般棋戦での実績もある。
2004年の第43期十段戦では父・小林光一九段との公式戦初対戦が実現[2]。
2015年5月15日、夫の張栩が成績不振から日本を離れることとなり、子どもと共に台湾に生活の場を移すため、日本棋院に休場を申し出た[3]。台湾で子育て中心の生活を送る。
2016年7月、日本帰国。9月1日、日本棋院に復帰届を出した。
2006年3月24日に長女[4]、2009年11月10日に次女[5] を出産した。長女の張心澄は2020年4月1日付で日本棋院所属のプロ囲碁棋士となり、泉美の祖父である木谷實から数えて4代目となった[6]。また2022年4月1日付で次女の張心治も日本棋院4番目の年少記録で、日本棋院所属のプロ棋士となっており、一家4人がプロ棋士となっている。
2022年の博多カマチ杯女流名人戦で久々のリーグ復帰を果たす。
タイトル歴
[編集]獲得タイトル
[編集]登場は挑戦手合か決勝。他の棋士との比較は、囲碁の女流タイトル在位者一覧 を参照。
タイトル | 番勝負 | 獲得年度 | 登場 | 獲得期数 | 連覇 |
女流本因坊 | 五番勝負 10‐11月 |
2001-03 | 5 | 3期 | 3 |
女流名人 | 三番勝負 4月 |
2001・03-04 | 5 | 3期 | 2 |
女流棋聖 | 三番勝負 1-2月 |
1998-99 | 3 | 2期 | 2 |
獲得合計11期[7] |
- JAL女流早碁戦 1期(2004年)
- 東京精密杯女流プロ最強戦 1期(2005年)
- テイケイグループ杯女流レジェンド戦 1期(2023年)
(挑戦手合及び決勝戦 総登場回数 19[8])
- 大和証券杯ネット囲碁レディース 1期(2007年/非公式棋戦)
- リコー杯ペア碁選手権戦(1996年[小林光一九段とのペア]、2004年[山下敬吾九段とのペア])
女流棋士タイトル獲得数ランキング | ||
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(2024年12月1日時点) | ||
順位 | 獲得回数 | 棋士名 |
1位 | 27期 | 謝依旻七段* |
2位 | 26期 | 藤沢里菜女流本因坊・女流名人・扇興杯* |
3位 | 15期 | 上野愛咲美女流立葵杯* |
4位 | 12期 | 青木喜久代八段* |
5位 | 11期 | 小林泉美六段* |
6位タイ | 10期 | 杉内寿子八段* | 小林禮子七段 |
8位 | 9期 | 知念かおり六段* |
9位 | 8期 | 伊藤友恵七段 |
10位タイ | 7期 | 本田幸子七段 | 楠光子八段 |
・獲得回数には男女混合棋戦、参加資格限定棋戦も含む。 *は現役棋士。 |
家系
[編集]木谷實九段 | |||||||||||||||||||||||
木谷禮子 元女流名人 | 小林光一 名誉三冠 | ||||||||||||||||||||||
小林泉美 元女流二冠 | 張栩 元五冠 | ||||||||||||||||||||||
張心澄 | 張心治 | ||||||||||||||||||||||
エピソード
[編集]- 父・光一九段から囲碁の英才教育を受けた。生後11ヶ月で「アタリがわかった」という伝説がある。
- 結婚前「理想のタイプの男性は?」と聞かれ、「お父さんより囲碁が強い人」と答えていた。実際に張栩は2000年に初対戦で小林光一を破っている。
- 1996年、ペア碁選手権戦では父光一とのペアで優勝を果たしている。優勝は娘のお蔭と光一は述べている。翌年も優勝ペアとして、出場したが準決勝で敗退した。1999年・2000年も籤により、光一と組むことになったが途中敗退。
- 2004年の十段戦敗者復活1回戦で父・光一九段と対戦(中押し負け)。本戦での親子対局は史上初。
脚注
[編集]- ^ 東京精密杯女流プロ最強戦
- ^ 第43期 十段戦
- ^ “「恥ずかしい碁見せられぬ」不振の張九段帰郷へ”. 読売新聞 (2015年5月14日). 2015年5月17日閲覧。
- ^ 小林泉美六段の近況報告(2006年6月)
- ^ 小林泉美六段の近況報告(2010年6月)
- ^ "親子4代でプロ棋士が誕生 13歳の張心澄さん". 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 8 February 2020. 2020年8月8日閲覧。
- ^ JAL女流早碁戦1期、 女流最強戦1期、テイケイグループ杯女流レジェンド戦1期を含む。
- ^ 女流鶴聖戦・準優勝3回(1996・99・2001)を含む。
外部リンク
[編集]- 日本棋院プロフィール
- 小林泉美(囲碁棋士) (@cho_kobayashi) - X(旧Twitter)