本田幸子
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本田 幸子(ほんだ さちこ、1930年〈昭和5年〉12月30日 - 2020年〈令和2年〉5月1日[1][2])は、日本の囲碁棋士。静岡県出身、日本棋院所属、木谷實九段門下、追贈八段[2]。女流選手権戦・女流本因坊戦で優勝7期。1979年には女流棋士史上初の七大タイトル本戦進出(第5期天元戦)。海外囲碁普及にも貢献。杉内寿子、楠光子の三姉妹の次女。
経歴
[編集]1938年に木谷實に入門。1947年初段。1952年、呉清源とともに台湾訪問。1958年三段。1960年に女流選手権戦で挑戦者となるが、伊藤友恵に0-2で敗退。1961年に日米親善囲碁使節に、妹の輝子(光子)、木谷禮子と3人が選ばれて訪米し、約2か月間滞在。1963年四段。1969年に女流選手権戦で木谷禮子を2-1で破り初タイトル。1974年には小林千寿とともに欧州派遣棋士に選ばれ、各国を巡る。1981年六段。女流選手権戦は最終1981年まで5期優勝。1982年には第1期女流本因坊戦で小林禮子の挑戦を受け2-1で防衛。翌83年には楠光子との姉妹対決となり、タイトルを奪われる。続いて84年、85年と姉妹対決は3年連続、また女流鶴聖戦でも83年に姉の寿子、84年に光子との姉妹対決となった。
2000年に引退、退役昇段により七段。門下に吉田洋逸、向井(三村)芳織・(長島)梢恵・千瑛三姉妹。
2020年5月1日、老衰のため死去[1][2][3][4][5]。これに伴い、八段を追贈される[2]。89歳没。
タイトル歴
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女流棋士タイトル獲得数ランキング | ||
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(2024年11月15日時点) | ||
順位 | 獲得回数 | 棋士名 |
1位 | 27期 | 謝依旻七段* |
2位 | 26期 | 藤沢里菜女流本因坊・女流名人・扇興杯* |
3位 | 14期 | 上野愛咲美女流立葵杯* |
4位 | 12期 | 青木喜久代八段* |
5位 | 11期 | 小林泉美六段* |
6位タイ | 10期 | 杉内寿子八段* | 小林禮子七段 |
8位 | 9期 | 知念かおり六段* |
9位 | 8期 | 伊藤友恵七段 |
10位タイ | 7期 | 本田幸子七段 | 楠光子八段 |
・獲得回数には男女混合棋戦、参加資格限定棋戦も含む。 *は現役棋士。 |
他の棋歴
[編集]受賞等
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “囲碁の本田幸子七段が死去”. 産経新聞社. (2020年5月7日) 2020年5月7日閲覧。
- ^ a b c d 本田 幸子(ホンダ サチコ / Honda Sachiko)日本棋院
- ^ “本田幸子さんが死去 囲碁の引退棋士七段”. 日本経済新聞社. (2020年5月7日) 2020年5月9日閲覧。
- ^ “訃報 本田幸子さん 89歳=囲碁棋士七段”. 毎日新聞社. (2020年5月8日) 2020年5月9日閲覧。
- ^ “【おくやみ】本田幸子さん 囲碁の引退棋士七段”. 東京新聞社. (2020年5月8日) 2020年5月9日閲覧。