広島県立福山誠之館高等学校
表示
(広島県福山誠之館高等学校から転送)
広島県立福山誠之館高等学校 | |
---|---|
北緯34度30分10.1秒 東経133度21分37.2秒 / 北緯34.502806度 東経133.360333度座標: 北緯34度30分10.1秒 東経133度21分37.2秒 / 北緯34.502806度 東経133.360333度 | |
過去の名称 |
広島県福山中学校 尋常中学福山誠之館 広島県福山尋常中学校 広島県第二尋常中学校 広島県第二中学校 広島県立福山中学校 広島県立福山誠之館中学校 広島県福山誠之館高等学校 広島県福山東高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 広島県 |
設立年月日 | 1855年(安政2年)1月16日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 |
学年制(全日制) 単位制(定時制) |
設置学科 |
総合学科(全日制) 普通科(定時制) |
学校コード | D134210000140 |
高校コード | 34147K |
所在地 | 〒720-0082 |
広島県福山市木之庄町6丁目11-1 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
広島県立福山誠之館高等学校(ひろしまけんりつふくやませいしかんこうとうがっこう)は、広島県福山市に所在する県立高等学校。
概要
[編集]- 歴史
- 校名は1854年(安政元年)備後福山藩主阿部正弘により創設され、1872年(明治5年)に廃校となった藩校「誠之館」に由来する。しかし直接の前身は1879年(明治12年)に設立された「広島県福山中学校」(旧制中学校)で、1887年(明治20年)にかつての藩校「誠之館」の館号を借り受けて「尋常中学福山誠之館」と改称された[1]。その後、度々の改称を経て1968年(昭和43年)に現校名となった。
- 設置課程・学科
- 全日制課程 総合学科(学年制)
- 定時制課程 普通科 (単位制)
- 特色
- 広島県教育委員会より「トップリーダーハイスクール」(県内高校5校)に指定されている[2]。
- 校歌
- 第一校歌(作詞:葛原しげる、作曲:小松耕輔)と第二校歌(作詞:葛原しげる、作曲:平井康三郎)がある[3]。
- 姉妹校
- 2013年(平成25年)12月に以下の2校と姉妹校になっている。
沿革
[編集]- 1879年(明治12年)7月 - 「広島県福山中学校」が開校。
- 1887年(明治20年)4月 - 中学校令の制定により「尋常中学福山誠之館」と改称。
- 1893年(明治26年)4月 - 「広島県福山尋常中学校」と改称。
- 1897年(明治30年)4月 - 「広島県第二尋常中学校」と改称。
- 1899年(明治32年)4月 - 中学校令の改正により「広島県第二中学校」と改称(「尋常」が除かれる)。
- 1901年(明治34年)6月 - 「広島県立福山中学校」と改称。
- 1927年(昭和2年)9月 - 「広島県立福山誠之館中学校」と改称。
- 1932年(昭和7年)4月 - 福山市三吉町の旧広島県福山師範学校校舎に移転。
- 1948年(昭和23年)
- 2月 - 通信教育部を設置。
- 5月 - 学制改革により、新制高等学校「広島県福山誠之館高等学校」が発足。通常制(全日制)普通課程を設置。この時点では男子校であった。
- 7月 - 定時制課程(夜間及び水呑(みのみ)分校、鞆(とも)分校)を設置。
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 高校三原則に基づく公立高等学校の再編により、総合制高等学校「広島県福山東高等学校」に改称。通常制商業課程を設置。男女共学を開始。
- 1953年(昭和28年)4月 - 「広島県福山誠之館高等学校」と名称変更。
- 1962年(昭和37年)4月 - 通常課程を全日制課程、通信教育部を通信制課程に改称。
- 1963年(昭和38年)4月 - 全日制商業科[4]、定時制被服科水呑、鞆分校募集を停止。
- 1964年(昭和39年)3月 - 福山市木之庄町に移転用地を買収完了。
- 1967年(昭和42年)1月 - 移転用地敷地造成の地鎮祭・起工式を挙行。
- 1968年(昭和43年)
- 4月 - 移転用地敷地の造成が完了。
- 10月 - 「広島県立福山誠之館高等学校」(現校名)に改称(県の後に「立」が付される)。
- 1969年(昭和44年)
- 8月 - 現在地に新校舎が完成。
- 10月 - 移転を完了。
- 1970年(昭和45年)8月 - 体育館とプールが完成。
- 1971年(昭和46年)
- 2月 - 講堂が完成。
- 3月 - 格技場・運動部室が完成。
- 1976年(昭和51年)4月 - 第9学区総合選抜制(市内5校[5])を導入。
- 1984年(昭和59年)4月 - 総合選抜制の一部を変更。(理数類型を設置)
- 1988年(昭和63年)4月 - 規則改正により第9学区東部における総合選抜制(市内3校[6])を開始。
- 1989年(平成元年)3月 - 通信制課程専用の体育館が完成。
- 1991年(平成3年)4月 - 通信制課程が分離し、広島県立東高等学校として独立。
- 1996年(平成8年)2月 - セミナーハウスが完成。
- 1998年(平成10年)4月 - 総合選抜制が廃止され、単独選抜を開始。全日制普通科の募集を停止し、総合学科を設置。
- 1999年(平成11年)12月 - 新南館が完成。
- 2000年(平成12年)
- 3月31日 - 全日制課程普通科を廃止。
- 誠之会館(同窓会館)が完成。
- 2003年(平成15年)4月 - 定時制課程において単位制を導入。
- 2006年(平成18年)3月 - 部室を改築。
- 2007年(平成19年)3月 - 新体育館が完成。プールを解体。
- 2013年(平成25年)12月 - 海外の高等学校(アメリカ1校、カナダ1校)と姉妹校締結。
- 2016年(平成28年)3月 - 新本館が完成。
行事
[編集]- 記念祭(文化祭) - 6月
- 合唱祭 - 6月
- 体育祭 - 9月
- マラソン
歴代校長
[編集]- 初代 石井英太郎
- 2代 利根川浩
- 3代 若井遜
- 4代 武田安之助
- 5代 関藤成緒
- 6代 田口虎之助
- 7代 瀬川彦四郎
- 8代 青木儀太郎
- 9代 山村弥久馬
- 10代 田村喜作
- 11代 末久喜十郎
- 12代 長岡恒喜
- 13代 原重太郎
- 14代 福間典海
- 15代 田邊領一
- 16代 戒能録
- 17代 香川光磨
- 18代 掛江正之
- 19代 宮敏夫
- 20代 後藤泰樹
- 21代 長谷川雄一
- 22代 沢井一男
- 23代 桑田五郎
- 24代 松岡正三
- 25代 岸本金夫
- 26代 小林達治
- 27代 皿田文彦
- 28代 高山正義
- 29代 古田博保
- 30代 小林史郎
- 31代 中山慧海
- 32代 美濃盛國
- 33代 山代猛博
- 34代 下﨑邦明
- 35代 安西和夫
- 36代 古川正徳
- 37代 平盛吉昭
- 38代 山口哲治
- 39代 古前勝教
著名な出身者
[編集]- あ
- か
- さ
- た
- な
- は
- ま
- や
- ら
-
この節の加筆が望まれています。
- わ
アクセス
[編集]脚注
[編集]関連項目
[編集]- 広島県高等学校一覧
- 旧制中等教育学校の一覧 (広島県)
- 日本の総合学科設置高等学校一覧
- 文京区立誠之小学校(東京都文京区。誠之館江戸分校があった、備後福山藩の中屋敷跡に位置することに由来)
- 福山市立誠之中学校(福山藩校名に由来)