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弘道駅

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弘道仮乗降場から転送)
弘道駅
こうどう
Kōdō
小向 (2.3 km)
(4.4 km) 沼ノ上
所在地 北海道紋別市弘道
北緯44度15分35秒 東経143度28分21秒 / 北緯44.25972度 東経143.47250度 / 44.25972; 143.47250座標: 北緯44度15分35秒 東経143度28分21秒 / 北緯44.25972度 東経143.47250度 / 44.25972; 143.47250
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 108.2 km(名寄起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1956年昭和31年)5月1日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日[1]
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
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1978年の弘道仮乗降場と周囲約500m範囲。右下が遠軽方面。ホーム横に待合室が見える。遠軽側に弘道地区集落の中心道路の踏切。周囲を防風雪林で囲まれている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

弘道駅(こうどうえき)は、北海道網走支庁紋別市弘道にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線廃駅)である。名寄本線の廃線に伴い、1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった[1]

一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で、下り4本上り6本(快速運転列車ほか)[2])。

歴史

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1955年(昭和30年)12月25日に名寄本線・渚滑線・興浜南線でレールバスの運行が開始された後に[3]、利用者の利便を図って増設された旅客駅のひとつである[4]

年表

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駅名の由来

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当駅が所在した地名より。地名は、当地の入植者が水戸学弘道精神を伝えたことに由来する[5]

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の北東側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。

仮乗降場に出自を持つ無人駅となっており、駅舎は無いがホーム横に待合所を有していた[6]。ホームは木造で、遠軽方にスロープを有し[6]駅施設外に連絡していた。ホーム は短い簡易型であった。

駅周辺

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駅跡

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駅施設は全て撤去され、現在、当駅の跡地は空き地になっている。

また、2001年(平成13年)時点では当駅跡から遠軽方にある共進川に架かっていた「水谷橋」のコンクリート製の橋台が残存し[8]2011年(平成23年)時点でも同様であった[9]

隣の駅

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北海道旅客鉄道
名寄本線
小向駅 - 弘道駅 - 沼ノ上駅

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、911-912頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 太田幸夫『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』富士コンテム、2004年2月、220頁。ISBN 978-4893915498 
  3. ^ 日本国有鉄道旭川鉄道管理局 編『旭川・鉄道八十八年の歩み』日本国有鉄道旭川鉄道管理局、1987年3月、83頁。doi:10.11501/13278510 
  4. ^ 紋別市史編さん委員会 編『新紋別市史 下巻』紋別市、1983年3月30日、684-685頁。doi:10.11501/9570999 
  5. ^ 太田幸夫『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』富士コンテム、2004年2月、187頁。ISBN 978-4893915498 
  6. ^ a b 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、133頁。ISBN 978-4894536128 
  7. ^ a b 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、18頁。 
  8. ^ 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVIII』JTBパブリッシングJTBキャンブックス〉、2001年7月、35-36頁。ISBN 978-4533039072 
  9. ^ 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、125-126頁。ISBN 978-4894536128 

関連項目

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