弘道駅
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(弘道仮乗降場から転送)
弘道駅 | |
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こうどう Kōdō | |
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所在地 | 北海道紋別市弘道 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 名寄本線 |
キロ程 | 108.2 km(名寄起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1956年(昭和31年)5月1日[1] |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)5月1日[1] |
備考 | 名寄本線廃線に伴い廃駅 |
弘道駅(こうどうえき)は、北海道(網走支庁)紋別市弘道にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。名寄本線の廃線に伴い、1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった[1]。
一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で、下り4本上り6本(快速運転列車ほか)[2])。
歴史
[編集]1955年(昭和30年)12月25日に名寄本線・渚滑線・興浜南線でレールバスの運行が開始された後に[3]、利用者の利便を図って増設された旅客駅のひとつである[4]。
年表
[編集]- 1956年(昭和31年)5月1日 - 日本国有鉄道(国鉄)名寄本線の弘道仮乗降場(局設定)として開業[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄からJR北海道に承継[1]。同時に駅に昇格し、弘道駅となる[1]。
- 1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]当駅が所在した地名より。地名は、当地の入植者が水戸学の弘道精神を伝えたことに由来する[5]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の北東側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。
仮乗降場に出自を持つ無人駅となっており、駅舎は無いがホーム横に待合所を有していた[6]。ホームは木造で、遠軽方にスロープを有し[6]駅施設外に連絡していた。ホーム は短い簡易型であった。
駅周辺
[編集]駅跡
[編集]駅施設は全て撤去され、現在、当駅の跡地は空き地になっている。
また、2001年(平成13年)時点では当駅跡から遠軽方にある共進川に架かっていた「水谷橋」のコンクリート製の橋台が残存し[8]、2011年(平成23年)時点でも同様であった[9]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、911-912頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 太田幸夫『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』富士コンテム、2004年2月、220頁。ISBN 978-4893915498。
- ^ 日本国有鉄道旭川鉄道管理局 編『旭川・鉄道八十八年の歩み』日本国有鉄道旭川鉄道管理局、1987年3月、83頁。doi:10.11501/13278510。
- ^ 紋別市史編さん委員会 編『新紋別市史 下巻』紋別市、1983年3月30日、684-685頁。doi:10.11501/9570999。
- ^ 太田幸夫『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』富士コンテム、2004年2月、187頁。ISBN 978-4893915498。
- ^ a b 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、133頁。ISBN 978-4894536128。
- ^ a b 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、18頁。
- ^ 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVIII』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2001年7月、35-36頁。ISBN 978-4533039072。
- ^ 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、125-126頁。ISBN 978-4894536128。
関連項目
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