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興部駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
興部駅
道の駅おこっぺにある簡易宿泊所[1](2015年4月)
おこっぺ
Okoppe
所在地 北海道紋別郡興部町字興部
北緯44度28分8.9秒 東経143度7分0.5秒 / 北緯44.469139度 東経143.116806度 / 44.469139; 143.116806
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
日本国有鉄道(国鉄)
電報略号 オコ←ヲコ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1921年大正10年)3月25日
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日
乗入路線 2 路線
所属路線 名寄本線
キロ程 67.8 km(名寄起点)
北興 (3.5 km)
(1.3 km) 旭ヶ丘
所属路線 興浜南線
キロ程 0.0 km(興部起点)
(8.3 km) 沢木
備考 興浜南線は1985年昭和60年)7月15日に廃止。
テンプレートを表示
1978年の興部駅と周囲約750m範囲。右上が紋別方面及び興浜南線雄武方面。国鉄型配線2面3線と駅舎横の貨物ホームに引込み線、その他多数の側線を持つ。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

興部駅(おこっぺえき)は、北海道網走支庁紋別郡興部町字興部にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線廃駅)である。事務管理コードは▲122113[2]1985年(昭和60年)までは興浜南線の分岐駅でもあった。

歴史

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1980年(昭和55年)9月30日まで運行されていた急行「天都」・1986年(昭和61年)10月31日まで運行されていた急行「紋別」の停車駅であった。

駅名の由来

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当駅の所在する地名より。アイヌ語の「オウコッペ[8]」〔川尻・互いにくっつく・もの(川)〕に字を当てたものであるとされる[9][10][11]

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった[12]。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[12]1983年(昭和58年)時点では、駅舎側(西側)が1番線、上屋が設置された[13]島式ホーム駅舎側が2番線、外側が3番線となっており、何れも上下共用であった。3番線の外側に側線を3線有し、そこから給水線などの行き止まりの側線も数線有した。そのほか1番線の遠軽方から分岐し駅舎北側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を2線有していた[12]

職員配置駅となっており、駅舎は構内の北西側に位置し単式ホーム中央部分に接していた[12]。ホームの有効長は120mあった[12]

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1954年(昭和29年) (621.0) [5] 1日平均乗降人員1,242人
1955年(昭和30年) (626.0) 1日平均乗降人員1,252人
1956年(昭和31年) (749.0) 1日平均乗降人員1,498人
1957年(昭和32年) (715.5) 1日平均乗降人員1,431人
1958年(昭和33年) (737.5) 1日平均乗降人員1,475人
1978年(昭和53年) 366 [14]
1981年(昭和56年) (201.5) 1日平均乗降人員403人

駅弁

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1980年代まで「ほたてしめじ弁当[14]」などの駅弁が販売されており、大変な人気があったという[15]

駅周辺

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駅跡

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駅舎模型(道の駅おこっぺ)
D51 365号機の動輪

2000年(平成12年)時点でバスターミナルを兼ねた「道の駅おこっぺ」となっている[17]。道の駅おこっぺの一角には1992年(平成4年)6月から興部町により「興部交通記念館」が開設されている[18]。館内には当時使用していた備品、乗車券レール時刻表、駅舎モデル、写真パネルなどが保存・展示されている[18]。駅舎モデルは宇津駅、当駅、沙留駅の3駅が展示されている[19]。館外の敷地にはキハ22形気動車キハ22 202、キハ22 251の2両が連結された状態で静態保存・展示され、前者が休憩所、後者がライダーハウスとして使用されており[18]、「ルゴーサ・エクスプレス」と名付けられている[20]。また駅構内跡地は広いため公園にも転用されており[17]、モニュメントとして[19]D51形蒸気機関車D51 365号機の動輪が保存・展示されている[18]2010年(平成22年)時点[20]2011年(平成23年)時点[19]でも同様であった。

また、2000年(平成12年)時点では北興駅 - 当駅間の線路跡の一部がサイクリングロードに転用されており、それを跨ぐ陸橋に「天北こ線橋」の名が残っていた。2010年(平成22年)時点[20]、2011年(平成23年)時点[19]でも同様であった。

隣の駅

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北海道旅客鉄道
名寄本線
北興駅 - 興部駅 - 旭ヶ丘駅
日本国有鉄道
興浜南線
興部駅 - 沢木駅

脚注

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  1. ^ 道の駅 おこっぺ”. 北海道地区道の駅連絡会. 2015年6月3日閲覧。
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、242頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年3月21日閲覧 
  3. ^ a b c d e f g h 停車場変遷大事典 国鉄・JR編I 1998年JTB発行、P251。
  4. ^ a b c d e 停車場変遷大事典 国鉄・JR編II 1998年JTB発行、P910。
  5. ^ a b 興部町史編纂委員会『興部町史』興部町、1961年4月25日、538頁。doi:10.11501/3449185 
  6. ^ a b c d 興部町百年史 1993年発行、P1011。
  7. ^ 「旭川・鉄道八十八年の歩み」1987年 旭川鉄道管理局発行、P102。
  8. ^ アイヌ語ラテン翻字: o-u-kot-pe
  9. ^ アイヌ語地名リスト エン~オニシ P21-30P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月20日閲覧。
  10. ^ 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、209頁。ISBN 978-4093951012 
  11. ^ 太田幸夫『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』富士コンテム、2004年2月、186頁。ISBN 978-4893915498 
  12. ^ a b c d e 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、209頁。ISBN 978-4093951012 
  13. ^ 工藤裕之『北海道廃止ローカル線写真集 追憶の鉄路』北海道新聞社、2011年12月、72頁。ISBN 978-4894536197 
  14. ^ a b 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、905頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  15. ^ 動画で見るニッポン‐NHK映像マップみちしる〜新日本風土記アーカイブス〜名寄本線‐寒冷地を走り続けた路線
  16. ^ a b c 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、18頁。 
  17. ^ a b 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVII』JTBパブリッシングJTBキャンブックス〉、1999年12月、40頁。ISBN 978-4533033766 
  18. ^ a b c d 白川淳 編『全国保存鉄道III 東日本編』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、1998年10月、51頁。ISBN 978-4533030963 
  19. ^ a b c d 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、119頁。ISBN 978-4894536128 
  20. ^ a b c 今尾恵介 編『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年3月、35頁。ISBN 978-4533078583 

関連項目

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外部リンク

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