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渚滑駅

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渚滑駅
駅舎(1989年3月)
しょこつ
Shokotsu
地図
所在地 北海道紋別市渚滑町3丁目
北緯44度22分22.2秒 東経143度19分10.2秒 / 北緯44.372833度 東経143.319500度 / 44.372833; 143.319500
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
日本国有鉄道(国鉄)
電報略号 コツ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1921年大正10年)3月25日
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日
乗入路線 2 路線
所属路線 名寄本線
キロ程 88.9 km(名寄起点)
富丘 (7.5 km)
(3.0 km) 潮見町
所属路線 渚滑線
キロ程 0.0 km(渚滑起点)
(4.7 km) 下渚滑*
備考 渚滑線は国鉄時代の1985年昭和60年)4月1日に廃止。
*この間に元西仮乗降場が存在(当駅より3.3 km先)。
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1978年の渚滑駅と周囲約500 m範囲。右が紋別方面。左は名寄方面と渚滑線北見滝ノ上方面。国鉄型配線2面3線と駅舎横の貨物ホームへ引込み線、多数の仕分け線を持つ。駅裏の機関区には、扇型車庫の跡と転車台が残っている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

渚滑駅(しょこつえき)は、北海道網走支庁紋別市渚滑町3丁目にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線廃駅)である。事務管理コードは▲122116[1]1985年(昭和60年)までは渚滑線の分岐駅であった。

歴史

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1980年昭和55年)まで運行されていた急行「天都」、及び1986年(昭和61年)まで運行されていた急行「紋別」の停車駅であった。

年表

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駅名の由来

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当駅が所在していた地名、「渚滑町」より。地名は、アイヌ語の「ソー・コッ」(滝壺)に由来する[6]。その滝壺から砂金が産出し、鴻之舞金山の起源となった[6]

駅構造

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廃止時点で、1面1線の単式ホームと線路を有する地上駅であった。ホームは、線路の北側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。

国鉄時代末期に無人化されるまでは、単式ホーム島式ホームを複合した計2面3線のホームと線路を有する、列車交換可能な交換駅であった[6]。互いのホームは、駅舎側ホーム西側と島式ホーム西側を結んだ跨線橋で連絡した[6]。1983年(昭和58年)時点では、駅舎側単式ホーム(北側)が下りの1番線、島式ホーム駅舎側が上りの2番線、外側が渚滑線発着の上下共用3番線となっていた[6]。3番線の外側(山側)に旧貨物側線を5線有し、そこから車庫線などの行き止まりの側線も数線有した。そのほか、1番線の遠軽方から分岐し駅舎東側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[6]

無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北側に位置し、ホーム中央部分に接していた[6]改札口は西側1箇所にあった。

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1978年(昭和53年) 187 [7]

駅弁

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1935年(昭和10年)から1978年(昭和53年)まで、駅前の食堂の村上待合所が帆立めしを駅弁として販売していた。

駅周辺

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バス路線

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  • 流氷もんべつ号
    • 「渚滑」停留所:旭川・札幌方面
  • 北紋バス
    • 「渚滑4丁目」停留所:興部・雄武方面、滝上方面、紋別市内方面

駅跡地の再開発

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「紋別市渚滑ふれあいパークゴルフ場」などとして利用されている渚滑駅跡地。パークゴルフ場休憩所には旧駅にちなみ「渚滑駅」の看板が掲げられている(2010年8月)

名寄本線が廃止となった後、当駅の旧駅本屋はバスの待合所として活用された。この他、旧駅構内は渚滑パークゴルフ協会が管理するパークゴルフコースとなり、1991年12月からは市民有志によって冬季間、旧機関庫を「旧渚滑駅機関庫跡室内パークゴルフ場」として利用するようになった。機関庫内の室内パークゴルフ場は現在も地元住民の同好会が管理し、毎年12月から翌年4月まで開放されている。

当駅の跡地は渚滑地区の中心部にあることから跡地利用が課題となっていたが、紋別市は1997年度から再開発に着手した[9]。駅本屋は同年解体され、1999年までに市食品加工センター(うまいっしょ工房)、渚滑高齢者ふれあいセンター、バス待合所が入る紋別市渚滑総合交流促進施設とオホーツク農業共済組合紋別家畜診療所が建設されたほか、パークゴルフコースが「渚滑ふれあいパークゴルフ場」として再整備された[10]

紋別市は2004年度、渚滑ふれあいパークゴルフ場などの周辺再整備を行い、この際、市が紋別市運動公園(紋別市南が丘町7丁目)で静態保存していた9600形蒸気機関車(69644)が移設された。同機は国鉄から1975年に無償貸与されたもので、老朽化が進んだため、所管する紋別市教育委員会は機関車を解体して車体の一部のみを保存することにしていたが、全国のSLファンから完全保存を求める声があがり、市教委が方針を転換して補修の上、渚滑駅跡地に移して保存した[11]

渚滑線跡は、現在も一部が築堤として残存している。1985年の同線廃止後、レールなどの設備はいったんすべて撤去されたが、駅から数百メートル西方の渚滑小学校地内の校門と運動場の間を横切っていたことから、地元の渚滑小・中学校PTAが「全国で唯一鉄道が走っていた学校」を後世に伝えようと国鉄からレールや踏切遮断機、信号機、駅名標などを譲り受け、校地内の渚滑線跡地に1989年、線路(約30メートル)を復元して保存している[12]

隣の駅

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北海道旅客鉄道
名寄本線
富丘駅 - 渚滑駅 - 潮見町駅
かつて富丘駅(当時は仮乗降場)と当駅との間に川向仮乗降場(かわむかいかりじょうこうじょう)が存在した(開業年月日不詳(1956年(昭和31年)11月19日には存在していた)、1966年(昭和41年)3月(日付不詳)廃止)[13]
日本国有鉄道
渚滑線
渚滑駅 - 元西仮乗降場 - 下渚滑駅

脚注

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  1. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、242頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年3月21日閲覧 
  2. ^ a b c d e f 停車場変遷大事典 国鉄・JR編I 1998年JTB発行、P251。
  3. ^ a b c d e f 停車場変遷大事典 国鉄・JR編II 1998年JTB発行、P911。
  4. ^ a b c 北海道鉄道百年史 下巻 1981年 日本国有鉄道北海道総局発行、巻末年表。
  5. ^ 「通報 ●飯田線三河川合駅ほか186駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1986年10月30日、12面。
  6. ^ a b c d e f g h 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、210頁。ISBN 978-4093951012 
  7. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、905頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  8. ^ a b c 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、18頁。 
  9. ^ 「97年度紋別市補正予算案 渚滑駅跡地再開発に着手 一般会計は196億4千万円 赤井市政初の編成」北海道新聞朝刊北見版、1997年7月17日付
  10. ^ 「紋別・渚滑駅跡地 パークゴルフ場完成 地区整備計画が一段落」北海道新聞朝刊遠紋版、1999年7月14日付
  11. ^ 「紋別市運動公園のSL→旧渚滑駅跡地に移転 車体の部分補修も 市立博物館『長期の原形保存へ努力』」北海道新聞朝刊遠紋版、2004年3月30日付
  12. ^ 「線路の輝き再び 渚滑小の校庭に復元 14年たち児童ら補修」北海道新聞朝刊遠紋版、2003年6月24日付
  13. ^ 今尾恵介 編『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年3月、214頁。ISBN 978-4533078583 

関連項目

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