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斎藤宇一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さいとう ういちろう

斎藤 宇一郎
生誕 慶応2年5月18日1866年6月30日
出羽国由利郡平沢町
(現秋田県にかほ市
死没 (1926-05-10) 1926年5月10日(59歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 帝国大学農科大学(現東京大学農学部)卒業
職業 政治家
農業指導者
任期 衆議院議員(1902年8月~1924年5月)
政党 憲政本党
立憲国民党
立憲同志会
憲政会
革新倶楽部
子供 齋藤憲三(三男、TDK創業者)
栄誉 勲六等瑞宝章
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斎藤 宇一郎(さいとう ういちろう、慶応2年5月18日1866年6月30日) - 大正15年(1926年5月10日)は、日本の衆議院議員憲政本党立憲国民党立憲同志会憲政会革新倶楽部)、農業指導者。三男の憲三TDKの創業者[1]

経歴

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出羽国由利郡平沢町(現在の秋田県にかほ市)に斎藤茂介(茂助)の長男[2]として生まれる。生家は旗本仁賀保氏の家老格の家柄であった[3]1890年明治23年)、帝国大学農科大学を卒業し、一年志願兵として近衛歩兵第4連隊に入隊した[4]1892年(明治25年)12月20日、予備役陸軍少尉に任ぜられ[5]、翌年に後備役となった[4]日清戦争がおきると召集され、海城まで従軍し、中尉に昇進した[4]1896年(明治29年)より農商務省に勤務し、翌年に林務官となるが、1898年(明治31年)に依願免本官[4]1899年(明治32年)、父茂介の死で帰郷。翌年、平沢町農会長・平沢郵便局長に就任した。

帰郷後、農村改良に尽力し、乾田馬耕・自給肥料・暗渠排水などを導入することで、生産性を高めることに成功した[6]

1902年(明治35年)、陸軍大尉に昇進し、郵便局長を辞任。同年の第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、8回連続当選を重ね、1924年まで在職した。その間、秋田県農会副会長、横荘鉄道株式会社社長などを歴任した[7]

議員引退後は平沢町長を務めた[1]

家族

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  • 母・トキオ(天保10年12月生山形生まれ)、佐藤宮太の長女[8]
    • 弟・運治郎(明治7年11月生)[8]
    • 弟・修吾(明治12年7月生)[2]

栄典

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選挙結果

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1902年(明治35年)8月10日の第7回総選挙で秋田県郡部区(定数6)から立候補して初当選を果たし、1920年(大正9年)5月10日第14回総選挙まで連続8回当選した。

第7回総選挙:明治35年(1902年)8月10日(日)
郡部区 武石敬治 立憲政友会・前6 1,771
斎藤宇一郎 憲政本党・新1 1,645
成田直衛 帝国党・元3 1,493
山田猪太郎 憲政本党・新1 1,365
沼田宇源太 憲政本党・元3 1,360
目黒貞治 立憲政友会・元3 1,111
石井信 立憲政友会・新 1,088
三浦盛徳 立憲政友会・新 1,085
添田飛雄太郎 憲政本党・新 1,050
伊藤新四郎 憲政本党・新 464
井出繁二郎 立憲政友会・新 401
村田範光 憲政本党・新 338
伊勢直慎 憲政本党・新 198
北島伝四郎 憲政本党・元 147
伊東忍 無所属・新 132
山本平蔵 立憲政友会・新 46
その他 46
第8回総選挙:明治36年(1903年)3月1日(日)
郡部区 沼田宇源太 憲政本党・前4 1,861
斎藤宇一郎 憲政本党・前2 1,838
三浦盛徳 立憲政友会・新1 1,726
成田直衛 帝国党・前4 1,686
武石敬治 立憲政友会・前7 1,634
山田猪太郎 憲政本党・前2 1,573
石井信 立憲政友会・前 1,573
福田貞助 立憲政友会・新 1,136
伊藤新四郎 憲政本党・新 6
その他 40
第9回総選挙:明治37年(1904年)3月1日(火)
郡部区 斎藤勘七 憲政本党・元3 1,480
荒谷桂吉 憲政本党・元2 1,351
斎藤宇一郎 憲政本党・前3 1,347
石井信 立憲政友会・元2 1,269
近江谷栄次 無名倶楽部・新1 1,234
三浦盛徳 立憲政友会・前2 1,193
沼田宇源太 憲政本党・前 1,182
成田直衛 帝国党・前 1,107
その他 30
第10回総選挙:明治41年(1908年)5月15日(金)
郡部区 榊田清兵衛 無所属・新1 3,148
荒谷桂吉 憲政本党・前3 2,766
添田飛雄太郎 憲政本党・新1 2,716
斎藤宇一郎 憲政本党・前4 2,683
三浦盛徳 立憲政友会・前3 2,585
近江谷栄次 猶興会・前2 2,278
石井信 立憲政友会・前 1,915
目黒貞治 立憲政友会・元 297
その他 443
第11回総選挙:明治45年(1912年)5月15日(水)
郡部区 町田忠治 立憲国民党・新1 3,565
榊田清兵衛 立憲政友会・前2 2,978
齋藤宇一郎 立憲国民党・前5 2,787
添田飛雄太郎 立憲国民党・前2 2,636
田中隆三 立憲政友会・新1 2,542
三浦盛徳 立憲政友会・前4 1,662
近江谷栄次 中央倶楽部・前 1,655
大久保鉄作 立憲政友会・元 1,529
その他 307
第12回総選挙:大正4年(1915年)3月25日(木)
郡部区 町田忠治 立憲同志会・前2 3,208
齋藤宇一郎 立憲同志会・前6 3,179
伊藤恭之助 立憲同志会・新1 2,976
添田飛雄太郎 立憲同志会・前3 2,916
榊田清兵衛 立憲政友会・前3 2,509
中村千代松 立憲国民党・新1 1,906
大久保鉄作 立憲政友会・元 1,845
渡辺文八郎 立憲政友会・新 1,676
その他 16
第13回総選挙:大正6年(1917年)4月20日(金)
郡部区 池田亀治 立憲政友会・新1 2,667
榊田清兵衛 立憲政友会・前4 2,601
齋藤宇一郎 憲政会・前7 2,566
町田忠治 憲政会・前3 2,267
高橋本吉 立憲政友会・新1 2,158
添田飛雄太郎 憲政会・前4 1,963
中村千代松 立憲国民党・前 1,947
伊藤恭之助 憲政会・前 1,916
明石順吉 無所属・新 599
その他 11
第14回総選挙:大正9年(1920年)5月10日(月)
第5区 斎藤宇一郎 憲政会・前8 4,328
近江谷栄次 立憲政友会・元 3,834
その他 62
第15回総選挙:大正13年(1924年)5月10日(土)
第5区 井出繁三郎 政友本党・新1 4,311
斎藤宇一郎 革新倶楽部・前 4,141
その他 2

仁賀保勤労青少年ホーム展示室

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宇一郎のゆかりの品などは、現在、にかほ市仁賀保勤労青少年ホームに展示されている。

脚注

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  1. ^ a b 柴崎力栄. “斎藤宇一郎”. コトバンク. 朝日日本歴史人物事典. 2021年1月6日閲覧。
  2. ^ a b 齋藤宇一郞(初版)”. 『人事興信録』データベース. 名古屋大学大学院法学研究科. 2021年1月6日閲覧。
  3. ^ 伊藤永之介 1944, p. 185.
  4. ^ a b c d 新選代議士列伝 1902, p. 203.
  5. ^ 叙任及辞令」『官報第2847号』内閣官報局、1892年12月22日、231頁。doi:10.11501/2946112https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2946112/2 
  6. ^ 伊藤永之介 1944.
  7. ^ 衆議院要覧 1923, p. 296.
  8. ^ a b 人事興信録 1915.
  9. ^ 叙任及辞令」『官報第3727号』内閣官報局、1895年11月29日、817頁。doi:10.11501/2947003https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2947003/9 

参考文献

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外部リンク

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