末広町 (函館市)
表示
末広町 | |
---|---|
町丁 | |
北緯41度46分0秒 東経140度42分50秒 / 北緯41.76667度 東経140.71389度座標: 北緯41度46分0秒 東経140度42分50秒 / 北緯41.76667度 東経140.71389度 | |
都道府県 | 北海道 |
市町村 | 函館市 |
人口情報 | |
人口 | 1,041 人 |
面積 | |
0.22 km² | |
人口密度 | 4731.82 人/km² |
郵便番号 | 040-0053 |
市外局番 | 0138 |
ナンバープレート | 函館 |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 北海道 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
概要
[編集]函館山山麓の函館港に最奥部に位置する。同町をはじめとした函館市西部地区は、函館が港湾都市として発展してきたことを端的に表す地域であり、明治時代や大正時代に建設された建造物が数多く残る[1]。1965年(昭和40年)7月1日に住居表示に関する法律に基づいて、末広町、東浜町、船場町の各町大部分、会所町、相生町、恵比須町の一部をもって成立した[2]。町丁名由来は「旧町丁の概要」を参照。
日本初の気象観測所「函館気候測量所(現・函館地方気象台)」が設けられた[3]。
明治40年函館大火(1907年<明治40年>8月25日)の復興案として函館駅を船場町に移転させる案があったものの函館区議会にて僅差で否決され実現しなかった[4]。
旧町丁の概要
[編集]- 末広町
旧町名は内澗町(うちまちょう)。1881年(明治14年)7月に基坂から大三坂までに加え地蔵町1、2、3丁目を編入した。郊外からきた荷馬をつないだ場所から「馬糞町」ともいわれる。旧町名の町名の内澗町の由来は大森浜や山背泊に対し内澗だから。新町名の末広町は「末広がり」とのめでたい意味[5][6]。
- 東浜町
- 船場町
→詳細は「豊川町 (函館市) § 旧町丁の概要」を参照
- 会所町
- 相生町
- 恵比須町
主な施設
[編集]- 道路
- 公共交通機関
- 公共施設
- 函館市企業局(アクロス十字街内)
- 函館市地域交流まちづくりセンター
- 北方民族資料館
- 金融機関
- 北海道銀行十字街支店
- 商業・娯楽施設
かつてあった主な施設
[編集]- 公共交通機関
- 公共施設
- 商業・娯楽施設
- 東宝銀映座 - 東宝直営館[11]。十字街 (函館市)#かつてあった主要施設の項を参照
脚注
[編集]- ^ https://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014031300068/file_contents/2014031300068_hk_docs_2014031300068_files_shishin-all.pdf
- ^ 新編=函館町物語 p.24
- ^ a b "沿革「日本最初の気象観測所」" 函館地方気象台 2024年7月26日閲覧
- ^ 函館百年物語 pp.38-41
- ^ 新編=函館町物語 p.38
- ^ 新編=函館町物語 p.405
- ^ 函館市史 通説編第4巻 pp.484-485
- ^ 函館市史通説編第4巻 pp.485-487
- ^ "函館市、末広地区の港湾施設整備工事本格化 18年度末完成目指す" 函館新聞/e-Hakodate 2017年11月10日8:00更新 2024年7月13日閲覧
- ^ "ベイエリアに憩いの広場完成、旧桟橋も新ビュースポットに" はこぶら 函館市 2018年9月27日更新 2024年7月13日閲覧
- ^ 函館市史 通説第3巻 pp.711-714
参考文献
[編集]- 自治体誌
- 函館市史 函館市総務部函館市史編さん室編 函館市
- 通説編第3巻 1980
- 通説編第4巻 1997
- 函館市史 函館市総務部函館市史編さん室編 函館市
- 商業誌
- 元木省吾 『新編=函館町物語』 幻洋社 1987
- 堀井利夫 『函館駅百年物語』 幻洋社 2003
関連項目
[編集]- 十字街 - 繁華街
- 函館西部地区の町並み