栃木シティFC
栃木シティFC | |||
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原語表記 | 栃木シティフットボールクラブ | ||
呼称 | 栃木シティ[1] | ||
クラブカラー |
紺 白[2] | ||
創設年 | 1947年 | ||
所属リーグ | 日本フットボールリーグ | ||
クラブライセンス | J3 | ||
ホームタウン | 栃木県栃木市、下都賀郡壬生町[2] | ||
ホームスタジアム | CITY FOOTBALL STATION | ||
収容人数 | 5,129 | ||
運営法人 | 株式会社 THE TOCHIGI CITY UNITED[2] | ||
代表者 | 大栗崇司 | ||
監督 | 今矢直城 | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
本社外観 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒329-4307 栃木県栃木市岩舟町静1219-2 北緯36度19分10秒 東経139度39分54秒 / 北緯36.31944度 東経139.66500度座標: 北緯36度19分10秒 東経139度39分54秒 / 北緯36.31944度 東経139.66500度 |
設立 | 2014年2月3日 |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 6060001025687 |
事業内容 | スポーツクラブの運営 |
代表者 | 大栗崇司(代表取締役社長) |
主要株主 | 日本理化工業所 |
外部リンク | https://tochigi-city.com/club/ |
特記事項:2018年12月、株式会社栃木ウーヴァから名称変更。 |
栃木シティFC(とちぎシティエフシー、英: TOCHIGI CITY FOOTBALL CLUB)は、日本のサッカークラブ。本拠地は栃木県栃木市。Jリーグ加盟を目指すクラブの1つである。登録チーム名は栃木シティフットボールクラブ。
なお、栃木SCとの区別のために「栃木C」と表記されることがある。
歴史
[編集]前史
[編集]1947年、日立製作所栃木事業所(現・日立アプライアンス栃木事業所)の実業団チーム「日立栃木サッカー部」として創部。2006年、ジュニアチームを運営していたウーヴァスポーツクラブと統合し、日立栃木ウーヴァスポーツクラブに名称変更した。ウーヴァ(UVA)とはポルトガル語でブドウの意味(ブドウは日立栃木事業所のある旧・大平町の特産品である)。2009年に第33回全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝し、2010年からの日本フットボールリーグ(JFL)への昇格が決定した。
栃木ウーヴァFC
[編集]2010年、NPO法人栃木アミスタスポーツクラブに運営を移管、栃木ウーヴァフットボールクラブに名称を変更[3]。
2012年はJFLで最下位に終わり、第36回全国地域サッカーリーグ決勝大会3位のクラブフィールズ・ノルブリッツ北海道との入替戦に回ったが、PK戦で勝利してJFL残留を決めた。
2013年6月、Jリーグ準加盟を申請したが、見送られた[4]。2014年、トップチームの運営を株式会社栃木ウーヴァに移管[5]。5月20日、Jリーグ百年構想クラブとして承認された[6]。
2015年は自動降格圏内の最下位に終わったが、レギュレーション変更によりJFLへの残留が決まった(詳細は第17回日本フットボールリーグ#地域リーグとの入れ替えを参照)。
2016年、サウルコス福井元ヘッドコーチの堺陽二が監督に就任。年間順位は自動降格圏内の15位に終わったが、レギュレーション変更によりJFLへの残留が決まった(詳細は第18回日本フットボールリーグ#地域リーグとの入れ替えを参照)。
2017年、リーグ戦で2年ぶりに自動降格圏内の最下位に終わり、2009年以来となる関東リーグ1部への降格が決まった(詳細は第19回日本フットボールリーグ#地域リーグとの入れ替えを参照)。
2018年、選手契約を原則プロ契約とすることを発表[7]。クラブ代表を務めていた岩原克彦が代表権のない取締役会長に退き、後任に日本理化工業所代表取締役社長・日本理化グループ代表の大栗崇司が就任。戦略統括責任者(CSO)に鳥栖や横浜FCなどで監督を務めた岸野靖之、ヘッドコーチに鳥取元監督の松田岳夫が就任した。GK安藤淳也が現役引退しGKコーチとなったほか大半の選手との契約を満了した一方で、引き続き在籍する8選手とはプロ契約を締結。さらに群馬からMF村田翔、水戸からFW山村佑樹、盛岡からDF守田創、甲府からDF津田琢磨とMF若杉好輝、徳島からMF井澤惇、栃木SCからFW竹中公基、金沢から7年ぶりの復帰となるGK原田欽庸、東京V(前シーズンは長野に期限付き移籍)からDF大木暁、横浜FCからMF野崎陽介と、Jリーグクラブから選手を補強。JFL・テゲバジャーロ宮崎から元JリーガーのMF髙地系治とFW森島康仁、JFL・FCマルヤス岡崎からFWレオジーニョが加入したほか、MF岩渕裕人(松本大学)、DF鯉沼晃(関西大学)、GK田中大貴(大阪学院大学)が新加入。関東リーグ1部で初優勝したが、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2018はグループリーグ3位に終わり、1年でのJFL復帰はならなかった。
栃木シティフットボールクラブ
[編集]2018年 - 2023年(関東リーグ)
[編集]2019年からチーム名称を「栃木シティフットボールクラブ」に、運営法人の商号を「株式会社THE TOCHIGI CITY UNITED」に変更した[8] 。監督に北九州でコーチを務めていた鄭容臺が就任したが、シーズン途中の5月14日付で鄭との契約を解除し、戦略統括責任者 (CSO) の岸野靖之が監督を兼任した[9]。最終的にVONDS市原FC・東京ユナイテッドFCに次ぐ3位でリーグ戦終了。
2020年シーズンは岸野が監督兼任を外れてCSO専任となり、後任の監督に奈良クラブ元監督の中村敦を招聘[10]。関東リーグ1部は2年ぶりに優勝し全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2020に出場、一次ラウンドでは3戦全勝でグループを首位通過したものの、決勝ラウンドでは1勝2分・勝点5で3チームが並び、得失点差で3位に終わったためJFL昇格を逃した。
2021年シーズンはクラブ所有のCITY FOOTBALL STATIONが落成し、開幕戦から使用することとなった。しかし新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、リーグ指針に伴い、有観客試合は主催11試合中3試合しか開催出来なかった[11]。リーグでは、開幕戦で昇格組のエスペランサSCに1-2で敗戦を喫するものの、その後は9試合負けなしを記録、8勝1分2敗の首位で前半戦を折り返した。後半戦も5勝1敗と上々のスタートを切ったが、9月からのJFL昇格を争うライバルであるVONDS市原FC、ブリオベッカ浦安、東京ユナイテッドFC、Criacao Shinjukuとの4試合では、東京ユナイテッドFCとの引き分けによる勝ち点1しか積み上げることが出来ず急失速、延期されていた後期第6節(事実上の最終節)流経大ドラゴンズ龍ケ崎戦を前に中村を監督から解任した。結局、リーグ戦は4位に終わった。
2022年シーズンは関東リーグで優勝。第58回全国社会人サッカー選手権では同じ関東リーグ勢でリーグ6位だったブリオベッカ浦安に3回戦で敗退、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2022決勝1次ラウンドではグループAでFC刈谷と勝ち点7で並び、得失点差で2位に終わるもワイルドカードで決勝ラウンド進出。決勝ラウンドは3位に終わり、JFL昇格を逃した[12]。
2023年は関東リーグで2位。第59回全国社会人サッカー選手権大会1回戦で敗退した。Jリーグ百年構想クラブ枠を活用して出場となった全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2023はグループAを3戦全勝(勝ち点9)でグループ1位で決勝ラウンドに進出。決勝ラウンドは2勝1敗の勝点6であったが、得失点差でV市原を上回って優勝した。12月5日のJFL理事会で2024年度からのJFL入会が承認された[13]。2017年シーズン以来7年ぶりの復帰となった。 12月19日、Jリーグ百年構想クラブから脱退した[14]。これは、2022年12月の制度改定により、Jリーグ入会要件からJリーグ百年構想クラブであることが要件から外れ、これまで必須であった百年構想クラブでなくともJ3ライセンスの取得に支障がない状況となったことによるもので、クラブは引き続きJリーグ加盟を目指すとしている。
2024年 - (JFL)
[編集]9月24日にJ3クラブライセンスが初交付された[15]。
チーム成績・歴代監督
[編集]日立栃木サッカー部
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 天皇杯 |
1967 | 栃木県1部 | 優勝 | |||||||||
1968 | 優勝 | ||||||||||
1969 | |||||||||||
1970 | |||||||||||
1971 | 優勝 | ||||||||||
1972 | 関東 | 8位 | 1 | 14 | 0 | 1 | 13 | 14 | 56 | -42 | |
1973 | 栃木県1部 | 優勝 | |||||||||
1974 | 優勝 | ||||||||||
1975 | |||||||||||
1976 | 優勝 | ||||||||||
1977 | |||||||||||
1978 | 2位 | 14 | 9 | 7 | 0 | 2 | 地区予選敗退 | ||||
1979 | 2位 | 9 | 6 | 4 | 1 | 1 | |||||
1980 | 優勝 | 17 | 9 | 8 | 1 | 0 | |||||
1981 | 関東 | 9位 | 12 | 18 | 4 | 4 | 10 | 11 | 28 | -17 | |
1982 | 10位 | 9 | 18 | 4 | 1 | 13 | 20 | 46 | -26 | ||
1983 | 栃木県1部 | 優勝 | 14 | 8 | 6 | 2 | 0 | ||||
1984 | 3位 | 12 | 9 | ||||||||
1985 | 7位 | 7 | 8 | 2 | 3 | 3 | |||||
1986 | 3位 | 10 | 8 | 4 | 2 | 2 | |||||
1987 | 4位 | 10 | 9 | 4 | 2 | 3 | |||||
1988 | 9位 | 6 | 9 | 3 | 0 | 6 | |||||
1989 | 栃木県2部A | 優勝 | 14 | 7 | 7 | 0 | 0 | ||||
1990 | 優勝 | 19 | 7 | 6 | 1 | 0 | |||||
1991 | 栃木県2部 | 優勝 | |||||||||
1992 | 栃木県1部 | 3位 | 19 | 12 | 6 | 1 | 5 | ||||
1993 | 7位 | 18 | 12 | 6 | 0 | 6 | |||||
1994 | 7位 | 11 | 11 | 4 | 3 | 4 | |||||
1995 | 9位 | 12 | 11 | 4 | 0 | 7 | |||||
1996 | 8位 | 16 | 11 | 5 | 1 | 5 | 県予選敗退 | ||||
1997 | 8位 | 13 | 11 | 4 | 1 | 6 | |||||
1998 | 6位 | 10 | 9 | 3 | 1 | 5 | |||||
1999 | 優勝 | 28 | 14 | 9 | 1 | 4 | |||||
2000 | 2位 | 30 | 14 | 10 | 0 | 4 | |||||
2001 | 2位 | 37 | 14 | 12 | 1 | 1 | |||||
2002 | 優勝 | 14 | |||||||||
2003 | 関東2部 | 6位 | 12 | 14 | 4 | 0 | 10 | 25 | 55 | -30 | |
2004 | 4位 | 21 | 14 | 6 | 3 | 5 | 24 | 19 | 5 | ||
2005 | 3位 | 25 | 14 | 7 | 4 | 3 | 28 | 18 | 10 | 1回戦敗退 |
日立栃木ウーヴァSC
[編集]年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 天皇杯 | 監督 |
2006 | 関東2部 | 2位 | 30 | 14 | 9 | 3 | 2 | 35 | 18 | 17 | 県予選敗退 | 三関隆 |
2007 | 関東1部 | 2位 | 27 | 14 | 9 | 0 | 5 | 33 | 17 | 16 | 横濱誠 | |
2008 | 2位 | 26 | 14 | 8 | 2 | 4 | 24 | 19 | 5 | 3回戦敗退 | ||
2009 | 2位 | 31 | 14 | 10 | 1 | 3 | 30 | 16 | 14 | 県予選敗退 |
栃木ウーヴァFC
[編集]年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 天皇杯 | 監督 |
2010 | JFL | 15位 | 31 | 34 | 7 | 10 | 17 | 41 | 75 | -34 | 1回戦敗退 | 横濱誠 |
2011 | 10位 | 45 | 33 | 12 | 9 | 12 | 40 | 43 | -3 | 2回戦敗退 | ||
2012 | 17位 | 22 | 32 | 4 | 10 | 18 | 36 | 70 | -34 | 県予選敗退 | 井出大介 | |
2013 | 17位 | 30 | 34 | 9 | 3 | 22 | 34 | 66 | -32 | 2回戦敗退 | 多田徹朗 | |
2014 | 13位 | 19 | 26 | 4 | 7 | 15 | 16 | 37 | -21 | 1回戦敗退 | ||
2015 | 16位 | 19 | 30 | 5 | 4 | 21 | 29 | 61 | -32 | 1回戦敗退 | 前田和也 | |
2016 | 15位 | 16 | 30 | 5 | 1 | 24 | 34 | 77 | -43 | 1回戦敗退 | 堺陽二 | |
2017 | 16位 | 24 | 30 | 5 | 9 | 16 | 22 | 56 | -34 | 2回戦敗退 | ||
2018 | 関東1部 | 優勝 | 52 | 18 | 17 | 1 | 0 | 55 | 14 | 41 | 県予選敗退 |
栃木シティFC
[編集]年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 天皇杯 | 監督 | 備考 |
2019 | 関東1部 | 3位 | 32 | 18 | 9 | 5 | 4 | 30 | 15 | 15 | 1回戦敗退 | 鄭容臺 岸野靖之 |
全社2回戦敗退 |
2020 | 優勝 | 23 | 9[※ 1] | 7 | 2 | 0 | 25 | 6 | 19 | 1回戦敗退 | 中村敦 | 地域CL3位 | |
2021 | 4位 | 44 | 22 | 14 | 2 | 6 | 45 | 26 | 19 | 2回戦敗退 | 中村敦 髙地系治 |
||
2022 | 優勝 | 37 | 18 | 11 | 4 | 3 | 33 | 14 | 19 | 県予選敗退 | 今矢直城 | 全社ベスト8 地域CL3位 | |
2023 | 2位 | 36 | 18 | 11 | 3 | 4 | 54 | 24 | 30 | 2回戦敗退 | 地域CL優勝 | ||
2024 | JFL | 30 | 2回戦敗退 |
- 注釈
- ^ 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、前期1節から前期9節までの全試合を中止し、後期日程のみでの開催となった。
タイトル
[編集]リーグ戦
[編集]- 関東サッカーリーグ1部:3回
- 2018,2020,2022
- 栃木県社会人サッカーリーグ1部:10回(日立栃木SC時代)
- 1967, 1968, 1971, 1973, 1974, 1976, 1980, 1983, 1999, 2002
カップ戦
[編集]- 全国地域サッカーチャンピオンズリーグ:1回
- 栃木県サッカー選手権大会(兼天皇杯栃木県予選):11回
- 2005, 2008, 2010, 2011, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017, 2019, 2021
下部組織
[編集]- CITY FOOTBALL ACADEMY
- 栃木シティフットボールクラブU-25
- アマチュア社会人チーム。2021年まで栃木県社会人サッカーリーグ2部Aブロックに所属し[16]、2022年から同リーグ1部に昇格した[17]。旧称はLUXPERIOR FOOTBALL ACADEMY(2019年まで)、栃木シティLFAユナイテッド(2020年)。
- 栃木シティフットボールクラブU-18(ユース)
- 栃木シティフットボールクラブU-15(ジュニアユース)
- 栃木シティフットサルクラブ
- 2019シーズンより、「MORANGO栃木」のトップチーム事業を受託し、チーム名を改称。2019年現在の所属リーグは栃木県フットサルリーグ1部。
スタジアム
[編集]栃木市岩舟地区の岩舟総合運動公園を建設候補地として民設民営によるサッカー専用スタジアム建設を計画して[18][19]、2021年3月に新スタジアムCITY FOOTBALL STATIONが完成した[20]。
- 2020年以前のホームスタジアム
年度・競技場別の試合数
[編集]- ※2010年のJFLリーグ加盟以後[22]。
年度 | 栃木市陸 | 足利市陸 | その他 |
2010 | 14 | 3 | なし |
2011 | 12 | 4 | 小山1 |
2012 | 11 | 3 | 小山2 |
2013 | 8 | 7 | 栃木県陸1 小山1 |
2014 | 9 | 3 | 小山1 |
2015 | 10 | 3 | 小山2 |
2016 | 10 | 3 | 小山2 |
2017 | 10 | 3 | 小山2 |
足利市とのダブルホームタウン制
[編集]2013年1月22日、足利市との間で同市をセカンドホームタウンとし、足利市総合運動公園陸上競技場をセカンドホームスタジアムとして使用することで合意した[23]。合意の際に、足利市長(当時)の大豆生田実は「名称を『両毛ウーヴァ』にしてはどうか」との提案もあった。
2013年4月に大豆生田を破って足利市長選挙に当選した和泉聡は、「ダブル本拠地に関する合意書」について2014年2月の更新時に更新しないと発表した[24][25]。
足利市とのホームタウン契約は基本1年で、期間満了の3か月前までに特に返事がない場合は契約を1年ごとに更新するものと見なされることになっていたが、和泉が「練習会場の確保など、合意事項を実行できない」と判断し、10月24日までに契約更新をしない旨を伝えたと報じられた[24]。
また足利市側は週1回程度夜間練習ができる会場を確保するとしていたが「サッカーのスパイクによって芝生が荒れて、頻繁に修復工事をしなければいけない」と、確保ができなかった理由を説明しており、また足利事務所の設置や資金調達のための情報提供も「市が個別の団体に対して行うのは好ましくない」とし、名称変更を含めた栃木市との交渉も事実上決裂した状態にある[25]。
ユニフォーム
[編集]
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ユニフォームスポンサー
[編集]掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 日本理化工業所 | NIPPONRIKA | 2017年4月 - | 1stのみ表記 2017年は背中上部 (1stは「NIPPONRIKA」 2ndは「vincent」表記) |
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栃木製麺 | 栃木製麺 | 2022年 - | 2ndのみ表記 | |
鎖骨 | なし | - | - | |
背中上部 | なし | - | - | |
背中下部 | 深井製作所 | FUKAI | 2018年 - | 2017年4月 - 同年12月は胸 |
袖 | なし | - | - | |
パンツ | なし | - | - |
ユニフォームサプライヤーの遍歴
[編集]- - 2009年 : ペナルティ
- 2010年 - 2011年 : アシックス
- 2012年 - 2015年 : レサンクセンス
- 2016年 - 2017年 : マイター
- 2018年 - 現在 : ラクスペリア
歴代ユニフォームスポンサー表記
[編集]年度 | 箇所 | サプライヤー | |||||
胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | ||
2010 | 日立エアコン・冷蔵庫 | 解禁前 | - | 解禁前 | 日本旅行 | 大坂屋 | asics |
2011 | アスワン | ||||||
2012 | 和洋レストラン いらっしゃれ | les cinq sens | |||||
2013 | 丸和住宅 | ||||||
2014 | アスライブ | ||||||
2015 | エフアンドエフ | ||||||
2016 | - | mitre | |||||
2017 | - / FUKAI |
NIPPONRIKA (1st) vincent (2nd) |
栃木市医師会 | ニッコークリエート | |||
2018 | NIPPONRIKA | - | MICAMATION | FUKAI | - | - | LUXPERIOR |
2019 | |||||||
2020 | |||||||
2021 | - | ||||||
2022 | NIPPONRIKA (1st) 栃木製麺 (2nd) |
関連項目
[編集]- 栃木シティFCの選手一覧
- Jリーグ加盟を目指すクラブ
- CITY FOOTBALL ACADEMY
- 日本理化工業所 - クラブ代表である大栗が社長を務める、クラブの事実上の親会社である。
- 木須フェリペ - プロ野球選手(東京ヤクルトスワローズ)- オリックス・バファローズ退団後の2022年に当クラブに入社し、ホームタウン推進課の職員としてグラウンド管理などの業務に従事していた[26]。2023年に福島レッドホープスで現役復帰のため退社。
脚注
[編集]- ^ “リーグ構成”. 日本フットボールリーグ. 2024年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月30日閲覧。
- ^ a b c “クラブ概要”. 栃木シティ. 2022年9月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月25日閲覧。
- ^ 第12回日本フットボールリーグガイドブック2010
- ^ “Jリーグ準加盟に福島など7クラブ承認へ”. 日刊スポーツ (2013年9月12日). 2018年9月12日閲覧。
- ^ “クラブ概要”. 栃木ウーヴァFC. 2014年10月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月25日閲覧。
- ^ 『Jリーグ百年構想クラブ審査結果について』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2014年5月20日 。2017年11月12日閲覧。
- ^ 「栃木ウーヴァ「プロ化」へ 1年でのJFL復帰掲げ」『下野新聞』2017年12月13日。オリジナルの2017年12月16日時点におけるアーカイブ。2017年1月6日閲覧。
- ^ “ウーヴァFC「栃木シティ」にチーム名を変更”. 毎日新聞 (2018年12月20日). 2023年12月12日閲覧。
- ^ “監督交代のお知らせ”. 栃木シティFC (2019年5月14日). 2019年5月14日閲覧。
- ^ 『【TOP】中村敦氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)栃木シティFC、2019年12月28日 。2020年10月10日閲覧。
- ^ “<緊急事態宣言中のリーグ開催について>”. 関東サッカーリーグ. 2021年4月25日閲覧。
- ^ “ブリオベッカ浦安が栃木シティ破り優勝、来季JFL昇格 高原直泰監督率いる沖縄SVも”. 日刊スポーツ. (2022年11月27日) 2022年11月28日閲覧。
- ^ 『第26回日本フットボールリーグ新入会チーム決定!』(プレスリリース)日本フットボールリーグ、2023年12月5日 。2023年12月12日閲覧。
- ^ 『Jリーグ百年構想クラブからの脱退について』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2023年12月19日 。2023年12月19日閲覧。
- ^ 『2025シーズン J3クラブライセンス交付のお知らせ』(プレスリリース)栃木シティFC、2024年9月25日 。2024年9月28日閲覧。
- ^ “【慶越雄二氏 LUXPERIOR FOOTBALL ACADEMY監督就任のお知らせ】 | 栃木シティフットボールクラブ” (2019年1月11日). 2019年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧。
- ^ “【U-25】第55回栃木県社会人サッカー2部リーグAブロック12節 結果報告” (2021年12月5日). 2022-11281時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧。
- ^ “スタジアムの住民説明会を行いました。”. 栃木シティフットボールクラブ (2020年1月13日). 2020年1月15日閲覧。
- ^ “ピッチと観客 日本一近く 天然芝、5129人収容 栃木シティFCスタジアム計画”. 下野新聞 (2020年1月14日). 2020年1月15日閲覧。
- ^ “新スタジアム、3月14日こけら落とし 栃木シティ|下野新聞 SOON”. 下野新聞 SOON. 2023年2月27日閲覧。
- ^ “栃木シティ| 練習見学”. 2020年10月10日閲覧。
- ^ 日本フットボールリーグ公式サイト・フットボールガイスト
- ^ “東京新聞:熱闘 足利でも ウーヴァFCとセカンドホーム合意:栃木(TOKYO Web)”. 東京新聞 (2013年1月23日). 2013年1月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧。
- ^ a b “東京新聞:栃木ウーヴァ 足利市が白紙撤回 セカンドホームタウン合意:栃木(TOKYO Web)”. 東京新聞. 2013年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧。
- ^ a b “栃木ウーヴァの「W本拠地」白紙に 足利市|下野新聞「SOON」”. 下野新聞 (2013年11月21日). 2013年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月27日閲覧。
- ^ “ホームタウン推進課 木須フェリペ氏 福島レッドホープス(ルートインBCリーグ)へ入団・選手復帰のお知らせ”. 2023年2月27日閲覧。
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 栃木シティ【公式】 (@tochigi_city_) - X(旧Twitter)
- 栃木シティFC (TochigiCityFootballClub) - Facebook
- 栃木シティ【公式】 (@tochigi_city_official) - Instagram
- 【公式】栃木シティフットボールクラブ - YouTubeチャンネル