根室港
根室港 | |
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所在地 | |
国 | 日本 |
所在地 | 北海道根室市 |
詳細 | |
管理者 | 根室市 |
種類 | 重要港湾 |
統計 | |
統計年度 | 平成26年 |
発着数 | 36,029隻[1] |
貨物取扱量 | 811,713トン[2] |
根室港(ねむろこう)は、北海道根室市にある港湾。港湾管理者は根室市。港湾法上の「重要港湾」、港則法上の「特定港」に指定されている。
概要
[編集]北海道最東端となる根室半島の基部に位置しており、オホーツク海側の「根室港区」と太平洋側の「花咲港区」で構成している[3]。古くから貿易港(交易港)としての歴史を有する港であり、現在は北方海域の漁業基地や根室市をはじめとする周辺の生活関連物資の流通拠点港としての役割があるほか[3]、「北方四島交流事業」(ビザ無し渡航)や、CIQの充実による外国貿易船の輸入水産物拠点港としても利用している[3]。根室港区は漁船、官公庁船、交流船を係留しており、北方領土への玄関口になっている[4]。また、『ねむろ港まつり』、『根室かに祭り』、『根室さんま祭り』などのイベントを開催している[4]。花咲港区は日本国内有数の水揚げを誇るサンマ漁[5]、サケ・マス漁やタラ漁などを行っているほか[5]、外来船によってウニやカニを輸入している[6]。
港湾施設
[編集]「根室市港湾管理条例」[7]、「根室港港勢要覧」参照[8][9]
根室港区
[編集]- 防波堤
- 南防波堤
- 西防波堤
- 北防波堤
- 海岸町防波堤
- 北地区突堤
- 海岸町船入間北防波堤
- 海岸町船入間南防波堤
- 弥生町防波堤
- 弥生町船入間南防波堤
- 中防波堤
- 大型けい留施設
- 北地区岸壁
- 日冷横岸壁
- 本町 - 6.0 m岸壁
- 北地区 - 5.5 m岸壁
- 荷さばき・保管施設
- 海岸町物揚場
- 1号水産上屋
- 本町物揚場
- 2号水産上屋
- 海岸町物揚場
- 水産物荷捌上屋
花咲港区
[編集]- 防波堤
- 西防波堤
- 防波堤(南)
- 中防波堤
- 東外防波堤
- 西外防波堤
- 大型けい留施設
- 漁業埠頭 - 4.5 m岸壁
- 西浜埠頭 - 5.5 m岸壁
- 西浜埠頭 - 6.0 m岸壁
- 西浜( - 6.0 m)岸壁
- 西浜( - 5.0 m)岸壁
- 南埠頭 - 5.5 m岸壁
- 東 - 10.0 m岸壁
- 東 - 7.5 m岸壁
- 荷さばき・保管施設
- 漁業埠頭 - 4.5 m岸壁
- 1号水産上屋
- 2号水産上屋
- 西浜埠頭 - 5.5 m岸壁
- 3号水産上屋
- 4号水産上屋
- 西浜埠頭 - 6.0 m岸壁
- 5号水産上屋
- 西浜埠頭 - 5.5 m岸壁
- 水産上屋
- 中央物揚場( - 3.0 m)岸壁
- 第2荷捌所
官公署
[編集]- 根室市役所
- 根室振興局
- 函館税関根室税関支署
- 小樽検疫所花咲出張所
- 北海道開発局釧路開発建設部根室港湾事務所
- 第一管区海上保安本部根室海上保安部
- 花咲分室
沿革
[編集]『キイタフ之門子モロ場所之図』によると、1792年(寛政4年)にロシアの遣日使節・アダム・ラクスマンの一行は帆船「エカテリーナ号」で「ネモロ(子モロ)」(現在の根室港区)に入津し、弁天島に停泊して上陸後、約8カ月間過ごすことになった[10]。1797年(寛政9年)の『蝦夷巡覧筆記』では、「ネモロ」は弁天島が自然の防波堤となって大船が入港できる良港として知られており、キイタップ場所(霧多布場所)の番小屋があったとしている。その後、港はネモロ場所の中核港として発展し、『東蝦夷地場所大概書』には東に出崎、西に弁天島、北にも島があるため操船するのに都合が良く、入船は北東の風、出船は西南の風を利用するとの記述がある。また、風向きが悪い時などには西別港(現在の別海町)を補助港としていた。
年表
[編集]個別に出典が提示されている箇所以外は「根室港港勢要覧」参照[11]
- 1869年(明治 2年):開拓使により函館を結ぶ航路開設。
- 1872年(明治 5年):弁天島灯台開設。
- 1885年(明治18年)8月:花咲港に波止場を築設する(延長45m、幅員5間、工費2,900万円)[12]。
- 1887年(明治20年):根室波止場築設。英国人技師C.S.メークによる港の調査実施。
- 1910年(明治43年):関税法上の「開港」指定(1987年(昭和62年)、花咲港区に指定変更)。
- 1919年(大正 8年):柳田鉄三が自費で石垣護岸修復[13]。
- 1926年(大正15年):柳田埋立地護岸工事102 m完成。
- 1931年(昭和 6年):航空路調査のため、チャールズ・リンドバーグが婦人とともに「シリウス号」で根室港口に着水[14][15]。
- 1934年(昭和 9年):根室臨港鉄道敷設(1965年(昭和40年)廃止)[13]。
- 1941年(昭和16年):花咲港船入澗仮設工事完成(1943年(昭和18年)から根室港の副港として利用開始)[13]。
- 1948年(昭和23年):港湾調査規則による「乙種港湾」指定。
- 1949年(昭和24年)4月30日:花咲港南防波堤に灯台設置[16]。
- 1953年(昭和28年):根室港と花咲港が「地方港湾」指定。
- 1961年(昭和36年):根室港と花咲港が港湾整備緊急措置法による「港湾隣接地域」指定。
- 1964年(昭和39年):「海岸保全地区」指定。
- 1967年(昭和42年)12月16日:花咲港石油備蓄基地完成[13][17]。
- 1973年(昭和48年):「根室半島沖地震」発生。
- 1977年(昭和52年):日本12海里領海及び200海里漁業専管水域実施。
- 1978年(昭和53年):根室港と花咲港を一体化して「根室港」(根室港根室港区、根室港花咲港区)となり、「重要港湾」指定。
- 1980年(昭和55年):港湾調査規則による「甲種港湾」指定。
- 1984年(昭和59年)3月12日:水屋上屋が完成[18]。
- 1988年(昭和63年):出入国管理令(出入国管理及び難民認定法)による「出入国管理港」指定。検疫法による「無線検疫港」指定。
- 1992年(平成 4年):「北方四島交流事業」開始[13]。花咲港区東 - 10.0 m岸壁供用開始。
- 1993年(平成 5年):検疫法による「検疫港」指定。根室港シンボルマーク制定。
- 1994年(平成 6年):「北海道東方沖地震」発生。
- 1998年(平成10年):「携帯植物防疫特定港」指定。
- 1999年(平成11年):「植物防疫港」指定。
- 2002年(平成14年):根室港区耐震岸壁供用開始。
- 2003年(平成15年):「十勝沖地震」発生。
- 2009年(平成21年):花咲港区南埠頭完成式典開催。
- 2011年(平成23年):「東日本大震災」発生。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “入港船舶” (PDF). 根室港港勢要覧. 根室市. 2023年6月13日閲覧。
- ^ “取扱貨物量” (PDF). 根室港港勢要覧. 根室市. 2023年6月13日閲覧。
- ^ a b c “根室市概要” (PDF). 根室港港勢要覧. 根室市. 2023年6月13日閲覧。
- ^ a b “根室港:根室港区”. 国土交通省北海道開発局 釧路開発建設部. 国土交通省. 2021年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月27日閲覧。
- ^ a b 水産ねむろ, pp. 13–16.
- ^ “根室港:花咲港区”. 国土交通省北海道開発局 釧路開発建設部. 国土交通省. 2021年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月27日閲覧。
- ^ “根室市港湾管理条例”. 根室市公式サイト. 根室市. 2017年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月27日閲覧。
- ^ “港湾施設1” (PDF). 根室港港勢要覧. 根室市. 2023年6月13日閲覧。
- ^ “港湾施設2” (PDF). 根室港港勢要覧. 根室市. 2023年6月13日閲覧。
- ^ “根室市歴史と自然の資料館”. 根室市公式サイト. 根室市. 2017年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月27日閲覧。 “ラクスマンの根室来航”
- ^ “沿革” (PDF). 根室港港勢要覧. 根室市. 2023年6月13日閲覧。
- ^ 『根室市史年表』(1988年3月20日、根室市発行)72頁。
- ^ a b c d e “100年の歩み”. 根室開港100周年. 根室市. 2017年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月27日閲覧。
- ^ “ねむろむかしがたり3:リンドバーグの根室寄港”. 根室の歴史について. 根室市. 2017年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月26日閲覧。
- ^ “リンドバーグ夫妻、根室へ飛来”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1936年8月25日). 2017年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月27日閲覧。
- ^ 『根室市史年表』(1988年3月20日、根室市発行)201頁。
- ^ 『根室市史年表』(1988年3月20日、根室市発行)50頁。
- ^ 『根室市史年表』(1988年3月20日、根室市発行)250頁。