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武之鼻橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
武之鼻橋(2014年11月)

武之鼻橋(たけのはなばし)は埼玉県秩父市中村町と同寺尾の間で荒川に架かる秩父市道幹線1号[1][2]の橋である。武の鼻橋とも称する[3][4]。すぐ上流側に埼玉県道208号の橋である秩父公園橋が架かる。

概要

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本橋は河口から122.9キロメートルの位置に架かる[5]橋長107.12メートル[4][6]、総幅員4.0メートル、有効幅員3.5メートル[1]の6径間のRC(鉄筋コンクリート桁橋である[7]。橋の高さは水面から7メートルである[4]。橋の管理者は秩父市である[1][5]。上流側に同時期に架けられた佐久良橋(現、櫻橋)によく似た外見を持ち、欄干はコンクリート製である。通行制限があり、重量制限が標識で2.0トンとなっているのも櫻橋と同様である。幅員が狭いので橋は交互通行だが、橋の中央部に行き違いのため幅員がやや広くなっている箇所が設けられている。橋脚は河床低下に伴い橋脚フーチング(底版)が露出している。尾田蒔側の上寺尾地区と秩父側の中村地区の生活道路となっている橋で、取り付け道路は河岸段丘の地形に沿って逆「U」の字状に屈曲した線形および縦断勾配を有している。橋を通る路線バスコミュニティバスなどの公共交通機関は設定されていない[8]

歴史

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竹の鼻の渡し

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『平賀源内肖像』

橋が架けられる以前は「竹の鼻の渡し」と呼ばれた[9]船一艘を有する私設の渡船場[10]が橋のやや上流側に存在していた[9]。いつから存在していたかは定かではないが、安永年間(1772年-1780年)には平賀源内が鉄や木炭の運搬に利用した河岸が渡船場に併設されていたことから、この頃までに存在していたと考えられ[9]、大宮郷(現在の秩父市中心地)から上州越後方面へと至る交通の要衝であった。渡船場は開設当初は寺尾側での管理であったが[9]、後に大宮郷と共同で管理運営を行う様になった[9][11]。渡船料は1846年弘化3年)の記録によると周辺の村から年に一世帯につき麦一升を納めたと記されている[9]。冬場の減水期には長さ15間(約27.273メートル)、幅3尺(約0.909メートル)の土橋の仮橋が架けられていた[9]。架設の際は秩父夜祭の前である11月25日に「祭り前の橋かけ」と称して仮橋の架設が行われ、「橋架けのお日待ち」と呼ばれる儀式も行われた。仮橋の撤去はお雛様は橋を渡らないとされたことから節句前に行われ、その際に「橋はずしのお日待ち」と呼ばれる儀式が行われた[9][12]。また、夏場はこの渡船場付近で秩父川瀬祭の神事も行われた。この渡船場は武之鼻橋の開通により廃止された。現在右岸側に渡船場への道が存在している[9]

橋の建設

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武之鼻橋は秩父市が事業主体となり、総事業費824万5000円を投じて1952年昭和27年)10月着工された[4]。橋種の選定に当たっては簡素な構造ながら秩父の景観にも配慮されたものとなった[3]。「希望の橋」と待望された橋は[4]1953年(昭和28年)[13][6]3月に竣工され[4]、両岸に取り付け道路が整備された。なお、取り付け道路は1953年(昭和28年)の秩父市の失業対策事業の一環として施工されたものである[14]。渡船から橋に替わった現在も秩父川瀬祭の「神輿洗い」の儀式はこの付近で行われ[15]、祭事の際は本橋は歩行者のみが通行でき、車両は通行止めとなる[16]。本橋は秩父市の橋梁長寿命計画に基づき補強が行われ[17]、2016年に工事が実施され、翌年3月に完了している[18]1993年平成5年)橋の真上を交差するように秩父公園橋が架けられ、それに伴い交通量は大幅に減少したが、地元住民の愛着がある限りこの橋は存続される方針である[4]

コンクリートの劣化や鉄筋の腐食など橋が老朽化しているため、橋の両詰に標識や幅2.3メートルの車止めが設置され、2017年(平成29年)10月1日より重量制限が実施された[19][20]。重量制限は6.0トンから2.0トンに引き下げられ、それ以上の車両の通行は禁止される。

周辺

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秩父公園橋より望む荒川と武之鼻橋

武之鼻橋付近の荒川は「武の鼻の荒川」と呼ばれ、そばの河原で秩父川瀬祭の「御輿洗いの神事」が行われる場所である。その神事の際は本橋の他、市街地の一部の道路に交通規制が敷かれ、車両の通行が規制される[16]。 周辺は河岸段丘域で両岸に段丘崖が見られる。

  • 永田城跡 - 県選定重要遺跡
  • 無量山西光寺 - 秩父札所16番
  • 秩父市いきがいセンター
  • 秩父市ふれあいセンター
  • 秩父中村郵便局

風景

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隣の橋

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(上流) - 佐久良橋 - 秩父公園橋 - 武之鼻橋 - 秩父橋 - 和銅大橋 - (下流)

脚注

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  1. ^ a b c 秩父市橋梁長寿命化修繕計画” (PDF). 秩父市 地域整備部 地域整備部 道づくり河川課. p. 5 (2013年3月). 2014年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月15日閲覧。
  2. ^ 通行止め・通行規制橋梁リスト(H23.4月時点)” (PDF). 国土交通省. p. 9 (2011年4月). 2014年12月15日閲覧。
  3. ^ a b 金平博樹, 伊藤学, 窪田陽一 (1994-06). “埼玉県内の近代道路橋梁群”. 土木史研究 (土木学会) 14: 231-236. doi:10.2208/journalhs1990.14.231. https://doi.org/10.2208/journalhs1990.14.231 2014年12月15日閲覧。. 
  4. ^ a b c d e f g 平成7年12月2日『埼玉新聞』15頁。
  5. ^ a b 企画展「荒川の橋」荒川・隅田川の橋(amoaノート第8号)” (PDF). 荒川下流河川事務所(荒川知水資料館). 2005年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月27日閲覧。
  6. ^ a b 武之鼻橋1953- - 土木学会附属土木図書館橋梁史年表。2014年12月14日閲覧。
  7. ^ 共済だより 2012年1月号(No.578)” (PDF). 埼玉県市町村職員共済組合. p. 16 (2012年1月1日). 2020年2月15日閲覧。
  8. ^ 秩父市内路線バスのご案内 - 秩父市、2014年12月15日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i 『歴史の道調査報告書第七集 荒川の水運』40、73頁。
  10. ^ 『荒川 人文II -荒川総合調査報告書3-』214頁。
  11. ^ 渡し場を守った稲荷様 - 荒川べりに生きる(東峰書房)、2014年12月15日閲覧。
  12. ^ 秩父歴史の荒川渡船について”. 秩父宿泊施設民宿すぎの子. 2014年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月16日閲覧。
  13. ^ 『荒川 人文II -荒川総合調査報告書3-』231頁。
  14. ^ 『秩父市誌』738頁。
  15. ^ 秩父川瀬祭”. MAPPLE 観光ガイド. 2014年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月16日閲覧。
  16. ^ a b 秩父川瀬祭 - 秩父市公式サイト(秩父観光なび)、2014年12月15日閲覧。
  17. ^ 市議会だより36号” (PDF). 秩父市議会 (2014年5月10日). 2014年12月15日閲覧。
  18. ^ 市報ちちぶ 平成28年11月号(No.140)” (PDF). 秩父市役所. p. 9 (2016年11月10日). 2020年2月15日閲覧。
  19. ^ 市報ちちぶ 平成29年8月号(No.149)” (PDF). 秩父市役所. p. 20 (2017年8月10日). 2020年2月15日閲覧。
  20. ^ 橋の通行規制情報 - 秩父市.2020年2月15日閲覧。

参考文献

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  • 秩父市誌編纂委員会『秩父市誌』、埼玉県秩父市、1962年5月3日。
  • 埼玉県県民部県史編さん室『荒川 人文II -荒川総合調査報告書3-』、埼玉県、1988年3月5日。
  • 埼玉県立さきたま資料館編集『歴史の道調査報告書第七集 荒川の水運』、埼玉県政情報資料室発行、昭和62年4月
  • “キラリわがまち川と橋編 荒川に架かる秩父公園橋(秩父)”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社): p. 15. (1995年12月2日) 

外部リンク

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座標: 北緯36度0分12.3秒 東経139度4分20.8秒 / 北緯36.003417度 東経139.072444度 / 36.003417; 139.072444