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沢村いき雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さわむら いきお
沢村 いき雄
本名 岡部 静雄
別名義
  • 沢村 い紀雄
  • 澤村 い紀雄
生年月日 (1905-09-04) 1905年9月4日
没年月日 (1975-09-20) 1975年9月20日(70歳没)
出生地 日本の旗 日本栃木県
ジャンル 俳優
活動期間 1921年 - 1975年
活動内容 舞台、テレビドラマ、映画
主な作品
用心棒
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沢村 いき雄さわむら いきお[1][2]1905年明治38年〉9月4日[出典 1] - 1975年昭和50年〉9月20日[出典 2])は、日本俳優。本名は岡部静雄[4]、旧芸名は沢村い紀雄[8][7]栃木県出身[出典 3]。元妻は初代ミスワカナ[8]

来歴・人物

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1921年七代目・沢村宗十郎門下として帝国劇場で初舞台を踏む[3][7]。1931年、前進座の創立に参加[9][7]。前進座では宣伝部員も兼ねていた[8]。その後、東宝劇団に移籍にしようと手続きをしていたことが前進座側に知られたことから劇団を除名され、これがきっかけとなり喜劇俳優の道に進む[8]

左本政治の紹介により[8]1933年4月、有馬是馬の退団の穴埋めとしてムーランルージュ新宿座に入団[3][10]。当初、左本は歌舞伎育ちである沢村はムーランに合わないと考え、考え直すように説得しており、ムーランの主催である佐々木千里も「劇団の空気に合わないから退く様に言って欲しい」と左本に相談していたが、1年ほどで劇団の看板俳優の1人へと上り詰めた[8]

1936年、阿木翁助らとともに吉本興業東京支社に移り[8]、新喜劇座を立ち上げる[6][9]。1937年に大阪新興演劇部に移り[3]太平洋戦争中は宮城県の歌舞伎座を拠点に舞台活動を行っていた[11]東横百貨店を根城とした空気座で、堺駿二左卜全とともに看板俳優を務めたが、1947年、火災により東横百貨店が劇場を閉鎖する。同年[9]、ムーランルージュの再興に参加し[4][9]、帝劇ミュージカル出演を経て、映画俳優へと転身[4][9]。映画デビュー作は1951年の日米合作『ゲイシャガール』[9][7]

1954年東宝に入社し[出典 4]、以降はコメディ映画から黒澤作品、特撮映画、アクション映画まで、東宝映画に欠かせない脇役として活躍した。1955年に芸名を沢村いき雄に改名[7]

1958年、ムーランプロの設立に参加[12]

甲高い声と人なつっこい風貌で今なおファンから親しまれる俳優。タクシー運転手や守衛、店の主人役など小市民役が多く、ピッタリはまっていた。

1975年9月20日、心不全により死去[出典 5]。70歳没。

主な出演作品

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映画

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テレビドラマ

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  • 日産スター劇場NTV
    • 「ヘソまがり入門」(1964年)
    • 「マダムと駅長」(1965年)
    • 「舞いこんだ十九歳」(1965年)
    • 「しっぽのある女」(1967年)
  • 東芝日曜劇場TBS
    • 第420話「斜めの橋」(1964年)
    • 第879話「放蕩一代息子」(1973年)
  • 青春とはなんだ 第24話「高校三年」(1966年、NTV / 東宝) - 焼き芋屋
  • 三匹の侍CX
    • 第4シリーズ 第14話「新宿七福神」(1967年) - 寿助
    • 第6シリーズ 第8話「犬侍奮戦録」(1968年) - めしやの親爺
  • 遊撃戦 第9話「十万元の戦い」(1966年、NTV / 東宝)
  • 快獣ブースカ 第36話「踊れフラミンゴ」(1967年、NTV / 円谷プロ) - 鶴じいさん
  • 昔三九郎 第5話「鼠小僧御用」(1968年、NTV / 三船プロ
  • 鬼平犯科帳 (1969年 ‐ 1970年、NET / 東宝)
    • 第11話「老盗の夢」 - 前砂の捨蔵
    • 第25話「男の毒」 - 伊助
    • 第61話「あほうがらす」 - 与吉
  • オバゲバ学園奮戦記(1970年、12ch
  • 大河ドラマ / 春の坂道(1971年、NHK
  • 太陽にほえろ! 第65話「マカロニを殺したやつ」(1973年、NTV / 東宝) - タレ込み屋
  • 剣と風と子守唄(NTV / 三船プロ)
    • 第5話「喰われた献上馬」(1975年) - 茂助
    • 第23話「鬼と虎の酒天国」(1975年) - 与作 ※遺作

舞台

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  • 王様と私(1965年、東宝ミュージカル特別公演) - 通訳[14] 
  • 第七天国(1969年、芸術座) - ドブネズミ[15] 
  • 聖女伝説・一九七四年のジャンヌ・ダルク(1975年、三越劇場) - PTA会長[16] 

脚注

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注釈

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  1. ^ 出演シーンカット。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 東宝特撮映画全史 1983, p. 530, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
  2. ^ a b c d ゴジラ大百科 1993, p. 121, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  3. ^ a b c d e 『タレント名鑑NO2』芸能春秋社、1964年、44頁。 
  4. ^ a b c d e 『日本映画人大鑑』キネマ旬報社、1959年、116頁。 
  5. ^ a b c d e f g h i 野村宏平、冬門稔弐「9月4日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、255頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  6. ^ a b c 阿木翁助「追悼 沢村いき雄を悼む」『悲劇喜劇』12月号、早川書房、1975年、46頁。 
  7. ^ a b c d e f g h i 沢村いき雄”. キネマ旬報WEB. キネマ旬報社. 2024年1月22日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g 左本政治『かべす』六芸書房、1966年、194 - 200頁。 
  9. ^ a b c d e f 沢村 いき雄』 - コトバンク
  10. ^ 向井爽也『日本の大衆演劇』東峰出版、1966年、154頁。 
  11. ^ 『宮城県の昭和史―近代百年の記録』毎日新聞社、1983年、216頁。 
  12. ^ 「藝能ニュース」『芸能画報』4月号、サン出版社、1958年。 
  13. ^ a b c d e f g h i j k l 東宝特撮映画全史 1983, pp. 535–538, 「主要特撮作品配役リスト」
  14. ^ 『芸能』1月号、芸能学会、1966年、70 - 71頁。 
  15. ^ 『芸能』5月号、芸能学会、1969年、52頁。 
  16. ^ 『芸能』6月号、芸能学会、1975年、75頁。 

出典(リンク)

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参考文献

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  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 
  • 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一Gakken〈Gakken MOOK〉、1993年12月10日。 

外部リンク

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