油川
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油川 | |
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北緯40度51分13.990秒 東経140度41分50.406秒 / 北緯40.85388611度 東経140.69733500度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 青森市 |
地区 | 西地区 |
人口 | |
• 合計 | 3,307人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
038-0059[2] |
市外局番 | 017[3] |
ナンバープレート | 青森 |
緯度・経度は青森銀行油川支店。 |
油川(あぶらかわ)は青森市の地名であり、大字名である。小字には大浜・岡田・千苅・中道・浪返・浪岸・船岡・実法・柳川がある。郵便番号は038-0059。
地理
[編集]青森市市街地の北西寄りに位置する。北は陸奥湾、東は新城川を境に沖館・新田、西は羽白、南西は岡町に接する。
地内は幹線道路が南北に横断し、その両側に商店等が散在する。
河川
[編集]- 新城川 - 南端部を流れる。
- 天田内川
- 市兵衛川
- 油川
歴史
[編集]油川は中世以来の港町。津軽の地名を集めた戦国期の資料「津軽郡中名字」にもその名が見える。この街は、津軽平野から新城・岡町を経由して外ヶ浜地域に向かう道と、津軽半島を北上する道が交差する場所にあたる。近江商人の移住がみられ、古くから廻船問屋や酒造業が営まれてきた。
江戸時代前期、この地を支配した大名の津軽信枚の命により、油川の南東に湊町青森が開かれ、遠方からの船の商売は青森が独占するようになるが、油川は依然繁栄を保つ。しかし、明治になり、新城から青森まで直行する道が開かれると、油川の港勢も陰りをみせたという。
大正になると、イタリア人のファブリーが缶詰工場と居宅を構えた。その没後も居宅は残り、イタリア館として長く住民に親しまれた。
沿革
[編集]- 1871年(明治4年) - 廃藩置県により、弘前藩から弘前県の所属となる。弘前県は同年に他の5県との合併を経たのち、青森県と改称される。
- 1878年(明治11年)- 郡区町村編成法の青森県での施行に伴い、東津軽郡に属する。
- 1889年(明治22年) - 町村制施行により、油川町の大字となる。
- 1939年(昭和14年) - 青森市に編入合併し、青森市の大字となる。
世帯数と人口
[編集]2023年(令和5年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
油川字大浜 | 474世帯 | 976人 |
油川字岡田 | 394世帯 | 759人 |
油川字千刈 | 142世帯 | 258人 |
油川字中道 | 326世帯 | 698人 |
油川字浪返 | 311世帯 | 640人 |
油川字浪岸 | 141世帯 | 269人 |
油川字船岡 | 105世帯 | 239人 |
油川字実法 | 9世帯 | 32人 |
油川字柳川 | 125世帯 | 253人 |
合計 | 2,027世帯 | 4,105人 |
小・中学校の学区
[編集]町名 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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大字油川 | 全部 | 青森市立油川小学校 | 青森市立油川中学校 |
交通
[編集]道路
[編集]- 国道280号 - やや海岸に寄ったところを南北に縦断する。
- 青森港 臨港道路木材港線 - フェリー埠頭入口から油川地区の木材港に向かう。
- 青森県道234号津軽新城停車場油川線
バス
[編集]主な施設
[編集]- 青森市立油川小学校
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 2 青森県(1985年 角川日本地名大辞典編纂委員会 編)油川の項
脚注
[編集]- ^ “人口・世帯数等(住民基本台帳)”. 青森市 (2023年1月1日). 2023年2月7日閲覧。
- ^ “郵便番号”. 日本郵便. 2023年2月20日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2022年9月20日閲覧。
- ^ “青森市立小学校及び中学校の就学に関する規則”. 青森市. 2023年2月6日閲覧。