浅見貞男
浅見 貞男 | |
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グランプリでの経歴 | |
国籍 | 日本 |
チーム | ヤマハ |
レース数 | 38 (37 start) |
表彰台回数 | 2 |
通算獲得ポイント | 32 |
ファステストラップ回数 | 1 |
初グランプリ | 1978年 250cc フランスGP |
最終グランプリ | 1981年 500cc スウェーデンGP |
浅見 貞男 (あさみ さだお、英: Sadao Asami、1949年1月17日[1] - ) は、日本の元モーターサイクル・ロードレーサー。1975年の全日本ロードレース選手権F750チャンピオン。
経歴
[編集]19歳の時にホンダ・CBでロードレースデビュー。1974年にヤマハのモーターサイクル普及部契約ライダーとなる。全日本ロードレース選手権でチャンピオン獲得など活躍後、1978年よりプライベート参戦で海外レースへの挑戦を開始。アメリカAMA・デイトナ200[2]やロードレース世界選手権 (WGP/現MotoGP)に挑戦。浅見はメーカー契約ライダーとなる以前はタクシー運転手をしながら日本でのレース参戦をしていた時期があり、特にAMAはその賞金額の大きさが魅力だったという。ヨーロッパを転戦するWGPでは、オランダのヤマハNV(ヤマハ発動機の現地法人)と、アライヘルメットヨーロッパ(同じくオランダに拠点を置いていた)からサポートを受けながらのプライベート参戦だった。この当時まだ日本ではヨーロッパで開催されるレースはほとんど報道されておらず、1977年シーズンの時点でWGP全戦に参戦する日本人レギュラーライダーは根本健と、片山敬済(韓国籍)だけであった。取材する日本のジャーナリストもフォトグラファーの木引繁雄ぐらいしか居なかった。そんな日本から遠く離れた地での挑戦だったが、浅見は1978年イタリアGP250ccクラスで10位に入りポイントを獲得したのを皮切りに、翌1979年イタリアGPでは350ccクラスで2位、ユーゴスラビアGPで3位と好結果を挙げ、シーズンランキング9位に名を残した。1980年からはWGP500ccクラスに参戦し、フィンランドGPで9位、1981年までヨーロッパでGP500への挑戦を続けた。
ヨーロッパで自らのトランスポーターを運転しながら転戦、本場の「コンチネンタルサーカス」を回ったのは約4年だったが、その間1978年と1979年のボルドール24時間耐久レースに、フランスのソノート・ヤマハチームの一員としてゴロワーズカラーのTZ750で参戦した。1979年大会はソノートチームのエースであったパトリック・ポンスとのコンビで2位を獲得するというトピックもあった[3]。賞金稼ぎのためマカオグランプリにも出走した[4]。
日本に戻り、レースを引退しようと考えていた所、ヤマハワークスよりマシン開発ライダーのオファーがあり、1982年よりファクトリー契約を結ぶ。ケニー・ロバーツがWGPを戦うためのヤマハ・YZR500 (0W70) や、TZ250などのレーシングマシン開発に携わり、参戦数は多くなかったが全日本選手権やTBCビッグロードレースの実戦にもスポット参戦。1983年全日本開幕戦の鈴鹿ビッグ2&4レースではポールポジションを奪った。1986年のYZR250 (0W82)の開発を最後に引退。
引退後は、埼玉県新座市で「浅見レーシング」を運営。自身の豊富な経験を元としたサスペンションセッティングを得意とするショップとして、ユーザーのバイクライフクオリティ向上に尽力した。
レース戦績
[編集]全日本ロードレース選手権
[編集]- 1975年 – F750クラスチャンピオン
年 | チーム | マシン | 区分 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983年 | 浅見レーシング | ヤマハ・YZR500 | 国際A級 | 500cc | SUZ 10 |
TSU |
SUZ |
TSU |
SUG |
SUZ |
TSU |
SUG |
SUZ |
21位 | 1 | ||
1984年 | ヤマハ・YZR500 | 500cc | SUZ DNS |
TSU |
SUG |
SUZ |
TSU |
SUG |
SUZ |
TSU |
SUG 5 |
SUZ |
TSU |
16位 | 11 | ||
1985年 | ヤマハ・TZ250-86 | 250cc | SUZ | TSU | SUZ | TSU | SUG | SUZ | TSU | SUG | TSU | SUG |
SUZ | NC | 0 |
ロードレース世界選手権
[編集]順位 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ポイント | 15 | 12 | 10 | 8 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
年 | クラス | マシン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 順位 | ポイント |
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1978年 | 250cc | ヤマハ・TZ250 | VEN |
SPA |
FRA 14 |
ITA 10 |
NED | BEL | SWE | FIN | GBR | GER | CZE | YUG | 28位 | 1 | |
350cc | ヤマハ | VEN | AUT | FRA 13 |
ITA | NED | SWE | FIN | GBR 15 |
GER | NC | 0 | |||||
1979年 | 250cc | ヤマハ・TZ250 | VEN | GER Ret |
ITA | SPA | YUG Ret |
NED | BEL | SWE | FIN 10 |
GBR | CZE Ret |
FRA Ret |
37位 | 1 | |
350cc | ヤマハ・TZ | VEN | AUT | GER 16 |
ITA 2 |
SPA 6 |
YUG 3 |
NED | BEL | SWE | FIN 12 |
GBR 12 |
CZE | FRA | 9位 | 27 | |
500cc | ヤマハ・TZ500 | VEN | AUT | GER | ITA | SPA | YUG | NED | BEL DNQ |
SWE | FIN | GBR | CZE | FRA | NC | 0 | |
1980年 | 250cc | ヤマハ・TZ250 | ITA Ret |
SPA 15 |
FRA Ret |
NED | BEL | FIN | GBR | GER | NC | 0 | |||||
500cc | ヤマハ・TZ500 | ITA Ret |
SPA Ret |
FRA 12 |
NED DNQ |
BEL 15 |
FIN 9 |
GBR Ret |
GER 15 |
20位 | 2 | ||||||
1981年 | 250cc | ヤマハ・TZ250 | ARG | AUT | GER Ret |
ITA | FRA | ESP | NED | BEL | RSM | GBR | FIN | SWE | NC | 0 | |
500cc | ヤマハ・YZR500 | AUT Ret |
GER 11 |
ITA 14 |
FRA Ret |
YUG Ret |
NED 10 |
RSM Ret |
GBR NC |
FIN Ret |
SWE Ret |
26位 | 1 | ||||
スズキ・RGB | BEL 11 |
脚注
[編集]- ^ グランプリ・イラストレイテッド 72-74頁 1986年4月1日発行
- ^ 浅見禎男デイトナ始末記 アライヘルメットニュース (PDF) 1978年6月発行
- ^ HISTORIA Yamaha TZ750 Bol d’Or: el reto de Sonauto VIVE L'ENDURANCE (スペイン語) 2017年9月5日
- ^ 浅見貞男の近況 アライヘルメットニュース 1979年1月1日発行
タイトル | ||
---|---|---|
先代 高井幾次郎 |
全日本選手権F750 チャンピオン 1975 |
次代 高井幾次郎 |