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浅見貞男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浅見 貞男
グランプリでの経歴
国籍 日本の旗 日本
チーム ヤマハ
レース数 38 (37 start)
表彰台回数 2
通算獲得ポイント 32
ファステストラップ回数 1
初グランプリ 1978年 250cc フランスGP
最終グランプリ 1981年 500cc スウェーデンGP
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浅見 貞男 (あさみ さだお、: Sadao Asami1949年1月17日[1] - ) は、日本の元モーターサイクル・ロードレーサー。1975年の全日本ロードレース選手権F750チャンピオン。

経歴

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19歳の時にホンダ・CBでロードレースデビュー。1974年にヤマハのモーターサイクル普及部契約ライダーとなる。全日本ロードレース選手権でチャンピオン獲得など活躍後、1978年よりプライベート参戦で海外レースへの挑戦を開始。アメリカAMAデイトナ200[2]ロードレース世界選手権 (WGP/現MotoGP)に挑戦。浅見はメーカー契約ライダーとなる以前はタクシー運転手をしながら日本でのレース参戦をしていた時期があり、特にAMAはその賞金額の大きさが魅力だったという。ヨーロッパを転戦するWGPでは、オランダのヤマハNV(ヤマハ発動機の現地法人)と、アライヘルメットヨーロッパ(同じくオランダに拠点を置いていた)からサポートを受けながらのプライベート参戦だった。この当時まだ日本ではヨーロッパで開催されるレースはほとんど報道されておらず、1977年シーズンの時点でWGP全戦に参戦する日本人レギュラーライダーは根本健と、片山敬済(韓国籍)だけであった。取材する日本のジャーナリストもフォトグラファーの木引繁雄ぐらいしか居なかった。そんな日本から遠く離れた地での挑戦だったが、浅見は1978年イタリアGP250ccクラスで10位に入りポイントを獲得したのを皮切りに、翌1979年イタリアGPでは350ccクラスで2位、ユーゴスラビアGPで3位と好結果を挙げ、シーズンランキング9位に名を残した。1980年からはWGP500ccクラスに参戦し、フィンランドGPで9位、1981年までヨーロッパでGP500への挑戦を続けた。

ヨーロッパで自らのトランスポーターを運転しながら転戦、本場の「コンチネンタルサーカス」を回ったのは約4年だったが、その間1978年と1979年のボルドール24時間耐久レースに、フランスのソノート・ヤマハチームの一員としてゴロワーズカラーのTZ750で参戦した。1979年大会はソノートチームのエースであったパトリック・ポンスとのコンビで2位を獲得するというトピックもあった[3]。賞金稼ぎのためマカオグランプリにも出走した[4]

日本に戻り、レースを引退しようと考えていた所、ヤマハワークスよりマシン開発ライダーのオファーがあり、1982年よりファクトリー契約を結ぶ。ケニー・ロバーツがWGPを戦うためのヤマハ・YZR500 (0W70) や、TZ250などのレーシングマシン開発に携わり、参戦数は多くなかったが全日本選手権やTBCビッグロードレースの実戦にもスポット参戦。1983年全日本開幕戦の鈴鹿ビッグ2&4レースではポールポジションを奪った。1986年のYZR250 (0W82)の開発を最後に引退。

引退後は、埼玉県新座市で「浅見レーシング」を運営。自身の豊富な経験を元としたサスペンションセッティングを得意とするショップとして、ユーザーのバイクライフクオリティ向上に尽力した。

レース戦績

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全日本ロードレース選手権

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  • 1975年 – F750クラスチャンピオン
チーム マシン 区分 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1983年 浅見レーシング ヤマハ・YZR500 国際A級 500cc SUZ
10
TSU
SUZ
TSU
SUG
SUZ
TSU
SUG
SUZ
21位 1
1984年 ヤマハ・YZR500 500cc SUZ
DNS
TSU
SUG
SUZ
TSU
SUG
SUZ
TSU
SUG
5
SUZ
TSU
16位 11
1985年 ヤマハ・TZ250-86 250cc SUZ TSU SUZ TSU SUG SUZ TSU SUG TSU SUG
SUZ NC 0

ロードレース世界選手権

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1969年から1987年までのポイントシステム

順位 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
ポイント 15 12 10 8 6 5 4 3 2 1
クラス マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位 ポイント
1978年 250cc ヤマハ・TZ250 VEN
SPA
FRA
14
ITA
10
NED BEL SWE FIN GBR GER CZE YUG 28位 1
350cc ヤマハ VEN AUT FRA
13
ITA NED SWE FIN GBR
15
GER NC 0
1979年 250cc ヤマハ・TZ250 VEN GER
Ret
ITA SPA YUG
Ret
NED BEL SWE FIN
10
GBR CZE
Ret
FRA
Ret
37位 1
350cc ヤマハ・TZ VEN AUT GER
16
ITA
2
SPA
6
YUG
3
NED BEL SWE FIN
12
GBR
12
CZE FRA 9位 27
500cc ヤマハ・TZ500 VEN AUT GER ITA SPA YUG NED BEL
DNQ
SWE FIN GBR CZE FRA NC 0
1980年 250cc ヤマハ・TZ250 ITA
Ret
SPA
15
FRA
Ret
NED BEL FIN GBR GER NC 0
500cc ヤマハ・TZ500 ITA
Ret
SPA
Ret
FRA
12
NED
DNQ
BEL
15
FIN
9
GBR
Ret
GER
15
20位 2
1981年 250cc ヤマハ・TZ250 ARG AUT GER
Ret
ITA FRA ESP NED BEL RSM GBR FIN SWE NC 0
500cc ヤマハ・YZR500 AUT
Ret
GER
11
ITA
14
FRA
Ret
YUG
Ret
NED
10
RSM
Ret
GBR
NC
FIN
Ret
SWE
Ret
26位 1
スズキ・RGB BEL
11

脚注

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  1. ^ グランプリ・イラストレイテッド 72-74頁 1986年4月1日発行
  2. ^ 浅見禎男デイトナ始末記 アライヘルメットニュース (PDF) 1978年6月発行
  3. ^ HISTORIA Yamaha TZ750 Bol d’Or: el reto de Sonauto VIVE L'ENDURANCE (スペイン語) 2017年9月5日
  4. ^ 浅見貞男の近況 アライヘルメットニュース 1979年1月1日発行
タイトル
先代
高井幾次郎
全日本選手権F750 チャンピオン
1975
次代
高井幾次郎