クシロキング
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
クシロキング | ||||||||||||
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品種 | サラブレッド[1] | |||||||||||
性別 | 牡[1] | |||||||||||
毛色 | 黒鹿毛[1] | |||||||||||
生誕 | 1982年5月18日[1] | |||||||||||
死没 | 1996年12月 | |||||||||||
父 | ダイアトム[1] | |||||||||||
母 | テスコカザン[1] | |||||||||||
母の父 | テスコボーイ[1] | |||||||||||
生国 | 日本(北海道浦河町)[1] | |||||||||||
生産者 | 上山牧場[1] | |||||||||||
馬主 | 安部昭[1] | |||||||||||
調教師 | 中野隆良[1](美浦) | |||||||||||
競走成績 | ||||||||||||
生涯成績 | 25戦7勝[1] | |||||||||||
獲得賞金 | 2億4740万6400円[1] | |||||||||||
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クシロキング(欧字名:Kushiro King、1982年5月18日 - 1996年12月)は日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝鞍に天皇賞(春)、中山記念、日刊スポーツ賞金杯がある。
戦績
3歳~4歳
1984年9月、函館競馬場でデビュー。惜敗を繰り返したが、4戦目で初勝利を挙げた。その後、オープン特別のひいらぎ賞で2着になり、3歳時は5戦1勝で終わった。
年が明けて4歳になったクシロキングは自己条件を勝ち上がって、クラシック路線を歩むも皐月賞は13着に終わり、日本ダービーは骨折のため出走できなかった。半年の休養を経て、復帰戦で2着と好走したクシロキングは900万条件を連勝して、4歳シーズンを終えた。
ちなみに3~4歳時は安田富男がクシロキングの主戦騎手を務めている。
5歳春
5歳になってからの初戦は中山での金杯で、このレースから鞍上は岡部幸雄に替わった。このレースでは53キロの軽ハンデを生かして差し切り勝ちを収め、重賞初制覇となった。
続く目黒記念は3着だったが、中山記念ではトウショウペガサスにクビ差で競り勝ち、春の天皇賞へ向かう事になった。
天皇賞
この年の春の天皇賞は前年の2冠馬ミホシンザンが骨折で離脱したため、主役不在という前評判だった。クシロキングは当初、安田記念もしくは京阪杯(当時、京阪杯は2000mの中距離戦で5月に行われていた)から宝塚記念に向かう予定であったが、ミホシンザンが出ないため、急遽、天皇賞出走を決意した。
クシロキングはスダホーク、サクラユタカオーに次いで3番人気だったが、単勝は11.倍だった。人気がさほど上がらなかったのは、これまでの実績から距離不安が指摘されていたためである。
しかしレースでは、クシロキングは1周目のスタンド前ではスタミナを温存しながら後方13番手を追走、2周目の3コーナーの上り坂から動き、4コーナーで3番手まで進出したのち、最後の直線で抜け出して優勝した。
「マイル(1600m)の競馬を2回走る競馬をさせればいい」と後半勝負に徹して、3コーナーから一気にまくってみせた岡部の常識外れともいえる騎乗は、京都競馬場における「ゆっくり上り、ゆっくり下る」という坂のセオリーの逆をいくものであり、岡部自身「もう一度同じ騎乗をしろといわれても無理」と振り返ったほどの絶妙の騎乗だった。のちに岡部は「騎手冥利に尽きる、自分だけが腹の中で笑えるような、そんなレースだった」と述懐している。
5歳秋~6歳
天皇賞優勝後、クシロキングは距離が2200mになるという事もあり、宝塚記念では1番人気になったが、全くいいところなく7着と敗れた。秋は天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念のGIレース3戦に出走したが、天皇賞(秋)は14着、ジャパンカップは8着、有馬記念は10着と大敗が続いた。
6歳になると、クシロキングは復調し、アメリカジョッキークラブカップは3着、連覇を狙った中山記念で2着、大阪杯でも2着と好走が続いたが、連覇を狙った天皇賞(春)では6位入線で繰り上がりの5着(2位で入線したニシノライデンが進路妨害で失格したため)に終わり、連覇はならなかった。
宝塚記念で8着、そして有馬記念でメジロデュレンの9着に敗れたのを最後に引退。1988年1月24日、中山競馬場で引退式が行われた。
クシロキングは同世代であったスダホークとは同一レースでの対決も多かったが、4勝5敗とスダホークに負け越している。
引退後
引退後は、馬主の個人所有という形式で、三石町の大塚牧場で種牡馬入りするが、種付け頭数が集まらなかった上、数少ない産駒も中央競馬で勝ち鞍を挙げた馬が一頭もいないという結果に終わった。 繁殖にあがった馬も確認できるのがモリノローズ一頭で、その血統は絶えた。
1995年には種牡馬からも引退した。同年5月に乗馬として山梨県の風林ファームに移ったが、1996年12月に放牧中の事故で脚を骨折し、安楽死の処置がとられた。風林ファームは同馬の死後、程なく閉鎖している。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[2]及びJBISサーチ[3]の情報に基づく。
競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | タイム | 着差 | 騎手 | 斤量 [kg] |
1着馬(2着馬) |
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1984.9. 1 | 函館 | 3歳新馬 | 芝1200m(良) | 13 | 6 | 8 | 4.2 (2人) | 4着 | 1:11.9 | 安田富男 | 53 | バンブーアステア | ||
9.22 | 函館 | 3歳新馬 | 芝1200m(良) | 11 | 7 | 9 | 3.4 (1人) | 2着 | 1:11.9 | 安田富男 | 53 | イブキマスター | ||
11.18 | 東京 | 3歳未勝利 | 芝1600m(稍) | 11 | 7 | 8 | 2.3 (1人) | 3着 | 1:39.2 | 安田富男 | 54 | ヘイアンスイート | ||
12. 8 | 中山 | 3歳未勝利 | 芝2000m(良) | 22 | 8 | 20 | 5.6 (2人) | 1着 | 2:03.8 | 安田富男 | 54 | (モンテジャパン) | ||
12.22 | 中山 | ひいらぎ賞 | OP | 芝2000m(稍) | 8 | 7 | 7 | 4.3 (2人) | 2着 | 2:04.7 | 安田富男 | 53 | ブラックスキー | |
1985.1. 6 | 中山 | 若竹賞 | 4下 | 芝2000m(良) | 16 | 1 | 2 | 2.7 (1人) | 1着 | 2:03.3 | 安田富男 | 55 | (ドウカンテスコ) | |
3.24 | 中山 | スプリングS | GII | 芝1800m(稍) | 11 | 2 | 2 | 25.4 (6人) | 7着 | 1:50.8 | 安田富男 | 56 | ミホシンザン | |
4.14 | 中山 | 皐月賞 | GI | 芝2000m(稍) | 22 | 8 | 21 | 41.9(10人) | 13着 | 2:03.6 | 安田富男 | 57 | ミホシンザン | |
10.26 | 東京 | 赤富士賞 | 9下 | 芝2000m(良) | 12 | 4 | 4 | 13.1 (6人) | 2着 | 2:00.4 | 安田富男 | 55 | アクティブダイナ | |
12. 1 | 中山 | 4歳以上900万下 | 芝2000m(良) | 10 | 1 | 1 | 1.7 (1人) | 1着 | 2:01.2 | 安田富男 | 55 | (レインボーハード) | ||
12.15 | 中山 | 冬至特別 | 9下 | 芝2000m(良) | 17 | 2 | 3 | 1.9 (1人) | 1着 | 2:01.2 | 安田富男 | 56 | (フェニックスダイナ) | |
1986.1. 5 | 中山 | 金杯(東) | GIII | 芝2000m(良) | 13 | 6 | 9 | 2.5 (1人) | 1着 | 2:01.6 | -0.3 | 岡部幸雄 | 53 | (アサカサイレント) |
2.16 | 東京 | 目黒記念 | GII | 芝2500m(良) | 14 | 5 | 7 | 4.0 (2人) | 3着 | 2:32.3 | 0.2 | 岡部幸雄 | 56 | ビンゴチムール |
3. 9 | 中山 | 中山記念 | GII | 芝1800m(良) | 8 | 8 | 8 | 2.8 (1人) | 1着 | 1:48.0 | 0.0 | 岡部幸雄 | 56 | (トウショウペガサス) |
4.29 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 芝3200m(重) | 16 | 2 | 3 | 11.0 (3人) | 1着 | 3:25.4 | -0.1 | 岡部幸雄 | 58 | (メジロトーマス) |
6. 1 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 芝2200m(良) | 17 | 6 | 11 | 2.2 (1人) | 7着 | 2:15.0 | 0.6 | 岡部幸雄 | 56 | パーシャンボーイ |
10.26 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 芝2000m(良) | 16 | 4 | 7 | 12.0 (4人) | 14着 | 2:00.2 | 1.9 | 岡部幸雄 | 58 | サクラユタカオー |
11.23 | 東京 | ジャパンC | GI | 芝2400m(良) | 14 | 3 | 4 | 26.9(12人) | 8着 | 2:25.9 | 0.9 | 岡部幸雄 | 57 | ジュピターアイランド |
12.21 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m(稍) | 12 | 8 | 12 | 7.9 (5人) | 10着 | 2:34.6 | 0.6 | 岡部幸雄 | 57 | ダイナガリバー |
1987.1.25 | 中山 | AJCC | GII | 芝2200m(良) | 6 | 1 | 1 | 4.9 (3人) | 3着 | 2:15.6 | 0.2 | 岡部幸雄 | 58 | ミホシンザン |
3.15 | 中山 | 中山記念 | GII | 芝1800m(稍) | 8 | 8 | 8 | 2.6 (1人) | 2着 | 1:49.8 | 0.2 | 岡部幸雄 | 58 | スズパレード |
4. 5 | 阪神 | サンケイ大阪杯 | GII | 芝2000m(良) | 11 | 3 | 3 | 1.4 (1人) | 2着 | 2:01.2 | 0.2 | 河内洋 | 59 | ニシノライデン |
4.29 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 芝3200m(良) | 10 | 8 | 10 | 13.4 (5人) | 5着 | 3:20.9 | 0.5 | 河内洋 | 58 | ミホシンザン |
6.14 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 芝2200m(良) | 13 | 6 | 9 | 11.4 (6人) | 8着 | 2:13.8 | 1.5 | 河内洋 | 57 | スズパレード |
12.27 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m(良) | 16 | 3 | 6 | 52.4(15人) | 9着 | 2:34.7 | 0.8 | 柴田善臣 | 56 | メジロデュレン |
血統表
クシロキングの血統プリンスビオ系(プリンスローズ系) / Fairway4×5=9.38% | (血統表の出典) | |||
父 *ダイアトム Diatome 1962 黒鹿毛 |
父の父 Sicambre1948 黒鹿毛 |
Prince Bio | Prince Rose | |
Biologie | ||||
Sif | Rialto | |||
Suavita | ||||
父の母 Dictaway1952 黒鹿毛 |
Honeyway | Fairway | ||
Honey Buzzard | ||||
Nymphe Dicte | *ダイオライト | |||
Nanaia | ||||
母 テスコカザン 1977 鹿毛 |
*テスコボーイ Tesco Boy 1963 黒鹿毛 |
Princely Gift | Nasrullah | |
Blue Gem | ||||
Suncourt | Hyperion | |||
Inquisition | ||||
母の母 ハナカンザシ1969 栗毛 |
*ソロナウェー Solonaway |
Solferino | ||
Anyway | ||||
*エスタブリツシユメント Establishment |
Worden | |||
*ストーミーセツシヨン F-No.1-w |
母の弟にマサヒコボーイ(京都記念(春)、日経新春杯)、曾祖母エスタブリツシユメントの産駒にロングホーク(阪神大賞典、日経新春杯、大阪杯、朝日チャレンジカップ、スプリングステークス、天皇賞〈春〉2着)がいる。さらに4代母ストーミーセツシヨンの孫にはインターグロリア(桜花賞、エリザベス女王杯、阪神牝馬特別、マイラーズカップ、京都牝馬特別2回、有馬記念2着)がいる。