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== 国立駅駅舎移転問題 == |
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国立駅駅舎移転問題(くにたちえきえきしゃいてんもんだい)とは、JR[[中央本線|中央線]][[国立駅]]の立体化工事に伴う駅舎の移転問題である。移転費用の負担について行政と議会が対立した。 |
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=== 概要 === |
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JR中央線国立駅は[[国立市]]のシンボルとして親しまれていたが中央線の立体交差化工事に伴い、駅舎が工事範囲に入るため移転又は撤去を行う必要が発生した。国立市は保存を希望したが、工事の主体となるJR東日本は保存を否定し、国立市による保存か撤去の選択を求めた。 |
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これに対して国立市は、駅舎を曳き屋により工事範囲から移転し仮保存を行い、立体化工事終了後に再度曳き屋により元の場所で保存する計画を立てたが、費用負担の問題で議会と対立した。 |
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しかし工事のタイムリミットに近づいた為、妥協案として解体保存し、立体化工事終了後に復元する事に落ち着いた。 |
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なお、駅舎の防火等の法的問題の為に一度解体すると現地での復元が出来なくなるため、文化財の指定を行い法がかからないようにした。 |
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=== 工事までのスケジュール === |
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*2006年10月8日 旧駅舎の使用終了 |
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*2006年10月10日 駅舎解体工事開始 |
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*2006年10月26日 国立市有形文化財に指定 |
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=== 関連項目 === |
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*[[東日本旅客鉄道|JR東日本]] |
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*[[中央快速線]] |
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*[[国立市]] |
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*[[文化財]] |
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2007年6月29日 (金) 19:08時点における版
国立駅(くにたちえき)は、東京都国立市北一丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)中央線の駅。中央線と武蔵野線貨物支線(国立支線)の合流駅である。
駅構造
仮設島式ホーム1面2線の地上駅である。元々は島式と単式の2面3線であったが、現在、三鷹駅~立川駅間の高架化工事を行っている関係で現在の構造になっている。高架化工事完了後は元の2面3線に戻る予定。当駅よりやや東側に進んだ場所から単線の国立支線が分岐している。
三角屋根の南口駅舎は、東京で現存する2番目に古い木造建築駅舎(最も古いのは原宿駅)であり、デザインの美しい事でも知られ、この駅舎により関東の駅百選に選出されている。なお、この駅舎は中央線三鷹~立川間の連続立体交差事業で取り壊される事となり、国立市は保存に向けて対応を検討していたが、市議会で移設予算が正式に否決されたため、2006年10月10日から12月にかけて解体作業が行われたため、現在は仮設駅舎となっている。但し、高架化完成時に再建が可能な様に主要部材は国立市で保存されている。なお、この決定で一部で「関東の駅百選が99選になる」と騒がれたが、2005年4月1日に日立電鉄の桜川駅が廃止になっているので、関東の駅百選の駅は実際には99個しかない。ちなみに、当駅と同様に駅舎の美しさで選出された佐野駅が既に建て替えられている。
また、駅北側に鉄道総合技術研究所があり、その専用鉄道が存在していたが、2004年に廃止されており、跡地は駐輪場として利用されている。
- のりば
1 | ■中央線(快速) | 立川・八王子・高尾方面 |
2 | ■中央線(快速) | 新宿・東京方面 |
利用状況
- 2006年度の1日平均乗車人員は54,979人である。
駅周辺
南口
- 駅前ロータリーを起点に、大学通りが南に、富士見通りが西南に、旭通りが東南に、それぞれまっすぐ放射状に伸びている。それぞれの通りの直線区間の長さはおよそ1.8km、1.3km、0.7kmである。これらの道路は、上空から見ると正面から見た三角駅舎の輪郭となぞらえた形状になっている。これらのうち、大学通りが東京都道146号国立停車場谷保線に、旭通りの駅寄り約370mと富士見通りが東京都道145号立川国分寺線に指定されている。いずれの通りも若者向けなどの商店が多く立ち並び、また路線バスが頻繁に通っている。特に大学通りは幅員が全体で40m以上あり、車道、歩道、自転車道、緑地帯が画然と分けられゆったりとした作りである。特に緑地帯はサクラとイチョウが交互に植わった並木道で、春には満開の桜、晩秋には一面の黄の美しい風景を作り出す。
- それ以外の街路はほぼ東西、南北の格子状であり、一方通行が多い。大学通りを南に進むと、南武線の谷保駅に出る。
- 大学通りの両脇に一橋大学のキャンパスがある。
- 一橋大学
- 桐朋中学校・高等学校
- 私立国立学園小学校・付属かたばみ幼稚園
- 都立国立高校
- NHK学園
- 国立音楽大学附属幼稚園・小学校・中学校・高等学校
など、教育施設多数。
北口
バス路線
南口
- 京王電鉄バス
- 京王バス中央
- 国17 国立駅南口⇔谷保⇔国立府中IC入口⇔第四中学校⇔府中駅
- 立川バス
- 国04 国立駅南口⇔第三小学校⇔桐朋⇔谷保住宅⇔矢川駅
- 国10 国立駅南口⇔国立市役所入口⇔矢川駅⇔国立操車場
- 国11 国立駅南口⇔国立市役所入口⇔矢川駅
- 国12 国立駅南口⇔国立高校前⇔谷保駅
- 国13-2 国立駅南口⇒一橋大学⇒第二住宅⇒第三小学校⇒国立駅南口(国立東循環)
- 国14 国立駅南口⇒第三小学校⇒第二住宅⇒一橋大学⇒国立駅南口(同上)
- 国14-2 国立駅南口⇒一橋大学⇒五商入口⇒谷保住宅⇒国立駅南口(国立西循環)
- 国15 国立駅南口⇔音高⇔立川相互病院⇔緑川商店会⇔立川駅北口
- 国15-1 国立駅南口⇔音高⇔立川相互病院⇔立川市役所⇔立川駅南口
- 国15-2 国立駅南口⇔一橋大学⇔五商入口⇔郵政大学⇔立川市役所⇔立川駅南口
- 国16 国立駅南口⇔音高⇔矢川駅⇔国立操車場
- 国16-2 国立駅南口⇔音高⇔矢川駅
- 国20-2 国立駅南口⇔音高⇔郵政大学⇔東羽衣町⇔音高⇔国立駅南口(郵政循環)
- 国20-3 国立駅南口⇒音高⇒東羽衣町⇒富士見台四丁目
- 国41 国立駅南口⇔国立市役所入口⇔矢川駅⇔都営泉二丁目
- 国42 国立駅南口⇔音高⇔矢川駅⇔都営泉二丁目
- くにっこ(国立市コミュニティバス) 国立駅北口⇔国立駅南口⇔国立郵便局⇔国立市役所⇔国立郵便局⇔国立駅南口⇔国立駅北口
北口
- 立川バス
- 国21 国立駅北口⇔稲荷神社⇔高木町⇔けやき台団地
- 国22・23 国立駅北口⇔第五都営住宅⇔国分寺第六小⇔恋ヶ窪駅⇔日吉町⇔国立駅北口(戸倉循環)
- 国24-2 国立駅北口⇔稲荷神社⇔花街道⇔並木町(⇒並木町二丁目)⇔北町公園
- 国25 国立駅北口⇔国分寺第五小⇔恋ヶ窪駅⇔二ツ塚⇔砂川十番⇔砂川七番駅⇔上水営業所
- 国26 国立駅北口⇔第五都営住宅⇔国分寺第六小⇔二ツ塚⇔砂川十番⇔砂川七番駅⇔上水営業所
- 国29 国立駅北口⇔稲荷神社⇔立川ろう学校⇔弁天通り折返し場
- くにっこ(国立市コミュニティバス) 国立駅北口⇔国立駅南口⇔国立郵便局⇔国立市役所⇔国立郵便局⇔国立駅南口⇔国立駅北口/国立駅北口⇔北福祉館⇔北市民プラザ⇔北福祉館⇔国立駅北口
歴史
- 1926年(大正15年)4月1日 - 国鉄の駅として開業。旅客及び貨物の取扱を開始。
- 1951年(昭和26年) - 駅所在地の谷保村が町制施行にあたり、駅名から町名をとって国立町となる。
- 1962年(昭和37年)10月25日 - 貨物の取扱を廃止。
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 武蔵野線貨物支線が開業。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
隣の駅
- 東日本旅客鉄道
- ■中央線(快速)
- 武蔵野線貨物支線(国立支線)
- 新小平駅 - 国立駅
関連項目
外部リンク
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国立駅駅舎移転問題
国立駅駅舎移転問題(くにたちえきえきしゃいてんもんだい)とは、JR中央線国立駅の立体化工事に伴う駅舎の移転問題である。移転費用の負担について行政と議会が対立した。
概要
JR中央線国立駅は国立市のシンボルとして親しまれていたが中央線の立体交差化工事に伴い、駅舎が工事範囲に入るため移転又は撤去を行う必要が発生した。国立市は保存を希望したが、工事の主体となるJR東日本は保存を否定し、国立市による保存か撤去の選択を求めた。
これに対して国立市は、駅舎を曳き屋により工事範囲から移転し仮保存を行い、立体化工事終了後に再度曳き屋により元の場所で保存する計画を立てたが、費用負担の問題で議会と対立した。
しかし工事のタイムリミットに近づいた為、妥協案として解体保存し、立体化工事終了後に復元する事に落ち着いた。
なお、駅舎の防火等の法的問題の為に一度解体すると現地での復元が出来なくなるため、文化財の指定を行い法がかからないようにした。
工事までのスケジュール
- 2006年10月8日 旧駅舎の使用終了
- 2006年10月10日 駅舎解体工事開始
- 2006年10月26日 国立市有形文化財に指定