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2015年12月1日 (火) 11:42時点における版

田原 誠次
読売ジャイアンツ #37
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県延岡市
生年月日 (1989-09-02) 1989年9月2日(34歳)
身長
体重
180 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 2011年 ドラフト7位
初出場 2012年6月11日
年俸 1,800万円(2016年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

田原 誠次(たはら せいじ、1989年9月2日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手投手[2]

経歴

プロ入り前

延岡市立岡富小学校3年時にソフトボールを始め、延岡市立岡富中学校時代は軟式野球部に所属[3][4]

聖心ウルスラ学園高等学校内野手として入部するが、背番号も与えられなかった[3][5]。2年時の秋に監督の助言で投手へ転向、打撃投手を務めていた際に制球難からサイドスローに転向する[3][5]3年時の夏は全国高等学校野球選手権宮崎大会予選2回戦で敗退。甲子園出場経験は無し[要出典]

高校卒業後は社会人野球三菱自動車倉敷オーシャンズ(当時は「倉敷オーシャンズ」)に入団すると、1年目の2008年から公式戦に登板し、2年目の2009年から主戦となる[3]。4年目の2011年伯和ビクトリーズの補強選手として第82回都市対抗野球大会の本戦に出場[3]。初戦の東京ガス戦で4回途中から2番手として登板し、7回まで無失点に抑えるも、9回にサヨナラ負けを喫し敗戦投手となった[6][7]。当時注目されていなかった田原だが、この試合を観ていた読売ジャイアンツの山下哲治スカウト部長がその潜在能力を評価し、実戦は1度しか見ていないながらもプロ野球ドラフト会議での指名を進言する[6]

2011年10月27日、2011年度プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから7位指名を受け入団[8]

プロ入り後

2012年春季キャンプシンカーを習得[5]。6月10日にシーズン2度めの一軍昇格を果たすと、翌日の千葉ロッテマリーンズ戦で4回からプロ初登板[9]。7月1日の中日ドラゴンズ戦でプロ初先発し2回を無失点に抑えるも、代打を送られ降板[10]。8月9日にプロ初勝利を挙げると、翌日の登板で巨人の新人では城之内邦雄以来50年ぶりとなる2日連続勝利を手にした[5][11]。同年は中継ぎとして起用され前述の先発1試合と合わせて計32試合に登板したが、翌年の2013年は腰痛を発症し7試合の登板に止まった[6][12]

2014年はシーズン後半戦から、西村健太朗山口鉄也スコット・マシソンリリーフが2013年のようには機能しない中、右の中継ぎとして20試合に登板[2][13][14]。左膝痛から8月22日に出場選手登録を抹消された[13]

2015年は8月30日のヤクルト戦で好救援し3年ぶりの白星を手にすると、そのまま一軍に定着。優勝争いの終盤で勝利の方程式につなぐ重要なポジションをつかんだ[15]

プレースタイル・人物

サイドスローからストレートに加え、スライダーカーブチェンジアップの変化球を操る技巧派タイプ[16]。プロ入り後の最初の春季キャンプで、シンカーを習得した[5]。緩急を使い、打たせて取るのが持ち味[3]。2015年シーズンからはスローカーブが大きな武器となっている[17]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2012 巨人 32 1 0 0 0 2 0 0 7 1.000 130 30.1 30 3 8 0 4 23 0 0 11 11 3.26 1.26
2013 7 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 39 9.0 9 0 4 0 1 8 0 0 6 6 6.00 1.44
2014 20 0 0 0 0 0 1 0 3 .000 71 18.2 11 4 3 0 3 15 0 0 7 6 2.89 0.75
2015 18 0 0 0 0 1 0 0 4 1.000 75 18.0 11 1 9 0 2 18 0 0 2 2 1.00 1.11
通算:4年 77 1 0 0 0 3 1 0 14 .750 315 76.0 61 8 24 0 10 64 0 0 26 25 2.96 1.11
  • 2015年度シーズン終了時[2]

記録

背番号

  • 63 (2012年)
  • 37 (2013年 - )[2]

登場曲

脚注

  1. ^ 【巨人】田原誠、300万円増で更改「後半は自信になった」”. スポーツ報知 (2015年12月1日). 2015年12月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 田原 誠次のプロフィール”. 読売巨人軍公式サイト. 2014年8月15日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 「開幕1軍目指す」-巨人・田原誠次投手(延岡出身)に聞く”. 夕刊デイリーWeb (2012年1月6日). 2014年8月15日閲覧。
  4. ^ ドラフト会議-田原誠次投手”. 夕刊デイリーWeb (2011年10月28日). 2011年11月10日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ a b c d e ルーキー田原 プロ初勝利!わずか8球斬り!”. スポニチ Sponichi Annex (2012年8月10日). 2014年8月15日閲覧。
  6. ^ a b c 鷲田康 (2012年12月10日). “データだけで潜在能力は見抜けない! 田原誠次が証明した巨人の"眼力"。”. Number Web. 2014年8月15日閲覧。
  7. ^ (2011.10.22)第82回都市対抗野球大会 対 東京都 東京ガス”. 硬式野球部 伯和ビクトリーズ 公式ページ (2011年10月22日). 2014年8月15日閲覧。
  8. ^ 松本投手(英明高)ら6投手、1野手の交渉権獲得--ドラフト会議”. 読売巨人軍公式サイト (2011年10月27日). 2014年8月15日閲覧。
  9. ^ a b 【巨人】ドラ7田原が無失点デビュー”. nikkansoprts.com (2012年6月11日). 2014年8月15日閲覧。
  10. ^ a b 7月1日 対中日9回戦・東京ドーム”. 読売巨人軍公式サイト (2012年7月1日). 2014年8月15日閲覧。
  11. ^ 田原 城之内以来50年ぶり新人2日連続勝利”. スポニチ Sponichi Annex (2012年8月11日). 2014年8月15日閲覧。
  12. ^ 田原誠、度胸満点!満塁ピシャリ「攻め切れている」”. スポーツ報知 (2014年8月2日). 2014年8月15日閲覧。
  13. ^ a b 【ファーム情報】田原誠、左膝痛から復活!憧れの山口と〝方程式〟形成だ”. スポーツ報知 (2014年9月9日). 2014年10月22日閲覧。
  14. ^ 磯谷佳宏 (2014年9月27日). “巨人 V3”. 東京新聞. 2014年10月22日閲覧。[リンク切れ]
  15. ^ 【巨人】田原誠、11試合連続無失点!逆転Vへ万全”. スポーツ報知 (2015年9月27日). 2015年9月27日閲覧。
  16. ^ ドラ7・田原「唯一の武器」希少・横手投げアピール!”. スポーツ報知 (2011年11月3日). 2011年11月10日閲覧。[リンク切れ]
  17. ^ 【巨人】田原、魔球を得て「逃げ切れない病」完治”. スポーツ報知 (2015年9月22日). 2015年9月27日閲覧。
  18. ^ 6月11日 対ロッテ4回戦・東京ドーム スコアブック”. 読売巨人軍公式サイト (2012年6月11日). 2014年10月22日閲覧。
  19. ^ 7月17日 対阪神14回戦・甲子園 スコアブック”. 読売巨人軍公式サイト (2012年7月17日). 2014年10月22日閲覧。
  20. ^ 8月9日 対阪神18回戦・東京ドーム”. 読売巨人軍公式サイト (2012年8月9日). 2014年10月22日閲覧。

関連項目

外部リンク