1961年の野球
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1961年の野球(1961ねんのやきゅう)では、1961年の野球界における動向をまとめる。
競技結果
[編集]日本プロ野球
[編集]ペナントレース
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日本シリ
[編集]日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月21日(土) | 第1戦 | 雨天中止 | 大阪球場 | ||
10月22日(日) | 読売ジャイアンツ | 0 - 6 | 南海ホークス | ||
10月23日(月) | 第2戦 | 雨天中止 | |||
10月24日(火) | 読売ジャイアンツ | 6 - 4 | 南海ホークス | ||
10月25日(水) | 移動日 | ||||
10月26日(木) | 第3戦 | 南海ホークス | 4 - 5 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月27日(金) | 第4戦 | 雨天中止 | |||
10月28日(土) | |||||
10月29日(日) | 南海ホークス | 3 - 4 | 読売ジャイアンツ | ||
10月30日(月) | 第5戦 | 南海ホークス | 6 - 3 | 読売ジャイアンツ | |
10月31日(火) | 移動日 | ||||
11月1日(水) | 第6戦 | 読売ジャイアンツ | 3 - 2 | 南海ホークス | 大阪球場 |
優勝:読売ジャイアンツ(6年ぶり5回目) |
個人タイトル
[編集]セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
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タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 野村克也 | 南海 | ||
最優秀新人 | 権藤博 | 中日 | 徳久利明 | 近鉄 | ||
首位打者 | 長嶋茂雄 | 巨人 | .353 | 張本勲 | 東映 | .336 |
本塁打王 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 28本 | 野村克也 中田昌宏 |
南海 阪急 |
29本 |
打点王 | 桑田武 | 大洋 | 94点 | 山内和弘 | 大毎 | 103点 |
最多安打 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 158本 | 榎本喜八 | 大毎 | 180本 |
盗塁王 | 近藤和彦 | 大洋 | 35個 | 広瀬叔功 | 南海 | 42個 |
最優秀防御率 | 権藤博 | 中日 | 1.70 | 稲尾和久 | 西鉄 | 1.69 |
最多勝利 | 権藤博 | 中日 | 35勝 | 稲尾和久 | 西鉄 | 42勝 |
最多奪三振 | 権藤博 | 中日 | 310個 | 稲尾和久 | 西鉄 | 353個 |
最高勝率 | 伊藤芳明 | 巨人 | .684 | 稲尾和久 | 西鉄 | .750 |
ベストナイン
[編集]セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 権藤博 | 中日 | 稲尾和久 | 西鉄 |
捕手 | 森昌彦 | 巨人 | 野村克也 | 南海 |
一塁手 | 藤本勝巳 | 阪神 | 榎本喜八 | 大毎 |
二塁手 | 土屋正孝 | 国鉄 | 森下整鎮 | 南海 |
三塁手 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 中西太 | 西鉄 |
遊撃手 | 河野旭輝 | 中日 | 豊田泰光 | 西鉄 |
外野手 | 江藤愼一 | 中日 | 田宮謙次郎 | 大毎 |
近藤和彦 | 大洋 | 張本勲 | 東映 | |
森永勝治 | 広島 | 山内和弘 | 大毎 |
オールスターゲーム
[編集]→詳細は「1961年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
[編集]- 第33回選抜高等学校野球大会優勝:法政二(神奈川県)
- 第43回全国高等学校野球選手権大会優勝:浪商(大阪府)
大学野球
[編集]- 第10回全日本大学野球選手権大会優勝:日本大
社会人野球
[編集]メジャーリーグ
[編集]→詳細は「1961年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ) (4勝1敗) シンシナティ・レッズ (ナ・リーグ)
できごと
[編集]1月
[編集]2月
[編集]3月
[編集]4月
[編集]- 4月5日 - 選抜高等学校野球大会の決勝戦が行われ、神奈川県の法政大学第二高校がエース柴田勲の投打にわたる活躍でセンバツ初優勝。前年夏(第42回)に続いての優勝で、学制改革後初の夏春連覇を達成。
- 4月8日 - プロ野球のセントラル・リーグ、パシフィック・リーグの公式戦が開幕[1]。
- 4月21日 - 中日は名古屋市中区の中部日本新聞社にて社会人野球・日本生命の柳川福三の入団を正式に発表[2]。
- 4月22日 - 西鉄の中西太が大阪球場での対南海1回戦の五回表に2号3点本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成[3]。
- 4月28日 - 大阪球場での南海対近鉄2回戦でもやのため七回表から中堅に審判が一人つき、プロ野球史上初めて審判7人制をとった[4]。
5月
[編集]- 5月5日 - 大毎の小野正一が西宮球場での対阪急3回戦に先発して完封で今季2勝目を上げ、プロ通算100勝を達成[5]。
- 5月6日 - 南海の杉浦忠が平和台球場での対西鉄5回戦に先発して完投で今季4勝目を上げ、プロ通算100勝を達成[6]。
- 5月7日 - 平和台球場での西鉄対南海のダブルヘッダー第2試合の5回戦で南海は二回表にパ・リーグ新記録の12得点、9連続得点[7]。
- 5月9日 - 【MLB】ボルチモア・オリオールズのジム・ジェンタイルがメトロポリタン球場でのツインズ戦にてメジャー・リーグ新記録となる2打席連続満塁本塁打を記録[8]。
- 5月13日 - 日本社会人野球協会は文京区の萬成館にて緊急の理事会を開き、「今後はプロ野球の退団者は受け入れない」と決定し声明文を発表[9]。
- 5月20日 - 沖縄県(当時は琉球政府)初のプロ野球公式戦となる西鉄対東映10回戦が午後4時から那覇市奥武山球場にて行われ、東映が3-0で勝利[10]。
- 5月30日 - 阪急は大阪球場での対南海9回戦に6-2で勝ち、昨年から続いていた南海戦の連敗を15で止める[11]。
6月
[編集]- 6月3日 - 近鉄のジャック・ブルームが西宮球場での対阪急10回戦の5回裏の守備で一塁側の観客の「ヤンキーゴーホーム」の野次に怒り、スタンドに上がって野次った観客に暴行を加えて、退場処分を受ける[12]。
- 6月5日 - パ・リーグの会長の中沢不二雄は3日の試合で観客の野次に怒って観客に暴力を振るった近鉄のジャック・ブルームに対し3日から9日までの一週間の出場停止と制裁金5万円を課したと発表[13]。
- 6月6日 - 阪神は監督の金田正泰から病気のため当面の間休養したいと申し出たため休養し、コーチの藤本定義が監督代理となると発表[14]。
- 6月10日 - 大洋の箱田淳が広島市民球場での対広島9回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[15]。
- 6月11日 - 南海の森下整鎮が平和台球場での対西鉄12回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[16]。
- 6月20日 - 国鉄スワローズの森滝義巳が後楽園球場での対中日ドラゴンズ10回戦に先発し、完全試合を達成[17]。
7月
[編集]- 7月5日
- 7月25日 - 巨人は前中日コーチの牧野茂の入団を発表[20]。
- 7月26日 - 国鉄の町田行彦が後楽園球場での対大洋19回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[21]。
- 7月29日 - 南海の杉浦忠が大阪球場での対西鉄17回戦の九回表に城戸則文から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[22]。
8月
[編集]- 8月2日 - 西鉄の稲尾和久が駒沢球場での対東映ダブルヘッダー第一試合の15回戦の九回裏に毒島章一から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[23]。
- 8月7日 - 第32回都市対抗野球の決勝戦が後楽園球場にて午後7時から行われ、横浜市の日本石油が名古屋市の新三菱重工を延長12回の末4-2で破り、3年ぶり3度目の優勝を達成[24]。
- 8月8日 - 大毎の山内一弘が大阪球場での対南海15回戦の一回表に14号2点本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[25]。
- 8月10日 - 阪急の米田哲也が平和台球場での阪急対西鉄18回戦に先発して6回1失点の内容で7勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[26]。
- 8月20日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が行われ、大阪府の浪商高校が2年生エース尾崎行雄の活躍で15年ぶり2度目の優勝。前日の準決勝で法政二高の史上初となる甲子園3連覇を阻止。
- 8月27日 - 西鉄の稲尾和久が後楽園球場での西鉄対大毎20回戦の八回裏から登板して30勝目を挙げ、金田正一の3度を更新する4度目のシーズン30勝を達成[27]。
9月
[編集]- 9月7日 - 後楽園球場での巨人対国鉄ダブルヘッダー第2試合の22回戦で、2-2で迎えた国鉄11回表の攻撃で、2死一、二塁の場面で三ゴロとなり、二塁走者の土屋雅敬が三本間に挟まれ主審の島秀之助はアウトと宣告したが、国鉄は三塁の長島茂雄が走塁妨害をしたと抗議して島は判定をセーフへと覆し、今度は巨人がこれに抗議。また興奮した観客がグラウンドに火をつけた新聞や座布団を投げ入れるなど球場全体が騒然とし、警視庁の機動隊約230名とと富坂署60名が警戒に当たる。試合は1時間52分中断した後23時53分に再開、3対2で国鉄が勝利。試合終了は翌8日の0時11分で、日本プロ野球史上初の2日間にまたがる試合となった[28][29]。
- 9月16日 - 巨人の広岡達朗が広島市民球場での対広島19回戦の4回表に9号本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[30]。
- 9月27日 - 後楽園球場での大毎対阪急のダブルヘッダー第二試合の26回戦で、大毎は三回裏に榎本喜八が二塁打を打ちプロ通算1000安打、山内一弘が2点適時三塁打を打ち、別当薫の持つパ・リーグ記録を更新するシーズン106打点を達成[31]。
- 9月30日 - 西鉄の若生忠男が平和台球場での対阪急25回戦にて、パ・リーグタイ記録の4打席連続三振を記録[32]。
10月
[編集]- 10月1日 - 西鉄の稲尾和久が平和台球場での対阪急戦ダブルヘッダー第1試合の26回戦に先発し7回6安打2失点の内容で勝利投手となり、パ・リーグシーズンタイ記録の38勝目を記録。続く第2試合の第27回戦でも7回から3イニングを投げて1安打1無失点の内容で勝利投手となり、同新記録の39勝目を記録[33]。
- 10月3日 - 中日の権藤博が中日球場での対国鉄25回戦に先発して1対0で完封し、1シーズン12完封のセ・リーグ新記録[34]。
- 10月6日 - 巨人の長島茂雄が後楽園球場での対国鉄26回戦の九回裏に28号本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[35]。
- 10月7日 - 西鉄の稲尾和久が平和台球場での対近鉄28回戦の延長十回表に島田光二から三振を奪い、パ・リーグ新記録となるシーズン最多奪三振337[36]。
- 10月9日 - 広島球場での広島対中日26回戦で中日が破れたため、巨人のセ・リーグ優勝が決定[37]。
- 10月10日 - 沢村賞の選考が東京運動記者クラブ加盟各社部長会によって正午から有楽町のレバンテにて開かれ、中日の権藤博を選出[38]。
- 10月11日 - 東映の土橋正幸が大阪球場での対南海24回戦の六回裏に杉山光平から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[39]。
- 10月13日 - 阪急は球団社長の和田薫が辞任し、後任に京阪神急行電鉄社長の小林米三が就任すると発表[40]。
- 10月14日 - 大毎の柳田利夫が後楽園球場での対西鉄26回戦の七回裏一死一、二塁の場面で左翼席へ本塁打を打つが、二塁手前で前の走者の葛城隆雄を追い越したためアウトとなり本塁打を取り消される[41]。
- 10月15日
- 10月16日
- 10月30日 - 近鉄は午後、上本町の近鉄本社会議室にて記者会見し、監督の千葉茂を解任し、後任に大毎オリオンズのコーチの別当薫が就任すると正式に発表[46]。
11月
[編集]- 11月1日 - 1961年の日本シリーズの第6戦が大阪球場で行われ、巨人が南海に6対4で勝利し、6年ぶり5度目の優勝達成。MVPは宮本敏雄が選ばれる[47]。
- 11月4日 - 西鉄は午前11時より福岡市のクラブ九州にて内野手の中西太が選手兼任で監督、内野手の豊田泰光が選手兼任で助監督、稲尾和久が選手兼コーチに就任したと正式に発表[48]。
- 11月15日 - 阪神は野球解説者の青田昇が一軍打撃コーチに就任したと発表[49]。
- 11月21日 - 阪急は東京・有楽町の京阪神急行電鉄東京支社にて西本幸雄のコーチ就任を発表[50]。
12月
[編集]- 12月9日 - 大毎の飯尾為男・福塚勝哉と阪神の土井豊・高井良一男の交換トレードが成立したと大毎、阪神の両球団が発表[51]。
- 12月16日 - 中日は森徹を大洋へ金銭トレードしたと発表[52]。
- 12月25日 - 神宮外苑運営委員会は午後5時半から信濃町の明治記念館にて会合を開き、プロ球団の神宮球場の使用について検討した結果、「東京六大学野球、東都野球、社会人野球などの日程を優先とし、これらのアマチュア野球が使用しないときに、プロ球団の神宮球場の使用を開放する」と決定。11月中旬に東映フライヤーズより同球場の使用の申し入れがあった[53]。
- 12月29日 - 東映は京橋の球団事務所にて記者会見し、来年の東京での試合は後楽園球場と神宮球場を使用すると発表[54]。
誕生
[編集]1月
[編集]- 1月5日 - 吉竹春樹
- 1月5日 - ヘンリー・コトー
- 1月5日 - 沖泰司
- 1月10日 - 石嶺和彦
- 1月10日 - 大畑徹
- 1月10日 - 近藤満
- 1月18日 - 栗岡英智
- 1月18日 - 小田真也
- 1月23日 - 広瀬哲朗
- 1月31日 - 河野誉彦
2月
[編集]3月
[編集]4月
[編集]- 4月3日 - 小沢誠
- 4月5日 - 藤村雅人
- 4月6日 - 石川晃
- 4月6日 - 岡田康志
- 4月13日 - 牛島和彦
- 4月16日 - 藤本貴久
- 4月20日 - ドン・マッティングリー
- 4月20日 - 阿部慶二
- 4月23日 - 北安博
- 4月26日 - 栗山英樹
- 4月26日 - 仲野和男
5月
[編集]6月
[編集]- 6月1日 - 佐藤誠一
- 6月3日 - ホセ・トレンティーノ
- 6月7日 - 岡崎郁
- 6月7日 - 白井一幸
- 6月10日 - 長冨浩志
- 6月11日 - 吉田康夫
- 6月12日 - 高橋一彦
- 6月15日 - 田鎖博美
- 6月17日 - ミッキー・ブラントリー
- 6月22日 - 大坪幸夫
- 6月23日 - 小松崎善久
- 6月26日 - 鍋屋道夫
- 6月28日 - 西岡良洋
7月
[編集]8月
[編集]9月
[編集]10月
[編集]11月
[編集]12月
[編集]死去
[編集]脚注
[編集]- ^ 読売新聞1961年4月8日夕刊7面「後楽園、はち切れそう プロ野球開幕 正力さんが始球式」読売新聞縮刷版1961年4月p159
- ^ 読売新聞1961年4月22日5面「中日、柳川の入団を正式に発表」読売新聞縮刷版1961年4月p433
- ^ 読売新聞1961年4月23日6面「中西200号(通算)ホーマー」読売新聞縮刷版1961年4月p454
- ^ 読売新聞1961年4月28日6面「日本初の外野審判」読売新聞縮刷版1961年4月p558
- ^ 毎日新聞1961年5月6日夕刊5面「山内、止めの4号 阪急を完封 小野、百勝を飾る」毎日新聞縮刷版1961年5月p101
- ^ 毎日新聞1961年5月7日7面「杉浦、完投して百勝 野村7号、西鉄を破る」毎日新聞縮刷版1961年5月p111
- ^ 毎日新聞1961年5月8日7面「南海、二回一挙12点 第二試合 1イニング 全員得点など生む」毎日新聞縮刷版1961年5月p135
- ^ 読売新聞1961年5月11日6面「連続満塁ホーマー記録 ジェンタイル」読売新聞縮刷版1961年5月p190
- ^ 毎日新聞1961年5月14日7面「"プロから受入れぬ"社会人野球協会 引抜き問題で決定」毎日新聞縮刷版1961年5月p255
- ^ 毎日新聞1961年5月20日7面「東映バウアーで先勝 中西の失策で若生気落ち」毎日新聞縮刷版1961年5月p399
- ^ 読売新聞1961年5月31日7面「阪急16連敗対南海免る」読売新聞縮刷版1961年5月p603
- ^ 毎日新聞1961年6月4日7面「ブルーム観客を殴る」毎日新聞縮刷版1961年6月p66
- ^ 毎日新聞1961年6月8日7面「ブルーム一週間出場停止」毎日新聞縮刷版1961年6月p111
- ^ 読売新聞1961年6月6日夕方7面「金田阪神監督が休養 代理に藤本コーチ」読売新聞縮刷版1961年6月p123
- ^ 読売新聞1961年6月11日7面「箱田千試合出場」読売新聞縮刷版1961年6月p211
- ^ 毎日新聞1961年6月12日6面「南海の森下千試合出場」毎日新聞縮刷版1961年6月p234
- ^ 毎日新聞1961年6月20日7面「森滝がパーフェクト プロ野球7人目の快挙 すばらしい制球力で」毎日新聞縮刷版1961年6月p419
- ^ 読売新聞1961年7月6日7面「権藤9度目の完封 新人の完封記録 国鉄から10三振の16勝目」読売新聞縮刷版1961年7月p115
- ^ 読売新聞1961年7月6日7面「小玉(近鉄)千試合出場を達成」読売新聞縮刷版1961年7月p115
- ^ 読売新聞1961年7月26日7面「巨人コーチに牧野氏」読売新聞縮刷版1961年7月p535
- ^ 毎日新聞1961年7月27日7面「町田(国鉄)が千試合出場」毎日新聞縮刷版1961年7月p551
- ^ 毎日新聞1961年7月30日7面「杉浦が千奪三振奪取」毎日新聞縮刷版1961年7月p311
- ^ 読売新聞1961年8月3日7面「稲尾奪三振千五百個達成」読売新聞縮刷版1961年8月p47
- ^ 毎日新聞1961年8月8日1面「黒獅子旗、横浜(日本石油)に 延長12回、名古屋を破る」毎日新聞縮刷版1961年8月p143
- ^ 毎日新聞1961年8月9日7面「山内が二百号ホーマー 大毎17安打、南海に圧勝」毎日新聞縮刷版1961年8月p169
- ^ 毎日新聞1961年8月11日7面「米田が百勝」毎日新聞縮刷版1961年8月p209
- ^ 毎日新聞1961年8月28日7面「稲尾、四たび30勝 新記録」毎日新聞縮刷版1961年8月p559
- ^ 毎日新聞1961年9月8日7面「土屋の走塁で大もめ 午前零時11分、国鉄勝つ」毎日新聞縮刷版1961年9月p149
- ^ 毎日新聞1961年9月8日11面「二日がかりのナイター 後楽園は大荒れ 11人連行 燃える紙も投げる」毎日新聞縮刷版1961年9月p153
- ^ 毎日新聞1961年9月17日7面「巨人、薄氷の投手交代」毎日新聞縮刷版1961年9月p333
- ^ 毎日新聞1961年9月28日7面「山内が一〇六打点 パ・リーグ新記録 中田は27,28号を放つ」毎日新聞縮刷版1961年9月p545
- ^ 読売新聞1961年10月1日6面「若生、阪急を完封 12安打放ち西鉄快勝」読売新聞縮刷版1961年10月p6
- ^ 読売新聞1961年10月2日7面「稲尾、先発・救援で39勝 パの最多勝利記録を更新」読売新聞縮刷版1961年10月p31
- ^ 読売新聞1961年10月4日7面「権藤、完封のセ新記録 金田(保持者)に投げ勝ち12度目」読売新聞縮刷版1961年10月p71
- ^ 読売新聞1961年10月7日6面「国鉄、村瀬をKO 長島プロ入り100号及ばず 徳武、3点をたたき出す」読売新聞縮刷版1961年10月p130
- ^ 読売新聞1961年10月8日7面「稲尾は40勝 337個の奪三振 パ新」読売新聞縮刷版1961年10月p151
- ^ 読売新聞1961年10月10日1面「巨人優勝きまる セ・リーグ 中日が広島に敗れ」読売新聞縮刷版1961年10月p189
- ^ 読売新聞1961年10月11日6面「権藤投手(中日)に沢村賞」読売新聞縮刷版1961年10月p214
- ^ 読売新聞1961年10月12日8面「南海、首位をもぎとる 延長10回 東映、失策で自滅 スタンカ1安打の好投」読売新聞縮刷版1961年10月p234
- ^ 読売新聞1961年10月13日6面「阪急球団社長に小林氏」読売新聞縮刷版1961年10月p274
- ^ 読売新聞1961年10月15日7面「柳田、本塁打をフイ 葛城追い越しアウト 大毎、西鉄の二線級めった打ち」読売新聞縮刷版1961年10月p295
- ^ 読売新聞1961年10月16日1面「パ・リーグ南海優勝 日本シリーズ 巨人と六たび対戦」読売新聞縮刷版1961年10月p313
- ^ 読売新聞1961年10月16日7面「奪三振 稲尾が新記録 353個、6年ぶり金田の記録破る」読売新聞縮刷版1961年10月p319
- ^ 読売新聞1961年10月17日6面「最高殊勲選手は長島と野村 新人王、権藤が満票 パは徳久、近鉄初の栄冠」読売新聞縮刷版1961年10月p338
- ^ 読売新聞1961年10月17日6面「与那嶺、中日コーチに」読売新聞縮刷版1961年10月p338
- ^ 読売新聞1961年10月31日7面「近鉄、別当の監督就任を発表」読売新聞縮刷版1961年10月p639
- ^ 読売新聞1961年11月1日夕刊1面「巨人、選手権を握る 日本シリーズ」読売新聞縮刷版1961年11月p13
- ^ 読売新聞1961年11月5日7面「西鉄新主将は高倉 花形選手全員首脳に」読売新聞縮刷版1961年11月p95
- ^ 毎日新聞1961年11月16日9面「青田氏 阪神コーチに」毎日新聞縮刷版1961年11月p329
- ^ 読売新聞1961年11月22日6面「阪急、西本の就任発表」読売新聞縮刷版1961年11月p474
- ^ 毎日新聞1961年12月10日7面「大毎、阪神で四選手トレード」毎日新聞縮刷版1961年12月p203
- ^ 読売新聞1961年12月18日7面「森の大洋入りとその波紋 球界によい教訓 一つの汚点残したが」
- ^ 読売新聞1961年12月26日7面「神宮球場、プロに開放 東映の申し入れ受ける」読売新聞縮刷版1961年12月p573
- ^ 読売新聞1961年12月30日6面「神宮と後楽園使用 東映フライヤーズ」読売新聞縮刷版1961年12月p650