「新銀行東京」の版間の差分
Bloodserver (会話 | 投稿記録) |
Bloodserver (会話 | 投稿記録) |
||
126行目: | 126行目: | ||
[[2011年]](平成23年)[[2月17日]]の新銀行東京「トピックス」において、本店に3台だけある最後のATMも3月18日で全廃することを発表。代わりにセブン銀行のATMを設置した。 |
[[2011年]](平成23年)[[2月17日]]の新銀行東京「トピックス」において、本店に3台だけある最後のATMも3月18日で全廃することを発表。代わりにセブン銀行のATMを設置した。 |
||
現在は、[[セブン銀行]]、[[ゆうちょ銀行]]、[[ビューアルッテ]]の他、当社と個別接続した[[みずほ銀行]](みずほ銀行経由扱いとして利用する[[イオン銀行]]やみずほ銀行が幹事行となっている拠点に限った[[イーネット]]・[[ローソンATM]]を含む)および一部の[[信用金庫]]の各ATMでカードが利用可能となっている。 |
現在は、[[セブン銀行]]、[[ゆうちょ銀行]]、[[ビューアルッテ]]の他、当社と個別接続した[[みずほ銀行]](みずほ銀行経由扱いとして利用する[[イオン銀行]]やみずほ銀行が幹事行となっている拠点に限った<del>[[イーネット]]</del><ref>イーネットのWebサイトによると、'''みずほ銀行管理分を含めて'''利用不可となった。</ref>・[[ローソンATM]]を含む)および一部の[[信用金庫]]の各ATMでカードが利用可能となっている。 |
||
== 沿革 == |
== 沿革 == |
2016年1月4日 (月) 13:14時点における版
本店(2009年11月30日) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本店所在地 |
日本 〒160-0023 東京都新宿区西新宿一丁目21番1号 明宝ビル1階 |
設立 |
1999年4月5日 (ビー・エヌ・ピー信託銀行株式会社) |
業種 | 銀行業 |
法人番号 | 2011101049857 |
金融機関コード | 0322 |
SWIFTコード | SGTKJPJT |
代表者 |
常久秀紀 (代表取締役社長執行役員) |
資本金 |
200億円 (2015年3月31日現在) |
発行済株式総数 |
普通株式 592万6千株 優先株式 200万株 (2015年3月31日現在) |
純資産 |
連結:550億57百万円 (2015年3月31日現在) |
総資産 |
連結:4,314億56百万円 (2015年3月31日現在) |
従業員数 |
163名 (2015年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
普通株式 東京都 84.22% エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ 2.11% 日立製作所 2.11% あいおいニッセイ同和損害保険 1.69% 信金中央金庫 0.97% SMBC日興証券 0.84% オリックス 0.84% 鹿島建設 0.84% 大成建設 0.84% 三井住友海上火災保険 0.84% 優先株式 東京都 100% (2015年3月31日現在) |
外部リンク | http://www.sgt.jp/ |
新銀行東京のデータ | |
---|---|
法人番号 | 2011101049857 |
店舗数 | 1店 |
貸出金残高 |
2,007億06百万円 (2015年3月31日現在) |
預金残高 |
2,615億34百万円 (2015年3月31日現在) |
株式会社新銀行東京(しんぎんこうとうきょう、英語: ShinGinko Tokyo, Limited)は、東京都新宿区西新宿一丁目21-1に本店を置く日本の銀行である。
2003年(平成15年)に東京都知事石原慎太郎の選挙公約(中小企業対策)に基づき、ほぼその即断で、既存のBNPパリバ信託銀行を公有化する手法で発足したことから、一部では「石原銀行」とまで評される[1][2][3][4][5][6][7][8]。
2015年(平成27年)5月27日、東京都民銀行と八千代銀行を傘下に置く東京TYフィナンシャルグループと経営統合を検討していることが明らかとなり[9][10]、同6月12日、2016年4月の統合を目指し協議を進めることで基本合意したと発表した[11]。
概要
成立の経緯から東京都が1000億円を出資、民間企業数社も出資(当初目標額は500億円[12])し、資本金・資本準備金計1187億円で発足している。株式の84.22%を東京都が保有する[13]。
新銀行東京は2005年(平成17年)4月、東京都知事石原慎太郎の旗振りの下、中小企業に対する無担保融資などを行い資金繰りに悩む中小企業を支援し、その事が日本経済再生の原動力になるとして石原の肝いりで開業した。
しかし、運営わずか3年で1000億円近い累積赤字を抱え事実上の破綻に至ることとなり、その後「都の公共事業請負先企業への貸し付け拡大、都の政策との連動を強化などを軸に黒字を目指す」として400億円の公的資金注入と共に事業再建が図られ、2010年(平成22年)には黒字化したものの、公的資金導入は典型的な政官財の癒着政策であり、独占禁止法違反であるなどの批判が相次いだ[14][15]。
設立経緯
2001年(平成13年)に大前研一が石原に持ちかけたナロウバンクのような店舗を持たない仮想銀行・ネット銀行構想が切っ掛けであった。
2001年当時、東京都の主管金融業務を担当していたメインバンクの富士銀行(現・みずほ銀行)の信用が低下し、日額最大9兆円の取引を行う東京都は早急な資金移動の必要性に迫られた。大前は決済機能のみに特化した新銀行構想を提案し、都民の資産を守る新銀行の設立を持ちかけた。
その後、石原の強い要望で「中小企業への貸し渋り対策」「ベンチャー企業向け融資」などの目的を加え、この頃から大前構想を外れた方向へ進み出す。当初ボランティアとして参加していた大前は2002年に離脱し、石原が奥田碩から紹介を受けた仁司泰正(当時の豊田通商常勤監査役)を代表に迎えた[16]。
2003年(平成15年)、石原の主導で都が策定した「東京発金融改革」を旗印に『資金調達に悩む中小企業を救済すること』を理念とした新銀行構想を打ち出した。同時期に「BNPパリバ」が日本での事業見直しを行っており、傘下の「BNPパリバ信託銀行」の売却先を検討していた[17]。
東京都は2004年(平成16年)4月1日にBNPパリバ信託銀行(1999年(平成11年)設立)を買収し、業態再編にて「新銀行東京」と商号変更[注 1]。2005年(平成17年)4月1日に新銀行東京(本店は東京都千代田区大手町)を開業した。中小企業・ベンチャー企業向け融資、ICカードの活用を中心とした利便性の高い金融サービスの提供を東京都内で開始した。
設立時の経緯から信託銀行に区分されているが、金融庁の分類では「新たな形態の銀行等」として、ネット銀行など、新規参入銀行とともに位置付けられた。
新銀行東京のオリジナルの発想は、1995年(平成7年)に都知事選に出馬して青島幸男に敗れた大前研一のものだが、石原が作ったのはおよそ異なるもの、と大前は主張している[18]。
全銀協との関係
設立経緯から、全国銀行協会(全銀協)の役員から非難・反発を浴びた。同協会には非加盟である。ATMも、MICS(全国キャッシュサービス)には接続されていない。特に、三菱東京UFJ銀行の相談役・三木繁光や、全銀協会長・三井住友銀行頭取・日本郵政社長などを務めた西川善文といった「郵政民営化は銀行に対する民業圧迫」、「自治体による金融機関の設置は時代錯誤」とする論者の反発が強かったとされる。
全銀協が発行する「キャッシュカードや通帳等の盗難・紛失時のご連絡先 銀行の緊急時連絡先一覧」においては、平成16年版から平成22年度版に至ってもなお同行に関する記述はなく、全銀協からはその存在すら黙殺されている模様である。
公共工事代金債権信託
中小建設業者向けの「公共工事代金債権信託」は、請負金額に対する工事出来高から請負契約に基づく前払金を差し引いた額を信託債権元本額として信託受益権を投資家に販売することにより、建設業者が前払金を使い切った後、公共工事を完成するまでのつなぎ融資の機能を持っている。
新銀行東京以外では、事業協同組合などの組合組織でしか取り扱っていないので、公共工事発注機関の東京都と信託銀行の新銀行東京の持ち味を生かした画期的なスキームだが、
- 新銀行東京が東京都公金収納取扱金融機関ではない。
- 東日本建設業保証の前払金預託金口座を開設できない。1工事の工事代金を別々の金融機関で管理する必要性がある。
といったデメリットもある。しかし、現在では東京都以外の市区町村での取り扱いも増え、中小建設業者の利用も徐々に増加している。また、新銀行東京にとっても、信託受益権販売後の資金が早々に他の金融機関に移されることになり、メリットを活かしきれていない。
東京都との関係
東京都とは、民間会計基準では連結子会社になるほどの資本関係がありながら、業務上の関係は他の金融機関より希薄である。上記公共工事代金の項にあるとおり、東京都公金収納取扱金融機関でないために、都内に本支店を置く金融機関としては珍しく、固定資産税や住民税をはじめとする東京都(および特別区)の地方税の口座振替を取り扱っていない。
預金
東京都が定めた当初の基本計画では、2008年(平成20年)までに1兆2000億円余の獲得を目指すも、次第に目標が引き下げられ、高金利の定期預金キャンペーンを張ってもなお、4284億円(2007年(平成19年)9月現在)の預金残高にとどまっている[19]。
- 2006年(平成18年)のキャンペーンで集めた預金のうち、2009年(平成21年)には3年定期 (1.5%) が満期を迎えた。5月現在の金利は0.25%(300万未満)であるため、高金利を求める預金者は、2009年(平成21年)5月現在でもなお3年で1.5%の金利を提示している日本振興銀行[20]に流れた。(ただし、日本振興銀は2010年9月に破綻し、初のペイオフ発動となった)。
- 上記のごとき預金流出に焦ったためか、これまでは満期の案内に満期時解約の手続き書類を同封していたが、2009年8月1日からの継続分については解約手続き書類が、金利を1.0%(3年)とするキャンペーンの案内に代わった。
- その後も、2005年(平成17年) - 2006年(平成18年)に集めた5年物の高金利の定期預金の満期のタイミングに合わせて金利キャンペーンを行い、預金の流出を防ごうとしている。ただし、2006年(平成18年)夏の5年物定期の金利が破格の1.7%だったのに対し、2011年(平成23年)8月の5年物定期の金利は0.50%であり、ネットバンク程度の金利設定となっている。
- 新銀行東京の2011年3月期決算の預金残高は1775億円となっている。2010年同期より314億円 (15%) 減少している。内訳は、個人預金が366億円減る一方、法人預金が52億円 (69%) 増えている。
- 2008年の400億円の追加出資の際に発表された新銀行東京の再建計画では、4年後の2012年3月期に、預金を20分の1の200億円に圧縮することになっている。
利息付与時期
普通預金利息は、2月と8月の所定の日に1円未満は切り捨てした上で残高に付与される。所定の日とは、第3土曜日に決算し、入金は翌日の日曜日付けである。毎日の最終残高1000円以上のものを対象に、付利単位は100円。
歴代代表者
- 仁司泰正(元豊田通商常勤監査役) 2004年(平成16年)4月1日 - 2007年(平成19年)6月22日(ただし、2004年(平成16年)6月の委員会設置会社移行までは、代表取締役社長。以降は代表執行役)
- 森田徹(旧協和銀行出身、元りそな銀行取締役) 2007年(平成19年)6月23日 - 2007年(平成19年)11月30日(代表執行役)
- 津島隆一(元東京都港湾局長) 2007年(平成19年)12月1日 - 2009年(平成21年)6月28日(代表執行役)
- 寺井宏隆(旧三和銀行出身、元新生銀行専務執行役、新銀行東京顧問) 2009年(平成21年)6月29日 - 2015年6月10日(代表取締役社長執行役員)
- 常久秀紀(旧三菱銀行出身、プライスウォーターハウスクーパースコンサルタントマネージャー、新銀行東京取締役執行役員) 2015年6月11日 - 現職(代表取締役社長執行役員)
店舗
2005年(平成17年)は、4月1日に東京都千代田区大手町の本店、2005年(平成17年)5月13日に新宿出張所(新宿区)と蒲田出張所(大田区)、2005年(平成17年)7月1日に立川出張所(立川市)と上野出張所(台東区)、錦糸町出張所(墨田区)を開店させた。2006年(平成18年)度は都合9店舗体制とし、シティバンク銀行(当時は、シティバンク、エヌ・エイ)や新生銀行の都内店舗並の展開をしていく予定としていたが、2007年度の第3四半期には、3店舗がブランチインブランチ化された。2008年(平成20年)5月7日より、すべての店舗が本店(同時に、本店を大手町より従前の新宿出張所所在地に移転)にブランチインブランチ化された。
2014年5月現在、ゆうちょ銀行の統括店以外の直営店舗同様、出張所(すべて、本店窓口で対応)の呼称を「店」と称している。
ATM
店舗外に設置されたATMは事業の大幅縮小のため2007年(平成19年)8月31日23:00をもって稼働を停止し[21]、後に順次すべて撤去された。
2011年(平成23年)2月17日の新銀行東京「トピックス」において、本店に3台だけある最後のATMも3月18日で全廃することを発表。代わりにセブン銀行のATMを設置した。
現在は、セブン銀行、ゆうちょ銀行、ビューアルッテの他、当社と個別接続したみずほ銀行(みずほ銀行経由扱いとして利用するイオン銀行やみずほ銀行が幹事行となっている拠点に限ったイーネット[22]・ローソンATMを含む)および一部の信用金庫の各ATMでカードが利用可能となっている。
沿革
- 1999年(平成11年)4月5日 - 登記上の設立日(ビー・エヌ・ピー信託銀行株式会社として。親会社の合併に伴い2000年(平成12年)にビー・エヌ・ピー・パリバ信託銀行株式会社となる)。プライベートバンキング専門の信託銀行だった。
- 2004年(平成16年)4月1日 - ビー・エヌ・ピー・パリバ信託銀行株式会社から社名変更[注 2]。金融庁より銀行法第26条第1項等に基づき2005年(平成17年)3月31日までの間、業態変更準備のため、既存顧客への業務以外の部分的な業務停止命令を受ける。この業務停止命令は、銀行の開設「準備」会社がすでに銀行免許交付を受けた銀行であったことから監督上行われたものであり、通常の(懲罰的な)業務停止命令とは性質が異なる。また、この準備会社は信託銀行であるので、再開業後の銀行も同様となっている。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 3月24日 - 上野出張所(錦糸町出張所を含む)・渋谷出張所・新橋出張所(蒲田出張所を含む)を新宿出張所内に移転。
- 5月7日 - 本店を新宿区西新宿に移転。同時に、所内移転済みの全出張所を含む新宿出張所と立川出張所を本店のブランチインブランチとし、実体店舗は本店のみとなる。
- 6月23日 - 秋葉原・蒲田・立川に事前予約制の融資相談コーナーを開設。「融資にかかる一般的な事前相談」のみを取り扱うため、実際の融資自体は本店に出向いての手続きを要するなど、業務自体はきわめて限定的ではあるが、蒲田・立川については事実上の拠点復活となる。
- 8月1日 - 本店のみに残されたATMの稼働時間が、平日9:00から17:00までのみに短縮される[24]。
- 8月4日 - 葛飾融資相談コーナーを開設。
- 12月26日 - 金融庁が銀行法に基づく業務改善命令。元行員の不正融資事件に関連し、融資先の審査管理体制の不備を指摘。
- 2010年(平成22年)1月15日 - 店外の融資相談コーナーを全て閉鎖。業務は本店の営業第3部が継承。
- 2011年(平成23年)
- 2015年(平成27年)
- 6月12日 - 東京TYフィナンシャルグループと経営統合を目指し協議を進めることで基本合意。
最近の動向
相次ぐサービス縮小
2009年(平成21年)9月から10月にかけて、預金者向けサービスの縮小を相次いで発表した[25][26]。
決算推移
2006年(平成18年)6月1日、開業初年度だった2006年3月期の単独決算を発表した。経常損益は209億円の赤字であり、最終赤字も同じく209億円であった。
2006年(平成18年)11月30日には、同年9月中間期の最終損益が154億円の赤字(前年同期は95億円の赤字)になったと発表した。中小企業向け融資が相次いで回収不能になったため、不良債権処理に伴う損失が予想を上回り、計画より赤字幅が54億円拡大した。この結果、累積赤字は456億円になった。
2007年(平成19年)6月1日には、2007年3月期決算において547億円の赤字となり、累積赤字が849億円に上ったと発表した。同時に、八王子融資推進室を含む10店舗中、2店舗を閉鎖する方針も明らかになっている。
2007年3月期決算発表と同時に、豊田通商出身の代表執行役・仁司泰正が2007年(平成19年)6月22日に退任。後任を旧埼玉銀行出身で元りそな銀行取締役の森田徹とする人事を発表した。
2008年3月期の中間決算を発表した2007年(平成19年)11月30日、森田は体調不良を理由に退任、後任に元東京都港湾局長の津島隆一を代表執行役に選任したことが発表された。
その際、2007年(平成19年)11月30日発表の中間決算では、累積赤字が936億円まで膨れあがり出資金全体の8割に迫った。外資系投資ファンドと都が200億円ずつ折半出資することで事態の打開を進めていたが、外資系ファンドが出資を見送る公算が大きくなり[27]、民間の出資企業も監査法人の指摘で引当金を積む事態と認定され、結局、東京都単独の追加出資を中心とする経営救済策を実施する方向になっている(後述)[28]。
2010年(平成22年)3月期決算では創立以来初めて通期で黒字を計上したものの、これは貸倒引当金取り崩しが主たる要因で、本業の儲けを示す実質業務純利益では金額は減ったものの依然として赤字が続いている。与信件数・残高、預金すべて前年よりも減らしており、縮小均衡の道をたどっている[29]。
2011年(平成23年)3月期決算では、本業の儲けである実質業務純利益がようやく均衡したが、与信件数・残高、預金すべてにおいて前年を下回っており、縮小均衡がさらに進んだ[30]。
2012年(平成24年)3月期決算では、前年に引き続き実質業務純利益は黒字となっている。与信件数は引き続き減少しているが、与信残高が対前年比プラスに転じた。預金は微増で推移している[31]。
2013年(平成25年)3月期決算では、実質業務純利益は前年に引き続き黒字となっている。与信件数は微減、与信残高は微増。預金は増加で推移している[32]。
格付け低下
2007年(平成19年)1月25日、スタンダード&プアーズ(以下S&P)は新銀行東京の財務基盤の健全性維持に対する不確実性が高まっているとし、長期カウンターパーティ格付けのアウトルックを「安定的」から「ネガティブ」へ変更した。
2007年(平成19年)6月11日、S&Pは長期格付けを「シングルA」から2段階下げて「トリプルB+」に変更した。今後の見通しについても「ネガティブ」のままであった。
2008年(平成20年)3月19日、S&Pは経営再建中の新銀行東京の東京都議会で審議中の400億円の追加出資案が可決されても「4年後に黒字化する再建計画の達成は困難」かつ追加出資後の都の財政支援は難しいとみられることから、長期格付けを「トリプルB+」から「トリプルB-」(投資適格とされる10段階のうち最下位)に2段階引き下げた。長期格付けの見通しは「ネガティブ(弱含み)」とした。短期格付けも「A2」から「A3」に1段階引き下げた。
2008年(平成20年)7月、S&Pは新銀行東京の格付けを引き下げた。
2009年(平成21年)6月26日、日本格付け研究所 (JCR) は新銀行東京の格付け維持を発表した[33]。内容は、長期優先債務「BBB-(見通し:ネガティブ)」、優先債「BBB-」、期限付劣後債「BB+」、コマーシャルペーパー「J-2」である。
破綻直前の「役員友人」の会社に3億円融資
2006年(平成18年)に財政破綻したベンチャー企業に対し、破綻の約2カ月前に3億円を融資していたことが分かった。当時の銀行幹部によれば、3億円の融資は役員会に諮る融資額に達していたにもかかわらず、「役員の友人の会社だからいいんだ」という理由で審査も行われずに融資が決定したとされる。融資直後の貸付先の経営破綻は、与信審査をする通常の銀行経営では有り得ない[34]。
揺らぐ目的
本来は中小企業を救済するはずだったが、貸出総額に占める中小企業の比率は、2006年(平成18年)3月(開業初年度末)の62.5%をピークに、2007年3月は51.5%、2007年(平成19年)9月末時点の貸出残高2218億円に対して中小企業向け融資は1046億円と貸出金全体の47.2%と半分を切るまでに低下している[2]など、資金繰りに苦しむ中小企業の支援という設立目的も揺らいでいる。
2008年(平成20年)3月18日、2005年(平成17年)の開業当初から、中小企業の資金繰り対策として看板に掲げてきた無担保・無保証融資を不良債権の急増で継続が困難と判断、再建計画の一つとして2008年(平成20年)4月以降原則廃止することを決定した[35]。
経営再建策
2008年(平成20年)2月20日には、都への400億円の増資要請などの再建策を発表し、拠点を1箇所に集約する方針を固めた。
それを承けて、2008年(平成20年)2月26日、3月24日付で立川出張所以外の全出張所を新宿出張所内にブランチインブランチとして移転させ、さらに5月7日付で、本店を新宿出張所の位置に移転し、同時に立川出張所を本店内に移転させ、全拠点をブランチインブランチ化する形で1箇所に集約することを発表した。ブランチインブランチは継続するため、口座店は、従来通り9店舗となる。ただし、融資相談コーナーを同年6月23日に3拠点(秋葉原・蒲田・立川)、8月4日に1拠点(葛飾)を新設している。ただし、いずれの拠点も本店への事前予約を要するため、予約があった場合のみ、都の施設を借りて利用するという見方も可能ではあるが、蒲田・立川の拠点が事実上復活したという向きも可能である。
追加出資のための補正予算を都議会予算特別委員会で審議する過程でも、経営再建案に対しさまざまな疑問が示されている。
- 発足した2004年度から2007年度の4年間の累積損失が1260億円に上り、経常収益約260億円の約5倍に上っていたことが明らかになった。事業規模を過大に見積もって体制を整えたことが運営コスト増大につながり、経営を一層圧迫する結果となっている[36]。
- 新銀行東京が民間の出資者向けに作成した資料では、2008年3月期の業績見通しを非公式に下方修正しており、設立当初都議会に示された都の経営計画に対し疑問が投げかけられている[37]。
- 累積赤字を解消するため減資が検討されているが、実行されれば今回の追加出資では終わらず都の負担がさらに膨らむ恐れもある[38]。東京都が設立時の2004年(平成16年)に出資した1千億円のうち、700億円を都債で調達して、その利子負担が総額で100億円に上り、当初計画では2014年度に700億円を一括償還するとしていたが、減資が行われた場合、2008年度に637億円を減債基金に一度に積み立てる必要が生じる[39]。
- 2008年度以降預金残高を200億円まで段階的に削減する方針が打ち出されているが、信用組合の下位クラスかそれ以下の規模に縮小してまで存続させることの意義についても疑問が示されている[19]。
- 再建計画最終年の2011年度に焦げ付き(債務不履行)が600億円に膨れあがることが2008年3月11日に明らかになっている。焦げ付きは無担保融資を中心として融資総額の25%程度を占めている[40]。
- エムケイタクシーを傘下に置くエムケイグループと、近畿産業信用組合会長の青木定雄は、新銀行東京との事業提携もしくは事業譲渡を東京都知事石原慎太郎へ申し出た(読売新聞 2008年5月22日報道による)。
- 経営再建の一環として人員整理も合わせて行われているが、整理予定を上回る、同社を見限った人材の流出が起こった。具体的には、2008年(平成20年)5月末から6月の僅か1か月間で、全正社員の3分の1に当たる約60人が退職(2008年8月4日15時1分配信 毎日新聞)。2004年に行われた行員公募の倍率は50倍を超えていたことを考えると、その狭き門をくぐりぬけた優秀な人材たちに見切りをつけられたということになる。
- 企業が本行の融資を受けられるよう都議や国会議員が口利きをしたという案件のリストが流出し公表されているが、本行がこれを「重大な権利侵害に当たる」として削除を求めていることが2008年(平成20年)11月18日の都議会の答弁で明らかになった[41]。
- 会員制情報誌「FACTA」2012年10月号に、公的資金の「完済計画」を発表したばかりのあおぞら銀行に、新銀行東京の買収観測が持ち上がっているという記事が掲載された。また週刊文春に、新銀行東京の清算後の受け入れ先としてゆうちょ銀行、イオン銀行、大手地銀、あおぞら銀行の4行の名前が掲載された[42]。
- 新銀行東京は、提携先であった複数の信金から「融資保証の不履行」で訴えられ、敗訴し続けている。「無担保・無保証」という採算度外視の融資が売り物だった同行は、営業基盤が乏しかったため、おもに都内の信金と提携ローンを組んでいた。信金が中小企業に融資し、その8割を新銀行東京が保証する仕組みである。新銀行東京の保証残高は07年3月末のピーク時には743億円まで膨れあがった。だがその後、貸し倒れによる代位弁済が次々に発生。しかし新銀行東京は、信金に対する保証を履行しないケースが多発した。結果、都内の4信金(朝日、西京、興産、東栄)と大阪信金は訴訟に踏み切り、新銀行東京が敗訴もしくは和解が成立している。
過大なシステム投資とコスト
システムは、2005年(平成17年)の開業前、東京都が作った基本計画に基づき設計され、預金や融資などの管理システムが76億円[注 3]、ATMやコールセンターなどの情報を取り扱うシステムが46億円、行内連絡用などのシステムは1億7000万円など総額124億円(開業時のシステム機能不足での改修費用12億円も含まれる)が投じられた。基幹システムとしては日立製作所のメインフレームで動作している。
しかし、当初想定した事業規模が過大であり、ATM・コールセンター・ICチップ入りのキャッシュカードとことごとく利用状況が低調で、店舗外に設置したATMの全面撤去・コールセンター縮小・他企業との提携キャッシュカードの発行停止・提携なしのカードへの強制切替に追い込まれ、監査法人からシステム投資の大部分が「利益を生まないシステムは資産として計上できない」との理由で、2007年3月期決算で109億円、2007年9月期決算で2億3千万円の減損損失の計上を求められ、また、業務契約の中途解約による違約金なども35億円発生し、特別損失が約150億円にも達していた[43][44][45]。
店舗外設置ATMの全面撤去やブランチインブランチによる実質的に1店舗体制になれば業務が簡素化し大きなシステムは必要なくなるが、銀行業務を継続する限り既設のメインフレーム・コンピュータを廃止することはできず、今後も情報システムの構築、運用に掛かる費用は毎年10億円強と見積もられ、再建計画においても圧縮できないコストとして重くのしかかることになる[46]。
石原慎太郎への責任追及
400億円もの追加投資は都民1人当たりに3000円以上もの負担を強いる。野党側はこの累積赤字、追加出資を非難し、新銀行東京を強いリーダーシップで生み出した石原への批判を強めている。都知事である石原は「設立理念は正しかったが、経営がまずかった」「(旧経営陣を)紹介されて、それを受けたことの責任は感じる」等の見解を表するに留めた。なお、設立に関して都議会では日本共産党以外の会派は賛成(「東京・生活者ネットワーク」は反対意見を述べたものの、予算案には賛成)した経緯がある。
経済界では、設立理念そのものを「不良債権の温床」と批判する向きが多かった。経済閣僚であった与謝野馨も「止めるなら今」と進言する[3]など、政界からの批判も起こっている。「都営銀行」の設立を石原に提案した大前研一も「中小企業融資は大銀行でも不得手な領域で、素人の都が手を出せるものではない。」と強く反対したが、石原は「国や大銀行がやらないからこそ、(都が)やらなければならない。」と譲らなかった。さらには、2003年(平成15年)11月8日の記者会見で、「(都が出資した)1000億円は、将来、数兆円になる。」と石原は述べている。
石原は議会答弁や記者会見などで「私だったら、もっと銀行を大きくできた」と発言したが、これに対しては「中堅・中小企業に対する融資事業は急拡大が望める事業ではない」との指摘がある[47]。
主に品川区と大田区の企業に融資しており、いずれも石原の三男・石原宏高の選挙地盤であることから、身内の選挙対策ではないかとも批判されている[48][49]。また、石原の提案でおこなわれている、都の若手芸術家育成事業「トーキョーワンダーサイト」から絵画3点を購入していたことも判明した[50]。
更には当の石原が2013年12月、第46回衆議院議員総選挙にて「太陽の党」(のち「たちあがれ日本」、日本維新の会に合流)から国政に転じ、政策を以ての再建を事実上放棄した。
都議会への責任追及
2008年(平成20年)3月に都議会は400億円の追加出資を自民党、公明党の賛成により可決した。『しんぶん赤旗』によると、有権者の多くは追加出資に反対している[51]。
2009年(平成21年)7月、東京都議会議員選挙1週間前に、四半期黒字見通しという憶測記事が産経新聞のみ載った。
内部告発者への訴訟
東京都の幹部と新銀行東京の幹部の会議に立ち合って記録を取る係だった元行員が、この会議録をまとめたブリーフィングメモとICレコーダーの会議録音を週刊誌などのマスコミに提出。新銀行東京の拡大路線が都による強要だという証拠として提示した。これに対し、新銀行東京は、元行員がテレビ番組に出演して機密情報に当たる会議内容を記録した資料を暴露したことや、複数の週刊誌に機密情報を伝達したとして、「新銀行の社会的評価や信用が著しく低下した」として1320万円の損害賠償を東京地裁へ求めた。2009年(平成21年)11月に和解が成立し、新銀行東京は損害賠償を取り下げ、元行員は録音データを消去し、ブリーフィングメモを銀行側に返却した[52]。
各年度の業績
(単位 : 百万円)[53][54][55][56][57][58][59]
決算期 | 経常収益 | 経常利益 | 当期純利益 |
---|---|---|---|
平成19年(2007年)3月 | 11,631 | △40,178 | △54,715 |
平成20年(2008年)3月 | 10,323 | △14,910 | △16,731 |
平成21年(2009年)3月 | 9,431 | △12,079 | △10,565 |
平成22年(2010年)3月 | 6,730 | △2,382 | 1,550 |
平成23年(2011年)3月 | 6,717 | △714 | 1,086 |
平成24年(2012年)3月 | 8,109 | 1,133 | 793 |
平成25年(2013年)3月 | 7,537 | 1,023 | 1,019 |
ギャラリー
-
新橋店(新橋出張所)旧店舗
脚注
注
- ^ 銀行法6条では行名に「銀行」を含めることが定められているが、行名の末尾に「銀行」を付けることは義務づけられていないため、「新銀行東京」への商号変更ができた。
- ^ ビー・エヌ・ピー・パリバ信託銀行株式会社の法人格を引き継いでいるが、公式な設立日は現在の形になった2004年(平成16年)4月1日としている。
- ^ 日経新聞などは金融機関出身の取締役の反対を押し切って、大手銀行も運用を諦めたスコア方式による与信査定システムを導入・運用したとしている。
出典
- ^ 東洋経済(2007/06/13号)500億円超の大赤字 再建の道筋なき「石原銀行」の迷走
- ^ a b しんぶん赤旗 2008年1月17日 「都設立の"石原銀行"/中小企業融資5割切る」
- ^ a b 日経新聞特集 2008年2月21-22日 「石原銀行の誤算」
- ^ 日本経済新聞社説 2008年2月22日 「『石原銀行』は幕を閉じる時だ」
- ^ 日刊ゲンダイ 2008年03月11日 「石原銀行 役員トンズラ、ズサン計画…」
- ^ 河北新報社説 2008年03月11日 「『石原銀行』問題」
- ^ 毎日新聞社説 2008年3月13日 「石原銀行 ひど過ぎる知事の責任逃れ」
- ^ 中日新聞社説 2008年3月13日 「石原銀行 まだ傷口を広げるのか」
- ^ “東京TY、新銀行東京と統合検討 都は銀行経営から撤退”. 共同通信. (2015年5月27日) 2015年5月27日閲覧。
- ^ “「経営統合の検討開始は事実」東京TYと新東京銀行”. 日本経済新聞. (2015年5月27日) 2015年5月27日閲覧。
- ^ “東京TYと新銀行東京が基本合意 来年4月経営統合へ”. 共同通信. (2015年6月14日) 2015年6月14日閲覧。
- ^ 東京都庁記者発表資料 2004年11月28日
- ^ 株主構成(新銀行東京公式サイト)
- ^ 朝日新聞 2008年2月20日夕刊
- ^ 大前研一の「「産業突然死」時代の人生論」第119回
- ^ 新銀行東京は破綻処理せよ-池田信夫 blog
- ^ BNPパリバ信託銀行の東京都への譲渡 (PDF)
- ^ 「SAFETY JAPAN」掲載コラム:大前研一「産業突然死の時代の人生論」第68回「"東京都の銀行"、巨大赤字の真相」
- ^ a b 読売新聞 2008年3月17日 「新銀行東京、11年度までに預金量を20分の1以下に」
- ^ 日本振興銀行
- ^ 新銀行東京ATM稼働停止のお知らせ 新銀行東京「トピックス」2007年7月31日
- ^ イーネットのWebサイトによると、みずほ銀行管理分を含めて利用不可となった。
- ^ "JR東日本の駅のATMコーナーで「新銀行東京カードによる預金引出・残高照会」サービス開始!" (PDF) (Press release). JR東日本. 2005-4-1. 2015-6-14閲覧。
{{cite press release2}}
:|date=
の日付が不正です。 (説明) - ^ 新銀行東京 ATM稼動時間変更のお知らせ
- ^ 新銀行東京-トピックス新銀行東京クラブオフ サービス終了
- ^ 新銀行東京-トピックス当座貸越限度額変更
- ^ 東京新聞 2008年2月13日 朝刊:都に300-400億円要請へ 新銀行東京:増資引き受け議会、反発も
- ^ 東京新聞 2008年2月14日 朝刊:新銀行東京:都が400億円出資方針 経営難救済へ税投入
- ^ 平成22年3月期 決算説明資料 (PDF)
- ^ 平成23年3月期決算 決算説明資料 (PDF)
- ^ 平成24年3月期決算 決算説明資料 (PDF)
- ^ 平成25年3月期決算 決算説明資料 (PDF)
- ^ JCR格付け情報 [1]
- ^ 朝日新聞 2008年2月26日 「新銀行東京、「役員友人」の会社に3億円融資 直後破綻」
- ^ 日本経済新聞 2008年3月19日 「新銀行東京、無担保・無保証融資を廃止」
- ^ 毎日新聞 2008年3月14日 「新銀行東京:累積損失1260億円 経常収益の5倍に」
- ^ 毎日新聞 2008年3月10日 「新銀行東京:開業前、目標を非公式に下方修正 「赤字続き」も想定 」
- ^ 日本経済新聞 2008年3月10日 「新銀行東京、減資なら都の追加負担600億円・08年度中に」
- ^ 東京新聞 2008年3月19日 「新銀行東京:都の利子負担100億円 都債調達の出資金分」
- ^ 2008.3.12 01:33 MSN産経ニュース
- ^ 「「口利き名簿」流出 ネット削除を要求」産経新聞 2008年11月19日付東京版朝刊25面。
- ^ 「石原都政のツケ 新銀行東京の受け皿はどこか」森岡英樹、週刊文春、2012年11月29日号(2012年11月21日発売)
- ^ 東京新聞 2008年3月14日 「新銀行東京:コスト、経常収益の5倍 設立後4年実績 店舗などに過大投資」
- ^ 朝日新聞 2008年3月18日 「新銀行東京、109億円システム「無益」」
- ^ 読売新聞 2008年3月18日 「新銀行東京、システム費用に124億円…過大投資の指摘も」
- ^ ITmedia エンタープライズ 2008年3月19日 「『石原銀行』の情報システム:泥沼の新銀行東京、システム投資をどう減らすのか」
- ^ 日経BP-ITマネジメント:鈴木貴博「石原都知事が銀行を大きくできないワケ」2008年3月19日
- ^ 『FACTA』 2007年2月号「重篤『慎太郎銀行』の深き闇」
- ^ 『週刊現代』 2007年1月6・13日号「新銀行東京設立の『真』の狙い」
- ^ 毎日新聞 2008年3月14日 「新銀行東京:石原知事の提案で絵画購入」
- ^ しんぶん赤旗 2008年3月28日 新銀行東京に400億円追加出資 反対が73%
- ^ “新銀行東京と元行員が和解 1千万円の賠償放棄”. 共同通信. (2009年11月6日) 2014年6月10日閲覧。
- ^ 第8期決算公告 (PDF)
- ^ 第9期決算公告 (PDF)
- ^ 第10期決算公告 (PDF)
- ^ 第11期決算公告 (PDF)
- ^ 第12期決算公告 (PDF)
- ^ 第13期決算公告 (PDF)
- ^ 第14期決算公告 (PDF)