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「武田勝」の版間の差分

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チームが日本一になると、ペナントレースを制した時と同様栗山監督の次に3回胴上げ。日本一で花道を飾ってもらい'''「最高のプレゼント。恩返しできるように頑張っていきたい」'''とチームメートに感謝した。入団当時の2006年と引退する2016年にチームが日本一を達成、'''「日本一で始まって、日本一で終わって、こんなに幸せな野球人生はない」'''と感慨深そうに話した<ref name="sanspom7">{{cite news|title=日本ハム・武田勝も3度宙を舞う…「最高のプレゼント」|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20161030/fig16103000080001-n1.htmll|newspaper=サンケイスポーツ| publisher=産経新聞社| date=2016-10-30| accessdate=2016-10-02}}</ref>。後輩たちに慕われる人望の厚さ、武田自身の実直な性格を球団は評価し、将来的な指導者も視野にいれて何かしらのポストを用意<ref name="sponichim14">{{cite news|title=ハム 引退の武田勝にポスト用意へ 将来的な指導者視野|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/10/31/kiji/K20161031013632930.htmll|newspaper=Sponichi Annex| publisher=[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] | date=2016-10-31| accessdate=2016-10-31}}</ref>
チームが日本一になると、ペナントレースを制した時と同様栗山監督の次に3回胴上げ。日本一で花道を飾ってもらい'''「最高のプレゼント。恩返しできるように頑張っていきたい」'''とチームメートに感謝した。入団当時の2006年と引退する2016年にチームが日本一を達成、'''「日本一で始まって、日本一で終わって、こんなに幸せな野球人生はない」'''と感慨深そうに話した<ref name="sanspom7">{{cite news|title=日本ハム・武田勝も3度宙を舞う…「最高のプレゼント」|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20161030/fig16103000080001-n1.htmll|newspaper=サンケイスポーツ| publisher=産経新聞社| date=2016-10-30| accessdate=2016-10-02}}</ref>。後輩たちに慕われる人望の厚さ、武田自身の実直な性格を球団は評価し、将来的な指導者も視野にいれて何かしらのポストを用意<ref name="sponichim14">{{cite news|title=ハム 引退の武田勝にポスト用意へ 将来的な指導者視野|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/10/31/kiji/K20161031013632930.htmll|newspaper=Sponichi Annex| publisher=[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] | date=2016-10-31| accessdate=2016-10-31}}</ref>
=== 引退試合 ===
=== 引退試合 ===
9月30日、引退試合として札幌ドームの千葉ロッテマリーンズ戦に先発。試合前のキャッチボールでは、引退を惜しむ大声援に号泣。涙を拭いながら、先頭打者を直球3球で三振を奪い、最後の登板が終わった。<ref name="doushinm">{{cite news|title=涙ぬぐい真っ向勝負 引退試合で武田勝投手 大声援に感慨|url=http://dd.hokkaido-np.co.jp/sports/baseball/fighters/1-0322150.html|newspaper=北海道新聞| publisher=北海道新聞社|date=2016-10-01 | accessdate=2016-10-01}}</ref>継投した[[増井浩俊|増井]]には'''「今後のファイターズを頼む」'''という言葉と共にボールを送った。<ref name="sankeim2">{{cite news|title=武田勝から継投!日本ハム・増井、“21世紀初”2桁勝利&2桁S|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20161001/fig16100105050003-n1.html|newspaper=サンケイスポーツ| publisher=産経新聞社|date=2016-10-01 | accessdate=2016-10-01}}</ref>バックネット裏スタンドには、ベンチを外れた[[宮西尚生|宮西]]、[[有原航平|有原]]、[[高梨裕稔|高梨]]、[[谷元圭介|谷元]]が陣取り'''『11年間お疲れさまでした。みんなで勝さんのために優勝してやったぞ!』'''と記した手製の横断幕を掲げた<ref name="sponichim3>{{cite news|title=武田勝、涙の3球三振 最後は絶叫「俺のために日本一になれ」|url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160929-OHT1T50255.html|newspaper=Sponichi Annex| publisher=[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] | date=2016-10-01 | accessdate=2016-10-01}}</ref>。
9月30日、引退試合として札幌ドームの千葉ロッテマリーンズ戦に先発。試合前のキャッチボールでは、引退を惜しむ大声援に号泣。涙を拭いながら、先頭打者を直球3球で三振を奪い、最後の登板が終わった。<ref name="doushinm">{{cite news|title=涙ぬぐい真っ向勝負 引退試合で武田勝投手 大声援に感慨|url=http://dd.hokkaido-np.co.jp/sports/baseball/fighters/1-0322150.html|newspaper=北海道新聞| publisher=北海道新聞社|date=2016-10-01 | accessdate=2016-10-01}}</ref>継投した[[増井浩俊|増井]]には'''「今後のファイターズを頼む」'''という言葉と共にボールを送った。<ref name="sankeim2">{{cite news|title=武田勝から継投!日本ハム・増井、“21世紀初”2桁勝利&2桁S|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20161001/fig16100105050003-n1.html|newspaper=サンケイスポーツ| publisher=産経新聞社|date=2016-10-01 | accessdate=2016-10-01}}</ref>バックネット裏スタンドには、ベンチを外れた[[宮西尚生|宮西]]、[[有原航平|有原]]、[[高梨裕稔|高梨]]、[[谷元圭介|谷元]]が陣取り'''『11年間お疲れさまでした。みんなで勝さんのために優勝してやったぞ!』'''と記した手製の横断幕を掲げた<ref name="sponichim3">{{cite news|title=武田勝、涙の3球三振 最後は絶叫「俺のために日本一になれ」|url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160929-OHT1T50255.html|newspaper=Sponichi Annex| publisher=[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] | date=2016-10-01 | accessdate=2016-10-01}}</ref>。


試合終了後、チームは全員引退メモリアルグッズの[[Tシャツ]]に着替えて引退セレモニーを見守った。花束を渡したのは、[[中嶋聡|中嶋聡GM補佐]]、[[高橋信二|高橋打撃兼バッテリーコーチ]]、[[大野奨太|大野]]、[[宮西尚生|宮西]]、[[増井浩俊|増井]]、[[武田久]]。そして挨拶を行った(→全文<ref name="nikkanm3">{{cite news|title=日本ハム武田勝「俺のために日本一になれ」挨拶全文|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1717932.html|newspaper=日刊スポーツ| publisher=日刊スポーツ新聞社 | date=2016-09-30 | accessdate=2016-09-30}}</ref>)。一番最後は愛し愛された後輩たちへ再び目を真っ赤にさせて'''「俺のために日本一になれ」'''と叫び、[[メッセージ]]を送った<ref name="nikkanm2"></ref>。場内一周では2009年から入場テーマ曲に使われていた「1/6の夢旅人2002」を歌う[[樋口了一]]が、難病と戦う中で[[熊本]]から札幌へ駆けつけ、武田のために生熱唱を行った。なお、この日引退セレモニー中の[[グラウンド]]が初対面。楽屋では'''「[[着ぐるみ|かぶりもの]]に磨きをかける」'''とお互い誓いあい[[握手]]を交わしたという<ref>[https://twitter.com/ryoichihiguchi/status/781884778278551552 2016年9月30日のツィート]-樋口了一公式アカウント</ref> 。場内一周では公約通り、[[オカリナ]]を披露しながら笑顔で[[ファン]]に別れを告げた<ref name="mainichim5">{{cite news|title=写真 プロ野球 日本ハム・武田勝、最後のマウンド|url=http://mainichi.jp/graphs/20160930/hpj/00m/050/002000g/1 |newspaper=毎日新聞| publisher=毎日新聞社 | date=2016-09-30 | accessdate=2016-09-30}}</ref><ref name="jijim3">{{cite news|title=引退セレモニーでファンとハイタッチしながらグラウンドを一周する日本ハムの武田勝=30日、札幌ドーム【時事通信社】|url=http://www.jiji.com/jc/p?id=20160930222709-0022446149|newspaper=時事通信| publisher=時事通信社 | date=2016-09-30 | accessdate=2016-09-30}}</ref>。場内一周終了後、自身が後輩たちにお願いしていた[[願望]]<ref name="nikkanm5">{{cite news|title=日本ハム武田勝、3回胴上げ「30日は8回」お願い|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1716942.html|newspaper=nikkansorts.com| publisher=日刊スポーツ新聞社 | date=2016-09-30 | accessdate=2016-09-30}}</ref>通りに(背番号「38」の1の位にあたる)8回胴上げ<ref name="jijim4">{{cite news|title=引退セレモニーで胴上げされる日本ハムの武田勝=30日、札幌ドーム【時事通信社】|url=http://www.jiji.com/jc/p?id=20160930222711-0022446133|newspaper=時事通信| publisher=時事通信社 | date=2016-09-30 | accessdate=2016-09-30}}</ref>。マウンドで後輩たちと一緒に[[記念]][[撮影]]<ref name="mainichim6">{{cite news|title=写真 プロ野球 日本ハム・武田勝、最後のマウンド(6枚目)|url=http://mainichi.jp/graphs/20160930/hpj/00m/050/002000g/6 |newspaper=毎日新聞| publisher=毎日新聞社 | date=2016-09-30 | accessdate=2016-09-30}}</ref>。記念撮影の最中、突然お立ち台が登場し現役最後のヒーローインタビュー(→全文<ref name="nikkanm6">{{cite news|title=日本ハム武田勝、現役最後のお立ち台でオカリナ披露|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1717939.html|newspaper=日刊スポーツ| publisher=日刊スポーツ新聞社 | date=2016-09-30 | accessdate=2016-09-30}}</ref>))。ヒーローインタビューを担当した[[北海道テレビ放送|HTB]][[谷口直樹]]アナウンサーによれば、打ち合わせする時間がなかったので全て「[[アドリブ]]」の対応だった。<ref name="zaikai201610m1">{{cite journal|和書|title=特集 お疲れさま武田勝 涙と笑いの引退セレモニー「勝さんの人望の厚さは自分を犠牲にしたから」|journal=財界さっぽろ|issue=2016年11月号|publisher=株式会社財界さっぽろ|page=105|id=雑誌04015-11}}</ref>。それでも'''「[[ファン]]の泣いている姿より笑っている姿を見る方が[[気持ち]]いい」'''という[[ポリシー]]を完遂すべく、2013年のオフにおける公約通り<ref name="sponichim4"></ref>、急遽オカリナで'''ドレミファソラシド'''と繰り返し演奏、場内を笑顔一色にした後、最後は再度'''「俺のために日本一になれ」'''と後輩に伝え、球団マスコットと記念の[[自分撮り|自撮り]]<ref>[https://twitter.com/FightersPR/status/781835021149544448 2016年9月30日2時36分のツィート]-日本ハム[[Twitter]]公式アカウント</ref>で終了。最終戦後の記念撮影にも参加している<ref name="mainichim7">{{cite news|title=写真 プロ野球 日本ハム・武田勝、最後のマウンド(8枚目)|url=http://mainichi.jp/graphs/20160930/hpj/00m/050/002000g/8 |newspaper=毎日新聞| publisher=毎日新聞社 | date=2016-09-30 | accessdate=2016-09-30}}</ref>。
試合終了後、チームは全員引退メモリアルグッズの[[Tシャツ]]に着替えて引退セレモニーを見守った。花束を渡したのは、[[中嶋聡|中嶋聡GM補佐]]、[[高橋信二|高橋打撃兼バッテリーコーチ]]、[[大野奨太|大野]]、[[宮西尚生|宮西]]、[[増井浩俊|増井]]、[[武田久]]。そして挨拶を行った(→全文<ref name="nikkanm3">{{cite news|title=日本ハム武田勝「俺のために日本一になれ」挨拶全文|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1717932.html|newspaper=日刊スポーツ| publisher=日刊スポーツ新聞社 | date=2016-09-30 | accessdate=2016-09-30}}</ref>)。一番最後は愛し愛された後輩たちへ再び目を真っ赤にさせて'''「俺のために日本一になれ」'''と叫び、[[メッセージ]]を送った<ref name="nikkanm2"></ref>。場内一周では2009年から入場テーマ曲に使われていた「1/6の夢旅人2002」を歌う[[樋口了一]]が、難病と戦う中で[[熊本]]から札幌へ駆けつけ、武田のために生熱唱を行った。なお、この日引退セレモニー中の[[グラウンド]]が初対面。楽屋では'''「[[着ぐるみ|かぶりもの]]に磨きをかける」'''とお互い誓いあい[[握手]]を交わしたという<ref>[https://twitter.com/ryoichihiguchi/status/781884778278551552 2016年9月30日のツィート]-樋口了一公式アカウント</ref> 。場内一周では公約通り、[[オカリナ]]を披露しながら笑顔で[[ファン]]に別れを告げた<ref name="mainichim5">{{cite news|title=写真 プロ野球 日本ハム・武田勝、最後のマウンド|url=http://mainichi.jp/graphs/20160930/hpj/00m/050/002000g/1 |newspaper=毎日新聞| publisher=毎日新聞社 | date=2016-09-30 | accessdate=2016-09-30}}</ref><ref name="jijim3">{{cite news|title=引退セレモニーでファンとハイタッチしながらグラウンドを一周する日本ハムの武田勝=30日、札幌ドーム【時事通信社】|url=http://www.jiji.com/jc/p?id=20160930222709-0022446149|newspaper=時事通信| publisher=時事通信社 | date=2016-09-30 | accessdate=2016-09-30}}</ref>。場内一周終了後、自身が後輩たちにお願いしていた[[願望]]<ref name="nikkanm5">{{cite news|title=日本ハム武田勝、3回胴上げ「30日は8回」お願い|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1716942.html|newspaper=nikkansorts.com| publisher=日刊スポーツ新聞社 | date=2016-09-30 | accessdate=2016-09-30}}</ref>通りに(背番号「38」の1の位にあたる)8回胴上げ<ref name="jijim4">{{cite news|title=引退セレモニーで胴上げされる日本ハムの武田勝=30日、札幌ドーム【時事通信社】|url=http://www.jiji.com/jc/p?id=20160930222711-0022446133|newspaper=時事通信| publisher=時事通信社 | date=2016-09-30 | accessdate=2016-09-30}}</ref>。マウンドで後輩たちと一緒に[[記念]][[撮影]]<ref name="mainichim6">{{cite news|title=写真 プロ野球 日本ハム・武田勝、最後のマウンド(6枚目)|url=http://mainichi.jp/graphs/20160930/hpj/00m/050/002000g/6 |newspaper=毎日新聞| publisher=毎日新聞社 | date=2016-09-30 | accessdate=2016-09-30}}</ref>。記念撮影の最中、突然お立ち台が登場し現役最後のヒーローインタビュー(→全文<ref name="nikkanm6">{{cite news|title=日本ハム武田勝、現役最後のお立ち台でオカリナ披露|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1717939.html|newspaper=日刊スポーツ| publisher=日刊スポーツ新聞社 | date=2016-09-30 | accessdate=2016-09-30}}</ref>))。ヒーローインタビューを担当した[[北海道テレビ放送|HTB]][[谷口直樹]]アナウンサーによれば、打ち合わせする時間がなかったので全て「[[アドリブ]]」の対応だった。<ref name="zaikai201610m1">{{cite journal|和書|title=特集 お疲れさま武田勝 涙と笑いの引退セレモニー「勝さんの人望の厚さは自分を犠牲にしたから」|journal=財界さっぽろ|issue=2016年11月号|publisher=株式会社財界さっぽろ|page=105|id=雑誌04015-11}}</ref>。それでも'''「[[ファン]]の泣いている姿より笑っている姿を見る方が[[気持ち]]いい」'''という[[ポリシー]]を完遂すべく、2013年のオフにおける公約通り<ref name="sponichim4"></ref>、急遽オカリナで'''ドレミファソラシド'''と繰り返し演奏、場内を笑顔一色にした後、最後は再度'''「俺のために日本一になれ」'''と後輩に伝え、球団マスコットと記念の[[自分撮り|自撮り]]<ref>[https://twitter.com/FightersPR/status/781835021149544448 2016年9月30日2時36分のツィート]-日本ハム[[Twitter]]公式アカウント</ref>で終了。最終戦後の記念撮影にも参加している<ref name="mainichim7">{{cite news|title=写真 プロ野球 日本ハム・武田勝、最後のマウンド(8枚目)|url=http://mainichi.jp/graphs/20160930/hpj/00m/050/002000g/8 |newspaper=毎日新聞| publisher=毎日新聞社 | date=2016-09-30 | accessdate=2016-09-30}}</ref>。
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=== 「俺のために優勝しろ」===
=== 「俺のために優勝しろ」===
==== 引退会見~クライマックスシリーズファイナルステージ ====
==== 引退会見~クライマックスシリーズファイナルステージ ====
前述した9月23日引退会見後、札幌ドームで[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]戦前の円陣で武田がチームメイトに見せた'''「俺のために優勝しろ」'''と書いた紙は、チームのみならずかつてチームメイトだったダルビッシュ有を始め、[[SNS]]等で大反響が起きた。日本ハム公式Twitterを通じて、武田はダルビッシュへ「俺のために優勝しろ」の言葉が[[印刷]]されたTシャツを作ったことを告げ「Tシャツをたくさん送る」、「ひとりのファンとしてこれからも応援する」とメッセージを送り<ref name="hamtwitm1">[https://twitter.com/FightersPR/status/781719671212953600 2016年9月30日18時57分のツィート] -日本ハム[[Twitter]]公式アカウント</ref>、ダルビッシュは感激した<ref>[https://twitter.com/faridyu/status/781720278497759233 2016年9月30日19時00分のツィート] -ダルビッシュ有Twitter公式アカウント</ref>。このTシャツは武田の引退記念グッズ第2弾として[[10月12日]]から一般販売された<ref name="sponichim8>{{cite news|title=日本ハム 武田勝名言「俺のために優勝しろ」Tシャツ発売へ」|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/10/05/kiji/K20161005013479750.html|newspaper=Sponichi Annex| publisher=[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] | date=2016-10-05 | accessdate=2016-10-05}}</ref>が即日完売、[[10月19日]]に再度販売開始という異例の売れ行きを記録<ref name="sponichim9">{{cite news|title=日本ハム「俺のために優勝しろ」Tシャツを19日から再販|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/10/13/kiji/K20161013013527590.html|newspaper=Sponichi Annex| publisher=[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] | date=2016-10-13 | accessdate=2016-10-13}}</ref>。Tシャツの大人気を受け'''「今なら[[相田みつを]]になれそうだよ」'''というコメントを残している<ref name="suponichim10">{{cite news|title=武田勝 Tシャツ大人気で「今なら“相田みつを”になれそう」|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/mic/2016/10/kiji/K20161014013532710.html|newspaper=Sponichi Annex| publisher=[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] | date=2016-10-14 | accessdate=2016-10-14}}</ref>。
前述した9月23日引退会見後、札幌ドームで[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]戦前の円陣で武田がチームメイトに見せた'''「俺のために優勝しろ」'''と書いた紙は、チームのみならずかつてチームメイトだったダルビッシュ有を始め、[[SNS]]等で大反響が起きた。日本ハム公式Twitterを通じて、武田はダルビッシュへ「俺のために優勝しろ」の言葉が[[印刷]]されたTシャツを作ったことを告げ「Tシャツをたくさん送る」、「ひとりのファンとしてこれからも応援する」とメッセージを送り<ref name="hamtwitm1">[https://twitter.com/FightersPR/status/781719671212953600 2016年9月30日18時57分のツィート] -日本ハム[[Twitter]]公式アカウント</ref>、ダルビッシュは感激した<ref>[https://twitter.com/faridyu/status/781720278497759233 2016年9月30日19時00分のツィート] -ダルビッシュ有Twitter公式アカウント</ref>。このTシャツは武田の引退記念グッズ第2弾として[[10月12日]]から一般販売された<ref name="sponichim8">{{cite news|title=日本ハム 武田勝名言「俺のために優勝しろ」Tシャツ発売へ」|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/10/05/kiji/K20161005013479750.html|newspaper=Sponichi Annex| publisher=[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] | date=2016-10-05 | accessdate=2016-10-05}}</ref>が即日完売、[[10月19日]]に再度販売開始という異例の売れ行きを記録<ref name="sponichim9">{{cite news|title=日本ハム「俺のために優勝しろ」Tシャツを19日から再販|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/10/13/kiji/K20161013013527590.html|newspaper=Sponichi Annex| publisher=[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] | date=2016-10-13 | accessdate=2016-10-13}}</ref>。Tシャツの大人気を受け'''「今なら[[相田みつを]]になれそうだよ」'''というコメントを残している<ref name="suponichim10">{{cite news|title=武田勝 Tシャツ大人気で「今なら“相田みつを”になれそう」|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/mic/2016/10/kiji/K20161014013532710.html|newspaper=Sponichi Annex| publisher=[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] | date=2016-10-14 | accessdate=2016-10-14}}</ref>。
Tシャツ発売前日の[[10月11日]]、札幌ドームで行われた[[クライマックスシリーズ#ファイナルステージ(旧称:第2ステージ)|CSファイナル]]の練習では、[[宮西尚生|宮西]]の求めに応じて書かれた各選手へのメッセージが入った「俺のために優勝しろ」Tシャツを着て練習<ref name="nikkanm10">{{cite news|title=日本ハム武田勝、優勝しろTシャツに直筆メッセージ|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1723190.htmll|newspaper=nikkansports.com| publisher=日刊スポーツ新聞社 | date=2016-10-12 | accessdate=2016-10-12}}</ref>。[[大谷翔平|大谷]]は「初戦が大事」とメッセージが書かれ<ref name="nikkanm11">{{cite news|title=日本ハム大谷CS完投宣言「継投だと流れ変わる」|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1723192.html|newspaper=nikkansports.com| publisher=日刊スポーツ新聞社 | date=2016-10-12 | accessdate=2016-10-12}}</ref>、10月12日の初戦は言葉通りの勝利を収めた<ref name="suponichim11">{{cite news|title=日本ハム先勝 大谷 ねじ伏せた!最速162キロ6球 7回1安打0封|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/10/12/kiji/K20161012013523250.html|newspaper=Sponichi Annex| publisher=[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] | date=2016-10-12 | accessdate=2016-10-12}}</ref>。[[有原航平|有原]]には「王手をかけろ」というメッセージを書き込んだが、実は第2戦で先発すると思い込んでのこと。実際には[[10月14日]]第3戦での先発。相手を霍乱する意味で特に訂正しなかった<ref name="sanspom3">{{cite news|title=“指令”に応えた無四球ピッチ!日本ハム・有原、快投7回1失点|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20161015/fig16101505020001-n1.html|newspaper=SANSPO.COM| publisher=サンケイスポーツ | date=2016-10-15 | accessdate=2016-10-15}}</ref>。登板前の有原に武田は「回ってきたな」と激励<ref name="houchim8">{{cite news|title=【パCS】日本ハム4年ぶり日本シリーズ王手!有原7回1失点「投げやすかった」|url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20161014-OHT1T50198.htmll|newspaper=スポーツ報知| publisher=報知新聞社 | date=2016-10-14 | accessdate=2016-10-14}}</ref>、無事勝利を挙げ有原はヒーローインタビューを通じて武田に感謝を伝えた<ref name="houchim8"></ref>。
Tシャツ発売前日の[[10月11日]]、札幌ドームで行われた[[クライマックスシリーズ#ファイナルステージ(旧称:第2ステージ)|CSファイナル]]の練習では、[[宮西尚生|宮西]]の求めに応じて書かれた各選手へのメッセージが入った「俺のために優勝しろ」Tシャツを着て練習<ref name="nikkanm10">{{cite news|title=日本ハム武田勝、優勝しろTシャツに直筆メッセージ|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1723190.htmll|newspaper=nikkansports.com| publisher=日刊スポーツ新聞社 | date=2016-10-12 | accessdate=2016-10-12}}</ref>。[[大谷翔平|大谷]]は「初戦が大事」とメッセージが書かれ<ref name="nikkanm11">{{cite news|title=日本ハム大谷CS完投宣言「継投だと流れ変わる」|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1723192.html|newspaper=nikkansports.com| publisher=日刊スポーツ新聞社 | date=2016-10-12 | accessdate=2016-10-12}}</ref>、10月12日の初戦は言葉通りの勝利を収めた<ref name="suponichim11">{{cite news|title=日本ハム先勝 大谷 ねじ伏せた!最速162キロ6球 7回1安打0封|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/10/12/kiji/K20161012013523250.html|newspaper=Sponichi Annex| publisher=[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] | date=2016-10-12 | accessdate=2016-10-12}}</ref>。[[有原航平|有原]]には「王手をかけろ」というメッセージを書き込んだが、実は第2戦で先発すると思い込んでのこと。実際には[[10月14日]]第3戦での先発。相手を霍乱する意味で特に訂正しなかった<ref name="sanspom3">{{cite news|title=“指令”に応えた無四球ピッチ!日本ハム・有原、快投7回1失点|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20161015/fig16101505020001-n1.html|newspaper=SANSPO.COM| publisher=サンケイスポーツ | date=2016-10-15 | accessdate=2016-10-15}}</ref>。登板前の有原に武田は「回ってきたな」と激励<ref name="houchim8">{{cite news|title=【パCS】日本ハム4年ぶり日本シリーズ王手!有原7回1失点「投げやすかった」|url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20161014-OHT1T50198.htmll|newspaper=スポーツ報知| publisher=報知新聞社 | date=2016-10-14 | accessdate=2016-10-14}}</ref>、無事勝利を挙げ有原はヒーローインタビューを通じて武田に感謝を伝えた<ref name="houchim8"></ref>。



2016年11月15日 (火) 14:31時点における版

武田 勝
北海道日本ハムファイターズ #38
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県名古屋市西区
生年月日 (1978-07-10) 1978年7月10日(46歳)
身長
体重
176 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト4巡目
初出場 2006年3月26日
年俸 4,000万円+出来高(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

武田 勝(たけだ まさる、1978年7月10日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手投手)。愛知県名古屋市出身。

経歴

プロ入り前

1978年、名古屋市に生まれる。「勝」の名前は、父が当時の中日ドラゴンズの若手だった宇野勝のファンだったことに由来する。父親は関西出身で大の阪神ファン、幼少時は大の中日ファンでナゴヤ球場によく足を運び、家では父と応援合戦をしたという。宇野勝や落合博満のようなホームランバッターに憧れていた[1]。上名古屋小学校4年生から部活で野球を始めた[2] 。中学時代はちょっと知られた軟式野球の投手だった[3]。浄心中学校3年の時、武田の噂を聞いて中京大中京との練習試合で名古屋に来た関東一高小倉全由監督(当時)に呼ばれて投球練習をした。しかし一球投げただけで、小倉から関東一高への進学の勧めを受ける。本人はなぜ一球だけで誘われるのか不思議だった[2](小倉は「目が澄んでいる」人間性に感動した[2])。この頃に両親が離婚するなど不安定な時期もあったが[4]、早く世に出て母を楽にさせたい一心で野球に打ち込んだ[2]。1年生ながら控え投手として甲子園へ出場したが、自分がチームの中心になるに従ってチームは弱体化。幼少時からプロ野球へ行く夢はあったが、これではプロ入りは無理と判断[3]。先輩の森谷茂から「立正大学に来ないか」と誘われて「ハイ」と応えた[2]

立正大学1年生から試合で投げていたが、自身曰く「自分以上にいい」金剛弘樹がバリバリに速い球を投げていた。「自分とはモノが違う」と思ったという[3]。2年生の春、神宮デビュー。結果6敗。試合に負けて熊谷にある合宿所に戻ると、隣のグラウンドを走ったが、とても勝てそうになかった。実は左を痛め、帽子も被れないほどだった。左の指先を鍛えるなど努力の甲斐もなく、東都2部のまま卒業[2]。 立正大学在学中、武田を応援していた専修大学野球部GM(元監督)江崎久が、当時可愛がっていたマネージャーは後にになる女性[2]

この活躍がプロのスカウトの目に留まるも2001年に立正大学を卒業後はシダックスに入社した。シダックス入社1年目に臨時コーチに来た高橋一三からフォームの指導を受けた[5]。(のちに現役を2016年9月引退時、プロで生きていける技術を教わって感謝していると話した)。入社1年後に野間口貴彦が入ってくるが、ブルペンで150km超える球をどんどん投げている姿を見て「本当に高校から来たばかりなのか」と驚いた[5]。野間口とともにエースとして活躍。 2002年秋、野村克也が監督兼GMに就任。会うなり「シュートを覚えろ、それからチェンジアップも覚えろ」と言われる。実は既にチェンジアップは投げていたが、自分のような球威ならもっと投球の幅を広げろということを指摘され、武田自身も同じことを考えていたから自分の考えを裏付けてくれた気がして嬉しかったと振り返る[5](2016年9月現役引退時、プロで生きていける基礎を教わって感謝していると話した)。 2003年都市対抗野球ではシダックスを準優勝に導いた(だが、決勝のマウンドには立ってない。自身は悔しいとか残念という気持ちはなかった[5]2003年のドラフト会議では読売ジャイアンツが野間口とともに獲得を目指していたが、野村克也から「野間口と武田が同時に抜けるのは(チームとして)困る」と発言して拒否した[6]。野村は武田に対して「(シダックス野球部を)退部してドラフトを受ける手もある」と裏技を教えたが、武田は逆に野村の気遣いを意気に感じてシダックス残留を決めた[4]。先輩投手2人がプロに行く、武田のお礼奉公の姿を山田正雄が見つけて人間性を見出し、後のドラフト指名に繋がる[2]2005年に左肘を故障して夏場まで復帰できなかったが[4]、懸命なリハビリが功を奏し、第36回IBAFワールドカップ日本代表にも選出された。2005年のドラフト会議にて、小山桂司とともに北海道日本ハムファイターズに指名され(武田は4巡目、小山は5巡目)、入団。日本ハムとの仮契約はカラオケボックス「渋谷シダックスビレッジクラブ」で行われた。

プロ入り後

2006年
3月26日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(札幌ドーム)で先発した江尻慎太郎が負傷降板したことを受けてプロ初登板を果たす。同年より楽天の監督に就任したシダックス時代の監督だった野村克也の目の前でプロ初勝利を挙げた。7月1日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(札幌ドーム)では高須洋介の打球を左手に受け、6回2/3を無安打に抑えたまま負傷降板となったが、終盤に復帰し9月27日の福岡ソフトバンクホークス戦(札幌ドーム)で5回を1失点に抑え、チームの1位通過(当時はクライマックスシリーズではなくプレーオフだった為、この時点では優勝扱いにはならず)を決定付けるなどリーグ優勝に貢献。日本シリーズ中日ドラゴンズ戦)では第3戦の先発を任され、5回0/3を1失点の投球で勝ち星を挙げ、日本一に貢献した。アジアシリーズでは台湾代表のLa Newベアーズ戦での先発を任され、7回1失点の投球で日本シリーズに続いてアジアシリーズでも勝ち星を挙げ、アジアシリーズ制覇にも貢献した。
2007年
リリーフとして開幕を迎えたが、5月27日の中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で先発に復帰し、6回2失点の投球も勝ち星は付かなかった。その後は先発で起用され、自身初の規定投球回到達を果たし、リーグ6位となる防御率2.54を記録。クライマックスシリーズ千葉ロッテマリーンズ戦)では第2戦の先発を任されるも精彩を欠く投球で1回2/3を4失点で降板となり敗戦投手となる。第4戦ではリリーフとして登板するが里崎智也に逆転となる2点本塁打を浴び、第2戦に続いて敗戦投手となる。日本シリーズ中日ドラゴンズ戦)では第3戦の先発を任されるがクライマックスシリーズと同様に精彩を欠く投球で1回を持たずに自己最短となる1/3回を5失点で降板となり敗戦投手となった。
2008年
4月29日の千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリン)で試合前の練習中に相手チームのフリー打撃の打球が左手親指に受け、その日に先発予定だった試合を回避。診断結果は左親指末節骨骨折と診断され登録抹消された[7]。復帰戦となった6月29日のオリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)で6回1失点の投球で4勝目を挙げる[8]。7月13日の福岡ソフトバンクホークス戦(札幌ドーム)では8回2失点の投球も敗戦投手となり福岡ソフトバンクホークス戦での試合では12戦目にして自身初の黒星を喫した[9]。また、福岡ソフトバンクホークス戦での自身の連勝も6連勝で途切れた[9]クライマックスシリーズ埼玉西武ライオンズ戦)では第3戦の先発を任され、5回2失点の投球で勝ち星を挙げた[10]。オフには第2回WBCの日本代表候補メンバーに選出されるも[11]、日本代表入りは果たせなかった。
2009年
オープン戦から体調を崩した影響で調整が遅れたため開幕には間に合わず二軍でのスタートとなった。今季初登板初先発となった4月16日のオリックス・バファローズ戦(札幌ドーム)で9回1失点の投球で今季初の勝ち星がプロ初完投勝利となった[12]。10月10日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(札幌ドーム)では7回2/3を1失点の投球で2年ぶりとなる規定投球回到達と自身初の二桁勝利となる10勝目を挙げた[13]クライマックスシリーズ東北楽天ゴールデンイーグルス戦)では第1戦の先発を任されるも精彩を欠く投球で6回1/3を5失点で降板となった[14]日本シリーズ読売ジャイアンツ戦)では第1戦と第6戦の先発を任されたがいずれも敗戦投手となり日本一を逃した。
2010年
6月22日の福岡ソフトバンクホークス戦(福岡Yahoo!Japanドーム)でプロ初完封勝利を記録[15]。8月22日の埼玉西武ライオンズ戦(札幌ドーム)では僅か89球の球数で9回1失点の投球で完投勝利を挙げた[16]。この試合で今季3度目の無四死球での完投勝利となり、球団としては1992年の金石昭人以来となる18年ぶりの記録となった[16]。また、7月8日 - 9月16日にかけて先発登板した試合では8連勝を記録[17]。この年は防御率・勝利数・奪三振・投球回・先発登板はいずれもキャリアハイ。防御率2.41はリーグ2位であり、14勝はチームトップの勝利数となった。
2011年
4月27日 - 5月23日にかけて先発登板した5試合全てにおいて味方打線が0点に抑えられ、5試合連続で完封負けでの敗戦投手となった[18]。これは68年ぶりプロ野球史上2人目の記録であり、2リーグ制以降では史上初の記録となった[18]。5月29日の広島東洋カープ戦(札幌ドーム)では前田健太との1-0の投手戦を制し、7回無失点の投球で4月21日以来となる勝ち星を挙げた[19]。その後も勝ち星を積み重ねて6連勝を記録[20]。自身初のオールスターゲームにも選出された。7月22日のオールスター第1戦では4回裏にオールスター初登板を果たすが1失点を喫し、5回裏には荒木雅博畠山和洋ウラディミール・バレンティン長野久義に本塁打を浴びるなど1イニング・1試合4被本塁打、1イニング8者連続被安打、1イニング8失点、1試合9失点などオールスター記録を更新してしまった[21]。オールスター明けはウィルス性胃腸炎によって発熱と吐き気に襲われたり[22]、左肘の張りによって登録抹消された[23]。この年は11勝を挙げるも12敗でリーグワーストの敗戦数となったが、ダルビッシュ有ボビー・ケッペルブライアン・ウルフの4人で、球団としては8度目となる4人の二桁勝利となった[24]
2012年
4月だけで2度の完封勝利を含む4勝を挙げるなど自身初の月間MVPを受賞するが[25]、その後は先発登板した9試合連続で勝ち星が付かず[26]、自身の誕生日である7月10日の千葉ロッテマリーンズ戦(札幌ドーム)で7回1/3を1失点の投球で10試合ぶりの勝ち星を挙げた[27]。この年も前年と同じく11勝を挙げ左投手としては球団史上初の4年連続二桁勝利を達成した[28]。また、先発登板数28試合はリーグ最多タイであり、防御率・完封数・完投数・投球回もキャリアハイだった2010年を上回る成績を残すなどチームを3年ぶりのリーグ優勝に貢献した。クライマックスシリーズ福岡ソフトバンクホークス戦)では第2戦の先発を任され、6回無失点の投球で4年ぶりとなるクライマックスシリーズでの勝ち星を挙げた[29]日本シリーズ読売ジャイアンツ戦)では第2戦と第6戦の先発を任され、第2戦では6回1失点の投球も味方打線が0点に抑えられて敗戦投手となった。この試合では10奪三振を記録し、日本シリーズ史上16人目(18度目)となる二桁奪三振を記録した[30]。第6戦では精彩を欠く投球で2回3失点で降板するも敗戦投手にはならなかったがチームは敗れて日本一を逃した。
2013年
開幕戦である3月29日の埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)で自身初の開幕投手を務めたが[31]、4回裏に先頭打者の炭谷銀仁朗を一ゴロに打ち取った際、左ふくらはぎの張りを訴えて降板となった[32]。診断結果は左ふくらはぎの筋挫傷と診断され登録抹消された[33]。復帰戦となった4月28日のオリックス・バファローズ戦(札幌ドーム)では6回無失点の投球で今季初の勝ち星を復帰戦で挙げるが[34]、その後は勝利投手の権利である5回を持たずに大量失点を喫して降板する試合が目立つなど精彩を欠く投球が続いた。そのため2009年から続いていた規定投球回到達と二桁勝利は4年で途切れた。
2014年
今季初先発から精彩を欠く投球が続き、7月8日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(コボスタ宮城)では1回だけで6失点を喫するなど1回1/3を7失点で降板。この時点で防御率が7.30になり、翌日の7月9日には登録抹消となる。その後は自身の成績不振やリリーフ左腕不足の解消のため中継ぎに配置転換された。
2015年
4月5日のオリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)で5回2失点の投球で今季初の勝ち星が278日ぶりとなる先発での勝利となった[35]。しかし、6月20日の福岡ソフトバンクホークス戦(ヤフオクドーム)では3回7失点を喫し、翌日の6月21日には登録抹消となった。
2016年
9月23日に現役引退を発表[36]。9月30日の千葉ロッテマリーンズ戦(札幌ドーム)で先発し、先頭打者の清田育宏を空振り三振に抑え、現役最後の登板を終えた[37]クライマックスシリーズ日本シリーズでは裏方としてチームに同行[38]。チームの日本一が決まると監督の栗山英樹に続いて胴上げされ、3度宙を舞った[39]

選手としての特徴

  • 投球フォームの師匠は2001年シダックスへ臨時コーチに訪れた高橋一三。現役時代は巨人、日本ハムで活躍した左腕。プロの投手コーチとしても実績をあげた。[41]その指導者の目から見ると、武田の回転は真っ向から投げ下ろすよりもスリークォーターのが向いていると判断[5]
    • 武田は高橋と出会う前は真っ向から投げ下ろすフォームだったが、高橋から腰の回転を生かせばもっといい球が行くぞと言われ、1ヶ月くらいアンダースローで投げさせられた。その後、腕を上げて投げていいよと言われて投げてみたら、しっかり下半身が使えて思ったところに投げられるようになっていたという[5]
  • 2016年9月23日引退会見後、日本ハムで2008年から2011年まで監督を務めた梨田昌孝の元に挨拶に訪れ、梨田が監督時代可動域がないほど、武田の左肘が相当に曲がっている事を思いやり、右腕で投げたらどうだと武田にアドバイスしていたことを明かした。[42]。武田を間近で見ていた増井も同じように証言している[41]
    • 原因はアマチュア時代、左肘の故障を繰り返し欠けたがそのまま皮膚固定したため。「真っすぐの握りでわざと手首を寝かすだけでボールは勝手にシュートしてくれる。ひねらなくてもいいんですよ」と本人は前向きにとらえている[43]
  • 梨田昌孝曰く「代え時が難しい投手だった。五、六回まで抑えていても急に崩れることがあったから」[41]
  • 引退会見で自らを「11年間、スピードもなく、背も筋力もなくやってきた」と話したが、実際、同僚の増井からも「体もぽやぽやで」[41]と言われるくらい筋肉がついていなかったらしい。
  • 引退までの1、2年は鎌ヶ谷で過ごすことが多くなっていたが、自分の練習を中断してまで若手選手にアドバイスしていたという[44]
  • 好調時・不調時、果ては打球を手首に受けて骨折しても表情がほとんど変わらないポーカーフェイスである。野村克也岩本勉から「(武田は)何を考えているのか全く読めない」と評されている。しかし、2013年のオフでは自らを「トークショー芸人」と称する[45]などファンサービスへの意識を抜いて高く引退試合のゲスト解説時には自分は芸人向きの性格なのかもしれないと振り返っていた。

引退

妻の陽子には「これが最後の登板になるかもしれない」と伝え、2016年9月15日に二軍戦での登板をスタンドで見せていた(9月30日札幌ドームでの引退登板もスタンドから見守り、引退登板を2回見せた)[46]。元番記者などの親しいマスコミ関係者にも気持ちを伝えた上で[47]、9月23日札幌ドームで現役引退会見に臨んだ。会見では「11年間、あっという間に駆け抜けた。幸せな時間だった」と話した[48]。1番の思い出は、オールスターとしては2016年時点でワースト記録になる1イニング4本塁打9失点の登板を挙げ、理由は「4本塁打を浴びるなんて僕らしい」と語った[49]。会見後、札幌ドームで楽天戦前の円陣に加わり、スーツからおもむろに「俺のために優勝しろ」と書いた紙を見せて、チームを鼓舞した[50]。(しかし、日本シリーズ終了後の手記によれば宮西に試合前の声だしを頼まれ、スーツ姿で面白いことを言うならこれしかないと即興で思いついたと述懐[51]「俺のために優勝しろ 武田勝」と書いた紙は日本ハムがパ・リーグ優勝を達成した9月28日までの全試合でベンチでに掲げられていた[52]が、自身はベンチに貼られることもテレビ中継に抜かれることも遠征先にも持って行かれたことも全て想定外だった[51]

  • 9月23日楽天戦前、2008年から2011年まで監督だった梨田昌孝の元に挨拶へ訪れ、将来はファイターズに貢献できるように頑張って欲しいと声をかけられたという[42]
  • 野村克也には電話で引退を報告した[53]。野村はシダックス在籍時2003年の都市対抗野球決勝戦で野間口にこだわり、武田の投入をためらい、結果日本一を逃してしまった事が心残りと話した。同時にプロでは通用しないと思っていた武田が努力と工夫で最後は勝ったと賛辞を送った[54][55]

引退試合と引退セレモニーが開かれる2016年レギュラーシーズン最終戦、9月30日の千葉ロッテマリーンズ戦では優勝が決まっている消化試合で登板したい希望と、自身がチームの優勝のために一緒に戦えない無念の気持ちを込めた言葉にチームメイトが応えた。クローザーから先発へ転向を言い渡された直後の増井浩俊には「納得いかないこともあると思うけど、我慢してやるしかない」と声をかけていた[56]。9歳違いだが2005年ドラフト同期で2016年チーム内で唯一の選手になった陽岱鋼[57]は、「怪我をした時に励ましてもらっている。優勝をプレゼントできたら格好いい」と発言[58]宮西は24日の楽天戦で右足を捻挫していたが「投げたくても投げられない人がいる。優勝争いの中で投げられる喜びを感じている」と奮闘した[59]

9月28日、西武プリンスドームで行われた埼玉西武ライオンズ戦でリーグ優勝が決まると、試合後レギュラーシーズン最終戦のセレモニーを控えた西武側に配慮して胴上げを抑えめにしていたが、選手代表で唯一胴上げ選手に選ばれた。思い入れがある背番号「38」の10の位にあたる3回胴上げされ「ファイターズの一員で良かった。自分が優勝した時よりも嬉しい」と素直に喜びを表現した。[52]。本来は優勝が決まった消化試合は、主力は休養で試合に出ないのが通例。しかし、武田勝の引退試合は「出場したい」と直訴した選手が多く、主力も出場すると栗山監督が明言した[60]。2番手で登板する増井浩俊は、自身2ケタ10勝目がかかる登板にも関わらず「先発だけの数字ではないのでどうでもいいです。勝さんと(継投の)リレーがしたい」とコメント[60]

後述する引退試合・セレモニー終了後、(ただ家にいるのも寂しいという気持ちもあって[51]「CSに帯同し、できれば力になりたい。彼らのプレーを見たい」ポストシーズンについて裏方へ回りたい自らの希望を明かし、[61]、球団は受け入れた。CSファイナルステージを勝利した後、日本シリーズでも打撃投手として役割を全うすることを誓い[62]、公言通り投げ続けた[63]。なお、打撃練習だけではなく捕手の守備練習も手伝い、野手の苦労を目の当たりにした[51]。 チームが日本一になると、ペナントレースを制した時と同様栗山監督の次に3回胴上げ。日本一で花道を飾ってもらい「最高のプレゼント。恩返しできるように頑張っていきたい」とチームメートに感謝した。入団当時の2006年と引退する2016年にチームが日本一を達成、「日本一で始まって、日本一で終わって、こんなに幸せな野球人生はない」と感慨深そうに話した[64]。後輩たちに慕われる人望の厚さ、武田自身の実直な性格を球団は評価し、将来的な指導者も視野にいれて何かしらのポストを用意[65]

引退試合

9月30日、引退試合として札幌ドームの千葉ロッテマリーンズ戦に先発。試合前のキャッチボールでは、引退を惜しむ大声援に号泣。涙を拭いながら、先頭打者を直球3球で三振を奪い、最後の登板が終わった。[66]継投した増井には「今後のファイターズを頼む」という言葉と共にボールを送った。[67]バックネット裏スタンドには、ベンチを外れた宮西有原高梨谷元が陣取り『11年間お疲れさまでした。みんなで勝さんのために優勝してやったぞ!』と記した手製の横断幕を掲げた[68]

試合終了後、チームは全員引退メモリアルグッズのTシャツに着替えて引退セレモニーを見守った。花束を渡したのは、中嶋聡GM補佐高橋打撃兼バッテリーコーチ大野宮西増井武田久。そして挨拶を行った(→全文[69])。一番最後は愛し愛された後輩たちへ再び目を真っ赤にさせて「俺のために日本一になれ」と叫び、メッセージを送った[46]。場内一周では2009年から入場テーマ曲に使われていた「1/6の夢旅人2002」を歌う樋口了一が、難病と戦う中で熊本から札幌へ駆けつけ、武田のために生熱唱を行った。なお、この日引退セレモニー中のグラウンドが初対面。楽屋ではかぶりものに磨きをかける」とお互い誓いあい握手を交わしたという[70] 。場内一周では公約通り、オカリナを披露しながら笑顔でファンに別れを告げた[71][72]。場内一周終了後、自身が後輩たちにお願いしていた願望[73]通りに(背番号「38」の1の位にあたる)8回胴上げ[74]。マウンドで後輩たちと一緒に記念撮影[75]。記念撮影の最中、突然お立ち台が登場し現役最後のヒーローインタビュー(→全文[76]))。ヒーローインタビューを担当したHTB谷口直樹アナウンサーによれば、打ち合わせする時間がなかったので全て「アドリブ」の対応だった。[77]。それでもファンの泣いている姿より笑っている姿を見る方が気持ちいい」というポリシーを完遂すべく、2013年のオフにおける公約通り[45]、急遽オカリナでドレミファソラシドと繰り返し演奏、場内を笑顔一色にした後、最後は再度「俺のために日本一になれ」と後輩に伝え、球団マスコットと記念の自撮り[78]で終了。最終戦後の記念撮影にも参加している[79]

「俺のために優勝しろ」

引退会見~クライマックスシリーズファイナルステージ

前述した9月23日引退会見後、札幌ドームで楽天戦前の円陣で武田がチームメイトに見せた「俺のために優勝しろ」と書いた紙は、チームのみならずかつてチームメイトだったダルビッシュ有を始め、SNS等で大反響が起きた。日本ハム公式Twitterを通じて、武田はダルビッシュへ「俺のために優勝しろ」の言葉が印刷されたTシャツを作ったことを告げ「Tシャツをたくさん送る」、「ひとりのファンとしてこれからも応援する」とメッセージを送り[80]、ダルビッシュは感激した[81]。このTシャツは武田の引退記念グッズ第2弾として10月12日から一般販売された[82]が即日完売、10月19日に再度販売開始という異例の売れ行きを記録[83]。Tシャツの大人気を受け「今なら相田みつをになれそうだよ」というコメントを残している[84]。 Tシャツ発売前日の10月11日、札幌ドームで行われたCSファイナルの練習では、宮西の求めに応じて書かれた各選手へのメッセージが入った「俺のために優勝しろ」Tシャツを着て練習[85]大谷は「初戦が大事」とメッセージが書かれ[86]、10月12日の初戦は言葉通りの勝利を収めた[87]有原には「王手をかけろ」というメッセージを書き込んだが、実は第2戦で先発すると思い込んでのこと。実際には10月14日第3戦での先発。相手を霍乱する意味で特に訂正しなかった[88]。登板前の有原に武田は「回ってきたな」と激励[89]、無事勝利を挙げ有原はヒーローインタビューを通じて武田に感謝を伝えた[89]

日本シリーズ

マツダスタジアムで行われた第1戦、第2戦を黒星で落とし、移動日を挟んで10月25日の第3戦、試合前の札幌ドームにダルビッシュ有から送られたサプライズ応援ビデオメッセージが流れ、スタンドが歓声に包まれた。大型ビジョンに映し出されたダルビッシュは、引退試合の日に「たくさん送る」と伝えた「俺のために優勝しろ」Tシャツを着ていた[90]。日本ハムのリーグ優勝への祝辞、ファンへの感謝と合わせて、日本ハム在籍当時共にローテーションを守った 武田を「戦友」「思い入れがある先輩」と評し、「武田勝さんが言われてますので、勝さんのためにもぜひ、日本一を強いカープから勝ち取って欲しいと思いますので頑張ってください」という言葉で締めた[91]。ダルビッシュのメッセージで再び「俺のために優勝しろ」という言葉が注目され、チームがひとつになり札幌ドームの第3戦、第4戦、第5戦を3連勝。中でも10月27日の第5戦で劇的なサヨナラ満塁ホームランを打った西川遥輝は「俺のために優勝しろ」Tシャツを着てヒーローインタビューに応えた[92]10月29日、マツダスタジアムで行われた第6戦で日本ハムは日本シリーズを制し、「俺のために日本一になれ」が現実になった[93]

人物・エピソード

  • 熱烈な『水曜どうでしょう(水どう)』ファンとして、番組の関係者と面識を持っている。
    • 自身の公式ホームページに「簡易onちゃん」を被った写真を載せているほか、『FFFFF』の企画で「タコ星人」ポンチョを着用して出演したこともある。
    • 『水どう』の同行ディレクター・藤村忠寿とは2010年オフに『FFFFF』の企画で対談しており、その際に藤村から「サラリーマンに夢を与える存在」などと評されている。
    • 試合の登場曲には『水どう』再放送版のエンディングテーマ、樋口了一の『1/6の夢旅人2002』を採用している。自身の引退セレモニーで共演し、最後はオカリナを演奏した。
    • 2013年9月に開催された『水曜どうでしょう祭り UNITE 2013』への出演を熱望したが、プロ野球のシーズン中で仙台へ遠征していたために叶わず、鶴の着ぐるみを着て平岸高台公園にて撮影されたビデオレターが会場で披露された。
    • 新作DVDが出る度に谷口直樹から届けてもらっている(なお、谷口とはプライベートでも食事に行くほど仲がいい)[77]
  • が大の苦手。2010年ヤフオクドームのソフトバンク戦で右肩にセミが止まる珍事が発生。「ミン」と鳴き返し、左手ではらいのけたもの長谷川タイムリーを打たれ降板したが、当時2年連続10勝目を挙げた[94]
  • 北海道内の町おこしに寄与する「179市町村応援大使」に2013年上ノ国町、2014年西興部村、2015年浦臼町、2016年羽幌町に任命
    • 2013年11月28日に上ノ国町を訪問した際、上ノ国町で作られたオカリナを購入。楽器経験はなく、当時はを入れてが出せる程度だったが、マイブームと公言するほどはまり、翌年のヒーローインタビューで一曲引くのが目標と公言していた[45]。3年越し、2016年引退試合のヒーローインタビューでドレミファソラシドアンコールも含めて2回演奏して目標を達成した。
  • 福岡ソフトバンクホークスの応援歌『いざゆけ若鷹軍団』を愛聴しており、携帯電話の着うたにも設定している。武田曰く「ソフトバンク戦ではこの歌が流れる7回まで頑張って投げよう」という気持ちで投球しているとのことである[要出典]。武田の対福岡ソフトバンクホークス戦では2008年 - 2010年まで負けておらず、2011年の初対戦で黒星を喫した。
  • 親しい元番記者によれば、カラオケで山根康広の『Get Along Together』を歌わせると極上[47]
  • あだなは「オヤジ」。一軍練習でのキャッチボールパートナーは武田久だった。[95]
    • 2016年3月当時、武田久との対談で若手選手へ小言として2人は「キャッチボールの重要性」を上げ、お互い「お金が取れるキャッチボール」と自負していた。[95]
    • もう一度札幌ドームで「W武田」リレーをしたい夢があったが結局果たすことができずに勝が先に引退。久は一番の思い出に「札幌ドームでリレーした時にお客さんが喜んでくれたこと。ここ数年は鎌ヶ谷でリレーすることが多くファンにヤジられていたのでもう一度札幌でリレーしたかった」と心残りのコメントを残した[96]
  • 将来の目標として「自分の背番号(38)と同じ年齢までプレーする」ことを挙げている。実際に38歳で引退し、本懐を遂げた。
  • 愛猫家であり、2016年10月現在で8歳になるスコティッシュフォールドの「みー太郎」を自宅で飼っている[97]。出会いは当時の同僚だった藤井秀悟に見せてもらった携帯電話写メールに写った真っ白い姿に一目惚れしたこと。すぐに妻と札幌狸小路のペットショップに行き購入[97]
    • みー太郎の名前の由来は、男の子で初めて抱っこした時ずっと「みー」と鳴いていたから[97]
    • ブログに掲載していたのは「自分が載るのは恥ずかしいから」[1]。ブログを自身はあまりやりたくない、自分の写真を載せたくないがみー太郎の力を借りて更新していた[97](2015年元旦で更新はストップしている)
    • 2013年7月どさんこワイドインタビューでは、ミー太郎は段ボールが好きでこだわりがあり常にストックを準備していること、ミー太郎といる時は野球を忘れてから癒されると話した。[98]
  • エニアグラム診断の結果は「母性が強いタイプ」捨てられている猫を見るとほっておけず、雨が降っていれば傘を買っておいてあげ、お腹がすいていれば餌を買ってくる。診断結果は当たっているとの自己分析を披露した(日本ハム公式YouTubeチャンネル専用番組「ロッカールームの隅から」第3回2014年3月25日出演分より)
  • 引退を決めてからは「○○(ファイターズ、みー太郎の缶詰を購入する等々)のために」というのが自分自身のキーワードになっている[97]
  • 左投げ左打ちであるが、ペンや食事は右利きであり、マイクも右手で持つ。
  • 2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地へ日本赤十字社を通じて義援金として100万円を寄付した[99]
  • 2012年からは選手会副会長に就任[100]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2006 日本ハム 29 7 0 0 0 5 2 1 5 .714 326 84.0 68 5 15 1 3 54 1 0 20 19 2.04 0.99
2007 35 18 1 0 1 9 4 0 8 .692 569 149.0 113 18 17 1 6 101 0 0 42 42 2.54 0.87
2008 20 19 1 0 0 8 7 0 0 .533 493 121.2 110 18 19 0 5 68 1 0 44 40 2.96 1.06
2009 24 23 2 0 1 10 9 0 0 .526 592 144.1 150 17 20 3 4 99 0 1 58 57 3.55 1.18
2010 26 26 3 1 3 14 7 0 0 .667 661 168.1 161 12 19 1 1 106 0 0 47 45 2.41 1.07
2011 25 25 3 0 2 11 12 0 0 .478 647 164.2 143 7 18 0 3 87 0 0 51 45 2.46 0.98
2012 28 28 4 2 2 11 7 0 0 .611 709 182.2 159 10 30 1 4 90 0 0 50 48 2.36 1.03
2013 22 22 2 0 0 8 7 0 0 .533 546 129.0 139 11 27 1 4 47 2 0 62 56 3.91 1.32
2014 25 9 0 0 0 3 4 0 2 .429 278 61.2 72 12 20 1 2 33 0 0 43 41 5.98 1.49
2015 9 9 0 0 0 3 2 0 0 .600 168 37.0 51 6 5 0 4 15 1 0 26 24 5.84 1.51
2016 1 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 1 0.1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 0.00
通算:11年 244 187 16 3 9 82 61 1 15 .573 4990 1242.2 1166 116 190 9 36 701 5 1 443 417 3.02 1.09
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

投手記録
打撃記録
節目の記録
  • 1000投球回:2012年9月18日、対オリックス・バファローズ23回戦(札幌ドーム)、4回表1死目に野中信吾を見逃し三振に打ち取り達成 ※史上330人目
その他の記録

背番号

  • 38 (2006年 - 2016年)

脚注

  1. ^ a b 「財界さっぽろ ファイターズ選手の横顔 武田勝」(2011年5月11日掲載)
  2. ^ a b c d e f g h “日本ハム・武田勝みんなに愛された「ハイ」の男”. 東スポWeb (東京スポーツ新聞社). (2016年9月29日). http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/598341/ 2016年9月29日閲覧。 
  3. ^ a b c 「非エリートの思考法「2番目で生きるための自己分析力」」『Number』2011年8月4日号、文藝春秋、42頁、雑誌26851-8/4。 
  4. ^ a b c 「男の野球道 一途な想いと感謝を胸に 武田勝」 『週刊ベースボール』2009年6月1日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20441-6/1、35-39頁。
  5. ^ a b c d e f 「非エリートの思考法「2番目で生きるための自己分析力」」『Number』2011年8月4日号、文藝春秋、44頁、雑誌26851-8/4。 
  6. ^ プロ野球ドラフト会議において、プロ野球球団が社会人チームの投手を2人以上指名する場合は、事前にその投手が所属するチームの許可が必要となる。
  7. ^ “日本ハムが骨折の武田勝に代わり宮本登録”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20080430-354316.html  2008年4月30日
  8. ^ “日本ハム武田勝6回1失点82日ぶり4勝”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20080630-377974.html  2008年6月30日
  9. ^ a b “ハム武田勝、ソフトBに初黒星”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20080714-383572.html  2008年7月14日
  10. ^ “武田勝今年は違うCS初勝利/CS”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20081020-420895.html  2008年10月20日
  11. ^ “ハムから5人の“サムライ・ジャパン””. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20081122-432285.html  2008年11月22日
  12. ^ “ハム武田勝“開幕戦”でプロ初完投勝利”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20090417-483825.html  2009年4月17日
  13. ^ “武田勝 初の10勝!規定投球回にも到達”. スポーツニッポン. http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/10/11/kiji/K20091011Z00001860.html  2009年10月11日
  14. ^ “【日本ハム】武田勝5失点「残念」/CS”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20091021-558075.html  2009年10月21日
  15. ^ “武田勝プロ初完封!最下位脱出見えた”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100623-644660.html  2010年6月23日
  16. ^ a b “武田勝、89球完投!ダル超え11勝目”. スポーツニッポン. http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/08/23/kiji/K20100823Z00002040.html  2010年8月23日
  17. ^ “ハム武田勝8連勝チーム単独トップ13勝”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100917-679516.html  2010年9月17日
  18. ^ a b “武田勝てない…5戦連続ハム0点”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110524-780254.html  2011年5月24日
  19. ^ “武田勝「今浪さんありがとうございます」”. スポーツニッポン. http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/05/29/kiji/K20110529000917520.html  2011年5月29日
  20. ^ “【日本ハム】大量援護で武田勝6連勝”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110715-805635.html  2011年7月15日
  21. ^ “武田勝悪夢1回4被弾&8連打/球宴”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110723-809282.html  2011年7月23日
  22. ^ “武田勝胃腸炎から復活4人目10勝目指す”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110823-824129.html  2011年8月23日
  23. ^ “【日本ハム】武田勝、左肘違和感で抹消”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20111011-848379.html  2011年10月11日
  24. ^ “武田勝10勝目!日本ハム4人目2桁勝利”. スポーツニッポン. http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/09/15/kiji/K20110915001627610.html  2011年9月15日
  25. ^ “館山&バレ、武田勝&稲葉が月間MVP”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120508-947415.html  2012年5月8日
  26. ^ “ハム武田勝、9戦連続勝ち星なし”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120704-977603.html  2012年7月4日
  27. ^ “34歳誕生日の武田勝 10試合、72日ぶり勝った”. スポーツニッポン. http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/07/11/kiji/K20120711003653390.html  2012年7月11日
  28. ^ “ハム武田勝快挙 球団初左腕4年連続10勝”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120912-1015618.html  2012年9月12日
  29. ^ “【日本ハム】武田勝4年ぶり勝った/CS”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20121018-1034359.html  2012年10月18日
  30. ^ “武田勝10Kも1球に泣く”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121029-1039335.html  2012年10月29日
  31. ^ “ハム武田勝8年目で初の開幕投手”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20130329-1104534.html  2013年3月29日
  32. ^ “武田勝 左ふくらはぎの張りで4回途中降板「重いものではない」”. スポーツニッポン. http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/03/29/kiji/K20130329005506360.html  2013年3月29日
  33. ^ “日本ハム・武田勝 抹消 左ふくらはぎ筋挫傷”. スポーツニッポン. http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/03/31/kiji/K20130331005512270.html  2013年3月31日
  34. ^ “【日本ハム】武田勝1勝!復帰戦6回0封”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130428-1119231.html  2013年4月28日
  35. ^ “36歳武田勝 先発278日ぶり勝利「自信になる」”. スポーツニッポン. http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/04/06/kiji/K20150406010119510.html  2015年4月6日
  36. ^ “日本ハム 武田勝が引退発表「若手を応援していく気持ちになっていた」”. スポーツニッポン. http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/09/23/kiji/K20160923013409090.html  2016年9月23日
  37. ^ “日本ハム武田勝が号泣127キロで三振「11年分」”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/1717987.html  2016年10月1日
  38. ^ “引退の日本ハム武田勝 裏方でポストシーズン同行?”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/baseball/news/1718743.html  2016年10月2日
  39. ^ “武田勝も胴上げ!3度宙に舞い「最高のプレゼント」”. スポーツニッポン. http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/10/29/kiji/K20161029013627290.html  2016年10月29日
  40. ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁頁。ISBN 978-4-930942-98-2 
  41. ^ a b c d “「素」の自分から飛躍 日本ハム・武田勝の11年間”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2016年10月4日). http://www.nikkei.com/article/DGXMZO07922480T01C16A0000000/ 2016年10月4日閲覧。 
  42. ^ a b “「肘が相当に曲がっていて」/梨田監督”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2016年9月24日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1714553.html 2016年9月24日閲覧。 
  43. ^ 二宮清純 (2013年5月13日). “「日ハム武田勝の“失うことで得られるもの”」”. 現代ビジネスプレミアム. 講談社. 2016年10月4日閲覧。
  44. ^ 「特集 お疲れさま武田勝 涙と笑いの引退セレモニー「勝さんの人望の厚さはじぶんを犠牲にしたから」」『財界さっぽろ』2016年11月号、株式会社財界さっぽろ、106頁、雑誌04015-11。 
  45. ^ a b c “武田勝の公約 来季はお立ち台でオカリナ吹く!”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2013年12月13日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/12/16/kiji/K20131216007213230.html?f 2013年12月13日閲覧。 
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  52. ^ a b “日本ハム武田勝、3回胴上げ「30日は8回」お願い”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2016年9月28日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1716942.html 2016年9月28日閲覧。 
  53. ^ 2016年9月23日2時46分のツィート -サンケイスポーツTwitter公式アカウント
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関連項目

外部リンク