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[[プレミアリーグ2008-2009|2008-09シーズン]]は12月に行われた[[FIFAクラブワールドカップ]]の[[ガンバ大阪]]戦で2ゴール、[[LDUキト]]戦で決勝ゴールを挙げるなど3得点を記録し、大会得点王とMVPを獲得した。リーグ線でもリーグ6位タイの12ゴールを挙げリーグ3連覇に貢献した。[[UEFAチャンピオンズリーグ 2008-09|UEFAチャンピオンズリーグ]]では2年連続で決勝に進出したが、[[FCバルセロナ]]に破れ準優勝に終わった。 |
[[プレミアリーグ2008-2009|2008-09シーズン]]は12月に行われた[[FIFAクラブワールドカップ]]の[[ガンバ大阪]]戦で2ゴール、[[LDUキト]]戦で決勝ゴールを挙げるなど3得点を記録し、大会得点王とMVPを獲得した。リーグ線でもリーグ6位タイの12ゴールを挙げリーグ3連覇に貢献した。[[UEFAチャンピオンズリーグ 2008-09|UEFAチャンピオンズリーグ]]では2年連続で決勝に進出したが、[[FCバルセロナ]]に破れ準優勝に終わった。 |
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[[FAプレミアリーグ2009-2010|2009-10シーズン]]には開幕戦で得点を挙げ、プレミアリーグ通算100得点を達成した。またウィガン戦でもゴールを決め、ユナイテッドでの公式戦100ゴールをマークした。しかしUEFAチャンピオンズリーグ準決勝1stレグの[[バイエルン・ミュンヘン]]戦で負傷し、[[アレックス・ファーガソン|ファーガソン]]監督は完治しないまま2ndレグでもルーニーを起用。チームはアウェーゴールの差で敗退し、自身の怪我も悪化してしまった。リーグ戦では31節までに26ゴールを記録していたが、その後は1ゴールも決めることができず、得点王もチェルシーの[[ディディエ・ドログバ]]に譲った。 |
[[FAプレミアリーグ2009-2010|2009-10シーズン]]には開幕戦で得点を挙げ、プレミアリーグ通算100得点を達成した。またウィガン戦でもゴールを決め、ユナイテッドでの公式戦100ゴールをマークした。しかしUEFAチャンピオンズリーグ準決勝1stレグの[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]戦で負傷し、[[アレックス・ファーガソン|ファーガソン]]監督は完治しないまま2ndレグでもルーニーを起用。チームはアウェーゴールの差で敗退し、自身の怪我も悪化してしまった。リーグ戦では31節までに26ゴールを記録していたが、その後は1ゴールも決めることができず、得点王もチェルシーの[[ディディエ・ドログバ]]に譲った。 |
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2010-2011シーズンは開幕から出遅れ、一時は移籍願望を表明していたものの<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/5083637/ ファーガソン:「ルーニーは移籍を望んでいる」 新天地はマンCかチェルシー?]Livedoorスポーツ 2010年10月20日</ref>、直後の2010年10月22日に2015年まで契約を延長した<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/5091289/ 退団希望のルーニー、一転して契約延長]Livedoorスポーツ 2010年10月23日</ref>。2011年2月12日の[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]とのホームでのダービーマッチにて、1-1の後半33分、右からのクロスに跳び上がってオーバーヘッドキック。ゴール右隅に蹴り込んだ。ファーガソン監督は「素晴らしいゴールは他にもあったが、見事さでは並ぶものがない」と絶賛し、ルーニーも「蹴った瞬間に自分の最高の得点になると分かった」と、自画自賛した<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/5339295/ ルーニー「生涯最高」のスーパーゴール! マンUがダービー制す]Livedoorスポーツ 2011年2月13日</ref>。このゴールはプレミアリーグ20周年を記念したベストゴール投票で1位に選ばれた<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/world/20120504/18744.html ルーニーのオーバーヘッドがプレミア史上のベストゴールに選ばれる]サッカーキング 2012年5月4日</ref>。4月2日の[[ウェストハム・ユナイテッドFC|ウェストハム]]戦でハットトリックを挙げ、ユナイテッド移籍後のプレミアリーグ通算100得点を達成した<ref>[http://www.goal.com/jp/match/49020/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%8F%E3%83%A0-vs-%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%A6%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89/report マン・U、エース3発で逆転勝ち]Goal.com 2011年4月2日</ref>。 |
2010-2011シーズンは開幕から出遅れ、一時は移籍願望を表明していたものの<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/5083637/ ファーガソン:「ルーニーは移籍を望んでいる」 新天地はマンCかチェルシー?]Livedoorスポーツ 2010年10月20日</ref>、直後の2010年10月22日に2015年まで契約を延長した<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/5091289/ 退団希望のルーニー、一転して契約延長]Livedoorスポーツ 2010年10月23日</ref>。2011年2月12日の[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]とのホームでのダービーマッチにて、1-1の後半33分、右からのクロスに跳び上がってオーバーヘッドキック。ゴール右隅に蹴り込んだ。ファーガソン監督は「素晴らしいゴールは他にもあったが、見事さでは並ぶものがない」と絶賛し、ルーニーも「蹴った瞬間に自分の最高の得点になると分かった」と、自画自賛した<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/5339295/ ルーニー「生涯最高」のスーパーゴール! マンUがダービー制す]Livedoorスポーツ 2011年2月13日</ref>。このゴールはプレミアリーグ20周年を記念したベストゴール投票で1位に選ばれた<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/world/20120504/18744.html ルーニーのオーバーヘッドがプレミア史上のベストゴールに選ばれる]サッカーキング 2012年5月4日</ref>。4月2日の[[ウェストハム・ユナイテッドFC|ウェストハム]]戦でハットトリックを挙げ、ユナイテッド移籍後のプレミアリーグ通算100得点を達成した<ref>[http://www.goal.com/jp/match/49020/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%8F%E3%83%A0-vs-%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%A6%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89/report マン・U、エース3発で逆転勝ち]Goal.com 2011年4月2日</ref>。 |
2017年8月29日 (火) 09:32時点における版
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マンチェスター・ユナイテッド時代のルーニー (2016年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ウェイン・マーク・ルーニー Wayne Mark Rooney | |||||
愛称 | Wazza | |||||
ラテン文字 | Wayne ROONEY | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イギリス ( イングランド) | |||||
生年月日 | 1985年10月24日(39歳) | |||||
出身地 | リヴァプール | |||||
身長 | 178cm[1] | |||||
体重 | 78kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | エヴァートンFC | |||||
ポジション |
FW (CF, WG, ST) MF (OMF, SMF, CMF, DMF) | |||||
背番号 | 10 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1996-2002 | エヴァートン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002-2004 | エヴァートン | 67 | (15) | |||
2004-2017 | マンチェスター・ユナイテッド | 393 | (183) | |||
2017- | エヴァートン | 2 | (2) | |||
代表歴 | ||||||
2000-2001 | イングランド U-18 | 4 | (2) | |||
2001-2002 | イングランド U-19 | 12 | (7) | |||
2002-2003 | イングランド U-20 | 1 | (0) | |||
2003-2016 | イングランド | 119 | (53) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2017年5月21日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ウェイン・マーク・ルーニー(Wayne Mark Rooney、1985年10月24日 - )は、イギリス (イングランド)・マージーサイド州リヴァプール出身のサッカー選手。プレミアリーグ・エヴァートンFC所属。ポジションはフォワード、ミッドフィルダー。
5度のリーグ優勝の他、UEFAチャンピオンズリーグおよびFIFAクラブワールドカップでも優勝を経験している。マンチェスター・ユナイテッドFC元主将であり、同クラブの歴代通算得点ランクではボビー・チャールトンの249ゴールを抜き1位(250ゴール)である。(2016年1月22日現在)。元イングランド代表で、2014年から2016年まで主将を務めていた。代表の通算出場数は歴代2位、通算得点数は歴代1位である。
クラブ経歴
エヴァートン
リヴァプール北東部に位置するクロクステスの出身[2]。1995年に地元のサッカークラブのエヴァートンFCの下部組織に入団し[3]、2002年8月17日、プレミアリーグの開幕戦に16歳と298日でトップデビューする[4]。同年10月2日、リーグカップのレックスハムAFC戦で初ゴール(2ゴール)を挙げ、当時のエヴァートンFCの最年少得点記録を16歳と342日で更新した[5]。17日後の同年10月19日、プレミアリーグのアーセナルFC戦でもゴールを挙げ、当時のプレミアリーグ最年少得点記録を16歳と360日で更新するとともに[6](2か月後の同年12月28日にジェイムズ・ミルナーが(当時16歳と309日)、2005年4月10日にジェームズ・ヴォーンが(当時16歳と271日)それぞれ記録を更新している[7])、アーセナルFCの無敗記録を30試合でストップさせている[8]。同年11月3日のリーズ・ユナイテッドAFC戦でもゴールを決め、チームのリーズのホームでの50年ぶりの勝利に貢献[9]。同年12月26日のバーミンガム・シティFC戦では初のレッドカードをもらっている[10](ちなみに、この時、イエローカードは累計で4枚貯まっている[11])。同時期にBBCスポーツによる2002年度の最優秀新人スポーツ選手に選ばれた[12]。2003年1月にプロ契約を結ぶ[13](それまでは練習生であった)。2002-03シーズンは公式戦37試合に出場し8得点を記録[11]。
2003-04シーズン、26試合に先発出場し9得点を記録した。しかしシーズン中にデイヴィッド・モイーズ監督との関係が悪化したためシーズン終了後の退団を決意し[14]、2004年8月31日、移籍金2,560万ポンド、契約期間6年間の契約の下、マンチェスター・ユナイテッドFCに移籍した[15]。
マンチェスター・ユナイテッド
2004-05シーズン、UEFA EUROでの怪我の影響によりシーズン序盤戦の試合は欠場を余儀なくされたが、2004年9月28日のUEFAチャンピオンズリーグ、オールド・トラッフォードでのフェネルバフチェSK戦に先発出場し、ハットトリックおよびアシスト1回を記録する活躍を見せてチームの勝利に貢献した[16]。この日のゴールにより、チャンピオンズリーグの最年少ハットトリック記録を18歳と335日で更新した[17]他、これ以後ルーニーがゴールを決めるとユナイテッドは必ず勝つというジンクスが1年4か月続くこととなった。19歳の誕生日となる10月24日には、無敗記録を再び49試合にまで伸ばしていたアーセナルFCとのリーグ戦にてPKおよび試合終了間際の1得点を決め、再度アーセナルの無敗記録を止めた[14]。2005年5月21日、FAカップの決勝戦にてマンチェスター・ユナイテッドFCはアーセナルFCを相手にPK戦の末敗れるも、ルーニー自身はMVPを受賞した[18]。このシーズンはイエローカードを累計で17回提示されるなどフェアプレーの観点からは課題が残ったが、個人成績の面ではチーム内で最多の通算17得点を記録し、PFA年間最優秀若手選手賞も受賞した[14]。
2005-06シーズン、チームはリーグカップで優勝し、ルーニーは決勝戦のウィガン・アスレティックFC戦で2ゴールを挙げマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた(また自身初のタイトル獲得となった)[19]。プレミアリーグ終盤の4月29日、チェルシーFCとの試合でパウロ・フェレイラと接触し右足第4中足骨ほか複数個所を骨折してシーズンを終えた[20][14]。チーム最多の18ゴール、10アシストの成績を残し、再度PFA年間最優秀若手選手賞を受賞した。
2006-07シーズン、リーグに35試合出場し14得点13アシストを記録した。ルーニーはクリスティアーノ・ロナウドらとともに若手世代の中心選手として活躍し、世代交代の影響から数年間リーグ戦での無冠が続いていたチームに4年ぶりのリーグタイトルをもたらした。
2007-08シーズン、背番号を8番から10番へ変更した。前年に続いてリーグ2連覇を達成した他、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝戦でチェルシーFCを破り優勝を果たした。
2008-09シーズンは12月に行われたFIFAクラブワールドカップのガンバ大阪戦で2ゴール、LDUキト戦で決勝ゴールを挙げるなど3得点を記録し、大会得点王とMVPを獲得した。リーグ線でもリーグ6位タイの12ゴールを挙げリーグ3連覇に貢献した。UEFAチャンピオンズリーグでは2年連続で決勝に進出したが、FCバルセロナに破れ準優勝に終わった。
2009-10シーズンには開幕戦で得点を挙げ、プレミアリーグ通算100得点を達成した。またウィガン戦でもゴールを決め、ユナイテッドでの公式戦100ゴールをマークした。しかしUEFAチャンピオンズリーグ準決勝1stレグのバイエルン・ミュンヘン戦で負傷し、ファーガソン監督は完治しないまま2ndレグでもルーニーを起用。チームはアウェーゴールの差で敗退し、自身の怪我も悪化してしまった。リーグ戦では31節までに26ゴールを記録していたが、その後は1ゴールも決めることができず、得点王もチェルシーのディディエ・ドログバに譲った。
2010-2011シーズンは開幕から出遅れ、一時は移籍願望を表明していたものの[21]、直後の2010年10月22日に2015年まで契約を延長した[22]。2011年2月12日のマンチェスター・シティとのホームでのダービーマッチにて、1-1の後半33分、右からのクロスに跳び上がってオーバーヘッドキック。ゴール右隅に蹴り込んだ。ファーガソン監督は「素晴らしいゴールは他にもあったが、見事さでは並ぶものがない」と絶賛し、ルーニーも「蹴った瞬間に自分の最高の得点になると分かった」と、自画自賛した[23]。このゴールはプレミアリーグ20周年を記念したベストゴール投票で1位に選ばれた[24]。4月2日のウェストハム戦でハットトリックを挙げ、ユナイテッド移籍後のプレミアリーグ通算100得点を達成した[25]。
2011-12シーズンは開幕戦からゴールをあげ、3節のアーセナル戦ではFK2本とPKでハットトリックを達成し、8-2の大勝を導いた。直後のボルトン戦でもハットトリックを達成した。ルーニーはこのシーズン2009-10シーズンに記録した26ゴールを更新する自己最多の27ゴールを挙げた。
2012-13シーズンのホーム最終戦のスウォンジー戦後、今シーズン限りで退団が決定したアレックス・ファーガソン監督がルーニーの移籍志願を明かした[26]。
2013-14シーズンは、新監督にデイヴィッド・モイーズが就任することが発表され、移籍の噂に拍車がかかり[27]。、多くのビッグクラブが獲得を打診するコメントを残した[28][29]。しかし、最終的にクラブへの残留が決定した。2014年2月にユナイテッドとの契約を2019年6月まで延長したことを発表[30]。2014-15シーズンからチームの主将に就任決定[31]。移籍の噂があったがロビン・ファン・ペルシやラダメル・ファルカオが移籍して残留するかたちになった。
2016年1月2日のスウォンジー戦で自身プレミアリーグ通算188得点を記録し、プレミアリーグ歴代得点ランキング2位に浮上する[32]。2016年1月17日に行われたリヴァプールFC戦でゴールを記録し、ユナイテッドでのリーグ戦通算ゴール数が、元アーセナルのティエリ・アンリ氏が保持していた、単一クラブでのプレミアリーグ最多ゴール記録を塗り替える快挙を達成している。同年11月24日のUEFAヨーロッパリーグ、フェイエノールト戦で欧州カップ戦通算得点を39とし、欧州の大会におけるクラブの最多得点記録を打ち立てた。[33]
2017年1月21日、プレミアリーグ第22節ストーク・シティ戦にて終了間際に、自身のクラブ通算250ゴール目となる直接FKを決め、ボビー・チャールトンの持つクラブ歴代最多得点記録249ゴールを更新した[34]。
エヴァートン復帰
2017年7月9日、2年契約で古巣のエヴァートンに復帰することが発表された[35]。8月12日、ストーク・シティとの開幕戦でいきなり得点を決めた。[36]
代表経歴
2003年2月12日にA代表に初招集され、2月17日のオーストラリア代表との親善試合で17歳と111日でA代表デビューした。マイケル・オーウェンの持つ18歳と59日での代表最年少出場記録を更新したが、2006年5月30日にセオ・ウォルコットが17歳と75日でその記録を更新した。同年9月6日に行われたEURO2004予選、アウェーでのマケドニア戦で17歳と317日で初ゴールを決め、イングランド代表最年少得点記録を更新した。
2004年、ポルトガルで開催されたEURO2004のイングランド代表メンバーに選出される。フランス戦、スイス戦、クロアチア戦でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれたが、準々決勝のポルトガル戦で足を骨折、チームも敗退した。[37]同大会ベストイレブンに選出されている[38]。
2006年ドイツW杯、2005-06シーズン終盤に負った怪我の影響により6月10日の初戦に出遅れるも、6月15日のトリニダード・トバゴ戦に途中出場、6月20日のスウェーデン戦に先発出場し、無得点に終わるもチームは2勝1分でBグループを首位通過。マイケル・オーウェンの膝十字靭帯の断裂により、以後1トップに固定される。7月1日の準々決勝、EURO2004で敗退を喫したポルトガルとの試合で、後半17分にリカルド・カルヴァーリョの股間を踏みつけたとして主審オラシオ・エリソンドから退場処分を受ける。試合は延長戦まで持ち込まれ、チームはPK戦の末に3対1で敗退した。
2010年 南アフリカ大会では、大会前のシーズンで自己最多26得点をあげたことや、10番を託されたこともあり大きな期待を寄せられたが、大会中は不振に悩まされ結局2大会連続無得点に終わった。また、グループリーグアルジェリア戦に引き分けた直後、ブーイングをしていたサポーターに対して「ブーイングしてくれてうれしいね。これが忠実なサポートというもんだ」と吐き捨てた[39]。
2011年10月7日、EURO2012予選G組の対モンテネグロ戦(モンテネグロ)にて、相手選手を蹴り一発退場処分を受けた[40]。これを受けてUEFAが10月13日、ルーニーに対してEURO2012本大会一次リーグ3試合全てを対象とする出場停止処分を科した[41]。12月8日、UEFAはこの処分に異議を申し立てていたルーニーの聴聞会を開き、出場停止処分を3試合から2試合に軽減した[42]。UEFA EURO 2012では出場停止が明けたグループリーグ第3戦のウクライナ戦で先発出場し、決勝点を挙げイングランドの首位通過に貢献した[43]。
2014 FIFAワールドカップではイタリア戦でアシスト、ウルグアイ戦でゴールをそれぞれ記録し、チームの全2ゴールに貢献した。
2014年11月15日のUEFA EURO 2016予選、スロベニア戦で、イングランド代表史上9人目となる通算100試合出場を、史上最年少で達成した[44][45]。またこの試合で代表通算44得点目となる同点ゴールを挙げ、得点数ではイングランド代表史上3位タイとなった[45]。
2015年9月5日のUEFA EURO 2016予選、サンマリノ戦でPKによる得点で代表通算49得点目となる先制ゴールを上げ、ボビー・チャールトンの持つイングランド代表の得点記録に並んだ[46]。またこの試合はチャールトンの通算出場数と同じ106試合目の出場であり、チャールトンと同じペースで得点を挙げたこととなった[46]。続く9月8日、UEFA EURO 2016予選のスイス戦でPKによる得点を挙げ、イングランド代表の通算得点記録を更新した[47]。試合後のロッカールームでは監督のロイ・ホジソンから記念のユニフォームが贈られた[48]。
2016年、UEFA EURO 2016本大会ではフォワードではなく、4-3-3のインサイドハーフとして出場。また、9月4日に行われた2018 FIFAワールドカップの予選のスロヴァキア戦に出場したことで代表通算試合数を116試合とし、イングランド史上単独2位、フィールドプレイヤーとしては同1位に浮上した[49]。
2017年8月23日、イングランドサッカー協会はルーニーが代表から引退することを発表した[50]。代表通算成績は119試合53得点、出場試合数は歴代2位、得点数は歴代1位となっている。
選手としての特徴・評価
プレミアリーグで時速21.74マイル(約35キロメートル)を記録したことがある。この記録はそのシーズンにおけるプレミアリーグ最速記録である[51]。
イングランド代表の監督を務めるロイ・ホジソンは「サー(ボビー・チャールトン)とウェイン・ルーニーというイングランド史上最も優れた選手2人について語っているわけだが、そのうちの1人が現役で彼を起用することができるなんて、私は非常に幸運な監督だ」と述べている[48]。
チームメイトのアンデル・エレーラもルーニーについて「イングランド史上最高の選手」と評し[52]、元イングランド代表のスティーヴン・ジェラードも「イングランドの歴史上で最も偉大な選手」と評している[53]。
リオネル・メッシはルーニーについて「1世代に1人しか生まれないような選手」「他の選手と比べようがないほどに素晴らしい」「特別な選手というのはたくさんいるが、ルーニーには抜きん出た質の高さとテクニックがある」「僕が対戦した選手の中でも抜群の運動量を誇っている強い選手だ」などと称賛している[54]。
ズラタン・イブラヒモビッチはルーニーを「完璧な選手」と評している[55][56][57]。
植毛について
2010年に投票で「最も醜いサッカー選手」に選ばれた[58]ルーニーの外見上の特徴の一つとして、頭髪の薄さが挙げられる。クリスティアーノ・ロナウドやリオ・ファーディナンド、ウェズ・ブラウンらに連日のように薄毛をからかわれ、ルーニーの誕生日にかつらをプレゼントされる、マイケル・オーウェンにTwitterで「顔は12歳児のようだけど、髪の毛は60歳」とつぶやかれる[59]など、チームメイトから日常的にネタにされていたという。
2011年6月にロンドンの有名医院にて植毛手術を行ったことをTwitterにて報告。植毛を行った理由について「25歳でハゲるつもりはなかったから」と語った[60]。植毛手術には1万ポンド(約138万円)を費やし、さらに手術後にはフォロワーに対して整髪用ジェルに関する意見を募った[61]。 このルーニーの植毛には世界中が注目し、カミングアウトした勇気を讃えるメディア、オフ期間にサッカー以外の話題で注目を浴びることへの懐疑的な意見を持つメディアのほか、この件をさらにネタにするメディアなど、反応は賛否両論であった[62]。イギリス紙ザ・サンは、「Hair we grow!(here we go!をもじったもの)」という見出しをつけて大きく報じた[63]。 余談であるが、ルーニーが植毛手術を行った直後に同じマンチェスター・ユナイテッドのライアン・ギグスが2009年に植毛手術を行ったことが明らかになった[64]。
人物
- ルーニーという父方の姓は、アイルランドにルーツをもつ[14]。ファーストネームのウェインについても同様である。
- 2003年に幼馴染のコリーン・マクローリンと婚約し、2008年に晴れて結婚した[65]。2009年11月2日に長男が[66]、2013年5月21日に二男が誕生した[67]。
- 父親は、少年サッカーのコーチだったが、叔父とともに、サッカーの試合を操作したとして逮捕されたことがある[68]。
- 弟の1人のジョン・ルーニー、従兄弟のトミー・ルーニーもサッカー選手である。
- 幼少期は後に選手として所属するエヴァートンFC のファンであり、ライバルチームのリヴァプールFCが嫌いである。そのため、ユナイテッド移籍後もアンフィールドでは激しいブーイングを受ける(もっとも、ユナイテッドとリヴァプールの間柄もライバル関係である)。
- スポーツ選手だが喫煙者であり、酔っ払って屋外で喫煙し、さらにトイレではない場所で放尿したことをマスコミにスクープされ、コカ・コーラとのスポンサー契約を一時中断する事態になった[69]。
- 2014年6月、アメリカの経済誌フォーブスは世界のアスリートの年収を公表した。ルーニーの年収は2340万ドル(約24億円)であり、世界のアスリートの中で43位、サッカー選手の中では7位[70]。
- Twitterのフォロワー数は、2014年6月現在で約916万人で、これはクリスティアーノ・ロナウド、カカ、レブロン・ジェームズ、ネイマール、ロナウジーニョに次いで6番目に多い[71]。
- 父親と叔父がボクシング経験者であった事から、少年時代はボクシングにも熱中しており、15歳の時にエヴァートンのコーチの進言でボクシングを止めてサッカーに専念する事を決断した。現在でもボクシングをやったり、観戦したりするという[72][73]。2015年3月に元チームメイトのフィル・バーズリーを自宅へ招いた際にキッチンでボクシングに興じ、ルーニーがバーズリーのパンチをもらって倒れる動画が出回った[74][75]。
- 2015年6月、アメリカの経済誌フォーブスは最新の世界のアスリートの年収ランキングを発表した。ルーニーの年収は2690万ドル(約34億円)であり、世界の7位にランクインした[76]。
- 2007年にWBA世界スーパーライト級王者にもなったプロボクサーのリッキー・ハットンと腕相撲で対戦し、勝利している[77]。
- 2017年5月14日付の英紙サンにて、1人でマンチェスター市内のカジノにて2時間で50万ポンド(約7590万円)を使ったと報じられた。ルーニーはルーレットとブラックジャックに夢中になっており、ルーレットでは1分間に4000ポンド擦ったという[78]。
- 2017年5月、ESPNは世界で最も有名なアスリート100人を発表し、31位に選出された。サッカー選手としては10位[79]。
個人成績
クラブ
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2002-03 | エヴァートン | 18 | プレミア | 33 | 6 | 3 | 2 | 1 | 0 | 37 | 8 |
2003-04 | 34 | 9 | 3 | 0 | 3 | 0 | 40 | 9 | |||
2004-05 | マンチェスター・U | 8 | 29 | 11 | 2 | 0 | 6 | 3 | 37 | 14 | |
2005-06 | 36 | 16 | 4 | 2 | 3 | 0 | 43 | 18 | |||
2006-07 | 35 | 14 | 1 | 0 | 7 | 5 | 43 | 19 | |||
2007-08 | 10 | 27 | 12 | 0 | 0 | 4 | 2 | 31 | 14 | ||
2008-09 | 30 | 12 | 1 | 0 | 2 | 1 | 33 | 13 | |||
2009-10 | 32 | 26 | 3 | 2 | 1 | 0 | 36 | 28 | |||
2010-11 | 28 | 11 | 0 | 0 | 2 | 1 | 29 | 12 | |||
2011-12 | 34 | 27 | 0 | 0 | 1 | 2 | 35 | 29 | |||
2012-13 | 27 | 12 | 1 | 0 | 3 | 3 | 31 | 15 | |||
2013-14 | 29 | 17 | 2 | 0 | 0 | 0 | 31 | 17 | |||
2014-15 | 33 | 12 | 0 | 0 | 4 | 2 | 37 | 14 | |||
2015-16 | 28 | 8 | 2 | 1 | 5 | 2 | 35 | 11 | |||
2016-17 | 25 | 5 | 4 | 0 | 2 | 1 | 31 | 7 | |||
通算 | イングランド | プレミア | 435 | 193 | 22 | 7 | 42 | 21 | 499 | 221 | |
総通算 | 435 | 193 | 22 | 7 | 42 | 21 | 499 | 221 |
代表
出場大会
- U-17イングランド代表
- 2002年 - UEFA U-17欧州選手権2002 (3位)
- イングランド代表
- 2004年 - UEFA EURO 2004 (ベスト8)
- 2006年 - 2006 FIFAワールドカップ (ベスト8)
- 2010年 - 2006 FIFAワールドカップ (ベスト16)
- 2012年 - UEFA EURO 2012 (ベスト8)
- 2014年 - 2014 FIFAワールドカップ (グループリーグ敗退)
- 2016年 - UEFA EURO 2016 (ベスト16)
試合数
国際Aマッチ 119試合 53得点(2003年-2016年)
イングランド代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2003 | 9 | 3 |
2004 | 11 | 6 |
2005 | 8 | 2 |
2006 | 8 | 1 |
2007 | 4 | 2 |
2008 | 8 | 5 |
2009 | 9 | 6 |
2010 | 11 | 1 |
2011 | 5 | 2 |
2012 | 5 | 4 |
2013 | 10 | 6 |
2014 | 13 | 8 |
2015 | 8 | 5 |
2016 | 10 | 2 |
通算 | 119 | 53 |
記録
- イングランド代表 代表デビュー 17歳111日 歴代2位
- イングランド代表 最年少得点記録 17歳317日 歴代1位
- イングランド代表 出場数 119試合 歴代 2位
- イングランド代表 得点数 53得点 歴代 1位
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2003年9月6日 | スコピエ、ピリッポス2世アレナ | 北マケドニア | 1–1 | 1–2 | UEFA EURO 2004予選 |
2 | 2003年9月10日 | マンチェスター、オールド・トラッフォード | リヒテンシュタイン | 2–0 | 2–0 | UEFA EURO 2004予選 |
3 | 2003年11月16日 | マンチェスター、オールド・トラッフォード | デンマーク | 1–0 | 2–3 | 親善試合 |
4 | 2004年6月5日 | マンチェスター、オールド・トラッフォード | アイスランド | 2–0 | 6–1 | 親善試合 |
5 | 3–0 | |||||
6 | 2004年6月5日 | コインブラ、コインブラ・シティ・スタジアム | スイス | 1–0 | 3–0 | UEFA EURO 2004 |
7 | 2–0 | |||||
8 | 2004年6月21日 | リスボン、エスタディオ・ダ・ルス | クロアチア | 1–2 | 2–4 | UEFA EURO 2004 |
9 | 1–3 | |||||
10 | 2005年8月17日 | コペンハーゲン、パルケン・スタディオン | デンマーク | 3–1 | 4–1 | 親善試合 |
11 | 2005年11月12日 | ジュネーヴ、スタッド・ドゥ・ジュネーヴ | アルゼンチン | 1–1 | 3–2 | 親善試合 |
12 | 2006年11月15日 | アムステルダム、アムステルダム・アレナ | オランダ | 0–1 | 1–1 | 親善試合 |
13 | 2007年10月13日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | エストニア | 2–0 | 3–0 | UEFA EURO 2008予選 |
14 | 2007年10月17日 | モスクワ、ルジニキ・スタジアム | ロシア | 0–1 | 2–1 | UEFA EURO 2008予選 |
15 | 2008年9月10日 | ザグレブ、スタディオン・マクシミール | クロアチア | 0–3 | 1–4 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
16 | 2008年10月12日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | カザフスタン | 3–1 | 5–1 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
17 | 4–1 | |||||
18 | 2008年10月15日 | ミンスク、ディナモ・スタジアム | ベラルーシ | 1–2 | 1–3 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
19 | 1–3 | |||||
20 | 2009年3月28日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | スロバキア | 2–0 | 4–0 | 親善試合 |
21 | 4–0 | |||||
22 | 2009年6月6日 | アルマトイ、アルマトイ・セントラル・スタジアム | カザフスタン | 0–3 | 0–4 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
23 | 2009年6月10日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | アンドラ | 1–0 | 6–0 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
24 | 3–0 | |||||
25 | 2009年9月9日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | クロアチア | 5–1 | 5–1 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
26 | 2010年9月7日 | バーゼル、ザンクト・ヤコブ・パルク | スイス | 0–1 | 1–3 | UEFA EURO 2012予選 |
27 | 2011年9月2日 | ソフィア、ヴァシル・レフスキ国立競技場 | ブルガリア | 0–2 | 0–3 | UEFA EURO 2012予選 |
28 | 0–3 | |||||
29 | 2012年6月19日 | ドネツィク、ドンバス・アリーナ | ウクライナ | 0–1 | 0–1 | UEFA EURO 2012 |
30 | 2012年10月12日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | サンマリノ | 1–0 | 5–0 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
31 | 3–0 | |||||
32 | 2012年10月17日 | ワルシャワ、ワルシャワ国立競技場 | ポーランド | 0–1 | 1–1 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
33 | 2013年2月6日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | ブラジル | 1–0 | 2–1 | 親善試合 |
34 | 2013年3月22日 | セラヴァッレ、セラヴァッレ・スタディウム | サンマリノ | 0–6 | 0–8 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
35 | 2013年3月26日 | ポドゴリツァ、スタディオン・ポド・ゴリツォム | モンテネグロ | 0–1 | 1–1 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
36 | 2013年6月2日 | リオデジャネイロ、エスタジオ・ド・マラカナン | ブラジル | 1–2 | 2–2 | 親善試合 |
37 | 2013年10月11日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | モンテネグロ | 1–0 | 4–1 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
38 | 2013年10月15日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | ポーランド | 1–0 | 2–0 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
39 | 2014年6月4日 | マイアミガーデンズ、サンライフ・スタジアム | エクアドル | 1–1 | 2–2 | 親善試合 |
40 | 2014年6月19日 | サンパウロ、アレーナ・デ・サンパウロ | ウルグアイ | 1–1 | 2–1 | 2014 FIFAワールドカップ |
41 | 2014年9月3日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | ノルウェー | 1–0 | 1–0 | 親善試合 |
42 | 2014年10月9日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | サンマリノ | 2–0 | 5–0 | UEFA EURO 2016予選 |
43 | 2014年10月12日 | タリン、ア・ル・コック・アレーナ | エストニア | 0–1 | 0–1 | UEFA EURO 2016予選 |
44 | 2014年11月15日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | スロベニア | 1–1 | 3–1 | UEFA EURO 2016予選 |
45 | 2014年11月18日 | グラスゴー、セルティック・パーク | スコットランド | 0–2 | 1–3 | 親善試合 |
46 | 1–3 | |||||
47 | 2015年3月27日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | リトアニア | 1–0 | 4–0 | UEFA EURO 2016予選 |
48 | 2015年6月14日 | リュブリャナ、スタディオン・ストジツェ | スロベニア | 2–3 | 2–3 | UEFA EURO 2016予選 |
49 | 2015年9月5日 | セラヴァッレ、セラヴァッレ・スタディウム | サンマリノ | 0–1 | 0–6 | UEFA EURO 2016予選 |
50 | 2015年9月8日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | スイス | 1–0 | 2–0 | UEFA EURO 2016予選 |
51 | 2015年11月17日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | フランス | 2–0 | 2–0 | 親善試合 |
52 | 2016年5月27日 | サンダーランド、スタジアム・オブ・ライト | オーストラリア | 2–0 | 2–1 | 親善試合 |
53 | 2016年6月27日 | ニース、スタッド・ド・ニース | アイスランド | 1–0 | 1–2 | UEFA EURO 2016 |
タイトル
クラブ
- プレミアリーグ:5回 (2006-07, 2007-08, 2008-09, 2010-11, 2012-13)
- フットボールリーグカップ:3回 (2006, 2009, 2010, 2017)
- FAカップ:1回 (2015-16)
- FAコミュニティ・シールド:4回 (2007, 2010, 2011, 2013, 2016)
- UEFAチャンピオンズリーグ:1回 (2007-08)
- FIFAクラブワールドカップ:1回 (2008)
- UEFAヨーロッパリーグ:1回 (2016-17)
個人
- BBC年間若手最優秀スポーツ選手賞:1回 (2002)
- FIFPro年間若手最優秀選手賞:1回 (2003-04)
- FIFAクラブワールドカップ得点王:1回 (2008)
- FIFAクラブワールドカップMVP:1回 (2008)
- PFA年間最優秀若手選手賞:2回 (2004-05, 2005-06)
- PFA年間最優秀選手賞:1回 (2009-10)
- PFA年間ベストイレブン:2回 (2006, 2012)
- サー・マット・バスビー賞:1回 (2005-06)
- プレミアリーグ月間最優秀選手:4回 (2005年2月, 2005年12月, 2006年3月, 2007年11月)
- ゴールデンボーイ賞:1回 (2004)
著書
- 『悪童自伝 物語は始まったばかり』(武田ランダムハウスジャパン、2007年、ISBN 978-4270002278)
脚注
出典
- ^ a b “ウェイン・ルーニー”. ゲキサカ. 2017年3月21日閲覧。
- ^ “Wayne Rooney” (英語). 2011年9月14日閲覧。
- ^ “Is Rooney the new Pele?” (英語). 2004年6月23日閲覧。
- ^ “Tottenham 17/08/2002 15:00” (英語). 2002年8月17日閲覧。
- ^ “Wrexham 0-3 Everton” (英語). 2002年10月2日閲覧。
- ^ “Arsenal 19/10/2002 15:00” (英語). 2002年10月19日閲覧。
- ^ “Rooney joins Ton Up club” (英語). 2010年2月2日閲覧。
- ^ “Rooney ends Arsenal's run” (英語). 2002年10月19日閲覧。
- ^ “Rooney sinks Leeds” (英語). 2002年11月3日閲覧。
- ^ “Rooney off in stalemate” (英語). 2002年12月26日閲覧。
- ^ a b “Games played by Wayne Rooney in 2002/2003” (英語). 2011年4月6日閲覧。
- ^ “Rooney voted top youngster” (英語). 2002年12月8日閲覧。
- ^ “Rooney quietly joins the big time” (英語). 2003年1月18日閲覧。
- ^ a b c d e ウェイン・ルーニー『悪童自伝:物語は始まったばかり』西竹徹・田島大、ランダムハウス講談社、2007年。ISBN 978-4-270-00227-8。
- ^ “Manchester United plc Report & Accounts 2005” (英語). 2012年3月16日閲覧。
- ^ “Man Utd 6-2 Fenerbahce” (英語). 2012年3月16日閲覧。
- ^ “Michael Owen is three and easy with his third Champions League treble – here's Sportsmail's list of hat-trick heroes, including Alan Shearer, Andy Cole and Mike Newell” (英語). 2013年7月2日閲覧。
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- ^ “Man Utd ease to Carling Cup glory” (英語). 2012年3月16日閲覧。
- ^ “Curse of the metatarsal: John Terry set to join Wayne Rooney and David Beckham on long list of England's broken foot victims” (英語). 2012年3月16日閲覧。
- ^ ファーガソン:「ルーニーは移籍を望んでいる」 新天地はマンCかチェルシー?Livedoorスポーツ 2010年10月20日
- ^ 退団希望のルーニー、一転して契約延長Livedoorスポーツ 2010年10月23日
- ^ ルーニー「生涯最高」のスーパーゴール! マンUがダービー制すLivedoorスポーツ 2011年2月13日
- ^ ルーニーのオーバーヘッドがプレミア史上のベストゴールに選ばれるサッカーキング 2012年5月4日
- ^ マン・U、エース3発で逆転勝ちGoal.com 2011年4月2日
- ^ ルーニーはやはり移籍を希望、ファーガソンが認めるGoal.com 2013年5月13日
- ^ ファン・ペルシーとウェルベックが2点ずつを挙げ、マンチェスター・Uが開幕戦勝利! 香川は出場せずゲキサカ
- ^ チェルシーがルーニー獲得オファーを認めるゲキサカ
- ^ ベンゲル:「ルーニーの給料は払える」ゲキサカ
- ^ いろいろ言われましたが…ルーニーが契約延長に合意ゲキサカ
- ^ http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/08/13/kiji/K20140813008736910.html スポニチ Sponichi Annex 2014年8月13日
- ^ ルーニーが通算188得点目を記録! プレミアの歴代得点ランキング2位に浮上フットボールチャンネル(2016年1月3日) 2016年1月16日閲覧
- ^ ELでゴール決めたルーニー、欧州の大会におけるクラブの歴代最多得点者にフットボールチャンネル(2016年11月25日) 2016年11月28日閲覧
- ^ 負けないマンチェスター・U!ルーニーのクラブ歴代最多得点でストークにドロー/プレミアリーグ第22節Goal.com(2017年1月22日) 2017年1月26日閲覧
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- ^ “ルーニーが100キャップ到達…9人目の快挙に「素晴らしい気分」”. サッカーキング (2014年11月16日). 2014年11月16日閲覧。
- ^ a b “サッカー=イングランド代表ルーニー、最年少で100試合出場”. ロイター (2014年11月16日). 2014年11月16日閲覧。
- ^ a b “ルーニーがイングランド代表最多得点数に並ぶ…45年ぶりの更新に王手”. SOCCER KING (2015年9月6日). 2015年9月6日閲覧。
- ^ “初ゴールから12年…最多得点記録更新のルーニー「夢が叶った」”. SOCCER KING (2015年9月9日). 2015年9月10日閲覧。
- ^ a b “ホジソン監督が新記録達成のルーニーに賛辞「英国史上最高の選手」”. SOCCER KING (2015年9月9日). 2016年5月26日閲覧。
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- ^ “今季プレミアのスピード王は? 昨季は時速35kmのルーニーがトップ”. SOCCER KING (2016年1月21日). 2016年5月26日閲覧。
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- ^ “偉業達成のルーニーをメッシが称賛「彼のような選手は他にいない」”. SOCCER KING (2015年9月11日). 2016年5月26日閲覧。
- ^ “ルーニーはイブラお墨付きの世界No.1ストライカー! 「他にいるなら教えてくれ」”. theWORLD (2017年1月23日). 2017年1月26日閲覧。
- ^ “ルーニーを絶賛するイブラヒモビッチ「彼のようなFWが他にいるなら言ってみろ!」”. Goal.com (2017年1月23日). 2017年1月26日閲覧。
- ^ “「彼は完璧な選手」 イブラがルーニーを絶賛「いくら褒めても足りないね」”. サッカーキング (2016年11月26日). 2017年1月26日閲覧。
- ^ “「最も醜いサッカー選手」はルーニー?W杯投票サイト”. AFPBB News(日本語) (2010年7月8日). 2011年6月7日閲覧。
- ^ “ルーニー、やっぱり気にしていた!”. nikkansports.com (2011年5月9日). 2011年6月7日閲覧。
- ^ “頭髪の薄さが悩みのルーニーが激白「みんな、植毛をしたぜ」”. SOCCER KING (2011年6月4日). 2011年6月4日閲覧。
- ^ “ルーニー植毛手術138万円!写真近日公開”. nikkansports.com (2011年6月6日). 2011年6月7日閲覧。
- ^ “ルーニーが植毛成功頭をツイッターで公開”. nikkansports.com (2011年6月7日). 2011年6月7日閲覧。
- ^ “ルーニー植毛成功「Hair we grow!」”. AFPBB.com (2011年6月5日). 2011年6月7日閲覧。
- ^ “ギグス、2年前に植毛手術受けていた”. サンケイスポーツ (2011年6月10日). 2011年6月11日閲覧。
- ^ “ルーニー マクローリンさんとジェノバで挙式”. AFPBB News(日本語) (2008年6月13日). 2009年6月23日閲覧。
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- ^ “ルーニーに第2子が誕生”. APF BBニュース (2013年5月22日). 2013年5月22日閲覧。
- ^ サッカー八百長疑惑、W杯予選も捜査 日本の試合も監視 朝日新聞 2013年02月11日閲覧
- ^ “ルーニー、喫煙&路上放尿…カペロご立腹”. サンケイスポーツ (2010年8月7日). 2010年10月8日閲覧。
- ^ The World's Highest-Paid Athletes Forbes.com 2014年6月発表。
- ^ The World Cup Reminds Everyone That Soccer Players Are The Most Popular Athletes HUFF POST 2014年6月30日閲覧。
- ^ ルーニー、14歳の時にサッカーを辞めようとしていた。翻意のきっかけは恩師の言葉「またフットボールを愛せるようになった」 フットボールチャンネル 2015年1月26日閲覧。
- ^ MAN UTD'S ROONEY: BOXING BACKGROUND HELPS ME tribal football 2015年1月26日閲覧。
- ^ ルーニー、自宅キッチンでのボクシングでKO? 友人撮影のビデオが流出 Goal.com 2015年9月2日閲覧
- ^ ルーニーのノックダウン、バーズリー夫人は「ふりをしていた」と明かす フットボールチャンネル 2015年9月2日閲覧
- ^ 米経済誌発表のスポーツ選手長者番付…C・ロナウドがサッカー界のトップに
- ^ ルーニー ピッチ外での危険行為 JSPORTS 2015年3月16日
- ^ ルーニー、カジノで7500万円惨敗 英紙が報じる 日刊スポーツ 2017年5月14日
- ^ ESPN World Fame 100 ESPN.com 2017年6月10日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 公式サイト
- WayneRooney (@WayneRooney) - X(旧Twitter)
- fifa.com
- manutd.jp
- 「悪童自伝」ランダムハウス講談社