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「ドラム缶女性焼殺事件」の版間の差分

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:[[瀬戸市]][[北白坂町]]内にある「[[東京大学]][[大学院]]農学部生命科学研究科附属[[演習林]] 愛知演習林」内(殺害・死体損壊現場)<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>
:[[瀬戸市]]の山中(殺害現場)
::[[西加茂郡]][[藤岡町 (愛知県)|藤岡町]]西市野々(現・[[豊田市]]藤岡町西市野々)<ref group="新聞" name="毎日新聞2000-04-09"/>との市町境に近く、藤岡町北部のキャンプ場「郡民の森」から南西約1.6キロメートルに位置する山中<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08 夕刊"/><ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-09"/>
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|開始時刻= 午前0時30分頃(襲撃・拉致時刻)<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>
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|概要=債権の取り立てに失敗した男ら6人が、債務者の妻とその妹を拉致し、山中で[[ガソリン]]をかけて焼き殺した。
|概要=債権の取り立てに失敗した男ら6人が、債務者の妻とその妹を拉致し、山中で[[ガソリン]]をかけて焼き殺した。
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|武器= 以下の没収物品
:角材1本(平成12年押収第408号の1)<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>
:チェーンソー1台(平成12年押収第408号の3)<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>
:金槌1本(平成12年押収第408号の4)<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>
:ドラム缶2缶(名古屋地検平成12年領第1549号の18,19)<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>
|攻撃人数=6人
|攻撃人数=6人
|標的=債務者の男性A
|標的=債務者の被害者男性A
:事件当時56歳・名古屋市千種区振甫町2丁目在住<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-04"/>、名古屋市[[中村区]][[名駅]]付近で喫茶店を経営<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-11"/>
|死亡=2人(男性の妻B子・妻の妹C子)
|死亡=Aの親族女性計2人
|負傷=1人(男性A)
:男性Aの妻B(事件当時65歳)
|犯人=男6人(主犯格はN・Kの2人、共犯者W・X・Y・Zの4人)
:喫茶店従業員の義妹C(事件当時59歳、Aの妻Bの妹)
|負傷=男性1人
:男性A
|犯人=男6人
:主犯格はN・Kの2人
:共犯者W・X・Y・Zの4人
|動機=借金返済を巡るトラブル
|動機=借金返済を巡るトラブル
|謝罪= 全員が公判にて謝罪・反省の意を示す
|謝罪=
|対処=[[逮捕 (日本法)|逮捕]]・[[起訴]]
|対処=[[逮捕 (日本法)|逮捕]]・[[起訴]]
|管轄=[[愛知県警察]][[千種警]]
|管轄=[[千種警察署|愛知県千種警察]]<br>[[名古屋地方検]]
|刑事訴訟=主犯格2人(N・K)は[[日本における死刑|死刑]]([[日本における被死刑執行者の一覧|執行済み]])<br>殺害・死体損壊実行犯2人(W・X)は[[無期懲役]]<br>その他共犯者2人(Y・Z)は懲役12年
|刑事訴訟=主犯格2人(N・K)は[[日本における死刑|死刑]]([[日本における被死刑執行者の一覧|執行済み]])<br>殺害・死体損壊実行犯2人(W・X)は[[無期懲役]]<br>その他共犯者2人(Y・Z)は懲役12年
}}
}}
'''ドラム缶女性焼殺事件'''(ドラムかんじょせいしょうさつじけん)とは、[[2000年]]([[平成]]12年)[[4月4日]]未明、[[愛知県]][[名古屋市]][[千種区]][[振甫町]]2丁目の路上で女性2人が拉致され<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-04">『[[中日新聞]]』2000年4月4日夕刊第一社会面13面「妻と従業員監禁か 夫を殴り車ごと奪う 未明の千種 男2人逮捕」</ref><ref group="新聞">『[[東京新聞]]』2000年4月4日夕刊第二社会面10面「車奪われ妻ら不明 名古屋 2容疑者逮捕、行方追及」</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-05">『中日新聞』2000年4月5日朝刊第二社会面30面「千種区の連れ去り 2女性、依然不明 新たに1人を逮捕」</ref>、同県[[瀬戸市]][[北白坂町]]の山中で焼き殺された[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]・[[死体遺棄|死体損壊]]事件である<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08"/><ref group="新聞">『中日新聞』2000年4月11日朝刊第一社会面33面「千種・連れ去り 主犯格の男2人逮捕 2女性の殺害を指示」</ref><ref group="新聞">『中日新聞』2000年5月3日朝刊第一社会面31面「強盗殺人で6人再逮捕 千種の2人連れ去り 焼殺し遺体を切断」</ref>。

'''ドラム缶女性焼殺事件'''(ドラムかんじょせいしょうさつじけん)とは、[[2000年]]([[平成]]12年)4月4日未明、[[愛知県]][[名古屋市]][[千種区]][[振甫町]]2丁目の路上で女性2人が拉致され<ref name="中日20000404">『[[中日新聞]]』2000年4月4日夕刊社会面13面「妻と従業員監禁か 夫を殴り車ごと奪う 未明の千種 男2人逮捕」<br>『[[東京新聞]]』2000年4月4日夕刊第二社会面10面「車奪われ妻ら不明 名古屋 2容疑者逮捕、行方追及」</ref><ref name="中日20000405">『中日新聞』2000年4月5日朝刊第二社会面30面「千種区の連れ去り 2女性、依然不明 新たに1人を逮捕」</ref>、同県[[瀬戸市]]内の山中で焼き殺された[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]・[[死体遺棄|死体損壊]]事件である<ref name="中日20000408"/><ref>『中日新聞』2000年4月11日朝刊社会面33面「千種・連れ去り 主犯格の男2人逮捕 2女性の殺害を指示」</ref><ref>『中日新聞』2000年5月3日朝刊社会面31面「強盗殺人で6人再逮捕 千種の2人連れ去り 焼殺し遺体を切断」</ref>。


== 加害者 ==
== 加害者 ==
;元死刑囚N(Sに改姓)
;元死刑囚N(2009年1月29日に死刑執行。死刑確定後、イニシャル「S」に改姓)
: [[1969年]]([[昭和]]44年)10月17日生まれ<ref group="書籍" name="年報・死刑廃止2017 p.192">{{Harvnb|インパクト出版会|2017|pages=192}}</ref>。[[2009年]](平成21年)[[1月29日]]、[[監]][[名古屋拘置所]]で共犯[[死刑囚]]Kとともに死刑が執行された({{没年齢|1969|10|17|2009|1|29}})<ref name="中日20090129"/>。
: [[1969年]]([[昭和]]44年)10月17日生まれ<ref group="書籍" name="年報・死刑廃止2009 p.304">{{Harvnb|年報・死刑廃止|2009|pages=304}}</ref>。[[2009年]](平成21年)[[1月29日]]、収[[名古屋拘置所]]で共犯[[死刑囚]]Kとともに[[日本における被死刑執行者の一覧|死刑が執行された]]({{没年齢|1969|10|17|2009|1|29}})<ref group="新聞" name="中日新聞2009-01-29"/>。
: 犯行当時30歳、愛知県[[春日井市]](Kと同所)在住<ref name="中日20000718"/>、[[中古車]][[自動車販売店|販売]]手伝い<ref name="中日20090129"/>。
: 犯行当時30歳、愛知県[[春日井市]]明知町(Kと同所)在住<ref group="新聞" name="中日新聞2000-07-18"/>、[[中古車]][[自動車販売店|販売]]手伝い<ref group="新聞" name="中日新聞2009-01-29"/>。金融業を営む実父が犯行のきっかけとなった被害者Aの約束手形取立を依頼した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-09"/>。『中日新聞』では指名手配時に「上杉宏次郎」という名前で報道されたが<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08"/>、これは[[取り込み詐欺]]を行うために設立した自動車部品販売会社「シムス」で使用していた偽名だった<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。
: 刑事裁判でKとともに主犯格と認定されて死刑を求刑され<ref name="中日20011121"/>、第一審([[名古屋地方裁判所|名古屋地裁]]、2002年2月21日)<ref name="中日20020221"/>・控訴審([[名古屋高等裁判所|名古屋高裁]]、2003年3月12日)ともに求刑通り死刑判決を受けた<ref name="中日20030312"/>。2006年6月9日に[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第二[[小法廷]]で上告棄却され<ref name="中日20060609"/>、死刑が確定した。
: 刑事裁判で被告人Kとともに主犯格と認定されて死刑を求刑され<ref group="新聞" name="中日新聞2001-11-21"/>、第一審([[名古屋地方裁判所|名古屋地裁]]、2002年2月21日)<ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-21"/>・控訴審([[名古屋高等裁判所|名古屋高裁]]、2003年3月12日)ともに求刑通り死刑判決を受けた<ref group="新聞" name="中日新聞2003-03-12"/>。2006年6月9日に[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第二[[小法廷]]で上告棄却の判決が言い渡され<ref group="新聞" name="中日新聞2006-06-09"/>、2006年7月6日付で判決訂正申立書棄却決定により正式に一・二審の死刑判決が確定した<ref group="法務省" name="法務省会見"/>
;元死刑囚K
;元死刑囚K(2009年1月29日に死刑執行)
: [[1964年]](昭和39年)3月23日生まれ<ref group="書籍" name="年報・死刑廃止2017 p.192"/>。2009年1月29日、収監先・名古屋拘置所で共犯死刑囚Nとともに死刑が執行された({{没年齢|1964|3|23|2009|1|29}})<ref name="中日20090129"/>。
: [[1964年]](昭和39年)3月23日生まれ<ref group="書籍" name="年報・死刑廃止2009 p.304"/>。2009年1月29日、収監先・名古屋拘置所で共犯死刑囚Nとともに死刑が執行された({{没年齢|1964|3|23|2009|1|29}})<ref group="新聞" name="中日新聞2009-01-29"/>。
: 犯行当時36歳、愛知県春日井市(Nと同所)在住<ref name="中日20000718"/>、中古車販売業<ref name="中日20090129"/>。
: 犯行当時36歳、愛知県春日井市明知町(Nと同所)在住<ref group="新聞" name="中日新聞2000-07-18"/>、中古車販売業<ref group="新聞" name="中日新聞2009-01-29"/>。
: 16歳のころ、オートバイに乗車していた際に交通事故を起こして右下肢切断の傷害を負い、それ以降は右足に義足を装着していた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。死刑囚K自身、死刑執行直前の2009年1月12日付けの[[参議院議員]]・[[福島瑞穂]]宛の手紙に「少年時の事故で右足が義足だ」と綴っていた<ref group="書籍" name="命の灯 p.67">{{Harvnb|命の灯|2009|pages=67}}</ref>。その事故以来、周囲の人物には義足を装着していることを隠し、運送会社で勤務していた頃から「俺は元暴力団組員で、右足が不自由なのは抗争事件の時に負傷したからだ」と嘘をついて虚勢を張り、自己の強さを誇示していた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。
: 刑事裁判でNとともに主犯格と認定されて死刑を求刑され<ref name="中日20011121"/>、第一審([[名古屋地方裁判所|名古屋地裁]]、2002年2月21日)<ref name="中日20020221"/>・控訴審([[名古屋高等裁判所|名古屋高裁]]、2003年3月12日)ともに、求刑通り死刑判決を受けた<ref name="中日20030312"/>。2006年6月9日に最高裁第二小法廷で上告が棄却され<ref name="中日20060609"/>、死刑が確定した。
: 刑事裁判で被告人Nとともに主犯格と認定されて死刑を求刑され<ref group="新聞" name="中日新聞2001-11-21"/>、第一審([[名古屋地方裁判所|名古屋地裁]]、2002年2月21日)<ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-21"/>・控訴審([[名古屋高等裁判所|名古屋高裁]]、2003年3月12日)ともに、求刑通り死刑判決を受けた<ref group="新聞" name="中日新聞2003-03-12"/>。2006年6月9日に最高裁第二小法廷で上告棄却の判決が言い渡され<ref group="新聞" name="中日新聞2006-06-09"/>、2006年7月6日付で判決訂正申立書棄却決定により正式に一・二審の死刑判決が確定した<ref group="法務省" name="法務省会見"/>。
;受刑者W
;受刑者W(死刑求刑に対し無期懲役判決が確定)
: 犯行当時40歳、愛知県春日井市(X・Yと同所)在住、自動車部品販売会社社長<ref name="中日20000405"/><ref name="中日20000408"/><ref name="中日20000718"/>。Xの実兄(M姓)<ref name="中日20000408"/>。
: 犯行当時40歳、愛知県春日井市柏原町5丁目(X・Yと同所)在住<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-05"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-09"/>、自動車部品販売会社「シムス」<ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-20 判決要旨"/>社長<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-05"/><ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08"/><ref group="新聞" name="中日新聞2000-07-18"/>。Xの実兄(イニシャル「M」姓)で<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08"/>、実弟Xとは一時期[[養子縁組]]していた<ref group="新聞" name="毎日新聞2000-04-09"/>。
: N・K・Xとともに殺害現場に居合わせ、被害者2人の殺害・死体損壊を実行した。
: N・K・Xとともに殺害現場に居合わせ、被害者2人の殺害・死体損壊を実行した。事件前は多額の借金を抱えており、逮捕直後には『[[毎日新聞]]』記者にWの知人らから「納入した自動車部品の費用を滞納していた」「暴力団関係者と付き合いがあったKには頭が上がらない様子だった。WはKから金を借りていたのかもしれない」などの証言が寄せられた<ref group="新聞" name="毎日新聞2000-04-09"/>。
: 死刑求刑に対し<ref name="中日20011018"/>、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)<ref name="中日20020219"/>・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに無期懲役判決を受け<ref name="中日20030619"/>、2004年2月に最高裁第三小法廷で上告棄却決定がなされたことにより、判決が確定した<ref name="朝日20040206"/>。
: 死刑求刑に対し<ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-18"/>、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)<ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-19"/>・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに無期懲役判決を受け<ref group="新聞" name="中日新聞2003-06-19"/>、2004年2月3日付で最高裁第三小法廷で上告棄却決定がなされたことにより、一・二審の無期懲役判決が確定した<ref group="新聞" name="朝日新聞2004-02-06"/>。
;受刑者X
;受刑者X(死刑求刑に対し無期懲役判決が確定)
: 犯行当時37歳、愛知県春日井市(W・Yと同所)在住、自動車部品販売会社従業員<ref name="中日20000405"/><ref name="中日20000408"/><ref name="中日20000718"/>。Wの実弟で<ref name="中日20000408"/>、逮捕直後は兄Wと同じくM姓と報道されたが<ref name="中日20000405"/>、その後の報道ではS姓と報道された<ref name="中日20000408"/>。
: 犯行当時37歳、愛知県春日井市柏原町5丁目(W・Yと同所)在住、自動車部品販売会社従業員<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-05"/><ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08"/><ref group="新聞" name="中日新聞2000-07-18"/>。Wの実弟で<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08"/>、逮捕直後の『中日新聞』報道では兄Wと同じくイニシャル「M」姓と報道されたが<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-05"/>、その後の報道ではイニシャル「S」姓と報道された<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08"/>。これは、事件前に実兄Wと養子縁組をして同じ「M」姓を名乗っていたためで、事件発生までに養子縁組が解消したため「S」姓に戻っていたが、その後も通称として「M」姓を名乗り続けていた<ref group="新聞" name="毎日新聞2000-04-09"/>。
: N・K・Wとともに殺害現場に居合わせ、被害者2人の殺害には関与しなかったが、Wとともに死体損壊を実行した。
: N・K・Wとともに殺害現場に居合わせ、被害者2人の殺害には関与しなかったが、Wとともに死体損壊を実行した。
: 死刑求刑に対し<ref name="中日20011018"/>、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)<ref name="中日20020219"/>・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに無期懲役判決を受け<ref name="中日20030619"/>、2004年2月最高裁第三小法廷で上告棄却決定がなされたことにより、判決が確定した<ref name="朝日20040206"/>。
: 死刑求刑に対し<ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-18"/>、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)<ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-19"/>・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに無期懲役判決を受け<ref group="新聞" name="中日新聞2003-06-19"/>、2004年2月3日付で最高裁第三小法廷で上告棄却決定がなされたことにより、一・二審の無期懲役判決が確定した<ref group="新聞" name="朝日新聞2004-02-06"/>。
;受刑者Y(出所済み?)
;受刑者Y(懲役15年求刑に対し懲役12年判決が確定。2018年時点で出所済み?)
: 犯行当時45歳、愛知県春日井市(W・Xと同所)在住、会社役員<ref name="中日20000404"/><ref name="中日20000718"/>。
: 犯行当時45歳、愛知県春日井市柏原町5丁目(W・Xと同所)在住、会社役員<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-04"/><ref group="新聞" name="中日新聞2000-07-18"/>。
: 事件前の殺害謀議<ref name="中日20000427"/>、被害者らの襲撃・拉致に関与したが、殺害現場に向かう途中でZとともに逮捕された<ref name="中日20011002"/><ref name="中日20011018"/>。
: 事件前の殺害謀議<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-27"/>、被害者らの襲撃・拉致に関与したが、殺害現場に向かう途中でZとともに逮捕された<ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-02"/><ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-18"/>。
: 懲役15年の求刑に対し<ref name="中日20011018"/>、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)<ref name="中日20020219"/>・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに懲役12年判決を受け<ref name="中日20030619"/>、2004年2月最高裁第三小法廷で上告棄却決定がなされたことにより判決が確定した<ref name="朝日20040206"/>。
: 懲役15年の求刑に対し<ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-18"/>、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)<ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-19"/>・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに懲役12年判決を受け<ref group="新聞" name="中日新聞2003-06-19"/>、2004年2月3日付で最高裁第三小法廷で上告棄却決定がなされたことにより一・二審の懲役12年判決が確定した<ref group="新聞" name="朝日新聞2004-02-06"/>。
;受刑者Z(出所済み?)
;受刑者Z(懲役15年求刑に対し懲役12年判決が確定。2018年時点で出所済み?)
: 犯行当時28歳、愛知県[[岡崎市]]出身<ref name="中日20000404"/><ref name="中日20000718"/>。
: 犯行当時28歳、愛知県[[岡崎市]]出身<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-04"/><ref group="新聞" name="中日新聞2000-07-18"/>。
: 事件前の殺害謀議<ref name="中日20000427"/>、被害者らの襲撃・拉致に関与したが、殺害現場に向かう途中でYとともに逮捕された<ref name="中日20011002"/><ref name="中日20011018"/>。
: 事件前の殺害謀議<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-27"/>、被害者らの襲撃・拉致に関与したが、殺害現場に向かう途中でYとともに逮捕された<ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-02"/><ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-18"/>。
: 懲役15年の求刑に対し<ref name="中日20011018"/>、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)<ref name="中日20020219"/>・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに懲役12年判決を受け<ref name="中日20030619"/>、上告期限の7月3日までに上告しなかったために判決が確定した<ref name="朝日20040206"/>。
: 懲役15年の求刑に対し<ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-18"/>、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)<ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-19"/>・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに懲役12年判決を受け<ref group="新聞" name="中日新聞2003-06-19"/>、上告期限の2003年7月3日までに上告しなかったために一・二審の懲役12年判決が確定した<ref group="新聞" name="朝日新聞2004-02-06"/>。

== 事件に至るまで ==
主犯格の元死刑囚Kは、[[1989年]](平成元年)頃 - [[1992年]](平成4年)7月と[[1994年]](平成6年)5月 - [[1996年]](平成8年)2月の計2回にわたり、愛知県小牧市内の運送会社にトラック運転手として勤務しており、その時に共犯N・従犯W・X・Y・Zの計5名と互いに知り合った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21">[[#名古屋地裁2002-02-21|名古屋地裁2002-02-21]]</ref>。1996年2月に運送会社を退社してからKは職を転々とし、[[1999年]](平成11年)4月頃から愛知県春日井市明知町にて中古車販売業を始めた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。

Kは1996年2月ごろ、Nが勤務していた愛知県[[小牧市]]内の運送会社に入社してトラック運転手として働くようになったが、職場の同僚らに対し「背中に刺青を入れている」「親父が暴力団組員だ」などと吹聴して自己の強さを誇示していた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。その後、Nは元同僚のKが中古車販売業を起業したことを知ってKの店に出入りするようになったが、「Kから見下されたくない」という思いから「取り込み詐欺を繰り返して会社を潰したこともある」などと話し、反社会的勢力に精通していることを誇示した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。

Kは1999年夏頃、Wから「何か儲かる仕事はないか」と相談を持ち掛けられた際、「Wが休眠会社を買い取りその会社を使って[[取り込み詐欺]]をすれば自分もその分け前を得られる」などと思いつき、同年9月頃にはNに取り込み詐欺の話を持ち掛けた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。前述のように「取り込み詐欺を行ったことがある」というNの話自体は嘘だったが、Nは嘘を隠し通そうとしたことに加え、「自分も金儲けがしたい」と考えたことから申し出を承諾した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。これを受けてKはNだけでなく、W・X・Y・Zの4人に対しても同様に取り込み詐欺の話を持ち掛けた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。当時、加害者6人はWを除いた全員が既に債務超過で[[消費者金融]](サラ金)などの「[[ブラックリスト#金融|ブラックリスト]]」に名前が載っており、新たな借り入れができない状態に陥っていた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>。

N・Kら加害者6人は1999年11月上旬ごろ、Nが経営していた中古車販売店の事務所に集まり、Kの「会社を設立した上で手形を乱発して商品を購入し、その商品を換金した後、最終的には会社を潰す」という提案の下で取り込み詐欺を行うことを決めた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。6人は取り込み詐欺を行うために利用する会社を設立することを決め<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>、休眠会社を買収した上で<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-05"/>、春日井市柏原町<ref group="新聞" name="毎日新聞2000-04-09"/>の建物の一室を同月中に事務所として賃借し、買い取った休眠会社の登記を変更するなどして<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>、表向きには自動車部品販売会社として取り込み詐欺会社「シムス」を設立した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-20 判決要旨"/><ref group="新聞" name="中日新聞2000-07-18"/>。「シムス」の名目上の代表取締役には<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-05"/><ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>、W・X・Y・Zの4人の中で唯一ブラックリストに名前が載っていなかったWが就任し<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>、取締役にX・Y・Zの3人が就任した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。しかし会社の実権は、「詐欺が発覚すると自分たちに刑事責任が及ぶ」と恐れて同社の役員には就任しなかったものの、取り込み詐欺の発案者だったN・K両名が握っており<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>、両名は背後からWらに指図しつつ<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>、儲けた利益の大半を取得・折半しようとしていた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。会社設立後、次第にN・K両名とW・X・Y・Zの4人との間で上下関係が明確になり、「俺は元暴力団員だ。義足の右足はヤクザに切られた」と自称するKや「暴力団に近い実父を持ち、自分もかつては暴力団員だった」と言われていたKは、会社設立後にはWたち4人に何かと指図し、時に強く叱責・罵倒するなどして4人を服従させていた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19">[[#名古屋地裁2002-02-19|名古屋地裁2002-02-19]]</ref>。

W・X・Y・Zの4人は当初、パソコン販売会社などを通してパソコンなどの商品を詐取しようとしたが、相手から信用されなかったために失敗したため、Nが「相手に手形・小切手を交付して信用させよう」と考え、W・Yに対し「シムス」の当座銀行預金口座を開設するよう指示した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。W・Yは1999年12月頃、[[十六銀行]]の担当者と「シムス」事務所で面談したが、同社の実態について信用を得られなかったため、当座預金口座の開設に失敗した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。取り込み詐欺が容易に成功しないことに加え、W・Yが銀行口座の開設に失敗したことから、腹を立てたKは2人を中古車販売店の事務所に呼び出して刃物を見せ「指を詰めろ」などと脅した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。これに加え、Nは「取り込み詐欺に専心しなければ殺すぞ」という心理的圧力を加えるため、W・X・Y・Zの4人を生命保険に加入するよう脅し、[[住友生命保険]]との間で<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>「受取人名義・「シムス」、災害死亡保険金各6000万円、死亡保険金各5000万円」の生命保険契約を締結させた上<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>、4人に対し「誰が死ぬんだ?死ぬなら事故死だ」<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>「お前らの誰かが死ねば俺たちに高い保険金が入る」などと述べ、4人に「逆らえば殺される」という意識を植え付け<ref group="新聞" name="中日新聞2000-07-18"/>、追い詰めて取り込み詐欺に専心させようとした<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。この頃までには既に「N・Kの2人が対等な関係でリーダーに君臨し、W・X・Y・Zの4人が2人に絶対服従する」関係ができ上がっていた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。このような実態に嫌気が差したYは1999年12月頃から翌2000年1月頃にかけて2度にわたって出社を拒否して実家に身を隠すなどしたが、N・K両名が探しに来て、「自供推敲に努力する。違約した場合はいかなる処罰・処分も甘受する」という念書を書かされ、会社に戻った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>。また、Wは借金がかさんで返済に困窮したため、2000年1月頃に妻と形式上協議離婚したが、さらに精神的に不安定になり、同年2月11日頃には睡眠薬を大量摂取して自殺を図った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>。Wはさらに「会社を辞めたい」とこぼしたが、これを聞いたN・K両名は「お前の家族に危害を及ぼす」と示唆して脅迫・暴行を加えるなどしてWが逃走するのを阻止した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>。

一方で[[喫茶店]]経営者の被害者男性Aは、喫茶店経営だけでなく個人的な[[貸金業]]を経営しており、その運用資金として借金をしていたが、事件数年前から借金返済に追われるようになり<ref group="新聞" name="毎日新聞2000-04-09"/>、金融業の失敗で数千万円の借金を抱えていた<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-07"/>。1999年3月22日、[[岐阜県]][[岐阜市]]内の貸金業者宛に額面240万円の[[約束手形]]を振り出したが、その手形が不渡りとなったため、貸金業者はNの実父(暴力団関係者)が岐阜市内で経営していた別の貸金業者に手形の取り立てを依頼した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。1999年12月上旬ごろ、Nは実父の経営する貸金業者の従業員から「手形の取立をしてほしい」と持ち掛けられたことに応じ、この話をKに報告した上で取り込み詐欺会社の仕事として行うことを決め、Yを取り立ての直接担当者にした<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。手形が不渡りになって以降、Aの喫茶店には頻繁に電話がかかるようになり、加害者らが店を訪れることもあった<ref group="新聞" name="毎日新聞2000-04-09"/>。

Nは前述の貸金業者従業員から被害者Aの情報を入手した上で、1999年12月11日頃、K・W・X・Y・Zを加えた計6人で手分けをして、普通乗用車([[トヨタ・クラウンマジェスタ]])を運転して帰宅する被害者Aを尾行するなどした結果、名古屋市千種区内のA宅・「Aが経営している」と目された名古屋市中村区内の喫茶店を特定した上、「Aが妻らしき女性とともに喫茶店を出て帰宅することがある」ことを把握した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。Nは被害者Aに電話連絡して「[[名古屋国際ホテル]](名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]][[錦 (名古屋市)|錦]])で面談する」という約束を取り付け、1999年12月13日午前10時頃に共犯K・W・X・Y・Zとともにホテル内の喫茶店で被害者Aと面談した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。その際、主にN・K両名が被害者Aに対し「手形の債務を弁済しろ」と強く求めたが、Aからは弁済を拒絶された上、N・K両名が「お前のマジェスタを代物弁済として提供しろ」と迫っても断られた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。結局この日の交渉において、N・K両名らはAに対し、「(当時は売却の話がまだ具体化していなかった)[[静岡県]][[伊東市]]内のAが保有する不動産が売却できた際、その代金で手形債務を弁済する」という念書を書かせることしかできなかった<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。N・K両名はAの態度に憤激し、Kは中古車販売店の事務所に戻った後、W・X・Y・Zの4人の前で「あんな奴は俺も取り立ての時に殺したことがある。その時は相手を殺して、骨をチェーンソーで切断した上でドラム缶に入れて燃やしてすりつぶし、養鶏場の鶏のエサにした」などと嘘を言って強がった<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。

N・K両名ら6人はその後、被害者A宅にあるマジェスタの車庫を突き止めた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。また、A宅の郵便受けに「Aと同姓の女性(=Aの妻B)とは別の女性宛に郵便物が届いている」ことを確認したことや、Aが運転していたマジェスタを尾行した際にはAの妻と思しき女性とは別にもう1人女性が乗り込んでいたことがあったことなどから、「A宅にはA・B夫婦以外に別の女性1人(被害者C)が同居している可能性がある」と判断した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。その一方で、Aからの手形取立の直接の担当者となったYだったが、上記の名古屋国際ホテルにおける面談以降は1度も被害者Aと連絡を取ることができず、年が明けて2000年に入ってからも手形取立についての事態は進展しなかった<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。そのため、N・Kら6人の間でAについての話題が上がるたびに、Nは「あんな奴は車を奪って殺してしまえばいい」などと繰り返し言うようになり、「Aたちを拉致したらあいつの家の鍵を奪って家の中の金目のものを奪おう」と発言した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。またKも「A・B夫婦を拉致して殺し、遺体をチェーンソーで切断して骨をミキサーで潰し、ドラム缶に入れて焼いて鶏の餌にしよう。その時には血が飛ぶといけないからレインコートが必要になるし、ミキサーは電気がないところでは使えないから骨はミキサーにかける前にあらかじめすり鉢ですりつぶそう」などと何度も言った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。

Nは2000年2月3日、K・Wら6人で中古車販売店事務所に集まった際、Yから「Aからの手形取立は一向に進展しない」と報告を受けたことから、W・X・Y・Zの4人に「A・B夫婦やその同居人(=被害者C)を拉致・監禁してマジェスタなどを強奪する」計画を実行させることにした<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。その上でNはW・X・Y・Zの4人に対し、「今日(Aたちを)さらって来い。車を停めてあるところは分かっているから、帰って来るところを待ち伏せして拉致しろ。家の中から金目のものも奪っておけ」などと指示し、Kも「とにかく(Aたちを)連れてくればいい。殴ってもいいし、[[匕首]]でも足に刺せば簡単だ」などと言ってWら4人を煽った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。この時、N・K両名はW・X・Y・Zの4人に対し、「Aの女房(B)も一緒にいるなら一緒にさらえ。その場に(Cも含めて)3人いるなら3人まとめてさらって来い」などと指示した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。

W・X・Y・Zの4人はN・K両名の指示通り、被害者Aらを襲撃して自動車内に監禁し、Aのマジェスタなどを強奪するため、犯行に使用するためのハンマー・ガムテープ・ビニール紐などを用意した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。その上で2000年2月3日午前0時過ぎごろ、Wが運転するワゴン型普通乗用車([[フォード・スペクトロン]])にX・Y・Zの3人が同乗し、千種区内のA宅付近に到着し、Aらがマジェスタに乗車して帰宅するのを待ち伏せした<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。しかしその後、Wら4人はスペクトロンの車内で寝込んでしまい、その間にAらが帰宅したためにこの襲撃計画は失敗に終わり、WらはN・K両名から強く叱責された<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。

その後は取り込み詐欺稼業が成功し始め<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>、2000年2月にはパソコンの取り込み詐欺で約2,200万円の利益が上がった<ref group="新聞" name="毎日新聞2000-07-18 中部"/>。それに伴って詐欺の件で忙殺されるようになったため、手形取り立ての件はあまり話題にならなくなっていった<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。しかし2000年4月3日午後1時頃、Nが取り込み詐欺で詐取したパソコンのうち2台を実父に転売した代金を集金しようと、取り込み詐欺会社に向かう途中の車内から父に電話したところ、以前から畏怖していた父親から手形取立が進展していなかったことを「どうなっているんだ」と強く叱責された<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。そのため、「Aのせいで自分の面子が潰された」と考えたNは「Aたちを拉致・監禁して殺害することで報復し、マジェスタなどAが所有する金品を強取しよう」と改めて考えた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。

同日、Nは携帯電話で中古車販売店事務所にいたKに「もう(Aを)許しておけない。今日やるしかない」と電話したところ、KもNと同様に「Aのせいで自分たちの面子が潰された」と感じていたことから、Nから提案された強盗殺人の計画に「しょうがないね」と同意した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。またNはこの時、「2月にWたち4人でAたちを襲撃させようとしたが失敗したので、今回は自分も実行に加わろう」と考え、Kに対し「自分も行くから大丈夫だろう」と言ったところ、Kも「それなら自分も行く」と実行に加わる意思を示した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。

その上でKは、殺害したA・B両名の遺体をドラム缶で焼却することを決めたNから「ドラム缶を2缶調達してほしい」と依頼されたことを受け、春日井市坂下町のガソリンスタンドで従業員に依頼してドラム缶2缶を譲り受けた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。Kはその上でW・X・Y・Zの4人を中古車販売店事務所に呼び寄せ、「NがAからの取り立ての件で帰れないみたいだ。Nは『やる』と言ってるがお前らはどうするんだ?」などと言い<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>、同年2月にWらが失敗した犯行計画を再び実行に移すことを指示し<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>、Aらを拉致・監禁して殺害する強盗殺人の計画への加担を扇動した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/><ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>。この時、X・Y・Zの3人は犯行への加担に同意したがWが拒否したため、Kは「お前が行かないなら(殺害に使う)ドラム缶を3つにするぞ」などと言い、犯行に加担することを拒否した場合は殺害することをほのめかす形でWを脅迫し、犯行に加担させた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。Kが「死体をチェーンソーで切断すると、血が飛び散って嫌だ」と話すと、Nは「生きたまま焼き殺せば、血はつかない」と、身勝手な理由で残虐な犯行に至った<ref group="新聞" name="中日新聞2000-07-18"/>。

一方でNは取り込み詐欺会社から中古車販売店事務所に戻る途中で2度にわたってXに電話し、以下の物品を購入するように指示し、Xに用意させた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。
* 遺体を切断するために用いるチェーンソー<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>
* 遺体の骨を粉砕するために使用するすり鉢<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>
* 遺体を切断する際、自分たちの衣服が血液で汚れないようにするためのレインコート<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>
* 運動靴・ゴム手袋(2回目の電話の際に追加で指示)<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>
またKはYを前述のガソリンスタンドに向かわせ、譲渡することが決まっていたドラム缶2缶を持ち帰らせた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。中古車販売店事務所に戻ったNはYに対し、チェーンソーの燃料として使用するとともに、Aらの遺体を焼却する際に使用するガソリン混合油を購入するように指示し、同じガソリンスタンドでガソリン約4リットル・エンジンオイル160ミリリットルの混ざった混合油を購入させて持ち帰らせた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。またNはガスバーナーを用い、Xが持ち帰ってきたドラム缶2缶を以下のように加工した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。
* 「ドラム缶に蓋を作れば内部が高温になり、遺体を焼却するのに必要な時間が短縮できる」と考え、ドラム缶上部を円形に切断して縁を残した状態で蓋を作った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。
* ドラム缶上部側面に穴を4個開け、火の通りを良くするための通気口を作った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。
* ドラム缶下部に灰をかき出すための穴を開けた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。

Nはその後、W・X・Y・Zの4人に犯行へ加担する意思が本当にあるのかを確認するため、4人に対し「どうする?今日やれるのか?4人でよく相談して決めろ」などと指示した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。これを受けてW・X・Y・Zの4人は互いに相談した後、「犯行に加担するしかない」と決意を固め、Yが4人を代表してNに「俺たち4人の責任でやりますから指示を出してください」と申し出た<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。これにより、N・K・W・X・Y・Zの加害者計6人の間で、「被害者Aらを自動車内に監禁し、その所持金品を強取した上でAらを他所に連行して殺害し、その遺体を遺棄・損壊する」ことについての共謀が成立した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。

その後、N・Kら犯行グループ計6人は中古車販売店事務所で襲撃方法を相談し、Nは「自分たちの[[トヨタ・クラウン]]で自分とKともう1人の3人でAの喫茶店付近に向かい、Aたちの動向を確認し、残り3人がスペクトロンに乗ってA宅付近で待ち伏せる。その後、Aらがマジェスタで車庫に戻ってきた際、車庫に入るのを妨害するためにスペクトロンで車庫出入り口を塞ぎ、Aが文句を言うためにスペクトロンに近づいたところを誰かが殴りつけてマジェスタを強取する」という内容の犯行計画を立案した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。さらにN・K両名は、W・X・Y・Zの4人に対し「このことはお前らが勝手にやることで、俺たちは無関係だということにしろ」と口裏合わせを指示した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。またこの頃、Xが角材を2本持ってきたため、Nはこれらを襲撃に使用することに決め、W・X・Y・Zの4人に命じて角材の握りの部分にタオルを巻き付けさせ、そのタオルを水で濡らすことでAを殴打する際に手が滑らないようにした<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。さらにN・Kら計6人は、ドラム缶・チェーンソーなど犯行に使用する各道具をスペクトロンに積載し、2000年4月3日午後8時30分頃にクラウン(Zが運転しN・K両名が乗車)・スペクトロン(Wが運転しX・Y両名が乗車)に分乗して名古屋市方面に向かった<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。

== 事件発生 ==
Zの運転するクラウンに乗車したN・K両名はAの経営する喫茶店付近に到着し、Aらが喫茶店から出てくるところを見張った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。一方でWが運転するスペクトロンに乗車したX・Y両名は千種区内のA宅車庫付近の路上で帰宅を待ち伏せた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。

N・K・Zの3人は被害者Aが閉店後、妻B(事件当時65歳)・喫茶店従業員の義妹C(事件当時59歳、Aの妻Bの妹)とともにサウナに向かうところを確認し<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-11"/>、2000年4月4日午前0時10分頃、マジェスタに乗車して喫茶店付近の路上を出発したところを確認した上で、Zが運転していたクラウンでAのマジェスタを追尾した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。この時、Nは電話でスペクトロンに乗車していたW・X・Yの3人に「Aがマジェスタで自宅に向かい始めた」伝えたが、「3人目の女性は喫茶店の従業員だろう。途中で下車するかもしれない」と軽く考え、スペクトロンにいたWらには「3人目の女性」(=被害者C)の存在を伝えなかった<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>。W・X・Yの3人はNから電話連絡を受けて「A・B夫妻が2人で帰宅してくる」と考え<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>、4人で相談した上で、スペクトロンを運転していたWがA宅車庫の出入り口を塞ぐようにスペクトロンを駐車し<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>、車内助手席で待機することを決めた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>。一方、Yが被害者Aを襲撃するために角材を携帯して車外に出て、マジェスタの駐車場向かいに駐車してあった車両の陰に隠れて待ち伏せ、XがAの同行者(=被害者B)を襲撃するためにタイヤレンチを携帯して駐車場向かいの民家の隙間に隠れ、それぞれ帰宅を待ち伏せた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>。

2000年4月4日午前0時30分頃、Aはマジェスタを運転して自宅前に到着したが、車庫を塞ぐように駐車してあったスペクトロンの存在に気付いた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。Aはマジェスタを降車し、スペクトロンの車内にいたWに「車を移動してくれ」と注意し、続いて降車したB・C両被害者とともにマジェスタのトランクを開けて荷物を取り出そうとした<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。その直後、角材を持ったYがAの背後に走り寄り、Aの頭部などを角材(平成12年押収第408号の1)で数回殴打して全治約2週間の頭部挫傷・挫滅創・右前腕打撲などの怪我を負わせた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。Aは助けを求めようと近くの知人宅に逃げ込んだため<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-04"/>、Yはその後を追ったが途中で見失った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。

クラウンに乗車してAのマジェスタを追尾していたN・K・Zの3人は、A・B・Cの3人がマジェスタから降車した直後、YがAを襲撃したことを確認したため、KはN・Z両名に対し、「何をしてる。あいつら(W・X・Y)だけじゃやりきれないから早く行け」などと怒鳴り、A・B・Cの3人を全員監禁するように指示した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。これを受けてNはZとともにクラウンから降車したところ、WがCの右腕を引っ張ってスペクトロンの左後部ドア付近まで連行したのを見て、WとともにCをスペクトロン後部座席に押し込んだ<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。その後、NはYとともにAを追跡したが見失った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。一方でXはタイヤレンチを携帯し、駐車場に逃げ込んだBを追いかけてその身体を後ろから両手で抱え込んだが、Bから腕をかまれて抵抗されたため、その顔面を手拳で殴打し、その場に座り込んだところを背後から両脇を両手で抱きかかえた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。この様子を見たZはBの両足を持ち、Bの体を持ち上げてスペクトロンまで連行して後部座席に押し込み、Xがスペクトロン車内のBの左側に乗車してドアを閉め、B・C両被害者をスペクトロン車内に監禁した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。

Kはその直後、クラウンから降車してZに「早くマジェスタをどかせて発進させろ」などと指示し、これを受けたZはマジェスタをその積載物(ウォークマンなど計4点、時価合計約63,000円相当)とともに強取した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。Wはそのままスペクトロンを発進させ、車内に監禁したB・C両被害者を連行した状態でZの運転するマジェスタに追随した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。一方でKはクラウンを運転して犯行現場を離れ、N・Y両名は徒歩で犯行現場から離れた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。N・Y両名はその後、犯行現場付近にある[[ナゴヤドーム]](名古屋市[[東区 (名古屋市)|東区]])付近でK・W・X・Zの4人と合流したが、その時にZが「奪ったマジェスタの残り燃料が少ない」と申し出たため、NはZに「ガソリンスタンドで給油した後、集合場所に指定した愛知県瀬戸市内の自動車学校に来て合流しろ」と指示した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。その際、YはZの運転するマジェスタの助手席に乗り込み、NはKの運転するクラウンの助手席に乗り込んで、それぞれナゴヤドーム付近を離れた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。一方、Wはスペクトロンを運転してクラウンの後に続き、同乗していたXはスペクトロンの後部左側ドア付近に座った状態で自分の横にB・C両被害者を座らせて監視していたが、XはNから携帯電話で指示を受け、Cの両手首を前に揃えてタオルで緊縛し、Bもビニール袋を紐状にしたもので緊縛することで、それぞれ抵抗・逃走を抑圧した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。

Nから指示を受けたZはガソリンスタンドでマジェスタに給油後、N・K・W・Xの4人と落ち合うため瀬戸市内の自動車学校に向かおうとしたが<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>、Zが自分の携帯電話をKが運転するクラウン車内に置き忘れたことに気付き、Yと互いに「他のメンバーとどう居場所を連絡し合おうか?」と相談しながら走行していた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>。その途中の2000年4月4日午前1時17分頃、Aからの110番通報を受けて緊急配備についていた[[愛知県警察]]の警察官らが「被害車両のナンバープレート情報と一致するマジェスタ」を発見した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。乗車していたY・Z被疑者は現場から北東約6km離れた千種区[[香流橋]]2丁目の県道交差点で信号待ちのため停車していたところ<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-04"/>、警察官から職務質問を受けて[[千種警察署|愛知県千種警察署]]に任意同行された<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。Y・Z両被疑者は千種署にて「被害者Aを襲撃してマジェスタなどを強取した[[強盗致死傷罪|強盗致傷]]容疑」「B・C両被害者を拉致して監禁した[[逮捕・監禁罪|逮捕・監禁]]容疑」で取り調べを受け、前者については認めたが後者については否認したまま、同日午前3時頃に強盗致傷の被疑事実で緊急逮捕された<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。取り調べの当初、Y・Z両被疑者は「自分たち2人でやったことだ」と話して共犯者のN・K・W・Xの4人の存在を秘匿し、B・C両被害者の安否についても話さなかった<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>。

一方でN・K・W・Xの4人は集合場所の自動車学校に到着してY・Z両名を待ち、その間にXがB・C両被害者の両足をガムテープで緊縛したが、前述のように警察に取り押さえられたY・Z両名は自動車学校にやってこなかったため、N・K両名はクラウンを走行させて付近を捜したが、2人を見つけることはできなかった。そのためN・K両名は自分たち残った4人で犯行計画を続行することに決め、Kが運転してNが同乗するクラウンが先頭を走り、B・C両被害者を監禁した状態でWが運転しXが同乗したスペクトロンがクラウンに続く形で自動車学校を後にし、殺害場所を探した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。NはB・C両被害者を殺害する場所として、かつて自分が勤務していた瀬戸市内の山中にある種鶏組合の育成場を考えていたが、その場所へ向かう道を間違えたため、Kとともに改めて適当な場所を探しながらクラウンで瀬戸市内の山道を走行しつつ、車内で殺害方法について相談した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。その際、Kが「殺してから遺体を切断すると血液が飛び出る」などと言ったのに対し、Nは「ガソリンをかけてドラム缶内で生きたまま焼き殺せば、服が血液で汚れることはなくて済む」と答えたため、N・K両名は「B・C両被害者を生きたままドラム缶内で焼き殺す」殺害方法を取ることを決めた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。

N・K両名は2000年4月4日午前2時30分頃、愛知県瀬戸市北白坂町内にある「[[東京大学]][[大学院]]農学部生命科学研究科附属[[演習林]] 愛知演習林」内まで移動したところ、林内にある山道の途中に自動車を駐車できる空き地を見つけ、その場所を殺害場所とすることを決めた上でそこにクラウンを駐車し、続いてWもスペクトロンを同所に駐車した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。Nは空き地に到着すると、Xに命じてB・C両被害者の手首を後ろ手にしてガムテープで緊縛し直させ、両手足を緊縛されて反抗を抑圧させた被害者Cからその膝の上に置いてあったハンドバッグ内の現金約24,000円・商品券2枚を強取すると、さらにXに命じてB・C両被害者の口にそれぞれガムテープを貼らせて口を塞いだ<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。現場は愛知県[[西加茂郡]][[藤岡町 (愛知県)|藤岡町]]西市野々(現・[[豊田市]]藤岡町西市野々)<ref group="新聞" name="毎日新聞2000-04-09"/>・[[瀬戸市]]北白坂町の市町境に近く、藤岡町北部のキャンプ場「郡民の森」から南西約1.6キロメートルに位置する山中だった<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08 夕刊"/><ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-09"/>。

N・K・W・Xの4人はスペクトロンから積載してあったドラム缶2缶(名古屋地検平成12年領第1549号の18,19)を下ろし、空き地に並べておいて蓋を開けると、NがXに「風呂にでも入ってもらえ」などと言い、スペクトロン車内で助けを求めるように唸り声を上げていた被害者BをW・X両名にドラム缶の中へ運び入れさせて立たせた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。さらにNはスペクトロン車内にいた被害者Cの体を抱きかかえ、Wとともにもう一方のドラム缶内に入れて立たせた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。Nはその後、ドラム缶内で立っていたB・C両被害者を座らせるよう指示し、これを受けたW・X両名はB・C両被害者の頭・肩を手で押し込んでドラム缶内に座らせた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。するとKがスペクトロン車内に積載されていた約4リットルのガソリン混合油の入ったエンジンオイル缶を持ち出してNに渡し、Nがその缶の蓋を開けて被害者Cの頭から約1リットルのガソリン混合油をかけ、続いて被害者Bにも頭から約1リットルのガソリン混合油をかけた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。その際、B・C両被害者は悲鳴を上げたが、Nはそれに構わず、Bに「かわいそうだが恨むならお前の旦那(被害者A)を恨め。かわいそうなのは関係ないのに巻き込まれたこっちの人(被害者C)だがな」などと言いつつ被害者Bの入ったドラム缶の蓋を閉め、さらにWが被害者Cの入ったドラム缶の蓋を閉めた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。Nはさらにドラム缶の蓋が開かないよう、W・X両名に角材・重石に使う石を持ってくるよう命じ、Wが付近にあった石をBの入ったドラム缶の蓋の上に載せ、Xがスペクトロン車内から角材を持ち出してNに手渡し、Nがその角材をCの入ったドラム缶の蓋にかませることで、それぞれ蓋が開かないようにした<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。


Nはその後、Xに命じてドラム缶に点火するための新聞紙をスペクトロン車内から持ってこさせ、Xから丸めて筒状にさせた新聞紙を受け取った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。さらにNはKに簡易ライターを出させてWに手渡させたが、WがNの持つ新聞紙にライターで点火しようとしたところ、Nは「俺が火を点けろってことか?」と自ら点火することを拒否するような発言をしたため、KはWに「お前が点火しろ」と命令した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。そのためWは同日午前2時40分頃、Kから手渡されたライターでNから受け取った新聞紙に点火し、Bが入ったドラム缶に近づいて缶下部の通気口に火の点いた新聞紙を近づけた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。すると「ボッ」という音とともに火がガソリン混合油に引火してBの入ったドラム缶が燃え上がり、直後にCの入ったドラム缶内のガソリン混合油にも引火し、それぞれのドラム缶内にいたB・C両被害者は断末魔のうめき声を発しながら焼死した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。N・K・W・Xの4人は炎上したドラム缶から離れ、両手で耳を塞ぎながらドラム缶2缶が炎上するのを確認し、やがてうめき声が聞こえなくなったことから被害者B・Cがともに焼死したことを確認した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。Kはこの時「人を殺すというのはこんなもんだ」、Nは「興奮して[[アドレナリン]]がいっぱい出てきた。[[射精|精子が出てきたら]]どうしよう」などと冗談交じりに言った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。
== 事件の概要 ==
逮捕された6人はもともと1つのグループで、N・K両名が対等な関係でリーダーとして君臨し、W・X・Y・Zの4人が、2人の命令に絶対服従する手下という関係だった<ref name="中日20000411"/>。N・Kら6人は同じ運送会社に勤務して知り合い、それぞれ退社後<ref name="中日20000718"/>、N・K両名が商品の[[取り込み詐欺]]をするため<ref name="中日20000718"/>、前年[[1999年]](平成11年)12月に休眠会社を買収し<ref name="中日20000411"/>、自動車部品会社を設立し<ref name="中日20000411"/>、名目上Wを社長に<ref name="中日20000411"/>、Vら他の3人を取締役に就任させ<ref name="中日20000718"/>、従業員として働かせていた<ref name="中日20000411"/>。詐欺が計画通りにいかず、会社が資金難に陥ると、N・K両名は会社を受取人として、Wら4人をそれぞれ5000万円の[[生命保険]]に加入させ「逆らえば殺される」という意識を植え付けさせていた<ref name="中日20000718"/>。WらはN・K両名に服従していた理由について、取り調べに対し「Nはバックに暴力団関係者がいたため、逆らったら何をされるか怖かった」と供述した<ref name="中日20000411"/>。


N・K両名はB・C両被害者を殺害後、依然としてY・Z両名から連絡がなかったことから2人を探しに行くことを決め、KがW・X両名に「ドラム缶の火を消さずに遺体を燃やし続けろ。Cのハンドバッグなど証拠になりそうなものも遺体と一緒に燃やせ」などと指示した上でクラウンに乗車し、殺害現場を離れたY・Zを再び探しに向かったが、結局発見できなかったために同日午前5時頃に殺害現場に戻った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。その間、W・X両名はKから指示された通り木切れなどを集めてドラム缶に投入し、B・C両被害者の遺体を焼却し続け、証拠になりそうな物品類を燃やして証拠隠滅工作を図った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。
Nは会社の資金稼ぎのため、[[金融]]業を営む[[暴力団]]関係者の父親から<ref name="中日20000718"/><ref name="中日20000409"/>、名古屋市千種区振甫町在住の[[喫茶店]]経営者男性A(当時56歳)が<ref name="中日20000404"/>、前年冬に振り出した<ref name="中日20000718"/><ref name="中日20000409"/>、額面240万円の[[約束手形]]の取り立てを頼まれた<ref name="中日20000718"/><ref name="中日20000409"/>。しかし、Aは資力がないためか一向に手形金の支払いに応じなかった一方、Nは父親から「どうなっているんだ」と催促された<ref name="中日20000718"/>。父親を恐れていたNは、Kに[[債権]]回収の相談をし「帰宅するA夫婦を拉致・殺害し、乗用車を奪おう」と決意し<ref name="中日20000718"/>、N・K両名は、Wら4人に対し「A夫婦をさらって殺せ。死体は燃やせ」などと指示し<ref name="中日20000718"/>、事件前日の3日に、殺害に使った[[ドラム缶]]・[[ガソリン]]・[[チェーンソー]]などを購入させ<ref name="中日20000718"/><ref name="中日20000411"/>、Kの会社でドラム缶の蓋を開け空気口を空けるなどの細工をした<ref name="中日20000411"/>。Kが「死体をチェーンソーで切断すると、血が飛び散って嫌だ」と話すと、Nは「生きたまま焼き殺せば、血はつかない」と、身勝手な理由で残虐な犯行に至った<ref name="中日20000718"/>。N・K両名は、Wら4人を「逃げてもいいぞ。その代わり、殺し屋を差し向けて3日で殺すぞ」と脅して犯行に加担させ、殺害実行前日も「行きたくない」と抵抗したWに対し「お前が行かないなら、(殺害に使う)ドラム缶をもう1つ増やさないといけなくなる」と脅迫した<ref name="中日20000718"/>。


N・K・Xの3人はその後、傘・木の棒などでドラム缶内のB・C両被害者の遺体の塊を突いて燃えやすいようにした上、N・W両名は金槌を、Xはタイヤレンチをそれぞれ使用してそれぞれドラム缶内の大きな骨片を粉砕した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。その頃、Kは便意を催したために付近で排便し、便が証拠になるのを防ぐためにビニール袋に入れてN・Wらのいる場所に持ち帰ったが、Wは被害者Cの遺体が入ったドラム缶にそのビニール袋を投げ入れた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。その後、Wがドラム缶内にあった被害者Bの遺体をチェーンソーで切断することを提案し、ドラム缶内に水を注いで消火した後、自らチェーンソーをドラム缶内に入れてBの遺体を切断した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。N・W・Xの3人は被害者Bの遺体が入ったドラム缶を空地の下の沢に落とし、WはN・K両名の指示を受けてドラム缶内から外に飛び出したBの遺体の塊をチェーンソーで切断し、N・K両名がドラム缶内から外に飛び出した骨片などを付近に投げ捨てるなどして被害者Bの遺体を遺棄した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。同日午前6時ごろ、N・K・Wの3人は水を注いで消火した被害者Cの遺体が入ったドラム缶を空き地の下の沢に落とし、被害者Bの場合と同様にWがチェーンソーで遺体を切断し、N・K両名が骨片などを付近に投げ捨てるなどして被害者Cの遺体を遺棄した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。このようにして両被害者の遺体を損壊・遺棄したあと、Kは遺体の骨片を粉砕する用途で利用した金槌を投棄したり、Wに命じて遺体を切断するのに利用したチェーンソーを投棄させるなどして証拠隠滅を図った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。N・K両名はすり鉢をスペクトロンに積んで現場まで持ち込んだが、チェーンソーで遺体が灰のように粉々になったため、結局はすり鉢を使用せず灰を周囲に捨てた<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-15"/>。
そしてこの日の夕方、N・Kら3人は、Aが経営する名古屋市[[中村区]][[名駅]]付近の喫茶店付近で、Aが店を閉店し、サウナに行くところを監視した<ref name="中日20000411"/>。その後、Aが帰宅するところを車で追い<ref name="中日20000411"/>、翌4月4日午前零時半頃<ref name="中日20000404"/>、サウナから乗用車で帰宅したAが<ref name="中日20000405夕刊"/>、駐車場前に停車していたライトバンの運転手に移動を頼もうと下車したところを<ref name="中日20000404"/>、Aの自宅前で待ち伏せしていたWら3人とともに<ref name="中日20000411"/>、背後から角材で襲い掛かり<ref name="中日20000404"/>、頭・右手を殴って全治2週間の怪我を負わせた<ref name="中日20000404"/>。しかし、Aが近所に助けを求めに行ったことで拉致に失敗したが<ref name="中日20000404"/>、その間に車に同乗していたAの妻B子(当時65歳)と、妻の妹C子(当時59歳)を乗用車ごと拉致した<ref name="中日20000404"/>。


同日午前7時ごろ、N・K両名はXが運転するクラウンに乗車して殺害現場を後にし中古車販売店事務所に戻った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。この時N・K両名は車内でXに対し、「犯行時に俺たちは中古車販売店にいたことにお前ら(W・X・Y・Z)で口裏合わせをしろ」と命じ、嘘のアリバイ工作に協力させた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。さらにN・K両名は事務所に戻った後、自分たちが犯行時に着用していた衣類などをXに渡して処分するよう命じ、Xを名古屋市[[北区 (名古屋市)|北区]]内に新設した取り込み詐欺会社の事務所に向かわせた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。一方、Wはスペクトロンを運転して同じく殺害現場を立ち去り、前述の北区内の事務所に向かった<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。
N・Kは、自分たちは手を下すことなく、W・Xに命じ<ref name="中日20000411"/>、被害者2人を愛知県[[西加茂郡]][[藤岡町 (愛知県)|藤岡町]](現・[[豊田市]])藤岡町と[[瀬戸市]]北白坂町の境(藤岡町北部のキャンプ場「郡民の森」から南西約1.6km)の山中に拉致し<ref name="中日20000408"/>、[[現金]]2万4000円などを奪った上、粘着テープで拘束した2人を生きたままドラム缶に押し込んだ上で、ガソリンをかけて火を点け、焼死させた<ref name="中日20000718"/>。さらに犯行の痕跡を消そうと[[遺体]]をチェーンソーなどで切断、山中に遺棄した<ref name="中日20000718"/>。Nは2人をドラム缶に押し込む際「風呂にでも入ってもらえ」と言っており、またB子に「恨むなら、旦那を恨め」、C子には「一緒にいただけなのに、かわいそうに」と言葉をかけていた<ref name="中日20000718"/>。


== 捜査 ==
== 捜査 ==
Aの通報を受け[[愛知県警察]][[千種警察署]]は緊急配備し、午前1時20分頃現場から北東約6km離れた千種区[[香流橋]]2丁目の県道で信号待ちをしていたAの車を発見、乗車していたY・Z両被疑者を、強盗致傷容疑で[[逮捕 (日本法)|逮捕]]した<ref name="20000404"/>。犯行に関わったみられるからも事情聴取したところ、この男は「2人の女性は無事だ」と供述した、車にB・C子は乗って、千種署は2人が監禁されている可能性あるとみて、取り調べに対「金銭関係もつれかA襲い車を奪った。2人の女性のこと知らない」と供述するY・Z両被疑者を追及した<ref name="20000404"/>。
事件発生直後、千種警察署は被害者Aから110番通報を受けて緊急配備し、午前1時20分頃になって現場から北東約6km離れた千種区[[香流橋]]2丁目の県道交差点で信号待ちをしていたAの車を発見、乗車していたY・Z両被疑者を職務質問の上で任意同行した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-04"/>。千種署で取り調べたところY・Z両被疑者は「B・C両名を拉致・監禁した[[逮捕・監禁罪|逮捕・監禁]]容疑」は否認したものの、「Aを襲撃してマジェスタなどを強取した[[強盗致罪|強盗致傷]]容疑」を認めたため、同日午前3時頃になって2人を強盗致傷の被疑事実緊急[[逮捕 (日本法)|逮捕]]した<ref group="新聞" name="新聞2000-04-04">『[[朝日新聞]]』2000年4月4日夕刊第一社会面15面「2女性連れ去る 強盗傷害容疑で男2人逮捕 名古屋の路上」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-04 名古屋">『朝日新聞』2000年4月4日夕刊第一社会面9面「妻従業員連 2容疑者逮捕 名古屋・千種区【名古屋】」</ref><ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。Y・Z両被疑者は取り調べに対し「金銭関係もつれからAを襲い車を奪っ供述し<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-04"/>被害者Aを角材で襲撃したとを認めたが<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-04"/>、連れ去りについては「2人の女性のこと知らい」と供述した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-04"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-04"/>。またAの車にB・C両被害者が乗っていなかったことから、千種署は2人が監禁されている可能性あるとみてY・Z両被疑者を追及た<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-04"/>。なおこ時点の報道では、「さに共犯者とみられる3人目の男が警察に身柄確保され男は調べに対し『女性2人無事だ』と供述していた」とする報道があった<ref group="新聞" name="新聞2000-04-04"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-04 名古屋"/>。


愛知県警捜査一課・千種署は同日、捜査本部設置し、たに強盗致傷容疑でXを逮捕た<ref name="中日20000405"/>。取り調べに対し、3は「Aが金を返さないので、痛めつけて金を取り戻そうと思った」と供述し、さらにXは「Wと2人で、名古屋市東区内の路上まで女性2人を連れ去っが、そこで自分だけ車を降りた」と述た<ref name="20000405"/>。捜査本部金銭トラブルによる犯行とみてX・Y・Zの3人が勤務する、春日井市内の自動車部品販売会社社長だったWを強盗致傷容疑で[[指名手配]]し、B・Cの2を連れ去ったとみて行方を追った<ref name="中日20000405"/>。
千種警察捜査員は同日午前10時20分頃名古屋市北区内の取り込み詐欺会社事務所で被疑者X発見て同署に任意同行させた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。XはN・K両名が犯行当時着用していた衣服を処分するなどするため<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>事務所にいところを職務質問され<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/>、同日午後1時頃同署にて強盗致傷容疑で緊急逮捕された<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。取り調べに対し、X・Y・Zの3被疑者動機について「Aが金を返さないので、痛めつけてでも金を取り戻そうと思った」と供述し<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-05"/>新た逮捕されたXは「被害者Aを襲撃した直後、女性2人を黒いライトバンに乗せて名古屋市東区まで逃げ自分だけそこで車を降りて徒歩で帰宅しので、その後のことは知らない」とた<ref group="新聞" name="新聞2000-04-05 朝刊"/>。愛知県警察本部刑事部捜査第一課・千種警察署は同日夜、捜査本部を設置した上で本格的な捜査を開始するとともに、金銭トラブルによる犯行とみてX・Y・Zの3人が勤務していた春日井市内の自動車部品販売会社(取り込み詐欺会社)「シムス」社長だった被疑者Wを強盗致傷容疑で[[指名手配]]し<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-05 朝刊">『朝日新聞』2000年4月5日朝刊第一社会面27面「名古屋の連れ去り、2女性なお不明 容疑者3人目逮捕 【名古屋】」</ref>、B・Cの2被害者を連れ去ったとみてWの行方を追った<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-05"/>。


一方、N・K両名は同日午後0時過ぎごろ、Wからの電話で「Xが警察官から職務質問を受けた」と連絡を受けたことから直ちに逃走を決意し、[[岐阜県]][[中津川市]]の[[東海旅客鉄道|JR東海]]・[[中央本線]][[中津川駅]]まで逃走した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。Wはその後、N・K両名から電話で「クラウンで中津川駅まで来い。俺たちの着ていた服を処分しろ」と指示され、中津川駅にクラウンで向かう途中でN・Kが犯行当時着ていた衣服を高速道路のサービスエリア・パーキングエリア内のごみ箱に投棄した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。N・K両名は中津川駅でWと合流後、[[東海道新幹線]]などを利用して[[東京都]]へ逃走したが、その途中でWが指名手配されたことを知った<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。
翌5日、捜査本部は女性2人の実名・当時の服装を公開し、一般からの情報提供を呼び掛ける公開捜査を開始した<ref name="中日20000405夕刊">『中日新聞』2000年4月5日夕刊第二社会面10面「不明の2女性 氏名など公表 千種の連れ去り」</ref>。同日、捜査本部から指名手配されていたWが、逃走・潜伏先の[[東京都]][[千代田区]]内([[JRグループ|JR]][[東京駅]]付近)のホテルで[[警視庁]][[中央警察署 (東京都)|中央警察署]]に逮捕され<ref name="中日20000406">『中日新聞』2000年4月6日朝刊社会面35面「手配の社長逮捕 千種の2女性連れ去り事件」</ref><ref name="朝日20000406">『[[朝日新聞]]』2000年4月6日第一社会面29面「容疑者4人目逮捕 名古屋の連れ去り、2女性は依然不明【名古屋】」</ref>、その後身柄を千種署に移送された<ref name="朝日20000406"/>。Wらは取り調べに対し、「Aが借金を返さないので、肩代わりに車を奪おうと思った。女性を連れ去るつもりはなかった」と供述した<ref name="中日20000406"/><ref name="朝日20000406"/>。また同日昼、犯行グループが犯行で使ったとみられる乗用車が、[[岐阜県]][[中津川市]]内の[[東海旅客鉄道|JR]][[中央本線]][[中津川駅]]付近で発見された<ref name="中日20000407"/>。


2000年4月5日、捜査本部は女性2人の実名・当時の服装などの特徴を公開し、一般からの情報提供を呼び掛ける公開捜査を開始し<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-05 夕刊">『中日新聞』2000年4月5日夕刊第二社会面10面「不明の2女性 氏名など公表 千種の連れ去り」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-05 夕刊">『朝日新聞』2000年4月5日夕刊第二社会面10面「被害2女性の名前など公開 名古屋の連れ去り事件 【名古屋】」</ref>、指名手配された被疑者Wの行方を80人態勢で追った<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-05 夕刊"/>。一方で逃走中のN・K両名は5日になって指名手配されたWの処遇について相談した結果、「Wを警察署に出頭させ、『Aら被害者3人を襲撃した犯行はW・X・Y・Zの4人だけで計画・実行したものであり、B・C両被害者はナゴヤドーム付近で解放した』とする虚偽の供述をさせる」ことで合意した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。Nはこの時、自分が取り込み詐欺会社で使用していた偽名(「上杉宏次郎」)をWに名乗らせることで「俺が『上杉宏次郎』の偽名を使って取り込み詐欺に関与していたことが隠蔽できる」と考え、Wに命じて[[東濃信用金庫]]坂下支店の「上杉宏次郎」名義の銀行口座に残っていた預金18万円を引き出させ、この時にWの顔を防犯カメラに撮影させた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。さらにN・K両名はWに対し「お前が警察署に出頭して『この犯行は自分たち4人(W・X・Y・Z)でやりました』と言って来い」と命令するとともに、「社長のお前が『上杉宏次郎』(Nの偽名)と本名を使い分けて取り込み詐欺をやっていたことにしておけ。お前らの家族の面倒は見てやるから、俺たちのことは絶対に話すな」などと口止めした<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。同日昼、犯行グループが犯行で使ったとみられる乗用車が[[岐阜県]][[中津川市]]内の[[東海旅客鉄道|JR]][[中央本線]][[中津川駅]]付近で発見された<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-07"/>。
翌6日、捜査本部はN・K両被疑者が女性2人の行方を知っているものとみて、強盗致傷容疑で両被疑者を指名手配した<ref name="中日20000407">『中日新聞』2000年4月7日朝刊第二社会面38面「中古車販売業者ら2人を指名手配 千種の連れ去り事件」</ref><ref name="朝日20000407">『朝日新聞』2000年4月7日朝刊第一社会面35面「2容疑者、新たに手配 名古屋の2女性拉致事件【名古屋】」</ref>。Wは女性2人について「車に乗せた直後の4日午前1時頃、東区内の[[ナゴヤドーム]]周辺で車から降ろし解放した。その後どこに行ったかはわからない」などと供述したが<ref name="中日20000406"/><ref name="朝日20000406"/>、事件発生以来2人の消息が途絶え、目撃情報も一切ないこと<ref name="中日20000407"/><ref name="朝日20000407"/>、現場の状況から<ref name="中日20000407"/>、捜査本部は最悪の事態も想定し<ref name="朝日20000407"/>、また他にも共犯者がいるとみて追及したところ、Wの知人であるN・K両被疑者を突き止め<ref name="中日20000407"/>、緊迫した捜査を続けた<ref name="朝日20000407"/>。


WはN・K両名からの口止めを受け、逃走・潜伏先の[[東京都]][[千代田区]]内<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-06"/>([[JRグループ|JR]][[東京駅]]付近)のホテルから<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-06"/>、自ら千種警察署に電話して自己の所在を知らせ、[[中央警察署 (東京都)|警視庁中央警察署]]への任意同行に応じ、同日午後6時6分頃に同署で通常逮捕された<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/><ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-06">『中日新聞』2000年4月6日朝刊第一社会面35面「手配の社長逮捕 千種の2女性連れ去り事件」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-06">『朝日新聞』2000年4月6日第一社会面29面「容疑者4人目逮捕 名古屋の連れ去り、2女性は依然不明【名古屋】」</ref>。Wは逮捕後、千種警察署に身柄を移送され<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-06"/>、先に逮捕された3被疑者とともに取り調べに対し「Aが借金を返さないので、肩代わりに車を奪おうと思った。女性を連れ去るつもりはなかった」と供述した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-06"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-06"/>。またWは被害者2人の行方について以下のように話したが、2人の連絡は依然として取れず<ref group="新聞" name="読売新聞2000-04-06">『[[読売新聞]]』2000年4月6日中部朝刊第一社会面35面「名古屋市内で女性2人連れ去られた事件 『車から降ろした』 主犯格の男逮捕」</ref>、ナゴヤドーム付近において女性2人の目撃情報も得られなかった<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-07"/>。
W・X兄弟は捜査本部による7日までの取り調べに対し、それぞれ女性2人の行方不明への関与を否定していたが、両被疑者の供述に矛盾点が多いことや、ドーム周辺でも目撃情報が一切ないことから、さらに追及したところ「女性2人を拉致した後、すぐに藤岡町の山中に向かい、ガムテープで縛りつけ、ビニール袋を頭からかぶせて抵抗できないようにした女性2人をそれぞれ、あらかじめ車に用意していた空きドラム缶2缶に入れ、N・K両被疑者の命令で、自分たちとY・Zの4人で、生きたままガソリンをかけて火を点け、数時間かけて焼き殺した。その後遺体を切断し、すぐ横の崖から数十m下の沢に蹴り落とし、遺棄した」「N・K両被疑者からは『2人を殺さなければ、お前らを殺す』などと命令されていた」などと供述を始めた<ref name="中日20000408">『中日新聞』2000年4月8日朝刊1面「逮捕の兄弟『2人殺した』 千種の連れ去り 遺体?一部を発見」<br>『中日新聞』2000年4月8日夕刊1面「連れ去り女性殺害 焼殺遺体の一部確認 瀬戸・藤岡境の山中 使用ドラム缶も 『生きたままガソリンかけた』容疑者供述」<br>『東京新聞』2000年4月8日夕刊社会面11面「女性2人を拉致 焼殺 『生きたまま』供述 強盗傷害で逮捕の兄弟 山中から遺体の一部 名古屋」</ref>。供述に基づき、捜査本部が愛知県の西三河北部で遺体を捜索したところ、殺害を裏付ける証拠は発見できなかったが、7日になって切断された遺体の一部らしいものが見つかった<ref name="中日20000408"/>。8日午前、捜査本部は藤岡町・瀬戸市境の山中で本格的な捜索を開始し、焼いて炭化した遺体の一部と、遺体を焼いた痕跡のあるドラム缶2缶を発見した<ref name="中日20000408"/>。これを受け、県警は殺害容疑が強まったとして、捜査本部を特別捜査本部に切り替え、引き続き遺体の発見に全力を挙げつつ、身元の確認を急いだ<ref name="中日20000408"/>。Wは取り調べに対し「ドラム缶は上部の蓋を切り、側面の下部に空気穴をあけるなどの工作をした」と供述したことから、特捜本部は計画的犯行とみて追及した<ref name="中日20000408"/>。Wらは、Aから手形絡みの二百数十万円の債権を回収しようとしてトラブルになっていたが、これが女性2人の殺害につながるほど強い動機とはいえず、背後関係を解明するため、特捜本部は4人を厳しく取り調べた<ref name="中日20000408"/>。
* 拉致した直後の4日午前1時頃、名古屋市東区内の[[ナゴヤドーム]]周辺で車から降ろして解放した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-06"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-06"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-07"/>。
* 解放後、2人がどこに行ったかは知らない<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-06"/>。


被疑者Wは取り調べの当初、N・K両名の存在を隠していたが、警察官から追及されたことで嘘をつき通すことができなくなり、共犯者として関与したN・K両名の存在を自供するとともに<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>、2000年4月7日までにB・C両被害者をドラム缶で焼き殺した強盗殺人などの事実を自供した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/><ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08"/>。捜査本部は後述のように遺体とみられるものを確認する以前にも、W・X両被疑者の供述に基づいて瀬戸市内の殺害・遺体遺棄現場とみられる場所を確認したが、その時点では遺体・殺害を裏付ける物証は発見できなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08"/>。
4月8日、指名手配中の2人(N・K)のうち1人が、B子をドラム缶に入れて焼き殺す直前、B子に対し「お前のお父ちゃん(A)が悪いんや」と言っていたことが、それまでに逮捕された共犯者らの供述から判明した<ref name="中日20000409">『中日新聞』2000年4月9日朝刊社会面39面「千種の連れ去り 手形トラブル動機? 主犯格2人 埼玉県へ逃走」<br>『東京新聞』2000年4月9日朝刊社会面27面「拉致2女性焼殺事件 焼却ドラム缶『事前に用意』 容疑者自供、計画性追及」</ref>。特捜本部は、この言葉が主犯格とAの間の、手形回収絡みのトラブルが動機であることを裏付ける事実とみて、さらに詳しく調べつつ、事件後に主犯格2人が[[埼玉県]]内の銀行で、現金百数十万円を引き出したことを把握し、同県に捜査員を派遣して行方を追った<ref name="中日20000409"/>。また、この日の現場山中の捜索で、被害者女性2人とみられる顎・脚の骨、2人の所有物とみられる[[ネックレス]]が、林道脇の空き地と道路を挟んだ向かい側の山側に女性用とみられる[[腕時計]]2個が転がっており、空き地から数十m下の崖にドラム缶2缶、そのそばにチェーンソーが転がっているのを発見した<ref name="中日20000409"/>。Wが取り調べに対し「2人をドラム缶の中に入れ、ガソリンをかけて焼き殺した後、チェーンソーで切断した」と供述していたことから、特捜本部はチェーンソーの鑑定を行いつつ、翌9日も朝から捜索・現場検証を行うこととした<ref name="中日20000409"/>。


2000年4月6日、捜査本部はN・K両被疑者が女性2人の行方を知っているものとみて、強盗致傷容疑で両被疑者を指名手配した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-07">『中日新聞』2000年4月7日朝刊第二社会面38面「中古車販売業者ら2人を指名手配 千種の連れ去り事件」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-07">『朝日新聞』2000年4月7日朝刊第一社会面35面「2容疑者、新たに手配 名古屋の2女性拉致事件【名古屋】」</ref>。捜査本部は「事件発生以来2人の消息が途絶え、目撃情報も一切ないこと」から最悪の事態も想定して緊迫した捜査を続け<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-07"/>、「現場の状況などから他にも共犯者がいる可能性が高い」として4被疑者を追及したところ、N・K両被疑者の存在が浮上した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-07"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-07"/>。捜査本部は捜査員80人態勢で被害者2人やN・K両被疑者の行方を捜索するとともに、犯行グループの車が発見された中津川市周辺の岐阜県[[東濃]]地域も含めて広範囲で捜査を行った<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-07"/>。
4月10日、これまでに逮捕されていた共犯の被疑者4人のうちの1人が、特捜本部の取り調べに対し「ドラム缶はA・B子夫婦を殺すためにあらかじめ2つ用意していた。A夫婦が載った車を襲ったが、Aが逃げ、車内にB子・C子が残ったため、この2人を焼き殺した」などと供述していたことが判明した<ref name="中日20000410">『中日新聞』2000年4月10日夕刊社会面13面「千種の連れ去り 従業員は巻き添え焼殺 『夫妻狙い計画』 容疑者供述」<br>『東京新聞』2000年4月10日第二夕刊社会面10面「『夫婦殺すはずだった』 2女性焼殺で容疑者供述」</ref>。このことから特捜本部は、本来の殺害目的はA・B子夫婦で、C子は巻き添えに拉致され、B子とともに殺害されたと断定し、4人を追及した<ref name="中日20000410"/>。また、特捜本部はこの日までの捜索・現場検証で、2女性の遺体とみられる多数の骨肉片や2本の歯、イヤリングや化粧用具、鍵などを新たに発見した<ref name="中日20000410"/>。このうち、多数の骨肉片などは、林道脇の空き地から数十m下の崖までの斜面や、ドラム缶・チェーンソーの落ちていた付近一帯に散乱していたことから、捜査本部は「空き地で、ガソリンを入れたドラム缶で2人を生きたまま焼き殺した。空き地から崖に向け、切断した遺体とドラム缶を捨てた」という、Wらの供述を裏付ける物的証拠とみて、さらに分析を進めた<ref name="中日20000410"/>。


さらに2000年4月7日、W・X両被疑者の供述した現場付近から遺体の一部とみられるものが発見された<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08">『中日新聞』2000年4月8日朝刊1面「逮捕の兄弟『2人殺した』 千種の連れ去り 遺体?一部を発見」</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08 夕刊">『中日新聞』2000年4月8日夕刊1面「連れ去り女性殺害 焼殺遺体の一部確認 瀬戸・藤岡境の山中 使用ドラム缶も 『生きたままガソリンかけた』容疑者供述」</ref><ref group="新聞">『東京新聞』2000年4月8日夕刊第一社会面11面「女性2人を拉致 焼殺 『生きたまま』供述 強盗傷害で逮捕の兄弟 山中から遺体の一部 名古屋」</ref>。
同日午後6時頃、それまで強盗致傷容疑で指名手配されていたN・K両被疑者が千種署に出頭してきたことから、特捜本部は両被疑者を同容疑で逮捕した<ref name="中日20000411">『中日新聞』2000年4月11日朝刊社会面33面「千種・連れ去り 主犯格の男2人逮捕 2女性の焼殺を指示」<br>『東京新聞』2000年4月11日朝刊社会面31面「2女性焼殺 手配の2人を逮捕 主犯格か、強盗傷害容疑」</ref><ref name="朝日20000411">『朝日新聞』2000年4月11日朝刊第一社会面31面「手配の2容疑者逮捕 県警、動機追及へ 千種の女性拉致【名古屋】」<br>『朝日新聞』2000年4月11日朝刊第一社会面39面「手配の2人出頭、逮捕 名古屋の2女性拉致、焼殺 愛知県警千種署」</ref>。2人とも、埼玉県内の銀行で現金を引き下ろしたことから、ともに潜伏していたものとみられ、取り調べに対してはNは強盗致傷容疑を認めたが、Kは「千種区内の現場にはいたが、他の5人と共謀はしておらず、何もしていない」と、容疑を否認した<ref name="中日20000411"/><ref name="朝日20000411"/>。殺害実行犯のW・X両被疑者は、取り調べに対し「ライターで火を点けるとき、手が震えた。被害者がギャーと叫んだ」「毎晩、(殺害した際の)あの情景が出てきて眠れない」などと供述していた<ref name="中日20000411"/>。
* 女性2人を拉致した後、すぐに藤岡町の山中に向かい、2人をガムテープで縛りつけ、ビニール袋を頭からかぶせて抵抗できないようにした<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08 夕刊"/>。
* 女性2人をそれぞれあらかじめ車に用意していた空きドラム缶2缶に入れ、N・K両被疑者の命令で、生きたままガソリンをかけて火を点けて数時間かけて焼き殺した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08 夕刊"/>。
* その後遺体をチェーンソーで切断し、すぐ横の崖から数十メートル下の沢に蹴り落として遺棄した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08 夕刊"/>。
* (動機について)殺害現場に居合わせていたN・K両被疑者からは「2人を殺さなければお前らを殺す」などと命令されたため、4人で女性2人を殺害した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08 夕刊"/>。
* Wは「ドラム缶は上部の蓋を切り、側面の下部に空気穴を開けるなどの工作をした」と供述したことから、特捜本部は「計画性の高い犯行」として追及した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08 夕刊"/><ref group="新聞">『東京新聞』2000年4月9日朝刊第一社会面27面「拉致2女性焼殺事件 焼却ドラム缶『事前に用意』 容疑者自供、計画性追及」</ref>。


2000年4月8日午前、捜査本部は藤岡町・瀬戸市境の山中で本格的な捜索を開始し、焼けて炭化した(後にB・C両被害者の遺体と判明する)遺体の一部(被害者女性2人の顎・脚とみられた骨)と、遺体を焼いた痕跡のあるドラム缶2缶を発見したため<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08 夕刊"/>、強盗殺人・死体損壊などの事実が発覚した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。現場山中捜索では骨以外にも、2人の所有物とみられる[[ネックレス]]が発見されたほか、女性用とみられる[[腕時計]]2個が林道脇の空き地と道路を挟んだ向かい側の山側に転がっていた<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-09"/>。また、空き地から数十メートル下の崖にドラム缶2缶とチェーンソーが転がっているのを発見した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-09"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-09">『朝日新聞』2000年4月9日朝刊第一社会面39面「『手配中の2人が指示』 名古屋2女性焼殺事件で容疑者が供述」</ref>。
14日までの取り調べで、N・K両被疑者はWら4人に指示し、犯行前日にすり鉢を購入させていたことが判明した<ref name="中日20000414">『中日新聞』2000年4月14日夕刊社会面15面「2女性殺害 遺体粉砕にすり鉢準備 N容疑者ら 完全な証拠隠滅計画」</ref>。すり鉢はワゴン車に積んで現場まで持ち込まれたものの、チェーンソーで遺体が灰のように粉々になったため、Nらは結局すり鉢を使用せず、灰を周囲に捨てたが、計画段階では焼殺した遺体をチェーンソーで切断後、すり鉢ですりつぶし、完全な証拠隠滅を狙っていたとみて、特捜本部はNらを追及した<ref name="中日20000414"/>。また、N・Kらはこの日までの取り調べに対し、B子・C子両被疑者の殺害を認める供述をした<ref name="中日20000415"/>。それによれば、Nは一連の襲撃・殺害計画を立案し、Kとともに2人で、共犯者4人のうち2人に殺害実行役を指示していたことをほのめかす供述をした<ref name="中日20000415"/>。この供述は、先に逮捕された被疑者4人のうち1人が供述した「N・K両被疑者が、瀬戸市内の現場まで誘導し、拉致したB子・C子を殺害するよう命令した。2人は手を下さなかった」という内容とほぼ合致することから、特捜本部はこの2人を主犯格とみて、裏付けを急ぐべく引き続き追及した<ref name="中日20000415">『中日新聞』2000年4月15日朝刊社会面31面「2女性殺害ほのめかす 千種連れ去り N容疑者 襲撃立案し指示」</ref>。一方、KはAを襲撃したこと、2人を殺害したことを共に否定した<ref name="中日20000415"/>。それまでの捜査では、Aが振り出した手形がNの親族の経営する金融会社に渡り、同社がN・K両被疑者に債権の回収を指示したことから、2人がAに支払いを催促したものの、Aが応じなかったことが殺害動機につながったと推測された<ref name="中日20000415"/>。また、特捜本部による同日までの現場周辺の捜索により、新たに金槌が発見された<ref name="中日20000415"/>。金槌は焼殺遺体をチェーンソーで切断後、骨などを細かく粉砕するのに用いたとみられ、特捜本部は、砕いた骨をすりつぶすために用意されたすり鉢などとともに、完全な証拠隠滅目的で用意された道具の一つとみて捜査した<ref name="中日20000415"/>。


愛知県警はこれを受け「女性2人が殺害された容疑が強まった」として、捜査本部を特別捜査本部に切り替えて捜査体制を強化し、引き続き遺体の発見に全力を挙げつつ、遺体の身元の確認を急いだ<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08 夕刊"/>。その一方で動機として挙げられた「被害者Aとの間で債権回収を巡るトラブルになった」という供述について、「それが女性2人の殺害につながるほど強い動機とはいえない」という疑念が払拭できなかったため、特捜本部は背後関係を解明するため被疑者4人を厳しく取り調べた<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-08 夕刊"/>。
4月24日、[[名古屋地方検察庁]]はW・X・Y・Zの4人を、Aを襲撃して車を奪った強盗致傷容疑で[[名古屋地方裁判所]]に[[起訴]]した<ref>『中日新聞』2000年4月25日朝刊社会面29面「名古屋の2女性焼殺 強盗傷害で4人起訴」</ref><ref>『朝日新聞』2000年4月25日朝刊第一社会面29面「容疑者4人を起訴 名古屋・千種区の拉致事件【名古屋】」</ref>。


同日にはそれまでに逮捕された共犯者らの供述から、指名手配中の2被疑者(N・K)のうち1人(後にNと判明)がBをドラム缶に入れて焼き殺す直前、Bに対し「お前のお父ちゃん(A)が悪いんや」と言っていたことも新たに判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-09">『中日新聞』2000年4月9日朝刊第一社会面39面「千種の連れ去り 手形トラブル動機? 主犯格2人 埼玉県へ逃走」</ref>。一方、被疑者Wも督促状を会社事務所に貼り付けられるなど、多額の借金をしていたことが判明した<ref group="新聞" name="毎日新聞2000-04-09">『[[毎日新聞]]』2000年4月9日東京朝刊第一社会面31面「容疑者、多額の借金 金銭トラブル強まる--名古屋の女性焼殺事件」</ref>。
千種署特捜本部は26日、それまでの[[鑑識]]・[[DNA鑑定]]の結果、瀬戸市の現場にあった、女性用の腕時計・イヤリング・車の鍵などの遺留品はB子・C子の物で、炭化した遺体のDNA型も被害者2人の物と一致することが判明した<ref name="朝日20000501">『朝日新聞』2000年5月1日朝刊第一社会面23面「炭化2遺体、DNA一致 千種の女性拉致、6人再逮捕へ【名古屋】」<br>『朝日新聞』2000年5月1日朝刊第二社会面26面「6容疑者再逮捕へ 遺体DNA、2女性と一致 名古屋の焼殺事件」</ref>。これを受け、千種署特捜本部は同日、N・Kを含め、既に強盗致傷容疑で逮捕されていた6人全員を、B子の財布などがなくなっていることから、強盗殺人容疑での逮捕も視野に入れつつ、殺人容疑で再逮捕する方針を固めた<ref name="朝日20000501"/><ref name="中日20000427">『中日新聞』2000年4月27日朝刊社会面29面「千種・連れ去り 6容疑者 殺人で再逮捕へ 遺留品 2被害者と特定」<br>『東京新聞』2000年4月27日朝刊社会面27面「2女性焼殺で6人再逮捕へ 名古屋の連れ去り」</ref>。このうち、Y・Z両被疑者は殺害現場にはいなかったが、犯行前日の3日に、N・K・W・Xとともに殺害の事前謀議に加わっていたことから、特捜本部は6人全員を殺人の共謀共同正犯として立件することが可能と判断した<ref name="中日20000427"/>。また、当初は「自分は現場にいたが、何もしていない」と容疑を否認していたKも、その後容疑を認める姿勢に転じたという<ref name="朝日20000501"/>。特捜本部の取り調べに対し、Kは強盗致傷容疑も含めてすべて否認したが、Nら5人は瀬戸市の現場での殺害についてもほぼ認めた<ref name="中日20000427"/>。


また、被疑者Wが取り調べに対し「遺体をチェーンソーで切断した」と供述したことから、特捜本部はチェーンソーの鑑定を行いつつ、翌9日も朝から捜索・現場検証を行うこととした<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-09"/>。特捜本部は「この言葉が主犯格とAの間の手形回収絡みのトラブルが動機であることを裏付ける事実」と推測してさらに詳しく調べた<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-09"/>。一方、事件後に主犯格2人が[[埼玉県]]内の銀行で現金百数十万円を引き出したことを把握したため、埼玉県に捜査員を派遣して行方を追った<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-09"/>。
5月1日、名古屋地検はAを襲撃して車を奪った強盗致傷容疑で、主犯格のN・K両被疑者を名古屋地裁に起訴した<ref>『中日新聞』2000年5月2日朝刊社会面27面「強盗傷害罪で2人を起訴 千種の2女性焼殺」</ref><ref>『朝日新聞』2000年5月2日朝刊第一社会面27面「主犯格2人も強盗傷害罪 名古屋・千種区の女性拉致事件【名古屋】」</ref>。


2000年4月10日、それまでに逮捕されていた共犯の被疑者4人のうちの1人が特捜本部の取り調べに対し「ドラム缶はA・B夫婦を殺すためにあらかじめ2つ用意していた。A夫婦が乗った車を襲ったが、Aが逃げて車内にB・Cが残ったため、この2人を焼き殺した」などと供述したことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-10">『中日新聞』2000年4月10日夕刊第一社会面13面「千種の連れ去り 従業員は巻き添え焼殺 『夫妻狙い計画』 容疑者供述」</ref><ref group="新聞">『東京新聞』2000年4月10日夕刊第二社会面10面「『夫婦殺すはずだった』 2女性焼殺で容疑者供述」</ref>。このことから特捜本部は「本来の殺害目的はA・B夫婦だったが、偶然居合わせたCが巻き添えに拉致されてBとともに殺害された」と断定し、4人を追及した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-10"/>。また、特捜本部は同日までの捜索・現場検証で、2女性の遺体とみられる多数の骨肉片・歯2本、イヤリング・化粧用具・鍵などを新たに発見した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-10"/>。このうち多数の骨肉片などは、林道脇の空き地から数十メートル下の崖までの斜面や、ドラム缶・チェーンソーの落ちていた付近一帯に散乱していたことから、特捜本部はWらの「空き地で2人をドラム缶に押し込み、ガソリンを入れて生きたまま焼き殺し、空き地から崖に向けて切断した遺体・ドラム缶を捨てた」という供述を裏付ける物的証拠とみて、さらに分析を進めた<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-10"/>。
千種署特捜本部は5月2日、B子・C子を車で拉致し、現金約2万円入りのかばんを奪った後、2人をドラム缶に入れ、ガソリンをかけて焼き殺し、遺体を切断したとする強盗殺人、死体損壊などの容疑で、6人全員を再逮捕した<ref>『中日新聞』2000年5月3日朝刊社会面31面「強盗殺人で6人再逮捕 千種の2人連れ去り 焼殺し遺体を切断」</ref><ref name="朝日20000503">『朝日新聞』2000年5月3日朝刊第一社会面29面「強殺容疑で6人再逮捕 名古屋の2女性拉致事件【名古屋】」<br>『朝日新聞』2000年5月3日朝刊第二社会面30面「女性焼殺容疑で6人を再逮捕 愛知県警・千種署」</ref>。6人とも容疑を認めた上で、動機について「Aから手形の支払いを何度も断られ、対応の悪さに面子を潰されて頭に来ていた。借金の形に自動車を奪って殺そうと思った」などと供述した<ref name="朝日20000503"/>。


逃亡を続けていたN・K両名はWを身代わり出頭させた後、Nの実父の知人を頼って東京都から[[埼玉県]]・[[栃木県]]・[[群馬県]]と[[関東地方]]一帯を逃げ回り続けたが、その途中で自分たちも指名手配された事実を知るなどしたため「これ以上はもう逃げきれない」と考え、「警察署に出頭した上で『自分たちは強盗殺人などの犯行に関係ない』と言い張ろう」と嘘の供述をして口裏合わせをすることを決めた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。そしてN・K両名は2000年4月10日、2人合わせて約10万円の所持金を持ってそれぞれ愛知県警千種署に出頭した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-11"/>。
5月8日までの調べで、W・X・Y・Zの4人は、主犯格のN・K両被疑者から指示を受け、2月20日夜にもAを襲撃しようと、A宅付近で待ち伏せていたことが、特捜本部の取り調べで判明した<ref name="中日20000508">『中日新聞』2000年5月8日夕刊社会面11面「襲撃計画 一度は未遂 千種の2女性焼殺 ガソリンは既に準備」</ref>。Wら4人は、この時点では待ち伏せること以外に具体的な指示は受けていなかったが、後に焼殺に使ったガソリンや金槌を用意しており、既に殺人を実行しようとしていたと思われるが、4人は待ち伏せ中に車内で寝込んでしまい、Aの襲撃は失敗に終わった<ref name="中日20000508"/>。


2000年4月10日午後6時頃<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-11 名古屋"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-11"/>、それまで指名手配されていたN・K両被疑者が千種署に出頭してきたことから、特捜本部は同日付で両被疑者を手配容疑の強盗致傷容疑で逮捕した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-11">『中日新聞』2000年4月11日朝刊第一社会面33面「千種・連れ去り 主犯格の男2人逮捕 2女性の焼殺を指示」</ref><ref group="新聞">『東京新聞』2000年4月11日朝刊第一社会面31面「2女性焼殺 手配の2人を逮捕 主犯格か、強盗傷害容疑」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-11 名古屋">『朝日新聞』2000年4月11日朝刊第一社会面31面「手配の2容疑者逮捕 県警、動機追及へ 千種の女性拉致【名古屋】」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-11">『朝日新聞』2000年4月11日朝刊第一社会面39面「手配の2人出頭、逮捕 名古屋の2女性拉致、焼殺 愛知県警千種署」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2000-04-11">『毎日新聞』2000年4月11日中部朝刊第一社会面25面「手配の2人、強盗致傷容疑で逮捕 殺害を指示か--名古屋・2女性焼殺事件」</ref>。
名古屋地検は5月22日、強盗致傷容疑で起訴済みのN・K両被疑者ら計6人を、1日の逮捕容疑である強盗殺人、死体損壊などの罪で名古屋地裁に追起訴した<ref>『中日新聞』2000年5月23日朝刊社会面27面「強殺で6人追起訴 千種の2女性焼殺」</ref><ref name="朝日20000523">『朝日新聞』2000年5月23日朝刊第一社会面27面「6容疑者を追起訴 新たに詐欺容疑も 名古屋の2人殺害【名古屋】」</ref>。6人は本件とは別に、パソコンを仕入れて転売し、代金をだまし取った詐欺容疑(被害総額数千万円)も浮上しており、愛知県警が継続捜査することとなった<ref name="朝日20000523"/>。
* 取り調べに対し、被疑者Nは強盗致傷容疑を認めた一方、被疑者Kは「千種区内の現場にはいたが、他の5人と共謀はしておらず、自分は何もしていない」と供述して容疑を否認した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-11"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-11 名古屋"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-11 名古屋"/>。
** 特捜本部は「N・K両被疑者が焼殺事件を主導した」と推測して犯行動機・経緯などの解明を急いだ<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-11 名古屋"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-04-11"/>。
* 殺害・遺体遺棄実行犯のW・X両被疑者は、取り調べに対し「ライターで火を点けるときに手が震えた。被害者がギャーと叫んだ」「毎晩、被害者を殺害した際の情景が夢に出てきて眠れない」などと供述した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-11"/>。
* またそれまでの捜査において、殺害に使用されたとされるドラム缶などの発見場所は「愛知県西加茂郡藤岡町西市野々」と発表されていたが、同日には「愛知県瀬戸市北白坂町」に訂正された<ref group="新聞" name="毎日新聞2000-04-11"/>。


2000年4月14日までの取り調べで、N・K両被疑者はWら4人に指示して犯行前日にすり鉢を購入させていたことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-14">『中日新聞』2000年4月14日夕刊第一社会面15面「2女性殺害 遺体粉砕にすり鉢準備 N容疑者ら 完全な証拠隠滅計画」</ref>。すり鉢は結局使用されることはなかったが、特捜本部は「計画段階では焼殺した遺体をチェーンソーで切断後、すり鉢ですり潰して完全な証拠隠滅を狙っていた」とみてNら6被疑者を追及した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-14"/>。
== 刑事裁判 ==
* なお、被疑者Nはこの日までの取り調べに対し「一連の襲撃・殺害計画を立案し、Kとともに2人で、W・Xの2人に殺害実行役を指示した」と述べ、B・C両被疑者の殺害を認める供述をした<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-15"/>。
=== 第一審・名古屋地裁 ===
** この供述は先に逮捕された被疑者4人のうち1人が供述した「N・K両被疑者が瀬戸市内の現場まで誘導し、拉致したB・Cを殺害するよう命令した。2人は手を下さなかった」という内容とほぼ合致することから、特捜本部はこの2人を主犯格とみて、裏付けのために引き続き追及した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-15">『中日新聞』2000年4月15日朝刊第一社会面31面「2女性殺害ほのめかす 千種連れ去り N容疑者 襲撃立案し指示」</ref>。
N・Kら[[被告人]]6人の[[刑事裁判]]の初[[公判]]は2000年7月18日、名古屋地裁で開かれた<ref name="中日20000718">『中日新聞』2000年7月18日夕刊社会面13面「6被告 起訴事実認める ドラム缶殺人 名地裁初公判 主犯格、共犯脅す 『5000万円保険掛けた』」<br>『東京新聞』2000年7月18日夕刊第二社会面10面「ドラム缶焼殺 起訴内容認める 名古屋地裁で4被告」</ref><ref name="朝日20000718">『朝日新聞』2000年7月18日夕刊第一社会面9面「2主犯格、起訴事実認める ドラム缶焼殺事件初公判【名古屋】」</ref>。この事件は主犯格のN・K両被告人が名古屋地裁刑事第3部([[片山俊雄]]裁判長)で、共犯者4人が名古屋地裁刑事第5部([[三宅俊一郎 (裁判官)|三宅俊一郎]]裁判長)で、それぞれ分離公判として審理されることとなった<ref name="朝日20000718"/>。冒頭陳述で検察側は、N・Kらが共犯者4人に対し、自分たちが経営する会社が受取人の[[生命保険]]に加入させた上、[[保険金殺人|命令に従わない場合は殺害する]]ことをほのめかし、計画に引き込んでいた事実を明らかにするとともに、Aに手形の支払いを断られたことを犯行動機として、極めて残忍な手口を詳述し、計画的犯行であると断罪した<ref name="中日20000718"/><ref name="朝日20000718"/>。罪状認否でN・K両被告人は「間違いありません」と起訴事実を全面的に認め、W・X・Y・Zの4人もそれぞれ起訴事実を認めたが<ref name="中日20000718"/><ref name="朝日20000718"/>、殺害実行犯のW・X両被告人は「5000万円の保険金をかけられ、Nらの命令に従わなければ殺されると思った」と、刑事責任はN・K両被告人に比べて軽いと主張し、殺害現場にいなかったY・Z両被告人は「殺害の謀議があったことは認めるが、実際にどういうことがあったのかはわからない」と述べた<ref name="中日20000718"/><ref name="朝日20000718"/>。
* 一方、被疑者Kは「被害者Aの襲撃、B・C両被害者の殺害のいずれにも関与していない」として、全面的に容疑を否認した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-15"/>。


また特捜本部による同日までの殺害現場周辺の捜索により、新たに金槌が発見された<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-15"/>。金槌は焼殺遺体をチェーンソーで切断後、骨などを細かく粉砕するのに用いられており、特捜本部は「砕いた骨をすり潰すために用意されたすり鉢などとともに、完全な証拠隠滅目的で用意された道具」とみて6被疑者を追及した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-15"/>。W・X・Y・Zの4被疑者らはN・K両被疑者に服従していた理由について、取り調べに対し「Nはバックに暴力団関係者がいたため、逆らったら何をされるか怖かった」と供述した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-11"/>。
N・K両被告人の第2回公判は9月7日に名古屋地裁(片山俊雄裁判長)で開かれた<ref name="中日20000908">『中日新聞』2000年9月8日朝刊第二社会面38面「ドラム缶など証拠に採用 2女性焼殺事件公判」</ref>。この日は、焼殺に使われた2つのドラム缶、遺体切断に使われたチェーンソーなどが、検察側の物的証拠として法廷に提出され、証拠採用された<ref name="中日20000908"/>。ドラム缶の煤は洗い流され、上部は缶切りで開けたように、一部分を除いて切断されており、下部には空気穴も空けられていた<ref name="中日20000908"/>。また、Aら被害者遺族の「人間にできることではない。犯人にも同じことをしないと気が済まない。極刑を願っている」「炎でもがきながら死んだ姿を想像してしまう。犯人に生きる権利はない」と、怒りの声がつづられた供述調書3通も検察側から法廷に提出され、証拠採用された<ref name="中日20000908"/>。


[[名古屋地方検察庁]]は2000年4月24日、「被害者Aを襲撃して車を奪った」としてW・X・Y・Zの被疑者4人を強盗致傷容疑で[[名古屋地方裁判所]]に[[起訴]]した<ref group="新聞">『中日新聞』2000年4月25日朝刊第一社会面29面「名古屋の2女性焼殺 強盗傷害で4人起訴」</ref><ref group="新聞">『朝日新聞』2000年4月25日朝刊第一社会面29面「容疑者4人を起訴 名古屋・千種区の拉致事件【名古屋】」</ref>。
[[2001年]](平成13年)10月2日、W・X・Y・Zの共犯者4人についての[[論告]][[求刑]]公判を予定し、検察側は殺害の実行犯であるW・殺害行為には関与しなかったが、殺害現場に居合わせ、遺体の切断を行ったXに対してはそれぞれ死刑を、Aから奪った車を運転し、殺害現場に向かう途中で逮捕されたY・Z両被告人については「関与の程度はW・Xに比べて低い」と判断し、長期の懲役刑を求刑する方針だった<ref name="中日20011002">『中日新聞』2001年10月2日夕刊社会面15面「瀬戸のドラム缶焼殺2被告 死刑求刑の公算 名古屋地裁」</ref>。しかしこの日の公判では、検察側が新たに捜査段階での警察官調書などを証拠提出した一方、[[弁護人|弁護]]側が認否を留保したため、予定されていた論告求刑は次回公判(10月18日)に持ち越された<ref>『中日新聞』2001年10月3日朝刊社会面31面「ドラム缶焼殺 求刑持ち越す 名地裁公判」</ref>。


千種署特捜本部は2000年4月26日、それまでの[[鑑識]]・[[DNA鑑定]]の結果、「瀬戸市の現場にあった女性用の腕時計・イヤリング・車の鍵などの遺留品はB・C両被害者の遺留品であり、炭化した遺体のDNA型も両被害者と一致する」と断定した<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-05-01">『朝日新聞』2000年5月1日朝刊第一社会面23面「炭化2遺体、DNA一致 千種の女性拉致、6人再逮捕へ【名古屋】」</ref><ref group="新聞">『朝日新聞』2000年5月1日朝刊第二社会面26面「6容疑者再逮捕へ 遺体DNA、2女性と一致 名古屋の焼殺事件」</ref>。これを受けて特捜本部は同日、N・Kを含めた既に強盗致傷容疑で逮捕されていた被疑者6人全員を近く[[殺人罪 (日本)|殺人]]容疑で再逮捕する方針を固めた<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-05-01"/><ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-27">『中日新聞』2000年4月27日朝刊第一社会面29面「千種・連れ去り 6容疑者 殺人で再逮捕へ 遺留品 2被害者と特定」</ref><ref group="新聞">『東京新聞』2000年4月27日朝刊第一社会面27面「2女性焼殺で6人再逮捕へ 名古屋の連れ去り」</ref>。このうち、Y・Z両被疑者は殺害現場にはいなかったが、犯行前日の3日に、N・K・W・Xの4被疑者とともに殺害の事前謀議に加わっていたことから、特捜本部は「被疑者6人全員を殺人の共謀共同正犯として立件することが可能である」と判断した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-27"/>。また、被疑者Kを除く5人は瀬戸市の現場での殺害についてもほぼ認め<ref group="新聞" name="中日新聞2000-04-27"/>、唯一「自分は現場にいたが何もしていない」と容疑を否認していた被疑者Kもその後、容疑を認める姿勢に転じた<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-05-01"/>。特捜本部は「被害者Bの財布などがなくなっていることから、逮捕容疑については強盗殺人容疑での逮捕も視野に入れつつ、近く名古屋地検と協議する」という方針を決めた<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-05-01"/>。
その後、名古屋地裁(三宅俊一郎裁判長)で10月18日、改めて共犯4人についての論告求刑公判が開かれた<ref name="中日20011018">『中日新聞』2001年10月18日夕刊第二社会面12面「ドラム缶焼殺 共犯2被告に死刑求刑 名地裁公判 検察『残虐非道の極み』」</ref><ref name="朝日20011018">『朝日新聞』2001年10月18日夕刊第一社会面21面「共犯2被告に死刑を求刑 愛知の焼殺事件」</ref>。検察側は「240万円の手形債権の取り立てに絡み、何の落ち度もない女性2人を焼き殺した。殺害方法は類を見ないほど冷酷、無慈悲で残虐非道の極み」と断罪し、「完全犯罪を狙い、阿鼻叫喚の地獄さながら生きたまま2人を焼き殺し、死体を徹底的に粉砕し投げ捨てるという、犯罪史上まれにみる凶悪さだ。被告人らには人間の生命を尊ぶ気持ちが全くなく、鬼畜の如き所業だ」として、殺害・死体損壊の実行犯だったW・X両被告人に死刑を、殺害現場に向かう途中で逮捕されたY・Z両被告人にも「凶器を準備するなど、積極的に犯行に関与した」などとして、ともに懲役15年を求刑した<ref name="中日20011018"/><ref name="朝日20011018"/>。


名古屋地検は2000年5月1日、「被害者Aを襲撃して車を奪った」として主犯格のN・K両被疑者を強盗致傷容疑で名古屋地裁に起訴した<ref group="新聞">『中日新聞』2000年5月2日朝刊第一社会面27面「強盗傷害罪で2人を起訴 千種の2女性焼殺」</ref><ref group="新聞">『朝日新聞』2000年5月2日朝刊第一社会面27面「主犯格2人も強盗傷害罪 名古屋・千種区の女性拉致事件【名古屋】」</ref>。
W・X・Y・Zの4人の弁護側は、11月5日の最終弁論公判でそれぞれ情状酌量を求め、結審した<ref name="中日20011106">『中日新聞』2001年11月6日朝刊社会面31面「『主犯に脅され従う』 ドラム缶殺人 4被告公判 弁護側が最終弁論」</ref>。死刑を求刑されたW・X両被告人の弁護人は「主犯格のN・K両被告人から脅され、指示に従わざるを得なかった」として、ともに死刑回避を求め、懲役15年を求刑されたY・Z両被告人の弁護人も情状酌量を求めた<ref name="中日20011106"/>。


千種署特捜本部は2000年5月2日、「被害者B・Cを車で拉致し、現金約2万円入りのかばんを奪った後、2人をドラム缶に入れてガソリンをかけて焼き殺し遺体を切断した」として、被疑者6人全員を[[強盗殺人]]・[[死体損壊・遺棄罪|死体損壊]]などの容疑で再逮捕した<ref group="新聞">『中日新聞』2000年5月3日朝刊第一社会面31面「強盗殺人で6人再逮捕 千種の2人連れ去り 焼殺し遺体を切断」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-05-03">『朝日新聞』2000年5月3日朝刊第一社会面29面「強殺容疑で6人再逮捕 名古屋の2女性拉致事件【名古屋】」</ref><ref group="新聞">『朝日新聞』2000年5月3日朝刊第二社会面30面「女性焼殺容疑で6人を再逮捕 愛知県警・千種署」</ref>。被疑者らは6人とも容疑を認めた上で、犯行動機について「被害者Aから手形の支払いを何度も断られ、対応の悪さに面子を潰されて頭に来ていた。借金の肩に自動車を奪って殺そうと思った」などと供述した<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-05-03"/>。
11月21日、主犯格のN・K両被告人に対しての論告求刑公判が開かれ、検察側は両被告人に死刑を求刑した<ref name="中日20011121">『中日新聞』2001年11月21日朝刊第二社会面34面「2被告に死刑求刑 名古屋のドラム缶殺人 『上下関係なく対等』」</ref><ref name="朝日20011121">『朝日新聞』2001年11月21日朝刊第一社会面「2主犯格、死刑求刑 ドラム缶2人焼殺事件【名古屋】」<br>『朝日新聞』2001年11月21日朝刊第一社会面「女性2人を焼殺、2被告に死刑求刑 名古屋のドラム缶事件」</ref>。検察側は論告で、「N・K両被告人は、取り込み詐欺に失敗し、手形回収の仕事を請け負ったが、240万円の手形取り立てをAが拒否したため、無理矢理回収しようとした私利私欲に基づく犯行で、2人を殺害する必要はなかった」として、動機に酌量の余地はないと訴え、その上で「阿鼻叫喚のうちに、無関係な女性2人を生きたまま焼き殺した、犯罪史上類のない残酷な犯行だ。チェーンソーで遺体を切断し、骨片を山中に捨てるなど、死者に対する畏敬の念は微塵もない。被害者遺族の処罰感情は峻烈だ」<ref name="中日20011121"/>、「事件発覚後、家族の身の安全と引き換えに、共犯者らに責任を負わせて警察に出頭させたことなどから、悪質で矯正可能性はなく、極刑をもって臨むしかない」などと<ref name="朝日20011121"/>、犯行を糾弾した<ref name="中日20011121"/><ref name="朝日20011121"/>。また、両被告人名が互いに「相手の指示に逆らえなかった」と主張していることに対しては「上下関係はなく、対等な立場だった」と反論した<ref name="中日20011121"/>。


2000年5月8日までの取り調べの結果、W・X・Y・Zの被疑者4人は「主犯格のN・K両被疑者から指示を受け、事件2か月前の2000年2月20日夜にも被害者Aを襲撃しようとA宅付近で待ち伏せていたが、待ち伏せ中に車内で寝込んでしまったため失敗に終わっていた」ことが新たに判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-05-08">『中日新聞』2000年5月8日夕刊第一社会面11面「襲撃計画 一度は未遂 千種の2女性焼殺 ガソリンは既に準備」</ref>。Wら被疑者4人は、この時点では待ち伏せること以外に具体的な指示は受けていなかったが、後に焼殺に使ったガソリン・金槌を用意していたことから「既に殺人を実行しようとしていた」可能性が推測された<ref group="新聞" name="中日新聞2000-05-08"/>。
12月20日に弁護側の最終弁論公判が開かれた<ref name="中日20011221"/><ref name="朝日20011221">『朝日新聞』2001年12月21日朝刊第一社会面31面「主犯格『生きたい』 名古屋・ドラム缶焼殺の公判が結審【名古屋】」</ref>。Kの弁護人は最終弁論で「事件の発端は、Nと関係が深い暴力団組織の債権取り立てが原因だった」と指摘し、Nの弁護人は「Nは2人を焼き殺した残酷な状況が今も忘れられずに苦しんでいる。生きて償わせることこそ、Nにとっては極刑より過酷な刑だ」と述べ、それぞれ「更生の可能性が強く、生きて償わせるべきだ」と述べ、死刑回避を求めた<ref name="朝日20011221"/>。両被告人は最終陳述で、Kは「死刑でも仕方ないが、家族のことを考えると少しでも長生きしたい」と、Nは「命で償うしかない。どんな判決でも控訴しない。極刑でも受け入れる」と、それぞれ意見陳述して結審した<ref name="中日20011221">『中日新聞』2001年12月21日朝刊社会面35面「『極刑受け入れる』 ドラム缶殺人公判 2被告が最終弁論」</ref>。


名古屋地検は2000年5月22日、強盗致傷容疑で起訴済みのN・K両被疑者ら計6人を再逮捕容疑の強盗殺人・死体損壊などの罪で名古屋地裁に追起訴した<ref group="新聞">『中日新聞』2000年5月23日朝刊第一社会面27面「強殺で6人追起訴 千種の2女性焼殺」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-05-23">『朝日新聞』2000年5月23日朝刊第一社会面27面「6容疑者を追起訴 新たに詐欺容疑も 名古屋の2人殺害【名古屋】」</ref>。6人は本件とは別に、パソコンを仕入れて転売し、代金をだまし取った[[詐欺罪|詐欺]]容疑(被害総額数千万円)も浮上していたため、愛知県警が継続捜査することとなった<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-05-23"/>。
翌[[2002年]](平成14年)2月19日、W・X・Y・Zの4被告人に対する[[判決 (日本法)|判決]]公判が名古屋地裁(三宅俊一郎裁判長)で開かれ、名古屋地裁は殺害実行役のW・X両被告人に[[無期刑|無期]][[懲役]]判決(求刑死刑)、Y・Z両被告人に懲役12年判決(求刑懲役15年)をそれぞれ言い渡した<ref name="中日20020219">『中日新聞』2002年2月19日夕刊1面「ドラム缶焼殺 実行役2人に無期 名地裁判決 他の2被告は懲役12年」<br>『中日新聞』2002年2月20日朝刊1面「ドラム缶焼殺 実行役2人に無期懲役 名地裁判決 他の2人は懲役12年」<br>『中日新聞』2002年2月20日朝刊第三社会面29面「ドラム缶焼殺判決要旨」</ref><ref name="朝日20020220">『朝日新聞』2002年2月20日朝刊第一社会面31面「共犯2被告、無期判決 2女性焼殺事件で名古屋地裁【名古屋】」</ref>。名古屋地裁は、[[判決理由]]で「短絡的で無謀な犯行であり、態様は残虐非道で、4被告人もそれぞれ重要な役割を果たした」と、厳しく犯行を指弾した上で、「犯行は主犯格のN・K両被告人が、躊躇うWら4人を脅して加担させ、実行させた」と[[事実認定|認定]]し、「4被告人は目先の保身を優先させたとの非難は免れられないが、こうした事情は量刑上考慮されるべきだ」と指摘した<ref name="中日20020219"/><ref name="朝日20020220"/>。その上で、殺害・死体損壊の実行役として関与したW・X両被告人に対しては「ドラム缶に引火させるなど、重要な実行行為を担当し、死刑選択も考えられるが、主犯2人の強い指示命令の下に行われた犯行であり、極刑がやむを得ないとは認められない」と結論付け、W・X両被告人は無期懲役刑、Y・Z両被告人はいずれも無期懲役刑を選択の上で酌量減軽し、懲役12年とするのが相当とした<ref name="中日20020219"/>。検察側・被告人側の双方が量刑不当を訴え、被告人側は更に、共犯関係の存在、[[自首]]の成立について事実誤認を主張し、それぞれ[[名古屋高等裁判所]]に[[控訴]]した<ref name="朝日20030619"/>。


== 刑事裁判 ==
2月21日、名古屋地裁(片山俊雄裁判長)で主犯格のN・K両被告人についての判決公判が開かれ、名古屋地裁はN・K両被告人にいずれも求刑通り死刑判決を言い渡した<ref name="中日20020221">『中日新聞』2002年2月21日夕刊1面「ドラム缶焼殺 主犯格2被告に死刑判決 『残虐で冷酷非道』 名地裁 犯行、厳しく批判」「適正で妥当な判決」(名古屋地検次席検事の話)<br>『中日新聞』2002年2月21日夕刊社会面13面「『でも母は帰らない』 ドラム缶焼殺で死刑判決 長女傍聴席で涙 『執行までわび続けて』」「うなずき頭下げる 判決聞き2被告」「『両被告とも覚悟していた』弁護人が会見」「K被告 めい福祈り日々写経 N被告『自分は死ぬべきだ』」<br>『東京新聞』2002年2月21日夕刊社会面11面「ドラム缶で姉妹焼殺『冷酷』 2被告に死刑判決 名古屋地裁」<br>『中日新聞』2002年2月22日朝刊第三社会面33面「ドラム缶殺人判決要旨」「落ち度ない2人を殺害」</ref><ref name="朝日20020221">『朝日新聞』2002年2月21日夕刊第一総合面1面「主犯格2被告に死刑 ドラム缶2女性焼殺で名古屋地裁【名古屋】」<br>『朝日新聞』2002年2月21日夕刊第一社会面11面「2被告、極刑に『はい』 焼殺事件で名古屋地裁判決【名古屋】」<br>『朝日新聞』2002年2月21日夕刊第二社会面14面「2女性焼殺の被告ら死刑判決 『金奪う目的で計画』 名古屋地裁」</ref>。名古屋地裁は「犯行の発覚を防ぐためという理由で被害者2人の命を奪い、動機も極めて自己中心的だ。社会に与えた影響も大きい」と厳しく犯行を非難した上で、「Nが犯行計画を立て、共犯者に具体的な指示を出して犯行を遂行しており、責任は犯行集団の中で最も重い」として、Nを事件の主犯と認定し、Kについても「Nと並んで最も強い立場にあり、Wら共犯4人を強引に犯行に引き込んだ。果たした役割はNに準ずるほど重大だ」と述べ、「Nが怖くて従った」とするKの弁護人主張を退けた<ref name="中日20020221"/><ref name="朝日20020221"/>。その上で、「2人の存在がなかったら犯行は遂行されなかった。その責任は、Wら共犯者4人とは格段の違いがある」と断じ、「極刑はやむを得ない」とした<ref name="中日20020221"/><ref name="朝日20020221"/>。
=== 第一審・名古屋地裁 ===
;2000年7月18日、6被告人の初公判
:N・Kら[[被告人]]6人の[[刑事裁判]]初[[公判]]は2000年7月18日、名古屋地裁で開かれた<ref group="新聞" name="中日新聞2000-07-18">『中日新聞』2000年7月18日夕刊第一社会面13面「6被告 起訴事実認める ドラム缶殺人 名地裁初公判 主犯格、共犯脅す 『5000万円保険掛けた』」</ref><ref group="新聞">『東京新聞』2000年7月18日夕刊第二社会面10面「ドラム缶焼殺 起訴内容認める 名古屋地裁で4被告」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2000-07-18">『読売新聞』2000年7月18日東京夕刊第一社会面15面「名古屋の2女性焼殺事件 主犯格の2被告、起訴事実認める/名古屋地裁」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2000-07-19">『読売新聞』2000年7月19日中部朝刊第一社会面35面「名古屋の2女性焼殺事件 6被告初公判 起訴事実認める/名古屋地裁」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-07-18">『朝日新聞』2000年7月18日夕刊第一社会面9面「2主犯格、起訴事実認める ドラム缶焼殺事件初公判【名古屋】」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2000-07-18 中部">『毎日新聞』2000年7月18日中部夕刊第一社会面7面「愛知・2女性焼殺事件初公判 6被告、起訴事実認める--名古屋地裁」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2000-07-18">『毎日新聞』2000年7月18日東京夕刊第一社会面9面「愛知・2女性焼殺事件初公判 6被告、起訴事実認める--名古屋地裁」</ref>。
:この事件は主犯格のN・K両被告人が名古屋地裁刑事第3部([[片山俊雄]]裁判長)で、共犯者4人が名古屋地裁刑事第5部([[三宅俊一郎 (裁判官)|三宅俊一郎]]裁判長)で、それぞれ分離公判として審理されることとなった<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-07-18"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2000-07-18 中部"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2000-07-18"/>。
:それぞれの公判において冒頭陳述で検察側は、「N・K両被告人が共犯被告人4人に対し、自分たちが経営する会社が受取人となる[[生命保険]]に加入させた上、[[保険金殺人|命令に従わない場合は殺害する]]ことをほのめかし、計画に引き込んでいた」と事実を明らかにするとともに「犯行動機は被害者Aに手形の支払いを断られたことである」と主張して、極めて残忍な手口を詳述し「本件は計画的犯行である」と断罪した<ref group="新聞" name="中日新聞2000-07-18"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-07-18"/>。
:これに加え、「本来の殺害対象はA・B夫妻だったが、『犯行を目撃されたために口止め目的で』被害者Cをも巻き込み、『生きたまま焼き殺せば血液が飛散しない』という理由で焼殺という手段に至った」と主張した<ref group="新聞" name="毎日新聞2000-07-18 中部"/>。
:また、犯行グループが設立した取り込み詐欺会社は2000年2月、パソコンの取り込み詐欺で約2,200万円の利益を上げていたことも明らかにされた<ref group="新聞" name="毎日新聞2000-07-18 中部"/>。
:;N・K両被告人の審理(名古屋地裁刑事第3部、片山俊雄裁判長)
::罪状認否でN・K両被告人は「間違いありません」と起訴事実を全面的に認めた<ref group="新聞" name="中日新聞2000-07-18"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-07-18"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2000-07-18 中部"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2000-07-18"/>。
:;W・X・Y・Zの4被告人の審理(名古屋地裁刑事第5部、三宅俊一郎裁判長)
::罪状認否でW・X・Y・Zの4被告人はそれぞれ起訴事実を認めた上で<ref group="新聞" name="中日新聞2000-07-18"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2000-07-18"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2000-07-18 中部"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2000-07-18"/>、「犯行は主犯格2人に命じられた」と述べた<ref group="新聞" name="朝日新聞2000-07-18"/>。
::殺害・死体損壊実行犯の被告人Wは罪状認否にて「犯行はN・K両被告人の指示によるものだ」と述べた<ref group="新聞" name="毎日新聞2000-07-18 中部"/>。
::W・X両被告人の[[弁護人]]は「主犯格のN・K両被告人から高額の生命保険をかけられ、2人の命令を拒否できない立場にあった」と主張し、それぞれ刑事責任の軽減を求めた<ref group="新聞" name="毎日新聞2000-07-18 中部"/>。
::また殺害現場にいなかったY・Z両被告人は「殺害の謀議があったことは認めるが、実際にどういうことがあったのかはわからない」と述べた<ref group="新聞" name="中日新聞2000-07-18"/>。

;2000年9月7日、N・K両被告人の第2回公判、名古屋地裁(片山俊雄裁判長)
:N・K両被告人の第2回公判は2000年9月7日、名古屋地裁(片山俊雄裁判長)で開かれた<ref group="新聞" name="中日新聞2000-09-08">『中日新聞』2000年9月8日朝刊第二社会面38面「ドラム缶など証拠に採用 2女性焼殺事件公判」</ref>。
:同日、検察側の物的証拠として焼殺に使われたドラム缶2つ・遺体切断に使われたチェーンソーなどが法廷に提出され、証拠採用された<ref group="新聞" name="中日新聞2000-09-08"/>。ドラム缶の煤は洗い流され、上部は缶切りで開けたように一部分を除いて切断されており、下部には空気穴が開けられていた<ref group="新聞" name="中日新聞2000-09-08"/>。
:また、被害者Aら被害者遺族の「人間にできることではない。犯人にも同じことをしないと気が済まない。極刑を願っている」「B・Cが炎でもがきながら死んだ姿を想像してしまう。犯人に生きる権利はない」など、怒りの声がつづられた供述調書3通も検察側から法廷に提出され、証拠採用された<ref group="新聞" name="中日新聞2000-09-08"/>。

;2001年10月18日、W・X・Y・Zの共犯者4被告人について論告求刑公判。W・X両被告人に死刑、Y・Z両被告人に懲役15年をそれぞれ求刑
:[[2001年]](平成13年)10月2日午後、W・X・Y・Zの共犯者4被告人について[[論告]][[求刑]]公判が予定されていた<ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-02">『中日新聞』2001年10月2日夕刊第一社会面15面「瀬戸のドラム缶焼殺2被告 死刑求刑の公算 名古屋地裁」</ref>。この時点までに検察側は以下のように求刑する方針を固めていた<ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-02"/>。
::殺害・死体損壊の実行犯である被告人W…死刑<ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-02"/>
::殺害行為には関与しなかったが殺害現場に居合わせ、死体損壊の実行犯となった被告人X…死刑<ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-02"/>
::被害者Aから奪った車を運転し、殺害現場に向かう途中で逮捕されたY・Z両被告人…「関与の程度はW・X両被告人に比べて低い」と判断し、長期の懲役刑<ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-02"/>
:しかしこの日の公判では、検察側が新たに捜査段階の警察官調書などを証拠提出した一方、弁護人側が認否を留保したため、予定されていた論告求刑は次回公判(2001年10月18日)に持ち越された<ref group="新聞">『中日新聞』2001年10月3日朝刊第一社会面31面「ドラム缶焼殺 求刑持ち越す 名地裁公判」</ref>。
:その後、名古屋地裁(三宅俊一郎裁判長)で2001年10月18日、改めて共犯4被告人についての論告求刑公判が開かれ、検察側は4被告人について「N・Kに恐怖感は抱いておらず、指示があれば躊躇なく承諾した」と主張し、以下の通り求刑した<ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-18">『中日新聞』2001年10月18日夕刊第二社会面12面「ドラム缶焼殺 共犯2被告に死刑求刑 名地裁公判 検察『残虐非道の極み』」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2001-10-19">『読売新聞』2001年10月19日中部朝刊第二社会面33面「千種の女性焼殺 2被告に死刑求刑/名古屋地裁」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2001-10-18">『朝日新聞』2001年10月18日夕刊第一社会面21面「共犯2被告に死刑を求刑 愛知の焼殺事件」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2001-10-18">『毎日新聞』2001年10月18日夕刊第一社会面7面「名古屋の2女性焼殺 2被告に死刑求刑--名地検『類を見ない冷酷さ』」</ref>。
::殺害・死体損壊の実行犯だったW・X両被告人…それぞれ死刑を求刑<ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-18"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2001-10-18"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2001-10-18"/>
:::論告で検察側は両被告人について「弁護人側主張とは異なりN・K両被告人に恐怖感は抱いておらず、指示に賛同して一連の犯行で重要な役割を果たした」と指摘した<ref group="新聞" name="毎日新聞2001-10-18"/>。
::殺害現場に向かう途中で逮捕されたY・Z両被告人…それぞれ懲役15年を求刑<ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-18"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2001-10-18"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2001-10-18"/>
:::Y・Z両被告人については「凶器を準備するなど、積極的に犯行に関与した」と指摘し<ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-18"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2001-10-18"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2001-10-18"/>、強盗殺人罪の共謀共同正犯の成立を主張した<ref group="新聞" name="毎日新聞2001-11-06"/>。
::論告で検察側は「被告人6人は240万円の手形債権の取り立てに絡み、何の落ち度もない女性2人を焼き殺した。殺害方法は類を見ないほど冷酷・無慈悲で残虐非道の極み」と犯行を断罪した上で、「完全犯罪を狙い、阿鼻叫喚の地獄さながら生きたまま2人を焼き殺し、死体を徹底的に粉砕し投げ捨てるという、犯罪史上稀に見る凶悪さだ。被告人らには人間の生命を尊ぶ気持ちが全くなく、鬼畜の如き所業だ」と主張した<ref group="新聞" name="中日新聞2001-10-18"/>。

;2001年11月5日、W・X・Y・Zの4被告人の公判結審、弁護人側最終弁論
:2001年11月5日、W・X・Y・Zの4被告人について最終弁論公判が開かれ結審した<ref group="新聞" name="中日新聞2001-11-06">『中日新聞』2001年11月6日朝刊第一社会面31面「『主犯に脅され従う』 ドラム缶殺人 4被告公判 弁護側が最終弁論」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2001-11-06">『読売新聞』2001年11月6日中部朝刊東海第三社会面33面「名古屋・女性ドラム缶焼殺 2被告『死刑回避を』=東海」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2001-11-06">『毎日新聞』2001年11月6日中部朝刊第二社会面20面「名古屋の2女性焼殺 『脅され加担』と死刑回避求める--地裁公判・弁護側最終弁論」</ref>。
:4被告人それぞれの弁護人はそれぞれ以下のように情状酌量を求めた<ref group="新聞" name="中日新聞2001-11-06"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2001-11-06"/>。
::死刑を求刑されたW・X両被告人の弁護人は「主犯格のN・K両被告人から脅され、指示に従わざるを得なかった」としてともに死刑回避を求めた<ref group="新聞" name="中日新聞2001-11-06"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2001-11-06"/>。
::懲役15年を求刑されたY・Z両被告人の弁護人も、「強盗殺人罪の共謀共同正犯は成立しない」と主張し<ref group="新聞" name="毎日新聞2001-11-06"/>、情状酌量を求めた<ref group="新聞" name="中日新聞2001-11-06"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2001-11-06"/>。

;2001年11月21日、主犯格のN・K両被告人に論告求刑公判で死刑求刑
:2001年11月21日、主犯格のN・K両被告人に関して論告求刑公判が開かれ、検察側は両被告人に死刑を求刑した<ref group="新聞" name="中日新聞2001-11-21">『中日新聞』2001年11月21日朝刊第二社会面34面「2被告に死刑求刑 名古屋のドラム缶殺人 『上下関係なく対等』」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2001-11-21">『読売新聞』2001年11月21日東京朝刊第一社会面39面「名古屋のドラム缶2女性焼殺 2人に死刑求刑」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2001-11-21 中部朝刊">『読売新聞』2001年11月21日中部朝刊東海第三社会面33面「千種の2女性焼殺 2被告に死刑求刑/名古屋地裁」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2001-11-21">『朝日新聞』2001年11月21日朝刊第一社会面「2主犯格、死刑求刑 ドラム缶2人焼殺事件【名古屋】」</ref><ref group="新聞">『朝日新聞』2001年11月21日朝刊第一社会面「女性2人を焼殺、2被告に死刑求刑 名古屋のドラム缶事件」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2001-11-21">『毎日新聞』2001年11月21日中部朝刊第二社会面22面「名古屋の2女性焼殺 首謀2人に死刑求刑--名古屋地裁論告」</ref>。
::検察側は論告で「N・K両被告人は取り込み詐欺に失敗したため手形回収の仕事を請け負ったが、被害者Aが240万円の手形取り立てを拒否したために無理矢理回収しようとした。私利私欲に基づく犯行で、2人を殺害する必要はなかった」として「動機に酌量の余地はない」と訴えた<ref group="新聞" name="中日新聞2001-11-21"/>。
::その上で「阿鼻叫喚のうちに無関係な女性2人を生きたまま焼き殺した、犯罪史上類のない残酷な犯行だ。チェーンソーで遺体を切断し骨片を山中に捨てるなど、死者に対する畏敬の念は微塵もない。被害者遺族の処罰感情は峻烈だ」と犯行を糾弾した<ref group="新聞" name="中日新聞2001-11-21"/>。
::そして「事件発覚後、家族の身の安全と引き換えに共犯者らに責任を負わせて警察に出頭させたことなどから、悪質で矯正可能性はなく、極刑をもって臨むしかない」などと結論付けた<ref group="新聞" name="中日新聞2001-11-21"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2001-11-21"/>。
::また、両被告人・および各弁護人が互いに「相手の指示に逆らえなかった」と主張したことに対しては「上下関係はなく対等な立場でそれぞれ一連の犯行を主導した」と反論した<ref group="新聞" name="中日新聞2001-11-21"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2001-11-21"/>。

;2001年12月20日、N・K両被告人の公判結審、弁護人側最終弁論
:2001年12月20日、弁護人の最終弁論が開かれ、N・K両被告人の公判が結審した<ref group="新聞" name="中日新聞2001-12-21">『中日新聞』2001年12月21日朝刊第一社会面35面「『極刑受け入れる』 ドラム缶殺人公判 2被告が最終弁論」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2001-12-21">『読売新聞』2001年12月21日中部朝刊東海第三社会面33面「名古屋の2女性焼殺事件 主犯格の2被告、死刑回避求める=東海」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2001-12-21">『朝日新聞』2001年12月21日朝刊第一社会面31面「主犯格『生きたい』 名古屋・ドラム缶焼殺の公判が結審【名古屋】」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2001-12-21">『毎日新聞』2001年12月21日中部朝刊第一社会面27面「名古屋の2女性焼殺 弁護側、死刑回避求める--名地裁結審」</ref>。両被告人の弁護人はそれぞれ「両被告人は矯正の可能性が強く、生きて償わせるべきだ」と述べ<ref group="新聞" name="朝日新聞2001-12-21"/>、死刑回避を求めた<ref group="新聞" name="朝日新聞2001-12-21"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2001-12-21"/>。
:被告人Kの弁護人は最終弁論で「事件の発端は被告人Nと関係が深い暴力団組織の債権取り立てが原因であり、被告人Kの刑事責任は被告人Nほど重くない」と指摘した<ref group="新聞" name="朝日新聞2001-12-21"/>。
:被告人Nの弁護人は「被告人Nは2人を焼き殺した残酷な状況が今も忘れられずに苦しんでいる。Nにとっては極刑より生きて償わせることの方が過酷な刑だ」と述べた<ref group="新聞" name="朝日新聞2001-12-21"/>。
:両被告人は最終意見陳述で、それぞれ「死刑でも受け入れる」と意見陳述した<ref group="新聞" name="中日新聞2001-12-21"/>。
::被告人Kは「死刑でも仕方ないが、家族のことを考えると少しでも長生きしたい」と述べた<ref group="新聞" name="朝日新聞2001-12-21"/>。被告人Nは公判当初、「被告人Kに逆らえなかった」と主張していたが、その後は被告人質問などで「自分が死刑になる姿を見せ、少しでも被害者遺族の心が安らかになればいい」「自分が一番悪い。命で償うしかない」などと話すようになり、自ら死刑判決を希望する旨を語っていた<ref group="新聞" name="朝日新聞2002-02-21"/>。
::被告人Nは「命で償うしかない。どんな判決でも控訴しない。極刑でも受け入れる」と述べた<ref group="新聞" name="朝日新聞2001-12-21"/>。被告人Kは弁護人によれば、被害者の冥福を祈って毎日写経をする一方、[[キリスト教]]関係者とも交流を持つようになり、判決前には[[洗礼]]を受けることを決めていた<ref group="新聞" name="朝日新聞2002-02-21"/>。また、被告人Kは公判で「死刑を受け入れる」と話しつつも、自分の2人の子供の将来を心配し、「少しでも長く生きていたい」と発言していた<ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-21"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-02-21"/>。


;2002年2月19日、W・X・Y・Zの4被告人への判決公判、無期懲役・懲役12年とする判決
Nは公判当初「Kに逆らえなかった」と主張していたが、その後は被告人質問などで「自分が死刑になる姿を見せ、少しでも被害者遺族の心が安らかになればいい」「自分が一番悪い。命で償うしかない」などと話すようになり、自ら死刑判決を希望する旨を語っていた<ref name="朝日20020221"/>。Nは判決直前に面会した弁護人に対し、「死刑執行が早まるようにしてほしい」と、死刑判決を覚悟した様子で「極刑でも絶対に[[控訴]]しないでほしい」と希望していたが<ref name="中日20020221"/>、弁護人がその後、名古屋高裁に控訴した。
:翌[[2002年]](平成14年)2月19日、名古屋地裁(三宅俊一郎裁判長)でW・X・Y・Zの4被告人に対する[[判決 (日本法)|判決]]公判が開かれた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/><ref group="新聞" name="読売新聞2002-02-18">『読売新聞』2002年2月18日中部朝刊第一社会面27面「名古屋の2女性焼殺事件 あす判決 地裁、まず実行4被告」</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-19"/><ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-20"/>。
:名古屋地裁は殺害・死体損壊実行役のW・X両被告人に[[無期刑|無期]][[懲役]]判決(求刑・死刑)、殺害現場に向かう途中で逮捕されたY・Z両被告人に懲役12年判決(求刑・懲役15年)をそれぞれ言い渡した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/><ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-19">『中日新聞』2002年2月19日夕刊1面「ドラム缶焼殺 実行役2人に無期 名地裁判決 他の2被告は懲役12年」</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-20">『中日新聞』2002年2月20日朝刊1面「ドラム缶焼殺 実行役2人に無期懲役 名地裁判決 他の2人は懲役12年」</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-20 判決要旨">『中日新聞』2002年2月20日朝刊第三社会面29面「ドラム缶焼殺判決要旨」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2002-02-20">『読売新聞』2002年2月20日東京朝刊第一社会面39面「ドラム缶焼殺事件 4被告、無期と懲役12年/名古屋地裁判決」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2002-02-20 中部朝刊">『読売新聞』2002年2月20日中部朝刊第一社会面31面「名古屋の2女性焼殺事件 実行2被告に無期判決 他の2被告は懲役12年」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-02-20">『朝日新聞』2002年2月20日朝刊第一社会面31面「共犯2被告、無期判決 2女性焼殺事件で名古屋地裁【名古屋】」</ref>。
::名古屋地裁は[[判決理由]]で「一連の犯行は短絡的・無謀であり、態様は残虐非道で、4被告人もそれぞれ重要な役割を果たした」と厳しく犯行を指弾し<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/><ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-20"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-02-20"/>、特に殺害・死体損壊行為の実行犯であるW・X両被告人に対しては「死刑の選択も考えられる」と非難した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/><ref group="新聞" name="読売新聞2002-02-20 中部朝刊"/>。
::その上で「犯行は主犯格のN・K両被告人が、躊躇うWら4人を脅して加担・実行させた」と[[事実認定|認定]]し、「4被告人は目先の保身を優先させたとの非難は免れられないが、こうした事情は量刑上考慮されるべきだ」と指摘した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/><ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-20"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-02-20"/>。
::[[量刑]]理由については以下の通り。
:::殺害・死体損壊の実行役として関与したW・X両被告人に対しては「ドラム缶に引火させるなど重要な実行行為を担当し、死刑選択も考えられるが、主犯2人の強い指示命令の下に行われた犯行であり、極刑がやむを得ないとは認められない」と結論付け、死刑を回避して無期懲役刑を選択することが相当とした<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/><ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-20"/><ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-20 判決要旨"/>。
:::Y・Z両被告人はいずれも無期懲役刑を選択の上で酌量減軽し、懲役12年とするのが相当とした<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-19"/><ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-20 判決要旨"/>。
:;2002年3月5日まで、名古屋地検・被告人側がいずれも名古屋高裁に控訴
::この判決については検察側・被告人側の双方が量刑不当を訴え、被告人側はさらに「共犯関係の存在」「[[自首]]の成立」について事実誤認を主張した<ref group="新聞" name="朝日新聞2003-06-19"/>。
::無期懲役判決を受けた被告人Wは2002年2月28日(被告人Kと同日)、判決を不服として[[名古屋高等裁判所]]に[[控訴]]した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-01"/><ref group="新聞" name="読売新聞2002-03-01"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2002-03-01"/>。
::懲役12年の判決を受けた被告人Zの弁護人は2002年3月1日、判決を不服として名古屋高裁に控訴した<ref group="新聞">『中日新聞』2002年3月2日朝刊第二社会面38面「焼殺事件で被告控訴」</ref>。
::無期懲役判決を受けた被告人X・懲役12年の判決を受けた被告人Yはそれぞれ、2002年3月5日付で判決を不服として名古屋高裁に控訴した<ref group="新聞">『中日新聞』2002年3月6日朝刊第一社会面27面「2被告が控訴 ドラム缶焼殺」</ref> <ref group="新聞">『読売新聞』2002年3月6日中部朝刊東海第三社会面28面「ドラム缶焼殺事件 2被告、名古屋高裁に控訴=東海」</ref><ref group="新聞">『毎日新聞』2002年3月6日中部夕刊第一社会面7面「名古屋のドラム缶焼殺 他2被告も控訴--名古屋高裁に」</ref>。
::一方で検察側(名古屋地検)は2002年3月4日、判決に対する量刑不当を訴えて4被告人全員について名古屋高裁に控訴した<ref group="新聞">『中日新聞』2002年3月5日朝刊第一社会面31面「共犯者4人を控訴 2女性焼殺で名地検」</ref> <ref group="新聞">『毎日新聞』2002年3月4日中部夕刊第一社会面7面「名古屋のドラム缶焼殺 無期懲役の2被告、検察側が控訴」</ref>。


;2002年2月21日、主犯格のN・K両被告人に死刑判決
Kは弁護人曰く、毎日被害者の冥福を祈って写経をする一方、[[キリスト教]]関係者とも交流を持つようになり、判決前には[[洗礼]]を受けることを決めていた<ref name="朝日20020221"/>。公判でKは死刑を受け入れる」と話しつつも、2人の子供の将来を心配し、「少しでも長く生きていたい」と揺れ動く心境をのぞかせていた<ref name="中日20020221"/><ref name="朝日20020221"/>。Kの弁護人も「自分たちのメンツを保つためという動機だけではこのような犯行はしない。動機の事実認定はしっかりされておらず、不満が残る」と述べ<ref name="中日20020221"/><ref name="朝日20020221"/>、その後名古屋高裁に控訴した。
:2002年2月21日、名古屋地裁(片山俊雄裁判長)で主犯格のN・K両被告人についての判決公判が開かれた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/><ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-21"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-02-21"/>。
:名古屋地裁はN・K両被告人にいずれも求刑通り死刑判決を言い渡した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/><ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-21">『中日新聞』2002年2月21日夕刊1面「ドラム缶焼殺 主犯格2被告に死刑判決 『残虐で冷酷非道』 名地裁 犯行、厳しく批判」「適正で妥当な判決」(足立敏彦・名古屋地検次席検事の話)</ref><ref group="新聞">『中日新聞』2002年2月21日夕刊第一社会面13面「『でも母は帰らない』 ドラム缶焼殺で死刑判決 長女傍聴席で涙 『執行までわび続けて』」「うなずき頭下げる 判決聞き2被告」「『両被告とも覚悟していた』弁護人が会見」「K被告 めい福祈り日々写経 N被告『自分は死ぬべきだ』」</ref><ref group="新聞">『東京新聞』2002年2月21日夕刊第一社会面11面「ドラム缶で姉妹焼殺『冷酷』 2被告に死刑判決 名古屋地裁」</ref><ref group="新聞">『中日新聞』2002年2月22日朝刊第三社会面33面「ドラム缶殺人判決要旨」「落ち度ない2人を殺害」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2002-02-21">『読売新聞』2002年2月21日東京夕刊第一社会面19面「名古屋の2人焼殺2被告に死刑判決/名古屋地裁」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2002-02-22">『読売新聞』2002年2月22日中部朝刊第一社会面39面「2女性焼殺事件 主犯格2人に死刑判決 『極めて冷酷、非道』/名古屋地裁」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2002-02-22 社会面">『読売新聞』2002年2月22日中部朝刊東海第三社会面37面「2女性焼殺死刑判決 執行の日まで母にわびて 極刑にうなずく遺族=東海」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2002-02-22 解説">『読売新聞』2002年2月22日中部朝刊東海第三社会面37面「2女性焼殺死刑判決 『役割』重視で量刑に差=東海」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-02-21">『朝日新聞』2002年2月21日夕刊第一総合面1面「主犯格2被告に死刑 ドラム缶2女性焼殺で名古屋地裁【名古屋】」</ref><ref group="新聞">『朝日新聞』2002年2月21日夕刊第一社会面11面「2被告、極刑に『はい』 焼殺事件で名古屋地裁判決【名古屋】」</ref><ref group="新聞">『朝日新聞』2002年2月21日夕刊第二社会面14面「2女性焼殺の被告ら死刑判決 『金奪う目的で計画』 名古屋地裁」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2002-02-21">『毎日新聞』2002年2月21日夕刊1面「名古屋のドラム缶焼殺 主犯格2被告に死刑 『冷酷非情な犯行』--名古屋地裁判決」(記者:北村和巳)</ref>。
::名古屋地裁は判決理由で、事実認定について「一連の事件は被告人Nが犯行計画を立てた上で共犯者に具体的な指示を出して犯行を遂行しており、責任は犯行集団の中で最も重い」として、被告人Nを事件の主犯と認定した<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/>。
::また、被告人Kについても「Nと並んで最も強い立場にあり、Wら共犯被告人4人を強引に犯行に引き込んだ。果たした役割はNに準ずるほど重大だ」と認定し、「Nが怖くて従った」とする被告人Kの弁護人主張を退けた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/><ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-21"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-02-21"/>。
::その上で量刑理由について、「犯行の発覚を防ぐためという理由で被害者2人の命を奪い、動機も極めて自己中心的だ。社会に与えた影響も大きい」と厳しく犯行を非難し、「2人の存在がなかったら犯行は遂行されなかった。その責任はWら共犯者4人とは格段の違いがある」と断じ、「極刑はやむを得ない」と結論付けた<ref group="判決文" name="名古屋地裁2002-02-21"/><ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-21"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-02-21"/>。
:;2002年2月28日、被告人K側が名古屋高裁に控訴
::被告人Kの弁護人・三浦和人弁護士は判決後<ref group="新聞" name="読売新聞2002-02-22 社会面"/>、「自分たちのメンツを保つためという動機だけではこのような犯行はしない。動機の事実認定はしっかりされておらず、不満が残る」と述べ<ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-21"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-02-21"/>、「被告人本人と接見して控訴するかどうか判断する」と意向を示した<ref group="新聞" name="毎日新聞2002-02-21"/>。
::その後、被告人K・弁護人は2002年2月28日(被告人Wと同日)、名古屋高裁に控訴した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-01">『中日新聞』2002年3月1日朝刊第一社会面39面「主犯格ら控訴 ドラム缶殺人」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2002-03-01">『読売新聞』2002年3月1日中部朝刊第二社会面38面「ドラム缶焼殺事件、被告が控訴/名古屋高裁」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2002-03-01">『毎日新聞』2002年3月1日中部朝刊第一社会面23面「名古屋のドラム缶焼殺 主犯格ら控訴--名古屋高裁」</ref>。
:;2002年3月7日、被告人N側が名古屋高裁に控訴
::被告人Nは判決前日、弁護人・浅井正と面会した際に「死刑執行が早まるようにしてほしい」と話した上で「極刑でも絶対に[[控訴]]しないでほしい」と希望していた<ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-21"/>。弁護人の浅井正・近藤之彦両弁護士は判決後<ref group="新聞" name="読売新聞2002-02-22 社会面"/>、「死刑を選択した量刑は不満だが事実認定は大筋で受け入れざるを得ない。控訴するかは被告人本人の意思を尊重する」と述べ<ref group="新聞" name="毎日新聞2002-02-21"/>、その上で被告人Nに控訴するよう説得した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-08"/> <ref group="新聞" name="読売新聞2002-03-08"/>。しかし本人の同意が得られなかったため<ref group="新聞" name="読売新聞2002-03-08"/>、「生きて罪を償わせることが刑罰の正しいあり方だ」などとして<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-08"/>、控訴期限となる2002年3月7日に弁護人の権限を行使して単独で名古屋高裁に控訴した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-08">『中日新聞』2002年3月8日朝刊第一社会面35面「『死刑』被告の弁護人が控訴 瀬戸の2女性焼殺」</ref> <ref group="新聞" name="読売新聞2002-03-08">『読売新聞』2002年3月8日中部朝刊第二社会面34面「2女性焼殺、6被告全員が控訴/名古屋高裁」</ref>。この時点で他5被告人は全員控訴していたため、この控訴により起訴された6被告人全員が控訴したこととなった<ref group="新聞" name="中日新聞2002-03-08"/> <ref group="新聞" name="読売新聞2002-03-08"/>。


=== 控訴審・名古屋高裁 ===
=== 控訴審・名古屋高裁 ===
;2002年9月11日、名古屋高裁でN・K両被告人の控訴審初公判
[[名古屋高等裁判所]]での控訴審初公判は2002年9月11日に開かれた<ref name="中日20020911">『中日新聞』2002年9月11日夕刊社会面11面「一審死刑2被告 控訴審始まる ドラム缶焼殺事件で名高裁」</ref><ref name="朝日20020911">『朝日新聞』2002年9月11日夕刊第二社会面8面「2被告が『刑軽減を』 ドラム缶焼殺、控訴審【名古屋】」</ref>。控訴趣意書朗読で、Nの弁護人は「欧米など、世界各国では[[死刑存廃問題|死刑廃止運動]]が進んでいる。Nには矯正の可能性があり、死刑は回避されるべきだ。一部被害弁償もしており、被害者遺族のAも今は極刑を望んでいない」と述べ、Kの弁護人は「Kが主犯格とされているのは事実誤認で、主導権を握っていたNらの指示に従っただけだ。KはWら他の共犯者と同じく、単なる実行部隊の一員に過ぎない」として、いずれも死刑判決の[[取消し|破棄]]を訴えた<ref name="中日20020911"/><ref name="朝日20020911"/>。一方、検察側は被告人側の控訴を[[棄却]]するよう訴えた<ref name="朝日20020911"/>。第一審判決前から「控訴したくない」と述べていたNは<ref name="中日20020911"/>、弁護人に対し「控訴を取り下げてほしい。今後も出廷しない」と語り、説得にも応じず<ref name="朝日20020911"/>、この日の控訴審には出廷しなかった<ref name="中日20020911"/><ref name="朝日20020911"/>。
:主犯格のN・K両被告人の控訴審初公判は2002年9月11日、[[名古屋高等裁判所]]で開かれた<ref group="新聞" name="中日新聞2002-09-11">『中日新聞』2002年9月11日夕刊第一社会面11面「一審死刑2被告 控訴審始まる ドラム缶焼殺事件で名高裁」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-09-11">『朝日新聞』2002年9月11日夕刊第二社会面8面「2被告が『刑軽減を』 ドラム缶焼殺、控訴審【名古屋】」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2002-09-11">『毎日新聞』2002年9月11中部夕刊第一社会面7面「名古屋・女性焼殺控訴審初公判 弁護側は改めて、死刑回避求める」(記者:篠原成行)</ref>。
:控訴趣意書朗読で、両被告人の弁護人はいずれも事実誤認・量刑不当を主張した上で、死刑判決を[[取消し|破棄]]して量刑を無期懲役に減軽するよう訴えた<ref group="新聞" name="中日新聞2002-09-11"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-09-11"/>。
::被告人Nの弁護人は「欧米など世界各国では[[死刑存廃問題|死刑廃止運動]]が進んでいる。被告人Nには矯正の可能性があり、死刑は回避されるべきだ。一部被害弁償もしており、被害者遺族のAも今は極刑を望んでいない」と述べた<ref group="新聞" name="中日新聞2002-09-11"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-09-11"/>。
::被告人Kの弁護人は「被告人Kが主犯格とされているのは事実誤認で、主導権を握っていた被告人Nらの指示に従っただけだ。被告人Kは被告人Wら他の共犯者4人と同じく、単なる実行部隊の一員に過ぎない」と主張した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-09-11"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-09-11"/>。
:一方、検察側は死刑判決をいずれも支持して両被告人側の控訴を[[棄却]]するよう訴えた<ref group="新聞" name="中日新聞2002-09-11"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-09-11"/>。
:第一審判決前から「控訴したくない」と述べていた被告人Nは<ref group="新聞" name="中日新聞2002-09-11"/>、この日の控訴審には出廷せず<ref group="新聞" name="中日新聞2002-09-11"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2002-09-11"/>、弁護人に対し「控訴を取り下げてほしい。今後も出廷しない」と語り、説得にも応じていなかった<ref group="新聞" name="朝日新聞2002-09-11"/>。


;2002年10月29日、名古屋高裁でWら共犯者4被告人の控訴審初公判
同年10月29日、Wら共犯者4人の控訴審初公判が開かれた<ref name="中日20021029">『中日新聞』2002年10月29日夕刊第二社会面「被害者の娘が『全員死刑に』 千種のドラム缶焼殺事件控訴審」</ref>。検察側証人として出廷したB子の娘は「(主犯N・K両被告人を含めた)6人全員を死刑にしてほしい気持ちは変わらない」と述べた<ref name="中日20021029"/>。
:2002年10月29日、Wら共犯者4被告人の控訴審初公判が開かれた<ref group="新聞" name="中日新聞2002-10-29">『中日新聞』2002年10月29日夕刊第二社会面12面「被害者の娘が『全員死刑に』 千種のドラム缶焼殺事件控訴審」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2002-10-30">『読売新聞』2002年10月39日中部朝刊第二社会面34面「名古屋2女性ドラム缶殺人事件控訴審 『全員、死刑が当然』 被害者の娘訴え」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2002-10-29">『毎日新聞』2002年10月29日中部夕刊第二社会面8面「2女性焼殺事件 控訴審が始まる--名古屋高裁」(記者:北村和巳)</ref>。
:検察側は第一審判決について量刑不当を主張し、4被告人全員について原審を破棄した上で、改めて求刑通りW・X両被告人に死刑、Y・両被告人にも懲役15年の判決を言い渡すよう求めた<ref group="新聞" name="読売新聞2002-10-30"/>。
:一方で被告人側は、いずれも「第一審判決は共謀の認定などの点について事実誤認がある」と主張した上で<ref group="新聞" name="毎日新聞2002-10-29"/>、「主犯格のN・K両被告人から『犯行に加わらなければ殺す』などと脅されていた」などとして量刑不当を主張した<ref group="新聞" name="読売新聞2002-10-30"/>。
:同日、検察側証人として出廷した被害者Bの娘は「(主犯N・K両被告人を含めた)6人全員を死刑にしてほしい気持ちは変わらない」と述べた<ref group="新聞" name="中日新聞2002-10-29"/><ref group="新聞" name="読売新聞2002-10-30"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2002-10-29"/>。


;2003年3月12日、名古屋高裁(川原誠裁判長)はN・K両被告人の控訴棄却判決(二審も死刑判決)
[[2003年]](平成15年)3月12日、N・K両被告人についての判決公判が開かれ、名古屋高裁([[川原誠 (裁判官)|川原誠]]裁判長)は第一審の死刑判決を支持し、N・K両被告人の控訴を棄却する判決を言い渡した<ref name="中日20030312">『中日新聞』2003年3月12日夕刊第二社会面14面「姉妹焼殺 二審も死刑 主犯格2人 名高裁判決 『残虐な方法に戦慄』」「判決言い渡し後 裁判長に意見 K被告」<br>『東京新聞』2003年3月12日夕刊社会面11面「二審も主犯格2人に死刑判決 姉妹焼殺で名古屋高裁」</ref><ref name="朝日20030312">『朝日新聞』2003年3月12日夕刊第一社会面9面「2被告、二審も死刑 ドラム缶で2女性焼殺 名古屋高裁【名古屋】」<br>『朝日新聞』2003年3月13日朝刊第三社会面37面「2被告、二審も死刑 名古屋・千種区のドラム缶2女性殺害」</ref>。判決理由で名古屋高裁は「ドラム缶の蓋が開かないように細工した上で火をつけるなど、殺害方法の残虐さには戦慄を禁じえない。犯行を認め反省していることを考慮しても、第一審の死刑判決はやむを得ない」とした<ref name="中日20030312"/><ref name="朝日20030312"/>。判決言い渡し後、Kが「聞きたいことがあります」と川原裁判長に切り出し、1999年に[[岐阜市]]内で資産回収のトラブルから、債務者に発砲された事件について触れ「事件をもみ消した[[岐阜県警察]]はどうなるのか。この事件がなければ僕たちは殺人事件を起こさなかった。やったことは極刑に値するとは思うが、隠された部分を知りたい」などと述べた<ref name="中日20030312"/>。閉廷後、Kの弁護人はこの突然の意見について「真相はわからないが、Kは[[日本の警察|警察]]と暴力団が裏取引したと考えている。警察がこの時にKらからしっかり聴取していれば、後にAに対して無理な取り立てをすることもなかった、という意味だ」と話し、その上で判決について「犯行動機について事実誤認がある」として上告する方針を示した<ref name="中日20030312"/>。Nは『極刑を受け入れる』と、この日の判決を含め控訴審には一度も出廷せず、判決前の3月9日に弁護人と面会した際にも「極刑を覚悟している」と話していたが、弁護人は上告する方針を示した<ref name="中日20030312"/>。その後、Kは3月18日付、Nは翌19日付で、いずれも[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に[[上告]]した<ref>『朝日新聞』2003年3月20日夕刊第二社会面14面「死刑判決の2被告上告 名古屋・千種区の女性焼殺事件【名古屋】」</ref>。
:[[2003年]](平成15年)3月12日、名古屋高裁でN・K両被告人についての判決公判が開かれた<ref group="新聞" name="中日新聞2003-03-12"/><ref group="新聞" name="読売新聞2003-03-12"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2003-03-12"/>。
:名古屋高裁([[川原誠 (裁判官)|川原誠]]裁判長)は第一審の死刑判決をいずれも支持し、N・K両被告人の控訴を棄却する判決を言い渡した<ref group="新聞" name="中日新聞2003-03-12">『中日新聞』2003年3月12日夕刊第二社会面14面「姉妹焼殺 二審も死刑 主犯格2人 名高裁判決 『残虐な方法に戦慄』」「判決言い渡し後 裁判長に意見 K被告」</ref><ref group="新聞">『東京新聞』2003年3月12日夕刊第一社会面11面「二審も主犯格2人に死刑判決 姉妹焼殺で名古屋高裁」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2003-03-12">『読売新聞』2003年3月12日東京夕刊第二社会面34面「女性2人焼殺 死刑判決支持、控訴棄却/名古屋高裁」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2003-03-13">『読売新聞』2003年3月13日中部朝刊第二社会面30面「ドラム缶2女性焼殺事件 2被告、2審も死刑/名古屋高裁」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2003-03-12">『朝日新聞』2003年3月12日夕刊第一社会面9面「2被告、二審も死刑 ドラム缶で2女性焼殺 名古屋高裁【名古屋】」</ref><ref group="新聞">『朝日新聞』2003年3月13日朝刊第三社会面37面「2被告、二審も死刑 名古屋・千種区のドラム缶2女性殺害」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2003-03-12">『毎日新聞』2003年3月12日中部夕刊第一社会面7面「名古屋のドラム缶焼殺 名古屋高裁、死刑判決支持 2被告の控訴棄却」(記者:北村和巳)</ref><ref group="新聞">『毎日新聞』2003年6月19日大阪夕刊第二社会面10面「ドラム缶焼殺事件公判 1審の死刑判決を支持、2被告の控訴棄却--名古屋高裁」</ref><ref group="新聞">『毎日新聞』2003年6月19日東京夕刊第一社会面9面「名古屋・ドラム缶焼殺事件 主犯格2人、2審も死刑--高裁判決」(記者:北村和巳)</ref>。
:名古屋高裁は判決理由で「ドラム缶の蓋が開かないように細工した上で火をつけるなど、殺害方法の残虐さには戦慄を禁じえない。犯行を認め反省していることを考慮しても、第一審の死刑判決はやむを得ない」と事実認定した<ref group="新聞" name="中日新聞2003-03-12"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2003-03-12"/>。
:判決言い渡し後、被告人Kが「聞きたいことがあります」と川原裁判長に切り出して意見陳述した<ref group="新聞" name="中日新聞2003-03-12"/>。
::被告人Kは「1999年、[[岐阜県]][[岐阜市]]内で資産回収のトラブルから債務者に発砲された事件」について言及し、「この事件をもみ消した[[岐阜県警察]]はどうなるのか。この事件がなければ僕たちは殺人事件を起こさなかった。やったことは極刑に値するとは思うが、隠された部分を知りたい」などと述べた<ref group="新聞" name="中日新聞2003-03-12"/>。
::閉廷後、被告人Kの弁護人はこの突然の発言について「真相はわからないが、被告人Kは岐阜県警と暴力団が裏取引したと考えている。『警察がこの時に被告人Kらからしっかり事情聴取していれば、後に被害者Aに対する無理な取り立てをすることもなかった』という意味だ」と話した<ref group="新聞" name="中日新聞2003-03-12"/>。その上で判決について「犯行動機について事実誤認がある」として[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に[[上告]]する方針を示した<ref group="新聞" name="中日新聞2003-03-12"/>。
:裁判長を務めた川原は定年退官後、及び両死刑囚の死刑執行後の2009年3月、『[[読売新聞]]』の取材に応じ、「『事実審は高裁が最終審』という責任を持たなくてはならない、と肝に銘じてきた。被告人Kは『Wら他4被告人と同じく従属的立場だった』と主張していたが、グループ内の指示系統を疑問が残らなくなるまで調べた結果、死刑判決を支持する結論に至った」と述べた<ref group="新聞">『読売新聞』2009年3月7日東京朝刊第二社会面38面「[死刑]選択の重さ(7)3審、それぞれの苦悩(連載)」</ref>。
:;2003年3月19日まで、両被告人の弁護人が最高裁に上告
::被告人Nは「極刑を受け入れる」と表明しており、この日の判決を含め控訴審には一度も出廷しなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2003-03-12"/>。判決前の2003年3月9日、被告人Nは弁護人と面会した際にも「極刑を覚悟している」と話していたが、弁護人は最高裁に上告する方針を示した<ref group="新聞" name="中日新聞2003-03-12"/>。
::その後、被告人Kの弁護人は2003年3月18日付<ref group="新聞" name="朝日新聞2003-03-20"/>、被告人Nの弁護人は翌2003年3月19日付で<ref group="新聞" name="朝日新聞2003-03-20"/>、いずれも最高裁に上告した<ref group="新聞">『読売新聞』2003年3月20日中部朝刊第二社会面36面「2女性焼殺事件 死刑判決の2被告、最高裁に上告」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2003-03-20">『朝日新聞』2003年3月20日夕刊第二社会面14面「死刑判決の2被告上告 名古屋・千種区の女性焼殺事件【名古屋】」</ref>。


;2003年6月19日、名古屋高裁(小出錞一裁判長)は共犯4被告人の控訴棄却判決(二審もW・X両被告人は無期懲役、Y・Z両被告人は懲役12年)
2003年6月19日、Wら共犯4人の控訴審判決公判が名古屋高裁([[小出錞一]]裁判長)で開かれ、名古屋高裁は第一審の判決(W・Xは無期懲役、Y・Zは懲役12年)をいずれも支持し、検察・弁護側双方の控訴を棄却する判決を言い渡した<ref name="中日20030619">『中日新聞』2003年6月19日夕刊社会面11面「千種のドラム缶殺人 双方の控訴棄却 名高裁判決 実行役に無期―12年」</ref><ref name="朝日20030619">『朝日新聞』2003年6月19日夕刊第一社会面9面「共犯4被告の控訴棄却 ドラム缶焼殺事件で名古屋高裁【名古屋】」<br>『朝日新聞』2003年6月19日夕刊第一社会面19面「共犯4人の控訴を棄却 名古屋のドラム缶焼殺事件」</ref>。判決理由で名古屋高裁は、犯行態様を「まさに地獄絵図の如き犯行で戦慄を禁じ得ない」とした一方で<ref name="朝日20030619"/>、「極めて残虐非道な悪行だが、4人は主犯2人に従属的な立場で犯行に加担した」「弁護側の主張通り、N・K両被告人から意に従わないと[[保険金殺人|保険金目的での殺害]]をほのめかされるなど脅され、指示命令を拒否しがたい面はあったが、物理的に拘束されるなど、グループから離脱できない状況ではなかった」と指摘した<ref name="中日20030619"/><ref name="朝日20030619"/>。その上で検察側のW・X両被告人に対する死刑主張について「死刑求刑にも相当な理由はあるが、主犯2人と刑事責任は同一ではない」と述べた<ref name="中日20030619"/>。Y・Z両被告人については、強盗殺人などの犯行に加わらなかったものの、犯行全体についての共謀関係からの離脱は認められないと結論付け、指名手配後に自分の居場所を警察に電話した行為を「[[自首]]に当たる」と主張したWについても「原判決に誤りはない」として、主張を退けた<ref name="朝日20030619"/>。W・X・Yは判決を不服として、それぞれ最高裁に上告した一方、検察側・Zはともに上告せず、Zは懲役12年の判決が確定した<ref name="朝日20040206"/>。
:2003年6月19日、名古屋高裁([[小出錞一]]裁判長)でWら共犯4被告人の控訴審判決公判が開かれた。
:名古屋高裁は第一審の判決(W・X両被告人は無期懲役、Y・Z両被告人は懲役12年)をいずれも支持し、検察・弁護人側双方の控訴をいずれも棄却する判決を言い渡した<ref group="新聞" name="中日新聞2003-06-19">『中日新聞』2003年6月19日夕刊第一社会面11面「千種のドラム缶殺人 双方の控訴棄却 名高裁判決 実行役に無期―12年」</ref><ref group="新聞">『読売新聞』2003年6月19日東京夕刊第一社会面19面「女性ドラム缶焼殺事件 4被告の控訴棄却/名古屋高裁」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2003-06-19">『朝日新聞』2003年6月19日夕刊第一社会面9面「共犯4被告の控訴棄却 ドラム缶焼殺事件で名古屋高裁【名古屋】」</ref><ref group="新聞">『朝日新聞』2003年6月19日夕刊第一社会面19面「共犯4人の控訴を棄却 名古屋のドラム缶焼殺事件」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2003-06-19">『毎日新聞』2003年6月19日中部夕刊第一社会面7面「名古屋・ドラム缶焼殺事件 2被告に無期懲役『従属的立場』と判断--高裁1審支持」(記者:北村和巳)</ref>。
:名古屋高裁は判決理由で、犯行態様を「まさに地獄絵図の如き犯行で戦慄を禁じ得ない」と表現した一方で<ref group="新聞" name="朝日新聞2003-06-19"/>、「極めて残虐非道な悪行だが、4人は主犯2人に従属的な立場で犯行に加担した。弁護人の主張通り、4被告人はN・K両被告人から意に従わないと[[保険金殺人|保険金目的での殺害]]をほのめかされるなどして脅され、指示命令を拒否し難い面はあったが、物理的に拘束されるなど、グループから離脱できない状況ではなかった」と指摘した<ref group="新聞" name="中日新聞2003-06-19"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2003-06-19"/>。
:その上で検察側のW・X両被告人に対する死刑主張について「死刑求刑にも相当な理由はあるが、主犯2人と刑事責任は同一ではない」と述べた<ref group="新聞" name="中日新聞2003-06-19"/>。
:加えて、Y・Z両被告人については「強盗殺人などの犯行に加わらなかったものの、犯行全体についての共謀関係からの離脱は認められない」と結論付けた<ref group="新聞" name="朝日新聞2003-06-19"/>。
:また、指名手配後に自分の居場所を警察に電話した行為を「[[自首]]に当たる」と主張した被告人Wについても、「原判決に誤りはない」として主張を退けた<ref group="新聞" name="朝日新聞2003-06-19"/>。
:;W・X・Yの3被告人が最高裁に上告
::W・X・Yの3被告人は一・二審判決を不服として、それぞれ最高裁に上告した<ref group="新聞" name="朝日新聞2004-02-06"/>。
::一方で検察側・被告人Zはともに上告期限の2003年7月3日までに上告せず、被告人Zは懲役12年の一・二審判決が確定した<ref group="新聞" name="朝日新聞2004-02-06"/>。


=== 上告審・最高裁 ===
=== 上告審・最高裁 ===
;2004年2月3日、最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)がW・X・Yの3被告人の上告棄却決定。W・X両被告人は無期懲役、被告人Yは懲役12年がそれぞれ確定
[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第三[[小法廷]]([[藤田宙靖]]裁判長)は[[2004年]](平成16年)2月3日付で、判決を不服として上告していたW・X・Yの3人について、いずれも上告を棄却する決定をした<ref name="朝日20040206">『朝日新聞』2004年2月6日夕刊第二社会面14面「共犯3被告の上告を棄却 名古屋・ドラム缶焼殺事件」<br>『朝日新聞』2004年2月6日朝刊第一社会面29面「共犯3被告の上告を棄却 名古屋市・2女性ドラム缶焼殺【名古屋】」</ref>。これにより、W・Xの無期懲役と、Yの懲役12年の判決が確定した<ref name="朝日20040206"/>。
:[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第三[[小法廷]]([[藤田宙靖]]裁判長)は[[2004年]](平成16年)2月3日付で、一・二審判決を不服として上告していたW・X・Yの3被告人について、いずれも一・二審判決を支持して上告を棄却する決定をした<ref group="新聞" name="読売新聞2004-02-06">『読売新聞』2004年2月6日中部朝刊第一社会面35面「愛知・瀬戸のドラム缶2女性焼殺 3被告の上告棄却/最高裁」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2004-02-06">『朝日新聞』2004年2月6日夕刊第二社会面14面「共犯3被告の上告を棄却 名古屋・ドラム缶焼殺事件」</ref><ref group="新聞">『朝日新聞』2004年2月6日朝刊第一社会面29面「共犯3被告の上告を棄却 名古屋市・2女性ドラム缶焼殺【名古屋】」</ref>。
:この決定によりW・X両被告人を無期懲役、被告人Yを懲役12年とした判決が確定した<ref group="新聞" name="読売新聞2004-02-06"/><ref group="新聞" name="朝日新聞2004-02-06"/>。


;2006年3月31日、最高裁第二小法廷でN・K両被告人の上告審口頭弁論公判
最高裁第二小法廷([[今井功 (裁判官)|今井功]]裁判長)は、N・K両被告人について、上告審[[口頭弁論]]公判を経て、[[2006年]](平成18年)5月19日までに、上告審判決公判期日を6月9日に指定し、関係者に通知した<ref>『中日新聞』2006年5月20日朝刊第三社会面33面「来月9日に最高裁判決」</ref>。
:[[2006年]](平成18年)3月31日、最高裁第二小法廷([[今井功 (裁判官)|今井功]]裁判長)でN・K両被告人の上告審[[口頭弁論]]公判が開かれ、結審した<ref group="新聞" name="毎日新聞2006-03-31">『毎日新聞』2006年3月31日中部夕刊第一社会面10面「名古屋・ドラム缶焼殺事件:上告審が結審」(記者:木戸哲)</ref>。
::弁護人側は「殺害に計画性はなく、死刑は重すぎて量刑不当だ」と主張し、一・二審の死刑判決を破棄して量刑を無期懲役刑に減軽するよう訴えた<ref group="新聞" name="毎日新聞2006-03-31"/>。
::一方で検察側は「周到な準備に基づく残虐な犯行であり、死刑は妥当だ」と主張し、一・二審の死刑判決を支持して両被告人及び弁護人側の上告を棄却するよう求めた<ref group="新聞" name="毎日新聞2006-03-31"/>。
:最高裁第二小法廷(今井功裁判長)は2006年5月19日までに、上告審判決公判開廷期日を2006年6月9日に指定し、関係者に通知した<ref group="新聞">『中日新聞』2006年5月20日朝刊第三社会面33面「来月9日に最高裁判決」</ref>。


;2006年6月9日、最高裁第二小法廷でN・K両被告人の上告棄却判決、死刑判決が確定(2006年7月6日付)
最高裁第二小法廷(今井功裁判長)は2006年6月9日の上告審判決公判で、「Aから手形の取り立てができなかったため、面子が潰れたとしてAに報復するのが動機だった。その発覚を防ぐため、恨みのない2人を殺害した動機に酌量の余地はない」「被害者をドラム缶に押し込んで焼き殺す殺害の様態は冷酷、非情かつ残虐というほかなく、悪質極まりない」として、N・K両被告人の[[上告]]を棄却する判決を言い渡し、N・K両被告人の死刑判決が確定することとなった<ref name="中日20060609">『中日新聞』2006年6月9日夕刊1面「主犯格2人死刑確定へ 千種の姉妹焼殺 最高裁が上告棄却」<br>『東京新聞』2006年6月9日夕刊第二社会面10面「2被告の上告棄却 名古屋ドラム缶殺人」</ref><ref>『朝日新聞』2006年6月9日夕刊第一総合面1面「2被告、死刑確定へ ドラム缶で姉妹焼殺【名古屋】」<br>『朝日新聞』2006年6月9日夕刊第二社会面14面「最高裁上告棄却、死刑判決確定へ 名古屋2女性焼殺事件」</ref>。
:2006年6月9日、最高裁第二小法廷(今井功裁判長)は上告審判決公判で、一・二審の死刑判決を支持しN・K両被告人の[[上告]]を棄却する判決を言い渡した<ref group="新聞" name="中日新聞2006-06-09">『中日新聞』2006年6月9日夕刊1面「主犯格2人死刑確定へ 千種の姉妹焼殺 最高裁が上告棄却」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2006-06-09">『東京新聞』2006年6月9日夕刊第二社会面10面「2被告の上告棄却 名古屋ドラム缶殺人」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞2006-06-09">『朝日新聞』2006年6月9日夕刊第一総合面1面「2被告、死刑確定へ ドラム缶で姉妹焼殺【名古屋】」</ref><ref group="新聞">『朝日新聞』2006年6月9日夕刊第二社会面14面「最高裁上告棄却、死刑判決確定へ 名古屋2女性焼殺事件」</ref>。
:この判決によりN・K両被告人に対し一・二審の死刑判決が確定することとなり、2006年7月6日付で判決訂正申立書棄却決定により正式に死刑判決が確定した<ref group="法務省" name="法務省会見"/>。
:最高裁第二小法廷は判決理由にて「被害者Aから手形の取り立てができなかったため、『面子が潰れた』として被害者Aに報復するのが動機だった。その発覚を防ぐため、恨みのない被害者2人を殺害した動機に酌量の余地はない。被害者をドラム缶に押し込んで焼き殺す殺害の様態は冷酷、非情かつ残虐というほかなく、悪質極まりない」と事実認定した<ref group="新聞" name="中日新聞2006-06-09"/>。


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{{要出典範囲|なお、Nは死刑囚になった後、そもそもの事件の原因をつくった父親の姓からSに改名している。またKは事件はSから指示されてやっただけなどとして、[[2008年]]7月に[[再審]]請求をしたが12月には再審開始の理由にあたらないとして棄却された。|date=2015年9月}}

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== 国家賠償請求訴訟 ==
== 国家賠償請求訴訟 ==
被告人Nは上告中の2004年9月28日、支援者からの差し入れとして死刑執行方法などが記されたパンフレットを郵送されたが、この時に収監先・名古屋拘置所は「死刑執行方法などの描写をそのまま閲覧させると心情不安定になり、自殺・自傷行為に及ぶなど拘置所内の規律維持に支障が出る可能性が高い」として、パンフレットの一部を抹消した上で被告人Nに渡した<ref group="新聞" name="読売新聞2006-12-07"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2006-12-07"/>。被告人N・Kとは別の死刑判決を受け上告中だった被告人(2004年11月に死刑確定)に対しても同年8月に同種のパンフレットが差し入れられたが、名古屋拘置所はその際も同様の対応を取っていた<ref group="新聞" name="読売新聞2006-12-07"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2006-12-07"/>。
被告人N(死刑確定後にイニシャル「S」に改姓)は上告中の2004年9月28日、支援者からの差し入れとして死刑執行方法などが記されたパンフレットを郵送されたが、この時に収監先・名古屋拘置所は「死刑執行方法などの描写をそのまま閲覧させると心情不安定になり、自殺・自傷行為に及ぶなど拘置所内の規律維持に支障が出る可能性が高い」として、パンフレットの一部を抹消した上で被告人Nに渡した<ref group="新聞" name="読売新聞2006-12-07"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2006-12-07"/>。また、N・K両被告人とは別の事件で死刑判決を受け上告中だった被告人1人(2004年11月に死刑確定)に対しても同年8月に同種のパンフレットが差し入れられたが、名古屋拘置所はその際も同様の対応を取っていた<ref group="新聞" name="読売新聞2006-12-07"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2006-12-07"/>。


Nら死刑囚2人はこれらの名古屋拘置所側の対応を「違法である」と主張し、日本国を相手にそれぞれ10万円の損害賠償を求めた[[国家賠償請求権|国家賠償請求訴訟]]を名古屋地裁に提訴した<ref group="新聞" name="読売新聞2006-12-07"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2006-12-07"/>。
Nら死刑囚2人はこれらの名古屋拘置所側の対応を「日本国憲法で保障された『知る権利』などを侵害する違法な処分である」と主張し、日本国を相手にそれぞれ10万円の損害賠償を求めた[[国家賠償請求権|国家賠償請求訴訟]]を名古屋地裁に提訴した<ref group="新聞" name="中日新聞2006-12-07"/><ref group="新聞" name="読売新聞2006-12-07"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2006-12-07"/>。これに対し国側は、「死刑囚に死刑執行方法が記された文書をそのまま読ませると、精神的に不安定となり自殺・自傷行為に及ぶなど『拘置所の規律が放置できない程度の障害』が生ずる危険性があった」と主張した<ref group="新聞" name="中日新聞2006-12-07"/>。


2006年12月6日、名古屋地裁(田辺年則裁判長)は原告らが抹消部分を閲覧しても『拘置所規律が放置できない程度障害』が生ずるとは考え難く、抹消処分は合理的とは言えない。拘置所長は裁量権明らかに逸脱した」として、被告・日本国に対し、原告の両死刑囚2人へそれぞれ損害賠償1万円を支払うよう命じる判決を言い渡した<ref group="新聞" name="読売新聞2006-12-07">『読売新聞』2006年12月7日中部朝刊第三社会面37面「死刑囚への差し入れ資料削除 『裁量権を逸脱』判決/名古屋地裁」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2006-12-07">『毎日新聞』2006年12月7日中部朝刊第一社会面23面「損賠訴訟:2死刑囚の文書一部抹消、国に1万円賠償命令 名古屋地裁」(記者:岡崎大輔)</ref>。
2006年12月6日、名古屋地裁(田辺年則裁判長)は原告両死刑囚訴えうち一部認め、被告・日本国に対し死刑囚2人へそれぞれ損害賠償1万円を支払うよう命じる判決を言い渡した<ref group="新聞" name="中日新聞2006-12-07">『中日新聞』2006年12月7日朝刊第三社会面31面「死刑囚に差し入れ 文書一部抹消違法 名地裁が賠償命令」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2006-12-07">『読売新聞』2006年12月7日中部朝刊第三社会面37面「死刑囚への差し入れ資料削除 『裁量権を逸脱』判決/名古屋地裁」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2006-12-07">『毎日新聞』2006年12月7日中部朝刊第一社会面23面「損賠訴訟:2死刑囚の文書一部抹消、国に1万円賠償命令 名古屋地裁」(記者:岡崎大輔)</ref>。


名古屋地裁は判決理由にて「拘置所側が抹消した部分は『死刑執行の方法・手順など』が客観的に記載されているだけで、死刑囚に大きな精神的動揺を与える可能性が高いとはいえない」と事実認定した上で<ref group="新聞" name="中日新聞2006-12-07"/>、「原告らが抹消部分を閲覧しても『拘置所の規律が放置できない程度の障害』が生ずるとは考え難く、抹消処分は合理的とは言えない。拘置所長は裁量権を明らかに逸脱した」と指摘した<ref group="新聞" name="中日新聞2006-12-07"/><ref group="新聞" name="読売新聞2006-12-07"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2006-12-07"/>。
また被告人Nはこれとは別に、上告中の2005年6月24日にも死刑執行方法が記された文書を差し入れとして受け取ったが、その時にも名古屋拘置所は「死刑執行方法などの描写をそのまま閲覧させると心情不安定になり、拘置所内の規律維持に支障が出る可能性が高い」として、文書の一部を抹消した上で被告人Nに渡した<ref group="新聞" name="毎日新聞2007-02-17"/>。


また被告人Nはこれとは別に、上告中の2005年6月24日にも「死刑執行方法が記された文書」を差し入れとして受け取ったが、その時にも名古屋拘置所は「死刑執行方法などの描写をそのまま閲覧させると心情不安定になり、拘置所内の規律維持に支障が出る可能性が高い」として、文書の一部を抹消した上で被告人Nに渡した<ref group="新聞" name="毎日新聞2007-02-17"/>。
これを違法と主張した死刑囚Nは前述の件と同じく日本国を相手に10万円の損害賠償を求めた[[国家賠償請求権|国家賠償請求訴訟]]を名古屋地裁に提訴した<ref group="新聞" name="毎日新聞2007-02-17"/>。2007年(平成19年)2月16日、名古屋地裁(末吉幹和裁判官)は被告・日本国に対し、原告・死刑囚Nへ損害賠償3万円の支払いを命じる判決を言い渡した<ref group="新聞" name="毎日新聞2007-02-17">『毎日新聞』2007年2月17日中部朝刊第二社会面24面「損賠訴訟:拘置所差し入れ文書抹消『違法』 名古屋地裁判決」(記者:岡崎大輔)</ref>。


この対応を「『閲読の自由』を侵害した違法な行為」と主張した死刑囚N(後述の判決までに「S」姓に改姓)は前述の件と同じく日本国を相手に10万円の損害賠償を求めた国家賠償請求訴訟を名古屋地裁に提訴した<ref group="新聞" name="中日新聞2007-02-17"/><ref group="新聞" name="毎日新聞2007-02-17"/>。2007年(平成19年)2月16日、名古屋地裁(末吉幹和裁判官)は原告・死刑囚Nの訴えのうち一部を認め、被告・日本国に対し損害賠償3万円の支払いを命じる判決を言い渡した<ref group="新聞" name="中日新聞2007-02-17">『中日新聞』2007年2月17日朝刊第二社会面30面「差し入れ文書の一部抹消は違法 名地裁国に賠償命令」</ref> <ref group="新聞" name="毎日新聞2007-02-17">『毎日新聞』2007年2月17日中部朝刊第二社会面24面「損賠訴訟:拘置所差し入れ文書抹消『違法』 名古屋地裁判決」(記者:岡崎大輔)</ref>。
== 死刑執行 ==

死刑判決確定から2年半後の[[2009年]](平成21年)[[1月29日]]、[[法務省]]([[法務大臣]]:[[森英介]])の死刑執行命令により、[[名古屋拘置所]]でN・K両死刑囚の死刑が執行された<ref group="法務省" name="法務省会見">{{Cite web |url=http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/kaiken_point_sp090129-01.html|title=法務大臣閣議後記者会見の概要(平成21年1月29日(木))|publisher=[[法務省]]([[法務大臣]]:[[森英介]])|date=2009-01-29|accessdate=2011-03-23|archivedate=2018-08-02|archiveurl=http://web.archive.org/web/20110323011314/http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/kaiken_point_sp090129-01.html}}</ref><ref name="中日20090129">『中日新聞』2009年1月29日夕刊1面「4人の死刑執行 長野、愛知4人殺害 〇〇死刑囚ら」(※[[長野・愛知4連続強盗殺人事件]]の死刑囚の実名が記事見出し中に使われているため、この部分を伏字にした)<br>『中日新聞』2009年1月29日夕刊社会面11面「死刑執行 ドラム缶焼殺2人にも N、K両死刑囚 最高裁、主犯格認定」<br>『東京新聞』2009年1月29日夕刊社会面9面「4人の死刑執行 3年 確定から3年内 森法相2回目 前回から3カ月」「再審請求 半数超える」</ref>。同日には[[長野・愛知4連続強盗殺人事件]]の死刑囚らも含め、計4人の死刑が執行された<ref name="中日20090129"/>。
== 死刑執行まで ==
2008年7月以降、[[参議院議員]]・[[福島瑞穂]]が確定死刑囚らを対象に実施したアンケートに対し、死刑囚2名は以下のように回答していた<ref group="書籍" name="命の灯 p.63-69">{{Harvnb|命の灯|2009|pages=63-69}}</ref>。
;死刑囚N(2008年9月11日付)
* 名古屋拘置所は現時点では死刑囚に対し、かなり良い処遇をしていることから感謝している<ref group="書籍" name="命の灯 p.68-69">{{Harvnb|命の灯|2009|pages=68-69}}</ref>。しかし「[[死刑執行命令書]]に最終的な許可を出すのは法務大臣だが、その対象者を決めるのは局長たち、即ち検察官ではないのか?なぜその検察官たちの名前を公表しないのか?」という疑問がある<ref group="書籍" name="命の灯 p.68-69"/>。
* 死刑制度について突き詰めて考えれば、ほとんどの人は「廃止すべきだ」と考えると思う<ref group="書籍" name="命の灯 p.68-69"/>。世論は死刑存置論が趨勢だが、それほど深く死刑問題について考えているとは思えないし、議論を拙速に終わらせているようにしか思えないので、1度は「国会で1日中死刑問題について議論してほしい」と思う<ref group="書籍" name="命の灯 p.68-69"/>。
* いったんは[[再審]]請求をしたが、被害者・遺族のことを考えて思い悩んだ結果、再審請求を取り下げた<ref group="書籍" name="命の灯 p.68-69"/>。現在は「死刑執行まで自分に何かできることがあれば…」と思いながら生活している<ref group="書籍" name="命の灯 p.68-69"/>。
** 2008年7月7日、死刑囚Nは弁護人にも相談することなく再審請求を自ら取り下げた<ref group="雑誌" name="フライデー2009-02-27">『[[フライデー (雑誌)|フライデー]]』2009年2月27日号 p.70-71「1月29日死刑執行 女性二人を惨殺した“鬼畜”が最後に辿り着いた『後悔と反省』 愛知ドラム缶焼殺元死刑囚が『遺書』に記した“心の闇”」([[講談社]])</ref>。なお、これについては上告審の途中から私選弁護人を務め、死刑確定後も再審請求の代理人を務めていた弁護士・大熊裕起が「取り下げは無効だ」と主張して名古屋地裁に異議申し立てを行ったが棄却され、名古屋高裁への即時抗告棄却を経て2008年12月、最高裁への特別抗告も棄却された<ref group="書籍" name="年報・死刑廃止2009 p.172-173"/>。
* (2008年の[[刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律]]改正により)法務局長通達で「死刑囚の投稿を禁止する」という規定が出されたようで、その通達のせいで外部への情報発信がほぼ不可能になった<ref group="書籍" name="命の灯 p.68-69"/>。文書を書くことしかできない死刑囚にとって、一般社会に何かを訴えたり遺したりするには本を出版する以外に方法がないので、福島さんの手で何とかしてほしい<ref group="書籍" name="命の灯 p.68-69"/>。
;死刑囚K
* 「自分の考えなりに死刑を受け入れており、アンケートに答えることはできない」としてこのアンケートには回答せず、後述のように2009年1月12日付で福島宛の手紙を送った<ref group="書籍" name="命の灯 p.63">{{Harvnb|命の灯|2009|pages=63}}</ref>。

なお死刑囚Kは2008年7月24日付で名古屋地裁へ再審請求を起こし<ref group="書籍" name="命の灯 p.64"/>、同年11月29日までの期限通りに意見書を提出したが<ref group="書籍" name="命の灯 p.65"/>、同年12月18日付で棄却決定がなされた<ref group="書籍" name="命の灯 p.64">{{Harvnb|命の灯|2009|pages=64}}</ref><ref group="書籍" name="命の灯 p.65">{{Harvnb|命の灯|2009|pages=65}}</ref>。

死刑囚Kは死刑執行直前の2009年1月12日、福島宛に以下のような手紙を送っていた<ref group="書籍" name="命の灯 p.63-67">{{Harvnb|命の灯|2009|pages=63-67}}</ref>。
* 裁判では警察と首謀者が取引したことにより、自分とNが主犯格、共犯者ほか4人が従犯とされたが、事件の真実は「Nが実の父親である暴力団相談役とその若衆から命令を受けて手形回収・殺人に至った」というものだ<ref group="書籍" name="命の灯 p.63"/>。
** しかしNの父親が警察に金銭を授受し、「Kを主犯として死刑にする一方、息子のNは死刑にしない」と取り決め、裁判にかけられたため、警察・検察からは自分にとって不都合な調書しか作られなかった<ref group="書籍" name="命の灯 p.63"/><ref group="書籍" name="命の灯 p.64"/>。
** 結局、自分の弁護人の努力の結果でNも主犯として死刑となった<ref group="書籍" name="命の灯 p.64"/>。被害者2人を生きたまま焼き殺すという最悪な犯罪を犯した以上<ref group="書籍" name="命の灯 p.63"/>、死刑判決そのものについては納得しているが、判決の事実認定は一切納得していない<ref group="書籍" name="命の灯 p.64"/>。
** 再審請求の際、共犯Nが自分の弁護人宛に「事件の真実は自分の実父(暴力団幹部)・若衆から命令を受けたもので、Kは主犯ではないが、出頭前に警察・父の暴力団と取引した結果主犯扱いされた」「保険金搾取のために本件とは別に3件の殺人を犯しており、それが組の資金源になっていた点を警察に告発してほしい」と伝えており、それを再審請求の証拠とした<ref group="書籍" name="命の灯 p.64"/>。
** その事件の黒幕はまだ社会で生活しており、資金源のためにこれからも殺人を繰り返すだろう<ref group="書籍" name="命の灯 p.65"/>。今なら逮捕して白日の下に晒せるのに、警察も司法も動こうとしない<ref group="書籍" name="命の灯 p.65"/>。「自分の命はそんなに軽いのか?」と思うし<ref group="書籍" name="命の灯 p.64"/>、死刑になるのなら真実の下に死刑になりたいので<ref group="書籍" name="命の灯 p.65"/>、他の殺人で殺された人々のためにも真実を明らかにしてほしい<ref group="書籍" name="命の灯 p.64"/>。
* 2007年12月([[鳩山邦夫]]法務大臣による死刑執行)以来、死刑執行の際には法務省から実名・罪状が当日中に発表されるようになったが、自分にも子供がいるし<ref group="書籍" name="命の灯 p.64"/>、残された子供たちの将来にとって重荷になりかねないので発表はやめてほしい<ref group="書籍" name="命の灯 p.64"/><ref group="書籍" name="命の灯 p.65"/>。
** 自分自身は死刑を受け入れており、「早く死刑になることが、事件で重荷を背負わせてしまった自分の子ども達への唯一の償いだ。いっそ子供たちが物心つかないうちに死刑になりたい」と考えていたが、現実にも「死刑囚の子ども」であることを理由とした学校での[[いじめ]]が発生している<ref group="書籍" name="命の灯 p.66">{{Harvnb|命の灯|2009|pages=66}}</ref>。
** 自分の長男は(当時)中学生、次男も小学3年生と幼いので、彼らが大人になるまでは死刑にはなりたくない<ref group="書籍" name="命の灯 p.66"/>。
** 昨年(2008年)暮れに実子から手紙が届き、社会における加害者家族・身内の苦しみを知った<ref group="書籍" name="命の灯 p.66"/>。
* 自分の死刑執行をビデオで記録し、検事・裁判官・司法関係者に「死刑とはどんなものか」を実際に見て考えてほしいし、どんな理由であれ、人を殺す苦しみを分かってほしい<ref group="書籍" name="命の灯 p.65"/>。
* 現在は弁護人とも連絡が取れなくなり、面会できるのは教会の修道女のみで、実姉からも年1回ハガキが届くだけだ<ref group="書籍" name="命の灯 p.66"/>。弁護人から再審請求棄却に対する即時抗告がなされていなければいつ死刑が執行されるかわからない<ref group="書籍" name="命の灯 p.66"/>。請願作業をしつつ日用品を自弁購入して生活しているが、他に収入はなく、今後は弁護人を雇うこともできないので「次の死刑執行は自分ではないか」と考えている<ref group="書籍" name="命の灯 p.67">{{Harvnb|命の灯|2009|pages=67}}</ref>。
* (2008年の[[刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律]]改正について)
** 自分のように金がなく、支援者もいない死刑囚については「領地品・差し入れ品の数規制」などが酷く、改悪としかいえない<ref group="書籍" name="命の灯 p.67"/>。
** (法改正のせいで)ただでさえ少ない接見交通権を持つ親類・弁護士に迷惑がかかる上、自分のように金も支援者もない死刑囚はより一段と孤立し、ますます死刑執行順位が早くなる<ref group="書籍" name="命の灯 p.67"/>。
* 名古屋拘置所の所長が現在(2009年1月当時)に交代して以来、週1回の居室検査・膳板引き上げなどの検査が強化されるなど、死刑囚にとっては厳しい処遇になっている<ref group="書籍" name="命の灯 p.67"/>。

死刑囚Nは死刑執行直前の2009年1月13日、名古屋拘置所で弁護人・大熊と面会した<ref group="書籍" name="年報・死刑廃止2009 p.172-173">{{Harvnb|年報・死刑廃止|2009|pages=172-173}}</ref>。大熊は死刑囚Nが自ら再審請求を取り下げたこと、事件の内容・「死刑を受け入れる」と表明していたN自身の意思などから「Nの死刑執行が近い」と危惧して面会し、「再審請求をもう1度したいなら自分が引き受ける。[[恩赦]]出願も検討したらどうだ」と話したが、Nは「被害者や遺族のことを考えれば、自分は死刑を受け入れるべきだ。仮に大熊先生が再審請求をしても自分で取り下げる。恩赦も必要ない」として再度の再審請求・恩赦出願をいずれも拒否する意向を示した<ref group="書籍" name="年報・死刑廃止2009 p.172-173"/>。

;2009年1月29日、名古屋拘置所でN・K両死刑囚の死刑執行
:死刑判決確定から約2年6か月後の[[2009年]](平成21年)[[1月29日]]、[[法務省]]([[法務大臣]]:[[森英介]])の死刑執行命令により、[[名古屋拘置所]]でN・K両死刑囚の[[日本における被死刑執行者の一覧|死刑が執行された]](死刑囚Nは{{没年齢|1969|10|17|2009|1|29}}、死刑囚Kは{{没年齢|1964|3|23|2009|1|29}})<ref group="法務省" name="法務省会見">{{Cite web|和書|url=http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/kaiken_point_sp090129-01.html|title=法務大臣閣議後記者会見の概要(平成21年1月29日(木))|publisher=[[法務省]]([[法務大臣]]:[[森英介]])|date=2009-01-29|accessdate=2011-03-23|archivedate=2018-08-02|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110323011314/http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/kaiken_point_sp090129-01.html}}</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2009-01-29">『中日新聞』2009年1月29日夕刊1面「4人の死刑執行 長野、愛知4人殺害 〇〇死刑囚ら」(※[[長野・愛知4連続強盗殺人事件]]の死刑囚の実名が記事見出し中に使われているため、この部分を伏字にした)</ref><ref group="新聞">『中日新聞』2009年1月29日夕刊第一社会面11面「死刑執行 ドラム缶焼殺2人にも N、K両死刑囚 最高裁、主犯格認定」</ref><ref group="新聞">『東京新聞』2009年1月29日夕刊第一社会面9面「4人の死刑執行 3年 確定から3年内 森法相2回目 前回から3カ月」「再審請求 半数超える」(記者:佐藤直子)</ref><ref group="新聞">『読売新聞』2009年1月29日東京夕刊1面「4人に死刑執行 愛知・長野4人強盗殺人など」</ref><ref group="新聞">『朝日新聞』2009年1月29日夕刊1面「4人の死刑を執行 北九州4人殺傷など 【西部】」</ref><ref group="新聞">『朝日新聞』2009年1月29日夕刊第一社会面15面「4人の死刑を執行 『悩んだ末、再審請求取り下げた』 執行前、思いつづる」</ref>。
:同日には[[長野・愛知4連続強盗殺人事件]]の死刑囚([[東京拘置所]])・[[福岡拘置所]]の死刑囚1人を含めた計4人の死刑が執行された<ref group="法務省" name="法務省会見"/><ref group="新聞" name="中日新聞2009-01-29"/>。
:死刑囚Nは生前、[[講談社]]の『[[フライデー (雑誌)|フライデー]]』編集部と文通をしており、死刑執行後に発売された同誌2009年2月27日号に400字詰め原稿用紙17枚分の「遺書」の概要・死刑執行の翌2009年1月30日に執り行われた葬儀の際に撮影された死刑囚Nの遺体の顔写真が掲載された<ref group="雑誌" name="フライデー2009-02-27"/>。
:「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」(フォーラム90)は同日、「4人の死刑執行は暴挙というほかない」として法相・森に対する抗議声明を発表した<ref group="書籍" name="年報・死刑廃止2009 p.181">{{Harvnb|年報・死刑廃止|2009|pages=181}}</ref>。

== 参考文献 ==
=== 刑事裁判の判決文 ===
;N・K両元死刑囚に対する判決文
* {{Cite 判例検索システム |裁判所=[[名古屋地方裁判所]]刑事第3部 |事件番号=平成12年(う)第886号/平成12年(う)第1039号 |事件名=[[強盗致死傷罪|強盗傷人]],[[逮捕・監禁罪|監禁]],強盗殺人,[[死体損壊]]・[[死体遺棄]]被告事件 |裁判年月日=2002年(平成14年)2月21日 |判例集= |判示事項= |裁判要旨= |url= |ref=#名古屋地裁2002-02-21 }}
** [[裁判官]]:[[片山俊雄]]([[裁判長]])・橋本一・高橋正幸
<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;">
;『[[判例タイムズ]]』第1101号292頁
:判示事項
::共犯者6名が女性2名をドラム缶を用いて焼殺したという強盗殺人等の事案において、各被告人の果たした役割の違いなどに応じて、それぞれ死刑、無期懲役、懲役12年の刑が言い渡された事例
;『[[TKC]]ローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28075693
:裁判要旨
::共犯者6名が、被害者G(本文中A)に暴行を加えてその所有の乗用車などを強取した上、同人には逃げられたものの、同人と一緒に帰宅したその妻である被害者H(本文中B)および同女の妹である被害者I(本文中C)を自動車に監禁して山林に連行し、被害者Iから金品を強取した上、同女らを生きたままドラム缶に入れ、これに点火して焼死させて殺害し、同女らの死体を切断して付近に投棄した強盗傷人、監禁、強盗殺人、死体損壊遺棄の事案につき、本件犯行計画を企て、他の4名の共犯者を犯行に引き込み、強く指示を与えて犯行を遂行させるなど主導的立場にあり、極めて重大な役割を果たした被告人F(本文中N)及びE(本文中K)に対し死刑を言い渡した事例。
</div>
:* 判決内容:N・K両被告人を死刑(求刑同。被告人側はともに控訴)。以下の物品計5点を没収
:** 角材1本(平成12年押収第408号の1)
:** チェーンソー1台(平成12年押収第408号の3)
:** 金槌1本(平成12年押収第408号の4)
:** ドラム缶2缶(名古屋地検平成12年領第1549号の18,19)

* {{Cite 判例検索システム |裁判所=[[名古屋高等裁判所]]刑事第2部 |事件番号=平成14年(う)第158号 |事件名=[[強盗致死傷罪|強盗傷人]],[[逮捕・監禁罪|監禁]],強盗殺人,[[死体損壊]]・[[死体遺棄]]被告事件 |裁判年月日=2003年(平成15年)3月12日 |判例集= |判示事項= |裁判要旨= |url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=003203 }}
** 裁判官:[[川原誠 (裁判官)|川原誠]](裁判長)・村田健二・堀内満
<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;">
;『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28085413
:裁判要旨
::被告人両名が、共犯者らと共謀の上、Gの頭部を角材で殴打する暴行を加えて、その自動車等を強取し、Gの妻と妻の妹を別の自動車に押し込んで、山林に連行し、その間、両名を不当に監禁し、両名をドラム缶の中に押し込み、ガソリン混合油を振りかけた上、点火して両名を焼き殺すなどした事実につき、原判決が、いずれも各被告人に死刑を言い渡したため、量刑不当を理由に、控訴した事案で、本件犯行は、被告人Bはもとより、被告人Aの存在なくしてはあり得なかったというべきであり、また、被告人Aの果たした役割の大きさや地位等は共犯者らとは格段の差があることは明白であるとし、控訴を棄却した事例。
;裁判所ウェブサイト掲載判例
</div>
:* 判決内容:N・K両被告人側控訴棄却(死刑判決支持。被告人・弁護人側はともに上告)

* {{Cite 判例検索システム |法廷名=[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第二小法廷 |事件番号=平成15年(あ)第600号 |事件名=強盗傷人,監禁,強盗殺人,死体損壊,死体遺棄被告事件 |裁判年月日=2006年(平成18年)6月9日 |判例集= |判示事項= |裁判要旨= |url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=080375 }}
** [[最高裁判所裁判官]]:[[今井功 (裁判官)|今井功]](裁判長)・[[滝井繁男]]・[[津野修]]・[[中川了滋]]・[[古田佑紀]]
<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;">
;『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:25420004
:裁判要旨
::被告人両名が、共犯者らと共謀の上、手形金の取り立てができず自分らのめんつがつぶされたとして、債務者に暴行を加えてその自動車等を強取するとともに、同人の妻と妻の妹を別の自動車に押し込んで不当に監禁し、両名をドラム缶の中に押し込み、ガソリン混合油を振りかけて生きたまま焼き殺した事件の上告審において、被告人両名を死刑に処した第1審判決を維持した原判断はやむを得ないものとして是認せざるを得ないとして、上告を棄却した事例。
;『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第289号293頁
;裁判所ウェブサイト掲載判例
:死刑の量刑が維持された事例(名古屋の2女性強盗殺人等事件)
</div>
:* 判決内容:N・K両被告人側上告棄却(死刑判決確定)

;W・X・Y・Z各受刑者に対する判決文
* {{Cite 判例検索システム |裁判所=名古屋地方裁判所刑事第5部 |事件番号=平成12年(う)第827号/平成12年(う)第1040号 |事件名=強盗傷人,監禁,強盗殺人,死体損壊・死体遺棄被告事件 |裁判年月日=2002年(平成14年)2月19日 |判例集= |判示事項= |裁判要旨= |url= |ref=#名古屋地裁2002-02-19 }}
** 裁判官:[[三宅俊一郎 (裁判官)|三宅俊一郎]](裁判長)・安藤祥一郎・戸苅左近
<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;">
;『[[判例タイムズ]]』第1101号279頁
:判示事項
::共犯者6名が女性2名をドラム缶を用いて焼殺したという強盗殺人等の事案において、各被告人の果たした役割の違いなどに応じて、それぞれ死刑、無期懲役、懲役12年の刑が言い渡された事例
;『[[TKC]]ローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28075693
:裁判要旨
::被告人らが、共犯者の主導の下に、被害者が降り出した不渡り手形の手形金を回収するため、被害者夫婦らを襲ってその乗用車を強取するとともに、その自宅マンションから乗用車の名義変更に必要な物件等を持ち出して強取し、その際同夫婦らを殺害しようと企て、妻らを殺害し、死体を投棄した事案で、被告人らは、本件一連の犯行に加担するに当たって、その意思決定の自由が完全に制圧された状態にまでは至っていなかったものと認められるとし、被告人C(本文中X)及び被告人D(本文中W)に無期懲役、被告人A(本文中Y)及び被告人B(本文中Z)に懲役12年を言い渡した事例。
::被害者G(本文中A)に暴行を加えてその所有の乗用車などを強取した上、同人には逃げられたものの、同人と一緒に帰宅したその妻である被害者H(本文中B)および同女の妹である被害者I(本文中C)を自動車に監禁して山林に連行し、被害者Iから金品を強取した上、同女らを生きたままドラム缶に入れ、これに点火して焼死させて殺害し、同女らの死体を切断して付近に投棄した強盗傷人、監禁、強盗殺人、死体損壊遺棄の事案につき、本件犯行計画を企て、他の4名の共犯者を犯行に引き込み、強く指示を与えて犯行を遂行させるなど主導的立場にあり、極めて重大な役割を果たした被告人F(本文中N)及びE(本文中K)に対し死刑を言い渡した事例。
</div>
:* 判決内容:W・X両被告人に無期懲役、Y・Z両被告人に懲役12年(W・X両被告人は求刑・死刑、Y・Z両被告人は求刑・懲役15年。被告人側はいずれも控訴)
:** 被告人4人それぞれに対し[[未決勾留]]日数中各520日を刑期に算入
:*** 各被告人がそれぞれ「参考文献中の被告人A・B・C・Dいずれに該当するか」については『中日新聞』2002年2月20日朝刊第三社会面29面「ドラム缶焼殺判決要旨」を参考にして判決文と判決要旨を照合し、各被告人を断定した<ref group="新聞" name="中日新聞2002-02-20 判決要旨"/>。

=== 関連書籍 ===
* {{Cite book |和書 |author=年報・死刑廃止編集委員会 |title=死刑100年と裁判員制度 年報・死刑廃止2009 |publisher=[[インパクト出版会]] |date=2009-10-25 |pages=160-165,172-175,304 |isbn=978-4755402005 |ref={{Sfn|年報・死刑廃止|2009}} }}
<!--* {{Cite book |和書 |author=年報・死刑廃止編集委員会 |title=ポピュリズムと死刑 年報・死刑廃止2017|publisher=インパクト出版会|date=2017-10-15|isbn=978-4755402807|page=192|ref={{Sfn|年報・死刑廃止|2017}} }}-->
* {{Cite book |和書 |author=死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90 |title=命の灯を消さないで 死刑囚からあなたへ 105人の死刑確定者へのアンケートに応えた魂の叫び |publisher=インパクト出版会 |date=2009-09-10 |pages=63-69 |isbn=978-4755401978 |ref={{Sfn|命の灯|2009}} }}

=== 雑誌記事 ===
*『[[フライデー (雑誌)|フライデー]]』2009年2月27日号 p.70-71「1月29日死刑執行 女性二人を惨殺した“鬼畜”が最後に辿り着いた『後悔と反省』 愛知ドラム缶焼殺元死刑囚が『遺書』に記した“心の闇”」([[講談社]])


== 脚注 ==
== 脚注 ==
164行目: 457行目:
;新聞報道記事出典
;新聞報道記事出典
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;雑誌記事出典
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;書籍出典
;書籍出典
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;法務省発表
;法務省発表
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== 参考文献 ==
=== 刑事裁判の判決文 ===
;N・K両元死刑囚に対する判決文
* '''{{Cite 判例検索システム |裁判所=[[名古屋地方裁判所]]刑事第3部 |事件番号=平成12年(う)第886号/平成12年(う)第1039号 |事件名=[[強盗致死傷罪|強盗傷人]],[[逮捕・監禁罪|監禁]],強盗殺人,[[死体損壊]]・[[死体遺棄]]被告事件 |裁判年月日=2002年(平成14年)2月21日 |判例集=[[判例タイムズ]]第1101号292頁、[[TKC]]ローライブラリーLEX/DBインターネット ID:28075693 |判示事項=共犯者6名が女性2名をドラム缶を用いて焼殺したという強盗殺人等の事案において、各被告人の果たした役割の違いなどに応じて、それぞれ死刑、無期懲役、懲役12年の刑が言い渡された事例 |裁判要旨=共犯者6名が、被害者G(本文中A)に暴行を加えてその所有の乗用車などを強取した上、同人には逃げられたものの、同人と一緒に帰宅したその妻である被害者H(本文中B子)および同女の妹である被害者I(本文中C子)を自動車に監禁して山林に連行し、被害者Iから金品を強取した上、同女らを生きたままドラム缶に入れ、これに点火して焼死させて殺害し、同女らの死体を切断して付近に投棄した強盗傷人、監禁、強盗殺人、死体損壊遺棄の事案につき、本件犯行計画を企て、他の4名の共犯者を犯行に引き込み、強く指示を与えて犯行を遂行させるなど主導的立場にあり、極めて重大な役割を果たした被告人F(本文中N)及びE(本文中K)に対し死刑を言い渡した事例。 |url= }}'''
** 判決内容:N・K両被告人を死刑(求刑同。被告人側はともに控訴)
** 裁判官:[[片山俊雄]](裁判長)・橋本一・高橋正幸

* '''{{Cite 判例検索システム |裁判所=[[名古屋高等裁判所]]刑事第2部 |事件番号=平成14年(う)第158号 |事件名=[[強盗致死傷罪|強盗傷人]],[[逮捕・監禁罪|監禁]],強盗殺人,[[死体損壊]]・[[死体遺棄]]被告事件 |裁判年月日=2003年(平成15年)3月12日 |判例集=裁判所ウェブサイト掲載判例 |判示事項= |裁判要旨= |url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=003203 }}'''
** 判決内容:N・K両被告人側控訴棄却(死刑判決支持。被告人側はともに上告)
** 裁判官:[[川原誠 (裁判官)|川原誠]](裁判長)・村田健二・堀内満

* '''{{Cite 判例検索システム |法廷名=[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第二小法廷 |事件番号=平成15年(あ)第600号 |事件名=強盗傷人,監禁,強盗殺人,死体損壊,死体遺棄被告事件 |裁判年月日=2006年(平成18年)6月9日 |判例集=最高裁判所裁判集刑事編(集刑)第289号293頁、裁判所ウェブサイト掲載判例 |判示事項=死刑の量刑が維持された事例(名古屋の2女性強盗殺人等事件) |裁判要旨= |url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=080375 }}'''
** 判決内容:N・K両被告人側上告棄却
** 裁判官:[[今井功 (裁判官)|今井功]](裁判長)・[[滝井繁男]]・[[津野修]]・[[中川了滋]]・[[古田佑紀]]

;W・X・Y・Z各受刑者に対する判決文

=== 関連書籍 ===
* {{Cite book |和書 |author= |title=命の灯を消さないで 死刑囚からあなたへ 105人の死刑確定者へのアンケートに応えた魂の叫び |publisher=[[インパクト出版会]] |date=2009-09-10 |pages=63-69 |isbn=978-4755401978 |ref={{Sfn|インパクト出版会|2009}} }}
* {{Cite book |和書 |author=年報・死刊廃止編集委員会 |title=ポピュリズムと死刑 年報・死刑廃止2017|publisher=[[インパクト出版会]]|date=2017-10-15|isbn=978-4755402807|page=192|ref={{Sfn|インパクト出版会|2017}} }}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[闇サイト殺人事件]] - 同じ名古屋市千種区で発生した、複数人の共犯者に死刑が求刑された拉致・強盗殺人事件。
* [[闇サイト殺人事件]] - 同じ名古屋市千種区で発生した、複数人の共犯者に死刑が求刑された拉致・強盗殺人事件。
* [[三島女子短大生焼殺事件]] - この事件においても被害者の殺害方法に焼殺が用いられ、加害者の死刑が確定した。
* [[三島女子短大生焼殺事件]] - この事件においても被害者の殺害方法に焼殺が用いられ、加害者の死刑が確定した。
*[[大阪府和泉市元社長夫婦殺害事件]] - 同じくドラム缶に遺体が遺棄され、犯人の死刑が確定した事件。


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[[Category:国家賠償請求訴訟]]
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[[Category:日本の死刑確定事件]]

2024年11月29日 (金) 00:21時点における最新版

ドラム缶女性焼殺事件
場所

日本の旗 日本愛知県

名古屋市千種区振甫町2丁目(拉致現場)[新聞 1]
瀬戸市北白坂町内にある「東京大学大学院農学部生命科学研究科附属演習林 愛知演習林」内(殺害・死体損壊現場)[判決文 1]
西加茂郡藤岡町西市野々(現・豊田市藤岡町西市野々)[新聞 2]との市町境に近く、藤岡町北部のキャンプ場「郡民の森」から南西約1.6キロメートルに位置する山中[新聞 3][新聞 4]
標的

債務者の被害者男性A

事件当時56歳・名古屋市千種区振甫町2丁目在住[新聞 1]、名古屋市中村区名駅付近で喫茶店を経営[新聞 5]
日付 2000年平成12年)4月4日
午前0時30分頃(襲撃・拉致時刻)[判決文 1] – 午前2時40分頃(殺害時刻)[判決文 1] (UTC+9)
概要 債権の取り立てに失敗した男ら6人が、債務者の妻とその妹を拉致し、山中でガソリンをかけて焼き殺した。
攻撃側人数 6人
武器

以下の没収物品

角材1本(平成12年押収第408号の1)[判決文 1]
チェーンソー1台(平成12年押収第408号の3)[判決文 1]
金槌1本(平成12年押収第408号の4)[判決文 1]
ドラム缶2缶(名古屋地検平成12年領第1549号の18,19)[判決文 1]
死亡者

Aの親族女性計2人

男性Aの妻B(事件当時65歳)
喫茶店従業員の義妹C(事件当時59歳、Aの妻Bの妹)
負傷者

男性1人

男性A
犯人

男6人

主犯格はN・Kの2人
共犯者W・X・Y・Zの4人
動機 借金返済を巡るトラブル
対処 逮捕起訴
謝罪 全員が公判にて謝罪・反省の意を示す
刑事訴訟 主犯格2人(N・K)は死刑執行済み
殺害・死体損壊実行犯2人(W・X)は無期懲役
その他共犯者2人(Y・Z)は懲役12年
管轄 愛知県千種警察署
名古屋地方検察庁
テンプレートを表示

ドラム缶女性焼殺事件(ドラムかんじょせいしょうさつじけん)とは、2000年平成12年)4月4日未明、愛知県名古屋市千種区振甫町2丁目の路上で女性2人が拉致され[新聞 1][新聞 6][新聞 7]、同県瀬戸市北白坂町の山中で焼き殺された強盗殺人死体損壊事件である[新聞 8][新聞 9][新聞 10]

加害者

[編集]
元死刑囚N(2009年1月29日に死刑執行。死刑確定後、イニシャル「S」に改姓)
1969年昭和44年)10月17日生まれ[書籍 1]2009年(平成21年)1月29日、収容先の名古屋拘置所で共犯死刑囚Kとともに死刑が執行された(39歳没)[新聞 11]
犯行当時30歳、愛知県春日井市明知町(Kと同所)在住[新聞 12]中古車販売手伝い[新聞 11]。金融業を営む実父が犯行のきっかけとなった被害者Aの約束手形取立を依頼した[新聞 4]。『中日新聞』では指名手配時に「上杉宏次郎」という名前で報道されたが[新聞 8]、これは取り込み詐欺を行うために設立した自動車部品販売会社「シムス」で使用していた偽名だった[判決文 1]
刑事裁判で被告人Kとともに主犯格と認定されて死刑を求刑され[新聞 13]、第一審(名古屋地裁、2002年2月21日)[新聞 14]・控訴審(名古屋高裁、2003年3月12日)ともに求刑通り死刑判決を受けた[新聞 15]。2006年6月9日に最高裁判所第二小法廷で上告棄却の判決が言い渡され[新聞 16]、2006年7月6日付で判決訂正申立書棄却決定により正式に一・二審の死刑判決が確定した[法務省 1]
元死刑囚K(2009年1月29日に死刑執行)
1964年(昭和39年)3月23日生まれ[書籍 1]。2009年1月29日、収監先・名古屋拘置所で共犯死刑囚Nとともに死刑が執行された(44歳没)[新聞 11]
犯行当時36歳、愛知県春日井市明知町(Nと同所)在住[新聞 12]、中古車販売業[新聞 11]
16歳のころ、オートバイに乗車していた際に交通事故を起こして右下肢切断の傷害を負い、それ以降は右足に義足を装着していた[判決文 1]。死刑囚K自身、死刑執行直前の2009年1月12日付けの参議院議員福島瑞穂宛の手紙に「少年時の事故で右足が義足だ」と綴っていた[書籍 2]。その事故以来、周囲の人物には義足を装着していることを隠し、運送会社で勤務していた頃から「俺は元暴力団組員で、右足が不自由なのは抗争事件の時に負傷したからだ」と嘘をついて虚勢を張り、自己の強さを誇示していた[判決文 1]
刑事裁判で被告人Nとともに主犯格と認定されて死刑を求刑され[新聞 13]、第一審(名古屋地裁、2002年2月21日)[新聞 14]・控訴審(名古屋高裁、2003年3月12日)ともに、求刑通り死刑判決を受けた[新聞 15]。2006年6月9日に最高裁第二小法廷で上告棄却の判決が言い渡され[新聞 16]、2006年7月6日付で判決訂正申立書棄却決定により正式に一・二審の死刑判決が確定した[法務省 1]
受刑者W(死刑求刑に対し無期懲役判決が確定)
犯行当時40歳、愛知県春日井市柏原町5丁目(X・Yと同所)在住[新聞 7][新聞 17]、自動車部品販売会社「シムス」[新聞 18]社長[新聞 7][新聞 8][新聞 12]。Xの実兄(イニシャル「M」姓)で[新聞 8]、実弟Xとは一時期養子縁組していた[新聞 2]
N・K・Xとともに殺害現場に居合わせ、被害者2人の殺害・死体損壊を実行した。事件前は多額の借金を抱えており、逮捕直後には『毎日新聞』記者にWの知人らから「納入した自動車部品の費用を滞納していた」「暴力団関係者と付き合いがあったKには頭が上がらない様子だった。WはKから金を借りていたのかもしれない」などの証言が寄せられた[新聞 2]
死刑求刑に対し[新聞 19]、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)[新聞 20]・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに無期懲役判決を受け[新聞 21]、2004年2月3日付で最高裁第三小法廷で上告棄却決定がなされたことにより、一・二審の無期懲役判決が確定した[新聞 22]
受刑者X(死刑求刑に対し無期懲役判決が確定)
犯行当時37歳、愛知県春日井市柏原町5丁目(W・Yと同所)在住、自動車部品販売会社従業員[新聞 7][新聞 8][新聞 12]。Wの実弟で[新聞 8]、逮捕直後の『中日新聞』報道では兄Wと同じくイニシャル「M」姓と報道されたが[新聞 7]、その後の報道ではイニシャル「S」姓と報道された[新聞 8]。これは、事件前に実兄Wと養子縁組をして同じ「M」姓を名乗っていたためで、事件発生までに養子縁組が解消したため「S」姓に戻っていたが、その後も通称として「M」姓を名乗り続けていた[新聞 2]
N・K・Wとともに殺害現場に居合わせ、被害者2人の殺害には関与しなかったが、Wとともに死体損壊を実行した。
死刑求刑に対し[新聞 19]、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)[新聞 20]・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに無期懲役判決を受け[新聞 21]、2004年2月3日付で最高裁第三小法廷で上告棄却決定がなされたことにより、一・二審の無期懲役判決が確定した[新聞 22]
受刑者Y(懲役15年求刑に対し懲役12年判決が確定。2018年時点で出所済み?)
犯行当時45歳、愛知県春日井市柏原町5丁目(W・Xと同所)在住、会社役員[新聞 1][新聞 12]
事件前の殺害謀議[新聞 23]、被害者らの襲撃・拉致に関与したが、殺害現場に向かう途中でZとともに逮捕された[新聞 24][新聞 19]
懲役15年の求刑に対し[新聞 19]、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)[新聞 20]・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに懲役12年判決を受け[新聞 21]、2004年2月3日付で最高裁第三小法廷で上告棄却決定がなされたことにより一・二審の懲役12年判決が確定した[新聞 22]
受刑者Z(懲役15年求刑に対し懲役12年判決が確定。2018年時点で出所済み?)
犯行当時28歳、愛知県岡崎市出身[新聞 1][新聞 12]
事件前の殺害謀議[新聞 23]、被害者らの襲撃・拉致に関与したが、殺害現場に向かう途中でYとともに逮捕された[新聞 24][新聞 19]
懲役15年の求刑に対し[新聞 19]、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)[新聞 20]・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに懲役12年判決を受け[新聞 21]、上告期限の2003年7月3日までに上告しなかったために一・二審の懲役12年判決が確定した[新聞 22]

事件に至るまで

[編集]

主犯格の元死刑囚Kは、1989年(平成元年)頃 - 1992年(平成4年)7月と1994年(平成6年)5月 - 1996年(平成8年)2月の計2回にわたり、愛知県小牧市内の運送会社にトラック運転手として勤務しており、その時に共犯N・従犯W・X・Y・Zの計5名と互いに知り合った[判決文 1]。1996年2月に運送会社を退社してからKは職を転々とし、1999年(平成11年)4月頃から愛知県春日井市明知町にて中古車販売業を始めた[判決文 1]

Kは1996年2月ごろ、Nが勤務していた愛知県小牧市内の運送会社に入社してトラック運転手として働くようになったが、職場の同僚らに対し「背中に刺青を入れている」「親父が暴力団組員だ」などと吹聴して自己の強さを誇示していた[判決文 1]。その後、Nは元同僚のKが中古車販売業を起業したことを知ってKの店に出入りするようになったが、「Kから見下されたくない」という思いから「取り込み詐欺を繰り返して会社を潰したこともある」などと話し、反社会的勢力に精通していることを誇示した[判決文 1]

Kは1999年夏頃、Wから「何か儲かる仕事はないか」と相談を持ち掛けられた際、「Wが休眠会社を買い取りその会社を使って取り込み詐欺をすれば自分もその分け前を得られる」などと思いつき、同年9月頃にはNに取り込み詐欺の話を持ち掛けた[判決文 1]。前述のように「取り込み詐欺を行ったことがある」というNの話自体は嘘だったが、Nは嘘を隠し通そうとしたことに加え、「自分も金儲けがしたい」と考えたことから申し出を承諾した[判決文 1]。これを受けてKはNだけでなく、W・X・Y・Zの4人に対しても同様に取り込み詐欺の話を持ち掛けた[判決文 1]。当時、加害者6人はWを除いた全員が既に債務超過で消費者金融(サラ金)などの「ブラックリスト」に名前が載っており、新たな借り入れができない状態に陥っていた[判決文 2]

N・Kら加害者6人は1999年11月上旬ごろ、Nが経営していた中古車販売店の事務所に集まり、Kの「会社を設立した上で手形を乱発して商品を購入し、その商品を換金した後、最終的には会社を潰す」という提案の下で取り込み詐欺を行うことを決めた[判決文 1]。6人は取り込み詐欺を行うために利用する会社を設立することを決め[判決文 1]、休眠会社を買収した上で[新聞 7]、春日井市柏原町[新聞 2]の建物の一室を同月中に事務所として賃借し、買い取った休眠会社の登記を変更するなどして[判決文 1]、表向きには自動車部品販売会社として取り込み詐欺会社「シムス」を設立した[新聞 18][新聞 12]。「シムス」の名目上の代表取締役には[新聞 7][判決文 1]、W・X・Y・Zの4人の中で唯一ブラックリストに名前が載っていなかったWが就任し[判決文 2]、取締役にX・Y・Zの3人が就任した[判決文 1]。しかし会社の実権は、「詐欺が発覚すると自分たちに刑事責任が及ぶ」と恐れて同社の役員には就任しなかったものの、取り込み詐欺の発案者だったN・K両名が握っており[判決文 1]、両名は背後からWらに指図しつつ[判決文 2]、儲けた利益の大半を取得・折半しようとしていた[判決文 1]。会社設立後、次第にN・K両名とW・X・Y・Zの4人との間で上下関係が明確になり、「俺は元暴力団員だ。義足の右足はヤクザに切られた」と自称するKや「暴力団に近い実父を持ち、自分もかつては暴力団員だった」と言われていたKは、会社設立後にはWたち4人に何かと指図し、時に強く叱責・罵倒するなどして4人を服従させていた[判決文 2]

W・X・Y・Zの4人は当初、パソコン販売会社などを通してパソコンなどの商品を詐取しようとしたが、相手から信用されなかったために失敗したため、Nが「相手に手形・小切手を交付して信用させよう」と考え、W・Yに対し「シムス」の当座銀行預金口座を開設するよう指示した[判決文 1]。W・Yは1999年12月頃、十六銀行の担当者と「シムス」事務所で面談したが、同社の実態について信用を得られなかったため、当座預金口座の開設に失敗した[判決文 1]。取り込み詐欺が容易に成功しないことに加え、W・Yが銀行口座の開設に失敗したことから、腹を立てたKは2人を中古車販売店の事務所に呼び出して刃物を見せ「指を詰めろ」などと脅した[判決文 1]。これに加え、Nは「取り込み詐欺に専心しなければ殺すぞ」という心理的圧力を加えるため、W・X・Y・Zの4人を生命保険に加入するよう脅し、住友生命保険との間で[判決文 1]「受取人名義・「シムス」、災害死亡保険金各6000万円、死亡保険金各5000万円」の生命保険契約を締結させた上[判決文 2]、4人に対し「誰が死ぬんだ?死ぬなら事故死だ」[判決文 2]「お前らの誰かが死ねば俺たちに高い保険金が入る」などと述べ、4人に「逆らえば殺される」という意識を植え付け[新聞 12]、追い詰めて取り込み詐欺に専心させようとした[判決文 1]。この頃までには既に「N・Kの2人が対等な関係でリーダーに君臨し、W・X・Y・Zの4人が2人に絶対服従する」関係ができ上がっていた[判決文 1]。このような実態に嫌気が差したYは1999年12月頃から翌2000年1月頃にかけて2度にわたって出社を拒否して実家に身を隠すなどしたが、N・K両名が探しに来て、「自供推敲に努力する。違約した場合はいかなる処罰・処分も甘受する」という念書を書かされ、会社に戻った[判決文 2]。また、Wは借金がかさんで返済に困窮したため、2000年1月頃に妻と形式上協議離婚したが、さらに精神的に不安定になり、同年2月11日頃には睡眠薬を大量摂取して自殺を図った[判決文 2]。Wはさらに「会社を辞めたい」とこぼしたが、これを聞いたN・K両名は「お前の家族に危害を及ぼす」と示唆して脅迫・暴行を加えるなどしてWが逃走するのを阻止した[判決文 2]

一方で喫茶店経営者の被害者男性Aは、喫茶店経営だけでなく個人的な貸金業を経営しており、その運用資金として借金をしていたが、事件数年前から借金返済に追われるようになり[新聞 2]、金融業の失敗で数千万円の借金を抱えていた[新聞 25]。1999年3月22日、岐阜県岐阜市内の貸金業者宛に額面240万円の約束手形を振り出したが、その手形が不渡りとなったため、貸金業者はNの実父(暴力団関係者)が岐阜市内で経営していた別の貸金業者に手形の取り立てを依頼した[判決文 1]。1999年12月上旬ごろ、Nは実父の経営する貸金業者の従業員から「手形の取立をしてほしい」と持ち掛けられたことに応じ、この話をKに報告した上で取り込み詐欺会社の仕事として行うことを決め、Yを取り立ての直接担当者にした[判決文 1]。手形が不渡りになって以降、Aの喫茶店には頻繁に電話がかかるようになり、加害者らが店を訪れることもあった[新聞 2]

Nは前述の貸金業者従業員から被害者Aの情報を入手した上で、1999年12月11日頃、K・W・X・Y・Zを加えた計6人で手分けをして、普通乗用車(トヨタ・クラウンマジェスタ)を運転して帰宅する被害者Aを尾行するなどした結果、名古屋市千種区内のA宅・「Aが経営している」と目された名古屋市中村区内の喫茶店を特定した上、「Aが妻らしき女性とともに喫茶店を出て帰宅することがある」ことを把握した[判決文 1]。Nは被害者Aに電話連絡して「名古屋国際ホテル(名古屋市中区)で面談する」という約束を取り付け、1999年12月13日午前10時頃に共犯K・W・X・Y・Zとともにホテル内の喫茶店で被害者Aと面談した[判決文 1]。その際、主にN・K両名が被害者Aに対し「手形の債務を弁済しろ」と強く求めたが、Aからは弁済を拒絶された上、N・K両名が「お前のマジェスタを代物弁済として提供しろ」と迫っても断られた[判決文 1]。結局この日の交渉において、N・K両名らはAに対し、「(当時は売却の話がまだ具体化していなかった)静岡県伊東市内のAが保有する不動産が売却できた際、その代金で手形債務を弁済する」という念書を書かせることしかできなかった[判決文 1]。N・K両名はAの態度に憤激し、Kは中古車販売店の事務所に戻った後、W・X・Y・Zの4人の前で「あんな奴は俺も取り立ての時に殺したことがある。その時は相手を殺して、骨をチェーンソーで切断した上でドラム缶に入れて燃やしてすりつぶし、養鶏場の鶏のエサにした」などと嘘を言って強がった[判決文 1]

N・K両名ら6人はその後、被害者A宅にあるマジェスタの車庫を突き止めた[判決文 1]。また、A宅の郵便受けに「Aと同姓の女性(=Aの妻B)とは別の女性宛に郵便物が届いている」ことを確認したことや、Aが運転していたマジェスタを尾行した際にはAの妻と思しき女性とは別にもう1人女性が乗り込んでいたことがあったことなどから、「A宅にはA・B夫婦以外に別の女性1人(被害者C)が同居している可能性がある」と判断した[判決文 1]。その一方で、Aからの手形取立の直接の担当者となったYだったが、上記の名古屋国際ホテルにおける面談以降は1度も被害者Aと連絡を取ることができず、年が明けて2000年に入ってからも手形取立についての事態は進展しなかった[判決文 1]。そのため、N・Kら6人の間でAについての話題が上がるたびに、Nは「あんな奴は車を奪って殺してしまえばいい」などと繰り返し言うようになり、「Aたちを拉致したらあいつの家の鍵を奪って家の中の金目のものを奪おう」と発言した[判決文 1]。またKも「A・B夫婦を拉致して殺し、遺体をチェーンソーで切断して骨をミキサーで潰し、ドラム缶に入れて焼いて鶏の餌にしよう。その時には血が飛ぶといけないからレインコートが必要になるし、ミキサーは電気がないところでは使えないから骨はミキサーにかける前にあらかじめすり鉢ですりつぶそう」などと何度も言った[判決文 1]

Nは2000年2月3日、K・Wら6人で中古車販売店事務所に集まった際、Yから「Aからの手形取立は一向に進展しない」と報告を受けたことから、W・X・Y・Zの4人に「A・B夫婦やその同居人(=被害者C)を拉致・監禁してマジェスタなどを強奪する」計画を実行させることにした[判決文 1]。その上でNはW・X・Y・Zの4人に対し、「今日(Aたちを)さらって来い。車を停めてあるところは分かっているから、帰って来るところを待ち伏せして拉致しろ。家の中から金目のものも奪っておけ」などと指示し、Kも「とにかく(Aたちを)連れてくればいい。殴ってもいいし、匕首でも足に刺せば簡単だ」などと言ってWら4人を煽った[判決文 1]。この時、N・K両名はW・X・Y・Zの4人に対し、「Aの女房(B)も一緒にいるなら一緒にさらえ。その場に(Cも含めて)3人いるなら3人まとめてさらって来い」などと指示した[判決文 1]

W・X・Y・Zの4人はN・K両名の指示通り、被害者Aらを襲撃して自動車内に監禁し、Aのマジェスタなどを強奪するため、犯行に使用するためのハンマー・ガムテープ・ビニール紐などを用意した[判決文 1]。その上で2000年2月3日午前0時過ぎごろ、Wが運転するワゴン型普通乗用車(フォード・スペクトロン)にX・Y・Zの3人が同乗し、千種区内のA宅付近に到着し、Aらがマジェスタに乗車して帰宅するのを待ち伏せした[判決文 1]。しかしその後、Wら4人はスペクトロンの車内で寝込んでしまい、その間にAらが帰宅したためにこの襲撃計画は失敗に終わり、WらはN・K両名から強く叱責された[判決文 1]

その後は取り込み詐欺稼業が成功し始め[判決文 1]、2000年2月にはパソコンの取り込み詐欺で約2,200万円の利益が上がった[新聞 26]。それに伴って詐欺の件で忙殺されるようになったため、手形取り立ての件はあまり話題にならなくなっていった[判決文 1]。しかし2000年4月3日午後1時頃、Nが取り込み詐欺で詐取したパソコンのうち2台を実父に転売した代金を集金しようと、取り込み詐欺会社に向かう途中の車内から父に電話したところ、以前から畏怖していた父親から手形取立が進展していなかったことを「どうなっているんだ」と強く叱責された[判決文 1]。そのため、「Aのせいで自分の面子が潰された」と考えたNは「Aたちを拉致・監禁して殺害することで報復し、マジェスタなどAが所有する金品を強取しよう」と改めて考えた[判決文 1]

同日、Nは携帯電話で中古車販売店事務所にいたKに「もう(Aを)許しておけない。今日やるしかない」と電話したところ、KもNと同様に「Aのせいで自分たちの面子が潰された」と感じていたことから、Nから提案された強盗殺人の計画に「しょうがないね」と同意した[判決文 1]。またNはこの時、「2月にWたち4人でAたちを襲撃させようとしたが失敗したので、今回は自分も実行に加わろう」と考え、Kに対し「自分も行くから大丈夫だろう」と言ったところ、Kも「それなら自分も行く」と実行に加わる意思を示した[判決文 1]

その上でKは、殺害したA・B両名の遺体をドラム缶で焼却することを決めたNから「ドラム缶を2缶調達してほしい」と依頼されたことを受け、春日井市坂下町のガソリンスタンドで従業員に依頼してドラム缶2缶を譲り受けた[判決文 1]。Kはその上でW・X・Y・Zの4人を中古車販売店事務所に呼び寄せ、「NがAからの取り立ての件で帰れないみたいだ。Nは『やる』と言ってるがお前らはどうするんだ?」などと言い[判決文 1]、同年2月にWらが失敗した犯行計画を再び実行に移すことを指示し[判決文 2]、Aらを拉致・監禁して殺害する強盗殺人の計画への加担を扇動した[判決文 1][判決文 2]。この時、X・Y・Zの3人は犯行への加担に同意したがWが拒否したため、Kは「お前が行かないなら(殺害に使う)ドラム缶を3つにするぞ」などと言い、犯行に加担することを拒否した場合は殺害することをほのめかす形でWを脅迫し、犯行に加担させた[判決文 1]。Kが「死体をチェーンソーで切断すると、血が飛び散って嫌だ」と話すと、Nは「生きたまま焼き殺せば、血はつかない」と、身勝手な理由で残虐な犯行に至った[新聞 12]

一方でNは取り込み詐欺会社から中古車販売店事務所に戻る途中で2度にわたってXに電話し、以下の物品を購入するように指示し、Xに用意させた[判決文 1]

  • 遺体を切断するために用いるチェーンソー[判決文 1]
  • 遺体の骨を粉砕するために使用するすり鉢[判決文 1]
  • 遺体を切断する際、自分たちの衣服が血液で汚れないようにするためのレインコート[判決文 1]
  • 運動靴・ゴム手袋(2回目の電話の際に追加で指示)[判決文 1]

またKはYを前述のガソリンスタンドに向かわせ、譲渡することが決まっていたドラム缶2缶を持ち帰らせた[判決文 1]。中古車販売店事務所に戻ったNはYに対し、チェーンソーの燃料として使用するとともに、Aらの遺体を焼却する際に使用するガソリン混合油を購入するように指示し、同じガソリンスタンドでガソリン約4リットル・エンジンオイル160ミリリットルの混ざった混合油を購入させて持ち帰らせた[判決文 1]。またNはガスバーナーを用い、Xが持ち帰ってきたドラム缶2缶を以下のように加工した[判決文 1]

  • 「ドラム缶に蓋を作れば内部が高温になり、遺体を焼却するのに必要な時間が短縮できる」と考え、ドラム缶上部を円形に切断して縁を残した状態で蓋を作った[判決文 1]
  • ドラム缶上部側面に穴を4個開け、火の通りを良くするための通気口を作った[判決文 1]
  • ドラム缶下部に灰をかき出すための穴を開けた[判決文 1]

Nはその後、W・X・Y・Zの4人に犯行へ加担する意思が本当にあるのかを確認するため、4人に対し「どうする?今日やれるのか?4人でよく相談して決めろ」などと指示した[判決文 1]。これを受けてW・X・Y・Zの4人は互いに相談した後、「犯行に加担するしかない」と決意を固め、Yが4人を代表してNに「俺たち4人の責任でやりますから指示を出してください」と申し出た[判決文 1]。これにより、N・K・W・X・Y・Zの加害者計6人の間で、「被害者Aらを自動車内に監禁し、その所持金品を強取した上でAらを他所に連行して殺害し、その遺体を遺棄・損壊する」ことについての共謀が成立した[判決文 1]

その後、N・Kら犯行グループ計6人は中古車販売店事務所で襲撃方法を相談し、Nは「自分たちのトヨタ・クラウンで自分とKともう1人の3人でAの喫茶店付近に向かい、Aたちの動向を確認し、残り3人がスペクトロンに乗ってA宅付近で待ち伏せる。その後、Aらがマジェスタで車庫に戻ってきた際、車庫に入るのを妨害するためにスペクトロンで車庫出入り口を塞ぎ、Aが文句を言うためにスペクトロンに近づいたところを誰かが殴りつけてマジェスタを強取する」という内容の犯行計画を立案した[判決文 1]。さらにN・K両名は、W・X・Y・Zの4人に対し「このことはお前らが勝手にやることで、俺たちは無関係だということにしろ」と口裏合わせを指示した[判決文 1]。またこの頃、Xが角材を2本持ってきたため、Nはこれらを襲撃に使用することに決め、W・X・Y・Zの4人に命じて角材の握りの部分にタオルを巻き付けさせ、そのタオルを水で濡らすことでAを殴打する際に手が滑らないようにした[判決文 1]。さらにN・Kら計6人は、ドラム缶・チェーンソーなど犯行に使用する各道具をスペクトロンに積載し、2000年4月3日午後8時30分頃にクラウン(Zが運転しN・K両名が乗車)・スペクトロン(Wが運転しX・Y両名が乗車)に分乗して名古屋市方面に向かった[判決文 1]

事件発生

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Zの運転するクラウンに乗車したN・K両名はAの経営する喫茶店付近に到着し、Aらが喫茶店から出てくるところを見張った[判決文 1]。一方でWが運転するスペクトロンに乗車したX・Y両名は千種区内のA宅車庫付近の路上で帰宅を待ち伏せた[判決文 1]

N・K・Zの3人は被害者Aが閉店後、妻B(事件当時65歳)・喫茶店従業員の義妹C(事件当時59歳、Aの妻Bの妹)とともにサウナに向かうところを確認し[新聞 5]、2000年4月4日午前0時10分頃、マジェスタに乗車して喫茶店付近の路上を出発したところを確認した上で、Zが運転していたクラウンでAのマジェスタを追尾した[判決文 1]。この時、Nは電話でスペクトロンに乗車していたW・X・Yの3人に「Aがマジェスタで自宅に向かい始めた」伝えたが、「3人目の女性は喫茶店の従業員だろう。途中で下車するかもしれない」と軽く考え、スペクトロンにいたWらには「3人目の女性」(=被害者C)の存在を伝えなかった[判決文 2]。W・X・Yの3人はNから電話連絡を受けて「A・B夫妻が2人で帰宅してくる」と考え[判決文 2]、4人で相談した上で、スペクトロンを運転していたWがA宅車庫の出入り口を塞ぐようにスペクトロンを駐車し[判決文 1]、車内助手席で待機することを決めた[判決文 2]。一方、Yが被害者Aを襲撃するために角材を携帯して車外に出て、マジェスタの駐車場向かいに駐車してあった車両の陰に隠れて待ち伏せ、XがAの同行者(=被害者B)を襲撃するためにタイヤレンチを携帯して駐車場向かいの民家の隙間に隠れ、それぞれ帰宅を待ち伏せた[判決文 2]

2000年4月4日午前0時30分頃、Aはマジェスタを運転して自宅前に到着したが、車庫を塞ぐように駐車してあったスペクトロンの存在に気付いた[判決文 1]。Aはマジェスタを降車し、スペクトロンの車内にいたWに「車を移動してくれ」と注意し、続いて降車したB・C両被害者とともにマジェスタのトランクを開けて荷物を取り出そうとした[判決文 1]。その直後、角材を持ったYがAの背後に走り寄り、Aの頭部などを角材(平成12年押収第408号の1)で数回殴打して全治約2週間の頭部挫傷・挫滅創・右前腕打撲などの怪我を負わせた[判決文 1]。Aは助けを求めようと近くの知人宅に逃げ込んだため[新聞 1]、Yはその後を追ったが途中で見失った[判決文 1]

クラウンに乗車してAのマジェスタを追尾していたN・K・Zの3人は、A・B・Cの3人がマジェスタから降車した直後、YがAを襲撃したことを確認したため、KはN・Z両名に対し、「何をしてる。あいつら(W・X・Y)だけじゃやりきれないから早く行け」などと怒鳴り、A・B・Cの3人を全員監禁するように指示した[判決文 1]。これを受けてNはZとともにクラウンから降車したところ、WがCの右腕を引っ張ってスペクトロンの左後部ドア付近まで連行したのを見て、WとともにCをスペクトロン後部座席に押し込んだ[判決文 1]。その後、NはYとともにAを追跡したが見失った[判決文 1]。一方でXはタイヤレンチを携帯し、駐車場に逃げ込んだBを追いかけてその身体を後ろから両手で抱え込んだが、Bから腕をかまれて抵抗されたため、その顔面を手拳で殴打し、その場に座り込んだところを背後から両脇を両手で抱きかかえた[判決文 1]。この様子を見たZはBの両足を持ち、Bの体を持ち上げてスペクトロンまで連行して後部座席に押し込み、Xがスペクトロン車内のBの左側に乗車してドアを閉め、B・C両被害者をスペクトロン車内に監禁した[判決文 1]

Kはその直後、クラウンから降車してZに「早くマジェスタをどかせて発進させろ」などと指示し、これを受けたZはマジェスタをその積載物(ウォークマンなど計4点、時価合計約63,000円相当)とともに強取した[判決文 1]。Wはそのままスペクトロンを発進させ、車内に監禁したB・C両被害者を連行した状態でZの運転するマジェスタに追随した[判決文 1]。一方でKはクラウンを運転して犯行現場を離れ、N・Y両名は徒歩で犯行現場から離れた[判決文 1]。N・Y両名はその後、犯行現場付近にあるナゴヤドーム(名古屋市東区)付近でK・W・X・Zの4人と合流したが、その時にZが「奪ったマジェスタの残り燃料が少ない」と申し出たため、NはZに「ガソリンスタンドで給油した後、集合場所に指定した愛知県瀬戸市内の自動車学校に来て合流しろ」と指示した[判決文 1]。その際、YはZの運転するマジェスタの助手席に乗り込み、NはKの運転するクラウンの助手席に乗り込んで、それぞれナゴヤドーム付近を離れた[判決文 1]。一方、Wはスペクトロンを運転してクラウンの後に続き、同乗していたXはスペクトロンの後部左側ドア付近に座った状態で自分の横にB・C両被害者を座らせて監視していたが、XはNから携帯電話で指示を受け、Cの両手首を前に揃えてタオルで緊縛し、Bもビニール袋を紐状にしたもので緊縛することで、それぞれ抵抗・逃走を抑圧した[判決文 1]

Nから指示を受けたZはガソリンスタンドでマジェスタに給油後、N・K・W・Xの4人と落ち合うため瀬戸市内の自動車学校に向かおうとしたが[判決文 1]、Zが自分の携帯電話をKが運転するクラウン車内に置き忘れたことに気付き、Yと互いに「他のメンバーとどう居場所を連絡し合おうか?」と相談しながら走行していた[判決文 2]。その途中の2000年4月4日午前1時17分頃、Aからの110番通報を受けて緊急配備についていた愛知県警察の警察官らが「被害車両のナンバープレート情報と一致するマジェスタ」を発見した[判決文 1]。乗車していたY・Z被疑者は現場から北東約6km離れた千種区香流橋2丁目の県道交差点で信号待ちのため停車していたところ[新聞 1]、警察官から職務質問を受けて愛知県千種警察署に任意同行された[判決文 1]。Y・Z両被疑者は千種署にて「被害者Aを襲撃してマジェスタなどを強取した強盗致傷容疑」「B・C両被害者を拉致して監禁した逮捕・監禁容疑」で取り調べを受け、前者については認めたが後者については否認したまま、同日午前3時頃に強盗致傷の被疑事実で緊急逮捕された[判決文 1]。取り調べの当初、Y・Z両被疑者は「自分たち2人でやったことだ」と話して共犯者のN・K・W・Xの4人の存在を秘匿し、B・C両被害者の安否についても話さなかった[判決文 2]

一方でN・K・W・Xの4人は集合場所の自動車学校に到着してY・Z両名を待ち、その間にXがB・C両被害者の両足をガムテープで緊縛したが、前述のように警察に取り押さえられたY・Z両名は自動車学校にやってこなかったため、N・K両名はクラウンを走行させて付近を捜したが、2人を見つけることはできなかった。そのためN・K両名は自分たち残った4人で犯行計画を続行することに決め、Kが運転してNが同乗するクラウンが先頭を走り、B・C両被害者を監禁した状態でWが運転しXが同乗したスペクトロンがクラウンに続く形で自動車学校を後にし、殺害場所を探した[判決文 1]。NはB・C両被害者を殺害する場所として、かつて自分が勤務していた瀬戸市内の山中にある種鶏組合の育成場を考えていたが、その場所へ向かう道を間違えたため、Kとともに改めて適当な場所を探しながらクラウンで瀬戸市内の山道を走行しつつ、車内で殺害方法について相談した[判決文 1]。その際、Kが「殺してから遺体を切断すると血液が飛び出る」などと言ったのに対し、Nは「ガソリンをかけてドラム缶内で生きたまま焼き殺せば、服が血液で汚れることはなくて済む」と答えたため、N・K両名は「B・C両被害者を生きたままドラム缶内で焼き殺す」殺害方法を取ることを決めた[判決文 1]

N・K両名は2000年4月4日午前2時30分頃、愛知県瀬戸市北白坂町内にある「東京大学大学院農学部生命科学研究科附属演習林 愛知演習林」内まで移動したところ、林内にある山道の途中に自動車を駐車できる空き地を見つけ、その場所を殺害場所とすることを決めた上でそこにクラウンを駐車し、続いてWもスペクトロンを同所に駐車した[判決文 1]。Nは空き地に到着すると、Xに命じてB・C両被害者の手首を後ろ手にしてガムテープで緊縛し直させ、両手足を緊縛されて反抗を抑圧させた被害者Cからその膝の上に置いてあったハンドバッグ内の現金約24,000円・商品券2枚を強取すると、さらにXに命じてB・C両被害者の口にそれぞれガムテープを貼らせて口を塞いだ[判決文 1]。現場は愛知県西加茂郡藤岡町西市野々(現・豊田市藤岡町西市野々)[新聞 2]瀬戸市北白坂町の市町境に近く、藤岡町北部のキャンプ場「郡民の森」から南西約1.6キロメートルに位置する山中だった[新聞 3][新聞 4]

N・K・W・Xの4人はスペクトロンから積載してあったドラム缶2缶(名古屋地検平成12年領第1549号の18,19)を下ろし、空き地に並べておいて蓋を開けると、NがXに「風呂にでも入ってもらえ」などと言い、スペクトロン車内で助けを求めるように唸り声を上げていた被害者BをW・X両名にドラム缶の中へ運び入れさせて立たせた[判決文 1]。さらにNはスペクトロン車内にいた被害者Cの体を抱きかかえ、Wとともにもう一方のドラム缶内に入れて立たせた[判決文 1]。Nはその後、ドラム缶内で立っていたB・C両被害者を座らせるよう指示し、これを受けたW・X両名はB・C両被害者の頭・肩を手で押し込んでドラム缶内に座らせた[判決文 1]。するとKがスペクトロン車内に積載されていた約4リットルのガソリン混合油の入ったエンジンオイル缶を持ち出してNに渡し、Nがその缶の蓋を開けて被害者Cの頭から約1リットルのガソリン混合油をかけ、続いて被害者Bにも頭から約1リットルのガソリン混合油をかけた[判決文 1]。その際、B・C両被害者は悲鳴を上げたが、Nはそれに構わず、Bに「かわいそうだが恨むならお前の旦那(被害者A)を恨め。かわいそうなのは関係ないのに巻き込まれたこっちの人(被害者C)だがな」などと言いつつ被害者Bの入ったドラム缶の蓋を閉め、さらにWが被害者Cの入ったドラム缶の蓋を閉めた[判決文 1]。Nはさらにドラム缶の蓋が開かないよう、W・X両名に角材・重石に使う石を持ってくるよう命じ、Wが付近にあった石をBの入ったドラム缶の蓋の上に載せ、Xがスペクトロン車内から角材を持ち出してNに手渡し、Nがその角材をCの入ったドラム缶の蓋にかませることで、それぞれ蓋が開かないようにした[判決文 1]

Nはその後、Xに命じてドラム缶に点火するための新聞紙をスペクトロン車内から持ってこさせ、Xから丸めて筒状にさせた新聞紙を受け取った[判決文 1]。さらにNはKに簡易ライターを出させてWに手渡させたが、WがNの持つ新聞紙にライターで点火しようとしたところ、Nは「俺が火を点けろってことか?」と自ら点火することを拒否するような発言をしたため、KはWに「お前が点火しろ」と命令した[判決文 1]。そのためWは同日午前2時40分頃、Kから手渡されたライターでNから受け取った新聞紙に点火し、Bが入ったドラム缶に近づいて缶下部の通気口に火の点いた新聞紙を近づけた[判決文 1]。すると「ボッ」という音とともに火がガソリン混合油に引火してBの入ったドラム缶が燃え上がり、直後にCの入ったドラム缶内のガソリン混合油にも引火し、それぞれのドラム缶内にいたB・C両被害者は断末魔のうめき声を発しながら焼死した[判決文 1]。N・K・W・Xの4人は炎上したドラム缶から離れ、両手で耳を塞ぎながらドラム缶2缶が炎上するのを確認し、やがてうめき声が聞こえなくなったことから被害者B・Cがともに焼死したことを確認した[判決文 1]。Kはこの時「人を殺すというのはこんなもんだ」、Nは「興奮してアドレナリンがいっぱい出てきた。精子が出てきたらどうしよう」などと冗談交じりに言った[判決文 1]

N・K両名はB・C両被害者を殺害後、依然としてY・Z両名から連絡がなかったことから2人を探しに行くことを決め、KがW・X両名に「ドラム缶の火を消さずに遺体を燃やし続けろ。Cのハンドバッグなど証拠になりそうなものも遺体と一緒に燃やせ」などと指示した上でクラウンに乗車し、殺害現場を離れたY・Zを再び探しに向かったが、結局発見できなかったために同日午前5時頃に殺害現場に戻った[判決文 1]。その間、W・X両名はKから指示された通り木切れなどを集めてドラム缶に投入し、B・C両被害者の遺体を焼却し続け、証拠になりそうな物品類を燃やして証拠隠滅工作を図った[判決文 1]

N・K・Xの3人はその後、傘・木の棒などでドラム缶内のB・C両被害者の遺体の塊を突いて燃えやすいようにした上、N・W両名は金槌を、Xはタイヤレンチをそれぞれ使用してそれぞれドラム缶内の大きな骨片を粉砕した[判決文 1]。その頃、Kは便意を催したために付近で排便し、便が証拠になるのを防ぐためにビニール袋に入れてN・Wらのいる場所に持ち帰ったが、Wは被害者Cの遺体が入ったドラム缶にそのビニール袋を投げ入れた[判決文 1]。その後、Wがドラム缶内にあった被害者Bの遺体をチェーンソーで切断することを提案し、ドラム缶内に水を注いで消火した後、自らチェーンソーをドラム缶内に入れてBの遺体を切断した[判決文 1]。N・W・Xの3人は被害者Bの遺体が入ったドラム缶を空地の下の沢に落とし、WはN・K両名の指示を受けてドラム缶内から外に飛び出したBの遺体の塊をチェーンソーで切断し、N・K両名がドラム缶内から外に飛び出した骨片などを付近に投げ捨てるなどして被害者Bの遺体を遺棄した[判決文 1]。同日午前6時ごろ、N・K・Wの3人は水を注いで消火した被害者Cの遺体が入ったドラム缶を空き地の下の沢に落とし、被害者Bの場合と同様にWがチェーンソーで遺体を切断し、N・K両名が骨片などを付近に投げ捨てるなどして被害者Cの遺体を遺棄した[判決文 1]。このようにして両被害者の遺体を損壊・遺棄したあと、Kは遺体の骨片を粉砕する用途で利用した金槌を投棄したり、Wに命じて遺体を切断するのに利用したチェーンソーを投棄させるなどして証拠隠滅を図った[判決文 1]。N・K両名はすり鉢をスペクトロンに積んで現場まで持ち込んだが、チェーンソーで遺体が灰のように粉々になったため、結局はすり鉢を使用せず灰を周囲に捨てた[新聞 27]

同日午前7時ごろ、N・K両名はXが運転するクラウンに乗車して殺害現場を後にし中古車販売店事務所に戻った[判決文 1]。この時N・K両名は車内でXに対し、「犯行時に俺たちは中古車販売店にいたことにお前ら(W・X・Y・Z)で口裏合わせをしろ」と命じ、嘘のアリバイ工作に協力させた[判決文 1]。さらにN・K両名は事務所に戻った後、自分たちが犯行時に着用していた衣類などをXに渡して処分するよう命じ、Xを名古屋市北区内に新設した取り込み詐欺会社の事務所に向かわせた[判決文 1]。一方、Wはスペクトロンを運転して同じく殺害現場を立ち去り、前述の北区内の事務所に向かった[判決文 1]

捜査

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事件発生直後、千種警察署は被害者Aから110番通報を受けて緊急配備し、午前1時20分頃になって現場から北東約6km離れた千種区香流橋2丁目の県道交差点で信号待ちをしていたAの車を発見、乗車していたY・Z両被疑者を職務質問の上で任意同行した[新聞 1]。千種署で取り調べたところ、Y・Z両被疑者は「B・C両名を拉致・監禁した逮捕・監禁容疑」は否認したものの、「Aを襲撃してマジェスタなどを強取した強盗致傷容疑」を認めたため、同日午前3時頃になって2人を強盗致傷の被疑事実で緊急逮捕した[新聞 28][新聞 29][判決文 1]。Y・Z両被疑者は取り調べに対し「金銭関係のもつれからAを襲い車を奪った」と供述し[新聞 1]、被害者Aを角材で襲撃したことを認めたが[新聞 28]、連れ去りについては「2人の女性のことは知らない」と供述した[新聞 1][新聞 28]。また、Aの車にB・C両被害者が乗っていなかったことから、千種署は「2人が監禁されている可能性がある」とみてY・Z両被疑者を追及した[新聞 1]。なおこの時点の報道では、「さらに共犯者とみられる3人目の男が警察に身柄を確保され、その男は調べに対し『女性2人は無事だ』と供述していた」とする報道があった[新聞 28][新聞 29]

千種警察署捜査員は同日午前10時20分頃、名古屋市北区内の取り込み詐欺会社事務所で被疑者Xを発見して同署に任意同行させた[判決文 1]。XはN・K両名が犯行当時着用していた衣服を処分するなどするため[判決文 1]、事務所にいたところを職務質問され[判決文 2]、同日午後1時頃に同署にて強盗致傷容疑で緊急逮捕された[判決文 1]。取り調べに対し、X・Y・Zの3被疑者は動機について「Aが金を返さないので、痛めつけてでも金を取り戻そうと思った」と供述し[新聞 7]、新たに逮捕されたXは「被害者Aを襲撃した直後、女性2人を黒いライトバンに乗せて名古屋市東区まで逃げた。自分だけそこで車を降りて徒歩で帰宅したので、その後のことは知らない」と供述した[新聞 30]。愛知県警察本部刑事部捜査第一課・千種警察署は同日夜、捜査本部を設置した上で本格的な捜査を開始するとともに、金銭トラブルによる犯行とみてX・Y・Zの3人が勤務していた春日井市内の自動車部品販売会社(取り込み詐欺会社)「シムス」社長だった被疑者Wを強盗致傷容疑で指名手配[新聞 30]、B・Cの2被害者を連れ去ったとみてWの行方を追った[新聞 7]

一方、N・K両名は同日午後0時過ぎごろ、Wからの電話で「Xが警察官から職務質問を受けた」と連絡を受けたことから直ちに逃走を決意し、岐阜県中津川市JR東海中央本線中津川駅まで逃走した[判決文 1]。Wはその後、N・K両名から電話で「クラウンで中津川駅まで来い。俺たちの着ていた服を処分しろ」と指示され、中津川駅にクラウンで向かう途中でN・Kが犯行当時着ていた衣服を高速道路のサービスエリア・パーキングエリア内のごみ箱に投棄した[判決文 1]。N・K両名は中津川駅でWと合流後、東海道新幹線などを利用して東京都へ逃走したが、その途中でWが指名手配されたことを知った[判決文 1]

2000年4月5日、捜査本部は女性2人の実名・当時の服装などの特徴を公開し、一般からの情報提供を呼び掛ける公開捜査を開始し[新聞 31][新聞 32]、指名手配された被疑者Wの行方を80人態勢で追った[新聞 32]。一方で逃走中のN・K両名は5日になって指名手配されたWの処遇について相談した結果、「Wを警察署に出頭させ、『Aら被害者3人を襲撃した犯行はW・X・Y・Zの4人だけで計画・実行したものであり、B・C両被害者はナゴヤドーム付近で解放した』とする虚偽の供述をさせる」ことで合意した[判決文 1]。Nはこの時、自分が取り込み詐欺会社で使用していた偽名(「上杉宏次郎」)をWに名乗らせることで「俺が『上杉宏次郎』の偽名を使って取り込み詐欺に関与していたことが隠蔽できる」と考え、Wに命じて東濃信用金庫坂下支店の「上杉宏次郎」名義の銀行口座に残っていた預金18万円を引き出させ、この時にWの顔を防犯カメラに撮影させた[判決文 1]。さらにN・K両名はWに対し「お前が警察署に出頭して『この犯行は自分たち4人(W・X・Y・Z)でやりました』と言って来い」と命令するとともに、「社長のお前が『上杉宏次郎』(Nの偽名)と本名を使い分けて取り込み詐欺をやっていたことにしておけ。お前らの家族の面倒は見てやるから、俺たちのことは絶対に話すな」などと口止めした[判決文 1]。同日昼、犯行グループが犯行で使ったとみられる乗用車が岐阜県中津川市内のJR中央本線中津川駅付近で発見された[新聞 33]

WはN・K両名からの口止めを受け、逃走・潜伏先の東京都千代田区[新聞 34]JR東京駅付近)のホテルから[新聞 35]、自ら千種警察署に電話して自己の所在を知らせ、警視庁中央警察署への任意同行に応じ、同日午後6時6分頃に同署で通常逮捕された[判決文 1][新聞 35][新聞 34]。Wは逮捕後、千種警察署に身柄を移送され[新聞 34]、先に逮捕された3被疑者とともに取り調べに対し「Aが借金を返さないので、肩代わりに車を奪おうと思った。女性を連れ去るつもりはなかった」と供述した[新聞 35][新聞 34]。またWは被害者2人の行方について以下のように話したが、2人の連絡は依然として取れず[新聞 36]、ナゴヤドーム付近において女性2人の目撃情報も得られなかった[新聞 25]

被疑者Wは取り調べの当初、N・K両名の存在を隠していたが、警察官から追及されたことで嘘をつき通すことができなくなり、共犯者として関与したN・K両名の存在を自供するとともに[判決文 1]、2000年4月7日までにB・C両被害者をドラム缶で焼き殺した強盗殺人などの事実を自供した[判決文 1][新聞 8]。捜査本部は後述のように遺体とみられるものを確認する以前にも、W・X両被疑者の供述に基づいて瀬戸市内の殺害・遺体遺棄現場とみられる場所を確認したが、その時点では遺体・殺害を裏付ける物証は発見できなかった[新聞 8]

2000年4月6日、捜査本部はN・K両被疑者が女性2人の行方を知っているものとみて、強盗致傷容疑で両被疑者を指名手配した[新聞 33][新聞 25]。捜査本部は「事件発生以来2人の消息が途絶え、目撃情報も一切ないこと」から最悪の事態も想定して緊迫した捜査を続け[新聞 25]、「現場の状況などから他にも共犯者がいる可能性が高い」として4被疑者を追及したところ、N・K両被疑者の存在が浮上した[新聞 33][新聞 25]。捜査本部は捜査員80人態勢で被害者2人やN・K両被疑者の行方を捜索するとともに、犯行グループの車が発見された中津川市周辺の岐阜県東濃地域も含めて広範囲で捜査を行った[新聞 25]

さらに2000年4月7日、W・X両被疑者の供述した現場付近から遺体の一部とみられるものが発見された[新聞 8][新聞 3][新聞 37]

  • 女性2人を拉致した後、すぐに藤岡町の山中に向かい、2人をガムテープで縛りつけ、ビニール袋を頭からかぶせて抵抗できないようにした[新聞 3]
  • 女性2人をそれぞれあらかじめ車に用意していた空きドラム缶2缶に入れ、N・K両被疑者の命令で、生きたままガソリンをかけて火を点けて数時間かけて焼き殺した[新聞 3]
  • その後遺体をチェーンソーで切断し、すぐ横の崖から数十メートル下の沢に蹴り落として遺棄した[新聞 3]
  • (動機について)殺害現場に居合わせていたN・K両被疑者からは「2人を殺さなければお前らを殺す」などと命令されたため、4人で女性2人を殺害した[新聞 3]
  • Wは「ドラム缶は上部の蓋を切り、側面の下部に空気穴を開けるなどの工作をした」と供述したことから、特捜本部は「計画性の高い犯行」として追及した[新聞 3][新聞 38]

2000年4月8日午前、捜査本部は藤岡町・瀬戸市境の山中で本格的な捜索を開始し、焼けて炭化した(後にB・C両被害者の遺体と判明する)遺体の一部(被害者女性2人の顎・脚とみられた骨)と、遺体を焼いた痕跡のあるドラム缶2缶を発見したため[新聞 3]、強盗殺人・死体損壊などの事実が発覚した[判決文 1]。現場山中捜索では骨以外にも、2人の所有物とみられるネックレスが発見されたほか、女性用とみられる腕時計2個が林道脇の空き地と道路を挟んだ向かい側の山側に転がっていた[新聞 4]。また、空き地から数十メートル下の崖にドラム缶2缶とチェーンソーが転がっているのを発見した[新聞 4][新聞 17]

愛知県警はこれを受け「女性2人が殺害された容疑が強まった」として、捜査本部を特別捜査本部に切り替えて捜査体制を強化し、引き続き遺体の発見に全力を挙げつつ、遺体の身元の確認を急いだ[新聞 3]。その一方で動機として挙げられた「被害者Aとの間で債権回収を巡るトラブルになった」という供述について、「それが女性2人の殺害につながるほど強い動機とはいえない」という疑念が払拭できなかったため、特捜本部は背後関係を解明するため被疑者4人を厳しく取り調べた[新聞 3]

同日にはそれまでに逮捕された共犯者らの供述から、指名手配中の2被疑者(N・K)のうち1人(後にNと判明)がBをドラム缶に入れて焼き殺す直前、Bに対し「お前のお父ちゃん(A)が悪いんや」と言っていたことも新たに判明した[新聞 4]。一方、被疑者Wも督促状を会社事務所に貼り付けられるなど、多額の借金をしていたことが判明した[新聞 2]

また、被疑者Wが取り調べに対し「遺体をチェーンソーで切断した」と供述したことから、特捜本部はチェーンソーの鑑定を行いつつ、翌9日も朝から捜索・現場検証を行うこととした[新聞 4]。特捜本部は「この言葉が主犯格とAの間の手形回収絡みのトラブルが動機であることを裏付ける事実」と推測してさらに詳しく調べた[新聞 4]。一方、事件後に主犯格2人が埼玉県内の銀行で現金百数十万円を引き出したことを把握したため、埼玉県に捜査員を派遣して行方を追った[新聞 4]

2000年4月10日、それまでに逮捕されていた共犯の被疑者4人のうちの1人が特捜本部の取り調べに対し「ドラム缶はA・B夫婦を殺すためにあらかじめ2つ用意していた。A夫婦が乗った車を襲ったが、Aが逃げて車内にB・Cが残ったため、この2人を焼き殺した」などと供述したことが判明した[新聞 39][新聞 40]。このことから特捜本部は「本来の殺害目的はA・B夫婦だったが、偶然居合わせたCが巻き添えに拉致されてBとともに殺害された」と断定し、4人を追及した[新聞 39]。また、特捜本部は同日までの捜索・現場検証で、2女性の遺体とみられる多数の骨肉片・歯2本、イヤリング・化粧用具・鍵などを新たに発見した[新聞 39]。このうち多数の骨肉片などは、林道脇の空き地から数十メートル下の崖までの斜面や、ドラム缶・チェーンソーの落ちていた付近一帯に散乱していたことから、特捜本部はWらの「空き地で2人をドラム缶に押し込み、ガソリンを入れて生きたまま焼き殺し、空き地から崖に向けて切断した遺体・ドラム缶を捨てた」という供述を裏付ける物的証拠とみて、さらに分析を進めた[新聞 39]

逃亡を続けていたN・K両名はWを身代わり出頭させた後、Nの実父の知人を頼って東京都から埼玉県栃木県群馬県関東地方一帯を逃げ回り続けたが、その途中で自分たちも指名手配された事実を知るなどしたため「これ以上はもう逃げきれない」と考え、「警察署に出頭した上で『自分たちは強盗殺人などの犯行に関係ない』と言い張ろう」と嘘の供述をして口裏合わせをすることを決めた[判決文 1]。そしてN・K両名は2000年4月10日、2人合わせて約10万円の所持金を持ってそれぞれ愛知県警千種署に出頭した[新聞 5]

2000年4月10日午後6時頃[新聞 41][新聞 42]、それまで指名手配されていたN・K両被疑者が千種署に出頭してきたことから、特捜本部は同日付で両被疑者を手配容疑の強盗致傷容疑で逮捕した[新聞 5][新聞 43][新聞 41][新聞 42][新聞 44]

  • 取り調べに対し、被疑者Nは強盗致傷容疑を認めた一方、被疑者Kは「千種区内の現場にはいたが、他の5人と共謀はしておらず、自分は何もしていない」と供述して容疑を否認した[新聞 5][新聞 41][新聞 41]
    • 特捜本部は「N・K両被疑者が焼殺事件を主導した」と推測して犯行動機・経緯などの解明を急いだ[新聞 41][新聞 42]
  • 殺害・遺体遺棄実行犯のW・X両被疑者は、取り調べに対し「ライターで火を点けるときに手が震えた。被害者がギャーと叫んだ」「毎晩、被害者を殺害した際の情景が夢に出てきて眠れない」などと供述した[新聞 5]
  • またそれまでの捜査において、殺害に使用されたとされるドラム缶などの発見場所は「愛知県西加茂郡藤岡町西市野々」と発表されていたが、同日には「愛知県瀬戸市北白坂町」に訂正された[新聞 44]

2000年4月14日までの取り調べで、N・K両被疑者はWら4人に指示して犯行前日にすり鉢を購入させていたことが判明した[新聞 45]。すり鉢は結局使用されることはなかったが、特捜本部は「計画段階では焼殺した遺体をチェーンソーで切断後、すり鉢ですり潰して完全な証拠隠滅を狙っていた」とみてNら6被疑者を追及した[新聞 45]

  • なお、被疑者Nはこの日までの取り調べに対し「一連の襲撃・殺害計画を立案し、Kとともに2人で、W・Xの2人に殺害実行役を指示した」と述べ、B・C両被疑者の殺害を認める供述をした[新聞 27]
    • この供述は先に逮捕された被疑者4人のうち1人が供述した「N・K両被疑者が瀬戸市内の現場まで誘導し、拉致したB・Cを殺害するよう命令した。2人は手を下さなかった」という内容とほぼ合致することから、特捜本部はこの2人を主犯格とみて、裏付けのために引き続き追及した[新聞 27]
  • 一方、被疑者Kは「被害者Aの襲撃、B・C両被害者の殺害のいずれにも関与していない」として、全面的に容疑を否認した[新聞 27]

また特捜本部による同日までの殺害現場周辺の捜索により、新たに金槌が発見された[新聞 27]。金槌は焼殺遺体をチェーンソーで切断後、骨などを細かく粉砕するのに用いられており、特捜本部は「砕いた骨をすり潰すために用意されたすり鉢などとともに、完全な証拠隠滅目的で用意された道具」とみて6被疑者を追及した[新聞 27]。W・X・Y・Zの4被疑者らはN・K両被疑者に服従していた理由について、取り調べに対し「Nはバックに暴力団関係者がいたため、逆らったら何をされるか怖かった」と供述した[新聞 5]

名古屋地方検察庁は2000年4月24日、「被害者Aを襲撃して車を奪った」としてW・X・Y・Zの被疑者4人を強盗致傷容疑で名古屋地方裁判所起訴した[新聞 46][新聞 47]

千種署特捜本部は2000年4月26日、それまでの鑑識DNA鑑定の結果、「瀬戸市の現場にあった女性用の腕時計・イヤリング・車の鍵などの遺留品はB・C両被害者の遺留品であり、炭化した遺体のDNA型も両被害者と一致する」と断定した[新聞 48][新聞 49]。これを受けて特捜本部は同日、N・Kを含めた既に強盗致傷容疑で逮捕されていた被疑者6人全員を近く殺人容疑で再逮捕する方針を固めた[新聞 48][新聞 23][新聞 50]。このうち、Y・Z両被疑者は殺害現場にはいなかったが、犯行前日の3日に、N・K・W・Xの4被疑者とともに殺害の事前謀議に加わっていたことから、特捜本部は「被疑者6人全員を殺人の共謀共同正犯として立件することが可能である」と判断した[新聞 23]。また、被疑者Kを除く5人は瀬戸市の現場での殺害についてもほぼ認め[新聞 23]、唯一「自分は現場にいたが何もしていない」と容疑を否認していた被疑者Kもその後、容疑を認める姿勢に転じた[新聞 48]。特捜本部は「被害者Bの財布などがなくなっていることから、逮捕容疑については強盗殺人容疑での逮捕も視野に入れつつ、近く名古屋地検と協議する」という方針を決めた[新聞 48]

名古屋地検は2000年5月1日、「被害者Aを襲撃して車を奪った」として主犯格のN・K両被疑者を強盗致傷容疑で名古屋地裁に起訴した[新聞 51][新聞 52]

千種署特捜本部は2000年5月2日、「被害者B・Cを車で拉致し、現金約2万円入りのかばんを奪った後、2人をドラム缶に入れてガソリンをかけて焼き殺し遺体を切断した」として、被疑者6人全員を強盗殺人死体損壊などの容疑で再逮捕した[新聞 53][新聞 54][新聞 55]。被疑者らは6人とも容疑を認めた上で、犯行動機について「被害者Aから手形の支払いを何度も断られ、対応の悪さに面子を潰されて頭に来ていた。借金の肩に自動車を奪って殺そうと思った」などと供述した[新聞 54]

2000年5月8日までの取り調べの結果、W・X・Y・Zの被疑者4人は「主犯格のN・K両被疑者から指示を受け、事件2か月前の2000年2月20日夜にも被害者Aを襲撃しようとA宅付近で待ち伏せていたが、待ち伏せ中に車内で寝込んでしまったため失敗に終わっていた」ことが新たに判明した[新聞 56]。Wら被疑者4人は、この時点では待ち伏せること以外に具体的な指示は受けていなかったが、後に焼殺に使ったガソリン・金槌を用意していたことから「既に殺人を実行しようとしていた」可能性が推測された[新聞 56]

名古屋地検は2000年5月22日、強盗致傷容疑で起訴済みのN・K両被疑者ら計6人を再逮捕容疑の強盗殺人・死体損壊などの罪で名古屋地裁に追起訴した[新聞 57][新聞 58]。6人は本件とは別に、パソコンを仕入れて転売し、代金をだまし取った詐欺容疑(被害総額数千万円)も浮上していたため、愛知県警が継続捜査することとなった[新聞 58]

刑事裁判

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第一審・名古屋地裁

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2000年7月18日、6被告人の初公判
N・Kら被告人6人の刑事裁判公判は2000年7月18日、名古屋地裁で開かれた[新聞 12][新聞 59][新聞 60][新聞 61][新聞 62][新聞 26][新聞 63]
この事件は主犯格のN・K両被告人が名古屋地裁刑事第3部(片山俊雄裁判長)で、共犯者4人が名古屋地裁刑事第5部(三宅俊一郎裁判長)で、それぞれ分離公判として審理されることとなった[新聞 62][新聞 26][新聞 63]
それぞれの公判において冒頭陳述で検察側は、「N・K両被告人が共犯被告人4人に対し、自分たちが経営する会社が受取人となる生命保険に加入させた上、命令に従わない場合は殺害することをほのめかし、計画に引き込んでいた」と事実を明らかにするとともに「犯行動機は被害者Aに手形の支払いを断られたことである」と主張して、極めて残忍な手口を詳述し「本件は計画的犯行である」と断罪した[新聞 12][新聞 62]
これに加え、「本来の殺害対象はA・B夫妻だったが、『犯行を目撃されたために口止め目的で』被害者Cをも巻き込み、『生きたまま焼き殺せば血液が飛散しない』という理由で焼殺という手段に至った」と主張した[新聞 26]
また、犯行グループが設立した取り込み詐欺会社は2000年2月、パソコンの取り込み詐欺で約2,200万円の利益を上げていたことも明らかにされた[新聞 26]
N・K両被告人の審理(名古屋地裁刑事第3部、片山俊雄裁判長)
罪状認否でN・K両被告人は「間違いありません」と起訴事実を全面的に認めた[新聞 12][新聞 62][新聞 26][新聞 63]
W・X・Y・Zの4被告人の審理(名古屋地裁刑事第5部、三宅俊一郎裁判長)
罪状認否でW・X・Y・Zの4被告人はそれぞれ起訴事実を認めた上で[新聞 12][新聞 62][新聞 26][新聞 63]、「犯行は主犯格2人に命じられた」と述べた[新聞 62]
殺害・死体損壊実行犯の被告人Wは罪状認否にて「犯行はN・K両被告人の指示によるものだ」と述べた[新聞 26]
W・X両被告人の弁護人は「主犯格のN・K両被告人から高額の生命保険をかけられ、2人の命令を拒否できない立場にあった」と主張し、それぞれ刑事責任の軽減を求めた[新聞 26]
また殺害現場にいなかったY・Z両被告人は「殺害の謀議があったことは認めるが、実際にどういうことがあったのかはわからない」と述べた[新聞 12]
2000年9月7日、N・K両被告人の第2回公判、名古屋地裁(片山俊雄裁判長)
N・K両被告人の第2回公判は2000年9月7日、名古屋地裁(片山俊雄裁判長)で開かれた[新聞 64]
同日、検察側の物的証拠として焼殺に使われたドラム缶2つ・遺体切断に使われたチェーンソーなどが法廷に提出され、証拠採用された[新聞 64]。ドラム缶の煤は洗い流され、上部は缶切りで開けたように一部分を除いて切断されており、下部には空気穴が開けられていた[新聞 64]
また、被害者Aら被害者遺族の「人間にできることではない。犯人にも同じことをしないと気が済まない。極刑を願っている」「B・Cが炎でもがきながら死んだ姿を想像してしまう。犯人に生きる権利はない」など、怒りの声がつづられた供述調書3通も検察側から法廷に提出され、証拠採用された[新聞 64]
2001年10月18日、W・X・Y・Zの共犯者4被告人について論告求刑公判。W・X両被告人に死刑、Y・Z両被告人に懲役15年をそれぞれ求刑
2001年(平成13年)10月2日午後、W・X・Y・Zの共犯者4被告人について論告求刑公判が予定されていた[新聞 24]。この時点までに検察側は以下のように求刑する方針を固めていた[新聞 24]
殺害・死体損壊の実行犯である被告人W…死刑[新聞 24]
殺害行為には関与しなかったが殺害現場に居合わせ、死体損壊の実行犯となった被告人X…死刑[新聞 24]
被害者Aから奪った車を運転し、殺害現場に向かう途中で逮捕されたY・Z両被告人…「関与の程度はW・X両被告人に比べて低い」と判断し、長期の懲役刑[新聞 24]
しかしこの日の公判では、検察側が新たに捜査段階の警察官調書などを証拠提出した一方、弁護人側が認否を留保したため、予定されていた論告求刑は次回公判(2001年10月18日)に持ち越された[新聞 65]
その後、名古屋地裁(三宅俊一郎裁判長)で2001年10月18日、改めて共犯4被告人についての論告求刑公判が開かれ、検察側は4被告人について「N・Kに恐怖感は抱いておらず、指示があれば躊躇なく承諾した」と主張し、以下の通り求刑した[新聞 19][新聞 66][新聞 67][新聞 68]
殺害・死体損壊の実行犯だったW・X両被告人…それぞれ死刑を求刑[新聞 19][新聞 67][新聞 68]
論告で検察側は両被告人について「弁護人側主張とは異なりN・K両被告人に恐怖感は抱いておらず、指示に賛同して一連の犯行で重要な役割を果たした」と指摘した[新聞 68]
殺害現場に向かう途中で逮捕されたY・Z両被告人…それぞれ懲役15年を求刑[新聞 19][新聞 67][新聞 68]
Y・Z両被告人については「凶器を準備するなど、積極的に犯行に関与した」と指摘し[新聞 19][新聞 67][新聞 68]、強盗殺人罪の共謀共同正犯の成立を主張した[新聞 69]
論告で検察側は「被告人6人は240万円の手形債権の取り立てに絡み、何の落ち度もない女性2人を焼き殺した。殺害方法は類を見ないほど冷酷・無慈悲で残虐非道の極み」と犯行を断罪した上で、「完全犯罪を狙い、阿鼻叫喚の地獄さながら生きたまま2人を焼き殺し、死体を徹底的に粉砕し投げ捨てるという、犯罪史上稀に見る凶悪さだ。被告人らには人間の生命を尊ぶ気持ちが全くなく、鬼畜の如き所業だ」と主張した[新聞 19]
2001年11月5日、W・X・Y・Zの4被告人の公判結審、弁護人側最終弁論
2001年11月5日、W・X・Y・Zの4被告人について最終弁論公判が開かれ結審した[新聞 70][新聞 71][新聞 69]
4被告人それぞれの弁護人はそれぞれ以下のように情状酌量を求めた[新聞 70][新聞 69]
死刑を求刑されたW・X両被告人の弁護人は「主犯格のN・K両被告人から脅され、指示に従わざるを得なかった」としてともに死刑回避を求めた[新聞 70][新聞 69]
懲役15年を求刑されたY・Z両被告人の弁護人も、「強盗殺人罪の共謀共同正犯は成立しない」と主張し[新聞 69]、情状酌量を求めた[新聞 70][新聞 69]
2001年11月21日、主犯格のN・K両被告人に論告求刑公判で死刑求刑
2001年11月21日、主犯格のN・K両被告人に関して論告求刑公判が開かれ、検察側は両被告人に死刑を求刑した[新聞 13][新聞 72][新聞 73][新聞 74][新聞 75][新聞 76]
検察側は論告で「N・K両被告人は取り込み詐欺に失敗したため手形回収の仕事を請け負ったが、被害者Aが240万円の手形取り立てを拒否したために無理矢理回収しようとした。私利私欲に基づく犯行で、2人を殺害する必要はなかった」として「動機に酌量の余地はない」と訴えた[新聞 13]
その上で「阿鼻叫喚のうちに無関係な女性2人を生きたまま焼き殺した、犯罪史上類のない残酷な犯行だ。チェーンソーで遺体を切断し骨片を山中に捨てるなど、死者に対する畏敬の念は微塵もない。被害者遺族の処罰感情は峻烈だ」と犯行を糾弾した[新聞 13]
そして「事件発覚後、家族の身の安全と引き換えに共犯者らに責任を負わせて警察に出頭させたことなどから、悪質で矯正可能性はなく、極刑をもって臨むしかない」などと結論付けた[新聞 13][新聞 74]
また、両被告人・および各弁護人が互いに「相手の指示に逆らえなかった」と主張したことに対しては「上下関係はなく対等な立場でそれぞれ一連の犯行を主導した」と反論した[新聞 13][新聞 76]
2001年12月20日、N・K両被告人の公判結審、弁護人側最終弁論
2001年12月20日、弁護人の最終弁論が開かれ、N・K両被告人の公判が結審した[新聞 77][新聞 78][新聞 79][新聞 80]。両被告人の弁護人はそれぞれ「両被告人は矯正の可能性が強く、生きて償わせるべきだ」と述べ[新聞 79]、死刑回避を求めた[新聞 79][新聞 80]
被告人Kの弁護人は最終弁論で「事件の発端は被告人Nと関係が深い暴力団組織の債権取り立てが原因であり、被告人Kの刑事責任は被告人Nほど重くない」と指摘した[新聞 79]
被告人Nの弁護人は「被告人Nは2人を焼き殺した残酷な状況が今も忘れられずに苦しんでいる。Nにとっては極刑より生きて償わせることの方が過酷な刑だ」と述べた[新聞 79]
両被告人は最終意見陳述で、それぞれ「死刑でも受け入れる」と意見陳述した[新聞 77]
被告人Kは「死刑でも仕方ないが、家族のことを考えると少しでも長生きしたい」と述べた[新聞 79]。被告人Nは公判当初、「被告人Kに逆らえなかった」と主張していたが、その後は被告人質問などで「自分が死刑になる姿を見せ、少しでも被害者遺族の心が安らかになればいい」「自分が一番悪い。命で償うしかない」などと話すようになり、自ら死刑判決を希望する旨を語っていた[新聞 81]
被告人Nは「命で償うしかない。どんな判決でも控訴しない。極刑でも受け入れる」と述べた[新聞 79]。被告人Kは弁護人によれば、被害者の冥福を祈って毎日写経をする一方、キリスト教関係者とも交流を持つようになり、判決前には洗礼を受けることを決めていた[新聞 81]。また、被告人Kは公判で「死刑を受け入れる」と話しつつも、自分の2人の子供の将来を心配し、「少しでも長く生きていたい」と発言していた[新聞 14][新聞 81]
2002年2月19日、W・X・Y・Zの4被告人への判決公判、無期懲役・懲役12年とする判決
2002年(平成14年)2月19日、名古屋地裁(三宅俊一郎裁判長)でW・X・Y・Zの4被告人に対する判決公判が開かれた[判決文 2][新聞 82][新聞 20][新聞 83]
名古屋地裁は殺害・死体損壊実行役のW・X両被告人に無期懲役判決(求刑・死刑)、殺害現場に向かう途中で逮捕されたY・Z両被告人に懲役12年判決(求刑・懲役15年)をそれぞれ言い渡した[判決文 2][新聞 20][新聞 83][新聞 18][新聞 84][新聞 85][新聞 86]
名古屋地裁は判決理由で「一連の犯行は短絡的・無謀であり、態様は残虐非道で、4被告人もそれぞれ重要な役割を果たした」と厳しく犯行を指弾し[判決文 2][新聞 83][新聞 86]、特に殺害・死体損壊行為の実行犯であるW・X両被告人に対しては「死刑の選択も考えられる」と非難した[判決文 2][新聞 85]
その上で「犯行は主犯格のN・K両被告人が、躊躇うWら4人を脅して加担・実行させた」と認定し、「4被告人は目先の保身を優先させたとの非難は免れられないが、こうした事情は量刑上考慮されるべきだ」と指摘した[判決文 2][新聞 83][新聞 86]
量刑理由については以下の通り。
殺害・死体損壊の実行役として関与したW・X両被告人に対しては「ドラム缶に引火させるなど重要な実行行為を担当し、死刑選択も考えられるが、主犯2人の強い指示命令の下に行われた犯行であり、極刑がやむを得ないとは認められない」と結論付け、死刑を回避して無期懲役刑を選択することが相当とした[判決文 2][新聞 83][新聞 18]
Y・Z両被告人はいずれも無期懲役刑を選択の上で酌量減軽し、懲役12年とするのが相当とした[判決文 2][新聞 18]
2002年3月5日まで、名古屋地検・被告人側がいずれも名古屋高裁に控訴
この判決については検察側・被告人側の双方が量刑不当を訴え、被告人側はさらに「共犯関係の存在」「自首の成立」について事実誤認を主張した[新聞 87]
無期懲役判決を受けた被告人Wは2002年2月28日(被告人Kと同日)、判決を不服として名古屋高等裁判所控訴した[新聞 88][新聞 89][新聞 90]
懲役12年の判決を受けた被告人Zの弁護人は2002年3月1日、判決を不服として名古屋高裁に控訴した[新聞 91]
無期懲役判決を受けた被告人X・懲役12年の判決を受けた被告人Yはそれぞれ、2002年3月5日付で判決を不服として名古屋高裁に控訴した[新聞 92] [新聞 93][新聞 94]
一方で検察側(名古屋地検)は2002年3月4日、判決に対する量刑不当を訴えて4被告人全員について名古屋高裁に控訴した[新聞 95] [新聞 96]
2002年2月21日、主犯格のN・K両被告人に死刑判決
2002年2月21日、名古屋地裁(片山俊雄裁判長)で主犯格のN・K両被告人についての判決公判が開かれた[判決文 1][新聞 14][新聞 81]
名古屋地裁はN・K両被告人にいずれも求刑通り死刑判決を言い渡した[判決文 1][新聞 14][新聞 97][新聞 98][新聞 99][新聞 100][新聞 101][新聞 102][新聞 103][新聞 81][新聞 104][新聞 105][新聞 106]
名古屋地裁は判決理由で、事実認定について「一連の事件は被告人Nが犯行計画を立てた上で共犯者に具体的な指示を出して犯行を遂行しており、責任は犯行集団の中で最も重い」として、被告人Nを事件の主犯と認定した[判決文 1]
また、被告人Kについても「Nと並んで最も強い立場にあり、Wら共犯被告人4人を強引に犯行に引き込んだ。果たした役割はNに準ずるほど重大だ」と認定し、「Nが怖くて従った」とする被告人Kの弁護人主張を退けた[判決文 1][新聞 14][新聞 81]
その上で量刑理由について、「犯行の発覚を防ぐためという理由で被害者2人の命を奪い、動機も極めて自己中心的だ。社会に与えた影響も大きい」と厳しく犯行を非難し、「2人の存在がなかったら犯行は遂行されなかった。その責任はWら共犯者4人とは格段の違いがある」と断じ、「極刑はやむを得ない」と結論付けた[判決文 1][新聞 14][新聞 81]
2002年2月28日、被告人K側が名古屋高裁に控訴
被告人Kの弁護人・三浦和人弁護士は判決後[新聞 102]、「自分たちのメンツを保つためという動機だけではこのような犯行はしない。動機の事実認定はしっかりされておらず、不満が残る」と述べ[新聞 14][新聞 81]、「被告人本人と接見して控訴するかどうか判断する」と意向を示した[新聞 106]
その後、被告人K・弁護人は2002年2月28日(被告人Wと同日)、名古屋高裁に控訴した[新聞 88][新聞 89][新聞 90]
2002年3月7日、被告人N側が名古屋高裁に控訴
被告人Nは判決前日、弁護人・浅井正と面会した際に「死刑執行が早まるようにしてほしい」と話した上で「極刑でも絶対に控訴しないでほしい」と希望していた[新聞 14]。弁護人の浅井正・近藤之彦両弁護士は判決後[新聞 102]、「死刑を選択した量刑は不満だが事実認定は大筋で受け入れざるを得ない。控訴するかは被告人本人の意思を尊重する」と述べ[新聞 106]、その上で被告人Nに控訴するよう説得した[新聞 107] [新聞 108]。しかし本人の同意が得られなかったため[新聞 108]、「生きて罪を償わせることが刑罰の正しいあり方だ」などとして[新聞 107]、控訴期限となる2002年3月7日に弁護人の権限を行使して単独で名古屋高裁に控訴した[新聞 107] [新聞 108]。この時点で他5被告人は全員控訴していたため、この控訴により起訴された6被告人全員が控訴したこととなった[新聞 107] [新聞 108]

控訴審・名古屋高裁

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2002年9月11日、名古屋高裁でN・K両被告人の控訴審初公判
主犯格のN・K両被告人の控訴審初公判は2002年9月11日、名古屋高等裁判所で開かれた[新聞 109][新聞 110][新聞 111]
控訴趣意書朗読で、両被告人の弁護人はいずれも事実誤認・量刑不当を主張した上で、死刑判決を破棄して量刑を無期懲役に減軽するよう訴えた[新聞 109][新聞 110]
被告人Nの弁護人は「欧米など世界各国では死刑廃止運動が進んでいる。被告人Nには矯正の可能性があり、死刑は回避されるべきだ。一部被害弁償もしており、被害者遺族のAも今は極刑を望んでいない」と述べた[新聞 109][新聞 110]
被告人Kの弁護人は「被告人Kが主犯格とされているのは事実誤認で、主導権を握っていた被告人Nらの指示に従っただけだ。被告人Kは被告人Wら他の共犯者4人と同じく、単なる実行部隊の一員に過ぎない」と主張した[新聞 109][新聞 110]
一方、検察側は死刑判決をいずれも支持して両被告人側の控訴を棄却するよう訴えた[新聞 109][新聞 110]
第一審判決前から「控訴したくない」と述べていた被告人Nは[新聞 109]、この日の控訴審には出廷せず[新聞 109][新聞 110]、弁護人に対し「控訴を取り下げてほしい。今後も出廷しない」と語り、説得にも応じていなかった[新聞 110]
2002年10月29日、名古屋高裁でWら共犯者4被告人の控訴審初公判
2002年10月29日、Wら共犯者4被告人の控訴審初公判が開かれた[新聞 112][新聞 113][新聞 114]
検察側は第一審判決について量刑不当を主張し、4被告人全員について原審を破棄した上で、改めて求刑通りW・X両被告人に死刑、Y・両被告人にも懲役15年の判決を言い渡すよう求めた[新聞 113]
一方で被告人側は、いずれも「第一審判決は共謀の認定などの点について事実誤認がある」と主張した上で[新聞 114]、「主犯格のN・K両被告人から『犯行に加わらなければ殺す』などと脅されていた」などとして量刑不当を主張した[新聞 113]
同日、検察側証人として出廷した被害者Bの娘は「(主犯N・K両被告人を含めた)6人全員を死刑にしてほしい気持ちは変わらない」と述べた[新聞 112][新聞 113][新聞 114]
2003年3月12日、名古屋高裁(川原誠裁判長)はN・K両被告人の控訴棄却判決(二審も死刑判決)
2003年(平成15年)3月12日、名古屋高裁でN・K両被告人についての判決公判が開かれた[新聞 15][新聞 115][新聞 116]
名古屋高裁(川原誠裁判長)は第一審の死刑判決をいずれも支持し、N・K両被告人の控訴を棄却する判決を言い渡した[新聞 15][新聞 117][新聞 115][新聞 118][新聞 116][新聞 119][新聞 120][新聞 121][新聞 122]
名古屋高裁は判決理由で「ドラム缶の蓋が開かないように細工した上で火をつけるなど、殺害方法の残虐さには戦慄を禁じえない。犯行を認め反省していることを考慮しても、第一審の死刑判決はやむを得ない」と事実認定した[新聞 15][新聞 116]
判決言い渡し後、被告人Kが「聞きたいことがあります」と川原裁判長に切り出して意見陳述した[新聞 15]
被告人Kは「1999年、岐阜県岐阜市内で資産回収のトラブルから債務者に発砲された事件」について言及し、「この事件をもみ消した岐阜県警察はどうなるのか。この事件がなければ僕たちは殺人事件を起こさなかった。やったことは極刑に値するとは思うが、隠された部分を知りたい」などと述べた[新聞 15]
閉廷後、被告人Kの弁護人はこの突然の発言について「真相はわからないが、被告人Kは岐阜県警と暴力団が裏取引したと考えている。『警察がこの時に被告人Kらからしっかり事情聴取していれば、後に被害者Aに対する無理な取り立てをすることもなかった』という意味だ」と話した[新聞 15]。その上で判決について「犯行動機について事実誤認がある」として最高裁判所上告する方針を示した[新聞 15]
裁判長を務めた川原は定年退官後、及び両死刑囚の死刑執行後の2009年3月、『読売新聞』の取材に応じ、「『事実審は高裁が最終審』という責任を持たなくてはならない、と肝に銘じてきた。被告人Kは『Wら他4被告人と同じく従属的立場だった』と主張していたが、グループ内の指示系統を疑問が残らなくなるまで調べた結果、死刑判決を支持する結論に至った」と述べた[新聞 123]
2003年3月19日まで、両被告人の弁護人が最高裁に上告
被告人Nは「極刑を受け入れる」と表明しており、この日の判決を含め控訴審には一度も出廷しなかった[新聞 15]。判決前の2003年3月9日、被告人Nは弁護人と面会した際にも「極刑を覚悟している」と話していたが、弁護人は最高裁に上告する方針を示した[新聞 15]
その後、被告人Kの弁護人は2003年3月18日付[新聞 124]、被告人Nの弁護人は翌2003年3月19日付で[新聞 124]、いずれも最高裁に上告した[新聞 125][新聞 124]
2003年6月19日、名古屋高裁(小出錞一裁判長)は共犯4被告人の控訴棄却判決(二審もW・X両被告人は無期懲役、Y・Z両被告人は懲役12年)
2003年6月19日、名古屋高裁(小出錞一裁判長)でWら共犯4被告人の控訴審判決公判が開かれた。
名古屋高裁は第一審の判決(W・X両被告人は無期懲役、Y・Z両被告人は懲役12年)をいずれも支持し、検察・弁護人側双方の控訴をいずれも棄却する判決を言い渡した[新聞 21][新聞 126][新聞 87][新聞 127][新聞 128]
名古屋高裁は判決理由で、犯行態様を「まさに地獄絵図の如き犯行で戦慄を禁じ得ない」と表現した一方で[新聞 87]、「極めて残虐非道な悪行だが、4人は主犯2人に従属的な立場で犯行に加担した。弁護人の主張通り、4被告人はN・K両被告人から意に従わないと保険金目的での殺害をほのめかされるなどして脅され、指示命令を拒否し難い面はあったが、物理的に拘束されるなど、グループから離脱できない状況ではなかった」と指摘した[新聞 21][新聞 87]
その上で検察側のW・X両被告人に対する死刑主張について「死刑求刑にも相当な理由はあるが、主犯2人と刑事責任は同一ではない」と述べた[新聞 21]
加えて、Y・Z両被告人については「強盗殺人などの犯行に加わらなかったものの、犯行全体についての共謀関係からの離脱は認められない」と結論付けた[新聞 87]
また、指名手配後に自分の居場所を警察に電話した行為を「自首に当たる」と主張した被告人Wについても、「原判決に誤りはない」として主張を退けた[新聞 87]
W・X・Yの3被告人が最高裁に上告
W・X・Yの3被告人は一・二審判決を不服として、それぞれ最高裁に上告した[新聞 22]
一方で検察側・被告人Zはともに上告期限の2003年7月3日までに上告せず、被告人Zは懲役12年の一・二審判決が確定した[新聞 22]

上告審・最高裁

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2004年2月3日、最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)がW・X・Yの3被告人の上告棄却決定。W・X両被告人は無期懲役、被告人Yは懲役12年がそれぞれ確定
最高裁判所第三小法廷藤田宙靖裁判長)は2004年(平成16年)2月3日付で、一・二審判決を不服として上告していたW・X・Yの3被告人について、いずれも一・二審判決を支持して上告を棄却する決定をした[新聞 129][新聞 22][新聞 130]
この決定によりW・X両被告人を無期懲役、被告人Yを懲役12年とした判決が確定した[新聞 129][新聞 22]
2006年3月31日、最高裁第二小法廷でN・K両被告人の上告審口頭弁論公判
2006年(平成18年)3月31日、最高裁第二小法廷(今井功裁判長)でN・K両被告人の上告審口頭弁論公判が開かれ、結審した[新聞 131]
弁護人側は「殺害に計画性はなく、死刑は重すぎて量刑不当だ」と主張し、一・二審の死刑判決を破棄して量刑を無期懲役刑に減軽するよう訴えた[新聞 131]
一方で検察側は「周到な準備に基づく残虐な犯行であり、死刑は妥当だ」と主張し、一・二審の死刑判決を支持して両被告人及び弁護人側の上告を棄却するよう求めた[新聞 131]
最高裁第二小法廷(今井功裁判長)は2006年5月19日までに、上告審判決公判開廷期日を2006年6月9日に指定し、関係者に通知した[新聞 132]
2006年6月9日、最高裁第二小法廷でN・K両被告人の上告棄却判決、死刑判決が確定(2006年7月6日付)
2006年6月9日、最高裁第二小法廷(今井功裁判長)は上告審判決公判で、一・二審の死刑判決を支持しN・K両被告人の上告を棄却する判決を言い渡した[新聞 16][新聞 133][新聞 134][新聞 135]
この判決によりN・K両被告人に対し一・二審の死刑判決が確定することとなり、2006年7月6日付で判決訂正申立書棄却決定により正式に死刑判決が確定した[法務省 1]
最高裁第二小法廷は判決理由にて「被害者Aから手形の取り立てができなかったため、『面子が潰れた』として被害者Aに報復するのが動機だった。その発覚を防ぐため、恨みのない被害者2人を殺害した動機に酌量の余地はない。被害者をドラム缶に押し込んで焼き殺す殺害の様態は冷酷、非情かつ残虐というほかなく、悪質極まりない」と事実認定した[新聞 16]

国家賠償請求訴訟

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被告人N(死刑確定後にイニシャル「S」に改姓)は上告中の2004年9月28日、支援者からの差し入れとして「死刑執行方法などが記されたパンフレット」を郵送されたが、この時に収監先・名古屋拘置所は「死刑執行方法などの描写をそのまま閲覧させると心情不安定になり、自殺・自傷行為に及ぶなど拘置所内の規律維持に支障が出る可能性が高い」として、パンフレットの一部を抹消した上で被告人Nに渡した[新聞 136][新聞 137]。また、N・K両被告人とは別の事件で死刑判決を受け上告中だった被告人1人(2004年11月に死刑確定)に対しても同年8月に同種のパンフレットが差し入れられたが、名古屋拘置所はその際も同様の対応を取っていた[新聞 136][新聞 137]

Nら死刑囚2人はこれらの名古屋拘置所側の対応を「日本国憲法で保障された『知る権利』などを侵害する違法な処分である」と主張し、日本国を相手にそれぞれ10万円の損害賠償を求めた国家賠償請求訴訟を名古屋地裁に提訴した[新聞 138][新聞 136][新聞 137]。これに対し国側は、「死刑囚に死刑執行方法が記された文書をそのまま読ませると、精神的に不安定となり自殺・自傷行為に及ぶなど『拘置所の規律が放置できない程度の障害』が生ずる危険性があった」と主張した[新聞 138]

2006年12月6日、名古屋地裁(田辺年則裁判長)は原告両死刑囚の訴えのうち一部を認め、被告・日本国に対し死刑囚2人へそれぞれ損害賠償1万円を支払うよう命じる判決を言い渡した[新聞 138][新聞 136][新聞 137]

名古屋地裁は判決理由にて「拘置所側が抹消した部分は『死刑執行の方法・手順など』が客観的に記載されているだけで、死刑囚に大きな精神的動揺を与える可能性が高いとはいえない」と事実認定した上で[新聞 138]、「原告らが抹消部分を閲覧しても『拘置所の規律が放置できない程度の障害』が生ずるとは考え難く、抹消処分は合理的とは言えない。拘置所長は裁量権を明らかに逸脱した」と指摘した[新聞 138][新聞 136][新聞 137]

また被告人Nはこれとは別に、上告中の2005年6月24日にも「死刑執行方法が記された文書」を差し入れとして受け取ったが、その時にも名古屋拘置所は「死刑執行方法などの描写をそのまま閲覧させると心情不安定になり、拘置所内の規律維持に支障が出る可能性が高い」として、文書の一部を抹消した上で被告人Nに渡した[新聞 139]

この対応を「『閲読の自由』を侵害した違法な行為」と主張した死刑囚N(後述の判決までに「S」姓に改姓)は前述の件と同じく日本国を相手に10万円の損害賠償を求めた国家賠償請求訴訟を名古屋地裁に提訴した[新聞 140][新聞 139]。2007年(平成19年)2月16日、名古屋地裁(末吉幹和裁判官)は原告・死刑囚Nの訴えのうち一部を認め、被告・日本国に対し損害賠償3万円の支払いを命じる判決を言い渡した[新聞 140] [新聞 139]

死刑執行まで

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2008年7月以降、参議院議員福島瑞穂が確定死刑囚らを対象に実施したアンケートに対し、死刑囚2名は以下のように回答していた[書籍 3]

死刑囚N(2008年9月11日付)
  • 名古屋拘置所は現時点では死刑囚に対し、かなり良い処遇をしていることから感謝している[書籍 4]。しかし「死刑執行命令書に最終的な許可を出すのは法務大臣だが、その対象者を決めるのは局長たち、即ち検察官ではないのか?なぜその検察官たちの名前を公表しないのか?」という疑問がある[書籍 4]
  • 死刑制度について突き詰めて考えれば、ほとんどの人は「廃止すべきだ」と考えると思う[書籍 4]。世論は死刑存置論が趨勢だが、それほど深く死刑問題について考えているとは思えないし、議論を拙速に終わらせているようにしか思えないので、1度は「国会で1日中死刑問題について議論してほしい」と思う[書籍 4]
  • いったんは再審請求をしたが、被害者・遺族のことを考えて思い悩んだ結果、再審請求を取り下げた[書籍 4]。現在は「死刑執行まで自分に何かできることがあれば…」と思いながら生活している[書籍 4]
    • 2008年7月7日、死刑囚Nは弁護人にも相談することなく再審請求を自ら取り下げた[雑誌 1]。なお、これについては上告審の途中から私選弁護人を務め、死刑確定後も再審請求の代理人を務めていた弁護士・大熊裕起が「取り下げは無効だ」と主張して名古屋地裁に異議申し立てを行ったが棄却され、名古屋高裁への即時抗告棄却を経て2008年12月、最高裁への特別抗告も棄却された[書籍 5]
  • (2008年の刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律改正により)法務局長通達で「死刑囚の投稿を禁止する」という規定が出されたようで、その通達のせいで外部への情報発信がほぼ不可能になった[書籍 4]。文書を書くことしかできない死刑囚にとって、一般社会に何かを訴えたり遺したりするには本を出版する以外に方法がないので、福島さんの手で何とかしてほしい[書籍 4]
死刑囚K
  • 「自分の考えなりに死刑を受け入れており、アンケートに答えることはできない」としてこのアンケートには回答せず、後述のように2009年1月12日付で福島宛の手紙を送った[書籍 6]

なお死刑囚Kは2008年7月24日付で名古屋地裁へ再審請求を起こし[書籍 7]、同年11月29日までの期限通りに意見書を提出したが[書籍 8]、同年12月18日付で棄却決定がなされた[書籍 7][書籍 8]

死刑囚Kは死刑執行直前の2009年1月12日、福島宛に以下のような手紙を送っていた[書籍 9]

  • 裁判では警察と首謀者が取引したことにより、自分とNが主犯格、共犯者ほか4人が従犯とされたが、事件の真実は「Nが実の父親である暴力団相談役とその若衆から命令を受けて手形回収・殺人に至った」というものだ[書籍 6]
    • しかしNの父親が警察に金銭を授受し、「Kを主犯として死刑にする一方、息子のNは死刑にしない」と取り決め、裁判にかけられたため、警察・検察からは自分にとって不都合な調書しか作られなかった[書籍 6][書籍 7]
    • 結局、自分の弁護人の努力の結果でNも主犯として死刑となった[書籍 7]。被害者2人を生きたまま焼き殺すという最悪な犯罪を犯した以上[書籍 6]、死刑判決そのものについては納得しているが、判決の事実認定は一切納得していない[書籍 7]
    • 再審請求の際、共犯Nが自分の弁護人宛に「事件の真実は自分の実父(暴力団幹部)・若衆から命令を受けたもので、Kは主犯ではないが、出頭前に警察・父の暴力団と取引した結果主犯扱いされた」「保険金搾取のために本件とは別に3件の殺人を犯しており、それが組の資金源になっていた点を警察に告発してほしい」と伝えており、それを再審請求の証拠とした[書籍 7]
    • その事件の黒幕はまだ社会で生活しており、資金源のためにこれからも殺人を繰り返すだろう[書籍 8]。今なら逮捕して白日の下に晒せるのに、警察も司法も動こうとしない[書籍 8]。「自分の命はそんなに軽いのか?」と思うし[書籍 7]、死刑になるのなら真実の下に死刑になりたいので[書籍 8]、他の殺人で殺された人々のためにも真実を明らかにしてほしい[書籍 7]
  • 2007年12月(鳩山邦夫法務大臣による死刑執行)以来、死刑執行の際には法務省から実名・罪状が当日中に発表されるようになったが、自分にも子供がいるし[書籍 7]、残された子供たちの将来にとって重荷になりかねないので発表はやめてほしい[書籍 7][書籍 8]
    • 自分自身は死刑を受け入れており、「早く死刑になることが、事件で重荷を背負わせてしまった自分の子ども達への唯一の償いだ。いっそ子供たちが物心つかないうちに死刑になりたい」と考えていたが、現実にも「死刑囚の子ども」であることを理由とした学校でのいじめが発生している[書籍 10]
    • 自分の長男は(当時)中学生、次男も小学3年生と幼いので、彼らが大人になるまでは死刑にはなりたくない[書籍 10]
    • 昨年(2008年)暮れに実子から手紙が届き、社会における加害者家族・身内の苦しみを知った[書籍 10]
  • 自分の死刑執行をビデオで記録し、検事・裁判官・司法関係者に「死刑とはどんなものか」を実際に見て考えてほしいし、どんな理由であれ、人を殺す苦しみを分かってほしい[書籍 8]
  • 現在は弁護人とも連絡が取れなくなり、面会できるのは教会の修道女のみで、実姉からも年1回ハガキが届くだけだ[書籍 10]。弁護人から再審請求棄却に対する即時抗告がなされていなければいつ死刑が執行されるかわからない[書籍 10]。請願作業をしつつ日用品を自弁購入して生活しているが、他に収入はなく、今後は弁護人を雇うこともできないので「次の死刑執行は自分ではないか」と考えている[書籍 2]
  • (2008年の刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律改正について)
    • 自分のように金がなく、支援者もいない死刑囚については「領地品・差し入れ品の数規制」などが酷く、改悪としかいえない[書籍 2]
    • (法改正のせいで)ただでさえ少ない接見交通権を持つ親類・弁護士に迷惑がかかる上、自分のように金も支援者もない死刑囚はより一段と孤立し、ますます死刑執行順位が早くなる[書籍 2]
  • 名古屋拘置所の所長が現在(2009年1月当時)に交代して以来、週1回の居室検査・膳板引き上げなどの検査が強化されるなど、死刑囚にとっては厳しい処遇になっている[書籍 2]

死刑囚Nは死刑執行直前の2009年1月13日、名古屋拘置所で弁護人・大熊と面会した[書籍 5]。大熊は死刑囚Nが自ら再審請求を取り下げたこと、事件の内容・「死刑を受け入れる」と表明していたN自身の意思などから「Nの死刑執行が近い」と危惧して面会し、「再審請求をもう1度したいなら自分が引き受ける。恩赦出願も検討したらどうだ」と話したが、Nは「被害者や遺族のことを考えれば、自分は死刑を受け入れるべきだ。仮に大熊先生が再審請求をしても自分で取り下げる。恩赦も必要ない」として再度の再審請求・恩赦出願をいずれも拒否する意向を示した[書籍 5]

2009年1月29日、名古屋拘置所でN・K両死刑囚の死刑執行
死刑判決確定から約2年6か月後の2009年(平成21年)1月29日法務省法務大臣森英介)の死刑執行命令により、名古屋拘置所でN・K両死刑囚の死刑が執行された(死刑囚Nは39歳没、死刑囚Kは44歳没)[法務省 1][新聞 11][新聞 141][新聞 142][新聞 143][新聞 144][新聞 145]
同日には長野・愛知4連続強盗殺人事件の死刑囚(東京拘置所)・福岡拘置所の死刑囚1人を含めた計4人の死刑が執行された[法務省 1][新聞 11]
死刑囚Nは生前、講談社の『フライデー』編集部と文通をしており、死刑執行後に発売された同誌2009年2月27日号に400字詰め原稿用紙17枚分の「遺書」の概要・死刑執行の翌2009年1月30日に執り行われた葬儀の際に撮影された死刑囚Nの遺体の顔写真が掲載された[雑誌 1]
「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」(フォーラム90)は同日、「4人の死刑執行は暴挙というほかない」として法相・森に対する抗議声明を発表した[書籍 11]

参考文献

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刑事裁判の判決文

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N・K両元死刑囚に対する判決文
判例タイムズ』第1101号292頁
判示事項
共犯者6名が女性2名をドラム缶を用いて焼殺したという強盗殺人等の事案において、各被告人の果たした役割の違いなどに応じて、それぞれ死刑、無期懲役、懲役12年の刑が言い渡された事例
TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28075693
裁判要旨
共犯者6名が、被害者G(本文中A)に暴行を加えてその所有の乗用車などを強取した上、同人には逃げられたものの、同人と一緒に帰宅したその妻である被害者H(本文中B)および同女の妹である被害者I(本文中C)を自動車に監禁して山林に連行し、被害者Iから金品を強取した上、同女らを生きたままドラム缶に入れ、これに点火して焼死させて殺害し、同女らの死体を切断して付近に投棄した強盗傷人、監禁、強盗殺人、死体損壊遺棄の事案につき、本件犯行計画を企て、他の4名の共犯者を犯行に引き込み、強く指示を与えて犯行を遂行させるなど主導的立場にあり、極めて重大な役割を果たした被告人F(本文中N)及びE(本文中K)に対し死刑を言い渡した事例。
  • 判決内容:N・K両被告人を死刑(求刑同。被告人側はともに控訴)。以下の物品計5点を没収
    • 角材1本(平成12年押収第408号の1)
    • チェーンソー1台(平成12年押収第408号の3)
    • 金槌1本(平成12年押収第408号の4)
    • ドラム缶2缶(名古屋地検平成12年領第1549号の18,19)
『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28085413
裁判要旨
被告人両名が、共犯者らと共謀の上、Gの頭部を角材で殴打する暴行を加えて、その自動車等を強取し、Gの妻と妻の妹を別の自動車に押し込んで、山林に連行し、その間、両名を不当に監禁し、両名をドラム缶の中に押し込み、ガソリン混合油を振りかけた上、点火して両名を焼き殺すなどした事実につき、原判決が、いずれも各被告人に死刑を言い渡したため、量刑不当を理由に、控訴した事案で、本件犯行は、被告人Bはもとより、被告人Aの存在なくしてはあり得なかったというべきであり、また、被告人Aの果たした役割の大きさや地位等は共犯者らとは格段の差があることは明白であるとし、控訴を棄却した事例。
裁判所ウェブサイト掲載判例
  • 判決内容:N・K両被告人側控訴棄却(死刑判決支持。被告人・弁護人側はともに上告)
『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:25420004
裁判要旨
被告人両名が、共犯者らと共謀の上、手形金の取り立てができず自分らのめんつがつぶされたとして、債務者に暴行を加えてその自動車等を強取するとともに、同人の妻と妻の妹を別の自動車に押し込んで不当に監禁し、両名をドラム缶の中に押し込み、ガソリン混合油を振りかけて生きたまま焼き殺した事件の上告審において、被告人両名を死刑に処した第1審判決を維持した原判断はやむを得ないものとして是認せざるを得ないとして、上告を棄却した事例。
『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第289号293頁
裁判所ウェブサイト掲載判例
死刑の量刑が維持された事例(名古屋の2女性強盗殺人等事件)
  • 判決内容:N・K両被告人側上告棄却(死刑判決確定)
W・X・Y・Z各受刑者に対する判決文
  • 名古屋地方裁判所刑事第5部判決 2002年(平成14年)2月19日 、平成12年(う)第827号/平成12年(う)第1040号、『強盗傷人,監禁,強盗殺人,死体損壊・死体遺棄被告事件』。
    • 裁判官:三宅俊一郎(裁判長)・安藤祥一郎・戸苅左近
判例タイムズ』第1101号279頁
判示事項
共犯者6名が女性2名をドラム缶を用いて焼殺したという強盗殺人等の事案において、各被告人の果たした役割の違いなどに応じて、それぞれ死刑、無期懲役、懲役12年の刑が言い渡された事例
TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28075693
裁判要旨
被告人らが、共犯者の主導の下に、被害者が降り出した不渡り手形の手形金を回収するため、被害者夫婦らを襲ってその乗用車を強取するとともに、その自宅マンションから乗用車の名義変更に必要な物件等を持ち出して強取し、その際同夫婦らを殺害しようと企て、妻らを殺害し、死体を投棄した事案で、被告人らは、本件一連の犯行に加担するに当たって、その意思決定の自由が完全に制圧された状態にまでは至っていなかったものと認められるとし、被告人C(本文中X)及び被告人D(本文中W)に無期懲役、被告人A(本文中Y)及び被告人B(本文中Z)に懲役12年を言い渡した事例。
被害者G(本文中A)に暴行を加えてその所有の乗用車などを強取した上、同人には逃げられたものの、同人と一緒に帰宅したその妻である被害者H(本文中B)および同女の妹である被害者I(本文中C)を自動車に監禁して山林に連行し、被害者Iから金品を強取した上、同女らを生きたままドラム缶に入れ、これに点火して焼死させて殺害し、同女らの死体を切断して付近に投棄した強盗傷人、監禁、強盗殺人、死体損壊遺棄の事案につき、本件犯行計画を企て、他の4名の共犯者を犯行に引き込み、強く指示を与えて犯行を遂行させるなど主導的立場にあり、極めて重大な役割を果たした被告人F(本文中N)及びE(本文中K)に対し死刑を言い渡した事例。
  • 判決内容:W・X両被告人に無期懲役、Y・Z両被告人に懲役12年(W・X両被告人は求刑・死刑、Y・Z両被告人は求刑・懲役15年。被告人側はいずれも控訴)
    • 被告人4人それぞれに対し未決勾留日数中各520日を刑期に算入
      • 各被告人がそれぞれ「参考文献中の被告人A・B・C・Dいずれに該当するか」については『中日新聞』2002年2月20日朝刊第三社会面29面「ドラム缶焼殺判決要旨」を参考にして判決文と判決要旨を照合し、各被告人を断定した[新聞 18]

関連書籍

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  • 年報・死刑廃止編集委員会『死刑100年と裁判員制度 年報・死刑廃止2009』インパクト出版会、2009年10月25日、160-165,172-175,304頁。ISBN 978-4755402005 
  • 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90『命の灯を消さないで 死刑囚からあなたへ 105人の死刑確定者へのアンケートに応えた魂の叫び』インパクト出版会、2009年9月10日、63-69頁。ISBN 978-4755401978 

雑誌記事

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  • フライデー』2009年2月27日号 p.70-71「1月29日死刑執行 女性二人を惨殺した“鬼畜”が最後に辿り着いた『後悔と反省』 愛知ドラム缶焼殺元死刑囚が『遺書』に記した“心の闇”」(講談社

脚注

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注釈

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出典

[編集]
※以下出典で、見出し中に事件当事者らの実名が使われている場合、その個所を本記事文中で使われている仮名に置き換えている。
刑事裁判の判決文出典
新聞報道記事出典
  1. ^ a b c d e f g h i j k 中日新聞』2000年4月4日夕刊第一社会面13面「妻と従業員監禁か 夫を殴り車ごと奪う 未明の千種 男2人逮捕」
  2. ^ a b c d e f g h i 毎日新聞』2000年4月9日東京朝刊第一社会面31面「容疑者、多額の借金 金銭トラブル強まる--名古屋の女性焼殺事件」
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『中日新聞』2000年4月8日夕刊1面「連れ去り女性殺害 焼殺遺体の一部確認 瀬戸・藤岡境の山中 使用ドラム缶も 『生きたままガソリンかけた』容疑者供述」
  4. ^ a b c d e f g h i 『中日新聞』2000年4月9日朝刊第一社会面39面「千種の連れ去り 手形トラブル動機? 主犯格2人 埼玉県へ逃走」
  5. ^ a b c d e f g 『中日新聞』2000年4月11日朝刊第一社会面33面「千種・連れ去り 主犯格の男2人逮捕 2女性の焼殺を指示」
  6. ^ 東京新聞』2000年4月4日夕刊第二社会面10面「車奪われ妻ら不明 名古屋 2容疑者逮捕、行方追及」
  7. ^ a b c d e f g h i 『中日新聞』2000年4月5日朝刊第二社会面30面「千種区の連れ去り 2女性、依然不明 新たに1人を逮捕」
  8. ^ a b c d e f g h i j 『中日新聞』2000年4月8日朝刊1面「逮捕の兄弟『2人殺した』 千種の連れ去り 遺体?一部を発見」
  9. ^ 『中日新聞』2000年4月11日朝刊第一社会面33面「千種・連れ去り 主犯格の男2人逮捕 2女性の殺害を指示」
  10. ^ 『中日新聞』2000年5月3日朝刊第一社会面31面「強盗殺人で6人再逮捕 千種の2人連れ去り 焼殺し遺体を切断」
  11. ^ a b c d e f 『中日新聞』2009年1月29日夕刊1面「4人の死刑執行 長野、愛知4人殺害 〇〇死刑囚ら」(※長野・愛知4連続強盗殺人事件の死刑囚の実名が記事見出し中に使われているため、この部分を伏字にした)
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『中日新聞』2000年7月18日夕刊第一社会面13面「6被告 起訴事実認める ドラム缶殺人 名地裁初公判 主犯格、共犯脅す 『5000万円保険掛けた』」
  13. ^ a b c d e f g 『中日新聞』2001年11月21日朝刊第二社会面34面「2被告に死刑求刑 名古屋のドラム缶殺人 『上下関係なく対等』」
  14. ^ a b c d e f g h i 『中日新聞』2002年2月21日夕刊1面「ドラム缶焼殺 主犯格2被告に死刑判決 『残虐で冷酷非道』 名地裁 犯行、厳しく批判」「適正で妥当な判決」(足立敏彦・名古屋地検次席検事の話)
  15. ^ a b c d e f g h i j k 『中日新聞』2003年3月12日夕刊第二社会面14面「姉妹焼殺 二審も死刑 主犯格2人 名高裁判決 『残虐な方法に戦慄』」「判決言い渡し後 裁判長に意見 K被告」
  16. ^ a b c d 『中日新聞』2006年6月9日夕刊1面「主犯格2人死刑確定へ 千種の姉妹焼殺 最高裁が上告棄却」
  17. ^ a b 『朝日新聞』2000年4月9日朝刊第一社会面39面「『手配中の2人が指示』 名古屋2女性焼殺事件で容疑者が供述」
  18. ^ a b c d e f 『中日新聞』2002年2月20日朝刊第三社会面29面「ドラム缶焼殺判決要旨」
  19. ^ a b c d e f g h i j k 『中日新聞』2001年10月18日夕刊第二社会面12面「ドラム缶焼殺 共犯2被告に死刑求刑 名地裁公判 検察『残虐非道の極み』」
  20. ^ a b c d e f 『中日新聞』2002年2月19日夕刊1面「ドラム缶焼殺 実行役2人に無期 名地裁判決 他の2被告は懲役12年」
  21. ^ a b c d e f g 『中日新聞』2003年6月19日夕刊第一社会面11面「千種のドラム缶殺人 双方の控訴棄却 名高裁判決 実行役に無期―12年」
  22. ^ a b c d e f g h 『朝日新聞』2004年2月6日夕刊第二社会面14面「共犯3被告の上告を棄却 名古屋・ドラム缶焼殺事件」
  23. ^ a b c d e 『中日新聞』2000年4月27日朝刊第一社会面29面「千種・連れ去り 6容疑者 殺人で再逮捕へ 遺留品 2被害者と特定」
  24. ^ a b c d e f g 『中日新聞』2001年10月2日夕刊第一社会面15面「瀬戸のドラム缶焼殺2被告 死刑求刑の公算 名古屋地裁」
  25. ^ a b c d e f g 『朝日新聞』2000年4月7日朝刊第一社会面35面「2容疑者、新たに手配 名古屋の2女性拉致事件【名古屋】」
  26. ^ a b c d e f g h i 『毎日新聞』2000年7月18日中部夕刊第一社会面7面「愛知・2女性焼殺事件初公判 6被告、起訴事実認める--名古屋地裁」
  27. ^ a b c d e f 『中日新聞』2000年4月15日朝刊第一社会面31面「2女性殺害ほのめかす 千種連れ去り N容疑者 襲撃立案し指示」
  28. ^ a b c d 朝日新聞』2000年4月4日夕刊第一社会面15面「2女性連れ去る 強盗傷害容疑で男2人逮捕 名古屋の路上」
  29. ^ a b 『朝日新聞』2000年4月4日夕刊第一社会面9面「妻と従業員連れ去る 2容疑者逮捕 名古屋・千種区【名古屋】」
  30. ^ a b 『朝日新聞』2000年4月5日朝刊第一社会面27面「名古屋の連れ去り、2女性なお不明 容疑者3人目逮捕 【名古屋】」
  31. ^ 『中日新聞』2000年4月5日夕刊第二社会面10面「不明の2女性 氏名など公表 千種の連れ去り」
  32. ^ a b 『朝日新聞』2000年4月5日夕刊第二社会面10面「被害2女性の名前など公開 名古屋の連れ去り事件 【名古屋】」
  33. ^ a b c 『中日新聞』2000年4月7日朝刊第二社会面38面「中古車販売業者ら2人を指名手配 千種の連れ去り事件」
  34. ^ a b c d e f 『朝日新聞』2000年4月6日第一社会面29面「容疑者4人目逮捕 名古屋の連れ去り、2女性は依然不明【名古屋】」
  35. ^ a b c d 『中日新聞』2000年4月6日朝刊第一社会面35面「手配の社長逮捕 千種の2女性連れ去り事件」
  36. ^ 読売新聞』2000年4月6日中部朝刊第一社会面35面「名古屋市内で女性2人連れ去られた事件 『車から降ろした』 主犯格の男逮捕」
  37. ^ 『東京新聞』2000年4月8日夕刊第一社会面11面「女性2人を拉致 焼殺 『生きたまま』供述 強盗傷害で逮捕の兄弟 山中から遺体の一部 名古屋」
  38. ^ 『東京新聞』2000年4月9日朝刊第一社会面27面「拉致2女性焼殺事件 焼却ドラム缶『事前に用意』 容疑者自供、計画性追及」
  39. ^ a b c d 『中日新聞』2000年4月10日夕刊第一社会面13面「千種の連れ去り 従業員は巻き添え焼殺 『夫妻狙い計画』 容疑者供述」
  40. ^ 『東京新聞』2000年4月10日夕刊第二社会面10面「『夫婦殺すはずだった』 2女性焼殺で容疑者供述」
  41. ^ a b c d e 『朝日新聞』2000年4月11日朝刊第一社会面31面「手配の2容疑者逮捕 県警、動機追及へ 千種の女性拉致【名古屋】」
  42. ^ a b c 『朝日新聞』2000年4月11日朝刊第一社会面39面「手配の2人出頭、逮捕 名古屋の2女性拉致、焼殺 愛知県警千種署」
  43. ^ 『東京新聞』2000年4月11日朝刊第一社会面31面「2女性焼殺 手配の2人を逮捕 主犯格か、強盗傷害容疑」
  44. ^ a b 『毎日新聞』2000年4月11日中部朝刊第一社会面25面「手配の2人、強盗致傷容疑で逮捕 殺害を指示か--名古屋・2女性焼殺事件」
  45. ^ a b 『中日新聞』2000年4月14日夕刊第一社会面15面「2女性殺害 遺体粉砕にすり鉢準備 N容疑者ら 完全な証拠隠滅計画」
  46. ^ 『中日新聞』2000年4月25日朝刊第一社会面29面「名古屋の2女性焼殺 強盗傷害で4人起訴」
  47. ^ 『朝日新聞』2000年4月25日朝刊第一社会面29面「容疑者4人を起訴 名古屋・千種区の拉致事件【名古屋】」
  48. ^ a b c d 『朝日新聞』2000年5月1日朝刊第一社会面23面「炭化2遺体、DNA一致 千種の女性拉致、6人再逮捕へ【名古屋】」
  49. ^ 『朝日新聞』2000年5月1日朝刊第二社会面26面「6容疑者再逮捕へ 遺体DNA、2女性と一致 名古屋の焼殺事件」
  50. ^ 『東京新聞』2000年4月27日朝刊第一社会面27面「2女性焼殺で6人再逮捕へ 名古屋の連れ去り」
  51. ^ 『中日新聞』2000年5月2日朝刊第一社会面27面「強盗傷害罪で2人を起訴 千種の2女性焼殺」
  52. ^ 『朝日新聞』2000年5月2日朝刊第一社会面27面「主犯格2人も強盗傷害罪 名古屋・千種区の女性拉致事件【名古屋】」
  53. ^ 『中日新聞』2000年5月3日朝刊第一社会面31面「強盗殺人で6人再逮捕 千種の2人連れ去り 焼殺し遺体を切断」
  54. ^ a b 『朝日新聞』2000年5月3日朝刊第一社会面29面「強殺容疑で6人再逮捕 名古屋の2女性拉致事件【名古屋】」
  55. ^ 『朝日新聞』2000年5月3日朝刊第二社会面30面「女性焼殺容疑で6人を再逮捕 愛知県警・千種署」
  56. ^ a b 『中日新聞』2000年5月8日夕刊第一社会面11面「襲撃計画 一度は未遂 千種の2女性焼殺 ガソリンは既に準備」
  57. ^ 『中日新聞』2000年5月23日朝刊第一社会面27面「強殺で6人追起訴 千種の2女性焼殺」
  58. ^ a b 『朝日新聞』2000年5月23日朝刊第一社会面27面「6容疑者を追起訴 新たに詐欺容疑も 名古屋の2人殺害【名古屋】」
  59. ^ 『東京新聞』2000年7月18日夕刊第二社会面10面「ドラム缶焼殺 起訴内容認める 名古屋地裁で4被告」
  60. ^ 『読売新聞』2000年7月18日東京夕刊第一社会面15面「名古屋の2女性焼殺事件 主犯格の2被告、起訴事実認める/名古屋地裁」
  61. ^ 『読売新聞』2000年7月19日中部朝刊第一社会面35面「名古屋の2女性焼殺事件 6被告初公判 起訴事実認める/名古屋地裁」
  62. ^ a b c d e f 『朝日新聞』2000年7月18日夕刊第一社会面9面「2主犯格、起訴事実認める ドラム缶焼殺事件初公判【名古屋】」
  63. ^ a b c d 『毎日新聞』2000年7月18日東京夕刊第一社会面9面「愛知・2女性焼殺事件初公判 6被告、起訴事実認める--名古屋地裁」
  64. ^ a b c d 『中日新聞』2000年9月8日朝刊第二社会面38面「ドラム缶など証拠に採用 2女性焼殺事件公判」
  65. ^ 『中日新聞』2001年10月3日朝刊第一社会面31面「ドラム缶焼殺 求刑持ち越す 名地裁公判」
  66. ^ 『読売新聞』2001年10月19日中部朝刊第二社会面33面「千種の女性焼殺 2被告に死刑求刑/名古屋地裁」
  67. ^ a b c d 『朝日新聞』2001年10月18日夕刊第一社会面21面「共犯2被告に死刑を求刑 愛知の焼殺事件」
  68. ^ a b c d e 『毎日新聞』2001年10月18日夕刊第一社会面7面「名古屋の2女性焼殺 2被告に死刑求刑--名地検『類を見ない冷酷さ』」
  69. ^ a b c d e f 『毎日新聞』2001年11月6日中部朝刊第二社会面20面「名古屋の2女性焼殺 『脅され加担』と死刑回避求める--地裁公判・弁護側最終弁論」
  70. ^ a b c d 『中日新聞』2001年11月6日朝刊第一社会面31面「『主犯に脅され従う』 ドラム缶殺人 4被告公判 弁護側が最終弁論」
  71. ^ 『読売新聞』2001年11月6日中部朝刊東海第三社会面33面「名古屋・女性ドラム缶焼殺 2被告『死刑回避を』=東海」
  72. ^ 『読売新聞』2001年11月21日東京朝刊第一社会面39面「名古屋のドラム缶2女性焼殺 2人に死刑求刑」
  73. ^ 『読売新聞』2001年11月21日中部朝刊東海第三社会面33面「千種の2女性焼殺 2被告に死刑求刑/名古屋地裁」
  74. ^ a b 『朝日新聞』2001年11月21日朝刊第一社会面「2主犯格、死刑求刑 ドラム缶2人焼殺事件【名古屋】」
  75. ^ 『朝日新聞』2001年11月21日朝刊第一社会面「女性2人を焼殺、2被告に死刑求刑 名古屋のドラム缶事件」
  76. ^ a b 『毎日新聞』2001年11月21日中部朝刊第二社会面22面「名古屋の2女性焼殺 首謀2人に死刑求刑--名古屋地裁論告」
  77. ^ a b 『中日新聞』2001年12月21日朝刊第一社会面35面「『極刑受け入れる』 ドラム缶殺人公判 2被告が最終弁論」
  78. ^ 『読売新聞』2001年12月21日中部朝刊東海第三社会面33面「名古屋の2女性焼殺事件 主犯格の2被告、死刑回避求める=東海」
  79. ^ a b c d e f g 『朝日新聞』2001年12月21日朝刊第一社会面31面「主犯格『生きたい』 名古屋・ドラム缶焼殺の公判が結審【名古屋】」
  80. ^ a b 『毎日新聞』2001年12月21日中部朝刊第一社会面27面「名古屋の2女性焼殺 弁護側、死刑回避求める--名地裁結審」
  81. ^ a b c d e f g h 『朝日新聞』2002年2月21日夕刊第一総合面1面「主犯格2被告に死刑 ドラム缶2女性焼殺で名古屋地裁【名古屋】」
  82. ^ 『読売新聞』2002年2月18日中部朝刊第一社会面27面「名古屋の2女性焼殺事件 あす判決 地裁、まず実行4被告」
  83. ^ a b c d e 『中日新聞』2002年2月20日朝刊1面「ドラム缶焼殺 実行役2人に無期懲役 名地裁判決 他の2人は懲役12年」
  84. ^ 『読売新聞』2002年2月20日東京朝刊第一社会面39面「ドラム缶焼殺事件 4被告、無期と懲役12年/名古屋地裁判決」
  85. ^ a b 『読売新聞』2002年2月20日中部朝刊第一社会面31面「名古屋の2女性焼殺事件 実行2被告に無期判決 他の2被告は懲役12年」
  86. ^ a b c 『朝日新聞』2002年2月20日朝刊第一社会面31面「共犯2被告、無期判決 2女性焼殺事件で名古屋地裁【名古屋】」
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  93. ^ 『読売新聞』2002年3月6日中部朝刊東海第三社会面28面「ドラム缶焼殺事件 2被告、名古屋高裁に控訴=東海」
  94. ^ 『毎日新聞』2002年3月6日中部夕刊第一社会面7面「名古屋のドラム缶焼殺 他2被告も控訴--名古屋高裁に」
  95. ^ 『中日新聞』2002年3月5日朝刊第一社会面31面「共犯者4人を控訴 2女性焼殺で名地検」
  96. ^ 『毎日新聞』2002年3月4日中部夕刊第一社会面7面「名古屋のドラム缶焼殺 無期懲役の2被告、検察側が控訴」
  97. ^ 『中日新聞』2002年2月21日夕刊第一社会面13面「『でも母は帰らない』 ドラム缶焼殺で死刑判決 長女傍聴席で涙 『執行までわび続けて』」「うなずき頭下げる 判決聞き2被告」「『両被告とも覚悟していた』弁護人が会見」「K被告 めい福祈り日々写経 N被告『自分は死ぬべきだ』」
  98. ^ 『東京新聞』2002年2月21日夕刊第一社会面11面「ドラム缶で姉妹焼殺『冷酷』 2被告に死刑判決 名古屋地裁」
  99. ^ 『中日新聞』2002年2月22日朝刊第三社会面33面「ドラム缶殺人判決要旨」「落ち度ない2人を殺害」
  100. ^ 『読売新聞』2002年2月21日東京夕刊第一社会面19面「名古屋の2人焼殺2被告に死刑判決/名古屋地裁」
  101. ^ 『読売新聞』2002年2月22日中部朝刊第一社会面39面「2女性焼殺事件 主犯格2人に死刑判決 『極めて冷酷、非道』/名古屋地裁」
  102. ^ a b c 『読売新聞』2002年2月22日中部朝刊東海第三社会面37面「2女性焼殺死刑判決 執行の日まで母にわびて 極刑にうなずく遺族=東海」
  103. ^ 『読売新聞』2002年2月22日中部朝刊東海第三社会面37面「2女性焼殺死刑判決 『役割』重視で量刑に差=東海」
  104. ^ 『朝日新聞』2002年2月21日夕刊第一社会面11面「2被告、極刑に『はい』 焼殺事件で名古屋地裁判決【名古屋】」
  105. ^ 『朝日新聞』2002年2月21日夕刊第二社会面14面「2女性焼殺の被告ら死刑判決 『金奪う目的で計画』 名古屋地裁」
  106. ^ a b c 『毎日新聞』2002年2月21日夕刊1面「名古屋のドラム缶焼殺 主犯格2被告に死刑 『冷酷非情な犯行』--名古屋地裁判決」(記者:北村和巳)
  107. ^ a b c d 『中日新聞』2002年3月8日朝刊第一社会面35面「『死刑』被告の弁護人が控訴 瀬戸の2女性焼殺」
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  109. ^ a b c d e f g 『中日新聞』2002年9月11日夕刊第一社会面11面「一審死刑2被告 控訴審始まる ドラム缶焼殺事件で名高裁」
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  111. ^ 『毎日新聞』2002年9月11中部夕刊第一社会面7面「名古屋・女性焼殺控訴審初公判 弁護側は改めて、死刑回避求める」(記者:篠原成行)
  112. ^ a b 『中日新聞』2002年10月29日夕刊第二社会面12面「被害者の娘が『全員死刑に』 千種のドラム缶焼殺事件控訴審」
  113. ^ a b c d 『読売新聞』2002年10月39日中部朝刊第二社会面34面「名古屋2女性ドラム缶殺人事件控訴審 『全員、死刑が当然』 被害者の娘訴え」
  114. ^ a b c 『毎日新聞』2002年10月29日中部夕刊第二社会面8面「2女性焼殺事件 控訴審が始まる--名古屋高裁」(記者:北村和巳)
  115. ^ a b 『読売新聞』2003年3月12日東京夕刊第二社会面34面「女性2人焼殺 死刑判決支持、控訴棄却/名古屋高裁」
  116. ^ a b c 『朝日新聞』2003年3月12日夕刊第一社会面9面「2被告、二審も死刑 ドラム缶で2女性焼殺 名古屋高裁【名古屋】」
  117. ^ 『東京新聞』2003年3月12日夕刊第一社会面11面「二審も主犯格2人に死刑判決 姉妹焼殺で名古屋高裁」
  118. ^ 『読売新聞』2003年3月13日中部朝刊第二社会面30面「ドラム缶2女性焼殺事件 2被告、2審も死刑/名古屋高裁」
  119. ^ 『朝日新聞』2003年3月13日朝刊第三社会面37面「2被告、二審も死刑 名古屋・千種区のドラム缶2女性殺害」
  120. ^ 『毎日新聞』2003年3月12日中部夕刊第一社会面7面「名古屋のドラム缶焼殺 名古屋高裁、死刑判決支持 2被告の控訴棄却」(記者:北村和巳)
  121. ^ 『毎日新聞』2003年6月19日大阪夕刊第二社会面10面「ドラム缶焼殺事件公判 1審の死刑判決を支持、2被告の控訴棄却--名古屋高裁」
  122. ^ 『毎日新聞』2003年6月19日東京夕刊第一社会面9面「名古屋・ドラム缶焼殺事件 主犯格2人、2審も死刑--高裁判決」(記者:北村和巳)
  123. ^ 『読売新聞』2009年3月7日東京朝刊第二社会面38面「[死刑]選択の重さ(7)3審、それぞれの苦悩(連載)」
  124. ^ a b c 『朝日新聞』2003年3月20日夕刊第二社会面14面「死刑判決の2被告上告 名古屋・千種区の女性焼殺事件【名古屋】」
  125. ^ 『読売新聞』2003年3月20日中部朝刊第二社会面36面「2女性焼殺事件 死刑判決の2被告、最高裁に上告」
  126. ^ 『読売新聞』2003年6月19日東京夕刊第一社会面19面「女性ドラム缶焼殺事件 4被告の控訴棄却/名古屋高裁」
  127. ^ 『朝日新聞』2003年6月19日夕刊第一社会面19面「共犯4人の控訴を棄却 名古屋のドラム缶焼殺事件」
  128. ^ 『毎日新聞』2003年6月19日中部夕刊第一社会面7面「名古屋・ドラム缶焼殺事件 2被告に無期懲役『従属的立場』と判断--高裁1審支持」(記者:北村和巳)
  129. ^ a b 『読売新聞』2004年2月6日中部朝刊第一社会面35面「愛知・瀬戸のドラム缶2女性焼殺 3被告の上告棄却/最高裁」
  130. ^ 『朝日新聞』2004年2月6日朝刊第一社会面29面「共犯3被告の上告を棄却 名古屋市・2女性ドラム缶焼殺【名古屋】」
  131. ^ a b c 『毎日新聞』2006年3月31日中部夕刊第一社会面10面「名古屋・ドラム缶焼殺事件:上告審が結審」(記者:木戸哲)
  132. ^ 『中日新聞』2006年5月20日朝刊第三社会面33面「来月9日に最高裁判決」
  133. ^ 『東京新聞』2006年6月9日夕刊第二社会面10面「2被告の上告棄却 名古屋ドラム缶殺人」
  134. ^ 『朝日新聞』2006年6月9日夕刊第一総合面1面「2被告、死刑確定へ ドラム缶で姉妹焼殺【名古屋】」
  135. ^ 『朝日新聞』2006年6月9日夕刊第二社会面14面「最高裁上告棄却、死刑判決確定へ 名古屋2女性焼殺事件」
  136. ^ a b c d e 『読売新聞』2006年12月7日中部朝刊第三社会面37面「死刑囚への差し入れ資料削除 『裁量権を逸脱』判決/名古屋地裁」
  137. ^ a b c d e 『毎日新聞』2006年12月7日中部朝刊第一社会面23面「損賠訴訟:2死刑囚の文書一部抹消、国に1万円賠償命令 名古屋地裁」(記者:岡崎大輔)
  138. ^ a b c d e 『中日新聞』2006年12月7日朝刊第三社会面31面「死刑囚に差し入れ 文書一部抹消違法 名地裁が賠償命令」
  139. ^ a b c 『毎日新聞』2007年2月17日中部朝刊第二社会面24面「損賠訴訟:拘置所差し入れ文書抹消『違法』 名古屋地裁判決」(記者:岡崎大輔)
  140. ^ a b 『中日新聞』2007年2月17日朝刊第二社会面30面「差し入れ文書の一部抹消は違法 名地裁国に賠償命令」
  141. ^ 『中日新聞』2009年1月29日夕刊第一社会面11面「死刑執行 ドラム缶焼殺2人にも N、K両死刑囚 最高裁、主犯格認定」
  142. ^ 『東京新聞』2009年1月29日夕刊第一社会面9面「4人の死刑執行 3年 確定から3年内 森法相2回目 前回から3カ月」「再審請求 半数超える」(記者:佐藤直子)
  143. ^ 『読売新聞』2009年1月29日東京夕刊1面「4人に死刑執行 愛知・長野4人強盗殺人など」
  144. ^ 『朝日新聞』2009年1月29日夕刊1面「4人の死刑を執行 北九州4人殺傷など 【西部】」
  145. ^ 『朝日新聞』2009年1月29日夕刊第一社会面15面「4人の死刑を執行 『悩んだ末、再審請求取り下げた』 執行前、思いつづる」
雑誌記事出典
  1. ^ a b フライデー』2009年2月27日号 p.70-71「1月29日死刑執行 女性二人を惨殺した“鬼畜”が最後に辿り着いた『後悔と反省』 愛知ドラム缶焼殺元死刑囚が『遺書』に記した“心の闇”」(講談社
書籍出典
  1. ^ a b 年報・死刑廃止 2009, pp. 304
  2. ^ a b c d e 命の灯 2009, pp. 67
  3. ^ 命の灯 2009, pp. 63–69
  4. ^ a b c d e f g h 命の灯 2009, pp. 68–69
  5. ^ a b c 年報・死刑廃止 2009, pp. 172–173
  6. ^ a b c d 命の灯 2009, pp. 63
  7. ^ a b c d e f g h i j 命の灯 2009, pp. 64
  8. ^ a b c d e f g 命の灯 2009, pp. 65
  9. ^ 命の灯 2009, pp. 63–67
  10. ^ a b c d e 命の灯 2009, pp. 66
  11. ^ 年報・死刑廃止 2009, pp. 181
法務省発表
  1. ^ a b c d e 法務大臣閣議後記者会見の概要(平成21年1月29日(木))”. 法務省法務大臣森英介) (2009年1月29日). 2018年8月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月23日閲覧。

関連項目

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