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|職名 = 衆議院議員 |
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'''江口 一雄'''(えぐち かずお、[[1937年]]([[昭和]]12年)[[9月25日]] - [[2014年]]([[平成]]26年)[[11月27日]])は、[[日本]]の[[政治家]]。元[[衆議院議員]](当選3回)。 |
'''江口 一雄'''(えぐち かずお、[[1937年]]([[昭和]]12年)[[9月25日]] - [[2014年]]([[平成]]26年)[[11月27日]])は、[[日本]]の[[政治家]]。元[[衆議院議員]](当選3回)。[[自由民主党 (日本)|自民党]]副幹事長、[[防衛省|防衛]][[政務次官]]、[[運輸省|運輸]]政務次官、[[衆議院]][[厚生労働委員会|厚生委員長]]、自民党商工部会長、[[学校法人八千代松陰学園]]理事長(事実上の創立者、創業者)、千葉県[[神社本庁#関係団体|神社総代会長]]<ref>{{cite web | url=https://takinowa.exblog.jp/21243433/ | title=江口一雄・八千代松陰理事長 表敬訪問 | publisher= たきた敏幸日記 | date=2014-1-8 | accessdate=2024-3-19 }}</ref>、[[日本会議]]千葉会長<ref>{{cite web |和書 | url=https://www.chibanippo.co.jp/news/local/210624 | title=設立15周年祝う 日本会議千葉 | publisher=千葉日報 | date=2014-8-25 | accessdate=2024-1-23 }}</ref>などを歴任。 |
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== 経歴 == |
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[[1978年]]、[[山口久太]]に約1万坪の土地を無償提供し、[[八千代松陰中学校・高等学校|八千代松陰高等学校]]創立に尽力。副理事長就任。 |
[[1978年]]、[[山口久太]]に約1万坪の土地を無償提供し、[[八千代松陰中学校・高等学校|八千代松陰高等学校]]創立に尽力。副理事長就任。 |
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[[1986年]]、[[第38回衆議院議員総選挙|第38回総選挙]]に[[始関伊平]]の後継として[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]公認で[[千葉県第1区 (中選挙区)|旧千葉1区]]より立候補し、初当選 |
[[1986年]]、[[第38回衆議院議員総選挙|第38回総選挙]]に[[始関伊平]]の後継として[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]公認で[[千葉県第1区 (中選挙区)|旧千葉1区]]より立候補し、初当選。 |
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[[1990年]]12月、[[第2次海部内閣 (改造)|第2次海部改造内閣]]で防衛政務次官となる。[[1991年]]11月に衆議院[[安全保障委員会]]理事、自民党交通部会副部会長、[[1992年]]12月に自民党副幹事長に就任。 |
[[1990年]]12月、[[第2次海部内閣 (改造)|第2次海部改造内閣]]で防衛政務次官となる。[[1991年]]11月に衆議院[[安全保障委員会]]理事、自民党交通部会副部会長、[[1992年]]12月に自民党副幹事長に就任。 |
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[[1993年]]、八千代松陰学園理事長。 |
[[1993年]]、八千代松陰学園理事長。[[第40回衆議院議員総選挙]]で落選。 |
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[[1996年]]10月 |
[[1996年]]、[[第41回衆議院議員総選挙]]で小選挙区制導入後の[[千葉県第2区|千葉2区]]より出馬、復活当選。10月に安全保障委員会筆頭理事、自民党財政部会長代理となる。[[1997年]]9月、[[第2次橋本内閣 (改造)|第2次橋本改造内閣]]で運輸政務次官となる。<!-- 厚生委員長はいつ? --> |
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[[2000年]]の[[第42回衆議院議員総選挙]]で落選、[[2003年]]の[[第43回衆議院議員総選挙]]で |
[[2000年]]の[[第42回衆議院議員総選挙]]で2度目の落選、[[2003年]]の[[第43回衆議院議員総選挙]]で3度目の落選。政界引退。 |
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[[2009年]]11月、財団法人[[協和協会]]会長代行に就任(会長ポストは空席)。<!-- 神社総代会長はいつ? --> |
[[2009年]]11月、財団法人[[協和協会]]会長代行に就任(会長ポストは空席)。<!-- 神社総代会長はいつ? --> |
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* [[神道政治連盟]] |
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2024年3月19日 (火) 22:29時点における最新版
江口 一雄 えぐち かずお | |
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生年月日 | 1937年9月25日 |
出生地 | 千葉県八千代市 |
没年月日 | 2014年11月27日(77歳没) |
出身校 | 千葉県立佐倉高等学校 千葉大学園芸別科修了 |
前職 | 農業、県議会議員4期 |
現職 | 八千代松陰学園理事長(事実上の創立者、創業者) |
所属政党 | 自由民主党(細田派) |
称号 | 旭日重光章 |
親族 | 祖父・江口茂八(第10代阿蘇村長) |
選挙区 |
(旧千葉1区→) 千葉2区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
1986年 - 1993年 1996年 - 2000年 |
選挙区 | 八千代市選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1974年 - 1986年 |
江口 一雄(えぐち かずお、1937年(昭和12年)9月25日 - 2014年(平成26年)11月27日)は、日本の政治家。元衆議院議員(当選3回)。自民党副幹事長、防衛政務次官、運輸政務次官、衆議院厚生委員長、自民党商工部会長、学校法人八千代松陰学園理事長(事実上の創立者、創業者)、千葉県神社総代会長[1]、日本会議千葉会長[2]などを歴任。
経歴
[編集]千葉県印旛郡阿蘇村字村上(現・八千代市)出身。父が太平洋戦争でフィリピンのルソン島にて戦死。千葉県立佐倉第一高等学校卒業。千葉大学園芸別科修了。
1974年5月、千葉県議会議員補欠選挙に立候補して初当選し、その後4期務める。
1978年、山口久太に約1万坪の土地を無償提供し、八千代松陰高等学校創立に尽力。副理事長就任。
1986年、第38回総選挙に始関伊平の後継として自由民主党公認で旧千葉1区より立候補し、初当選。
1990年12月、第2次海部改造内閣で防衛政務次官となる。1991年11月に衆議院安全保障委員会理事、自民党交通部会副部会長、1992年12月に自民党副幹事長に就任。
1993年、八千代松陰学園理事長。第40回衆議院議員総選挙で落選。
1996年、第41回衆議院議員総選挙で小選挙区制導入後の千葉2区より出馬、復活当選。10月に安全保障委員会筆頭理事、自民党財政部会長代理となる。1997年9月、第2次橋本改造内閣で運輸政務次官となる。
2000年の第42回衆議院議員総選挙で2度目の落選、2003年の第43回衆議院議員総選挙で3度目の落選。政界引退。
2009年11月、財団法人協和協会会長代行に就任(会長ポストは空席)。
2014年11月27日、八千代市の病院で膵臓がんのため死去[3]。77歳没。叙従四位[4]。
栄典
[編集]2007年(平成19年)11月、平成19年秋の叙勲において旭日重光章を受ける。
脚注
[編集]- ^ “江口一雄・八千代松陰理事長 表敬訪問”. たきた敏幸日記 (2014年1月8日). 2024年3月19日閲覧。
- ^ “設立15周年祝う 日本会議千葉”. 千葉日報 (2014年8月25日). 2024年1月23日閲覧。
- ^ 江口一雄氏が死去 77歳 千葉日報ウェブ ちばとぴ 2014年11月28日
- ^ 2014年12月25日官報
関連項目
[編集]議会 | ||
---|---|---|
先代 木村義雄 |
衆議院建設委員長 1999年 - 2000年 |
次代 遠藤武彦 |