「大正 (八尾市)」の版間の差分
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*1964年4月1日に松原市若林地区の一部を編入。編入当時はわずか42世帯、人口207人の農村地帯であった。 |
*1964年4月1日に松原市若林地区の一部を編入。編入当時はわずか42世帯、人口207人の農村地帯であった。 |
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**1980年に[[Osaka Metro谷町線|地下鉄谷町線]]が若林地区まで延伸、[[八尾南駅]]が開設される。 |
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**1987年に河内地下道は治水対策用の地下貯水池に転用され、道路は地上に切り替えられた。 |
**1987年に河内地下道は治水対策用の地下貯水池に転用され、道路は地上に切り替えられた。 |
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[[ファイル:大阪市営地下鉄八尾南駅01.jpg|thumb|right|地下鉄八尾南駅<br />{{Small|(若林町1-59)}}]] |
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(若林町1 - 3丁目) |
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*八尾南遺跡 |
*八尾南遺跡 |
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*:八尾南駅建設にあたり発掘調査され、竪穴式住居や水田跡など縄文時代から鎌倉時代にかけての長期にわたる遺構が確認された。 |
*:八尾南駅建設にあたり発掘調査され、竪穴式住居や水田跡など縄文時代から鎌倉時代にかけての長期にわたる遺構が確認された。 |
2020年3月23日 (月) 11:36時点における版
大正 たいしょう | |
---|---|
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
自治体 | 八尾市 |
旧自治体 | 大正村 |
面積 |
4.12km² |
世帯数 |
8,587世帯 |
総人口 |
21,481人 (住民基本台帳人口及び外国人登録人口、2011年12月31日現在) |
人口密度 |
5,213.83人/km² |
八尾市役所大正出張所 | |
北緯34度35分33.81秒 東経135度35分16.96秒 / 北緯34.5927250度 東経135.5880444度座標: 北緯34度35分33.81秒 東経135度35分16.96秒 / 北緯34.5927250度 東経135.5880444度 | |
所在地 |
〒581-0037 大阪府八尾市太田3丁目172番地 |
八尾市の南西部に位置し、八尾市制施行前の大正村であった地域である。当時の自治体としての名称を「大正」の年号に因んで付けられたのであり、大正という地名は過去も現在も存在しない。新住所表記では、木の本、西木の本、北木の本、南木の本、大字木本、太田、太田新町、沼、空港の各地域に該当する。
ここでは便宜上松原市から分割して編入した地域である若林町も含めて記載する。
歴史・概要
たいしょうむら 大正村 | |
---|---|
廃止日 | 1948年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 八尾町、龍華町、久宝寺村、大正村、西郡村 → 八尾市 |
現在の自治体 | 八尾市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
郡 | 中河内郡 |
総人口 |
5,895人 (臨時国勢調査、1947年) |
隣接自治体 |
中河内郡龍華町、柏原町、長吉村、恵我村 南河内郡藤井寺町、道明寺村、志紀村 |
大正村役場 | |
所在地 | 大阪府中河内郡大正村 |
特記事項 | 村域には現在の若林町は含まない。 |
ウィキプロジェクト |
おおたむら 太田村 | |
---|---|
廃止日 | 1913年5月1日 |
廃止理由 |
編入合併 中河内郡三木本村、南河内郡太田村 → 中河内郡三木本村 |
現在の自治体 | 八尾市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
郡 | 南河内郡 |
隣接自治体 |
南河内郡志紀村、柏原村、道明寺村、小山村 中河内郡三木本村、恵我村 |
太田村役場 | |
所在地 | 大阪府南河内郡太田村大字太田 |
ウィキプロジェクト |
近代以前
飛鳥時代以前、この地は物部氏の勢力範囲であり、厩戸皇子軍との戦いにおいて物部守屋が(現在の南木の本に)稲城に陣を置いて抵抗したと伝わる。
律令制制定以降は河内国丹北郡と志紀郡とが接する地域となり、太田村は双方に存在した。また、もとは一つの村だった木本村も分村して丹北郡と志紀郡にまたがるようになった。
(日本 > 畿内 > 河内国 > 丹北郡 > 木本村、太田村、若林村)
(日本 > 畿内 > 河内国 > 志紀郡 > 北木本村、南木本村、太田村、沼村)
- 1704年の大和川付け替えで若林村が二分される。集落の集中する南側と田畑の多い北側に分断され、川を越えての耕作を余儀なくされる。一部の人々は北側へ住居を移した。川の北側はのちに恵我村、松原市を経て八尾市に編入される地域となる。
近代以降
(日本 > 大阪府 > 中河内郡 > 三木本村→大正村)
(日本 > 大阪府 > 南河内郡 > 太田村)
- 1889年4月1日の市町村制施行に伴い、木本村、北木本村、南木本村が合併して三木本村(みきもとむら)が成立。
- 1948年4月1日に八尾町・龍華町・久宝寺村・西郡村・大正村の2町3村が合併、市制を施行し八尾市となり、中河内郡を離脱。
八尾市制施行以降
- 1964年4月1日に松原市若林地区の一部を編入。編入当時はわずか42世帯、人口207人の農村地帯であった。
地理
前述の通り、八尾市の南西部に位置する。地域の西側は大阪市平野区の長吉六反地区と接する。南側は大和川が流れる。地域内に八尾空港があり、広大な面積を占め、地域を南北に分断している。
地域全体にわたってほぼ平坦であり、かつては大雨が降ると洪水等でたびたび浸水した。地域を流れる小河川の拡張・掘り込みを行うなど治水対策がされている。
河川
交通
地域を南北に旧大阪中央環状線が通っており、現在も八尾市と藤井寺市を結ぶ幹線道路として機能している。かつては「八尾藤井寺線」と呼ばれ、木本から太田へ直進していたが、前述の通り八尾空港で分断されて現在は西へ迂回している。なお、本道に沿って路線バスが通っており、近鉄八尾駅と藤井寺駅を結んでいる。便数は比較的多い。少し西側の大阪市内を大阪中央環状線が通り、地域東側・沼地区の端を大阪外環状線(国道170号線)が通っている。道路交通の便は悪くない。
主な道路
鉄道
バス
- 近鉄バス 八尾線(近鉄八尾 - 藤井寺
、八尾南駅 - 沼・太田循環)・久宝寺線(JR久宝寺駅 - 八尾南駅)
地域
八尾市旧村境界概略地図 |
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地図で示されている地域のうち、カラーで塗られている部分が若林地区を含む旧大正村の地域。各々の地区名は旧村名(大字名)を示す。 注:表示環境により文字の位置がずれることがあります。 |
木ノ本、西木ノ本、北木ノ本、南木ノ本、大字木本
かつて一つの村だったのが三つに分村し、二つの郡にまたがって三つの木本村が存在した地域である。地域内に樟本神社が三座あり、それぞれの村に一座ずつ鎮座している。現在は大正地域の中では最もにぎわっている地域である。
主な施設、旧跡
(木ノ本1 - 3丁目)
- 樟本神社(木本)
(西木ノ本1 - 4丁目)
- 八尾市立大正中学校
- 八尾市立大正北小学校
- 八尾木の本郵便局
(北木ノ本1 - 5丁目)
- 樟本神社(北木本)
- 関西電力老原変電所
(南木ノ本1 - 9丁目)
(大字木本)
若林町
前述のとおり、大和川付け替えにより南北に分割された丹北郡若林村の北側だった地域である。南側と北側は橋梁で直接結ばれておらず、松原市とは村の中以外で経済的な結びつきもなく不便だったため、松原市から分離して八尾市と合併することを選択した。
合併当時は寒村であったが、1980年に地下鉄が延伸開業して公共交通の便が向上。企業団地が設置されて企業が誘致された。
しかし駅前まで企業が立地し、商店街の類は見あたらない。
主な施設、旧跡
(若林町1 - 3丁目)
- 地下鉄谷町線 八尾南駅
- 八尾南遺跡
- 八尾南駅建設にあたり発掘調査され、竪穴式住居や水田跡など縄文時代から鎌倉時代にかけての長期にわたる遺構が確認された。
- サカエ八尾南駅前店
- ミキハウス本社
- パトライト(旧本社)
- 大阪印刷団地
- 大阪菓子団地
- 大阪シティ信用金庫八尾南支店
太田、太田新町、沼
かつての中河内郡太田村だった一帯であり、八尾空港の南に位置する。
主な施設、旧跡
(太田1 - 9丁目)
- 八尾市役所大正出張所・大正コミュニティセンター
- 八尾市立大正小学校
- 八尾太田郵便局
(太田新町1 - 9丁目)
(沼1 - 4丁目)
空港
地域のほとんどが八尾空港とその関連施設であるが、北側に若干工場地がある。
主な施設、旧跡
(空港1,2丁目)
- 八尾空港
- 大阪府中部広域防災拠点