「田代まさし」の版間の差分
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『[[弾丸!ヒーローズ|HAMADA COMPANY]]』の最後の出演から間もない2001年(平成13年)[[12月9日]]、田代は近所の男性宅風呂を覗いたとして、[[軽犯罪法]]違反容疑で[[逮捕#現行犯逮捕|現行犯逮捕]]された<ref name="hanzai" />。さらに自宅から[[覚醒剤]]が発見され、[[覚 |
『[[弾丸!ヒーローズ|HAMADA COMPANY]]』の最後の出演から間もない2001年(平成13年)[[12月9日]]、田代は近所の男性宅風呂を覗いたとして、[[軽犯罪法]]違反容疑で[[逮捕#現行犯逮捕|現行犯逮捕]]された<ref name="hanzai" />。さらに自宅から[[覚醒剤]]が発見され、[[覚醒剤取締法]]違反容疑(使用・所持)で[[12月11日]]、再逮捕された<ref name="hanzai" />。これを受け、当時田代の所属していた[[ジャパン・ミュージックエンターテインメント|エムティエムプロダクション]]は同年[[12月11日]]付で田代を契約解除した。 |
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これを受け、芸能界復帰に手助けした志村けんは、「あいつは最低な事をしたのだから芸能界から消えてもらいたい」とコメントした。[[2002年]](平成14年)1月に放送された『[[新春かくし芸大会]]』や『志村けんのバカ殿様』の収録にも参加していたが、逮捕後の放送のため田代の収録分は全てカットされ[[お蔵入り]]となった。[[フジテレビジョン|フジテレビ]]側も「今後の彼の出演は考えられない」と語った。また、これらの[[不祥事]]が[[2ちゃんねる]]で話題となり、一時的に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の『[[タイム (雑誌)|タイム]]』誌の[[パーソン・オブ・ザ・イヤー]]に選ばれる「[[田代祭]]」と呼ばれる騒動も起きた(最終的には、田代はパーソン・オブ・ザ・イヤーの対象外となっている)。 |
これを受け、芸能界復帰に手助けした志村けんは、「あいつは最低な事をしたのだから芸能界から消えてもらいたい」とコメントした。[[2002年]](平成14年)1月に放送された『[[新春かくし芸大会]]』や『志村けんのバカ殿様』の収録にも参加していたが、逮捕後の放送のため田代の収録分は全てカットされ[[お蔵入り]]となった。[[フジテレビジョン|フジテレビ]]側も「今後の彼の出演は考えられない」と語った。また、これらの[[不祥事]]が[[2ちゃんねる]]で話題となり、一時的に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の『[[タイム (雑誌)|タイム]]』誌の[[パーソン・オブ・ザ・イヤー]]に選ばれる「[[田代祭]]」と呼ばれる騒動も起きた(最終的には、田代はパーソン・オブ・ザ・イヤーの対象外となっている)。 |
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[[2010年]](平成22年)[[9月16日]]午前2時10分頃、[[神奈川県]][[横浜市]][[中区 (横浜市)|中区]]新港1丁目[[横浜赤レンガ倉庫|赤レンガパーク]]の[[駐車場]]の身体障害者専用スペースに止めていた車両を[[アジア太平洋経済協力]][[2010年日本APEC|会議]](APEC)国際会議の応援警備に当たっていた[[福岡県警察|福岡県警察本部]]の[[警察官]]が発見。そこで[[職務質問]]を受けた際、[[コカイン]]をポリ袋に入れて所持していたことが発覚し、直ちに[[麻薬及び向精神薬取締法]]違反の容疑で[[神奈川県警察|神奈川県警]][[横浜水上警察署]]に現行犯逮捕(違法薬物での逮捕は3回目)された<ref name="hanzai" />。また、この際一緒にいた美容室経営者の女も覚醒剤を所持していたため、[[覚 |
[[2010年]](平成22年)[[9月16日]]午前2時10分頃、[[神奈川県]][[横浜市]][[中区 (横浜市)|中区]]新港1丁目[[横浜赤レンガ倉庫|赤レンガパーク]]の[[駐車場]]の身体障害者専用スペースに止めていた車両を[[アジア太平洋経済協力]][[2010年日本APEC|会議]](APEC)国際会議の応援警備に当たっていた[[福岡県警察|福岡県警察本部]]の[[警察官]]が発見。そこで[[職務質問]]を受けた際、[[コカイン]]をポリ袋に入れて所持していたことが発覚し、直ちに[[麻薬及び向精神薬取締法]]違反の容疑で[[神奈川県警察|神奈川県警]][[横浜水上警察署]]に現行犯逮捕(違法薬物での逮捕は3回目)された<ref name="hanzai" />。また、この際一緒にいた美容室経営者の女も覚醒剤を所持していたため、[[覚醒剤取締法]]違反の容疑で逮捕された<ref name="hanzai" /><ref>[http://web.archive.org/web/20110523105719/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110118/crm11011816380185-n1.htm 田代まさし容疑者、コカイン所持でまたまた逮捕](産経新聞、2010年9月16日)。2011年5月23日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]。</ref>。さらに、女のポーチや女性の自宅に覚醒剤、コカイン、大麻を隠し持っていたとして、同年[[10月14日]]に覚せい剤取締法違反(共同所持)の容疑などで2人とも[[逮捕#再逮捕|再逮捕]]された<ref name="hanzai" /><ref>[http://web.archive.org/web/20101018055621/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101014-OYT1T00623.htm 「気の弱さから使った」田代まさし被告ら再逮捕](読売新聞、2010年10月14日)。2010年10月18日時点のアーカイブ。</ref>。 |
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===== 逮捕までの経緯 ===== |
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==== メディアへの出演 ==== |
==== メディアへの出演 ==== |
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[[2016年]](平成28年)2月、[[清原和博]]が[[覚 |
[[2016年]](平成28年)2月、[[清原和博]]が[[覚醒剤取締法]]違反で逮捕されたことを受け、NHK『[[ニュースウオッチ9]]』や民放テレビの報道番組に久しぶりに出演。自身が回復途上であることを前置きした上で、止めたいと思う心と相反する身体の快楽欲求との闘いの日々の体験を激白し、薬物依存の恐ろしさと更生の困難さについて語った<ref>[http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160204/enn1602041530018-n1.htm 田代まさしNHK出演 容姿&口調にネット騒然 薬物依存の怖さ激白](ZAKZAK、2016年2月4日)</ref><ref>[http://www.sanspo.com/geino/news/20160204/geo16020418560032-n1.html 田代まさし氏「かつての自分見てるよう」 清原容疑者逮捕で薬物の怖さ訴える] (サンスポ、2016年2月4日)</ref>。「芸能人専用のDARCを作りたい」という意欲も示しているが、一方で「オレみたいに『クスリを目の前に出されたら、断る自信がない』って正直に言えなくて、みんな『大丈夫』って言うじゃないか。それが一番危ないんだよ。あと、売人も集まってくるから、日本じゃできないかもね」などと現実的に設立するには厳しい状況である事も吐露している<ref name="NIGHT"/>。本人によると、2018年時点での月収は「約13~14万」であり、「8時に起床、9時にDARCに出勤、20時には帰宅・就寝」という生活を送っていた<ref name="NIGHT"/>。 |
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2016年3月、田代まさし名義で[[iTunes Store]]から「リハビリマーシー(feat. [[D.O]], [[漢 (ミュージシャン)|漢 a.k.a. GAMI]], RYKEY)」が配信された。楽曲に参加している漢が代表を務める[[漢 (ミュージシャン) #鎖グループ|9sari group]]の[[YouTube]]公式チャンネルに、リハビリマーシーのミュージックビデオを含む映像「9SARI HEAD LINE #番外編VOL.4『田代まさしが心配して9sari スタジオに来た!』」が公開された<ref>{{Cite web|date=2016-03-04|url=http://cdn2.natalie.mu/music/news/178688|title=田代まさしが漢とラップバトル「リハビリマーシー」配信リリース|work=ナタリー|publisher=ナターシャ|accessdate=2016-04-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160420042728/http://cdn2.natalie.mu/music/news/178688|archivedate=2016-04-20}}</ref>。映像に登場する田代は[[B系ファッション]]で、楽曲は覚せい剤について[[ラップ (音楽)|ラップ]]をするフィーチャリングのラッパー達の問いに対し、田代が志村けんのギャグとしても知られる「だいじょうぶだぁ」と連呼し返答する内容となっている。 |
2016年3月、田代まさし名義で[[iTunes Store]]から「リハビリマーシー(feat. [[D.O]], [[漢 (ミュージシャン)|漢 a.k.a. GAMI]], RYKEY)」が配信された。楽曲に参加している漢が代表を務める[[漢 (ミュージシャン) #鎖グループ|9sari group]]の[[YouTube]]公式チャンネルに、リハビリマーシーのミュージックビデオを含む映像「9SARI HEAD LINE #番外編VOL.4『田代まさしが心配して9sari スタジオに来た!』」が公開された<ref>{{Cite web|date=2016-03-04|url=http://cdn2.natalie.mu/music/news/178688|title=田代まさしが漢とラップバトル「リハビリマーシー」配信リリース|work=ナタリー|publisher=ナターシャ|accessdate=2016-04-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160420042728/http://cdn2.natalie.mu/music/news/178688|archivedate=2016-04-20}}</ref>。映像に登場する田代は[[B系ファッション]]で、楽曲は覚せい剤について[[ラップ (音楽)|ラップ]]をするフィーチャリングのラッパー達の問いに対し、田代が志村けんのギャグとしても知られる「だいじょうぶだぁ」と連呼し返答する内容となっている。 |
2020年4月22日 (水) 08:24時点における版
たしろ まさし 田代まさし | |
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本名 | 田代 政(たしろ まさし) |
別名義 |
マーシー 田代 マサシ |
生年月日 | 1956年8月31日(68歳) |
出生地 | 日本 佐賀県唐津市 |
出身地 | 日本 東京都新宿区 |
国籍 | 日本 |
民族 | 日本人 |
身長 | 172 cm |
血液型 | A型 |
職業 |
歌手、タレント、コメディアン、司会者 映画監督、作詞家 ユーチューバー |
ジャンル |
テレビ番組、テレビドラマ Vシネマ |
活動期間 |
1980年 - 2001年(地上波) 2002年、2008年 - 2010年、2015年 - 2019年(地上波以外) |
活動内容 |
1980年:鈴木雅之らとシャネルズ(後のラッツ&スター)を結成 1986年:志村けんに見出され、芸能活動を開始 2001年:前年の不祥事で逮捕され、芸能活動を引退 2002年:Vシネマ監督で復帰 2004年:再び不祥事で逮捕 2008年:インターネット上などで芸能活動を再開 2010年:再び不祥事で逮捕 2015年:薬物依存リハビリ施設「ダルク」のスタッフとして講演活動を開始 2019年:覚醒剤使用で再逮捕 |
配偶者 | 独身(2005年に元夫人と獄中離婚) |
主な作品 | |
バラエティ 『志村けんのバカ殿様』 『志村けんのだいじょうぶだぁ』 テレビドラマ 『熱っぽいの!』 『季節はずれの海岸物語』 テレビコマーシャル メガネスーパー 森永製菓 著作 『田代まさしの道徳読本』 『自爆 -THE JUDGEMENT DAY』 映像 『四国やくざ・戦場の主役たち2』 |
田代 まさし(たしろ まさし、1956年(昭和31年)8月31日 - )は日本の歌手、タレント、コメディアン、司会者、映画監督、作詞家、ユーチューバー。ラッツ&スターのメンバー[1]。
来歴
1990年代まで
デビューまで
指定暴力団の住吉会元総裁だった西口茂男を母方の叔父に持つ(叔母(実母の妹)の夫)[2][3]家庭で育つ。1972年(昭和47年)4月に芝浦工業大学工業高等学校機械科入学。同年の11月には早くも自動二輪運転免許を取得、オートバイにも乗るようになる。高校入学直後、同校で田代以上の不良だった鈴木雅之と出会う[4]。
ソウルミュージック好きだった田代と鈴木はすぐに仲良くなり、相変わらず父との生活になじめなかった田代は鈴木の家によく遊びに行き、鈴木の母からも家族同然にかわいがられていたという。高校生になってからも中学生時代からの素行不良は変わらず、ケンカ、暴走族、ディスコ、ナンパに明け暮れ、傷害事件で警察に留置されたこともあった。一方鈴木は、高校在学中に映画『レッツ・ザ・グッド・タイム・ロール』に登場するドゥーワップに刺激され、ドゥーワップグループ結成を決意。その後高校を中退、父の工場で働く傍らコーラスやダンスの練習を重ね、田代も加わる。当時はまだプロになるという考えはなかった[5]。
1975年(昭和50年)3月、高校卒業。この時期から田代は車に凝りだし、サニー、グロリア、カマロ、フォード、プレリュード、ベンツなど、次々と車を乗り換える。同年の6月、父と大喧嘩をして家を飛び出す。その後シャネルズのメンバー・久保木博之の誘いで同じガソリンスタンドに就職し、会社の寮で暮らす事になる。この頃に大型自動車免許を取得し、3年後の1978年(昭和53年)にトラックの運転手に転職。シャネルズデビュー後もしばらく運転手を続けていた。この頃、眠気覚ましという名目で先輩トラック運転手から覚醒剤を勧められたと明かしている[6]。しかしものが悪かったのか、あまり効果はなかったという。
シャネルズ ~ ラッツ&スター
1980年(昭和55年)、鈴木雅之や桑野信義らと共に、ドゥーワップグループの「シャネルズ」の一員としてメジャーデビュー。デビューシングル『ランナウェイ』が110万枚のミリオンセラーに[4]。しかし同年7月、メンバー10人のうち5人(久保木・桑野・新保・山崎・須川)が埼玉県青少年保護育成条例違反(わいせつ行為)の疑いで書類送検され、シャネルズは半年間謹慎する。
その後フランスの高級ブランド、シャネルから物言いがついたことで(化粧品会社のCMソングを担当することになり、シャネルズというグループ名を使うことが不適切になったためという説あり)、1983年(昭和58年)に同グループが「ラッツ&スター」と改称された。その後も多数のヒット曲に関わり、『ザ・ベストテン』などの歌謡番組を通じ日本のお茶の間のお馴染みの顔となる。また、ソロデビューとしてシングル『新島の伝説』をリリースし[7]、作詞家としても小泉今日子の楽曲を手がけるなどの活動を行う。1985年(昭和60年)4月、一般女性と結婚した。
ダジャレの帝王
その後、志村けんにそのお笑いセンスを見出され、1986年(昭和61年)頃からタレント、コメディアンとしても活動開始(当初は本名の「田代政」名義であったが、ほどなくして「まさし」に変更した)。その独自のお笑いセンスから「ダジャレの帝王」、「ギャグの王様」、「小道具の天才」と呼ばれ、レギュラー番組を何本も持ち、大企業のテレビCMに何本も出演するなど人気を博した[4]。
さらには、自伝やダジャレ語録などの著作本出版や、自らの名を冠したファミコン用ゲームソフト『田代まさしのプリンセスがいっぱい』の発売、原宿竹下通りの「マーシーズ」や清里高原へのタレントショップの開店、また映画監督としてVシネマの撮影を行うなど多彩に活躍。しかし順風満帆な人生とは裏腹に、田代自身は仕事に対し、日々プレッシャーを感じ精神を摩り減らしていたという[6]。
2000年代
2000年の迷惑防止条例違反
2000年(平成12年)9月24日に東急東横線都立大学駅構内において帽子、サングラス、マスクという姿で、女性の下着を盗撮しようとしている様子を目撃者から通報され、不審人物として警察が任意同行し事情聴取、東京都迷惑防止条例違反で書類送検された[4]。この事件に触れるメディアが全くないことを疑問に思った通報者が各媒体に連絡を入れ徐々に公になる。田代によると、この時にはまだ覚醒剤を使用していなかったと後ほどインタビューで語っているが[8]、著書『審判』では1991年(平成3年)に家族旅行でハワイに行った際に覚醒剤を購入し、その時に初めて使用したと語っている。同年10月4日に事件が発覚、テレビリポーターに盗撮した理由を聞かれ「『ミニにタコができる』というタイトルのギャグ映像を作ろうとしていた」と苦しい弁明をしてバッシングされた[4]。「耳に胼胝(たこ)ができる」という慣用表現とかけたシャレで、この時、事務所から「ギャグにしよう」と言われて考えたら、かえってバッシングを受け裏目に出たと後に語っている[8]。なお、田代自身は事務所からこの提案をされた際は決して乗り気では無かったという[9]。同年12月14日に東京簡裁から「罰金5万円」の略式命令が下り、一時芸能活動を休止した。
その後、志村けんらが田代の芸能活動復帰を働きかけ、翌年2001年(平成13年)7月頃に『ダウンタウンDX』、『めちゃ×2イケてるッ!』、『ぐるぐるナインティナイン』、『明石家マンション物語』等のテレビ番組、『志村けんのバカ殿様』等に出演し復帰した。また『HAMADA COMPANY 弾丸ヒーローズ』では、番組レギュラーを目指し出発点の東京から沖縄まで目撃されずにゴールするという企画に挑戦。結果的には滞在先の京都にて写真100枚を撮られ失敗に終わったが、その後も連続してゴールデンタイムの番組に度々登場するようになった。
2001年の逮捕
『HAMADA COMPANY』の最後の出演から間もない2001年(平成13年)12月9日、田代は近所の男性宅風呂を覗いたとして、軽犯罪法違反容疑で現行犯逮捕された[4]。さらに自宅から覚醒剤が発見され、覚醒剤取締法違反容疑(使用・所持)で12月11日、再逮捕された[4]。これを受け、当時田代の所属していたエムティエムプロダクションは同年12月11日付で田代を契約解除した。
これを受け、芸能界復帰に手助けした志村けんは、「あいつは最低な事をしたのだから芸能界から消えてもらいたい」とコメントした。2002年(平成14年)1月に放送された『新春かくし芸大会』や『志村けんのバカ殿様』の収録にも参加していたが、逮捕後の放送のため田代の収録分は全てカットされお蔵入りとなった。フジテレビ側も「今後の彼の出演は考えられない」と語った。また、これらの不祥事が2ちゃんねるで話題となり、一時的にアメリカの『タイム』誌のパーソン・オブ・ザ・イヤーに選ばれる「田代祭」と呼ばれる騒動も起きた(最終的には、田代はパーソン・オブ・ザ・イヤーの対象外となっている)。
この事件の公判で裁判長から職業を質問された際に「元タレント」と答えたことから、その後「元タレント」とテレビなどで表記される様になった。また、シャネルズ、ラッツ&スター時代も含めた田代の過去のVTRや写真が地上波で放送・公開が極めて難しくなり、田代のVTRや写真などがテレビで放送される際、田代の音声が薄らかであるか全体を修正されたり、顔を隠されたり、身体の一部しか映らない程度の映像になることが多くなった[注釈 1]。また、CSの有料チャンネルなどでは、過去の出演作品がそのまま放送されていたが、これらも終了となっている[注釈 2]。なお、田代は後日、お蔵入りになった番組など8,000万円の損害賠償請求をされ、7年経過した2009年(平成21年)になっても返済していることを公表した[10]。なお、後年になって田代は、この8000万円という賠償額に関して「事務所との折半でこの金額だった」と語っている[11]。
2002年(平成14年)3月、裁判で懲役2年執行猶予3年の判決を受けた。その後はVシネマ監督として復帰、『鯨道』シリーズなどを手がける。また2003年(平成15年)正月には『サンデージャポン』にVTR出演。2004年(平成16年)春頃にはテレビ界復帰も検討されたが、同年6月16日深夜午前1時頃、杉並区梅里を運転中に青梅街道の「転回禁止」の場所でUターンしてオートバイに乗った男子学生に衝突し大ケガをさせる人身事故を起こし、業務上過失傷害と道路交通法違反容疑で書類送検された[12]。これにより復帰が白紙に戻る。この件で鈴木雅之が田代の代わりに謝罪している。
2004年の逮捕
上記の執行猶予中の2004年(平成16年)9月20日夜に中野区新井の路上で車を駐車中、再び覚醒剤及び刃渡り8cmのバタフライナイフを所持していたとして、銃刀法違反と覚せい剤取締法違反(2度目)で現行犯逮捕された[4][13]。野方警察署に留置された田代は取り調べの時、何度も嘔吐や気絶を繰り返し、病院へ担架で運ばれ点滴を打つという事態にまで至る[14]。本気で自殺を考えた田代だったが、夢枕に立った母親に止められたという[14]。鈴木邦男によれば、田代に薬を打たれたとされる交際女性は「いやだったけど、でも嫌われたくなくて」と涙ながらに証言したという[15]。
本人は「芸能活動において日頃かなりのプレッシャーを感じていた故に犯行に及んだ[8]」「盗撮事件後、家族関係が悪くなりヤケになってしまった[16]」と弁明。また裁判所の法廷で裁判官から「(もともと)タレントに向いてないのでは?」との問いかけに「そう思います」と小さく答えた。なお、テレビ出演時に眼鏡やサングラスをしていることが多かったが、実際は伊達眼鏡で眼鏡なしではテレビに出演できないほどのあがり症だと『徹子の部屋』で話したことがある[注釈 3]。
2005年(平成17年)2月7日、東京地裁で開かれた判決公判で執行猶予中の再犯のため等で、懲役3年6か月の実刑判決が下され[4]、同年3月16日付で東京高裁への控訴を取り下げ刑が確定[17]。精神的に不安定なため、服役中に睡眠薬や精神安定剤を服用していた。収監中、田代は障害者や老人、元政治家などが作業する工場で刑務作業に従事していたが、周りに障害者が多かったため与えられた作業が単純なものになってしまい辛かったと語っている[18]。
自らも大麻で2度の逮捕歴がある美川憲一は「(刑務所から)出てきたら私のところに来てちょうだい。付き人でも何でもさせて一から叩き直してやるわよ」と述べた後、「立ち直って欲しいの、お願いだから…」と泣き崩れていた。収監前から既に妻子とは別居状態にあったが、服役中に正式に離婚[19]。
栃木県の黒羽刑務所に収監されていた田代は、刑期から未決勾留日数が引かれ、2008年(平成20年)6月26日に満期出所した[19][20]。仮釈放がつかなかったのは、身元引受人がいなかったためという[19]。7月16日、阿佐ヶ谷ロフトAにて、雑誌『創』篠田博之編集長主催のトークイベントに出演した[21]。その場の記者会見では一部ろれつが回らないなど、心身ともに衰弱している様子が見受けられ、田代自身、不眠で医師の処方を受けていることを打ち明けている。この出所以降、公の場に出る際は常に帽子を着用するようになった。
活動再開
2008年(平成20年)10月に公式サイトおよび公式ブログを開始。トップページの画像には「神降臨」の文字が記載される[22]。インターネットにおいて話題となり、100万を超えるアクセス数を記録した。
趣味の格闘技観戦を重ね、昔の伝でお笑いライブの司会を務めたり、2009年(平成21年)3月からは動画共有サイト・zoomeで冠番組『田代まさしのお久しブリーフ』を持ったり、またニコニコ生放送において長時間のトークを行うなど[23]、テレビや音楽活動といったかつての表舞台ではないものの、「リハビリ」として段階的に芸能活動を再開させた。また旧知の仲でラッツ&スターのリーダーである鈴木も田代の復帰手助けを自身のイベント内で約束するなどの支援を行っていった。
2009年(平成21年)3月18日にインターネット配信された『田代まさしのお久しブリーフ』第1回では、過去の事件について頭を下げて謝罪するとともに、「ありがたいことに色々なところからお仕事を頂いたり、ブブカやゲームラボの連載を頂いたり、ちょくちょくライブなどに顔を出したりしている。芸能界的なお仕事もそうだが、ちゃんとした仕事もしていきたい」と近況や自身の今後についての胸の内を明かした。
2009年(平成21年)6月に発売されたニポポのアルバムには、そのうちの2曲に田代がボーカルとして関わり、そのうちの1曲は作曲まで行うことも報じられている[24]。さらに同年7月からは、ケーブルテレビ・CS放送のチャンネルであるMONDO21にて、活動再開後初のテレビ番組である『田代まさしのいらっしゃいマーシー』が放送され[25]。
2009年(平成21年)9月24日、公式ブログ上で、冠番組『田代まさしのお久しブリーフ』の放送終了を報告とともに「リハビリ完了」を宣言した。同年11月2日、志村けんが自身のブログ上にて楽屋に田代が訪れて土下座された事を報告し、同エントリーに田代へのエールを綴った。更に同5日の田代のブログには志村とツーショットの写真がアップロードされ、両エントリーには500件以上のコメントが寄せられた。この頃、テレビの取材などで、薬物検査を受けて結果が陰性だったことを公表したり、記者から「もう薬をやりたいとは思わない?」と質問された際には「全然思わない。目の前に出されてもすぐ捨てられる」と語るなど、完全に薬物から決別したように見えた。
2010年代
2010年の逮捕
2010年(平成22年)9月16日午前2時10分頃、神奈川県横浜市中区新港1丁目赤レンガパークの駐車場の身体障害者専用スペースに止めていた車両をアジア太平洋経済協力会議(APEC)国際会議の応援警備に当たっていた福岡県警察本部の警察官が発見。そこで職務質問を受けた際、コカインをポリ袋に入れて所持していたことが発覚し、直ちに麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で神奈川県警横浜水上警察署に現行犯逮捕(違法薬物での逮捕は3回目)された[4]。また、この際一緒にいた美容室経営者の女も覚醒剤を所持していたため、覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕された[4][26]。さらに、女のポーチや女性の自宅に覚醒剤、コカイン、大麻を隠し持っていたとして、同年10月14日に覚せい剤取締法違反(共同所持)の容疑などで2人とも再逮捕された[4][27]。
逮捕までの経緯
田代はこの逮捕前の2010年(平成22年)5月に胆石の手術を行った頃から急激に痩せだし、夏頃には頬がこけるまで激痩せしていた。田代は出版プロデューサーの高須基仁からこの事について問われると「体力をつけて仕事を頑張るためにジムに通ってダイエットしている」と答えたが、2010年(平成22年)8月に札幌で行われた地下格闘技大会でMCを務めた時には、ろれつが回らない上に手の震えも止まらず、選手の名前を忘れたりと明らかに集中力を欠いていた。これらの事を不審に思った高須から「まだ薬物をやっているのか?」とその場で問い詰められたが、「やってません」と否定したという[28]。
またこの頃から、出演するラジオ番組にも「(田代が)何を喋っているのか全然わからない」とリスナーからの苦情が相次いでいた[28]。逮捕前日にはテリー伊藤からも数々の挙動不審を問い質され、「まだ薬をやっているの?」と聞かれ否定こそしたものの、高須から薬物使用の事を問い詰められた時と同じく、テリーに視線を合わせようとしなかった[29]。一部の関係者からは逮捕前から薬物再使用の疑いを持たれていた。8月12日にインタビューを受けた際、薬物をやっていないことを証明するため薬物検査報告書をインタビュアーに見せたが実際には5月に受けたものであった。この逮捕の際のげっそりとやつれた姿が大きく報道され世間に衝撃を与えた[4]。
関係者の反応
鈴木雅之は、「本当に何と言っていいか言葉になりません。あれだけ多くの人に迷惑をかけたのだから、そのことを肝に銘じて生きてほしかったです。本当にあいつは大馬鹿です」と落胆と無念の思いを込めたコメントを発表している[30]。桑野信義は「先輩、初めて呼び捨てにします」とだけコメントし、土下座された志村けんは一切言及することはなかった[31]。
また、田代の芸能界復帰を積極的に支援してきた南部虎弾は「心が痛い」「仲間が復帰を支援する事より、薬の方が魅力的だったんでしょうか」と悲痛な面持ちを浮かべ、「(今回の逮捕で)残念ですけど終わりですね。復帰なんてもうない」と突き放し[32]、逮捕の前日に会っていたテリー伊藤も「本当に、本当に、本当に、頭にきちゃう」とコメントを残している。なお、2度目の逮捕を知って涙ながらに叱咤激励のコメントを述べていた美川憲一も「(前回は泣いたが)今なんて涙も出ないわよ」「同情はもうできない」とコメントし、田代を完全に見限っている[33]。他にも様々な芸能人が落胆と無念のコメントを残している[29]。また、南部の呼びかけで始めた「田代 中村 南部 アクアちゃん[注釈 4]」(レインボータウンFM)も田代の逮捕を受けて同月終了した。なお、この番組は田代の芸能界復帰支援を目的に開始されたため、番組終了まで出演者は全員ノーギャラだった。
裁判
2011年(平成23年)7月1日、横浜地裁で開かれた判決公判で薬物の常習性が顕著であることなどをおもな理由とし、懲役3年6か月の実刑判決が下され、同年7月15日付で東京高裁への控訴を取り下げたため刑が確定し府中刑務所に収監された[4][34]。公判では、シャネルズのデビュー30周年記念イベントの出演依頼があったもののレコード会社より前科を理由に出演を断られたことによるショックと、2010年(平成22年)3月の握手会で薬物の密売人から連絡先のメモを渡された時期が重なったことから、交際相手の被告人を通じ密売人から入手していたことを語っている[35]。2014年(平成26年)7月2日に仮釈放され[36]、2015年(平成27年)2月20日、4年6ヶ月ぶりに自身のブログを更新して、民間の薬物依存リハビリ施設「ダルク」のプログラムを受けていることを報告、謝罪の言葉を書き込むと共に「また、みなさんの前に姿をあらわす機会もあるかと思いますがよろしくお願い致します!」と心境を綴った[37]。
2015年(平成27年)3月18日には阿佐ヶ谷ロフトAで会見を開き、更には6年ぶりの著書『マーシーの薬物リハビリ日記』の発売イベントも行った。逮捕前に見られた激やせ姿から健康的な姿になり、「ダルク」での活動を詳細に語ったが、「回復したら復帰というのはない」、「本意ではない」と芸能界復帰は否定している。「ダルク」ではスタッフとして勤務し、「芸能人専用のダルクを作りたい」と語っている。また、同じく覚せい剤取締法違反などで有罪判決を受けたASKAに会っていたことも明かした[38]。
薬物中毒者への復帰支援活動
芸能人でなくDARCスタッフとして社会的な活動を再開。薬物中毒者への講演を主体とした活動に移行した。以前と変わって心理的な余裕も生まれ、田代の名を無断使用した盗撮ビデオメーカーに対し「やかましいわ!一回俺にお伺いを立てろ!」と切り返す度量を見せた[39]。依然芸能活動については難しいとの見方を崩していないが、ラッツ&スターにだけは何年かかっても復帰したい旨を強く述べている[40]。2015年(平成27年)5月3日、バイカーイベント「九州魂」に出席し、チャリティーに協力。7月1日、「社会を明るくする運動中央推進委員会」が主催の「立ち直りフォーラム」に出席。薬物依存の怖さやDARCの活動などを話す。同年7月3日からDARC職員として東北方面に出張し、薬物中毒者向けの講演を精力的にこなす。
2015年の迷惑防止条例違反
2015年7月6日、東急田園都市線二子玉川駅のホームで女性のスカートの中を盗撮しようとしたとして東京都迷惑防止条例容疑で書類送検され活動が途切れる[41][42]。『ラッツ&スター』の再結成構想があったが、この事件で計画はご破算になった[43]。東京簡裁から罰金30万円の略式命令を受け罰金を支払った[44]。同年9月から活動を再開し、いまだ「自らが立ち直り途上の身にある」としつつもDARCスタッフとしての邁進を誓った[45]。
メディアへの出演
2016年(平成28年)2月、清原和博が覚醒剤取締法違反で逮捕されたことを受け、NHK『ニュースウオッチ9』や民放テレビの報道番組に久しぶりに出演。自身が回復途上であることを前置きした上で、止めたいと思う心と相反する身体の快楽欲求との闘いの日々の体験を激白し、薬物依存の恐ろしさと更生の困難さについて語った[46][47]。「芸能人専用のDARCを作りたい」という意欲も示しているが、一方で「オレみたいに『クスリを目の前に出されたら、断る自信がない』って正直に言えなくて、みんな『大丈夫』って言うじゃないか。それが一番危ないんだよ。あと、売人も集まってくるから、日本じゃできないかもね」などと現実的に設立するには厳しい状況である事も吐露している[11]。本人によると、2018年時点での月収は「約13~14万」であり、「8時に起床、9時にDARCに出勤、20時には帰宅・就寝」という生活を送っていた[11]。
2016年3月、田代まさし名義でiTunes Storeから「リハビリマーシー(feat. D.O, 漢 a.k.a. GAMI, RYKEY)」が配信された。楽曲に参加している漢が代表を務める9sari groupのYouTube公式チャンネルに、リハビリマーシーのミュージックビデオを含む映像「9SARI HEAD LINE #番外編VOL.4『田代まさしが心配して9sari スタジオに来た!』」が公開された[48]。映像に登場する田代はB系ファッションで、楽曲は覚せい剤についてラップをするフィーチャリングのラッパー達の問いに対し、田代が志村けんのギャグとしても知られる「だいじょうぶだぁ」と連呼し返答する内容となっている。
2018年4月、2015年に亡くなった電撃ネットワークの三五十五(享年52)を偲ぶライブ『電撃クレイジーナイトスペシャルライブ!三五十五ゆかりの芸人達大集合』で南部の呼びかけによりステージに立った[注釈 5][49]。
2018年6月28日、地下アイドルグループ・THE BANANA MONKEYSの「今を生きろ。」のMVにゲスト出演し、その模様がTHE BANANA MONKEYSのYouTube公式チャンネル上にて公開された[50]。更に同年7月21日には田代自身が「やらかし先生」(テレビ朝日のバラエティ番組「しくじり先生 俺みたいになるな!!」のパロディ。当時は放送休止中だった)となって、THE BANANA MONKEYSのメンバーに対して「失敗を次に活かすための授業」を行う模様も同じくYouTube公式チャンネル上にて公開された[51][52]。この出演について、田代は自身のTwitterにて「ご縁がありまして、この度地下アイドルグループのTHE BANANA MONKEYSのMVに出ました。少し早いかなとも思いましたが、真剣に薬物の怖さを受け止めたいと言う情熱が彼女たちにもスタッフ達にも感じられたので引き受けました。」と経緯を説明している[53]。
2018年7月27日、田代が1980年代に展開していたブランド「マーシーズ」の復刻が決定し、同日からTシャツ通販サイト「TOD」において予約受付が開始される[54][55]。Tシャツはホワイト、ナチュラル、グレー、ブラックの4種類制作され、各カラー100枚限定で完全受注生産となる。
2018年10月29日、「スピードワゴンの月曜The NIGHT」(AbemaTV)にゲストで出演。報道番組ではない純粋なトーク(バラエティ)番組への出演は約10年ぶりであった。番組内では世間を騒がせた事件の真相や薬物の怖さ、過去の年収や現在の月収から気になる今後の展望について告白した他、小道具を使った小ネタや、バラエティ番組で活躍していた当時のギャグも披露していた。また小沢一敬から「今、目の前に薬物があったらどうする?」と質問された際に「完全に治っているわけじゃない。出されても大丈夫って言えるまで時間がかかるから。やらないですって今まで言わされていたんだよ。本当はやめられるかどうか自信なかった。でも、言わざるを得なかったのがひずみになっていく」と率直な思いを打ち明ける場面もあった[11]。このようにインターネットテレビ内ではあるもののトーク番組へ久々の出演を果たしたが、薬物事犯で複数回逮捕されている影響は大きく、民放のテレビ番組への出演は今後も厳しい状況にある[56]。
2019年7月4日・11日放送の『バリバラ〜障害者情報バラエティー〜』(NHK Eテレ)の「薬物依存症」をテーマとした回に出演し、"マーシー先生"として実体験を語る[57]。
Twitterで近況を発信する傍ら、2019年6月にYoutubeチャンネルを開設し、親交のあるミュージシャンである佐藤秀光(クールスのリーダー)とともに出演していた[58]。
2019年の逮捕
2019年11月初旬、宮城県塩竈市の宿泊施設並びに東京都杉並区の自宅マンション敷地内に於いてそれぞれ覚せい剤を所持していたとして、2件の覚せい剤取締法違反(3回目)の容疑で再び逮捕された(違法薬物としては4回目の逮捕)[59]。田代は塩竈市での一件については当初、「(塩竈は)自分のものではない」と述べて否認していたが[60]、後に認め[61]、尿検査も陽性を示したため、同月27日に覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで再逮捕された[62]。同日、自宅マンション敷地での覚醒剤所持について覚せい剤取締法違反(所持)罪で起訴される[62]。塩竈市での所持については不起訴となった[62]。28日、覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで送検[63]。12月6日、自宅での覚醒剤所持について覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで再逮捕された[64]。12月25日、11月6日に自宅で大麻と覚醒剤を所持したとして、覚せい剤取締法違反(所持)の罪と大麻取締法違反の罪で追起訴される[65]。同月、保釈[66]。2020年2月13日、覚せい剤取締法違反(所持、使用)と大麻取締法違反(所持)の罪での初公判が仙台地裁で行われ、田代は起訴内容を認めた[67]。検察側は懲役3年6月を求刑し、即日結審[67]。3月4日の判決公判で、懲役2年6月、うち懲役6月を保護観察付き執行猶予2年とする判決を受けたが[68]、判決を不服として控訴[69]。
田代の逮捕を受け、清原和博[70]や高知東生[71]からのコメントはあったものの、志村やラッツ&スターのメンバー等からのコメントは一切なかった。一方、逮捕直前まで田代を支援していた佐藤秀光は、今後も田代を見捨てないという姿勢を示している[72][73]。
2020年3月29日、タレントとしての田代を見出した志村が逝去。「志村さんより僕が逝くべきだった。」、「笑いに必要なこと、大切なことをたくさん教えていただいてありがとうございました。」と、Youtubeを通じて追悼した[74]。4月18日より、志村の所属事務所で関連番組の権利を保有しているイザワオフィスより、志村けんのだいじょうぶだぁの編集映像が広告収益を寄付する目的で期間限定でYouTubeにて公開されており、田代の出演シーンも多く含まれている。映像公開に当たり、イザワオフィスは、同作品が“諸事情”で公開できなくなっており、このまま闇に葬られるのに葛藤があったとしており、“諸事情”は放送倫理の変化のほか、田代の現状も含まれるとされている[75]。
主に出演していた番組
バラエティ
- 特に記述がない番組はフジテレビ系。
- 夕やけニャンニャン - 1985年10月~1987年8月 ※司会者として出演
- 志村けんのバカ殿様 - 1986年4月~2000年8月、2001年10月 ※側用人として出演
- 志村けんのだいじょうぶだぁ - 1987年11月~1993年9月
- 志村けんはいかがでしょう - 1995年4月~1995年9月
- 志村けんのオレがナニしたのヨ? - 1995年10月~1996年3月
- 爆笑伝説!志村けんの変なおじさんVSネプチューン大決戦!! - 1999年12月
- 森田一義アワー 笑っていいとも! - 1987年10月〜1988年9月※火曜日レギュラー
- 桃色学園都市宣言!! - 1987年10月~1988年3月
- オールナイトフジ - 1988年2月~1988年9月 ※司会格として出演
- ものまね王座決定戦 - 1988年4月~1990年12月 ※この期間は司会者として出演
- 田代まさしのオイシイじゃん - 1988年10月~1989年3月 ※司会者として出演
- パラダイスGoGo!! - 1989年4月~1990年3月 ※司会者として出演
- 週刊スタミナ天国 - 1990年4月~1996年9月 ※司会者として出演
- G-STAGE - 1991年10月~1992年3月 ※司会者として出演
- SOUND ARENA - 1992年4月~1992年9月 ※司会者として出演
- スターはポチだ! - 1992年10月~1993年9月 ※司会者として出演
- TVクルーズ となりのパパイヤ - 1994年10月〜1995年3月 ※火・金曜日レギュラーMC
- ブレイクもの! - 1998年1月~1998年9月 ※司会者として出演
- スターどっきり(秘)報告
- いたずらウォッチング!!
- たけし・逸見の平成教育委員会
- 世界の超豪華・珍品料理
- なるほど!ザ・ワールド
- 所さんのただものではない!
- 世界まる見え!テレビ特捜部(日本テレビ)(不定期)
- ハートにジャストミート(日本テレビ)
- 頑張る!TV!!(日本テレビ)
- スター感動バラエティ 幸せの☆一番星(日本テレビ)
- ぐるぐるナインティナイン(日本テレビ)
- EXPOスクランブル(TBS)火曜日レギュラーMC
- クイズダービー(TBS)
- 仰天!くらべるトラベル(TBS)
- クイズ天下一品博物館(TBS)
- 特捜TV!ガブリンチョ(テレビ朝日)
- 超次元タイムボンバー(テレビ朝日)
- ダウンタウンDX(読売テレビ)
- ザ・ラスベガス(読売テレビ)
- どっちの料理ショー(読売テレビ)- 小籠包、豚汁、焼き鳥丼、広島風お好み焼き、バンバンジー冷麺で完食、5勝0敗。無敗記録。見学歴ナシ。
- それゆけ!マーシー(毎日放送)
- やる気マンマン日曜日(毎日放送)
- 愛ラブB.I.G.(テレビ東京)
- 歌え!アイドルどーむ(テレビ東京)
- 歌え!ヒット・ヒット(テレビ東京)
- GAHAHAキング 爆笑王決定戦(テレビ朝日)
- 田代まさしの謹賀新年おめでとう(テレビ朝日)
- まっ昼ま王!!(テレビ朝日、1994年10月 - 1995年3月)※月曜日担当
- えびす温泉(テレビ朝日)
- ビッグ・ウェンズデイ(TBS)
- SRS
- スーパーJチャンネル(テレビ朝日)
- HAMADA COMPANY 弾丸ヒーローズ(テレビ朝日)
- クイズ!!データマッチ(テレビ朝日)
- 大阪ほんわかテレビ(読売テレビ)
- 田代まさしのいらっしゃいマーシー(MONDO21)
- バリバラ(NHK)
ドラマ
- 季節はずれの海岸物語
- おそ松くん
- おニャン子学園危機イッパツ
- もしかして婚約者!?
- サブシロのTHE・ハタラケ興業
- パパ!かっこつかないゼ
- H and 1/2
- H' FOR MEN H'END 24
- あまえないでョ!
- ないしょのハーフムーン
- アナウンサーぷっつん物語
- セーラー服露天風呂卒業旅行
- 恋多きおとなたち
- 恋多きおとなたち2
- 熱っぽいの!
- スパゲティー恋物語
- 山瀬まみのフリーアルバイター物語
- LUCKY・天使、都へ行く
- 愉快なサギ師たち
- LOVE(第10回)二人の法則
- 小さな贈り物
- なんだらまんだら
- 愛は仁義
- わがままな女たち
- 天国に一番近いママ
- 大往生
- 恋はあせらず
映画出演・映画監督
- マーシーの不良風 女を口説く方法 あの手この手教えます(1992年)
- マーシーの禁断! お嬢様学園危機イッパツ(1993年)
- クレープ(1993年)
- ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦(1999年)[注釈 6]
- マネーギャング 極楽同盟(2002年)
- 実録やくざ抗争史 LB熊本刑務所 vol.4 刑務所前バス停(2003年、第1回DVシネマ大賞[注釈 7]受賞)
- 実録・プロジェクト893XX 金嬉老 無期懲役・拘禁52年 3(2004年)
- 四国やくざ・戦場の主役たち2(2004年)
インターネット配信
- 田代まさしのありがとうございマーシー(Mopal)
- 田代まさしのお久しブリーフ(zoome) - 2009年3月 - 9月
ラジオ
- 田代まさしのスーパーギャング(木曜日、TBSラジオ) - 1986年10月 - 1987年3月
- 田代まさしの60分ニッポン勝負 (ニッポン放送) - 1993年10月 - 1994年3月
- 田代 中村 南部 アクアちゃん(レインボータウンFM) - 2009年7月 - 2010年9月
CM
- ロート製薬 パンシロン内服液 (1987〜1988年頃)加藤茶・松方弘樹・志村けん・ガッツ石松と共演
- 住友スリーエム(スコッチ) VHS用テープEG、HG(1988年)
- 松田食品 ベビースターラーメン(1988年)
- サンヨー食品 サッポロ一番 北のしょうゆラーメン
- ヤクルト(1993年)
- モランボン
- メガネスーパー
- 森永製菓 ぬ〜ぼ〜、パックンチョ、森永ココア(1989年頃から)
- ゼネラル石油(ラッツ&スターとして)
- KITZ アンダーシンク型家庭用浄水器「オアシックス」
- 黄桜 飛沫、呑(どん)
- ぺんてる 油性マジックくみ組(1989年) 桑野信義と共演
- ほか多数
その他
- 田代まさしのプリンセスがいっぱい(田代まさしをフィーチャリングしたファミコンゲーム)
音楽作品
シャネルズ、ラッツ&スター名義でリリースされた作品はラッツ&スターを参照のこと。
- 新島の伝説(1986年8月27日発売)
- パラディラタンの夜は更けて(1987年9月21日発売、「慎之介&マーシー」名義)
- ウンジャラゲ(1988年11月2日発売、「志村けん&田代まさしとだいじょうぶだぁファミリー」名義)
- 熱帯夜(1994年7月1日発売、「マーシー&いずみ」名義)
- 婆様と爺様のセレナーデ(1993年12月17日発売、「けん&マーシー」名義)
- 愛が懐かしい(1995年3月8日、「田代まさし&麻木久仁子」名義)
- 監獄ポップ / 監獄アシッドハウス(2009年11月4日発売、「マーシー☆ポルシェ」名義)
- お騒がせリズム / 監獄SOUL(2010年2月3日発売、「ニポポ feat. 田代まさし&SSTV DAX LIVE!!」「ニポポ feat. 田代まさし」名義)
- ウルトラ☆テング / FRONTIER CREATE (2010年8月14日夏コミで頒布された『東方Project』の二次創作同人CD)
- リハビリマーシーfeat. D.O, 漢 a.k.a. GAMI, RYKEY(2016年3月4日発売(配信限定))
著書
- 田代まさしの道徳読本(1988年5月、講談社、ISBN 4061031015)
- マーシーの超法則(1994年4月、マガジンハウス、ISBN 4838705344)
- シネマで愛して―映画の数ほど、恋したい(1993年10月、日本文芸社、ISBN 4537023848)
- 自爆―THE JUDGEMENT DAY(2002年7月、ケイツー出版販売、ISBN 4434022520)
- 審判(2009年5月、創出版、ISBN 4924718947)
- マーシーの薬物リハビリ日記(2015年3月、アース・スター エンターテイメント、ISBN 4803006725)
関連文献
- 帰ってこいマーシー(2010年7月、リーダーズノート、ISBN 4903722201)
- どげせん - 田代をモデルにした漫画。企画の板垣恵介が田代の転落を嘆き、本作の主演俳優として復帰を願ったもの[76]。しかし田代は拘置所から板垣に「漫画の世界では土下座で解決するようであってほしいが、世の中には土下座では決着がつかないこともある」と悲観的な書簡を宛てており、板垣も「そんなこと大人に言うなよって感じでね。確かに、いくら土下座したって今は出られないからね」と諦念を示すなど、合意に至っていない[77]。
参考文献
- 田代まさし; 北村ヂン『マーシーの薬物リハビリ日記』泰文堂・アース・スター エンターテイメント〈ミリオンムック67〉、2015年3月。ISBN 978-4803006728。
- 梁瀬敦 編『日本のタブー――芸能人・有名人が過去に起こした犯罪&事件』ミリオン出版〈ミリオンムック67〉、2012年9月。ISBN 978-4813066675。
脚注
注釈
- ^ 特筆すべき事項として、『水曜日のダウンタウン』(TBS)や『オールスター後夜祭』(TBS)においては過去の映像を流す際に田代の映っているシーンを早送りする対応を取っている。
- ^ フジテレビ721の『志村けんのだいじょうぶだぁ』など。
- ^ 一部ドラマや『志村けんのバカ殿様』でのみ眼鏡なしで出演している。また、眼鏡メーカーのCMや広告に出演したことがある。
- ^ 女性タレント。新渡戸稲造の子孫を標榜。
- ^ 間接的にではあるが山田邦子、キャイ〜ン・ウド鈴木、猫ひろしもステージに立っている。
- ^ 2013年に『ウルトラマン列伝』で分割放送された際には出演部分がカットされた。
- ^ 元暴力団組長で画家の山本集がプロデュースする映画の賞。DVはデジタルビデオの略。
出典
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- ^ “「何とかしてやってくれ」 田代まさし“僕の大好きな叔父さん”は住吉会・西口総裁だった”. 文春オンライン (文藝春秋). (2019年11月8日) 2020年1月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 「大麻・薬物に溺れた者たち――田代まさし」(芸能人犯罪 & 2012-09, p. 26)
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- ^ 田代まさしが出所していた! 7月16日トークイベントに出演予定(日刊サイゾー、2008年7月7日)
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- ^ 吉田豪インタビュー「第107回 板垣恵介」『BREAK Max』2011年9月号 p.73. コアマガジン
外部リンク
- 田代まさし公式サイト - ウェイバックマシン(2011年9月2日アーカイブ分)
- 田代まさしブログ
- 田代まさし (@TashiroMarcy) - X(旧Twitter)
- 田代まさし ブラック マーシー半生と反省を語る - YouTubeチャンネル