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2020年6月16日 (火) 12:02時点における版
トロント・ブルージェイズ Toronto Blue Jays | |||||||||
1977年創設 | |||||||||
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所属リーグ | |||||||||
チーム名 | |||||||||
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本拠地 | |||||||||
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永久欠番 | |||||||||
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獲得タイトル(獲得年) | |||||||||
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球団組織 | |||||||||
オーナー | ロジャース・コミュニケーションズ | ||||||||
GM | ロス・アトキンス | ||||||||
監督 | チャーリー・モントーヨ |
トロント・ブルージェイズ(英語: Toronto Blue Jays、略称:TOR)は、MLB・アメリカンリーグ東地区所属のプロ野球チーム。本拠地はカナダのオンタリオ州トロントにあるロジャーズ・センター。通称「ジェイズ(Jays)」。2005年以降、MLBで唯一アメリカ以外の国に本拠地を持つ球団でもある。
概要
1977年に創設された新興球団。カナダ最大の都市であるトロントに本拠地を構えており、アメリカ合衆国外に本拠地を置いている唯一のMLB球団である。米国外のMLB球団としては、同じくカナダのモントリオールに本拠地を構えていたモントリオール・エクスポズがあったが、2005年からワシントンD.C.に本拠地を移してワシントン・ナショナルズとなっている。
ニューヨーク・ヤンキース、ボストン・レッドソックスという人気・実力共にMLBトップクラスの2チームが存在するアメリカンリーグ東地区に所属したため、球団創設当初は、6年連続最下位など苦戦が続いた。しかし、1982年にボビー・コックスが監督に就任すると、この頃には生え抜きの若手選手も台頭し始め、チームも徐々に上位に進出する。
そして、1985年に初の地区優勝、1993年までに5度の地区優勝を果たす。1992年、1993年には、2年連続のワールドチャンピオンに輝き、この頃には観客数も400万人(MLB史上初)を超えるなど、まさに黄金時代を迎えることとなる(2014年現在、リーグ拡張で誕生した球団としては唯一のワールドシリーズ連覇)。しかし、1994年のストライキ以降は勢いを失い、主力選手も次々と退団。優勝争いはおろか上位進出もままならず、2014年までの21年間にわたり、東地区ではもっとも長きに渡ってポストシーズンから遠ざかっているチームとなっていた。
2000年に現在の親会社であるロジャース・コミュニケーションズがチームを買収。2004年には本拠地のスカイドームをスポーツコ・インターナショナルから買収し、翌2005年2月、ロジャーズ・センターに改名。ロジャーズ・センターは世界初の開閉式屋根付き球場で、近くにはCNタワーがそびえ立っており、屋根が開いている時には球場内からその威容を眺めることができる。
2006年シーズンはチーム創設30周年に当たるため、右袖に30周年エンブレムが、また、左袖には2005年に亡くなった元・専属アナウンサー、トム・チークを偲んで「TC」のエンブレムが付けられた。
唯一のカナダ球団として
前述の通り、本球団はカナダの都市を本拠地としている球団である。MLBの公式戦では毎試合、開始前に米国国歌の演奏が行われるが、本球団の試合[1]に限り、ホームゲーム・ビジターゲーム問わずカナダ国歌「オー・カナダ」[2]も演奏される。ブルージェイズのホームゲームの際には先に米国国歌、続けてカナダ国歌の順に演奏され、ビジターゲームの際はこの順番が逆になる。ロジャース・センターで行われる試合において球場内に掲げられる国旗も、米加2カ国の国旗が掲揚され、ビジターゲームの球場でもカナダ国旗が臨時に掲揚される。
毎年7月1日のカナダ・デー(連邦結成記念日で国民の祝日)には原則ホームゲームが開催され、試合開始前に球場内外でファン向けに様々な催事が行われる。試合においてはカナダの国旗に使用されている色である赤色をベースにした特別ジャージが、1年で唯一この日のみ使用される。背中は選手名に代わり「カナダ」を意味する『CANADA』の文字が入る[3]。
日本人選手
2007年に大家友和が初の日本人選手としてチームに加入、2勝を挙げたがシーズン途中で解雇された。 2009年に高橋建(キャンプの招待選手として)、2012年に五十嵐亮太が短期間所属していた。
2013年に川﨑宗則が加入。当初はマイナー契約だったものの、ホセ・レイエスの故障に伴い昇格。96試合に出場し、打率は.229にとどまったが出塁率.326の粘り強い打撃と明るいキャラクターで話題を集めた。シーズン終了後に一旦契約解除となるが、同年末にマイナー契約で再契約し、2015年度まで所属した。2017年には7月末に青木宣親がトレードで移籍したがわずか1ヶ月で自由契約となった。
球団の歴史
1977年 - 1991年
1977年、アメリカンリーグの拡張で、シアトル・マリナーズとともに誕生。同年4月7日の開幕戦ではシカゴ・ホワイトソックスと対戦。のちに阪神タイガースにも在籍するダグ・オルトの2本塁打の活躍もあり、9対5で初勝利を飾っている。しかし、その後はなかなか勝ち星をあげることができず、54勝107敗を記録し最下位でシーズンを終えた。その後、1979年まで3年連続でシーズン100敗を記録、1982年まで6年連続で最下位に沈むなど、他のエクスパンションチーム同様、設立当初は低迷が続いた。
1982年、ボビー・コックスが監督に就任。就任1年目こそ最下位脱出はならなかったが、翌1983年には、初めて勝率5割を超え、4位でシーズンを終えた。また、パット・ギリックGMが有望な若手選手を数多く獲得したことで、この頃にはジョージ・ベル、ロイド・モスビー、ジェシー・バーフィールドからなる外野手トリオが台頭。彼らの活躍もあり、1984年は2位、1985年にはチームの最高勝率となる99勝62敗という成績(2019年現在)で地区初優勝に輝いた。この年のリーグチャンピオンシップシリーズでは、カンザスシティ・ロイヤルズと対戦。3勝1敗でリーグ優勝に王手をかけたが、その後に3連敗を喫し、リーグ優勝を逃している。また、このシーズン限りでコックス監督が退任し、ジミー・ウィリアムスが監督に就任したが、1988年まで3年連続で地区優勝を果たせなかった。
1989年、開幕から12勝24敗と不調が続いたため、5月にはウィリアムスに代わり、シト・ガストンが新監督に就任する。また、6月には世界初の可動式屋根付きスタジアムであるスカイ・ドーム(現・ロジャーズ・センター)が開場した。新監督の就任や新本拠地の開場に伴い、チームは快進撃を続け、2度目の地区優勝を果たした。しかし、リーグチャンピオンシップシリーズではオークランド・アスレチックスと対戦し、1勝4敗で敗れている。
1990年は、全体的に好調なシーズンを過ごしたものの、首位ボストン・レッドソックスに2ゲーム差の2位に終わった。この年のオフにはサンディエゴ・パドレスとの間でトニー・フェルナンデス、フレッド・マグリフとジョー・カーター、ロベルト・アロマーによる2対2の大型トレードを行っている。1991年、91勝71敗で3度目の地区優勝を果たすが、リーグチャンピオンシップシリーズでは、ミネソタ・ツインズに敗れ、この年もリーグ優勝を逃している。なお、この年にはMLBで初めて観客動員で400万人を突破している(その後3年間に渡って400万人を維持した)。
1992年、1993年
1992年、前年ツインズでプレーし、チームのワールドシリーズ制覇に貢献したジャック・モリスを獲得。またカリフォルニア・エンゼルスからデーブ・ウィンフィールドを獲得した。そして、彼らの活躍もあり、4度目の地区優勝を果たした。リーグチャンピオンシップシリーズでは、アスレチックスと対戦。1勝2敗で迎えた第4戦では、7回まで1対6とリードを許していたが、9回にアロマーの2ランで同点に追いつき、延長11回の末、7対6で勝利を収めた。この勝利によって流れを掴み、この後に2連勝、最終的に4勝2敗で初のリーグ優勝を果たした。また、初出場となったワールドシリーズでは、アトランタ・ブレーブスを4勝2敗で下し、初のワールドチャンピオンに輝いた。なお、アトランタでの第2戦のセレモニーで海兵隊カラーガードがカナダ国旗を逆さに掲げる事態が発生し、このことがブルージェイズの選手やファンを奮起させ、ワールドシリーズ初制覇を促したといわれる。また、第3戦では、外野手のデボン・ホワイトが無死一、二塁の場面でデビッド・ジャスティスの大飛球をフェンスにぶつかりながら後ろ向きで捕球する超ファインプレーをみせた。この後すぐに、一塁手のジョン・オルルドへ返球し、飛び出していた一塁走者を刺殺。オルルドは、すぐさま三塁手のケリー・グルーバーへ送球し、グルーバーは二塁走者にタッチした。これによってトリプルプレーを完成させたかにみえたが、審判が見逃していたため、これはならなかった。
シーズン終了後、ワールドシリーズ制覇の立役者となったウィンフィールドが退団。代わりにミルウォーキー・ブルワーズからポール・モリター、アスレチックスからデーブ・スチュワートを獲得した。1993年も圧倒的な強さをみせ、2位のニューヨーク・ヤンキースに7ゲーム差をつける5度目の地区優勝を果たした。なお、この年には7人もの選手がオールスターに選出され、人気、実力共に絶頂期を迎えることとなった。リーグチャンピオンシップシリーズでは、ホワイトソックスを4勝2敗で下し、2度目のリーグ優勝。ワールドシリーズでは、フィラデルフィア・フィリーズとの対戦となり、ブルージェイズが4勝2敗でワールドシリーズ2連覇を果たした。このシリーズは様々な面で記憶に残るものとなった。第4戦では、両先発が共に崩壊し、7回までに9対14と荒れた試合となり、8回にブルージェイズが一挙6点をとって逆転、最終的に15対14でブルージェイズが勝利した。両チームの合計得点である29点はワールドシリーズの最多得点となっている。また、3勝2敗とブルージェイズが王手をかけた第6戦では、6回までに5対1とリードしていたが、フィリーズは7回表に3ランホームランなどで5点を奪って逆転。9回、フィリーズの守護神ミッチ・ウィリアムスがマウンドに上がったが、一死一、二塁の場面で、カーターがレフトスタンドへ優勝決定サヨナラ本塁打を放ち、MLBの歴史に残る劇的な幕切れとなった。
1994年 - 2000年代
1994年のストライキ以降、高年俸の主力選手を相次いで放出した結果、成績、観客動員ともに低迷し、ここ10年ほどは、ヤンキース、レッドソックスの2強に次ぐ3位がほぼ定位置となっていた(1998年から2003年まで6年連続で地区3位)。この間、カルロス・デルガドやショーン・グリーンといった若手が台頭。1996年には、パット・ヘントゲンがサイ・ヤング賞を獲得し、翌1997年にレッドソックスから獲得したロジャー・クレメンスも、在籍した2年間でサイ・ヤング賞を連続で獲得している。しかしこれらもチームの成績とは結びつかない状況が続いた。
2000年にロジャース・コミュニケーションズが球団を買収。
2004年には67勝94敗と大きく負け越し、最下位に沈んだ。
2005年オフにはJ.P.リッチアーディGMによる一大補強が行われ、A.J.バーネットやトロイ・グロースなど投打の大物を次々と獲得。
2006年には、補強選手やそれに刺激された既存選手の活躍、若手の台頭もあり、3地区制になって初めて2位でシーズンを終え、1998年以来長らく続いた2強の一角を崩した。
2007年は、新たにフランク・トーマスが加わり、ポストシーズンを狙える位置に近づいたが、打撃陣の不調、故障者の続出もあり、1位レッドソックス、2位ヤンキースから10ゲーム以上離され、進出はならなかった。
2008年も序盤はレッドソックスやタンパベイ・レイズに引き離された最下位と低迷、6月20日に監督のジョン・ギボンズを解任し、1992年と1993年のワールドシリーズ連覇時の監督であるシト・ガストンを新監督として招聘した。86勝76敗と勝ち越したが地区4位に終わった。チーム防御率は両リーグトップだった。
2009年は投手陣に故障者が続出し、新人主体の先発ローテーションを余儀なくされる。序盤は好調で40試合消化時点では27勝13敗で地区首位に立っていた。しかし、直後に9連敗を喫すると、それ以降は急激に失速し、2年連続の地区4位に終わった。大型契約失敗を繰り返したリッチアーディGMは10月3日に解任され、後任にアレックス・アンソポロスが就任した。オフシーズンにはエースのロイ・ハラデイがフィラデルフィア・フィリーズにトレードされ、チームは再建へと舵を切った。
2010年 - 現在
2010年は2年ぶりに勝ち越しに成功(85勝77敗)。ホームでのオリオールズ戦で全勝という珍記録を成し遂げた。チーム記録の54本の本塁打を放ったホセ・バティスタを中心に強力打線を形成し30球団最多の257本塁打を記録した。このシーズン限りでガストン監督が勇退し、後任に前レッドソックス投手コーチのジョン・ファレルが就任した。
2011年も2年連続の勝率5割以上を達成(81勝81敗)。
2012年は故障者が相次ぎチームは低迷。首位と22ゲーム差の4位に沈んだ。この結果を受けてアンソポロスGMはオフシーズンに大補強を敢行。11月中旬にマイアミ・マーリンズとの大型トレードで若手選手と交換に先発投手のマーク・バーリーとジョシュ・ジョンソン、盗塁王3度の遊撃手ホセ・レイエス、ユーティリティー・プレーヤーのエミリオ・ボニファシオなどを獲得。さらに12月17日には当時チームのNO.1プロスペクトだったトラビス・ダーノーと交換でその年にサイ・ヤング賞を受賞した投手R.A.ディッキーをニューヨーク・メッツから獲得した。
2013年シーズン開幕前には5シーズンぶりに復帰した監督ジョン・ギボンズのもと優勝最右翼との呼び声も高かった。しかし、開幕直後にレイエスが左踵を負傷し離脱。ジョンソンは防御率6.20と不振にあえぐなど下馬評通りとはいかなかった。チームはまたもや低迷し74勝88敗で9年ぶりに地区最下位に沈んだ。
2014年に83勝したことにより、そのオフに積極補強を行った。ブレット・ロウリーなど4選手とのトレードでジョシュ・ドナルドソンを獲得し、ピッツバーグ・パイレーツからクオリファイング・オファーを受けたラッセル・マーティンも獲得した。
2015年7月末のトレード期限の段階でワイルドカードを狙える位置にいたため、ここでもトレードで積極補強を行った。ホセ・レイエスやその他多数のマイナー選手を手放して、トロイ・トゥロウィツキー、ラトロイ・ホーキンス、デビッド・プライス、ベン・リビア、マーク・ロウを獲得した。9月25日、22年ぶりのプレーオフ出場を決めたのに続き、優勝へのマジックナンバーを1としていた9月30日、前年17年ぶりに東部地区を制したオリオールズに15-2で大勝し、ワールドチャンピオンになった1993年以来22年ぶりの東部地区優勝を果たした[4]。チームは2番に座ったドナルドソンが41本塁打でリーグ最多の123打点、3番のボティースタが40本塁打で114打点、4番のエンカルナシオンが39本塁打の111打点と打点だけでもアメリカン・リーグベスト5のうちこの3人が占めるほどの破壊力にモノを言わせ、リーグ最多の26試合で二桁得点を記録した。地区シリーズで4年ぶりに西部地区王者に輝いたレンジャーズには最初の2戦は連敗するが、逆境を跳ね返しその後3連勝し、大逆転でリーグ優勝決定シリーズに進出した。リーグ優勝決定シリーズではリーグ最高勝率で中部地区を制したロイヤルズ相手にも最初の2戦を落とし地区シリーズの再現も期待されたが、地区シリーズでは打率3割3分3厘で出塁率4割7分8厘だったエンカルナシオンが打率2割2分7厘で出塁率2割9分2厘、途中入団ながら9勝1敗と抜群の成績を残しながらポストシーズン7敗と調子の上がらないプライスに至っては今年のポストシーズンは防御率6.17と投打で大ブレーキ。最終的にはロイヤルズに6戦目で敗北、ワールドシリーズ出場を逃した。
2016年は2001年から15年インディアンズの経営に携わってきた[5]シャパイロが球団社長に就任し、2年連続でポストシーズンに入ったが、地区シリーズで西部地区を制したレンジャーズにスウィープした一方で奇しくもシャパイロが前に在籍して中部地区を制したインディアンズに1勝しかできずに2年連続でリーグ優勝決定シリーズで敗退した。ただ、観客動員数はリーグ最多だった[6]。この年のオフに主力打者のエンカーナシオンがインディアンズに移籍し、穴埋めとしてケンドリス・モラレスを獲得した。
2017年は序盤から故障者が続出し、チームも低迷。2年連続ポストシーズン進出から一転地区4位に転落した。オフにはバティスタが退団した。
2018年は4月こそ月間勝ち越しに成功したが、その後は失速。夏場以降チームは再建モードへと舵を切り、ロベルト・オスーナ、J.A.ハップ、ドナルドソンら主力をトレード放出し、2年連続で地区4位に終わった。またこのシーズン限りで監督のギボンズが退任した。
2019年から新監督としてチャーリー・モントーヨが就任した。このシーズンも再建モードを継続させ、開幕前にマーティン、シーズン中にケビン・ピラー、マーカス・ストローマン、アーロン・サンチェスを放出するなどポストシーズンを知るメンバーが続々とチームを去った。一方でチーム内トッププロスペクトで、ブラディミール・ゲレーロの息子ブラディミール・ゲレーロ・ジュニア、ダンテ・ビシェットの息子ボー・ビシェット、クレイグ・ビジオの息子キャバン・ビジオら有望株がメジャーデビューを果たすなど、若手の台頭が目立つシーズンとなった。レギュラーシーズンは3年連続で4位となった。オフにこの年のナショナルリーグ最優秀防御率でロサンゼルス・ドジャースからFAとなっていた柳賢振、さらに読売ジャイアンツからポスティングシステムの行使を表明していた山口俊と契約した。
チーム名の由来
チーム名の由来は北米で見られる美しい鳥でオンタリオ州の州鳥であるアオカケス(Blue Jay)からとられている。「ネームコンテスト」ではブルースに決まりかけたが、同じ名前を持つトロント大学からクレームがきたため「ブルージェイズ」に変更された。
選手名鑑
現役選手
殿堂入り選手
- ロベルト・アロマー (Roberto Alomar)
- ロイ・ハラデイ (Roy Halladay)
- ポール・モリター (Paul Molitor)
- ジャック・モリス (Jack Morris)
- フィル・ニークロ (Phil Niekro)
- フランク・トーマス (Frank Thomas)
- デーブ・ウィンフィールド (Dave Winfield)
永久欠番
2011年まで、ブルージェイズでは42番以外での永久欠番を設けておらず、いずれも「レベル・オブ・エクセレンス」(準永久欠番)として顕彰し、他球団における永久欠番・球団殿堂入りと同格に扱われていたが、2011年に往年の中心選手のひとりであったロベルト・アロマーがブルージェイズの選手として初めてアメリカ野球殿堂入りしたため、正式に永久欠番として表彰されることとなった。
- 12 ロベルト・アロマー (Roberto Alomar)
- 32 ロイ・ハラデイ (Roy Halladay) ※現地2018年3月29日(日本時間30日)に記念式典が開催され、正式に制定される。
- 42 ジャッキー・ロビンソン(Jackie Robinson)
レベル・オブ・エクセレンス
- 欠番扱い パット・ギリック (Pat Gillick) - ゼネラルマネージャー
- 欠番扱い ポール・ビーストン (Paul Beeston) - 球団代表
- 1 トニー・フェルナンデス(Tony Fernández) - 内野手
- 11 ジョージ・ベル (George Bell) - 外野手
- 25 カルロス・デルガド (Carlos Delgado) - 内野手
- 29 ジョー・カーター (Joe Carter) - 外野手
- 37 デーブ・スティーブ (Dave Stieb) - 投手
- 43 シト・ガストン (Cito Gaston) - 監督
- 4306 トム・チーク (Tom Cheek) - アナウンサー
歴代所属日本人選手
- 53 マイケル中村(2004年)※ オーストラリアとの二重国籍
- 18 大家友和(2007年)
- 56 五十嵐亮太(2012年)
- 66 川﨑宗則(2013 - 2015年)
- 23 青木宣親(2017年)
- 1 山口俊(2020年 - )
チーム記録
通算記録
打撃部門
- 出場試合:1450 トニー・フェルナンデス(Tony Fernandez)
- 打席:5470 バーノン・ウェルズ(Vernon Wells)
- 得点:889 カルロス・デルガド(Carlos Delgado)
- 打率(2000打席以上):.307 ロベルト・アロマー(Roberto Alomar)
- 安打:1583 トニー・フェルナンデス(Tony Fernandez)
- 本塁打:336 カルロス・デルガド(Carlos Delgado)
- 打点:1058 カルロス・デルガド(Carlos Delgado)
- 盗塁:255 ロイド・モスビー(Lloyd Moseby)
- 出塁率(2000打席以上):.395 ジョン・オルルド(John Olerud)
- OPS(2000打席以上):.949 カルロス・デルガド(Carlos Delgado)
投手部門
- 登板試合:452 デュアン・ウォード(Duane Ward)
- 投球回数:2873 デーブ・スティーブ(Dave Stieb)
- 防御率(1000投球回以上):3.42 ジミー・キー(Jimmy Key)
- 勝利:175 デーブ・スティーブ(Dave Stieb)
- 奪三振:1658 デーブ・スティーブ(Dave Stieb)
- セーブ:217 トム・ヘンキー(Tom Henke)
※2014年シーズン終了時点。
シーズン記録
打撃部門
- 安打:215 バーノン・ウェルズ(Vernon Wells) 2003年
- 得点:134 ショーン・グリーン(Shawn Green) 1999年
- 打率:.363 ジョン・オルルド(John Olerud) 1993年
- 本塁打:54 ホセ・バティスタ(Jose Bautista) 2010年
- 打点:137 カルロス・デルガド(Carlos Delgado) 2000年
- 盗塁:60 デーブ・コリンズ(Dave Collins) 1984年
投手部門
- 防御率:2.05 ロジャー・クレメンス(Roger Clemens) 1997年
- 勝利:22 ロイ・ハラデイ(Roy Halladay) 2003年
- 奪三振:292 ロジャー・クレメンス(Roger Clemens) 1997年
- セーブ:45 デュアン・ウォード(Duane Ward) 1993年
※2014年シーズン終了時点。
その他
- 無安打無得点試合:デーブ・スティーブ(Dave Stieb) 1990年9月2日 対クリーブランド・インディアンス
傘下マイナーチーム
脚注
- ^ オールスターゲームにおいても、本球団所属選手出場の有無またはカナダ国籍選手の出場の有無を問わず演奏される。
- ^ この国歌は公式に英仏2か国語の歌詞が存在するが、本拠地のトロントがあるオンタリオ州は英語が公用語の州であること、また対戦相手となりうる29球団全てが米国、つまり英語圏に所在することなどから原則英語詞のみが歌われている。ただし、ロジャーズ・センターに招かれる当日のゲスト歌手がケベック州など仏語圏出身者などの場合、部分的に仏語詞を歌唱する場合もある。
- ^ 2013年(対デトロイト・タイガース)については、通常のユニフォームと同様、選手名が表記されたものを着用した。
- ^ あれれ…ブルージェイズ 22年ぶりプレーオフ進出決まっていた ― スポニチ Sponichi Annex 野球スポーツニッポン、2015年9月27日配信
- ^ 2001年から2009年まではGMを、2010年から2015年までは球団社長だった
- ^ 月刊Slugger2017年1月号
関連項目
外部リンク
- The official site of Toronto Blue Jays
- トロント・ブルージェイズ情報サイト JAYSONLINE
- チームの通算成績と情報 MLB, or ESPN, or Baseball-Reference , or The Baseball Cube
- Toronto Blue Jays (BlueJays) - Facebook
- Toronto Blue Jays (@BlueJays) - X(旧Twitter)
- Toronto Blue Jays (@bluejays) - Instagram