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* [[親鸞 白い道]](1987年、松竹) - 琵琶法師
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* [[竹取物語 (1987年の映画)|竹取物語]](1987年、東宝) - 理世
* [[竹取物語 (1987年の映画)|竹取物語]](1987年、東宝) - 理世
* [[帝都物語]](1988年、東宝) - [[森外]]
* [[帝都物語]](1988年、東宝) - [[森外]]
*[[オルゴール (映画)|オルゴール]] (1989年、東映) - 土門修造
*[[オルゴール (映画)|オルゴール]] (1989年、東映) - 土門修造
* [[ご挨拶]] 第3話「NOW IT'S MOMENT IN OUR LIFE !!」(1991年)
* [[ご挨拶]] 第3話「NOW IT'S MOMENT IN OUR LIFE !!」(1991年)

2020年6月18日 (木) 10:29時点における版

なかむら かつお
中村 嘉葎雄
本名 小川加沙雄[1]
別名義 中村賀津雄
生年月日 (1938-04-23) 1938年4月23日(86歳)
出生地 日本の旗 日本東京市赤坂区南青山
(現・東京都港区
血液型 B型
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1955年 -
配偶者 なし(離婚歴あり)
著名な家族 中村時蔵(父)
小川ひな(母)
二代目中村歌昇(長兄)
四代目中村時蔵(次兄)
初代中村獅童(三兄)
萬屋錦之介(四兄)
二代目中村獅童(甥)
主な作品
テレビドラマ
赤穂浪士
あかんたれ
名奉行 遠山の金さん』シリーズ
ふたりっ子
映画
陽炎座
ラブレター
20世紀少年 (映画)』シリーズ
受賞
日本アカデミー賞
最優秀助演男優賞
1981年『陽炎座』、『ラブレター』、『仕掛人梅安』、『ブリキの勲章
ブルーリボン賞
助演男優賞
1966年『湖の琴
その他の賞
キネマ旬報賞
助演男優賞
1981年陽炎座』、『ラブレター
毎日映画コンクール
男優助演賞
1969年『わが恋わが歌』、『尻啖え孫市』、『新選組
報知映画賞
助演男優賞
1981年『陽炎座』、『仕掛人梅安』、『ブリキの勲章
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中村 嘉葎雄(なかむら かつお、1938年昭和13年)4月23日 - )は、日本俳優。旧芸名は中村 賀津雄。本名は小川 加沙雄。父は歌舞伎役者の三代目中村時蔵。俳優の萬屋錦之介はすぐ上の兄(四兄)。他の兄弟に二代目中村歌昇(長兄)、四代目中村時蔵(次兄)、初代中村獅童(三兄)がいる。また二代目中村獅童は甥にあたる。血液型はB型。現在も東京都在住。

来歴・人物

東京市赤坂区(現・東京都港区南青山に、3代目中村時蔵とひな夫妻の五男(第九子)として生まれる。1943年9月東京歌舞伎座『取替べい』で中村賀津雄を名乗り初舞台を踏む。暁星高等学校2年生で、兄・初代中村錦之助(萬屋錦之介)に続いて映画界に入り、松竹に入社。デビュー作は『振袖剣法』(酒井辰雄監督)。松竹時代は、東映時代劇の看板スターとして華々しい活躍をした錦之助と比較すると、派手さを抑制した若々しさに満ちた感性を表現したと評される[誰誰による??]

1958年に東映に移ると、社会派不良少年物で主役を張るようになるが、その中で明朗なスター性も身につけるようになる。この時代の錦之助と競演した代表作には『殿さま弥次喜多』シリーズが挙げられる。1964年東映を退社しフリーとなり、1976年の結婚を機に中村嘉葎雄に改名。

以後も映画、舞台、テレビドラマに幅広く出演し、時代劇、現代劇、サスペンス、喜劇など幅広いジャンルで円熟した演技を見せている。近年ではNHK朝の連続テレビ小説ふたりっ子』(1996年)における真剣師役を演じた。また、アップルコンピュータの日本CMにも出演するなど、意欲的に活動している。

2004年に映画『いま、会いにゆきます』で甥の2代目中村獅童と共演した(会話シーンは無い)。2005年にはプレミアムステージフジテレビ系)『特別企画 終戦60周年記念 実録・小野田少尉 遅すぎた帰還』で獅童扮する小野田少尉の父親役として、本格的共演を果たした。獅童とは2009年にTBS系『JNN50周年記念 歴史大河スペクタクル唐招提寺1200年の謎〜天平を駆けぬけた男と女たち』(鑑真とその弟子の如宝役)でも共演している。

出演作品

テレビドラマ

映画

テレビアニメ

劇場アニメ

バラエティ

CM

出典

外部リンク