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「佐渡国」の版間の差分

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* [[上杉勝義]]従五位下
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* [[藤堂高邁]]従五位下 伊勢久居藩の第13代藩主。
* [[藤堂高邁]]従五位下 伊勢久居藩の第13代藩主。
* [[藤堂高やつ|藤堂高秭]]従五位下 伊勢久居藩の第14代藩主。
* [[藤堂高秭]]従五位下 伊勢久居藩の第14代藩主。
* [[藤堂高聴]]従五位下 伊勢久居藩の第15代藩主。
* [[藤堂高聴]]従五位下 伊勢久居藩の第15代藩主。
* [[藤堂高邦]]従五位下 伊勢久居藩の第16代藩主。
* [[藤堂高邦]]従五位下 伊勢久居藩の第16代藩主。

2020年9月3日 (木) 11:03時点における版

佐渡国

-佐渡国
-北陸道
別称 佐州(さしゅう)
渡州(としゅう)
所属 北陸道
相当領域 新潟県佐渡市佐渡島
諸元
国力 中国
距離 遠国
3郡22郷
国内主要施設
佐渡国府 (推定)新潟県佐渡市
佐渡国分寺 新潟県佐渡市(佐渡国分寺跡)
佐渡国分尼寺 (未詳)
一宮 度津神社(新潟県佐渡市)
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佐渡国(さどのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。

「佐渡」の名称

平城宮木簡には「佐度国」と表記されている。

沿革

国が建てられた時期は不明。初見は文武天皇4年(700年)に遡る。天平15年(743年2月11日越後国に合同した(『続日本紀』)。天平勝宝4年 (752年11月3日に元に復した。

もと雑太郡一郡のみの国であったが、養老5年(721年)に雑太郡、加茂郡羽茂郡の三郡に分けられた。後、明治29年(1896年)に佐渡郡一郡にまとめられた。

近代以降の沿革

歴史

佐渡市#歴史の項を参照

国内の施設

国府

国府は雑太郡にあった。国仲平野の南辺にあったと推測される。下国府遺跡が官人の住居と推定されているが、政庁はまだ見つかっていない。

国分寺・国分尼寺

奈良時代に作られた国分寺はいったん放棄された。江戸時代の延宝7年(1679年)に賢教によって真言宗の寺として再建され、平安時代に造られた薬師如来像を今に伝える。元の国分寺の遺跡は今の寺の至近にある。どちらも所在地は佐渡市国分寺である。

神社

延喜式内社
延喜式神名帳』には、以下に示す小社9座9社が記載されている。大社はない。佐渡国の式内社一覧を参照。
総社一宮以下
  • 総社 総社神社 (佐渡市吉岡) - 元は国府の近くにあったものを徳治2年(1307年)に現在地に遷座したと伝えられる。
  • 一宮 度津神社
  • 二宮 大目神社
  • 三宮 引田部神社

地域

人物

国司

守護

鎌倉幕府

室町幕府

武家官位としての佐渡守

名誉称号としての佐渡目(朝廷から芸術家・職人への受領)

  • 佐渡雅好(のちの佐渡嶋正吉)[2] 浄瑠璃の太夫・家元。

脚注

  1. ^ 田中聡「南北朝・室町期における佐渡守護と本間氏」(『新潟史学』66号、2011年)
  2. ^ 『浄瑠璃太夫口宣案』、『烏丸家記五諸人上卿之留』

参考文献

関連項目