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2020年12月30日 (水) 08:57時点における版
小杉 隆 こすぎ たかし | |
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生年月日 | 1935年9月25日(88歳) |
出生地 | 東京都目黒区八雲 |
出身校 | 東京大学教育学部卒業 |
前職 |
東京放送社員 日本野鳥の会会長 帝京大学教授 |
現職 | 日本野鳥の会名誉顧問 |
所属政党 |
(自由民主党→) (新自由クラブ→) 自由民主党 |
称号 |
衆議院永年在職議員 教育学士 |
![]() | |
内閣 | 第2次橋本内閣 |
在任期間 | 1996年11月7日 - 1997年9月11日 |
選挙区 |
(比例東京ブロック→) 東京5区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2003年11月10日 - 2009年7月21日 |
選挙区 |
(旧東京3区→) 東京5区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1980年6月23日 - 2000年6月2日 |
選挙区 | 目黒区選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1965年7月23日 - 1980年6月9日 |
小杉 隆(こすぎ たかし、1935年9月25日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(8期)[1]、文部大臣(第2次橋本内閣)[1]、東京都議会議員(4期)を務めた。
来歴・人物
東京都目黒区八雲出身[2]。1959年、東京大学教育学部を卒業し、ラジオ東京(現・東京放送ホールディングス)に入社。1965年、29歳の最年少で東京都議会議員に当選。1977年、新自由クラブに入党。都議時代には美濃部亮吉都政の追及で名をはせる。その追及ぶりには美濃部も一目置いていたという。
1980年、第36回衆議院議員総選挙で旧東京3区に出馬し初当選(当選同期に古賀誠・太田誠一・川崎二郎・久間章生・平沼赳夫・高村正彦・柿沢弘治など)。新自由クラブでは国会対策委員長を務めた。1986年、新自由クラブの解党により自民党へ移る。1996年、第2次橋本内閣で文部大臣に就任。2000年、第42回衆議院議員総選挙で落選。その後、帝京大学経済学部教授に就任。
2003年、第43回衆議院議員総選挙で比例復活当選。2005年、第44回衆議院議員総選挙で小選挙区で当選。2008年1月16日、第45回衆議院議員総選挙に出馬しない意向を表明。2009年7月21日、衆議院解散に伴い政界を引退した。引退表明の際、「妻の自己破産とは無関係」と説明した[1]。
エピソード
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スポーツマンで知られ、国会までジョギングして登院したことがある他トライアスロンの大会に出た事もあった。日朝国交正常化推進議員連盟に所属し、委員を務める。
環境政務次官、衆議院環境委員長を歴任し、1993年の環境基本法成立に取り組む。日本野鳥の会会長を務め、その後、名誉顧問となる。1992年、アル・ゴアの『地球の掟』を翻訳する。東京サイクリング協会会長を務める。
文部大臣在任の神戸連続児童殺傷事件につき「これからは心の教育が重要」と発言する。同じく文相時代に当時の教科書に掲載されていた「中国人を処刑する日本兵」につき「ほんとに教科書に載っているのか」と述べる[要出典]。
不祥事
妻の小杉敬子が後援会会員に対して借金をしていた金銭問題が報じられた後、政界を引退した。2010年に妻と私設秘書は詐欺容疑で逮捕[3]・起訴された。妻は2006年に東京地裁に自己破産を申請、負債は約14億円に上っていた[1]。
2012年2月までに「2004年10月から2006年7月にかけて支援者ら3人に対して架空の投資話を持ち掛けて約1億8100万円をだまし取った」として妻に懲役6年の実刑が、約1億1000万円について共犯に問われた私設秘書に懲役4年6カ月の実刑がそれぞれ確定した[4]。
娘婿の文部科学省科学技術・学術政策局局長・佐野太が文部科学省大臣官房長在任中同省の私立大学支援事業の対象に選定するよう東京医科大学に便宜を図り、見返りに自分の息子を同校に不正入学させていたことが2018年7月に発覚し、逮捕された[5]。
著書
- 『東京は私たちのもの』創世記、1979年
- 『21世紀へ駆ける - 人間研究小杉隆』21世紀都市研究会、1981年
- 『ゴミ箱の中の地球 地球環境レポート』論創社、1989年
- 『失われた「心の教育」を求めて - 21世紀に贈る教育改革』ダイヤモンド社、1997年 ISBN 4478970297
訳著
- アル・ゴア『地球の掟 - 文明と環境のバランスを求めて』ダイヤモンド社、1992年 ISBN 4478870268
- アル・ゴア『地球の掟 新装版 - 文明と環境のバランスを求めて』ダイヤモンド社、2007年 ISBN 4478003688
脚注
- ^ a b c d “支援者から8900万円詐取容疑 小杉元文相の妻ら逮捕”. 日本経済新聞電子版 (日本経済新聞社). (2010年5月26日) 2018年8月22日閲覧。
- ^ 小杉隆新会長の横顔、TCAニュース(1997年11月発行)。
- ^ “架空話で詐欺容疑、小杉・元文部相の妻ら逮捕”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2010年5月26日) 2010年5月26日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 小杉元文相の妻、投資話詐欺で懲役6年実刑確定 読売新聞 2012年2月14日
- ^ 「次官候補」がなぜ 佐野容疑者 政界進出うわさも東京新聞、2018年7月5日
議会 | ||
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先代 戸塚進也 |
![]() 1991年 - 1993年 |
次代 原田昇左右 |
公職 | ||
先代 奥田幹生 |
![]() 第124代:1996年 - 1997年 |
次代 町村信孝 |