「せとゆき (練習艦)」の版間の差分
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[[2010年]][[6月3日]]、[[和歌山県]][[串本町]]の樫野埼沖にて[[エルトゥールル号遭難事件]]から120年目にあたる日に洋上追悼式を執り行う。参加者には在日本・トルコ大使のセルメット・アタジャンル、トルコ軍楽隊、オスマン・パシャのひ孫のオスマン・ケマル・テキタシュ夫妻のほか[[寬仁親王]]、[[彬子女王]]、[[仁坂吉伸]]和歌山県知事や田嶋勝正串本町長などが参列する<ref>朝雲新聞[http://www.asagumo-news.com/news/201006/100610/10061009.htm トルコ軍艦「エ号」遭難から120年 「せとゆき」艦上で式典 寛仁殿下も参列、追悼 和歌山県・串本沖] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100617042532/http://www.asagumo-news.com/news/201006/100610/10061009.htm |date=2010年6月17日 }}2010年6月10日</ref>。 自衛艦で皇室・対外王室に対しての御召艦となった戦後初めての艦と成った(すなわち「[[日本の旗一覧#皇室|皇族旗]]」を掲揚した初の自衛艦である)。 |
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平成23年度予算において、5年間の延命予算が要求された<ref>『世界の艦船』2011年1月号 P73</ref>。 |
平成23年度予算において、5年間の延命予算が要求された<ref>『世界の艦船』2011年1月号 P73</ref>。 |
2021年4月27日 (火) 14:46時点における版
せとゆき | |
---|---|
基本情報 | |
建造所 | 三井造船玉野事業所 |
運用者 | 海上自衛隊 |
艦種 | 練習艦 |
級名 | しまゆき型練習艦 |
母港 | 呉 |
所属 | 練習艦隊第1練習隊 |
艦歴 | |
発注 | 1982年 |
起工 | 1984年1月16日 |
進水 | 1985年7月3日 |
就役 |
1986年12月11日 2012年3月14日(練習艦に種別変更) |
要目 | |
基準排水量 | 3,050 トン |
満載排水量 | 4,200 トン |
全長 | 130m |
最大幅 | 13.6m |
深さ | 8.5m |
吃水 | 4.4m |
機関 | COGOG方式 |
主機 |
川崎ロールス・ロイス オリンパスTM3Bガスタービン × 2基 川崎RRタインRM1C × 2基 |
出力 | 45,000PS |
推進器 | スクリュープロペラ × 2軸 |
速力 | 29.7ノット |
乗員 | 200名 |
兵装 |
62口径76mm単装速射砲 × 1門 Mk.15 mod.2 高性能20mm機関砲 × 2基 GMLS-3A シースパロー短SAM 8連装発射機 × 1基 ハープーンSSM 4連装発射筒 × 2基 74式C アスロック 8連装発射機 × 1基 68式C 3連装短魚雷発射管 × 2基 |
搭載機 | ヘリコプター甲板のみ(格納庫内に講堂設置のため) |
C4ISTAR |
OYQ-5C-1 目標指示装置 SFCS-6B 水中攻撃指揮装置 |
レーダー |
OPS-14B 対空 OPS-18-1 水上 OPS-20 航海用 81式射撃指揮装置2型-21/12A |
ソナー | OQS-4 |
電子戦・ 対抗手段 |
NOLR-6C ESM+OLT-3 ECM+OLR-9C RWR Mk.137 デコイ発射機 × 2基 |
その他 | 曳航具3型 対魚雷デコイ |
せとゆき(ローマ字:JS Setoyuki, TV-3518、DD-131)は、海上自衛隊の練習艦。はつゆき型護衛艦の10番艦。現在はしまゆき型練習艦の3番艦。艦名は「瀬戸に降る雪」即ち「瀬戸雪」に由来する。なお、艦艇名としては旧海軍通して初の命名である。
艦歴
「せとゆき」は、中期業務見積もりに基づく昭和57年度計画2,900トン型護衛艦2219号艦として、三井造船玉野事業所で1984年1月16日に起工され、1985年7月3日に進水、1986年12月11日に就役し、第2護衛隊群第42護衛隊に編入され佐世保に配備された。
1997年3月24日、隊番号の改正により第45護衛隊が第7護衛隊に改称。
1999年8月2日から4日にかけて護衛艦「しらね」、「とね」とともに韓国釜山を訪問、4日から5日にかけて東シナ海において初の日韓共同訓練を実施した。
2000年3月21日、第4護衛隊群第8護衛隊に編入され、定係港も呉に転籍。
2008年3月26日、自衛艦隊の大改編により、第22護衛隊が第12護衛隊に改称され護衛艦隊隷下に編成替え。
2010年6月3日、和歌山県串本町の樫野埼沖にてエルトゥールル号遭難事件から120年目にあたる日に洋上追悼式を執り行う。参加者には在日本・トルコ大使のセルメット・アタジャンル、トルコ軍楽隊、オスマン・パシャのひ孫のオスマン・ケマル・テキタシュ夫妻のほか寬仁親王、彬子女王、仁坂吉伸和歌山県知事や田嶋勝正串本町長などが参列する[1]。 自衛艦で皇室・対外王室に対しての御召艦となった戦後初めての艦と成った(すなわち「皇族旗」を掲揚した初の自衛艦である)。
平成23年度予算において、5年間の延命予算が要求された[2]。
2012年3月14日、練習艦に種別変更され、練習艦隊第1練習隊に編入。
2013年3月22日、練習艦としては海上自衛隊初となる女性艦長が練習艦「しまゆき」と同じく着任[3]。
2021年2月9日から3月16日にかけて護衛艦「ゆうぎり」及び練習艦「はたかぜ」とともに第54期一般幹部候補生課程(部内課程)学生の外洋練習航海に参加する[4]。その参加途中の2月28日にはグアム周辺海空域において米海軍空母「セオドア・ルーズベルト」、巡洋艦「バンカー・ヒル」と共同訓練を実施した[5]。
現在は、練習艦隊第1練習隊に所属し定係港は呉である。
歴代艦長
代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 堀内洋治 | 1986.12.11 - 1988.1.11 | 防大9期 | せとゆき艤装員長 | 呉地方総監部管理部人事課長 | |
2 | 山中嘉勝 | 1988.1.12 - 1989.3.23 | 防大9期 | おおなみ艦長 | 舞鶴地方総監部防衛部 | |
3 | 稲田 悟 | 1989.3.24 - 1991.7.19 | 防大12期 | 海上幕僚監部監理部総務課 | ||
4 | 辻 一敏 | 1991.7.20 - 1992.12.20 | 防大17期 | さわかぜ船務長兼副長 | はまゆき艦長 | |
5 | 中塚久雄 | 1992.12.21 - 1994.3.22 | 防大18期 | 海上幕僚監部防衛部装備体系課 | 海上自衛隊幹部学校研究部員 | 1993.7.1 1等海佐昇任 |
6 | 山本典昭 | 1994.3.23 - 1996.3.21 | あさぐも艦長 | |||
7 | 大竹直明 | 1996.3.22 - 1997.8.10 | 海上幕僚監部防衛部通信課 | 海上自衛隊幹部学校教官 | ||
8 | 溝部 宏 | 1997.8.11 - 1998.12.20 | 防大21期 | 横須賀基地業務隊補充部付 | 第2海上訓練指導隊船務科長 | |
9 | 村田隆齊 | 1998.12.21 - 1999.12.23 | 防大21期 | 海上自衛隊幹部学校研究部員 | 護衛艦隊司令部幕僚 | |
10 | 井上秀樹 | 1999.12.24 - 2001.3.22 | 防大22期 | ゆうぐも艦長 | 海上幕僚監部監理部総務課 | |
11 | 星山良一 | 2001.3.23 - 2002.3.24 | 防大26期 | さわぎり副長 | 海上幕僚監部監理部総務課 | |
12 | 三浦昌伸 | 2002.3.25 - 2003.3.26 | 防大26期 | はたかぜ船務長兼副長 | うみぎり艦長 | 就任時3等海佐 2002.7.1 2等海佐昇任 |
13 | 中畑康樹 | 2003.3.27 - 2004.3.25 | 防大30期 | 海上幕僚監部防衛部運用課 | 護衛艦隊司令部幕僚 | |
14 | 大仲和弘 | 2004.3.26 - 2005.5.9 | 防大27期 | 誘導武器教育訓練隊 誘導武器科長 |
いなづま艦長 | |
15 | 永井一成 | 2005.5.10 - 2006.8.20 | 防大32期 | 海上幕僚監部防衛部装備体系課 | ||
16 | 小澤 豊 | 2006.8.21 - 2007.8.9 | 防大31期 | きりしま船務長兼副長 | むらさめ艦長 | |
17 | 鈴木雅博 | 2007.8.10 - 2008.12.16 | 防大29期 | みょうこう砲雷長 | 海上自衛隊第1術科学校教官 | |
18 | 伊保貴史 | 2008.12.17 - 2010.3.24 | 防大25期 | おおすみ運用長 | 海上自衛隊幹部学校 図演装置運用課部隊班長 |
|
19 | 遠藤昭彦 | 2010.3.25 - 2011.3.24 | 防大33期 | ひゅうが砲雷長 | 海上自衛隊幹部学校付 | 海上幕僚監部 |
20 | 沢田俊彦 | 2011.3.25 - 2012.3.22 | 防大36期 | 自衛艦隊司令部幕僚 | 海上自衛隊幹部学校付 | 2011.7.1 1等海佐昇任 |
21 | 上野喜之 | 2012.3.23 - 2013.3.21 | 防大35期 | むろと副長 | 海上自衛隊幹部学校付 | 2012.7.1 1等海佐昇任 |
22 | 東良子[6] | 2013.3.22 - 2015.3.3 | 防大40期 (女子1期) |
かしま副長 | 海上自衛隊幹部学校付 | 2015.1.1 1等海佐昇任 |
23 | 川嶋潤子 | 2015.3.4 - 2016.2.17 | 獨協大学 1997年卒[7] |
あさぎり副長 | 海上幕僚監部防衛部防衛課 | 女性艦長 |
24 | 酒井 憲 | 2016.2.18 - 2017.3.23 | 防大41期 | 練習艦隊司令部 | 防衛大学校訓練部首席指導教官 | |
25 | 根本征幸 | 2017.3.24 - 2018.4.1 | 呉基地業務隊本部補充部付 | 海上自衛隊幹部候補生学校第1学生隊長 | ||
26 | 中寺直人 | 2018.4.2 - 2019.3.26 | 防大45期 | 統合幕僚監部防衛計画部計画課 | ||
27 | 菅原君和 | 2019.3.27 - 2020.3.31 | 横須賀海上訓練指導隊対潜戦術科長 | 海上自衛隊第1術科学校教官 兼 研究部員 | ||
28 | 秋野朝治 | 2020.4.1 - | 大湊地方総監部防衛部 |
ギャラリー
-
護衛艦時代の「せとゆき」 -
練習艦となった後の「せとゆき」 -
晴海を出港した「せとゆき」 -
航行中の「せとゆき」 -
第1練習隊の3艦
脚注
- ^ 朝雲新聞トルコ軍艦「エ号」遭難から120年 「せとゆき」艦上で式典 寛仁殿下も参列、追悼 和歌山県・串本沖 Archived 2010年6月17日, at the Wayback Machine.2010年6月10日
- ^ 『世界の艦船』2011年1月号 P73
- ^ 山陰中央日報 暮らし・話題 : 海自「艦長の夢かなった」 練習艦、初の女性 Archived 2013年3月26日, at the Wayback Machine. 2013年3月24日
- ^ 一般幹部候補生課程(部内課程)の卒業式及び外洋練習航海について (PDF)
- ^ スペイン海軍及び米海軍との訓練について (PDF)
- ^ 練習艦初の女性艦長(大谷三穂と同日就任)
- ^ 防大41期相当
参考文献
- 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)
- 『世界の艦船 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)
- 『世界の艦船』第750号(海人社、2011年11月号)
外部リンク