せとゆき (練習艦)
せとゆき | |
---|---|
基本情報 | |
建造所 | 三井造船玉野事業所 |
運用者 | 海上自衛隊 |
艦種 | 練習艦 |
級名 | しまゆき型練習艦 |
艦歴 | |
発注 | 1982年 |
起工 | 1984年1月16日 |
進水 | 1985年7月3日 |
就役 |
1986年12月11日 2012年3月14日(練習艦に種別変更) |
退役 | 2021年12月24日 |
要目 | |
基準排水量 | 3,050 トン |
満載排水量 | 4,200 トン |
全長 | 130m |
最大幅 | 13.6m |
深さ | 8.5m |
吃水 | 4.4m |
機関 | COGOG方式 |
主機 |
川崎ロールス・ロイス オリンパスTM3Bガスタービン × 2基 川崎RRタインRM1C × 2基 |
出力 | 45,000PS |
推進器 | スクリュープロペラ × 2軸 |
速力 | 29.7ノット |
乗員 | 200名 |
兵装 |
62口径76mm単装速射砲 × 1門 Mk.15 mod.2 高性能20mm機関砲 × 2基 GMLS-3A シースパロー短SAM 8連装発射機 × 1基 ハープーンSSM 4連装発射筒 × 2基 74式C アスロック 8連装発射機 × 1基 68式C 3連装短魚雷発射管 × 2基 |
搭載機 | ヘリコプター甲板のみ(格納庫内に講堂設置のため) |
C4ISTAR |
OYQ-5C-1 目標指示装置 SFCS-6B 水中攻撃指揮装置 |
レーダー |
OPS-14B 対空 OPS-18-1 水上 OPS-20 航海用 81式射撃指揮装置2型-21/12A |
ソナー | OQS-4 |
電子戦・ 対抗手段 |
NOLR-6C ESM+OLT-3 ECM+OLR-9C RWR Mk.137 デコイ発射機 × 2基 |
その他 | 曳航具3型 対魚雷デコイ |
せとゆき(ローマ字:JS Setoyuki, TV-3518、DD-131)は、海上自衛隊の練習艦。はつゆき型護衛艦の10番艦。晩年は練習艦に種別変更され、しまゆき型練習艦の3番艦となった。艦名は「瀬戸に降る雪」即ち「瀬戸雪」に由来する。なお、艦艇名としては旧海軍通して初の命名である。
艦歴
[編集]「せとゆき」は、中期業務見積もりに基づく昭和57年度計画2,900トン型護衛艦2219号艦として、三井造船玉野事業所で1984年1月16日に起工され、1985年7月3日に進水、1986年12月11日に就役し、第2護衛隊群第42護衛隊に編入され佐世保に配備された。
1997年3月24日、隊番号の改正により第45護衛隊が第7護衛隊に改称。
1999年8月2日から4日にかけて護衛艦「しらね」、「とね」とともに韓国釜山を訪問、4日から5日にかけて東シナ海において初の日韓共同訓練を実施した。
2000年3月21日、第4護衛隊群第8護衛隊に編入され、定係港も呉に転籍。
2008年3月26日、自衛艦隊の大改編により、第22護衛隊が第12護衛隊に改称され護衛艦隊隷下に編成替え。
2010年6月3日、和歌山県串本町の樫野埼沖にてエルトゥールル号遭難事件から120年目にあたる日に洋上追悼式を執り行う。参加者には在日本・トルコ大使のセルメット・アタジャンル、トルコ軍楽隊、オスマン・パシャのひ孫のオスマン・ケマル・テキタシュ夫妻のほか寬仁親王、彬子女王、仁坂吉伸和歌山県知事や田嶋勝正串本町長などが参列する[1]。 自衛艦で皇室・対外王室に対しての御召艦となった戦後初めての艦と成った(すなわち「皇族旗」を掲揚した初の自衛艦である)。
平成23年度予算において、5年間の延命予算が要求された[2]。
2012年3月14日、練習艦に種別変更され、練習艦隊第1練習隊に編入。
2013年3月22日、練習艦としては海上自衛隊初となる女性艦長が練習艦「しまゆき」と同じく着任[3]。
2021年2月9日から3月16日にかけて護衛艦「ゆうぎり」及び練習艦「はたかぜ」とともに第54期一般幹部候補生課程(部内課程)学生の外洋練習航海に参加する[4]。その参加途中の2月28日にはグアム周辺海空域において米海軍空母「セオドア・ルーズベルト」、巡洋艦「バンカー・ヒル」と共同訓練を実施した[5]。
同年6月27日、遠洋練習航海中の海上自衛隊練習艦隊(司令官:石巻義康、実習幹部:71期幹候卒業生、練習艦「かしま」、「せとゆき」)は、2021年4月27日に事故で沈没したインドネシア海軍の潜水艦「KRI ナンガラ 402」の洋上慰霊祭を実施した[6]。
2021年12月24日、除籍され「はつゆき」型最後の艦艇として長い歴史に幕を降ろした[7]。35年に及ぶ就役期間中、地球42周分に相当する航海をした[8][9]。
2022年12月2日、呉港務隊のえい船により洋上までえい航し、解体業者に引き渡された[10]。
歴代艦長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 堀内洋治 | 1986.12.11 - 1988.1.11 | 防大9期 | せとゆき艤装員長 | 呉地方総監部管理部人事課長 | |
2 | 山中嘉勝 | 1988.1.12 - 1989.3.23 | 防大9期 | おおなみ艦長 | 舞鶴地方総監部防衛部 | |
3 | 稲田 悟 | 1989.3.24 - 1991.7.19 | 防大12期 | 海上幕僚監部監理部総務課 | ||
4 | 辻 一敏 | 1991.7.20 - 1992.12.20 | 防大17期 | さわかぜ船務長 兼 副長 | はまゆき艦長 | |
5 | 中塚久雄 | 1992.12.21 - 1994.3.22 | 防大18期 | 海上幕僚監部防衛部装備体系課 | 海上自衛隊幹部学校研究部員 | 1993.7.1 1等海佐昇任 |
6 | 山本典昭 | 1994.3.23 - 1996.3.21 | あさぐも艦長 | |||
7 | 大竹直明 | 1996.3.22 - 1997.8.10 | 海上幕僚監部防衛部通信課 | 海上自衛隊幹部学校教官 | ||
8 | 溝部 宏 | 1997.8.11 - 1998.12.20 | 防大21期 | 横須賀基地業務隊補充部付 | 第2海上訓練指導隊船務科長 | |
9 | 村田隆齊 | 1998.12.21 - 1999.12.23 | 防大21期 | 海上自衛隊幹部学校研究部員 | 護衛艦隊司令部幕僚 | |
10 | 井上秀樹 | 1999.12.24 - 2001.3.22 | 防大22期 | ゆうぐも艦長 | 海上幕僚監部監理部総務課 | |
11 | 星山良一 | 2001.3.23 - 2002.3.24 | 防大26期 | さわぎり副長 | 海上幕僚監部監理部総務課 | |
12 | 三浦昌伸 | 2002.3.25 - 2003.3.26 | 防大26期 | はたかぜ船務長 兼 副長 | うみぎり艦長 | 就任時3等海佐 2002.7.1 2等海佐昇任 |
13 | 中畑康樹 | 2003.3.27 - 2004.3.25 | 防大30期 | 海上幕僚監部防衛部運用課 | 護衛艦隊司令部幕僚 | |
14 | 大仲和弘 | 2004.3.26 - 2005.5.9 | 防大27期 | 誘導武器教育訓練隊 誘導武器科長 |
いなづま艦長 | |
15 | 永井一成 | 2005.5.10 - 2006.8.20 | 防大32期 | 海上幕僚監部防衛部装備体系課 | ||
16 | 小澤 豊 | 2006.8.21 - 2007.8.9 | 防大31期 | きりしま船務長 兼 副長 | むらさめ艦長 | |
17 | 鈴木雅博 | 2007.8.10 - 2008.12.16 | 防大29期 | みょうこう砲雷長 | 海上自衛隊第1術科学校教官 | |
18 | 伊保貴史 | 2008.12.17 - 2010.3.24 | 防大25期 | おおすみ運用長 | 海上自衛隊幹部学校 図演装置運用課部隊班長 |
|
19 | 遠藤昭彦 | 2010.3.25 - 2011.3.24 | 防大33期 | ひゅうが砲雷長 | 海上自衛隊幹部学校付 | 海上幕僚監部 |
20 | 沢田俊彦 | 2011.3.25 - 2012.3.22 | 防大36期 | 自衛艦隊司令部幕僚 | 海上自衛隊幹部学校付 | 2011.7.1 1等海佐昇任 |
21 | 上野喜之 | 2012.3.23 - 2013.3.21 | 防大35期 | むろと副長 | 海上自衛隊幹部学校付 | 2012.7.1 1等海佐昇任 |
22 | 東良子[11] | 2013.3.22 - 2015.3.3 | 防大40期 (女子1期) |
かしま副長 | 海上自衛隊幹部学校付 | 2015.1.1 1等海佐昇任 |
23 | 川嶋潤子 | 2015.3.4 - 2016.2.17 | 獨協大学・ 48期幹候[12] |
あさぎり副長 | 海上幕僚監部防衛部防衛課 | 女性艦長 |
24 | 酒井 憲 | 2016.2.18 - 2017.3.23 | 防大41期 | 練習艦隊司令部 | 防衛大学校訓練部首席指導教官 | |
25 | 根本征幸 | 2017.3.24 - 2018.4.1 | 呉基地業務隊本部補充部付 | 海上自衛隊幹部候補生学校第1学生隊長 | ||
26 | 中寺直人 | 2018.4.2 - 2019.3.26 | 防大45期 | 統合幕僚監部防衛計画部計画課 | ||
27 | 菅原君和 | 2019.3.27 - 2020.3.31 | 横須賀海上訓練指導隊対潜戦術科長 | 海上自衛隊第1術科学校教官 兼 研究部員 |
||
28 | 秋野朝治 | 2020.4.1 - 2021.12.23 | 大湊地方総監部防衛部 | 佐世保地方総監部管理部 |
ギャラリー
[編集]-
護衛艦時代の「せとゆき」
-
平成21年度観艦式予行における「せとゆき」
-
練習艦となった後の「せとゆき」
-
晴海を出港した「せとゆき」
-
航行中の「せとゆき」
-
第1練習隊の3艦
-
除籍後、呉港沖に係留中の「せとゆき」
-
解体のため、えい航されていく「せとゆき」
脚注
[編集]- ^ “トルコ軍艦「エ号」遭難から120年 「せとゆき」艦上で式典 寛仁殿下も参列、追悼 和歌山県・串本沖”. 朝雲新聞. (2010年6月10日). オリジナルの2010年6月10日時点におけるアーカイブ。 2010年6月17日閲覧。
- ^ 『世界の艦船』2011年1月号 P73
- ^ “暮らし・話題 : 海自「艦長の夢かなった」 練習艦、初の女性”. 山陰中央日報. (2012年3月27日). オリジナルの2013年3月26日時点におけるアーカイブ。 2013年3月24日閲覧。
- ^ 一般幹部候補生課程(部内課程)の卒業式及び外洋練習航海について (PDF)
- ^ スペイン海軍及び米海軍との訓練について (PDF)
- ^ 防衛省 海上自衛隊 [@JMSDF_PAO] (2021年6月28日). "遠洋練習航海部隊は、インドネシアのスラバヤに寄港しました。". X(旧Twitter)より2021年6月28日閲覧。
- ^ 海上自衛隊呉地方総監部【公式】 [@jmsdf_krh] (2021年12月24日). "練習艦「せとゆき」の自衛艦旗返納行事が行われました。". X(旧Twitter)より2021年12月24日閲覧。
- ^ “練習艦せとゆき除籍 就役から35年、地球42周分の航海 海自呉”. 中国新聞デジタル. (2021年12月24日) 2021年12月24日閲覧。
- ^ “海上自衛隊練習艦「せとゆき」35年の艦歴を全う呉で退役 戦後初の御召艦という大役も”. 乗りものニュース (2021年12月25日). 2021年12月26日閲覧。
- ^ 海上自衛隊呉地方総監部【公式】 [@jmsdf_krh] (2022年12月5日). "12月2日(金)、令和3年12月に除籍した 練習艦「せとゆき」を 呉港務隊 のえい船により洋上までえい航し、解体業者に引き渡しました。". X(旧Twitter)より2022年12月5日閲覧。
- ^ 練習艦初の女性艦長(大谷三穂と同日就任)
- ^ 防大41期相当
参考文献
[編集]- 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)
- 『世界の艦船 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)
- 『世界の艦船』第750号(海人社、2011年11月号)