「俵信之」の版間の差分
編集の要約なし |
m Bot作業依頼: 寛仁親王→寬仁親王の修正依頼 (寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント) - log |
||
37行目: | 37行目: | ||
競輪選手としては[[1984年]]にデビュー。[[1986年]]に[[朝日新聞社杯競輪祭|競輪祭新人王戦]]で優勝し、[[1990年]]には[[日本選手権競輪]]で優勝し特別競輪(現在の[[競輪の競走格付け#GI (G1)|GI]])も制覇した。[[1991年]]に[[弥彦競輪場]]で行なわれた[[ふるさとダービー]]でも優勝している。 |
競輪選手としては[[1984年]]にデビュー。[[1986年]]に[[朝日新聞社杯競輪祭|競輪祭新人王戦]]で優勝し、[[1990年]]には[[日本選手権競輪]]で優勝し特別競輪(現在の[[競輪の競走格付け#GI (G1)|GI]])も制覇した。[[1991年]]に[[弥彦競輪場]]で行なわれた[[ふるさとダービー]]でも優勝している。 |
||
[[1993年]]には全ての特別競輪(現在の[[ |
[[1993年]]には全ての特別競輪(現在の[[寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント]]を除くGI全5レース)で決勝戦まで勝ち上がり<ref>[[1992年]]の[[オールスター競輪|オールスター]]と競輪祭を合わせて、1993年の競輪祭まで7回連続で特別競輪の決勝戦に進出した。</ref>、特別表彰を受けている。現在においても国際大会で優勝した後に国内の特別競輪を優勝したのは、中野浩一と俵の2人だけである。 |
||
その後は衰えもあり、[[2018年]]上期からA級3班に降格。5月27日の別府FIIが最後のレースとなった。同年[[6月4日]]で現役引退を表明。地元函館GIIIの開催最終日である翌[[6月5日|5日]]の7R終了後に場内で引退セレモニーを実施しバンクを去った。 |
その後は衰えもあり、[[2018年]]上期からA級3班に降格。5月27日の別府FIIが最後のレースとなった。同年[[6月4日]]で現役引退を表明。地元函館GIIIの開催最終日である翌[[6月5日|5日]]の7R終了後に場内で引退セレモニーを実施しバンクを去った。 |
2021年4月27日 (火) 14:53時点における版
| |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
基本情報 | |||||||||||||||
本名 |
俵 信之 たわら のぶゆき | ||||||||||||||
生年月日 | 1964年9月22日(60歳) | ||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||
身長 | 174.0cm | ||||||||||||||
体重 | 79.0kg | ||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||
分野 | 競輪 & トラックレース | ||||||||||||||
役割 | 選手 | ||||||||||||||
特徴 | 追込 | ||||||||||||||
プロ経歴 | |||||||||||||||
1984 - 2018 | 日本競輪選手会北海道支部 | ||||||||||||||
主要レース勝利 | |||||||||||||||
ふるさとダービー 1回 新人王 1986 | |||||||||||||||
| |||||||||||||||
最終更新日 2020年1月31日 |
俵 信之(たわら のぶゆき、1964年9月22日 - )は日本の元競輪選手、自転車競技選手。
北海道函館市出身(旭川市生まれ)。日本競輪学校(当時)第53期卒業。現役時代は日本競輪選手会北海道支部所属(元支部長)。師匠は新井雄司。初出走は1984年5月3日の函館競輪場で初勝利も同日。血液型はO型。
自転車競技での戦績
函館大谷高等学校在学中から自転車競技ジュニア世界選手権のスプリント種目に出場し、競輪選手としてデビュー後の1986年には、世界選手権自転車競技大会のスプリント種目に初出場し、中野浩一・松井英幸に次いで3位に入賞。翌年1987年の同大会では優勝し、前年までの中野のV10に続く日本人選手V11を達成した。
競輪選手としての戦績
競輪選手としては1984年にデビュー。1986年に競輪祭新人王戦で優勝し、1990年には日本選手権競輪で優勝し特別競輪(現在のGI)も制覇した。1991年に弥彦競輪場で行なわれたふるさとダービーでも優勝している。
1993年には全ての特別競輪(現在の寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメントを除くGI全5レース)で決勝戦まで勝ち上がり[1]、特別表彰を受けている。現在においても国際大会で優勝した後に国内の特別競輪を優勝したのは、中野浩一と俵の2人だけである。
その後は衰えもあり、2018年上期からA級3班に降格。5月27日の別府FIIが最後のレースとなった。同年6月4日で現役引退を表明。地元函館GIIIの開催最終日である翌5日の7R終了後に場内で引退セレモニーを実施しバンクを去った。
2018年6月18日、選手登録消除。通算2629戦419勝、優勝52回(うちGIは競輪祭新人王を含め2回)。通算獲得賞金は9億7,644万5,133円[2][3]。
主な獲得タイトル
エピソード
- 1000mTTで日本人として初めて1分5秒を切る1分4秒92の日本記録を打ち立てた。
- 2019年、競輪評論家である山口幸二からオファーを受け、第62回オールスター競輪4日目(8月17日)第5レース終了後に行われた「KEIRINレジェンドエキシビションII」にて1年ぶりにバンクを出走[4][5]。
出典
- ^ 1992年のオールスターと競輪祭を合わせて、1993年の競輪祭まで7回連続で特別競輪の決勝戦に進出した。
- ^ “俵信之が引退 世界選手権スプリント&ダービーV”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2018年6月4日) 2018年6月4日閲覧。
- ^ 【競輪】俵信之 引退セレモニー「中野さんの世界選V10を阻止したかった」 デイリースポーツ 2018年6月5日
- ^ “本紙評論家・後閑信一氏が「レジェンドエキシビション2」で同期対決を制しV 名古屋「オールスター競輪」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2019年8月17日) 2019年8月18日閲覧。
- ^ “【名古屋・レジェンドエキシビション2】後閑氏が吉岡氏振り切って優勝”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2019年8月18日) 2019年8月18日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 現役時代のプロフィール - KEIRIN.JP