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: 2.選考委員会が特に認めた選手 |
: 2.選考委員会が特に認めた選手 |
2021年4月27日 (火) 14:58時点における版
概要 | |
---|---|
開催時期 | 12月30日 |
開催地域 | 持ち回り |
愛称 | グランプリ |
分野 | 競輪 |
カテゴリー | GP |
形態 | 一発勝負 |
主催者 | 持ち回り |
歴史 | |
初回開催年 | 1985年 |
開催回数 | 36回(2020年) |
初代優勝者 | 中野浩一 |
最多優勝者 | 井上茂徳、山田裕仁(3回) |
直近優勝者 | 和田健太郎(2020年) |
KEIRINグランプリ(ケイリングランプリ)は、毎年12月30日に開催される競輪のGP競走(レース)である。ただし1989年は労使交渉の決裂から開催中止、1990年はテレビ中継の関係で12月29日に開催した。
正賞は、経済産業大臣賞、日本放送協会杯、主催者市長賞、主催者議会議長賞、全国競輪施行者協議会会長賞、JKA会長賞、自転車競技会全国協議会会長賞、日本競輪選手会理事長賞、全国競輪場施設協会会長賞、日本自転車競技会会長賞。
概要
このレースは通常のトーナメント方式ではなく、一定の条件により選ばれた9人のS級選手による1レースのみの一発勝負である。
現在は優勝賞金が1億円超(副賞含む)であること、2001年に競輪のグレード制が導入されてからはGIよりも格の高いグレードとして『GP』が用意されるなど、競輪における最上位のレースと位置付けられており、その年の競輪界の「真の実力日本一決定戦」とも認識されることもある[注 1]。
2007年までは、各種公営競技を代表する年末のビッグレース(中山大障害・有馬記念・東京大賞典・賞金王決定戦競走・スーパースター王座決定戦・KEIRINグランプリ)の中でも最後に行われてきたことから、その年の「ギャンブル総決算」、あるいは「公営競技界最後の大一番」の意味合いを持つレースとして位置付けられてきた[注 2]。2008年以降はオートレースの「スーパースター王座決定戦」が、また2014年以降は競艇の賞金女王決定戦競走がそれぞれ大晦日に行われるようになったため、こうした「総決算」や「大一番」の座をそちらに譲ることになった。ただ、競輪界においては、GPがその年の開催場のシリーズ最終日の最終レースに行なわれるため、「グランプリファイナル」とも言われている。2019年に東京大賞典に売り上げを抜かれた[1]が、2018年までは中央競馬を除く各種公営競技のレースとしては最大の売り上げを持つ競走であった。
現在は、毎年12月28日から12月30日までの3日間が「グランプリシリーズ」と題して寺内大吉記念杯競輪がアンダーカードとして行われており、各日最終11レースが「グランプリ」レースとなっている(初日である12月28日がオッズパーク杯ガールズグランプリ、2日目である12月29日がヤンググランプリ、最終日である12月30日がKEIRINグランプリ)。
レース
2825m(400mバンク7周)で行われる。競輪はほとんどのレースでは1625mないし2025m、GIの決勝でも2425m(競輪場により周長が異なるため微差あり)で行われるため、競輪における全レース中で最も競走距離が長いレースとなっている。なお、固定開催ではないため400m以外のバンクを持つ競輪場での開催の可能性もあるが、過去の開催場は全て400mバンクで開催されたため、一貫して2825mでの開催が続いている。
賞金
1着賞金は、第1回(1985年)が1000万円であったが、以後少しずつ増額され第13回(1997年)から7000万円となり、第20回(2004年)からは先駆けて1億円とした競艇のボートレースグランプリに合わせて1億円[注 3] に増額された。第30回(2014年)ではさらに170万円増額されて1億170万円となったが、第31回(2015年)から第34回(2018年)では10万円減額されて1億160万円となっていた。ただ、第35回(2019年)は本賞金が9840万円に増額された[2]ため、副賞込みで史上最高額となる1億340万円となった[3]。第37回からは更に増額され、本賞金のみで初めて1億円を突破し1億330万円となった(本賞金だけでもボートレースグランプリの優勝賞金を上回った)。
なお、この優勝賞金の1億円(米ドルに直すと現在のレートで100万ドル程度)は競艇のボートレースグランプリと共に1レースの優勝額としては世界最高額としてギネス世界記録に認定されている(いずれも副賞込みの金額)。
近年の各着順における賞金額は、以下の通り。( )内は副賞(1着に授与)を含んだ金額。
大会(年) | 1着 | 2着 | 3着 | 4着 | 5着 | 6着 | 7着 | 8着 | 9着 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
第34回(2018年)[4] | 9,660万円(1億160万円[5]) | 2054万円 | 1242万円 | 837万円 | 695万円 | 603万円 | 573万円 | 552万円 | 532万円 |
第35回(2019年)[2] | 9,840万円(1億340万円[3][6]) | 2090万円 | 1265万円 | 853万円 | 708万円 | 614万円 | 584万円 | 562万円 | 542万円 |
第36回(2020年)[7] | |||||||||
第37回(2021年)[8] | 10,330万円 | 2195万円 | 1328万円 | 896万円 | 743万円 | 645万円 | 613万円 | 590万円 | 569万円 |
開催場
開催場は固定ではなく、各競輪場による持ち回りである。
競輪では、原則として「1競輪場で、1年間で開催できるグレードレースは一つ(1節)のみ」という取り決めがあるが、グランプリはグレードレースの中でも別格の位置づけにあるため、同年度中にグランプリとは別で、GIやGII(特別競輪)、GIII(記念競輪)の開催も可能となっている。ただ、グランプリ自体がビッグレースであり、現状でもグランプリ1レースだけで50億円ほど、3日間のグランプリシリーズ累計では110億円以上の売上があることから、グランプリを開催する競輪場では、他の競輪場に配慮して同年度内はGIIIは開催するがGIやGIIは開催しないことが暗黙の了解となっている。
特に、グランプリ開催当日は1万人以上[注 4]もの大量の観客が訪れることから、競輪場のキャパシティと開催ノウハウの関係もあり、2002年までは立川競輪場での開催を基本としつつ、立川競輪場で日本選手権競輪が開催される年のみ、平塚競輪場にて開催されるパターンが続いた。ただ、2003年に京王閣競輪場で初めて開催されてからは、京王閣 → 立川 → 平塚の順で3場を3年周期とするローテーションにて開催されるようになった。
このような経緯から、グランプリの開催実績のある競輪場は(競輪の区分でいう)関東(立川、京王閣)ないし南関東(平塚)の競輪場のみの開催に限られていたが、2014年には関東・南関東の3場以外では初となる岸和田競輪場(大阪府岸和田市。近畿)[9]にて開催され、さらに2018年では上記4場以外では初となる静岡競輪場(静岡県静岡市。南関東)[10]でも開催された。
現在でも基本的に、京王閣 → 立川 → 平塚の順で3年周期にて開催するローテーションは保たれており、2017年は平塚にて2011年以来6年ぶりに開催され、2018年は京王閣ではなく静岡であったが2019年は立川にて3年ぶりに開催され、2020年は平塚にて3年ぶりに開催された。2021年は順番で言えば京王閣に当たるが、京王閣では同年に日本選手権競輪(GI)が開催されることが決まったため、静岡にて3年ぶりに開催されることが決定している。2022年も同様に順番で言えば立川に当たるが、平塚にて2年ぶりに開催される事が決定している。
なお、岸和田競輪場での開催が決定する前にも、関東以外での開催が検討されたこともあり、KEIRINグランプリ'88は甲子園競輪場(兵庫県西宮市。近畿)で開催することが一度は決定したものの、警備面など諸問題がクリアできず[注 5]甲子園の方から開催返上の申し出があり、立川が代替開催を引き受けたことから結局は従来通り立川で開催された。
出場資格
後述するように、その年のグランプリ開催日においてS級に所属し、かつその年のGIで優勝した選手および獲得賞金額上位の9選手である。ただ例外的に、当年における世界選手権自転車競技大会や夏季オリンピックでの自転車トラックレース競技個人種目成績優秀者(メダリスト)にも出場資格が与えられることがある。
なお、選考期間である当年1月から10月までの10ヶ月間で、出走が40走に満たない場合は選考から除外される[11]が、ナショナルチームとしての活動(競技)に重点を置いている場合は特例として除外されないことになっている[注 6]。また、「あっせん停止[12] 」に処された者は選考から除外される慣例がある(過去には井上茂徳・内林久徳などが除外された)。
KEIRINグランプリ2017からは、新たに以下に該当する者を選考から除外することになった[13][14][15]。
- 選考期間内のGI・GIIで失格を3回以上した者
- 選考期間内の全レースで11条失格(過度けん制など)・58条失格(誘導員早期追抜)を犯した者(但し内容を精査の上で決定)
このほか、賞金獲得者上位者の次点1名が補欠選手として決められており、出場予定選手が不祥事や怪我・病気に伴う斡旋・出場停止または出場辞退すると、代わりに補欠選手が繰り上がり出場することになる。なお、斡旋・出場停止または出場辞退した選手はS級S班から陥落する。
出場特典
- 優勝者は、翌年のKEIRINグランプリ直前までの1年間、出場するすべてのレースで1番枠に固定される特典が与えられる(第18回より制定)。
- 出場者全員が翌年のKEIRINグランプリ直前までS級S班在籍となり、また翌年の全GIレースにおいても優先出走資格が与えられる(第23回より制定)。
- 「グランプリチャンピオンユニフォーム」(優勝者)「グランプリユニフォーム」(優勝者以外)を、翌年の朝日新聞社杯競輪祭まで着用することができる。グランプリチャンピオンユニフォームのデザインは毎年変わる。
レース名
設立当時のレース名は「KEIRINグランプリ'●●」(●●には開催西暦年の下2桁が入る)であったが、2000年には「KEIRINグランプリ2000」というレース名で開催、2001年から2009年までは「KEIRINグランプリ●●」(●●には開催西暦年の下2桁が入る。1999年以前と異なり年を表す数の前に「'」が入らない)、2010年以降はそのまま西暦4桁を入れた「KEIRINグランプリ●●●●」というレース名で呼称されている。
- 西暦年の読み方は、2000年までは日本語(例「KEIRINグランプリ99」=きゅうじゅうきゅう)であったが、2001年から2009年までは2008年を除いて英語(例「KEIRINグランプリ09」=ゼロナイン)に変更されていた。2008年は「KEIRINグランプリ08」(ぜろはち)と日本語である。2010年から2019年まではそのまま日本語で「KEIRINグランプリ2010」=「にせんじゅう」、「KEIRINグランプリ2019」=「にせんじゅうきゅう」などとしていた。2020年は「KEIRINグランプリ2020」=「にーぜろにーぜろ」としている。
車番
車番の決定方法については、ガールズグランプリのように統一したルールはなく、毎回各施行者が独自に各出場選手の力関係などを考慮して決定している。ただ、この車番発表も一つのイベントであるため、年次によっては公開抽選により車番決定を行ったり[16]、KEIRINグランプリ2018では前夜祭(後述)で出場選手紹介時に選手自らが希望する車番を選択する方式を採用した(選考順位1位の選手から順に、希望の車番を選択)[17][18]ほか、KEIRINグランプリ2020では開催地の平塚競輪場での12月上旬の本場開催においてガールズグランプリやヤンググランプリとともに開催3日間で毎日後半のレースの合間に車番を順に一人ずつ発表した[19]など、年次により特色が見られることもある。
前夜祭
毎年12月の平日[注 7]夜、関係者や応募抽選で当選したファン(但し年によっては参加費が必要)を招待し、都内ホテルで開催。会場は年次により変わるが、近年では2017年・2018年・2020年[20]はグランドニッコー東京 台場で、2019年は京王プラザホテルで、それぞれ開催された。
前夜祭当日は、KEIRINグランプリに出場する9名と、ガールズグランプリに出場する7名が出席する[注 8]。男子はオーダーメイドスーツあるいはタキシード[注 9]で、女子は各人が選定したドレスないし和服で、それぞれ出席するのが恒例となっている。立食・バイキング形式のパーティーで、ゲストを招いてのレース展開予想やファンとの記念撮影、プレゼント抽選会などが行われる。また、前夜祭の直前には、会場のホテルでマスコミ関係者向けの共同記者会見も併せて行われる。
2020年はCOVID-19の影響を考慮してファンの招待は取り止め関係者のみの出席とし、選手はリモート出演とした。また、共同記者会見も同様の形式で行われた[21][20]。
生中継も行われており、2017年まではSPEEDチャンネル[注 10]で中継されていたが、2019年[注 11]以降はネット中継のみとなっている(2019年はKドリームス、2020年はABEMA 競輪・オートレースチャンネル[20])。
歴史
1981年に事実上史上初めて競輪の売り上げが対前年比割れとなり、その後も4年連続して対前年比割れが続いたことを踏まえ、売り上げ減少防止のためのカンフル剤の意味で1985年に当時5番目の特別競輪として全日本選抜競輪を創設、同年8月に開催を行った。だが全日本選抜競輪の売り上げは芳しくなく、1985年度の上半期(4月 - 9月)の売り上げ状況からみて5年連続の売り上げ減少は避けて通れない情勢となっていた。そこで当時の監督省である通商産業省の車両課長だった西川禎一が、「中央競馬の有馬記念に匹敵するグランプリレースを競輪でも行えないものか?」と発案したのが当レースであった[22]。
しかしながら、最初から1レースのみの一発勝負で決するレースという形にしようとは考えていなかった。当時は特別競輪ならば6日間、記念競輪ならば3日間のトーナメント戦形式だった事を踏まえ、東日本の競輪場と西日本の競輪場で各々1レースずつ予選を行い、そこから勝ち上がった選手を再度頂上決戦というべきレースに出場させるという案がまずは浮上した。
だが、有馬記念は1レースのみで王者を決するものであり、またそうした方が盛り上がるのではないかという案が通産省内でも多勢を占めることになったため、同年10月頃、集客が多く見込める首都圏の競輪場で1回限りの開催という形で大筋の話はまとまった。しかし急な決定につき開催地に手を上げる競輪場がなかなか現れなかったため、通産省は多くの観客を収容できるスタンドを持つ立川競輪場に開催地のターゲットを絞って交渉を重ねた結果、立川競輪場を主催する立川市と合意に達したことから同年の競輪祭終了後、同年の特別競輪優勝者5人、同世界自転車選手権優勝者1人、競走得点上位者3人の計9人により同年12月30日、立川競輪場にて予選なしの一発勝負の形式によるKEIRINグランプリを開催するというプレスリリースを行ったことで、ようやく当レースの全貌が明らかになった。
しかしながら急な決定ということも重なり、場外発売を引き受ける競輪場はほとんどなく、せいぜい10場程度しかなかった(とりわけ、中部以西の競輪場はほとんど引き受けるところがなかった)。また、地上波テレビ中継についても開催直前まで難航し、なんとか当時特別競輪決勝戦の中継を担当していたテレビ東京に引き受けてもらうことで決着した。
そして主催者の立川市および日本競輪選手会も盛り上がりを懸念し、公営競技としては当時初めてグランプリに出場する9選手がレース当日、立川競輪場の正門前に集まってファンをお出迎えするというサービスを行うことになった。だがそうした懸念は杞憂となり、立川競輪場は39019人のファンで埋め尽くされ、加えて売り上げも当時としては当レースだけでも画期的とも言える10億円を超えた。
さらにグランプリの売り上げが功を奏し、1985年の競輪の売り上げは5年ぶりに前年対比増に転じ、以後1991年まで対前年比増を続けることになる。
当レースの創設は他の公営競技にも影響を与え、競艇では1986年から賞金王決定戦競走が、またオートレースは1987年からスーパースター王座決定戦という、それぞれの競技の年間チャンピオン決定戦を誕生している。
KEIRINグランプリ07以降は、GP出場9選手はS級S班としてレース本番に臨むこととなった。
なお、第36回(2020年)はCOVID-19流行と感染拡大を防止する観点から入場は事前申込制とした上で、神奈川県在住かつ2,000名[注 12] 限定と制限した上の開催となった[23]。このため第1回の1985年から続いていたGP当日の入場者数1万人超えは、2019年限りで途切れる事になった。
出場選手選抜方法
KEIRINグランプリの出場選手(通称:グランプリレーサー)は、以下の優先順位に従って正選手9人・補欠1人が選抜される。
- 選考期間…当年1月〜競輪祭最終日、選考…競輪祭終了直後、最低出走回数…40出走(当年1月〜10月までの10か月間。但し例外規程あり[注 13])
- 1.GI競走優勝者
- 現在は以下の6大会があてはまる。( )内は決勝戦が行われる月。
- 読売新聞社杯全日本選抜競輪(2月)
- 日本選手権競輪(5月)
- 高松宮記念杯競輪(6月)
- オールスター競輪(8月)
- 寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(10月)
- 朝日新聞社杯競輪祭(11月)
- 2.選考委員会が特に認めた選手
- これは、競輪祭開催以前に決定する。なお、以前は『当年に夏季オリンピックが開催された場合は、その夏季オリンピックにおけるトラックレース競技個人種目メダリスト』ないし『当年の世界選手権自転車競技大会トラックレース競技個人種目優勝者など選考委員から特別に認められた選手』とされていた。
- 3.残余は賞金獲得額上位者[注 14]を順次選抜する[注 15]
- 同額の場合は、当年1月〜10月までの10か月間における平均競走得点上位者を優先
なお、補欠選手は正選手を除く賞金獲得額上位者からさらに順次選抜される。
ただし、グランプリ開催当日の時点でS級に在籍していることが条件で、同年中のGI競走に優勝してもグランプリ当日の時点でA級に降格されている場合と引退・怪我・病気に伴い出場を辞退した選手[注 16]、また選手選考期間内のGI・GIIを対象として、失格を3回以上した選手はグランプリ出場資格を失う。競技規則第11条又は第58条により失格した選手はグランプリ出場資格を失う場合がある。
過去の開催場・優勝者・優勝賞金・入場者・売上額
これまで計23人が優勝している。
- 開催日は、12月30日(第6回のみ12月29日)
- 車番の色は、開催日時点でのユニフォームに準拠
- 出場は、開催日時点での通算出場回数(*は初出場)
- 優勝者の年齢・所属は、開催日時点
- 年齢の太字は、過去最年少および最年長
- 優勝賞金は、副賞込みの金額(単位:万円)
- 入場者数は、開催日当日の本場のみ(単位:人)
- 優勝賞金・入場者数・売上額の太字は、いずれも過去最高
回 | 年 | 開催 場 |
車 番 |
優勝者 | 出 場 |
年 齢 |
所 属 |
優勝 賞金 |
入場 者数 |
売上額 (万円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1985年 | 立川 | 1 | 中野浩一 | * | 30 | 福岡 | 1,000 | 39,019 | 12億0577 |
2 | 1986年 | 2 | 井上茂徳 | 2 | 28 | 佐賀 | 1,500 | 40,371 | 28億4953 | |
3 | 1987年 | 平塚 | 1 | 滝澤正光 | 3 | 27 | 千葉 | 1,700 | 37,782 | 40億6653 |
4 | 1988年 | 立川 | 7 | 井上茂徳 | 3 | 30 | 佐賀 | 38,480 | 57億7382 | |
5 | 1989年 | - | ※中止 | - | - | - | - | - | - | |
6 | 1990年 | 1 | 坂本勉 | 2 | 28 | 青森 | 2,500 | 36,483 | 58億5734 | |
7 | 1991年 | 7 | 鈴木誠 | 2 | 26 | 千葉 | 3,000 | 42,528 | 66億4564 | |
8 | 1992年 | 平塚 | 2 | 吉岡稔真 | * | 22 | 福岡 | 3,220 | 37,300 | 79億3756 |
9 | 1993年 | 立川 | 7 | 滝澤正光 | 8 | 33 | 千葉 | 3,560 | 38,588 | 82億6129 |
10 | 1994年 | 5 | 井上茂徳 | 8 | 36 | 佐賀 | 35,768 | 90億1217 | ||
11 | 1995年 | 1 | 吉岡稔真 | 4 | 25 | 福岡 | 5,060 | 40,621 | 81億6077 | |
12 | 1996年 | 7 | 小橋正義 | 4 | 29 | 岡山 | 6,000 | 39,793 | 106億4770 | |
13 | 1997年 | 7 | 山田裕仁 | 3 | 29 | 岐阜 | 7,000 | 35,065 | 98億9259 | |
14 | 1998年 | 8 | 山口幸二 | * | 30 | 38,071 | 98億0189 | |||
15 | 1999年 | 9 | 太田真一 | * | 24 | 埼玉 | 35,531 | 91億3783 | ||
16 | 2000年 | 9 | 児玉広志 | 6 | 31 | 香川 | 34,358 | 85億6746 | ||
17 | 2001年 | 平塚 | 5 | 伏見俊昭 | * | 25 | 福島 | 34,173 | 82億9995 | |
18 | 2002年 | 立川 | 9 | 山田裕仁 | 7 | 34 | 岐阜 | 35,030 | 73億9456 | |
19 | 2003年 | 京王閣 | 6 | 8 | 35 | 25,333 | 70億0269 | |||
20 | 2004年 | 立川 | 9 | 小野俊之 | 3 | 28 | 大分 | 10,000 | 29,014 | 64億8339 |
21 | 2005年 | 平塚 | 4 | 加藤慎平 | * | 27 | 岐阜 | 20,619 | 66億1921 | |
22 | 2006年 | 京王閣 | 5 | 有坂直樹 | * | 37 | 秋田 | 25,294 | 63億0478 | |
23 | 2007年 | 立川 | 3 | 伏見俊昭 | 5 | 31 | 福島 | 20,201 | 63億8341 | |
24 | 2008年 | 平塚 | 7 | 井上昌己 | 2 | 29 | 長崎 | 20,154 | 57億1300 | |
25 | 2009年 | 京王閣 | 9 | 海老根恵太 | * | 32 | 千葉 | 19,819 | 52億9775 | |
26 | 2010年 | 立川 | 7 | 村上博幸 | * | 31 | 京都 | 15,909 | 49億0674 | |
27 | 2011年 | 平塚 | 2 | 山口幸二 | 3 | 43[注 17] | 岐阜 | 18,496 | 51億4546 | |
28 | 2012年 | 京王閣 | 4 | 村上義弘 | 6 | 38 | 京都 | 15,642 | 50億7515 | |
29 | 2013年 | 立川 | 3 | 金子貴志 | * | 38 | 愛知 | 16,682 | 55億0942 | |
30 | 2014年 | 岸和田 | 2 | 武田豊樹 | 6 | 40 | 茨城 | 10,170 | 11,911 | 54億6018 |
31 | 2015年 | 京王閣 | 6 | 浅井康太 | 5 | 31 | 三重 | 10,160 | 17,764 | 52億4240 |
32 | 2016年 | 立川 | 3 | 村上義弘 | 10 | 42 | 京都 | 15,370 | 48億6384 | |
33 | 2017年 | 平塚 | 9 | 浅井康太 | 7 | 33 | 三重 | 16,742 | 50億6186 | |
34 | 2018年 | 静岡 | 1 | 三谷竜生 | 2 | 31 | 奈良 | 22,110 | 52億0674 | |
35 | 2019年 | 立川 | 4 | 佐藤慎太郎 | 5 | 43[注 18] | 福島 | 10,340 | 12,157 | 52億1579 |
36 | 2020年 | 平塚 | 4 | 和田健太郎 | * | 39 | 千葉 | 1,566[注 19] | 56億7148 |
- 各回のエピソードについては、各項目を参照のこと。
開催場における特色
共通
近年の発走時刻は概ね16:30前後に設定されているが、特に関東地方ではこの時期の日没が発走時刻とほぼ重なるため、広義の薄暮競走で行われ、なおかつそれぞれに照明設備があるため、実質「ナイター競走」と同等である(但し立川競輪場と岸和田競輪場では現在ナイター開催は行っていない)。なお、2003年以降は現在に至るまで、3年周期で京王閣競輪場 → 立川競輪場 → 平塚競輪場の順で開催されているが、2014年は平塚競輪場に代わり岸和田競輪場で、2018年は京王閣競輪場に代わり静岡競輪場で、それぞれ開催された。そのため、平塚競輪場は2017年の開催が6年ぶりの開催であった。また、開催された競輪場は全て400mバンクであり、競走は第1回から全て7周・2825mにて行われている。2020年は従来のローテーション通り平塚にて3年ぶりに開催されたが、2021年は同年に京王閣競輪場にて日本選手権が開催されるため、静岡競輪場にて3年ぶり2回目の開催が決定している。
立川競輪場
1985年の第1回を開催したKEIRINグランプリ発祥の地であり、通算20回開催。第1回の開催において4万弱の来場者を集めたほどの集客力があることから、最もグランプリの開催地というイメージが強い。なお、過去には立川で他の特別競輪が開催される年のみ京王閣または平塚での開催が行われていたが、近年はその原則が崩れている。立川で開催される年のグランプリのポスターには、毎回立川競輪場のシンボルマークとして使われている白頭鷲が描かれている。
京王閣競輪場
2003年からKEIRINグランプリの開催場に加わり、通算5回開催。集客力は立川に並ぶ程であり、比較的新しい観戦スタンドのチケット人気は高い。2009年の開催からは、平塚と同じように表彰式の一般開放を行っている(但し、バンク内にファンが出向く平塚とは異なり、フェンスそばのスタンドに設営した特設表彰台に優勝選手が出向く形とした)。
平塚競輪場
1987年からKEIRINグランプリを開催しており、通算8回開催。都心から離れていることから集客力では劣るが、イベントなどの開催で盛り上げを図っており、2005年の開催からは以下のセレモニーが実施されている。
- 表彰式の一般開放(2005年 - 2017年)
- レース終了後、バンクとスタンドを隔てるフェンスを取り払ってバンクを一般開放して表彰式を行い、ファンは表彰台手前まで近づいて優勝者を祝福できるようにした。優勝者によるシャンパンファイトも行われている。
- レース終了後、選手との懇親会を実施(2005年 - 2011年)
- グランプリ当日、特別観覧席入場者の中から抽選で選ばれた数十人程度をレース終了後の懇親会(立食式のパーティ)に招待した。当選者は表彰式終了後、選手宿舎内の食堂にて1時間程度、グランプリ出場選手との懇親会を楽しんだ(なお2005年の場合、実際に出席したのは加藤慎平、小嶋敬二、後閑信一のみ)。
岸和田競輪場
2014年にKEIRINグランプリを開催しており、通算1回開催。2014年は西日本で初開催となったため、1年間に渡ってグランプリのキャンペーンを展開していた。イメージアーティストに長渕剛を、イメージソングに長渕の「走る」をそれぞれ起用。長渕もグランプリシリーズ初日(12月28日)に来場し、開会式で「走る」をバンク内で披露した。
静岡競輪場
2018年にKEIRINグランプリを開催しており、通算1回開催。2018年は首都圏・近畿以外では史上初めての開催となった。表彰式は、バンク内ではなく東スタンド真下の特設ステージにて行われた。2021年に2回目を開催予定になっている。
実況中継
- テレビ(地上波)
- 2007年(KEIRINグランプリ07)までテレビ東京系列と一部の地方局で放送されていた[注 20]が、2008年(KEIRINグランプリ08)からは日本テレビ系列に移行している。同年から2012年[注 21](KEIRINグランプリ2012)には日本テレビ製作・キー局とした日本テレビ系列向けの全国中継、および日テレ製作協力(実質裏送り)して、BS日テレと千葉テレビ(立川・京王閣開催時)、テレビ神奈川(平塚開催時)をキーとしておよび独立UHF局系列向けのものの2種類の中継が放送されていた(一部地域除く)。
- 日テレ系の中継はレースの展望や事前情報よりも、出場選手の密着取材ドキュメンタリーに比重が置かれている。2011年 - 2013年は『ブラマヨ自転車部 賞金1億円なんてどうかしてるぜ!』、2014年以降は坂上忍の勝たせてあげたいTVのタイトルで事前番組[注 22]も放送されている。
- 一方、独立県域局のものはスタンダードなレース展望・情報が主である。なお、テレビ東京が中継を担当していた時は、事前レースである阿佐田哲也杯まで、千葉テレビ(立川・京王閣開催時)、テレビ神奈川(平塚開催時)制作で放送していた。
- 2014年(KEIRINグランプリ2014)と2016年(KEIRINグランプリ2016)からは、2016年・2017年に東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)が「オッズパーク杯ガールズグランプリ」を菊地亜美の女子力向上委員会スペシャルとして東京ローカルで中継した以外は、KEIRINグランプリのみの地上波中継になっている。
- テレビ(BS)
- 1997年(KEIRINグランプリ'97)よりNHK・衛星第1テレビジョン → BS1にて生中継されている[注 23]。NHKで中継される唯一の競輪のレース(さらに言えば中央競馬以外の公営競技で唯一放送されているレースでもある)。
- なおBS日テレでの中継では、2019年までグランプリシリーズの初日メインカード「オッズパーク杯ガールズグランプリ[注 24]」も生中継していた。2015年までは2日目「ヤンググランプリ」と最終日の寺内大吉記念杯競輪決勝戦も生中継していたが、2016年以降はBS中継が縮小された影響で中継されていない。
- テレビ(CS)
- SPEEDチャンネルのほか、立川競輪場で開催の場合は2010年(KEIRINグランプリ2010)までEXエンタテイメント、2013年(KEIRINグランプリ2013)のみ寄席チャンネル、2016年のみたちかわ・西武園競輪チャンネルでも放送されていた。
- ラジオ
- 2019年まではアール・エフ・ラジオ日本が実況中継を担当し、主なJRN系列局(2019年は4局ネット。東海・近畿地区はKBS京都やラジオ関西などの独立局)にネットしていた(過去には1994年から2009年までTBSラジオがキーステーションとなっていた時期もある。また1985年から2001年まではラジオたんぱでも放送されていた)。なお、2020年は放送が行われなかった。
2009年大会までの全出場者・全着順
- 一番左の出場回数は、2009年大会までの計(KEIRINグランプリ'89は中止)
- r=途中棄権(落車棄権等)、X=失格
- 太字のうち、村上義弘・武田豊樹・佐藤慎太郎の3名は、のちに優勝
- H=平塚、K=京王閣、無記入=立川
H | H | H | K | H | K | H | K | ||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
8 5 |
8 6 |
8 7 |
8 8 |
9 0 |
9 1 |
9 2 |
9 3 |
9 4 |
9 5 |
9 6 |
9 7 |
9 8 |
9 9 |
0 0 |
0 1 |
0 2 |
0 3 |
0 4 |
0 5 |
0 6 |
0 7 |
0 8 |
0 9 |
||||
5 | 中野浩一 | 1 | 3 | 2 | 5 | 2 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 中野浩 | |
9 | 井上茂徳 | 2 | 1 | ‾ | 1 | 6 | 5 | 2 | 4 | 1 | 3 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 井上茂 | |
6 | 佐々木昭彦 | 3 | 8 | 4 | 4 | 8 | 6 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 佐々木 | |
1 | 尾崎雅彦 | 4 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 尾崎雅 | |
2 | 伊藤豊明 | 5 | 7 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 伊藤豊 | |
5 | 山口健治 | 6 | 4 | 3 | 2 | 7 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 山口健 | |
1 | 高橋健二 | 7 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 高橋健 | |
10 | 滝澤正光 | 8 | 6 | 1 | 3 | 5 | 2 | 6 | 1 | 2 | 8 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 滝澤正 | |
3 | 清嶋彰一 | 9 | 2 | 8 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 清嶋彰 | |
1 | 菅田順和 | ‾ | 5 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 菅田順 | |
4 | 本田晴美 | ‾ | 9 | 6 | 9 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 6 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 本田晴 | |
2 | 馬場進 | ‾ | ‾ | X | 8 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 馬場進 | |
4 | 俵信之 | ‾ | ‾ | 7 | ‾ | 9 | 7 | ‾ | 8 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 俵信之 | |
1 | 小門洋一 | ‾ | ‾ | 5 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 小門洋 | |
3 | 坂本勉 | ‾ | ‾ | ‾ | 7 | 1 | 4 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 坂本勉 | |
1 | 佐古雅俊 | ‾ | ‾ | ‾ | 6 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 佐古雅 | |
1 | 三宅勝彦 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 3 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 三宅勝 | |
7 | 鈴木誠 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 4 | 1 | 7 | 7 | 8 | ‾ | ‾ | 4 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 8 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 鈴木誠 | |
14 | 神山雄一郎 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 8 | 3 | 5 | 6 | 2 | 2 | 2 | 2 | X | 5 | 9 | ‾ | ‾ | 9 | 6 | ‾ | ‾ | ‾ | 4 | 神山雄 | |
1 | 坂巻正巳 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 9 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 坂巻正 | |
10 | 小橋正義 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 3 | ‾ | ‾ | 7 | 6 | 1 | 6 | 3 | 3 | ‾ | 8 | 5 | ‾ | 3 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 小橋正 | |
10 | 吉岡稔真 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 1 | 2 | 3 | 1 | 4 | r | 5 | 6 | ‾ | ‾ | ‾ | 2 | ‾ | ‾ | 9 | ‾ | ‾ | ‾ | 吉岡稔 | |
4 | 高木隆弘 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 4 | 3 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 7 | ‾ | ‾ | 6 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 高木隆 | |
1 | 梶應弘樹 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 5 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 梶應弘 | |
8 | 山田裕仁 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 9 | ‾ | 5 | ‾ | ‾ | 1 | 4 | ‾ | 4 | 2 | 1 | 1 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 山田裕 | |
5 | 松本整 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 8 | 6 | ‾ | 7 | X | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 9 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 松本整 | |
2 | 海田和裕 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 9 | ‾ | ‾ | r | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 海田和 | |
2 | 高橋光宏 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 4 | 4 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 高橋光 | |
2 | 稲村成浩 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 9 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 3 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 稲村成 | |
7 | 児玉広志 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 5 | r | 7 | r | 2 | 1 | 7 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 児玉広 | |
3 | 三宅伸 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 9 | r | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 9 | ‾ | 三宅伸 | |
1 | 十文字貴信 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | r | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 十文字 | |
4 | 後閑信一 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 3 | X | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 2 | 6 | ‾ | ‾ | ‾ | 後閑信 | |
2 | 濱口高彰 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 3 | ‾ | ‾ | ‾ | 4 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 濱口高 | |
2 | 東出剛 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 5 | ‾ | 4 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 東出剛 | |
1 | 加倉正義 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 8 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 加倉正 | |
2 | 山口幸二 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 1 | 5 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 山口幸 | |
2 | 小倉竜二 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | r | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 5 | ‾ | ‾ | ‾ | 小倉竜 | |
2 | 金古将人 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 7 | 3 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 金古将 | |
3 | 太田真一 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 1 | 8 | ‾ | ‾ | 3 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 太田真 | |
5 | 小嶋敬二 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 9 | ‾ | ‾ | 8 | ‾ | 7 | ‾ | 2 | 3 | ‾ | 小嶋敬 | |
4 | 岡部芳幸 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 2 | 5 | ‾ | 6 | 2 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 岡部芳 | |
2 | 池尻浩一 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 6 | ‾ | 6 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 池尻浩 | |
1 | 金子真也 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 7 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 金子真 | |
7 | 伏見俊昭 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 1 | ‾ | 7 | 6 | 5 | ‾ | 1 | 7 | 3 | 伏見俊 | |
3 | 村上義弘 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 3 | 9 | 4 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 村上義 | |
3 | 小野俊之 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 4 | 4 | 1 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 小野俊 | |
1 | 戸邉英雄 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 7 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 戸邉英 | |
1 | 山口富生 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 2 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 山口富 | |
3 | 渡邉晴智 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 8 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 4 | 5 | ‾ | 渡邉晴 | |
4 | 佐藤慎太郎 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 5 | 7 | r | 3 | ‾ | ‾ | ‾ | 佐藤慎 | |
1 | 齋藤登志信 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 5 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 齋藤登 | |
1 | 内林久徳 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 8 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 内林久 | |
2 | 加藤慎平 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 1 | ‾ | ‾ | ‾ | 6 | 加藤慎 | |
1 | 村本大輔 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 4 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 村本大 | |
2 | 武田豊樹 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 3 | ‾ | ‾ | ‾ | 2 | 武田豊 | |
4 | 山崎芳仁 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 7 | 6 | 6 | 5 | 山崎芳 | |
1 | 合志正臣 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 4 | ‾ | ‾ | ‾ | 合志正 | |
2 | 有坂直樹 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 1 | 5 | ‾ | ‾ | 有坂直 | |
2 | 手島慶介 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 2 | 9 | ‾ | ‾ | 手島慶 | |
2 | 井上昌己 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 8 | ‾ | 1 | ‾ | 井上昌 | |
2 | 佐藤友和 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 8 | 4 | ‾ | 佐藤友 | |
1 | 飯嶋則之 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 3 | ‾ | ‾ | 飯嶋則 | |
1 | 兵藤一也 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 7 | ‾ | ‾ | 兵藤一 | |
2 | 平原康多 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 2 | 9 | 平原康 | |
2 | 永井清史 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 8 | 7 | 永井清 | |
1 | 石丸寛之 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 8 | 石丸寛 | |
1 | 海老根恵太 | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | ‾ | 1 | 海老根 | |
8 5 |
8 6 |
8 7 |
8 8 |
9 0 |
9 1 |
9 2 |
9 3 |
9 4 |
9 5 |
9 6 |
9 7 |
9 8 |
9 9 |
0 0 |
0 1 |
0 2 |
0 3 |
0 4 |
0 5 |
0 6 |
0 7 |
0 8 |
0 9 |
||||
H | H | H | K | H | K | H | K |
特記事項
データ
- 第28回(2012年)で村上義弘が4番車で優勝するまでは、4番車、6番車、8番車(いわゆるヨーロッパ)が1回ずつ優勝していた。因みにいずれも岐阜所属の選手[注 25] が優勝していた。なお、8番車は2002年4月にユニフォームがピンク色に変わってからは優勝者は出ていない。(最高成績は2着が3回[注 26])
- 連続優勝は山田裕仁のみ。第18回(2002年)と第19回(2003年)を連覇[28]。
- 最年少優勝は吉岡稔真で、第8回(1992年)での22歳。一方、最年長優勝は山口幸二で、第27回(2011年)での43歳と5か月[28]。
- 第1回(1985年)の開始以来、関東勢の出場がゼロだった年は一度もない[29]。ただし、優勝者は太田真一(埼玉)・武田豊樹(茨城)の2名のみ[注 27])ともに1回)である。
- 2020年時点では、GP優勝者は全員、出場6回以内に初優勝を飾っている。また、GP初出場で初優勝を果たしたのは第1回の中野浩一を除くと10名。
- GI(グレード制施行前は特別競輪)優勝より先にGP優勝を果たしたのは、山田裕仁、小野俊之、有坂直樹、和田健太郎の4名。このうち有坂直樹と和田健太郎はGP初出場であった。また、2020年時点でGIノンタイトルは小野俊之、和田健太郎の2名。
- 神山雄一郎は、11回連続出場の最多記録を持つ(1991年の第7回から2001年の第17回まで)[30]。うち、第11回(1995年)から第14回(1998年)まで4大会連続で2着であった。
その他
- 開催時の特別観覧席は、はがき・開催競輪場・インターネットでの抽選などによる発売となる。ただし第21回(2005年、平塚競輪場)と第22回(2006年、京王閣競輪場)のメインスタンド席は先着順にて販売された。
- 現在は1着賞金が1億円以上あるため、KEIRINグランプリを優勝することがそのまま当年の年間賞金王へと繋がっている(2000年の第16回以降の賞金王は全て、当年のKEIRINグランプリ優勝者)。
- 例年1月末ごろ、年間の「最優秀選手賞」がJKAから発表されるが、グランプリ覇者以外が選ばれる年もある(GIを複数獲得した選手が優先される場合など)。
- 中止となった第5回の出場予定選手のうち、波潟和男・郡山久二・小川博美の3名は、他年度のGPにも出場する機会が一度もなかった[注 28]。
- 第14回(1998年)のメンバーは各選手自身によるデザインにより翌年の後半の約半年間[31]、1999年と2000年はコシノジュンコによるデザインで翌年のダービーからの約8-9ヶ月間[32][33]、特注ユニフォームを着用した。
- 第18回の直前に実施したネット投票の結果、「グランプリレーサーオリジナルユニフォーム」のデザインが決定。高田延彦が監修した。翌年1月の競輪祭から約1年間、グランプリメンバーが着用するようになった[34]。
脚注
- ^ “【東京大賞典】60億円超、地方競馬1レースの売上レコードを6年連続で更新!”. netkeiba.com (ネットドリーマーズ). (2020年12月29日) 2021年1月3日閲覧。
- ^ a b KEIRINグランプリ(S1G) (PDF) 副賞を含まない金額
- ^ a b 日刊スポーツ大阪本社版、2019年12月28日9面
- ^ KEIRINグランプリ2018(S1G) (PDF) 副賞を含まない金額
- ^ 日刊スポーツ大阪本社版、2018年12月28日11面
- ^ 日刊スポーツ大阪本社版、2020年12月28日20面
- ^ KEIRINグランプリ(S1G) (PDF) 副賞を含まない金額
- ^ KEIRINグランプリ(S1G) (PDF) 副賞を含まない金額
- ^ 平成26年度GP・GI・GII等開催場・日程の決定について - KEIRIN.JP 2013年4月17日
- ^ 平成30年度GP・GI・GII等開催場・日程の決定について - KEIRIN.JP、2017年3月30日
- ^ 選考基準・KEIRINグランプリ(GP) - KEIRIN.JP
- ^ 競輪に係る業務の方法に関する規程・第135条の適用者。
- ^ KEIRINグランプリに係る「特別競輪等(GP・GI・GII)出場選手の選抜方法に関する申し合わせ」(出場選手選考除外規定)の見直しについて
- ^ 競輪GPの除外規定失格数などでアウト - 西日本新聞、2017年2月15日
- ^ 【記者コラム】選手の責任だけを重くする改革に疑問 - スポーツニッポン、2017年4月17日
- ^ “平原康多-武田豊樹で競輪祭ワンツー再現/GP会見”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2016年12月22日) 2020年12月7日閲覧。
- ^ KEIRINグランプリ2018とガールズグランプリ2018の車番決定方法について - KEIRIN.JP、2018年11月12日
- ^ KEIRINグランプリ2018共同記者会見・前夜祭が行われました - KEIRIN.JP、2018年12月19日
- ^ “次節平塚でグランプリなどの車番をレースごとに発表 ”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2020年11月29日) 2020年11月30日閲覧。
- ^ a b c “KEIRINグランプリ2020共同記者会見行われました!ABEMA TV放送!”. KEIRIN.JP (2020年12月22日). 2020年12月22日閲覧。
- ^ 【お知らせ】KEIRINグランプリ2020を楽しむ5大コンテンツ公開! - WINTICKET、2020年11月23日
- ^ 参考文献:立川競輪場発行フリーペーパー「とらいふぇくた」
- ^ グランプリ2020 事前抽選による有観客開催について - 2020年10月8日
- ^ Road to GP 競輪祭直前展望 グランプリ出場を賭けた最後の戦いが始まる! - KEIRIN.JP
- ^
着順 ダービー
オールスター全日本選抜 その他のGI 1着 無条件でグランプリ出場 2着 10.5 12 10 3着 8.5 10 8 4着 6 5着 5 6着 4 7着 3 8着 2 9着 1 競走中止 0.5 失格 0 - 2・3着は大会によってポイントが変動するが4着以下は全大会共通のポイントとなる。
- ^ KEIRINグランプリ2020開催期間中 入場制限について 平塚競輪
- ^ “「KEIRINグランプリ2019(歳末チャリティ協賛)」のお知らせ”. KEIRIN.JP (2018年12月30日). 2019年12月31日閲覧。
- ^ a b 連覇は山田裕仁ただ1人/GPアラカルト - 日刊スポーツ KEIRINグランプリ2013特集
- ^ 【小倉競輪祭】平原 盟友ワンツーでV3!武田とGP切符獲得 - スポニチ、2016年11月28日
- ^ Data of KEIRIN No.1 H24
- ^ ’98GP出場選手ユニフォーム
- ^ ’99GP出場選手ユニフォーム
- ^ ’00GP出場選手ユニフォーム
- ^ グランプリレーサーオリジナルユニフォームのデザインの決定! - Keirin JP、配信日:2002年12月13日
注釈
- ^ 但し、競輪界の名誉としては、格式や歴史を考慮しても「春(長らく3月であったが、現在はゴールデンウイーク)の日本一決定戦」ダービーとする説も根強い他、GPグレードはこのレースのみなので、GIもGPとほぼ同等の最高権威とみなす事も出来る。
- ^ 2002年のキャッチフレーズは「全てのギャンブラーに捧げるワンモアチャンス」であった。
- ^ 実際は本賞金が9500万円で、副賞の500万円と合わせて1億円としていた。
- ^ ピーク時には4万人以上集めたこともあった。2020年は入場制限を行うため除外。
- ^ 甲子園競輪場では、旧鳴尾競輪場時代の鳴尾事件などが尾を引き、近隣住民への配慮から記念競輪でさえ1985年まで開催できない状態が続いた。なお、甲子園競輪場はグランプリの開催は返上したが、のち2002年に閉鎖されるまでに1999年に特別競輪(第42回オールスター競輪)を開催した。
- ^ 2018年では、新田祐大は選考期間中19走、脇本雄太は選考期間中28走であった。
- ^ 基本的に20日前後の火曜日。概ね第3週となるが、2020年は第4週となる22日に実施。
- ^ 現在は呼ばれていないが、かつてはヤンググランプリに出場する選手も呼ばれていた事もある。
- ^ 2018年のみ洋服の青山が提供した。
- ^ 2018年以降は、ハイライト番組のみの放送となっている。
- ^ 2018年は、生中継が一切放送されなかった。
- ^ 実際には、1,566名だった。
- ^ ナショナルチームとしての活動(自転車競技)に重点を置いている場合。2018年や2019年の新田祐大、脇本雄太など。
- ^ この「選考用賞金獲得額」は、KEIRIN.JP等で発表されている賞金とは異なり、先頭誘導手当、予備選手への各種手当、特別出場手当(雨天時出走ほか)等を含まない金額になっている[24]。
- ^ KEIRINグランプリ01までは、前年GP覇者が無条件出場できる制度があった。また、KEIRINグランプリ02のみGI決勝での着順によるポイント制[25]が採用されたが、既権利者がポイントを大量獲得したため制度が成り立たたくなったことから、結局その年限りで廃止された。
- ^ かつては当時最上位であったS級1班在籍が条件であり、開催当日でS級2班以下であれば出場資格を失っていた(1994年における出口眞浩の例がある)。
- ^ 43歳と5か月
- ^ 43歳と1か月
- ^ 新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から、神奈川県在住者のみ対象の事前抽選で、各日2000名のみに入場制限された[26]。
- ^ エンディングはベートーヴェンの第九が必ず流れた。
- ^ 2013年・2015年の独立局は、通常のCS中継を放送。
- ^ 2014年に読売テレビが遅れネットした以外は関東ローカル。
- ^ これは、優勝杯をNHKから提供しているのと、優勝賞金や入場収入などの収益金を(社福)NHK厚生文化事業団に寄贈し、障害者・高齢者福祉や国内外災害復旧支援に充てているため[27]。2006年(KEIRINグランプリ06)までは衛星ハイビジョンでも中継されていた。このため、NHKからも、スポーツ報道センター長、ないしは放送総局長が表彰式に列席し、NHK杯を贈呈している。
- ^ 2016年・2017年は、TOKYO MXが生中継した関係で放送無し。
- ^ 4番車=加藤慎平(第21回、2005年)。6番車=山田裕仁(第19回、2003年)。8番車=山口幸二(第14回、1998年)。
- ^ 第20回(2004年)の岡部芳幸、第25回(2009年)と第33回(2017年)の武田豊樹。
- ^ 小橋正義(新潟)は岡山在籍時に優勝。
- ^ 2020年12月時点では、工正信が唯一の現役選手。工自身は同年時点で、他年度の当大会に出場した例は一度もない。
今後の開催予定
- 第37回(KEIRINグランプリ2021) - 2021年12月30日 - 静岡競輪場(3年ぶり2度目)
- 第38回(KEIRINグランプリ2022) - 2022年12月30日 - 平塚競輪場(2年ぶり8度目)
外部リンク
- KEIRINグランプリ KEIRIN.JP 競輪資料室
- 歴代優勝者 - Kドリームス KEIRINグランプリ2016特設サイト(過去のKEIRINグランプリの動画を配信)
- KEIRINグランプリ映像アーカイブ 55:30 KEIRINグランプリ2014岸和田 - YouTube
- 2012年大会までの全競走結果
- 2012年大会までの車番別成績
関連項目
- 寺内大吉記念杯競輪
- オッズパーク杯ガールズグランプリ(FII、グランプリ前々日のメインカード)
- ヤンググランプリ(GII、グランプリ前日のメインカード)
- SSカップみのり(GI、かつてのグランプリ前日のメインカード。ただし競輪の番組編成見直しのため実質2010年で打ち切り。2011年はこれに代えて「ナショナルチームカップ」を開催)
- 有馬記念(中央競馬の年末総決算レース)
- 賞金王決定戦競走(競艇の年末総決算レース)
- スーパースター王座決定戦(オートレースの年末総決算レース)
- 東京大賞典(地方競馬の年末総決算レース)
- ゴルフ日本シリーズ(当レース同様、国内メジャー大会優勝者や賞金ランキング上位者などしか出場できない、男子ゴルフのグランドチャンピオン戦)
- LPGAツアーチャンピオンシップ(当レース同様、国内メジャー大会優勝者や賞金ランキング上位者等しか出場できない、女子ゴルフのグランドチャンピオン戦)
- 競輪の歴代S級S班選手