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「松代群発地震」の版間の差分

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<!--この記事の一部の内容は、気象庁のサイトから転載したもので、気象庁による政府標準利用規約(CC-BY)に基づいているため、著作権などの問題は発生しません。-->

'''松代群発地震'''(まつしろぐんぱつじしん)は、[[長野県]][[埴科郡]][[松代町 (長野県)|松代町]](現[[長野市]])付近で[[1965年]]([[昭和]]40年)[[8月3日]]から約5年半もの間続いた、世界的にも稀な長期間にわたる[[群発地震]]である。'''松代地震'''とも呼ばれている。
'''松代群発地震'''(まつしろぐんぱつじしん)は、[[長野県]][[埴科郡]][[松代町 (長野県)|松代町]](現[[長野市]])付近で[[1965年]]([[昭和]]40年)[[8月3日]]から約5年半もの間続いた、世界的にも稀な長期間にわたる[[群発地震]]である。'''松代地震'''とも呼ばれている。
== 地震像 ==
== 地震像 ==
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== 影響 ==
== 影響 ==
=== 被害 ===
=== 被害 ===
<!--この節の内容は、気象庁のサイトから転載したもので、気象庁による政府標準利用規約(CC-BY)に基づいているため、著作権などの問題は発生しません。-->
被害は、道路の地割れや住宅損壊、[[液状化]]、地下水の湧水などを中心として、総被害は、負傷者15、家屋全壊10戸、半壊4戸、地滑り64件に及んだ。住民の中には[[ノイローゼ]]を訴える者も現れた。また、上述の塩化カルシウムを多く含んだ地下水の湧出により田畑に塩害を生じた。
被害は、道路の地割れや住宅損壊、[[液状化]]、地下水の湧水などを中心として<ref>{{Cite journal|journal=|author=西尾 嘉朗, 塚原 弘昭|title=松代群発地震域の湧水のLiとSrの同位体地球化学|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/geochemproc/56/0/56_0_193/_article/-char/ja/|NAID=130005053863}}</ref>、総被害は、負傷者15、家屋全壊10戸、半壊4戸、地滑り64件に及んだ。住民の中には[[ノイローゼ]]を訴える者も現れた。また、上述の塩化カルシウムを多く含んだ地下水の湧出により田畑に塩害を生じた。
;牧内地区での地すべり
;牧内地区での地すべり
1966年9月17日14時頃、松代町牧内地区で幅100mにわたる地すべりが発生した。数日前から地割れ(地すべり性)や多量の[[湧水]]があり、前日(16日)には降雨があった<ref name="JMA"/>。地割れの変化を測定していた地震研究所中村一明助教授(当時)から「変動速度が早くなり、地すべり発生の恐れがある」と説明が16日の午後、松代町長にあったため、松代町では16日の夜半に危険区域の住民に避難命令を出した。そのため、家屋倒壊11棟等の被害はあったものの、人的被害はなかった<ref name="JMA">{{Cite web|url=https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/matsushiro/mat50/disaster/higai.html|title=松代群発地震50年特設サイト|accessdate=2021年7月11日|publisher=気象庁(一部改変)}}</ref>。
1966年9月17日14時頃、松代町牧内地区で幅100mにわたる地すべりが発生した。数日前から地割れ(地すべり性)や多量の[[湧水]]があり、前日(16日)には降雨があった<ref name="JMA"/>。地割れの変化を測定していた地震研究所中村一明助教授(当時)から「変動速度が早くなり、地すべり発生の恐れがある」と説明が16日の午後、松代町長にあったため、松代町では16日の夜半に危険区域の住民に避難命令を出した。そのため、家屋倒壊11棟等の被害はあったものの、人的被害はなかった<ref name="JMA">{{Cite web|url=https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/matsushiro/mat50/disaster/higai.html|title=松代群発地震50年特設サイト|accessdate=2021年7月11日|publisher=気象庁(一部改変)}}</ref>。

2021年7月15日 (木) 15:37時点における版

松代群発地震
長野市松代にある皆神山。群発地震はこの山の周辺で発生した。
松代群発地震の位置(長野県内)
松代群発地震
規模が最大の地震
(1966年4月5日発生・M5.4)
の震央
本震
発生日 1965年昭和40年)8月3日 - 1970年(昭和45年)6月5日
震央 日本の旗 日本 長野県 松代町(現長野市皆神山付近
規模    マグニチュード(M)注16.4
最大震度    震度5:9回
地震の種類 群発地震
被害
死傷者数 負傷者 15人
被害地域 長野県
注1: 群発地震の総エネルギー相当値。単一最大規模は1966年4月5日17時51分に発生したM5.4の地震。
出典:特に注記がない場合は気象庁による。
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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松代群発地震(まつしろぐんぱつじしん)は、長野県埴科郡松代町(現長野市)付近で1965年昭和40年)8月3日から約5年半もの間続いた、世界的にも稀な長期間にわたる群発地震である。松代地震とも呼ばれている。

地震像

概要

震源地は皆神山付近。総地震数は71万1,341回。このうち、有感地震は6万2,826回を数えた。深さ7キロメートルより浅い(地震情報では「震源の深さはごく浅く」と表現される)地震が殆どで、群発地震の総合的なエネルギーは、M6.4の地震1回分に相当する。地殻変動が最大であった場所では、この地震活動の前後で約1メートル隆起し、隆起域の直径は約10キロメートルに及んだ。また、付近には「松代地震断層」が発見された。なお、微小地震の検知能力が十分にあったにもかかわらず、グーテンベルグ・リヒター則により期待される回数の微小地震は発生しなかった[1]

震度別の有感地震の発生回数
震度 回数
5 9回
4 48回
3 413回
2 4,596回
1 5万6,253回
合計 6万2,826回

原因

群発地震の原因としては諸説あり、主な説は以下の通り。

  • 地下水の湧出量が多い(107立方メートル)ことから、水噴火説がある。この水噴火説は、『地下深部の高圧な地下水が,割れ目に沿って上昇・拡散する過程で岩石の 破壊強度を低下させて地震を引き起こす』というものである。また、この水は上部地殻中に存在していたものだけでなく、上部マントル付近を由来とする水であることが、後年のヘリウム同位体[2][3]の分析技術の進歩により明らかとなった。
  • 地下の溶岩の上昇が関わっており、溶岩の上昇に伴い熱せられた岩が膨張し発生したものと考えられ、観測結果から3箇所のマグマ溜まりの存在が示唆される[4]
  • マグマが貫入したとの説もあるが、地磁気の観測データからは否定的な結論が導き出されている[5]

発生当時はメカニズムは不明であり、上述のような様々な説が出されていた。その後の観測体制の整備と研究により、現在では「水噴火」モデルが定説となっている[6]。「水噴火」の語は群発地震当時、東大地震研究所に在籍しており実際に現地での調査にあたった中村一明によって名付けられた[7]

この「水噴火」モデルは、深さ数~数十kmの帯水層に存在する高圧の地下水が、上部の岩盤に浸入・破砕することで地震を引き起こすというものである。さらに破砕が進むことでこの地下水が地表に湧出し、液状化や大量の湧水を引き起こした。そして水圧による岩盤の破壊が長期間・連鎖的に起こったことで長期にわたる群発地震が生じた。これらのモデルは現地で観測された被害とも照合するものであった[6]。前出の中村の調査によれば、湧出した地下水はこの地域の浅層地下水や温泉成分とは異なり塩化カルシウムなどを多く含んでいた。

地質的背景

震源域となった松代はフォッサマグナの中央部にあり、中央隆起帯の北西縁付近に位置し糸魚川静岡構造線に近い。中新世後期以降沈降している長野盆地および水内丘陵とは異なった地質区を形成し、相対的に隆起している地域である。数年後に行われた人工地震調査により、水内丘陵と中央隆起帯の境界と考えられる構造が地下に発見されたが、群発地震は境界を越えた水内丘陵内部では発生していなかった[5]

1967年(昭和42年)には付近の重力分布調査が行われ、皆神山付近には低重力域があり[8]、地下には縦800メートル、横1,500メートル、高さ200メートルのマグマ溜まりが起源と考えられる空洞の存在が推定される[9]ボーリング調査により、皆神山溶岩は150メートル程度の厚さがあることが確認されており、その下に湖水堆積物が見つかっている[10]

地震活動

この群発地震は、震源域の広がりによって5つの活動期に分けることができる。当初、中央隆起帯西縁に沿って発生していた地震は、南西 - 北東方向に震源を拡大させながら全体の活動は低下していった。

松代群発地震における5つの活動期
活動期 期間 概要
第1活動期 1965年 (昭和40年) 8月 - 1966年 (昭和41年) 2月 震源は皆神山を中心とした半径5キロメートルの範囲内。1965年(昭和40年)8月3日午後0時19分、気象庁地震観測所の高感度地震計は、震度0のごく微小な地震動を観測した。8月7日には、最初の有感地震が発生。8月17日には、有感、無感合わせて283回もの地震を観測した。10月1日午後5時27分には、震度3の地震が初めて発生した。10月9日、気象庁は初の「地震予報」を出した。11月22日から23日にかけて、震度4が2回発生。無感地震を含めると1日2,000回を突破するようになる。
第2活動期[11] 1966年 (昭和41年) 3月 - 7月 震源域は北東、南西方向に広がる。1966年(昭和41年)1月23日午後8時15分、最初の震度5を記録。1月27日には、地震総回数が10万回を超えた。この地震を主とする一連の地震で家屋の一部損壊17戸、墓石倒壊31件などの被害が出た。4月5日には最大規模となるM5.4(震度5)の地震が発生した。また、4月17日には無感地震が6780回、有感地震585回(約2分に1回)観測され、そのうち震度5が3回、震度4が3回であった。家屋破損に伴う負傷者も出た。
第3活動期 1966年 (昭和41年) 8月 - 12月 活動の最盛期で震源域はさらに拡大。当初の皆神山付近から、須坂市川中島(長野市)、更埴市(現、千曲市)、真田町(現、上田市)あたりまで地震が発生するようになる。8月24日には、地震総回数が50万回を超えた。皆神山付近の地割れ群からは湧水が始まる。この時期の総湧水量は約1,000万立方メートルと推定される。このため、9月17日には皆神山の南にある牧内地区で地滑りが発生し、家屋11戸が倒壊した。なお、東京大学地震研究所の研究者らにより、地滑りが予測されていたため、住人や家畜は既に避難しており、無事であった。
第4活動期 1967年 (昭和42年) 1月 - 5月 震源域はさらに北東(高山村や須坂市)、南西方向(坂井村)に伸び、皆神山を中心とする中央部の活動は減少した。地震数は激減し、1年間で2,351回であった。
第5活動期 1967年 (昭和42年) 6月 - 1970年 (昭和45年) 6月 活動は急速に衰える。1年間で観測された地震数は、1968年は745回、1969年は388回、1970年は201回であった。1969年5月31日には、地震総回数が70万回を超えた。1970年6月5日に長野県が群発地震の終息を宣言した。しかし、21世紀に入っても一日一回以上無感地震が発生している。

群発地震で発生した地震の中で、最大震度5を観測した地震は次の通り。

発生年 発生日 発生時刻 震央 震源の深さ 規模 備考
1966年 1月23日 20時15分 北緯36度31.7分 東経138度13.0分 / 北緯36.5283度 東経138.2167度 / 36.5283; 138.2167[12] 3 km M5.1
2月7日 4時5分 北緯36度32.5分 東経138度13.1分 / 北緯36.5417度 東経138.2183度 / 36.5417; 138.2183[13] 0 km M4.9
4月5日 17時51分 北緯36度33.5分 東経138度19.1分 / 北緯36.5583度 東経138.3183度 / 36.5583; 138.3183[14] M5.4 最大規模の地震
4月11日 6時6分 北緯36度34.2分 東経138度12.1分 / 北緯36.5700度 東経138.2017度 / 36.5700; 138.2017[15] 2 km M4.7
4月17日 10時21分 北緯36度36.8分 東経138度13.0分 / 北緯36.6133度 東経138.2167度 / 36.6133; 138.2167[16] 10 km
15時46分 北緯36度33.5分 東経138度12.5分 / 北緯36.5583度 東経138.2083度 / 36.5583; 138.2083[17] 0 km
20時28分 北緯36度33.3分 東経138度11.3分 / 北緯36.5550度 東経138.1883度 / 36.5550; 138.1883[18] 2 km
5月28日 14時21分 北緯36度33.6分 東経138度12.4分 / 北緯36.5600度 東経138.2067度 / 36.5600; 138.2067[19] 0 km M5.3
8月3日 3時48分 北緯36度30.5分 東経138度11.8分 / 北緯36.5083度 東経138.1967度 / 36.5083; 138.1967[20]
1967年 10月14日 4時48分 北緯36度32.6分 東経138度09.3分 / 北緯36.5433度 東経138.1550度 / 36.5433; 138.1550[21] 10 km

他の地震との関連性

1930年6月1日の茨城県北部地震(M6.5)、1943年8月12日の田島地震(M6.2)、1949年12月26日の今市地震(M6.2, M6.4)がきっかけになったとの研究がある[22]ほか、1964年男鹿半島沖地震 M6.9、新潟地震 M7.5との関連性を指摘[23]する研究がある。別の研究では、松代群発地震に先立って日本海東縁変動帯で発生していた男鹿半島沖地震]](1964年5月, M6.9)と新潟地震(1964年6月, M7.5)の影響を受けて応力が高まり影響を受けたとする研究がある[24]

影響

被害

被害は、道路の地割れや住宅損壊、液状化、地下水の湧水などを中心として[25]、総被害は、負傷者15、家屋全壊10戸、半壊4戸、地滑り64件に及んだ。住民の中にはノイローゼを訴える者も現れた。また、上述の塩化カルシウムを多く含んだ地下水の湧出により田畑に塩害を生じた。

牧内地区での地すべり

1966年9月17日14時頃、松代町牧内地区で幅100mにわたる地すべりが発生した。数日前から地割れ(地すべり性)や多量の湧水があり、前日(16日)には降雨があった[26]。地割れの変化を測定していた地震研究所中村一明助教授(当時)から「変動速度が早くなり、地すべり発生の恐れがある」と説明が16日の午後、松代町長にあったため、松代町では16日の夜半に危険区域の住民に避難命令を出した。そのため、家屋倒壊11棟等の被害はあったものの、人的被害はなかった[26]

揺れによる被害

一連の震動により、家屋・塀の倒壊、家具の転倒などの被害があった。単独の地震で倒壊しなくとも何度も繰り返し揺れに襲われた家屋は、大きな被害を受けた[26]

湧水による被害

1966年4月頃から松代町東条地区で地下水の湧出が始まった。8月下旬になると湧水の範囲が広くなり、湧水の地点数と水量も急増し、4か月間で総量1千万トン程の水が流出したと推定されている[26]。湧水ははじめ真水であっが、次第に含有物を増していき、塩素イオンの多いものと、塩素イオンを含まない弱アルカリ性の水との2系統があった。いずれも1967年~1968年頃から水量は減り出したが、含有物の割合は変化しなかった。これらの湧水により、農作物は被害を受け、生育・収量に大きな損害をもたらした[26]

温泉井戸の自噴

1965年11月4日に長野県松代町加賀井にある一陽館旧源泉で、いままで枯れていた温泉井戸から25℃のお湯が突然出始めて、22日には33℃に上昇し、毎分80リットルも湧出した[26]。東条加賀井温泉一陽館の春日功氏の努力により、同温泉の湧出量と温度の測定が行われ、地震活動との関連が調べられている。また、松代地域一帯の温泉及び湧水成分の分析は、多くの機関によって行われた[26]

液状化現象(噴砂・噴水現象)

直接被害をもたらす事がなかったので、当時はあまり話題とならなかったが、松代群発地震では液状化現象だと考えられる噴砂・噴水現象が見られている。1966年4月5日17時51分に起きたマグニチュード5.4、最大震度は5を観測した地震で、須坂市村山地区では、地下水が10~15㎝位の口径で、高さ5㎝まで噴出する現象が10分間程度続いた[26]。若穂町温湯地区では果樹園内2か所で泥水の噴出したことが報告されている。また、この地震の翌日、千曲川の河川敷で噴砂現象が確認された[26]

発光現象

松代群発地震では、多くの発光現象の観察記録が集められ、特に松代町東条の栗林亨による世界で初めての写真撮影例、10例(8例はカラー)が得られた。これらの資料は、発光現象を科学的に調査する上で貴重な資料となった[26]。松代群発地震は、最盛期には数分間隔で震度1以上の地震、数秒間隔で体に感じない地震が発生しており、発光現象と個々の地震との対応は明確ではない。また、比較的規模の大きい地震の発生時あるいはその前後に、発光が強かったというわけでもなく、発光現象のはっきりした原因は解明されていない[26]

地鳴り

松代群発地震には、顕著な地鳴りを伴うという特徴もあった。地震動を感じていなくても地鳴りだけを観測することもあり、爆発音のような地鳴りがあったといわれている[26]。地鳴りとは、地震などにより発生する大地(地盤)の振動が、音響として空気中を伝わる現象のことであり、地震で発生した振動(波動)のうちの一部が、空中音波となって放出されるために音が聞こえる、というものである。

地震予知

震源域内で各種の観測と研究が行われた結果、日本の地震予知研究は大きく進歩した。また、北信地域地殻活動情報連絡会がモデルとなり、1968年(昭和43年)4月、国土地理院に事務局を置く地震予知連絡会が発足する。

1967年2月8日、松代町の地震観測所内に松代地震センターが設置された。

脚注

  1. ^ 飯尾 能久:地表近くで発生した極微小地震 (M=-3) 1984年長野県西部地震の余震 地震 第2輯 Vol.39 (1986) No.4 P645-652
  2. ^ 松代地震から40年 日本地震学会ニュースレター Vol.17 No.4 (Nov 10, 2005)
  3. ^ 同位体比から見た松代群発地震地域の深部流体の起源地震 第2輯 Vol.55 (2002-2003) No.2 P207-216,doi:10.4294/zisin1948.55.2_207
  4. ^ 松代地震の発震機構について 気象研究所研究報告 Vol.19 気象庁気象研究所
  5. ^ a b 大竹政和 松代地震から 10 年東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻固体地球物理学講座 (PDF)
  6. ^ a b 長野市立博物館 博物館だより第94号”. 2020年11月21日閲覧。
  7. ^ 中村一明「17. 水噴火としてみた松代地震(日本火山学会 1971 年度秋季大会講演要旨)」『火山.第2集』第17巻第1号、日本火山学会、1972年、33頁、doi:10.18940/kazanc.17.1_33_1NAID 1100029965802021年4月20日閲覧 
  8. ^ 松代群発地震地域における重力調査概報 究速報第 5 け, 1967 (PDF) 防災科学技術研究所
  9. ^ F.E.R.C Research Report - File No.0618 山の怪光現象を追え!特命リサーチ 200X NTV.
  10. ^ おまんじゅうのような山 --皆神山長野の大地みどころ100選
  11. ^ 松代群発地震_松代地震観測所”. www.data.jma.go.jp. 2021年5月2日閲覧。
  12. ^ 震度データベース検索 A”. www.data.jma.go.jp. 2021年7月11日閲覧。
  13. ^ 震度データベース検索 B”. www.data.jma.go.jp. 2021年7月11日閲覧。
  14. ^ 震度データベース検索 C”. www.data.jma.go.jp. 2021年7月11日閲覧。
  15. ^ 震度データベース検索 D”. www.data.jma.go.jp. 2021年7月11日閲覧。
  16. ^ 震度データベース検索 E”. www.data.jma.go.jp. 2021年7月11日閲覧。
  17. ^ 震度データベース検索 F”. www.data.jma.go.jp. 2021年7月11日閲覧。
  18. ^ 震度データベース検索 G”. www.data.jma.go.jp. 2021年7月11日閲覧。
  19. ^ 震度データベース検索 H”. www.data.jma.go.jp. 2021年7月11日閲覧。
  20. ^ 震度データベース検索 I”. www.data.jma.go.jp. 2021年7月11日閲覧。
  21. ^ 震度データベース検索 J”. www.data.jma.go.jp. 2021年7月11日閲覧。
  22. ^ 日本の群発地震 1965年 群発地震研究会[リンク切れ]
  23. ^ 吉田明夫、青木元、「大地震の前に日本海沿岸の広域に現れた地震活動の静穏化」 『地学雑誌』 2002年 111巻 2号 p.212-221, doi:10.5026/jgeography.111.2_212
  24. ^ 佃為成:北部フォッサマグマ地域の地震活動特性」 『地學雜誌』 Vol.99 (1990) No.1 P.32-42, doi:10.5026/jgeography.99.32
  25. ^ 西尾 嘉朗, 塚原 弘昭. 松代群発地震域の湧水のLiとSrの同位体地球化学. NAID 130005053863. https://www.jstage.jst.go.jp/article/geochemproc/56/0/56_0_193/_article/-char/ja/. 
  26. ^ a b c d e f g h i j k l 松代群発地震50年特設サイト”. 気象庁(一部改変). 2021年7月11日閲覧。

関連項目

外部リンク