「小林豊 (実業家)」の版間の差分
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2021年8月1日 (日) 04:27時点における版
こばやし ゆたか 小林 豊 | |
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生誕 |
1951年3月2日(73歳) 日本 静岡県清水市 (現・静岡市清水区) |
小林 豊(こばやし ゆたか、1951年3月2日 - )は、日本のテレビディレクター、テレビプロデューサー。テレビ静岡取締役相談役。
フジテレビジョン・フジ・メディア・ホールディングス取締役、テレビ静岡代表取締役社長などを歴任した。
愛称は「ブッチャー」「ぶーちゃん(ぶぅちゃん)」。
来歴・人物
静岡県清水市(現在の静岡市清水区)出身。専修大学経営学部卒業。
大学在学中からテレビ局でアルバイトを始め、卒業後は合理化で制作部門がない頃のフジテレビの直系制作会社であるフジポニーに入社。1980年にフジテレビが社内に制作部門を復活させることとなり、フジポニーを含む当時の直系制作会社がすべて同社へ吸収したため、フジテレビに転籍となった。
1980年代は『オレたちひょうきん族』や『森田一義アワー 笑っていいとも!』のディレクターを担当し、『笑っていいとも!』の放送開始から、担当を外れる1987年10月2日までは『テレフォンディレクター ブッチャー小林』名義で、『テレフォンショッキング』のアシスタントとして出演していた。
愛称である「ブッチャー」は、プロレスラーのアブドーラ・ザ・ブッチャーが由来である。特撮テレビドラマ『TVオバケてれもんじゃ』(1985年)ゲスト出演の頃から「ぶーちゃん小林」に呼称が変更された。
製作現場から営業へ異動後は営業職として活躍し、営業局長時代には『お台場明石城』に奉行の1人として出演した。
2005年6月、執行役員に昇進し、スポーツ局長に就任したが、異動直後の7月に起きたジャニーズ事務所所属の人気グループ「NEWS」の当時18歳のメンバーとフジテレビ女性アナウンサーとの飲酒事件で減俸処分を受けた[1]。
2007年6月、フジテレビ(現・フジ・メディア・ホールディングス)取締役に昇進し、2008年10月に分社化・新規設立されたフジテレビジョンの取締役を兼務する。
2009年5月14日に開かれたフジ・メディア・ホールディングス取締役会で、同社及びフジテレビの取締役を退任することが内定した[2]。同年6月から郷里のテレビ静岡に転籍となり代表取締役社長に就任。10年間勤め、2019年6月に後任として前述のフジテレビでも同僚だった若松誠に社長を譲り、小林は同社相談役に退いた。
2011年7月23日・7月24日放送の『FNS27時間テレビ』に、テレビ静岡チームの応援団として24年ぶりにメディア出演した。また、翌年7月21日・7月22日放送の『FNS27時間テレビ』にも引き続き応援団として出演し、中継を介してタモリと再会した。
元プロ野球選手の山下大輔は静岡県立清水東高等学校硬式野球部の同期生。自身は三塁手で遊撃手の山下と三遊間を組んだが、1年の冬にケガのため退部した。
また、プロレスラーの長州力は、1983年の『テレフォンショッキング』出演時に「彼と僕は大学の同級生なんです」と話があり、小林も「そうなんです。長州さんはレスリングばかりやってて、僕はバイト三昧でした」と振り返っていた。
担当番組
- オレたちひょうきん族(前期、ディレクター)
- 笑ってる場合ですよ!(ディレクター)
- 笑っていいとも!(ディレクター、1982年10月4日 - 1987年10月2日)
- 所さんのただものではない!(プロデューサー兼ディレクター)
出演番組
- 笑っていいとも! テレフォンショッキング(1982年10月4日 - 1987年10月2日)
- TVオバケもんじゃ(1985年)
脚注
- ^ フジテレビが10人を処分 NEWSメンバー飲酒問題(共同通信)[リンク切れ] 2013年10月21日閲覧。
- ^ 2009年5月14日 平成21年3月期決算短信 (PDF) (2011年9月19日時点のアーカイブ)
- ^ “叙勲・旭日小綬章、元テレビ静岡社長・小林豊さん(70) テレビ人生50年「現場重視」貫く”. 産経新聞. (2021年4月29日) 2021年4月29日閲覧。
- ^ 『官報』号外第99号、令和3年4月30日