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2021年8月1日 (日) 05:32時点における版
基本情報 | |
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本名 | 六車 卓也 |
階級 | バンタム級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1961年1月16日(63歳) |
出身地 | 大阪府大阪市 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 31 |
勝ち | 26 |
KO勝ち | 20 |
敗け | 3 |
引き分け | 2 |
六車 卓也(むぐるま たくや、1961年1月16日 - )は、日本の元プロボクサー。大阪府大阪市出身。元WBA世界バンタム級チャンピオン。大阪帝拳所属。
人物
近大附属高校(在学中はラグビーで活躍)、近畿大学理工学部卒業。
大学1年の冬休みに大阪帝拳ジムに入門し、アマチュアボクシング2戦2勝を経てプロボクサーとなった。
ムシャ(MUSHA)とは高校時代のラグビー部でのあだ名である。またプロボクサー時代の(MUSHA)は武者との意味もある。
関西ローカルの深夜番組「エンドレスナイト」にて番組をあげて六車応援大作戦を展開していたことから、エンドレスファイターと名づけられた。実際に世界戦では、エンドレスナイト製スポーツタオルをトレーナーやスタッフが使用している。
現役引退後、現在はスポーツメーカーミズノの社員として数多くのプロボクサーをサポートする。
なお、2018年大阪帝拳のヘッドコーチ(HC)に就任した。
略歴
1981年4月9日、プロデビュー(2RKO勝ち)。
1981年12月7日、西日本フェザー級新人王獲得。同時に全日本新人王決定戦への出場権も得る。
1982年2月15日、杉谷満に判定勝で全日本フェザー級新人王獲得。
1983年11月29日、15戦目で日本王座初挑戦。日本スーパーバンタム級王者岩本弘行に挑み、4回終了TKO勝ち。王座獲得に成功する。
日本王座4度防衛後の1985年3月9日、日本王座を保持したままOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者崔然甲(韓国)に挑戦したが、12回判定負け(なお、崔とはその後、1986年8月21日にノンタイトル戦で再戦し、2回KO勝ちで雪辱を果たした)。その後、日本王者として防衛回数を7まで伸ばし、1986年12月に王座返上。
1987年3月29日、世界初挑戦。アサエル・モラン(パナマ)と空位のWBA世界バンタム級王座を争い、5回TKO勝ち。27戦目で世界王者に輝く。
1987年5月24日、初防衛戦。1位の朴讃栄(韓国)と対戦し、11回TKO負け。2ヵ月弱で世界王座を手放す。
1988年1月17日、世界再挑戦。前年10月に朴を降してWBA世界バンタム級王座を獲得したウィルフレド・バスケス(プエルトリコ)に挑むが、フルラウンドの激闘の末、三者三様の引き分けで世界王座返り咲きならず(この試合を皮切りに、その後、国内ジム所属選手の世界挑戦連続失敗回数が「21」まで伸びる)。
1988年10月16日、2階級制覇を目指し、WBA世界スーパーバンタム級王者ファン・ホセ・エストラーダ(メキシコ)に挑むが、11回TKO負けを喫し、この試合を最後に現役引退。
関連項目
前王者 ベルナルド・ピニャンゴ |
WBA世界バンタム級王者 1987年3月29日 - 1987年5月24日 |
次王者 朴讃栄 |