花形進
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基本情報 | |
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本名 | 花形 進 |
階級 | フライ級 |
身長 | 161cm |
リーチ | 160cm |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1947年1月21日(77歳)(現役時代は1946年生まれとして登録)[1][2][* 1] |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
スタイル | 右ボクサーファイター |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 65 |
勝ち | 41 |
KO勝ち | 7 |
敗け | 16 |
引き分け | 8 |
花形 進(はながた すすむ、1947年1月21日 - )は、日本の元プロボクサー。神奈川県横浜市出身。第20代・第22代日本フライ級王者。元WBA世界フライ級王者。右ボクサーファイター。現役時代は横浜協栄ボクシングジム(現・神奈川渥美ボクシングジム)所属。現在は花形ボクシングジム会長。
人物
[編集]地味な試合運びと決定力不足から、10回戦出場までに31戦(4回戦を16戦、6回戦を11戦、8回戦を4戦)、4年間を費やした。しかし、10回戦以降は出入りの早いボクシングを会得、大場政夫などと互角に渡り合う実力を発揮。日本王座陥落後には限界説も囁かれたが、デビューから11年目、5度目の挑戦でついに世界王座を獲得した遅咲きのボクサー。
世界戦の戦績は8戦1勝7敗であったが、世界戦での敗戦は全て判定決着でありKO負けは一度もなかった。
来歴
[編集]- 1963年11月1日 プロデビュー。年齢を1歳ごまかしてプロテストを受験した[5]。
- 1968年
- 1月25日 初の10回戦に8回KO勝利を収めた。ここまでの戦績は15勝8敗8分、勝率4割8分であったが、この試合を契機に飛躍を始めた。
- 9月2日 後の世界王者大場政夫とのノンタイトル10回戦に判定勝ちを収めた。
日本王座獲得
[編集]- 1969年
- 1971年4月30日 エルビト・サラバリア(フィリピン)の持つWBC世界フライ級王座に挑戦。15回判定負けで王座獲得ならず[6]。
- 1972年
- 1973年10月27日 大場の死後WBA世界フライ級王座を獲得したチャチャイ・チオノイ(タイ)に挑戦。15回判定負けで王座獲得ならず[6]。
世界王座獲得
[編集]- 1974年10月18日 チャチャイ・チオノイの持つWBA世界フライ級王座に挑戦。この試合前の当日計量ではチャチャイが体重超過により王座剥奪となっていた。前王者となったチャチャイに6回KO勝ちを収め、5度目の世界挑戦で王座を獲得した[6]。
- 1975年
- 1976年5月15日 WBC世界王座に挑戦。メキシコの英雄、ミゲル・カントに15回判定で敗れ王座獲得に失敗し[6]、引退した。
引退後
[編集]テレビ朝日『エキサイトボクシング』解説者を務めた後、1985年1月、花形ボクシングジム(設立時はMI花形ジム)を開設。長男である花形晋一もプロボクサー経験者で現在は花形ジム・マネージャー。2000年12月、教え子星野敬太郎がWBA世界ミニマム級王座を獲得。日本初の「師弟世界チャンピオン」になった。
2019年4月より、東日本ボクシング協会会長に就任[7]。併せて、日本プロボクシング協会会長も兼任。
2022年の任期満了に伴い退任[8]。
獲得タイトル
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- ^ ボクシング・マガジン編集部編 編『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年 (JAPAN PRO BOXING HISTORY – 50 YEARS OF WORLD TITLE BOUTS)』ベースボール・マガジン社、2002年5月31日、p. 297頁。ISBN 978-4-583-03695-3。
- ^ 増田茂 著「花形進〜機動力豊かなリングの職人〜」、ボクシング・マガジン編集部編 編『THE GLORIOUS MOMENTS 究極の栄光・世界チャンピオン名鑑 – 日本ボクシング史に輝く41人の男たち』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK117 スポーツシリーズNo.72〉、2000年1月15日、p. 43頁。ISBN 978-4-583-61076-4。
- ^ ボクシング・マガジン編集部編 編「花形 進」『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』ベースボール・マガジン社、2004年3月1日、p. 25頁。ISBN 978-4-583-03784-4。
- ^ “花形ボクシングジム スタッフデータ 花形進”. 花形ボクシングジム. 2011年3月18日閲覧。
- ^ Sports Graphic Number 932号(2017年7月27日発売)p.72-73の連載記事『The CHAMPIONS 私を通りすぎた王者たち。12…花形進「継続を力に変えた男」』(文:前田衷)より。
- ^ a b c d e f g h ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
- ^ 東日本プロボクシング協会会長に花形進氏/BOXサンケイスポーツ
- ^ “花形進氏、東日本ボクシング協会会長退任へ 後任にセレス小林氏立候補”. デイリースポーツ. (2022年2月9日) 2022年4月4日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]前王者 スピーディ早瀬 |
第20代日本フライ級王者 1969年4月7日 - 1972年7月3日 |
次王者 幅修 |
前王者 幅修 |
第22代日本フライ級王者 1972年10月6日 - 1974年2月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 高田次郎 |
空位 前タイトル保持者 チャチャイ・チオノイ |
WBA世界フライ級王者 1974年10月18日 - 1975年4月1日 |
次王者 エルビト・サラバリア |