コンテンツにスキップ

「サンディ・ショー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{複数の問題
{{複数の問題
|BLP unsourced=2018年12月30日 (日) 17:04 (UTC)
|存命人物の出典皆無=2018年12月30日 (日) 17:04 (UTC)
|Wikify=2018年12月30日 (日) 17:04 (UTC)
|Wikify=2018年12月30日 (日) 17:04 (UTC)
}}
}}

2021年8月4日 (水) 15:56時点における版

1967年撮影

サンディ・ショー(Sandie Shaw MBE、出生名:Sandra Ann Goodrich、1947年2月26日 - )は、イングランドの歌手である。エセックス州ダゲナム生まれ。

“裸足の女王”として人気を博したスウィンギング・ロンドン時代の歌姫。誕生名「Sandra Ann Goodrich」で女性ポップシンガーとして活動。デビュー以降英国、フランスなど欧州各国及びカナダ、オーストラリアなどでも人気を博し、1967年の『Puppet On A String/パリのあやつり人形』は、ユーロヴィジョン・ソング・コンテストの優勝曲となる。

1964年、パイレコードと契約してシングル『As Long As You're Happy Baby』でデビュー。同曲は不発に終わるが2曲目『(There's) Always Something There To Remind Me/恋のウェイト・リフティング』が米国52位、英国1位を記録。1967年のユーロヴィジョン・コンテストで優勝。

以降1964年から1994年にかけて通算で米国で3曲、英国で22曲がチャートイン。英国では8曲(1位3曲)がトップ10ヒットを記録するなど、1960年代後半の英国を代表する女性ポップシンガーとして成功を収める。1970年代以降は子育てに専念し、表立った活動はあまりなくなったが1980年代からはアルバムもリリースした。

17歳のファースト・アルバムは、全英チャート第3位を記録した彼女の代表作。ボーナス・トラックには、全英ナンバーワン「恋のウェイト・リフティング」ほかの傑作シングルを収録。デビューアルバムと2枚目のアルバム現在はデジタルリマスー盤となっている。

作詞・作曲家の「Chris Andrews」は英国でのトップ10ヒット中5曲を提供。

人物

学校卒業後は地元で自動車会社のオペレーターとして働きながら歌手になることを夢見ていたが、17歳になった1964年にアダム・フェイスのコンサートの後で行われたオーディションに合格し、歌手への道が開けることとなる。そして、アダム・フェイスのマネージャーをしていたイヴ・テイラーと契約するが、彼女に芸名である"サンディ・ショウ"という名前を考えたり、裸足で歌うように指示したのはこのイヴ・テイラーであった。そして、同年7月にクリス・アンドリュース作のシングル『As Long As You're Happy Baby』でデビューし、チャート入りもできなかったが、9月にリリースしたルー・ジョンソンがオリジナルでバート・バカラック&ハル・デヴィッド作のセカンド・シングル『(There's) Always Something There To Remind Me(恋のウェイト・リフティング)』がイギリスでNo.1に輝き、一気にスターへの仲間入りを果たす。その後は11月にリリースしたサード・シングル『I'd Be Far Better Off Without You』のB面曲『Girl Don't Come』(全英3位)、1965年2月にリリースしたシングル『I'll Stop At Nothing』(全英4位)、5月にリリースしたシングル『Long Live Love』(全英1位)、9月にリリースしたシングル『Message Understood』(全英6位)、11月にリリースしたシングル『How Can You Tell』(全英21位)、1966年1月にリリースしたシングル『Tomorrow』(全英9位)、5月にリリースしたシングル『Nothing Comes Easy』(全英14日位)とクリス・アンドリュースが提供した楽曲でヒットを連発するが、8月にリリースした2枚のシングル『Run』(全英32位)と『Think Sometimes About Me』がイギリスでトップ30入りしなかったこともあって、クリス・アンドリュースの楽曲をしばらく取り上げなくなる。そして、1967年1月にリリースしたポール・ヴァンス&リー・ポックリス作のシングル『I Don't Need Anything』(全英50位)もあまりヒットしなかったが、3月にリリースしたビル・マーティン&フィル・コウルター作のシングル『Puppet On A String(パリのあやつり人形)』(全英1位)でヨーロッパ最大の音楽コンテスト"ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト"(他にもジリオラ・チンクェッティやフランス・ギャル、ヴィッキー・レアンドロスなども優勝している由緒あるコンテスト)に出場して優勝し、イギリスのチャートでも久々にNo.1を獲得する。その"ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト"で優勝したこともあって、その後も7月にリリースした同じくビル・マーティン&フィル・コウルター作の『Tonight In Tokyo』(全英21位)、9月にリリースしたクリス・アンドリュース作の『You've Not Changed』(全英18位)、1968年2月にリリースした同じくクリス・アンドリュース作の『Today』(全英27位)といったシングルもヒットし、その後彼女は結婚しますが、その後4月と6月にリリースしたクリス・アンドリュース作の『Don't Run Away』と『Show Me』、8月にリリースしたハリー・ニルソン作の『Together』、9月にリリースされたジーン・ラスキン作でメリー・ホプキンのデビュー・シングルと競作となった『Those Were the Days(悲しき天使)』といったシングルはチャート入りを逃す。 しかし、イギリスのBBCテレビで彼女をメインにした番組が始まってからは1969年1月にリリースしたクリスチャン・ブルーン&ピーター・カレンダー作のシングル『Monsieur Dupont』(全英6位)がイギリスでトップ10に入る大ヒットとなり、続く5月にリリースされたクリス・アンドリュース作のシングル『Think It All Over』(全英42位)もチャート入りするが、9月にリリースしたトニー・マコーレイ&ジョン・マクロード作のシングル『Heaven Knows I'm Missing Him Now』はチャート入りを逃してしまい、1970年代に入ってからもチャートに姿を見せることはなかった。その後も育児を中心にしながらも歌手活動を続けるが、1984年に彼女の大ファンのモリッシーが在籍するスミスの『Hand In Glove』(全英27位)をカヴァーして再び注目を集め、現在もマイペースで活動を続けている。

脚注