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[[Image:Hokkaido Kato-gun.png|thumb|250px|北海道河東郡の位置(1.音更町 2.士幌町 3.上士幌町 4.鹿追町 薄黄:後に他郡に編入された区域)]] |
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'''河東郡'''(かとうぐん)は、[[北海道]]([[十勝国]])[[十勝総合振興局]]の[[郡]]。 |
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2021年9月6日 (月) 03:41時点における版
河東郡(かとうぐん)は、北海道(十勝国)十勝総合振興局の郡。
人口58,160人、面積1,822.32km²、人口密度31.9人/km²。(2024年10月31日、住民基本台帳人口)
以下の4町を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記4町から音更町の一部(長流枝・長流枝幹線ほか概ね士幌川流域)、士幌町の一部(下居辺および概ね士幌川流域)、上士幌町の一部(概ね居辺東)[1]を除き、河西郡芽室町の一部(概ね十勝川以北)、上川郡清水町の一部(美蔓および御影の一部)を加えた区域にあたる。
歴史
郡発足までの沿革
江戸時代の河東郡域は、松前藩によって開かれたトカチ場所に含まれた。江戸時代後期、河東郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年河東郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこない、同6年の6藩分領以降は仙台藩領となった。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して河東郡が置かれた。
郡発足以降の沿革
- 明治2年
- 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 廃藩置県により再び開拓使の管轄となる。
- 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての河東郡が発足。
- 明治13年(1880年)3月 - 浦河郡外十郡役所(浦河三石様似幌泉広尾当縁十勝中川河西河東上川役所)の管轄となる。
- 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。
- 明治19年(1886年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。
- 明治20年(1888年)6月 - 釧路郡外十一郡役所(釧路阿寒白糠足寄川上広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所)の管轄となる。
- 明治22年(1890年)1月 - 釧路郡外十郡役所(釧路阿寒白糠足寄広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所)の管轄となる。
- 明治24年(1892年)3月 - 釧路郡外十二郡役所(釧路阿寒白糠足寄広尾当縁十勝中川河西河東上川厚岸川上郡役所)の管轄となる。
- 明治30年(1897年)
- 明治39年(1906年)4月1日
- 大正10年(1921年)4月1日(3村)
- 大正14年(1925年)4月1日 - 川上村が中川郡池田村の一部(大字居辺村の一部)を編入。
- 大正15年(1926年)6月1日 - 川上村が改称して士幌村(二級村)となる。
- 昭和6年(1931年)4月1日 - 士幌村の一部(上士幌・上音更・居辺の各一部)が分立して上士幌村(二級村)が発足。(4村)
- 昭和7年(1932年)8月15日 - 河西支庁が改称して十勝支庁となる。
- 昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。
- 昭和21年(1946年)10月5日 - 指定町村を廃止。
- 昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道十勝支庁の管轄となる。
- 昭和28年(1953年)7月1日 - 音更村が町制施行して音更町となる。(1町3村)
- 昭和29年(1954年)4月1日 - 上士幌村が町制施行して上士幌町となる。(2町2村)
- 昭和34年(1959年)9月1日 - 鹿追村が町制施行して鹿追町となる。(3町1村)
- 昭和37年(1962年)11月1日 - 士幌村が町制施行して士幌町となる。(4町)
- 平成22年(2010年)4月1日 - 十勝支庁が廃止され、十勝総合振興局の管轄となる。
行政
- 浦河郡外十郡長
この節の加筆が望まれています。 |
- 釧路郡外十一郡長
この節の加筆が望まれています。 |
- 釧路郡外十郡長
この節の加筆が望まれています。 |
- 釧路郡外十二郡長
この節の加筆が望まれています。 |
- 河西郡外五郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 吉田直太郎[2] | 明治30年(1897年)7月 | 明治30年(1897年)11月5日 | 河西郡外五郡役所を廃し河西支庁を置く |