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「目梨郡」の版間の差分

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2021年9月6日 (月) 06:48時点における版

北海道目梨郡の位置(緑:羅臼町 薄黄:後に他郡に編入した区域)

目梨郡(めなしぐん)は、北海道根室国根室振興局

人口4,279人、面積397.72km²、人口密度10.8人/km²。(2024年11月30日、住民基本台帳人口)

以下の1町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町に標津郡標津町の一部(崎無異・薫別・古多糠・忠類)を加えた区域にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

郡の名前の由来はアイヌ語の「メナシ(東方)」で、現在の根室振興局(知床北方領土を含む)一帯を指していた。

江戸時代の目梨郡域は、松前藩によって開かれたネモロ場所に含まれた。松前藩の「新羅之記録」によると、元和元年から元和7年頃、メナシ地方の蝦夷アイヌ)が、100隻近い舟に鷲の羽やラッコの毛皮などを積み、松前で交易したと記録されている。寛政元年、蝦夷の人々が蜂起したクナシリ・メナシの戦い(寛政蝦夷蜂起)が勃発、メナシ地方でも多数の和人が殺害される。同年、羅臼温泉が発見された。

江戸時代後期、目梨郡域は東蝦夷地に属していた。南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え寛政11年目梨郡域は天領とされた。文政4年に一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり会津藩が警固をおこなった。また、羅臼神社の創立は安政年間と伝わる。安政3 - 4年ころ知床半島硫黄山噴火があった。安政6年の6藩分領以降は会津藩領となった。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲して目梨郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

北海道目梨郡の町村(5.羅臼町)

行政

特記なき場合『根室・千島歴史人名事典』による[1]

根室郡外八郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 和田正苗 明治13年(1880年)7月15日 明治18年(1885年) 花咲郡の一部から色丹郡が分立
根室郡外九郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 松下兼清 明治18年(1885年) 明治19年(1886年)
2 広田千秋 明治19年(1886年)12月 明治22年(1889年)
3 細川碧 明治22年(1889年)7月 明治23年(1890年)7月
4 高岡直吉 明治23年(1890年)8月11日 明治28年(1895年)12月3日
5 林悦郎 明治28年(1895年)12月18日 明治30年(1897年)11月5日 根室郡外九郡役所を廃し根室支庁を置く。

脚注

参考文献

  • 根室・千島歴史人名事典編集委員会 編『根室・千島歴史人名事典』根室・千島歴史人名事典刊行会、2002年。 
  • 角川日本地名大辞典 1 北海道

関連項目