「SLやまぐち号」の版間の差分
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幡生車両所(現・[[下関総合車両所#本所|下関総合車両所本所]])で旧型客車をイメージして改造されたもので、「'''レトロ客車'''」と称し、1両ずつ内装を各時代の客車を模したデザインとしていた。各車両とも窓をユニット窓から一段上昇窓に改め、窓自体も小型化されていたほか、座席を1列減らし(11列・定員88名 → 10列・定員80名)、座席間隔を1,580mmから1,755 - 1,760mmへと拡大することにより生じた空間に、固定式のテーブルが設置されていた。また、座席の形状も1両ごとに異なっていた。改造当初は各客車のイメージに合わせて、赤茶色、緑、[[ぶどう色2号]]の3種類の塗色が使用されたが、2005年のリニューアルでぶどう色2号の地に白帯の塗装に統一された。また昭和風客車以外の4両は屋根にカバーを取り付け、各時代の客車の屋根に似せた形状としたが、後述のリニューアルによりカバーはすべて撤去された。全車[[座席指定席]]で、[[2009年]](平成21年)[[8月15日]]までは夏期およびC56 160との重連運転時に、動態保存車である[[旧型客車|旧型]][[展望車|展望客車]][[国鉄スハ32系客車#動態保存|マイテ49 2]]を津和野方に増結し、6両編成で運行されたこともあった<ref group="*">大正風客車を減車の上、明治風客車の津和野方に連結され、C57 1が単機で牽引したこともあった。</ref>。この場合、同車はフリースペースとされ、本列車の指定席券を持っていれば誰でも乗車可能となっていた。また、明治風客車の[[ディーゼルエンジン|ディーゼル]][[発電機]]故障時および不調時には、予備[[電源車]](当初はスハフ12 18。のちにはスハフ12 36<ref group="*">[[1994年]](平成6年)[[12月3日]]付で下関運転所(現・下関総合車両所運用検修センター)から小郡運転区(現・下関総合車両所新山口支所)に転属。</ref>)が津和野方に増結された。 |
幡生車両所(現・[[下関総合車両所#本所|下関総合車両所本所]])で旧型客車をイメージして改造されたもので、「'''レトロ客車'''」と称し、1両ずつ内装を各時代の客車を模したデザインとしていた。各車両とも窓をユニット窓から一段上昇窓に改め、窓自体も小型化されていたほか、座席を1列減らし(11列・定員88名 → 10列・定員80名)、座席間隔を1,580mmから1,755 - 1,760mmへと拡大することにより生じた空間に、固定式のテーブルが設置されていた。また、座席の形状も1両ごとに異なっていた。改造当初は各客車のイメージに合わせて、赤茶色、緑、[[ぶどう色2号]]の3種類の塗色が使用されたが、2005年のリニューアルでぶどう色2号の地に白帯の塗装に統一された。また昭和風客車以外の4両は屋根にカバーを取り付け、各時代の客車の屋根に似せた形状としたが、後述のリニューアルによりカバーはすべて撤去された。全車[[座席指定席]]で、[[2009年]](平成21年)[[8月15日]]までは夏期およびC56 160との重連運転時に、動態保存車である[[旧型客車|旧型]][[展望車|展望客車]][[国鉄スハ32系客車#動態保存|マイテ49 2]]を津和野方に増結し、6両編成で運行されたこともあった<ref group="*">大正風客車を減車の上、明治風客車の津和野方に連結され、C57 1が単機で牽引したこともあった。</ref>。この場合、同車はフリースペースとされ、本列車の指定席券を持っていれば誰でも乗車可能となっていた。また、明治風客車の[[ディーゼルエンジン|ディーゼル]][[発電機]]故障時および不調時には、予備[[電源車]](当初はスハフ12 18。のちにはスハフ12 36<ref group="*">[[1994年]](平成6年)[[12月3日]]付で下関運転所(現・下関総合車両所運用検修センター)から小郡運転区(現・下関総合車両所新山口支所)に転属。</ref>)が津和野方に増結された。 |
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先述の35系客車投入により、2017年8月27日の1往復の運行を最後に本列車としての運用を終了する予定であった<ref>{{Cite press release|title=2017年 SL「やまぐち」号の運転計画(7月・8月分)について|publisher=西日本旅客鉄道|date=2017年4月26日|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2017/04/page_10371.html|language=日本語|accessdate=2017年9月25日<!-- |archiveurl=http://archive.is/2017.04.26-151834/http://www.westjr.co.jp/press/article/2017/04/page_10371.html |archivedate=2017年4月26日-->}}</ref>が、運行当日の津和野駅停車中に明治風客車のディーゼル発電機の故障が見つかり、修理の目処がたたず上り津和野発新山口行き列車は運休。そのため、本列車としての最終運用は下り新山口発津和野行き列車のみとなった。その後短期間の内にスハフ12 36のディーゼル発電機を転用させ、同年9月2日に津和野 → 新山口間で運行された「'''SLありがとうレトロ客車号'''」をもって運用を終了した。<ref>{{Cite news|title=JR西日本「SL『ありがとうレトロ客車』号」運転、新山口駅でさよなら式典も|newspaper=[[マイナビニュース]]|date=2017-9-2|author=上新大介|url=http://news.mynavi.jp/news/2017/09/02/081/|publisher=[[マイナビ]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170903170040/http://news.mynavi.jp/news/2017/09/02/081/|archivedate=2017-09-03|accessdate=2017年9月25日}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://railf.jp/news/2017/09/04/110000.html|title=SL“やまぐち”・SL“ありがとうレトロ客車”号が篠目駅で交換|accessdate=2017年9月25日|date=2017年09月04日|work=[[鉄道ファン (雑誌)|railf.jp(鉄道ニュース)]]|publisher=[[交友社]]}}</ref>。レトロ客車5両は、[[9月7日|同月7日]]に下関総合車両所本所へ廃車回送され<ref>{{Cite web|url=https://railf.jp/news/2017/09/08/164500.html|title=12系レトロ客車が幡生へ|work=鉄道ファン|date=2017-09-08|accessdate=2018-02-26}}</ref>、翌[[10月27日]]付でスハフ12 36とともに車籍が抹消された。これにより、オハフ13形は廃形式となった。しばらくは同所に留置されていたが、のちには下関総合車両所運用研修センターへ移動された。2018年[[2月26日]]付で[[大井川鐵道]]が、JR西日本からSLやまぐち号に使用されていたレトロ客車を譲受したことを発表した。同社の[[ |
先述の35系客車投入により、2017年8月27日の1往復の運行を最後に本列車としての運用を終了する予定であった<ref>{{Cite press release|title=2017年 SL「やまぐち」号の運転計画(7月・8月分)について|publisher=西日本旅客鉄道|date=2017年4月26日|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2017/04/page_10371.html|language=日本語|accessdate=2017年9月25日<!-- |archiveurl=http://archive.is/2017.04.26-151834/http://www.westjr.co.jp/press/article/2017/04/page_10371.html |archivedate=2017年4月26日-->}}</ref>が、運行当日の津和野駅停車中に明治風客車のディーゼル発電機の故障が見つかり、修理の目処がたたず上り津和野発新山口行き列車は運休。そのため、本列車としての最終運用は下り新山口発津和野行き列車のみとなった。その後短期間の内にスハフ12 36のディーゼル発電機を転用させ、同年9月2日に津和野 → 新山口間で運行された「'''SLありがとうレトロ客車号'''」をもって運用を終了した。<ref>{{Cite news|title=JR西日本「SL『ありがとうレトロ客車』号」運転、新山口駅でさよなら式典も|newspaper=[[マイナビニュース]]|date=2017-9-2|author=上新大介|url=http://news.mynavi.jp/news/2017/09/02/081/|publisher=[[マイナビ]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170903170040/http://news.mynavi.jp/news/2017/09/02/081/|archivedate=2017-09-03|accessdate=2017年9月25日}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://railf.jp/news/2017/09/04/110000.html|title=SL“やまぐち”・SL“ありがとうレトロ客車”号が篠目駅で交換|accessdate=2017年9月25日|date=2017年09月04日|work=[[鉄道ファン (雑誌)|railf.jp(鉄道ニュース)]]|publisher=[[交友社]]}}</ref>。レトロ客車5両は、[[9月7日|同月7日]]に下関総合車両所本所へ廃車回送され<ref>{{Cite web|url=https://railf.jp/news/2017/09/08/164500.html|title=12系レトロ客車が幡生へ|work=鉄道ファン|date=2017-09-08|accessdate=2018-02-26}}</ref>、翌[[10月27日]]付でスハフ12 36とともに車籍が抹消された。これにより、オハフ13形は廃形式となった。しばらくは同所に留置されていたが、のちには下関総合車両所運用研修センターへ移動された。2018年[[2月26日]]付で[[大井川鐵道]]が、JR西日本からSLやまぐち号に使用されていたレトロ客車を譲受したことを発表した。同社の[[かわね路号]]に使用している[[国鉄オハ35系客車|オハ35形]]や[[国鉄スハ43系客車|オハ47形]]などの旧型客車の負荷分散が目的であるとしており、「今後の整備状況によっては(旧型客車を)休車、廃車とする可能性があります」と説明している<ref>{{Cite press release |title=12系客車の入線が決定しました!!|url=http://oigawa-railway.co.jp/archives/11683|publisher=大井川鐵道|date=2018-02-26|accessdate=2018-02-26<!--|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180226091540/http://oigawa-railway.co.jp/archives/11683 |archivedate=2018-02-26-->}}</ref><ref>{{Cite web|work=[[鉄道ファン (雑誌)|railf.jp(鉄道ニュース)]] |date=2018年02月26日 |url=https://railf.jp/news/2018/02/26/124500.html |title=大井川鐵道,JR西日本から12系客車5両(もと“SLやまぐち”号用)を譲受 |publisher=[[交友社]] |accessdate=2018-02-28}}</ref>。これを受け、同月下旬に下関総合車両所運用研修センターから<ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20180305/ddl/k35/040/246000c|title=客車譲渡 ファン見送り SLやまぐち号けん引 大井川鉄道で復活へ/山口|newspaper=毎日新聞|date=2018-03-05|accessdate=2018-03-06}}</ref><!--下関港から御前崎港までの船舶輸送を経て←船舶輸送である出典がないためコメントアウト-->[[新金谷車両区]]まで輸送され、[[2月28日|同28日]]に展望車風客車と欧風客車を、翌[[3月1日]]に昭和風客車と明治風客車、大正風客車を線路上に再度移す作業が行われた<ref>http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2018/03/12700.html</ref>。 |
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; 1号車 - オハフ13 701「展望車風客車」 |
; 1号車 - オハフ13 701「展望車風客車」 |
2021年10月14日 (木) 22:54時点における版
SLやまぐち号 | |
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SLやまぐち号(C57 1牽引) | |
概要 | |
国 | 日本 |
種類 | 快速列車 |
現況 | 運行中 |
地域 | 山口県・島根県 |
運行開始 | 1979年(昭和54年)8月1日 |
運営者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
旧運営者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
路線 | |
起点 | 新山口駅 |
終点 | 津和野駅 |
営業距離 | 62.9 km (39.1 mi) |
運行間隔 | 1往復 |
使用路線 | JR西日本:山口線 |
技術 | |
車両 |
35系客車(下関総合車両所新山口支所) C57 1(梅小路運転区) D51 200(梅小路運転区) |
軌間 | 1,067 mm |
電化 | 非電化 |
SLやまぐち号(SLやまぐちごう)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)が山口線の新山口駅 - 津和野駅間で運行している臨時快速列車である。
概要
日本国有鉄道(国鉄) → JRグループ保有の蒸気機関車 (SL) の牽引により運行される動態保存列車の緒ともいえる列車である。国鉄でのSLによる定期旅客列車の運行が終了した1975年(昭和50年)12月14日から3年8か月後の1979年(昭和54年)8月1日に運行を開始した。
運行概況
SL1両+客車5両(重連運転の場合もある。詳細は後述)の編成で、3月中旬から11月下旬[* 1]までの週末(土曜・日曜・祝日)および夏休み・ゴールデンウイークなどの繁忙期に、1日1往復が運行される。
このほか、正月三が日に津和野町の太皷谷稲成神社への参詣の便を図った初詣列車「SL津和野稲成号」として運行される。かつては、「SL津和野稲成初詣号」や「SLやまぐち初詣号」などと、年によって列車名が異なっていたが、2006年(平成18年)から現在の名称となった。年によっては、クリスマスに「SLクリスマス号」といった列車名で運行されることもある。秋季には旭幼稚園の遠足のための団体列車「旭幼稚園号」として運行される。
また、SLが故障や検査、修繕などにより使用できずディーゼル機関車 (DL) で牽引することがある。この場合には「DLやまぐち号」の愛称を使用する。
停車駅
新山口駅 - 湯田温泉駅 - 山口駅 - (仁保駅) - 篠目駅 - 長門峡駅 - (地福駅) - 鍋倉駅 - 徳佐駅 - 津和野駅
- ( )は下り新山口発津和野行き列車のみ停車
使用車両・編成
牽引機関車
1979年の運行開始から、客車の牽引には梅小路運転区所属のC57 1が使用される。同機が故障や検査などで使用できないときは、予備機であるD51 200が使用される。また、本列車で現役の2両が重連で牽引することもある。なお、D51 200は本線復帰のために修復されており、2017年に本列車の予備機として投入された。
SL現役時代、山口線ではC57形は使用されておらず、C58形やD51形、D60形などが使用されていた。山口線は勾配が続き、トンネルも多いため、煙突に集煙装置が取り付けられていたが、C57 1も入線に当たって、現役時代は取り付けられていなかった集煙装置が取り付けられた。これにより、同機は大きく形態を崩すこととなったが、乗務員の労働環境改善に配慮するため、致し方ないものとされた。
しかし、先述の様々な問題面を解決し、2003年(平成15年)ごろより定期的に集煙装置を取り外しての運行が度々行なわれるようになった。現在では現場側から使用しない方向性もあり、同装置は梅小路運転区に返却され、2012年(平成24年)からは集煙装置を外した状態での通年運行が定着している。
「DLやまぐち号」としてDLでの牽引となるときは、下関総合車両所運用検修センター所属のDD51形(現在はDD51 1043)が使用される。また突発的なSL不調時および故障時にも、DD51形が補助機関車(補機)としてSLの次位に連結されたり、代理で牽引したりすることがある。
客車
SLやまぐち号 | ||||||||||||||||||||
← 新山口 津和野 →
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2017年9月2日の運行分から、専用客車である35系5両編成が使用されている。SL全盛期の雰囲気を再現するために、1920年代から30年代にかけて国鉄で使用されたマイテ49形・オハ35形・オハ31形を再現するべく新たに製造された車両で、SLの音や煙を体感できるように開放式展望デッキや開閉窓、SLを体験・学べるフリースペースを設置し、車椅子といったバリアフリー対応、ベビーカー置き場、温水洗浄機能付きトイレなどにより快適性を向上させている。
編成はマイテ49風客車は2+1列のグリーン車、それ以外の客車は普通車指定席となり、グリーン車1両・普通車指定席4両で組成されることになる。蒸気機関車牽引列車(SL列車)におけるグリーン車の設定は、JR東日本が定期運行を行っている「SLばんえつ物語」に続き、2例目となる。
過去の牽引機関車
1980年(昭和55年)から1984年(昭和59年)までの間は予備機としてC58 1が使用され、C57 1との重連運転も実施された。C58 1はボイラーを傷めたため、1984年に梅小路蒸気機関車館(現・京都鉄道博物館)へ戻され、お召し仕様で静態保存されている。1987年(昭和62年)にC56 160が本列車の予備機として投入された。
C57 1が故障や検査などで使用できないときはC56 160が本務機となっていたが、C56 160単機では勾配の多い山口線での牽引は客車2両が限界であるため、前述のDD51形を補機に従えた重連で運転された。2005年(平成17年)秋にC57 1が故障した際にはC56 160の手配が付かず、DD51形の単機牽引で「DLやまぐち号」として運転された。また、C57 1が検査中であった2010年(平成22年)5月4・5日もC56 160の不調によりDD51形の単機牽引となった[3]。なお、C56 160は2018年(平成30年)5月5日に実施されたD51 200との重連運転をもって本列車の牽引を終了した。また、翌6日に津和野 → 新山口間で運行された「ありがとうC56号」をもって山口線での運用を終了した[4]。
過去の客車
SLやまぐち号 | ||||||||||||||||||
← 新山口 津和野 →
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運行開始当初は無改造の12系客車5両編成[* 2]が使用されてきたが、1988年(昭和63年)7月24日から2017年8月27日までは、本列車用に改造された12系700番台(下関総合車両所新山口支所所属)5両編成1本が用いられていた。
幡生車両所(現・下関総合車両所本所)で旧型客車をイメージして改造されたもので、「レトロ客車」と称し、1両ずつ内装を各時代の客車を模したデザインとしていた。各車両とも窓をユニット窓から一段上昇窓に改め、窓自体も小型化されていたほか、座席を1列減らし(11列・定員88名 → 10列・定員80名)、座席間隔を1,580mmから1,755 - 1,760mmへと拡大することにより生じた空間に、固定式のテーブルが設置されていた。また、座席の形状も1両ごとに異なっていた。改造当初は各客車のイメージに合わせて、赤茶色、緑、ぶどう色2号の3種類の塗色が使用されたが、2005年のリニューアルでぶどう色2号の地に白帯の塗装に統一された。また昭和風客車以外の4両は屋根にカバーを取り付け、各時代の客車の屋根に似せた形状としたが、後述のリニューアルによりカバーはすべて撤去された。全車座席指定席で、2009年(平成21年)8月15日までは夏期およびC56 160との重連運転時に、動態保存車である旧型展望客車マイテ49 2を津和野方に増結し、6両編成で運行されたこともあった[* 3]。この場合、同車はフリースペースとされ、本列車の指定席券を持っていれば誰でも乗車可能となっていた。また、明治風客車のディーゼル発電機故障時および不調時には、予備電源車(当初はスハフ12 18。のちにはスハフ12 36[* 4])が津和野方に増結された。
先述の35系客車投入により、2017年8月27日の1往復の運行を最後に本列車としての運用を終了する予定であった[5]が、運行当日の津和野駅停車中に明治風客車のディーゼル発電機の故障が見つかり、修理の目処がたたず上り津和野発新山口行き列車は運休。そのため、本列車としての最終運用は下り新山口発津和野行き列車のみとなった。その後短期間の内にスハフ12 36のディーゼル発電機を転用させ、同年9月2日に津和野 → 新山口間で運行された「SLありがとうレトロ客車号」をもって運用を終了した。[6][7]。レトロ客車5両は、同月7日に下関総合車両所本所へ廃車回送され[8]、翌10月27日付でスハフ12 36とともに車籍が抹消された。これにより、オハフ13形は廃形式となった。しばらくは同所に留置されていたが、のちには下関総合車両所運用研修センターへ移動された。2018年2月26日付で大井川鐵道が、JR西日本からSLやまぐち号に使用されていたレトロ客車を譲受したことを発表した。同社のかわね路号に使用しているオハ35形やオハ47形などの旧型客車の負荷分散が目的であるとしており、「今後の整備状況によっては(旧型客車を)休車、廃車とする可能性があります」と説明している[9][10]。これを受け、同月下旬に下関総合車両所運用研修センターから[11]新金谷車両区まで輸送され、同28日に展望車風客車と欧風客車を、翌3月1日に昭和風客車と明治風客車、大正風客車を線路上に再度移す作業が行われた[12]。
- 1号車 - オハフ13 701「展望車風客車」
- 旧番号オハフ13 59。改造前は5号車。1923年(大正12年)製のオイテ27000形を参考として改造された。前位(小郡〈現・新山口〉方)から3,250mmの部分が開放式展望デッキに、展望デッキから3,560mmの部分が展望室に改められた。なお、この展望室にはソファー4脚が配置された。一方、後位(津和野方)は切妻に改造された。床はカーペット敷きとし、窓には横引きカーテンを取り付け、天井は明かり取り窓のついた二段天井とし、明かり取り窓の内部に照明装置を入れていた(他の二段天井車両も同じ)。
- 改造当初は赤茶色の塗装で、屋根上の冷房装置を一体型のカバーで覆い、明治時代から昭和初期の客車の二重屋根に似せた外観としていた。
- リニューアルにより屋根上のカバー、展望デッキの屋根の下の装飾が撤去された。
- 定員56名(展望室定員8名)。
- 2号車 - オハ12 701「欧風客車」
- 旧番号オハ12 227。1880年代のオリエント急行を参考として改造された。津和野方に車内販売(車販)用ワゴン置き場と自動販売機(自販機)が設置された。しかし、後年に自販機は撤去され、商品置き場に改められた。床には幾何学模様のカーペットを敷き、展望車風客車と同様、窓には横引きカーテンを取り付け、天井は明かり取り窓のついた二段天井としていた。座席上部にはステンドグラス風の仕切を取り付けていた。
- 改造当初は緑の塗装で、車体側面に紋章のような装飾、屋根上に白色のカバーを取り付け、ヨーロッパの客車の深い丸屋根に似せた外観としていた。
- リニューアルにより、屋根上のカバーと紋章のような装飾が撤去された。
- 定員80名。
- 3号車 - オハ12 702「昭和風客車」
- 旧番号オハ12 230。昭和初期の鋼製客車を参考として改造された。
- 改造当初はぶどう色2号の地に白帯の塗装で、外板にリベット風の装飾が取り付けられた。車内の座席は緑色とし、天井にはグローブ付き蛍光灯を設置した。屋根は特に手を加えられなかった。
- 2001年(平成13年)に、腰板部分のリベット風の装飾が撤去され、リニューアル後に近い外観となった。
- リニューアルにより座席の色が緑色から茶色に変更されたが、後年グレーに変更された。また、吹き寄せ部分のリベット風の装飾も撤去され、新山口方の洗面所も荷物置き場(荷物室)に改められた。
- 定員80名。
- 4号車 - スハフ12 702「明治風客車」
- 旧番号スハフ12 68。改造前は1号車。日本の鉄道開業当初のイギリス製客車を参考として改造された。車内の座席は革張り、窓の日よけは鎧戸とし、ランプ風の照明を設置した。
- 改造に際し、乗務員室側連結面(小郡方)が津和野方に向けられ、5号車に変更された。改造当初はぶどう色2号の塗装で、外板に木目のプリント鋼板を取り付け、木造客車に似せた外観としていた。展望車風客車と同様、屋根上の冷房装置が一体型のカバーで覆われていた。
- 2001年に、腰板部分の木目のプリント鋼板のが撤去され、12系客車らしい外観となった。
- 2003年に、後述の大正風客車が再度改造工事を受けたことにより、4号車に変更された。
- リニューアルにより屋根上のカバー、吹き寄せ部分の木目のプリント鋼板が撤去された。
- 定員72名。
- 5号車 - オハ12 703「大正風客車」
- 旧番号オハ12 229。1924年(大正13年)製のナロ20850形を参考として改造された。津和野方は車販コーナーに改められた。天井は明かり取り窓のついた二段天井とし、座席は黄緑色としていた。
- 改造当初はぶどう色2号の塗装で、4号車であった。外板には、明治風客車のものよりも板幅の広い木目のプリント鋼板を取り付け、木造客車に似せた外観としていた。展望車風客車、明治風客車と同様に、屋根上の冷房装置が一体型のカバーで覆われていた。
- 2001年に、腰板部分の木目のプリント鋼板のが撤去され、12系客車らしい外観となった。
- 2003年に、車販コーナーが密閉式展望デッキ(展望室)に改められ、5号車に変更された。
- リニューアルにより屋根上のカバー、吹き寄せ部分の木目のプリント鋼板が撤去された。また、新山口方の洗面所も荷物室に改められた。
- 定員72名。
上記の車両は本列車[* 5]のほか、他路線の臨時列車に使用されたこともあった。
-
登場時のレトロ客車
-
オハフ13 701「展望車風客車」
-
展望車風客車の車内
-
オハ12 701「欧風客車」
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欧風客車の車内
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オハ12 702「昭和風客車」
-
昭和風客車の車内
-
オハ12 703「大正風客車」
-
スハフ12 702「明治風客車」
(1993年8月15日 小郡駅) -
リニューアル後のレトロ客車
-
オハフ13 701「展望車風客車」
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オハ12 701「欧風客車」
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オハ12 702「昭和風客車」
-
スハフ12 702「明治風客車」
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オハ12 703「大正風客車」
(2009年11月22日 津和野駅)
変遷
運行開始当初の客車は、無改造の12系客車5両編成であったが、1987年に外装がぶどう色2号の地に白帯に改められた。1988年6月ごろより前述の「レトロ客車」に改造されたため、ぶどう色2号の12系客車の使用はわずか一年程度で終わった。しかし、スハフ12 18(1995年〈平成7年〉1月31日車籍抹消)およびオハ12 247(1997年〈平成9年〉3月31日車籍抹消)はこの塗装のままであった。
「レトロ客車」運用開始当初から2002年(平成14年)12月まで[* 6]は、原則的に上下列車の両方で、展望車風客車を最後尾に連結するため、津和野駅の転車台でSLとともに方向転換が行われ、上り列車では明治風客車の津和野方に連結された。
2001年、昭和風客車の腰板部分のリベット風装飾、大正風客車と明治風客車の腰板部分のプリント鋼板が、それぞれ撤去された。
2003年、再度改造工事が行われた。展望車風客車の津和野駅での方向転換の省略のため、大正風客車の車販コーナーが、展望室に改められた。これにより、明治風客車と連結順序が入れ替わった。
2005年、リニューアル工事が行われた。外装がぶどう色2号の地に白帯に統一された。屋根上のカバー、展望車風客車の展望デッキの屋根の下の装飾、欧風客車の紋章のような装飾が撤去された。このほか、昭和風客車の吹き寄せ部分のリベット風装飾、明治風客車と大正風客車の吹き寄せ部分のプリント鋼板も、それぞれ撤去された。昭和風客車と大正風客車の洗面所も、荷物室に改められた。また、昭和風客車の座席も緑色から茶色に変わった。ただし、後年にはグレーに変わった。
ヘッドマーク
ヘッドマークは木彫り彫刻式のもので、丸型の黄色地に、山口県周南市八代地区で越冬のために飛来する鳥で、同県県鳥にも選定されているナベヅルを象ったものである。また、「やまぐち」と下の方に横書きで書いてある。1979年の運行開始以来、記念運転時の特製ヘッドマーク使用例を除き、変更されていなかったが、2019年3月末の運行からオリジナルを踏襲したデザインで新しいものに置き換えられた。
このほか、次のヘッドマークが使用された(下記の特別運用時については省略)。
- 1997年の運行時には、牽引機C57 1の製造60周年と、同年のNHK大河ドラマ『毛利元就』放映を記念し、丸型の赤枠黄色地の上に、ステンレスで作られた3本の矢を象ったヘッドマークが用意された。C57 1の除煙板にも同様のデザインのエンブレムが取り付けられた。
- 1999年(平成11年)は運行開始20年を記念して、ヘッドマークを特製して掲出された。また、記念日となる8月1日には子供の1日車掌を交えた記念式典が行われた。
- 2001年の『山口きらら博』開催期間中は、同博覧会のキャラクター「山口きららバンド」をデザインしたヘッドマークが掲出された。
- 2003年10月のダイヤ改正で小郡駅が新山口駅に改称されるため、同年9月30日の運行では「ありがとう小郡駅 2003.9.30」と書かれたヘッドマークが掲出され、10月1日の運行では「新山口駅 平成15年10月1日」と書かれたヘッドマークが掲出された。
- 2007年(平成19年)3月21日には、牽引機C57 1の製造70周年(1937年〈昭和12年〉3月22日竣工)を記念するヘッドマークが掲出された。デザインは公募で選ばれた7歳の男の子のもの。次点に選ばれた70歳の男性のデザインのものが除煙板に掲出された。なお、同じく70周年記念として同年8月より車内で販売されている「SL弁当」の掛け紙が1万枚限定で変更されている(これもデザインは公募)。同年4月29日には山口県山口市出身の詩人中原中也の生誕100年(1907年〈明治40年〉4月29日生まれ)を記念し、中原中也をイメージしたヘッドマークを掲出して運行された。
- 2009年8月1日には、SL復活30周年を記念したヘッドマークを掲出して運行された。
- 2011年7月23日には、SLやまぐち号乗車200万人達成にあわせて赤い銘盤プレートと黒い背景に赤い鶴「200万人達成記念やまぐちYAMAGUCHI」と表記された特製ヘッドマークが付けられた。
- 2014年8月23日には、山口線全線運転再開を記念したヘッドマークを掲出して運行された。
- 2016年3月20日から同月27日まで、C57 1生誕80周年『傘寿』を記念して「C571号機おめでとう傘寿」と書かれた紫色の特製ヘッドマークが付けられた。
- 2016年4月2日から同月30日までの運行日10日間に、桜の花にナベヅルの『春号』ヘッドマークが付けられた。
- 2016年8月1日から同月28日までの運行日11日間に、夏の空にナベヅルの『夏号』ヘッドマークが付けられた。
- 2016年11月3日から同月19日までの運行日6日間に、夜の紅葉に金色ナベヅルの『秋号』ヘッドマークが付けられた。
- C57 1が2017年3月22日に製造80周年を迎えるため、同年3月19・20日のファーストランに、黄色から緑のグラデーションの背景とナベヅルのデザインに
『C571おめでとう80th anniversary of manufacturing』と表記された特製ヘッドマークが付けられた。
- 2017年4月1日にJR西日本が発足30周年を迎えたため、同日と翌2日の運行日2日間、基本デザインに『おかげさまでJR西日本30th anniversary』と書かれたヘッドマークが付けられた。
- 2017年9月2日にC57 1+35系客車のSLやまぐち号へDestination Yamaguchiの文字と赤、緑、燈黄、燈、青、紫色の背景に高杉晋作の影が描かれた特製ヘッドマークが付けられた。
- 2017年10月14・15日に、生誕110年・没後80年を迎えた中原中也をテーマとしたおもてなしイベント開催のため、中也が描かれた特製ヘッドマークが付けられた。
- 2018年4月1・7・8日に黄色い背景に桜と島根県津和野町の鷲原八幡宮の神事である流鏑馬を描いて『やぶさめ津和野』と書かれた特製ヘッドマークが付けられた。なお、このマークは神事を広くPRするために津和野町が制作した。
テールマーク
1987年7月4日にテールマークの掲出を開始した。国宝である瑠璃光寺(山口市)の五重塔が描かれており、斜め右下がりで、「やまぐち」と文字が書かれているものを使用する。
特別運用
過去に本物の旧型客車を使用して運行されたことが何度かあった。最初は山陰本線で現役であった車両を使用して運行したもので、のちにはJR西日本が所有する保存車両での運行であった。旧型客車使用時の編成内容の一例は以下のとおり。小郡方が1号車。
- 1号車 - マイテ49 2
- 2号車 - オハフ33 48
- 3号車 - オハ46 13
- 4号車 - オハフ33 289
そのほか、下記のような延長運転の実施や特別編成が組まれたことがある。
- SL日原星まつり号[* 7]
- 1988年(昭和63年)8月1日、運行開始9周年を記念して、1日限りで運行区間を小郡 - 日原間に延長、初の津和野以北乗り入れを実施。C57 1牽引で、下り小郡発日原行き列車は津和野駅を通過した。日原駅に転車台がないため、上り日原発小郡行き列車は津和野駅までバック運転(逆機)であった。同駅では展望車風客車の方向転換が省略され、上り列車は組成変更なしで運行した。
- SLドラマチックやまぐち号
- 1991年(平成3年)4月1日、1日限りで運行区間を小郡 - 益田間に延長、牽引機関車をC57 1+C56 160の重連(益田駅に転車台がないため、上り益田発小郡行き列車は津和野駅までC56 160が先頭の逆機重連。同駅からC56 160が先頭の重連)、車両をレトロ客車+マイテ49 2に変更して運行した。
- SL25周年記念号
- 2004年(平成16年)8月1日、運行開始25周年を記念して上り列車限定で運行された。C56 160牽引で、客車は京都総合運転所(現・吹田総合車両所京都支所)所属の12系客車2両が使用された。通常のSLやまぐち号と異なるダイヤで運行され、SL25年ありがとう号(C57 1+レトロ客車5両、特製ヘッドマーク付き)と篠目駅にて列車交換した。
- SLやまぐちDX号
- 2008年(平成20年)8月1日から3日の3日間、山口デスティネーションキャンペーンの企画列車として、牽引機関車をC56 160とC57 1の重連運転、車両を宮原総合運転所(現・網干総合車両所宮原支所)に所属するサロンカーなにわ6両編成に変更して運行した。
- ヘッドマークは、「やまぐち DELUXE 2008」と表記された特製ヘッドマークを使用、テールマークには「サロンカーなにわ」オリジナルテールマークが装着されていた。
- 2010年10月9日から11日にかけては、同編成(上り列車プッシュプル)で「SLやまぐちなにわ号」として運行した[13]。ヘッドマークは、「やまぐち なにわ」と表記された特製ヘッドマークが使用された。
- SLやまぐちゆうゆう号
- 2009年(平成21年)9月20・21日、牽引機関車をC56 160とC57 1の重連運転、車両を当時岡山電車区に所属していたユウユウサロン岡山6両編成に変更して運行した。ヘッドマークは、「やまぐち ゆうゆう」と表記された特製ヘッドマークが使用された。テールマークは、「ユウユウサロン岡山」となっていた。牽引機関車のC57 1は2日目の21日にナンバープレートの色を赤に変えて運行した。なお、「ユウユウサロン岡山」の多客臨時列車としての運用はこれが最後となり、同車は2011年(平成23年)3月27日をもって引退した。
- SLやまぐちあすか号
- 2010年10月16・17日、牽引機関車をC56 160とC57 1との重連運転(上り列車プッシュプル)、車両を当時の宮原総合運転所に所属していたあすか6両編成に変更して運行した[14]。ヘッドマークは、「やまぐち あすか」と表記された特製ヘッドマークが使用された。テールマークは「あすか」となっていた。
- SL地福ナイトフェスティバル号
- 2014年(平成26年)12月23日に山口市阿東地域交流センター地福分館ふれあい広場(地福駅最寄り)で行われた「クリスマスナイトフェスティバル」に合わせて、新山口 - 地福間をDD51 1043とC57 1との重連運転+レトロ客車3両(展望車風客車、明治風客車、大正風客車)で運行。通常とは異なり、下り列車は新山口駅を午後に出発し、上り列車は地福駅を夜出発するダイヤで運行された。[15](地福 - 津和野間は回送運転)。ヘッドマークは「地福ナイトフェスティバル」と表記された特製ヘッドマークが使用された。
- 2015年(平成27年)12月23日の運行は、新山口 - 地福間をC56 160とDD51 1043との重連運転+レトロ客車3両(展望車風客車、明治風客車、大正風客車)で運行。停車駅は、新山口駅、山口駅、地福駅で、1往復運行された。C56 160は直前の12月19・20日に運行されたSLクリスマス号のときと同じく、赤いナンバープレートを付け、ランボードの白線や煙突の金帯を外した状態で運行された。この装備は、2016年(平成28年)1月1日から同月3日に運行されるSL津和野稲成号でも継続された。
- SLありがとうレトロ客車号
- 2017年9月2日に上り列車限定で運行された。C56 160+DD51 1043の重連運転。同日の下りSLやまぐち号(C57 1+35系客車)と篠目駅にて列車交換した[16]。ヘッドマークは、ナベヅルの基本デザインに『ありがとうレトロ客車 1979.8.1〜2017.9.2』と表記された特製ヘッドマークが使用された。
- ありがとうC56号
- 2018年5月6日に上り列車限定で運行された。C56 160+DD51 1043の重連で12系客車5両を牽引した。同日の下りSLやまぐち号(D51 200+35系客車)と篠目駅にて列車交換した[17]。ヘッドマークは、基本デザインに赤字で『ありがとうC56 2018.5.6』と表記された特製ヘッドマークが使用された。
- SL新山口駅開業120周年記念号
- 2020年12月5・6日、新山口駅開業120周年を記念して運行された。
沿革
- 1979年(昭和54年)
- 1980年(昭和55年)
- 1982年(昭和57年)
- 乗客20万人達成。
- 1983年(昭和58年)
- 11月20日 - 乗客30万人達成。
- 1984年(昭和59年)
- 1月3日 - C58 1が同日の初詣列車牽引をもって運用終了。以後予備機なしでC57 1のみでの牽引になる。
- 1985年(昭和60年)
- 8月13日 - 乗客40万人達成。
- 1986年(昭和61年)
- 11月30日 - 乗客50万人達成。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 6月ごろ - 12系客車5両の内装・外装が改造される。改造されなかった2両のうち、スハフ12 18は予備電源車、オハ12 247は予備座席車となる。
- 7月24日 - 内装・外装が改造された12系客車5両が「レトロ客車」として運用開始。
- 8月1日 - 津和野 - 日原間で延長運転し、「SL日原星まつり号」として運行。上り列車の日原 - 津和野間は逆機であった。
- 1991年(平成3年)
- 4月1日 - 津和野 - 益田間で延長運転し、「SLドラマチックやまぐち号」として運行。C57 1+C56 160の重連でマイテ49 2増結。上り列車の益田 - 津和野間はC56 160が先頭の逆機重連。
- 1995年(平成7年)
- 1996年(平成8年)
- 6月 - 環境庁(現・環境省)が選定した日本の音風景100選に、「山口線のSL」として選出される。
- 1997年(平成9年)
- 3月31日 - オハ12 247車籍抹消。
- 1999年(平成11年)
- 運行開始20周年を記念し、特製ヘッドマークが掲出される。
- 8月1日 - 記念式典が行われるとともにC56 160、マイテ49 2を連結した特別編成で運行。
- 2000年(平成12年)
- 12月31日 - 「SLやまぐち21世紀号」が運行される。
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)
- 「レトロ客車」のリニューアル工事を実施。3月19日に運行開始。
- 2007年(平成19年)
- 2008年
- 8月1 - 3日 - 客車を「サロンカーなにわ」に変更の上、「SLやまぐちDX号」として運行。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 7月23日 - 乗客200万人達成。
- 2013年(平成25年)
- 7月29日 - 前日発生した山口県北部・島根県西部の豪雨に伴う山口線の被災に伴い、SLやまぐち号の運行を「当分の間」取り止めることを発表[21]。翌30日、年内の運転の取り止めが正式発表される[22]。この年はC57 1の全般検査の調整の関係上例年より遅い5月3日運行開始となっており、この年の運行日数は復活以来最も少ない28日にとどまった。
- 10月11日 - JR西日本が、11月2・3日に「SLがんばろう山口・津和野号」として新山口 - 地福間でSL運行を再開することを山口県に報告。C56 160牽引による運行となり、地福 - 津和野間は鉄道代行バスにより連絡する。「SLクリスマス号」「SL津和野稲成号」も同区間で運行予定であった[23]。いずれも下り新山口発地福行き列車のみの運行。
- 2014年(平成26年)
- 2月7日 - 2014年3月から6月までの運行計画を発表。前年の運行再開時同様、新山口 - 地福間での運行となる。C56 160とDD51形との重連運転で、下り列車はC56 160を先頭に「SLやまぐち号」として、上り列車はDD51形を先頭に「DLやまぐち号」として運行[24]。なお、6月は運行されなかった。
- 5月23日 - 2014年7月から9月の運行計画を発表。大まかな運行計画は3月から6月までと同様だが、7月5日以降牽引機としてC57 1が復帰し、下り列車はC57 1の単機牽引となる(上り列車はDD51形を先頭とした重連運転)[25]。
- 7月15日 - 7月13日の運行時にC57 1に不具合が発生したため、7月19日から当分の間、DD51形のみの牽引による快速列車「やまぐち号」として運行すると発表[26]。不具合の内容についてJR西日本のニュースリリースでは明らかにされていないが、動輪の車軸の一部が通常よりも高温になるトラブルがあったと報じられている[27]。
- 8月15 - 22日 - C56 160およびDD51形による牽引で、SLやまぐち号の運行を再開。春季運行時と同様、新山口 - 地福間での運行で、下り列車はC56 160を先頭に「SLやまぐち号」として、上り列車はDD51形を先頭、C56 160は逆機で「DLやまぐち号」として運行。
- 8月23日 - 山口線地福 - 津和野間が復旧し、新山口 - 津和野間の運行に戻る[28]。運行開始初日はC57 1とC56 160の重連運転で、上下列車ともSLやまぐち号として運行された。
- 12月20・21日 - 2014年「SLクリスマス号」運行。C57 1の不具合のため、DD51 1043を前補機として、展望車風客車、明治風客車、大正風客車の3両を牽引して運行された[29]。
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年)
- 7月9・10日 - 明治風客車のディーゼル発電機の故障により、スハフ12 36が2009年8月以来7年ぶりに増結され、C57 1+DD51 1043+スハフ12 36+レトロ客車5両の編成で運行された。
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)
- 2020年(令和2年)
- 10月10日 - 大蔭踏切(津和野市街地はずれ)から新山口方面にかけての山間部でシリンダー気密部品の破損により、峠越えに失敗。運行できなくなり、乗客はバスでの代替輸送。SL、客車はDD51 1043にて新山口駅まで回送。これにより、2020年後半はD51 200を梅小路運転区より貸出で対応。
- 2021年(令和3年)
-
SLやまぐち号
(1986年 小郡駅) -
C56 160+C57 1牽引によるSLやまぐち号
(1987年6月28日 長門峡 - 渡川間) -
登場時のレトロ客車編成
(1993年8月15日 小郡駅) -
SLやまぐちDX号
(2008年8月3日 長門峡 - 渡川間) -
SLやまぐちゆうゆう号
(2009年9月21日 長門峡 - 渡川間)
脚注
注釈
- ^ 年によっては12月中旬ごろまで運行されることもある。
- ^ 1号車はスハフ12 18・68の2両のうち、いずれか1両、2 - 4号車はオハ12 227・229・230・247の4両のうち、いずれか3両、5号車はオハフ13 59であった。
- ^ 大正風客車を減車の上、明治風客車の津和野方に連結され、C57 1が単機で牽引したこともあった。
- ^ 1994年(平成6年)12月3日付で下関運転所(現・下関総合車両所運用検修センター)から小郡運転区(現・下関総合車両所新山口支所)に転属。
- ^ これと同区間を運行する臨時列車も含む。
- ^ 初詣列車運行時期も含めると2003年1月3日までとなる。
- ^ 文献等によっては、「'88にちはら星まつり号」等と表記されていることもある。
出典
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