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2022年10月6日 (木) 20:41時点における版
静岡県立静岡商業高等学校 | |
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北緯34度57分52.3秒 東経138度22分4秒 / 北緯34.964528度 東経138.36778度座標: 北緯34度57分52.3秒 東経138度22分4秒 / 北緯34.964528度 東経138.36778度 | |
過去の名称 |
静岡市立静岡商業学校(旧制) 静岡県立静岡商業学校(旧制) |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 静岡県 |
併合学校 |
静岡市立駿府商業学校 静岡県立静岡第二商業学校 |
校訓 | 剛健進取 |
設立年月日 | 1899年4月17日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
商業科 情報処理科 |
学校コード | D122210000402 |
高校コード | 22138E |
所在地 | 〒420-0068 |
静岡県静岡市葵区田町七丁目90番地 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
静岡県立静岡商業高等学校(しずおかけんりつしずおかしょうぎょうこうとうがっこう)は、静岡県静岡市葵区田町七丁目に所在する公立の商業高等学校。略称は「静商(せいしょう)」。また「SC」と略されることもある。
同市の静岡県立静岡高等学校と、伝統的なライバルである。静岡高校の「岳南健児」に対し、静岡商業高校は「白龍健児」(はくりょうけんじ)と称する。
設置学科
沿革
- 1898年 - 静岡市立静岡商業学校の設立認可される
- 1899年 - 静岡市立静岡商業学校として開校(男子校)
- 1900年 - 静岡市追手町(現葵区城内町)に校舎が完成し移転
- 1919年 - 静岡県静岡商業学校に改称
- 1922年 - 静岡県立静岡商業学校に改称
- 1933年 - 静岡市立駿府商業学校を合併
- 1935年 - 現在地に校舎が完成し移転
- 1942年 - 静岡県立静岡第二商業学校(夜間課程)設立
- 1948年 - 静岡県立静岡商業高等学校に改称。静岡第二商業学校は静岡商業高校と合併し、同校の定時制課程となる。
- 1949年 - 新入生より男女共学となる
- 1987年 - 新校舎落成
- 1997年4月 - 定時制課程の生徒募集を停止。
- 2000年3月31日 - 定時制課程を閉課。
野球部の活躍
硬式野球部は戦前から甲子園に出場している古豪であり、プロ野球選手も多く輩出している。創部は1928年と、同じく静岡の古豪である静岡高校と比べるとかなり後発であるが、甲子園では優勝1回、準優勝2回、ベスト8が3回と好成績を挙げている。夏の選手権で初戦敗退が一度も無いことも特筆できる(2018年現在)。「芸術品」とまで謳われたバント戦法と足を絡めた機動力野球がお家芸。ライバル静岡高校との定期戦は古くから「静岡の早慶戦」と言われており、戦前から現在まで続いている。また軟式野球部も全国大会優勝2回、準優勝4回の実績がある。
甲子園通算成績
- 出場:春6回、夏9回
- 勝敗:春6勝5敗、夏17勝9敗
- 優勝:1952年春
- 準優勝:1954年夏、1968年夏
- 選抜大会記録:連続試合完封4 田所善治郎(1952年2回戦 - 決勝)
- 選手権大会記録:1試合最多得点差23(1936年1回戦 27-4長野商)、1試合最多犠打9(2006年1回戦 八幡商戦)
(2007年現在)
年表
- 1928年 - 創部
- 1934年 - 第11回選抜中等学校野球大会(現選抜)出場
- 1936年 - 第22回全国中等学校優勝野球大会(現選手権)出場
- 1952年 - 第24回選抜高校野球大会優勝。田所善治郎投手(元国鉄)が全試合完封。阿井利治(元国鉄)、望月教治(元ヤマハ発動機監督他)らが活躍
- 1953年 - 第35回全国高校野球選手権大会出場。阿井利治、望月教治らが前年より残る
- 1954年 - 第36回全国高校野球選手権大会準優勝。興津立雄(元広島)、滝英男(元阪神)、松浦三千男(元阪神)らが活躍
- 1955年 - 第27回選抜高校野球大会出場
- 1959年 - 第41回全国高校野球選手権大会出場。朝井茂治(元阪神他)
- 1966年 - 第48回全国高校野球選手権大会出場。奥柿幸雄(元サンケイ)
- 1968年 - 第50回全国高校野球選手権大会準優勝。新浦壽夫(元巨人)が一年生エース、藤波行雄が中心打者として活躍
- 1969年 - 第51回全国高校野球選手権大会ベスト8。前年に続き藤波行雄が中心打者として活躍。新浦が中退して巨人に入団したため松島英雄(元大洋)がエース、後にプロ野球で大成する池谷公二郎(元広島)は控え投手。 準々決勝の相手は松山商であった。秋の国体では準決勝で松山商を破り優勝している。
- 1972年 - 第44回選抜高校野球大会出場。秋田秀幸(元中日)
- 1973年 - 第45回選抜高校野球大会出場。秋田秀幸
- 1974年 - 第56回全国高校野球選手権大会ベスト8。高橋三千丈(元中日)がエースで漆畑和男(プリンスホテル)、大石優治(専修大学)らが活躍。1年生に大石大二郎(元近鉄)、久保寺雄二(元南海)がいた。
- 1975年 - 第47回選抜高校野球大会ベスト8。大石大二郎、久保寺雄二らが活躍。不祥事のため大会後に1977年までの2年にわたり対外試合出場禁止の処分を受ける。
- 2006年 - 第88回全国高校野球選手権大会に32年ぶり出場。
主な卒業生
- 太田正孝 - 元自治庁長官
- 佐野嘉吉 - 元衆議院議員
- 下川儀太郎 - 元衆議院議員、詩人
- 荻野凖平 - 元静岡市長
- 田宮義雄 - タミヤ創業者
- 北川民次 - 画家
- 久保田利伸 - 歌手、アーティスト
- 森谷良平 - 元プロ野球選手(国鉄)
- 杉山光平 - 元プロ野球選手(近鉄・南海)
- 田所善治郎 - 元プロ野球選手(国鉄)
- 横山昌弘 - 元プロ野球選手(中日)
- 阿井利治 - 元プロ野球選手(国鉄)
- 興津立雄 - 元プロ野球選手(広島)
- 滝英男 - 元プロ野球選手(阪神)
- 松浦三千男 - 元プロ野球選手(阪神)
- 大木利男 - 元プロ野球選手(阪神)
- 滝安治 - 元プロ野球選手
- 朝井茂治 - 元プロ野球選手(阪神・広島)
- 奥柿幸雄 - 元プロ野球選手(サンケイ)
- 藤波行雄 - 元プロ野球選手(中日)
- 松島英雄 - 元プロ野球選手(大洋)
- 勝亦治 - 元プロ野球選手(阪神・ヤクルト)
- 池谷公二郎 - 元プロ野球選手(広島)
- 秋田秀幸 - 元プロ野球選手(中日)
- 高橋三千丈 - 元プロ野球選手(中日)
- 久保寺雄二 - 元プロ野球選手(南海)
- 大石大二郎 - 元プロ野球選手(近鉄)
- 山崎隆広 - 元プロ野球選手(楽天)
- 髙田琢登 - プロ野球選手(DeNA)
- 望月教治 - アマチュア野球指導者
- 岩藤理恵 - 柔道選手
- 内野智香英 - バスケットボール選手
- 中退
- 新浦壽夫 - 元プロ野球選手(巨人・韓国サムスン・大洋・ダイエー・ヤクルト)
アクセス
- バス:しずてつジャストライン「安倍川橋」または「南田町」停留所から、徒歩3分
その他
脚注
- ^ 『写真集 明治大正昭和 静岡』ふるさとの想い出 13、小川龍彦著、図書刊行会、昭和53年、国立国会図書館蔵書、2019年3月22日閲覧
- ^ IPA 独立行政法人 情報処理推進機構:情報処理技術者試験:午前試験免除 基本情報技術者試験(FE)
- ^ “認定免除対象講座の一覧(PDF)”. 独立行政法人 情報処理推進機構. 2021年7月28日閲覧。