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2022年10月6日 (木) 21:07時点における版

横浜市立横浜商業高等学校
正門から
地図北緯35度26分03秒 東経139度36分35秒 / 北緯35.43428度 東経139.60969度 / 35.43428; 139.60969座標: 北緯35度26分03秒 東経139度36分35秒 / 北緯35.43428度 東経139.60969度 / 35.43428; 139.60969
過去の名称 横浜商法学校
横浜商業学校
横浜市立商業学校
国公私立の別 公立学校
設置者 横浜市旗 横浜市
学区 商業科・県内全域
スポーツマネジメント科・県内全域
国際学科・県内全域
別科・県内全域
設立年月日 1882年3月20日
開校記念日 6月2日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 商業科
国際学科
スポーツマネジメント科
別科 理容科
美容科
学期 3学期制
学校コード D114210020060 ウィキデータを編集
高校コード 14212D
所在地 232-0006
神奈川県横浜市南区南太田2-30-1
外部リンク 公式ウェブサイト
別科公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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横浜市立横浜商業高等学校(よこはましりつ よこはましょうぎょうこうとうがっこう)は神奈川県横浜市南区にある、全日制の商業科および国際学科、スポーツマネジメント科と別科(理容科・美容科)を持つ市立高等学校

概要

校章および学生帽、野球部のユニフォームにあるYのマークからY校(ワイこう)という愛称で親しまれている。

現存する神奈川県内の公立高校としては、最も古い歴史を持つ。1916年に作られた校歌は、作詞を森鷗外(本名の森 林太郎で出している)が手がけている。

同窓会は進交会(しんこうかい)。同会は、Y校と横浜市立大学(市大)、および市大の前身である横浜市立横浜商業専門学校(Y専)の3校の卒業生を会員とする。ただし別科は独立した同窓会組織となっている。

なお、定時制横浜市立港高等学校横浜市立横浜工業高等学校と発展的に統合される形で横浜市立横浜総合高等学校(横浜工業高校の敷地内に新設)へ移行、2005年平成17年)3月をもって閉鎖。

沿革

部活動

全国高等学校野球選手権神奈川県大会・校歌斉唱の様子(2007年7月21日)
2007年全国高等学校野球選手権神奈川県大会 地区予選・柏木学園との3回戦勝利後の横浜スタジアム・スコアボード

硬式野球部

硬式野球部1896年明治29年)に創部された。創部のきっかけは、同年5月23日6月5日に行われた、旧制一高(現在の東京大学)野球部とYC&ACとの対戦試合である。この試合で旧制一高野球部はそれぞれ29対4、32対9で大勝するが、Y校関係者はこの試合の応援に駆けつけ、勝利した一高野球部員と懇意になり、応援のお礼として一高側はボールとバットを贈り、それをきっかけとしてその後の野球部創立となった。創部時のコーチは一高投手の青井鉞男であった。

Y校野球部は創部以来、関東における戦前の中等学校野球 - 戦後の高校野球の牽引役となった。1923年大正12年)夏、神奈川県の学校として初めて甲子園大会(第9回全国中等学校優勝野球大会。現在の全国高等学校野球選手権大会)に出場した。以後、春(選抜高等学校野球大会)9回、夏7回、甲子園に出場している。
1983年(昭和58年)春の第55回選抜高等学校野球大会と、同年夏の第65回全国高等学校野球選手権大会で春夏連続の準優勝を果たした。神奈川県公立高校の春夏の準優勝以上の戦績はこれ以降、2020年(令和2年)現在までない。

横浜高校との試合は「YY決戦」「YY戦」と呼ばれ親しまれている。横浜スタジアムでの試合時には、横浜商のスコアボードのチーム名表記は「Y」となる(Y校は公立、横浜高校は私立である)。また、TVKテレビの高校野球中継でのチーム名表記も、90年代後半まで一貫して「Y」であった。

野球部の部員数は県下最大ではあるが、近年は初戦で敗退したり、復活したと思えば慶應高校に大敗を喫するなど、かつての強さに陰りが見えている。現在、全国高等学校野球選手権大会は1990年平成2年)夏の第72回大会が最後の出場となっており、これが県下の公立高校硬式野球部にとっても最後となっている(普通科の公立高校にいたっては、1951年(昭和26年)の夏に行われた第33回大会出場の希望ヶ丘高校が最後となっている)。
選抜高等学校野球大会も、1997年(平成9年)春の第69回大会以来出場していない(これが2017年(平成29年)現在神奈川県の公立高校最後の選抜出場となっている)。
ちなみに、1990年(平成2年)夏の第72回大会1回戦の対戦校は、Y校の校歌を作詞した森鴎外の生誕地島根県津和野町にある津和野高校で、5-1でY校が勝利した。

その他の運動部

交通

著名な関係者

教職員

美澤進

出身者

教職員

脚注

  1. ^ 神奈川県立横浜第一中学校(神奈川県立希望ヶ丘高等学校)との体育対抗戦。1969年まで行われ、通算成績は本校の18勝24敗1分であった。
  2. ^ 横浜市内旧制中学・高校・専門学校 校名変遷(戦前創始編)”. 横浜市. 2021年6月28日閲覧。

関連項目

所在地

〒232-0006
神奈川県 横浜市南区南太田2-30-1

外部リンク