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2022年10月6日 (木) 21:20時点における版
大分県立佐伯鶴城高等学校 | |
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北緯32度57分38.5秒 東経131度53分43.2秒 / 北緯32.960694度 東経131.895333度座標: 北緯32度57分38.5秒 東経131度53分43.2秒 / 北緯32.960694度 東経131.895333度 | |
過去の名称 | 大分県立佐伯第一高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大分県 |
併合学校 |
大分県立佐伯中学校 大分県立佐伯高等女学校 |
理念 | 文武両道の校風のもと、志高く、知・徳・体の調和のとれた、次代を担うリーダーの育成 |
校訓 | 自治 信愛 剛健 |
設立年月日 | 1911年(明治44年) |
開校記念日 | 4月21日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D144210000175 |
高校コード | 44129F |
所在地 | 〒876-0848 |
大分県佐伯市城下東町7番1号 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大分県立佐伯鶴城高等学校(おおいたけんりつ さいきかくじょうこうとうがっこう, Oita Prefectural Saiki Kakujo High School)は、大分県佐伯市城下東町にある県立高等学校。
設置学科
概要
旧佐伯藩城址を西にみる武家屋敷通りの一角にあり、付近には寺院も多い。
学校の歴史は古く、1911年(明治44年)創立の「大分県立佐伯中学校」と「大分県立佐伯高等女学校」を前身とする。佐伯中学校は、1910年(明治43年)南海部郡立佐伯中学校として創立され、1916年(大正5年)に県移管、大分県立佐伯中学校となる。また、佐伯高等女学校も1910年(明治43年)に佐伯町立実科佐伯女学校として発足。郡立学校を経て、1921年(大正10年)県立移管となり、大分県立佐伯高等女学校に改称したもので、それぞれ古い歴史と伝統を持つ。
現在の姿になったのは、1948年(昭和23年)の学制改革で、大分県立佐伯中学校と大分県立佐伯女子高等学校が合併して「大分県立佐伯第一高等学校[注 1]」(新制高等学校)第1部・第2部となって以来である。1951年(昭和26年)に現校名の大分県立佐伯鶴城高等学校に改称した。
2017年(平成29年)にスーパーサイエンスハイスクールに指定。
「自治・信愛・剛健」を校訓に勉学と人格の涵養に励んでいる。
沿革
- 旧制中学校(男子校)[1]
- 1910年(明治43年)6月 - 南海部郡立佐伯中学校の設置が認可される。
- 1911年(明治44年)4月1日 - 佐伯町馬場に「南海部郡立佐伯中学校」が開校。本館が完成し、1・2学年が入学。
- 1916年(大正5年)4月1日 - 「大分県立佐伯中学校」と改称。
- 1925年(大正14年)4月 - 運動場が完成。
- 1930年(昭和5年)9月 - プールが完成。
- 1936年(昭和11年)5月 - 本館を改築。
- 1941年(昭和16年)3月 - 新校舎6教室を増築。
- 1948年(昭和23年)3月31日 - 閉校。
- 高等女学校
- 1911年(明治44年)6月 - 佐伯町立佐伯尋常小学校内に「佐伯町立佐伯実科女学校」が開校。
- 1918年(大正7年)4月1日 - 「南海部郡立佐伯実科高等女学校」と改称。
- 1920年(大正9年)4月 - 佐伯市中村外に校舎を新築し移転。
- 1921年(大正10年)4月1日 - 「大分県立佐伯高等女学校」と改称。
- 1948年(昭和23年)3月31日 - 閉校。
- 新制高等学校
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、大分県立佐伯中学校と大分県立佐伯高等女学校の中等教育学校2校を統合し、「大分県立佐伯第一高等学校[注 1]」(新制高等学校)が発足。当初は部制により、第一部(男子)と第二部(女子)に分けて教育を開始。
- 1949年(昭和24年)4月21日 - 部制を廃止し、男女共学で教育を開始。この日を開校記念日に制定。
- 1950年(昭和25年)3月 - グラウンドを大改修。
- 1951年(昭和26年)
- 4月1日 - 「大分県立佐伯鶴城高等学校」(現校名)と改称。
- 8月 - 家庭科食物教室が完成。
- 1952年(昭和27年)3月 - 図書館を増築。
- 1953年(昭和28年)9月 - プール(25m)を改修。
- 1955年(昭和30年)6月 - 理科教室が完成。
- 1956年(昭和31年)4月 - 長島寄宿舎「鶴風寮」を新設。
- 1959年(昭和34年)
- 4月 - 北校舎4教室を改築。
- 5月 - 弓道場を新設。
- 1961年(昭和36年)10月 - 50mプールが完成。
- 1962年(昭和37年)11月 - 体育館が完成。
- 1967年(昭和42年)3月 - 新校舎(第一期工事)が完成。
- 1968年(昭和43年)3月 - 新校舎(第二期工事)が完成。
- 1969年(昭和44年)
- 4月1日 - 体育学科を設置。
- 7月 - 新校舎(第三期工事)が完成。校舎前庭を整備。
- 1970年(昭和45年)
- 4月1日 - 大分県立佐伯農業高等学校より宇目分校が移管される。
- 5月 - 正門が完成。
- 8月 - 中庭池が完成。
- 1971年(昭和46年)- 特別教室棟が完成。
- 1973年(昭和48年)3月 - 体育センターが完成。
- 1975年(昭和50年)3月 - 第二グラウンドと弓道場が完成。
- 1977年(昭和52年)4月 - 25mプールに温水施設を設置。
- 1978年(昭和53年)4月1日 - 普通科1学級を増設。
- 1979年(昭和54年)3月 - 野外プールを屋内プールに改装。
- 1982年(昭和57年)11月 - 屋内プールに温水施設を設置。
- 1983年(昭和58年)2月 - 鶴風寮用地を売却。
- 1985年(昭和60年)11月 - 「馬場の松」を復元。
- 1987年(昭和62年)12月 - 体育科の入試形態が推薦入試となる。
- 1988年(昭和63年)3月 - 第一グラウンドの大改修を実施。
- 1989年(平成元年)3月 - 第二グラウンドの大改修を実施。
- 1990年(平成2年)3月 - セミナーハウスが完成。
- 1991年(平成3年)
- 2月 - 体育館の大規模改修を実施。
- 3月 - プール付属棟を改築。
- 1995年(平成7年)9月 - 新校章を制定。デザインは時田良太郎(旧制佐伯中学校第35回卒業生、アメリカペンシルバニア州在住)。
- 1996年(平成8年)
- 2月 - 体育部室が完成。
- 12月 - 多目的競技場が完成。
- 1998年(平成10年)7月 - 管理棟外部の大規模改修を実施。
- 1999年(平成11年)6月 - 管理棟内部の大規模改修を実施。
- 2000年(平成12年)3月 - 体育科の募集を停止。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)8月 - 特別教室棟内部の大規模改造を実施。
- 2004年(平成16年)
- 3月 - 第2グラウンドの補修工事を実施。
- 8月 - 体育センター(トレーニングセンター)大規模改造工事を実施。
- 2011年(平成23年)- 創立100周年を迎えた。
- 2017年(平成29年)4月 - スーパーサイエンスハイスクールに指定。
部活動
- 運動部
- 野球部、陸上部、体操部、水泳部、 剣道部、バスケットボール部(男・女)、バレーボール部(男・女)、ソフトテニス部(男・女)、サッカー部、、バドミントン部、弓道部、卓球部[2]
- 主な成績
- 野球部
- 1965年(昭和40年)5月 - 九州高等学校野球選手権大会で優勝[3]。
- 1974年(昭和49年)8月 - 第56回全国高等学校野球選手権大会に出場[4]。
- 1986年(昭和61年)8月 - 第68回全国高等学校野球選手権大会に出場し、ベスト8に入る[4]。
- 1996年(平成8年)8月 - 第78回全国高等学校野球選手権大会に出場[4]。
- 2018年(平成30年)5月 - 第133回県高校野球選手権で44季ぶりに優勝[5]。
- 陸上部
- 水泳部
- 1950年(昭和25年)8月 - 昭和25年度日本高等学校選手権水泳競技大会で優勝(初)[要出典]
- 1956年(昭和31年)8月 - 昭和31年度日本高等学校選手権水泳競技大会(競泳・男子学校対抗)で優勝(2回目)[8]
- 1957年(昭和32年)8月 - 昭和32年度日本高等学校選手権水泳競技大会(競泳・男子学校対抗)で優勝(3回目)[8]
- 1960年(昭和35年)8月 - 昭和35年度日本高等学校選手権水泳競技大会(競泳・男子学校対抗)で優勝(4回目)[8]
- 1962年(昭和37年)8月 - 昭和37年度日本高等学校選手権水泳競技大会(競泳・男子学校対抗)で優勝(5回目)[8]
- 1965年(昭和40年)8月 - 昭和40年度日本高等学校選手権水泳競技大会(競泳・男子学校対抗)で優勝(6回目)[8]
- 剣道部
- 野球部
- 文化部
- 同好会
- 英語同好会
著名な出身者
野球
- 繁里栄(元プロ野球選手)
- 大橋衛(元プロ野球選手)
- 河野正(元プロ野球選手)
- 阿南準郎(広島東洋カープ元監督)
- 八木孝(元プロ野球選手)
- 堺崇展(元プロ野球選手)
- 大石弥太郎(元プロ野球選手)
- 野村謙二郎(広島東洋カープ元監督)
- 廣瀬純(元プロ野球選手)
- 山中正竹(バルセロナオリンピック野球日本代表監督、元法政大学・住友金属監督、全日本野球協会会長)
- 若林重喜(元野球選手、バルセロナオリンピック銅メダリスト)
- 野村昭彦(元野球選手)
- 坂本保(元野球選手)
競泳
- 吉田喜一(元競泳選手、1936年ベルリンオリンピック日本代表)
- 谷川禎次郎(元競泳選手、1952年ヘルシンキオリンピック銀メダリスト)
- 岩崎邦宏(元競泳選手、1964年東京オリンピック銅メダリスト)
- 高橋栄子(元競泳選手、元220ヤードバタフライ世界記録保持者)
- 青木剛(シドニー・アテネオリンピック水泳代表監督、元日本水泳連盟会長)
- 渡辺一平(競泳選手、2016年リオデジャネイロオリンピック日本代表、元200m平泳ぎ世界記録保持者、世界水泳選手権銅メダリスト)
陸上
体操
- 山脇恭二(元体操選手、ロサンゼルスオリンピック銅メダリスト)
経済
- 御手洗毅(キヤノン初代社長)
- 御手洗冨士夫(日本経団連会長、キヤノン会長、東京都立小山台高等学校へ転校)
- 村上憲郎(Google Japan 名誉会長)
- 榎徹(大分フットボールクラブ代表取締役)
文化
- 富永一朗(漫画家)
- 清松みゆき(ゲームデザイナー、小説家、翻訳家、グループSNE所属)
- 今井彰(プロデューサー)
- 団塚栄喜(デザイナー)
- 中津留章仁(劇作家)
- 旭堂左南陵(講談師)
- 神志名泰裕(政治ジャーナリスト、元NHK解説委員長)
- 渡邉英徳(工学者、東京大学教授)
- 小野正嗣(仏文学者、早稲田大学教授)
- 戸高賢史(ミュージシャン、ART-SCHOOLのメンバー)
芸能
その他
脚注
注釈
- ^ a b 大分県立佐伯第二高等学校は、大分県立佐伯豊南高等学校及び大分県立佐伯鶴岡高等学校の前身である。
- ^ 宇目分校の跡地には、2003年(平成15年)4月に佐伯市立中学校3校(木浦・小野市・重岡)が統合され、佐伯市立宇目緑豊中学校が開校した。
出典
- ^ a b c 学校沿革 大分県立佐伯鶴城高等学校
- ^ 学校案内2017 (PDF) 大分県立佐伯鶴城高等学校
- ^ 矢野彌生「佐伯市戦後50年史 27 昭和40年代の社会・文化・スポーツ」佐伯史談 No.209 (2009. 3) , p.9-18
- ^ a b c 佐伯鶴城(大分) - 学校情報 - 高校野球/甲子園 朝日新聞デジタル
- ^ 県高校野球選手権[1]
- ^ 成迫 健児 公益財団法人日本陸上競技連盟
- ^ 平成13年度 全九州高等学校体育大会 上位校一覧 (PDF)
- ^ a b c d e 矢野彌生「佐伯市戦後50年史 13 昭和30年代の社会・文化・スポーツ 続 佐伯史談 No.194 (2003. 10) , p.19-27
- ^ 平成2年度玉竜旗高校剣道大会 男子 剣道マニア
- ^ 平成3年度玉竜旗高校剣道大会 男子 剣道マニア