コンテンツにスキップ

「高島忠夫」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
443行目: 443行目:
[[Category:新東宝の俳優]]
[[Category:新東宝の俳優]]
[[Category:東宝の俳優]]
[[Category:東宝の俳優]]
[[Category:日本の悪役俳優]]
[[Category:日本の闘病記著者]]
[[Category:日本の闘病記著者]]
[[Category:パーキンソン病の人物]]
[[Category:パーキンソン病の人物]]

2022年10月19日 (水) 20:31時点における版

たかしま ただお
高島 忠夫
高島 忠夫
キネマ旬報社『キネマ旬報』第147号第962号(1956)より
本名 高嶋 忠夫
生年月日 (1930-07-27) 1930年7月27日
没年月日 (2019-06-26) 2019年6月26日(88歳没)
出生地 日本の旗 日本兵庫県武庫郡(現:神戸市
死没地 日本の旗 日本東京都
身長 181 cm
血液型 O型
職業 俳優タレント司会者
ジャンル 舞台・テレビドラマ・映画
活動期間 1951年 - 2013年
配偶者 寿美花代1963年 - 2019年
著名な家族
事務所 東宝芸能
主な作品
テンプレートを表示

高島 忠夫(たかしま ただお[1]1930年昭和5年〉7月27日[1][2] - 2019年令和元年〉6月26日[3][4])は、日本俳優タレント司会者である。本名は高嶋 忠夫(読み同じ)。血液型はO型。4人姉妹弟の長男(姉1人、妹1人、弟1人)。所属事務所東宝芸能

来歴

出生から学生時代まで

兵庫県[2]武庫郡御影町(現在の神戸市[1]東灘区御影町)で、姉妹弟のいる4人姉弟の長男として出生。祖父は大地主で不動産収入があり、そのため父は琵琶師匠を自称していたが弟子もおらず、生涯定職につくことのない有閑階級の家庭であった[5]。成績は優秀で神戸一中に進学。水泳部に所属した。同じクラスに作家の小松左京國弘正雄がいた[6]。小松とは、一緒にバンドを組んでいたこともある仲[7]

学制改革により六・三・三制となり、神戸一中5年から新制神戸高校3年へと進学する[8]ジャズに没頭し、退学[8]。翌年に関西学院高等部へ今で言う「水泳推薦」で編入学[8]する。高校では団鬼六がボーカルだった軽音楽クラブに所属した[9]

芸能界へ

1951年に映画会社新東宝のニューフェイス「新東宝スターレット」の第1期生として芸能界入り[10][2]。スターレット同期生は天知茂久保菜穂子小笠原弘松本朝夫ら18人[11][12]。映画界入りしたことで関西学院大学は2年で中退[1][10][8]

本名の高嶋忠夫から芸名を高島忠夫として、21歳で上京し、東京暮らしを始める[12]俳優座で俳優の勉強とボイストレーニングをして、このときに歌の才能が認められ、本格的に歌の練習をやるよう勧められる[13]

1952年の映画『恋の応援団長』でデビュー。同年に『チョイト姐さん思い出柳』で初主演し、以後新東宝で主演級の歌うスターとして活躍。高島の映画出演は1950年代から1960年代が中心で100本以上の出演作の大半がこの時期のものである[14]。特に『坊ちゃんシリーズ』の主役は当たり役となった。作曲もこなし、1958年には「東京ダーク・ムーン」をフランク永井に提供している。その後、「君はミュージカルスターになれる」との菊田一夫の誘いで東宝に移籍[2]。東宝ミュージカルのほか、コミカルな演技が印象的な『キングコング対ゴジラ』や「日本製の本格的ミュージカル映画」として後年評価された『君も出世ができる』などの東宝映画や、東宝系列の宝塚映画に出演するようになる。1963年には日本初のブロードウェイミュージカルとして上演された『マイ・フェア・レディ』に出演して評判となる[15][16]

女優の寿美花代とは、1961年に寿美が司会のテレビ番組『季節のミュージカル』にゲスト出演したことから知り合い[17][18][19]、2年間の交際を経て、1963年に結婚[20]。『ごちそうさま』で長く夫婦で共演していた。結婚後、長男・道夫をもうけるが、1964年に生後5か月で当時17歳の家政婦によって殺害されるという事件に見舞われる[21]高島忠夫長男殺害事件)。

1968年、東映動画の『アンデルセン物語』では声優をこなし、ミュージカル仕込みの明朗なテノールの歌声を披露している。

東宝移籍後は壮年にさしかかるとバイプレーヤーとして脇に回り、『土曜ショー』の司会者をしたことをきっかけにテレビの仕事が増え始め、1970年代からは本格的にテレビに進出して司会業を行う[22]。料理番組『ごちそうさま』やクイズ番組『クイズ・ドレミファドン!』などの司会業の他、『ゴールデン洋画劇場』では映画解説をつとめ、いずれも長期に渡る人気番組のホスト役として活躍する[1]

1970年代半ばには暴飲暴食により、糖尿病を発病。一時は体重が120kg近くになったが、和食中心の食事にして3年後に体重を70kg台に落とした[23]

1980年代後半に次男の政宏、三男の政伸がともに俳優としてデビュー。以降は芸能一家の代表格として親しまれる。1993年からは家族4人共演でファミリーコンサートを定期開催した[24]

1995年に実家が阪神・淡路大震災で被災して全壊[注釈 1]

晩年

糖尿病を発症して以後、一時禁酒したがダイエットに成功した頃より飲酒を再開。不眠症で酒と睡眠薬に頼り、眠る日々で、アルコール依存症になっていた[26]

1971年から1996年までの25年間続けて愛着のあった仕事である『ごちそうさま』の司会交代や母親が入院(2000年死去)したことなどがきっかけで、1998年に重度のうつ病を発症し[27]、レギュラー番組の『ゴールデン洋画劇場』『暴れん坊将軍』など4本降板し、治療にあたる[28]。降板にあたっては糖尿病であると説明していた。翌年に症状が改善したことから仕事復帰し、復帰初仕事のトーク番組『徹子の部屋』の出演の際にうつ病だったことを告白した[29]。しかし無理がたたって再発し、再び療養していたが[30]、2004年ごろから徐々に芸能活動を再開、2007年春から完全復帰。以降は家族とともにうつ病への理解を深める活動を行っていた。

高島の闘病生活は2007年6月にドラマ化された(ドキュメンタリー・ドラマ『うつへの復讐 〜絶望からの復活〜』、日本テレビ6月26日放送)。

さらにパーキンソン病を発症し、2010年には不整脈のため心臓にペースメーカーを取り付ける手術を行った[17][31]2013年6月18日には「カスペ!」(フジテレビ)で『独占密着!真実の高島ファミリー「忠夫さん、死ぬまで一緒やで」〜寿美花代・献身愛で闘う夫の病〜』[32]と題し、5年ぶりにテレビ出演を果たした[17][31]

2017年8月に初孫が誕生。

2019年6月26日13時1分、老衰のため、都内の自宅にて死去[33]。88歳没。

人物像

明るく楽しいキャラクターをセールスポイントにし、妻の寿美とはおしどり夫婦のイメージ通りに夫婦げんかをしたことがなかった[34]。次男の政宏によれば、うつ病を発症するまでは家庭でもテレビなどと同じように明るくテンションが高かったという。そのため、長い躁状態から鬱状態になったのではないかと推測している[35]

新東宝時代も、調子のいい男とみられたり[36]、ぼんぼんという感じだったという[37]。一方で関西弁だからと、井上梅次の映画の配役から外されたことがあった[38]

家族ともども世界的シンガーであるフリオ・イグレシアスの大ファンで、1985年8月に『クイズ・ドレミファドン!』にイグレシアスが出演して以降、家族ぐるみで付き合いがある[17][39]。音楽番組やバラエティー番組では、よくイグレシアスとのエピソードを披露している。2010年の7年ぶりのコンサートにも、観客の立場ながら同行していた。

前述の「カスペ!」の密着取材においても、イグレシアスの台湾公演で再会した模様を取り上げ、普段は倒れないようにと持っていた杖を使わず、自力で立ち上がり、ステージ終了後にも楽屋裏で対面した[17]

東宝へ移籍した当初は東宝生粋の俳優らに引け目を感じていたが、『キングコング対ゴジラ』で主演を務めたことにより「東宝の役者として認められた」と感慨深い思いであったことを述べている[10]。一方で、新婚旅行でロサンゼルスを訪れた際にハリウッドの記者から取材を申し込まれたが、高島自身が知られていたわけではなく、当時『キングコング対ゴジラ』が全米公開されていたことによるものであり、ゴジラのことばかり聞かれ憤慨したという[40]

飛行機を苦手としており、『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』でグアムロケを行った際は、東宝が特例として妻の分の飛行機の席も用意すると申し出たが、高島はこれを拒み一人日本に残った[41]。ロケ先では高島に似た現地人を代役に起用して撮影が行われ、高島は映画を見て笑ってしまったという[41]

家族・親族

弟・高嶋弘之は音楽プロデューサーで、姪・高嶋ちさ子はヴァイオリニストとして活動しながら、バラエティ番組への出演も多い。ちさ子の夫はソニー創業者一族の盛田賢司(盛田正明の次男、盛田昭夫の甥)で、母方の祖父は岩手県出身の実業家・瀬川弥右衛門[42]。妻・寿美花代は女優で、長男・高嶋道夫、次男・髙嶋政宏(妻はミュージカル女優のシルビア・グラブ)、三男・高嶋政伸を産んだ。先祖に三平汁の開発者とされる斉藤三平がいると、自身が著書で述べている[43]

出演作品

テレビ番組

ラジオ番組

テレビドラマ

映画

CM

声優

著書

音楽作品

  • パ・パヤ・ママ(1954年発売、ペリー・コモのカバー)
  • パパはマンボがお好き(1955年発売。ペリー・コモのカバー、金色仮面[注釈 3]とデュエット。江利チエミとの競作。金色仮面のSPレコード「スコキアーン」のB面曲)
  • 銀座の若旦那(1955年1月発売。新東宝映画「若旦那の縁談」主題歌)
  • ニッポン・トウキョー・ケ・サラ・サラ(1955年3月発売。金色仮面とデュエット)
  • アラビヤ新婚旅行(1955年4月発売。宮城まり子とデュエット)
  • マンボ息子(1955年8月発売)
  • 空の港は霧ふかく(1956年6月発売。築地容子とデュエット)
  • 波止場の人気者(1956年10月発売)
  • 貴方だけのブルース(1958年5月発売)
  • 東京ダーク・ムーン(1958年5月発売 作曲を担当 フランク永井への提供曲)
  • 白い小さなあのホテル(1958年11月発売。新東宝映画「新日本珍道中」主題歌)
  • 結婚しましょう(1959年1月発売)
  • キューバに上陸(1959年3月発売)
  • 二人だけのブルース(1959年3月発売)
  • 首ったけロック(1959年5月発売)
  • あの空だけは知っている(1959年5月発売)
  • 男の星座(1960年4月発売。新東宝映画『若社長と爆発娘』主題歌)
  • バナナの唄(1960年5月発売。朝丘雪路とデュエット。松竹映画『バナナ』主題歌)
  • 君はすばらしいつばさを持っている(『アンデルセン物語』挿入歌、朝日ソノラマ『アンデルセン物語』M-117に収録)
  • お父さん(1974年12月25日発売。堀江美都子とデュエット。テレビ朝日系列『土曜奥さまショー』より)
  • 人生まだ半分(1987年4月1日発売)
  • 約束-PROMESA-(1988年6月25日発売)
  • 東宝株式会社社歌(高島忠夫、草笛光子)作詞:佐原文吾 作曲:古関裕而

脚注

注釈

  1. ^ 政宏がスペシャルドラマの公式サイト[25]で明かした。
  2. ^ クレジット無し。
  3. ^ 築地容子小林千代子が使用した変名。

出典

  1. ^ a b c d e f 東宝特撮映画全史 1983, p. 531, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
  2. ^ a b c d 超常識 2016, p. 120, 「Column ゴジラ映画 俳優FILE」
  3. ^ “俳優の高島忠夫さん、老衰で死去 88歳”. 朝日新聞. (2019年6月28日). https://www.asahi.com/articles/ASM6X3WJVM6XUTFL008.html?iref=comtop_8_01 2019年6月28日閲覧。 
  4. ^ 高島忠夫さん死去 88歳 老衰”. デイリー (2019年6月28日). 2019年6月28日閲覧。
  5. ^ 高島 2004, p. 14
  6. ^ 斎藤 2011, p. 73
  7. ^ 小松左京『小松左京自伝 実存を求めて』日本経済新聞出版社、2008年、29頁。ISBN 9784532166533 
  8. ^ a b c d 斎藤 2011, p. 74
  9. ^ 高島 2004, p. 124
  10. ^ a b c ゴジラ大全集 1994, p. 203, 「3大俳優座談会 素晴らしき東宝特撮映画」
  11. ^ 鈴木 2001, p. 187
  12. ^ a b 高島 2004, p. 126
  13. ^ 高島 2004, p. 129
  14. ^ 高島 2004, pp. 133, 135
  15. ^ 高島 2004, pp. 135–136
  16. ^ 朝日新聞学芸部 編『戦後芸能史物語』朝日新聞社朝日選書〉、1987年、214-217頁。 
  17. ^ a b c d e カスペ! 〜独占密着!真実の高島ファミリー〜 2013年6月18日(火)放送内容”. テレビ紹介情報. 価格.com. 2017年10月6日閲覧。
  18. ^ カスペ! 独占密着!真実の高島ファミリー gooテレビ番組 Wire Action
  19. ^ 岸本佳子 (2008年7月9日). “【人、瞬間(ひととき)】あの質問 女優・寿美花代さん(76) (中)”. msn産経ニュース (産業経済新聞社). オリジナルの2008年7月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080713051106/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080709/tnr0807090750001-n1.htm 2017年10月6日閲覧。 
  20. ^ 高島 2004, p. 18
  21. ^ 村山望「昭和39年 高島忠夫家『愛児殺害』」『新潮45』2005年9月号、新潮社、44-46頁。 
  22. ^ 高島 2004, p. 146
  23. ^ 高島 2004, pp. 27–28
  24. ^ 高島 2004, p. 153
  25. ^ 神戸新聞の7日間 〜命と向き合った被災記者たちの闘い〜”. フジテレビジョン. 2010年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月6日閲覧。
  26. ^ 高島 2004, pp. 29-30, 36
  27. ^ 高島 2004, pp. 42–51
  28. ^ 高島 2004, pp. 60–61
  29. ^ 高島 2004, p. 101
  30. ^ 高島 2004, pp. 106–107
  31. ^ a b “高島忠夫夫妻 長男殺害事件を語る”. デイリースポーツ online (デイリースポーツ). (2013年6月18日). http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/06/18/0006087920.shtml 2013年7月31日閲覧。 
  32. ^ 独占密着!真実の高島ファミリー「忠夫さん、死ぬまで一緒やで」〜寿美花代・献身愛で闘う夫の病〜”. フジテレビ. 2017年10月6日閲覧。
  33. ^ “高島忠夫さん死去 老衰88歳 家族のみで密葬”. nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社. (2019年6月28日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201906280000267.html 2020年12月18日閲覧。 
  34. ^ 寿美花代『息子たちへ 政宏、政伸への愛とメッセージ』ロングセラーズ、1990年、24,49頁。ISBN 4845410699 
  35. ^ 吉田豪「高嶋政宏インタビュー」『ドトウの濃縮人生インタビュー集 人間コク宝』コアマガジン、2004年、133頁。ISBN 4877347585 
  36. ^ 鈴木 2001, p. 188
  37. ^ 山田誠二「高橋勝二インタビュー」『幻の怪談映画を追って』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、1997年、135頁。ISBN 4896912748 
  38. ^ 浦崎浩實「映画人、逝く」『キネマ旬報』2010年4月上旬号、キネマ旬報社、177頁。 
  39. ^ 高島 2004, pp. 149–151
  40. ^ ゴジラ大全集 1994, p. 205, 「3大俳優座談会 素晴らしき東宝特撮映画」
  41. ^ a b ゴジラ大全集 1994, p. 206, 「3大俳優座談会 素晴らしき東宝特撮映画」
  42. ^ 『閨閥』(佐藤朝泰著/立風書房、1981)186-187頁。なお、盛田昭夫の家族・親族については盛田の項目を参照。
  43. ^ 『高島忠夫の洋食劇場』(高島忠夫著/旺文社文庫、1983)71ページ
  44. ^ 中日新聞』1973年10月20日テレビ欄
  45. ^ “高島忠夫さん、老衰で死去 88歳 政宏&政伸兄弟の父”. スポーツ報知. 報知新聞. (2019年6月28日). https://hochi.news/articles/20190628-OHT1T50068.html 2019年6月28日閲覧。 
  46. ^ <新番組「ライフ☆イズ☆家~イ!」製作発表>(2006年4月の写真)”. スポニチアネックス. スポーツニッポン (2019年6月28日). 2019年6月28日閲覧。
  47. ^ a b c 東宝特撮映画全史 1983, pp. 536–537, 「主要特撮作品配役リスト」
  48. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 237, 「『ゴジラVSメカゴジラ』作品解説/俳優名鑑」
  49. ^ アンデルセン物語”. メディア芸術データベース. 2017年10月6日閲覧。
  50. ^ プッチーニ(1) 「マノン・レスコー」 ~イタリア放送協会制作~”. 2022年6月21日閲覧。
  51. ^ 吹替の力 ベン・ハー”. ワーナー ブラザース ジャパン. 2016年10月21日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク