コンテンツにスキップ

「岡田俊哉」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: セントラル・リーグ分のTemplateについて (Template:中日ドラゴンズの選手・スタッフ) - log
207行目: 207行目:
{{BASEBALLstats|brjpn=okada-000tos|cube=Toshiya-Okada|mlb=673525}}
{{BASEBALLstats|brjpn=okada-000tos|cube=Toshiya-Okada|mlb=673525}}


{{中日ドラゴンズ}}
{{中日ドラゴンズの選手・スタッフ}}
{{Navboxes|title={{Flagicon|JPN}} 野球日本代表
{{Navboxes|title={{Flagicon|JPN}} 野球日本代表
|titlestyle=background-color:#006;color:#fff;
|titlestyle=background-color:#006;color:#fff;

2023年1月27日 (金) 05:07時点における版

岡田 俊哉
中日ドラゴンズ #21
2013年4月21日 横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県日高郡美浜町
生年月日 (1991-12-05) 1991年12月5日(32歳)
身長
体重
178 cm
69 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2009年 ドラフト1位
初出場 2013年3月30日
年俸 1900万円(2023年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2017年
獲得メダル
日本の旗 日本
ワールド・ベースボール・クラシック
2017 野球

岡田 俊哉(おかだ としや、1991年12月5日 - )は、和歌山県日高郡美浜町出身のプロ野球選手投手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。

経歴

プロ入り前

1991年に和歌山県日高郡美浜町で生まれる。小学2年から松原少年野球クラブで外野手として野球を始める[2]。松洋中学時代は日高マリナーズに所属し、2年から本格的に投手としてプレーする。3年春にはボーイズ関西選抜に選ばれ、筒香嘉智らとともに世界大会に出場した[3]

高校は智弁和歌山高等学校に進学。1年春からベンチ入りすると、夏には県大会準決勝・決勝、甲子園に出場し、1年生で唯一のベンチ入りを果たした[4]。初戦の対仙台育英高校戦で先発し、佐藤由規と投げ合うも、3回1/3を投げて3安打、3奪三振、2四死球、2失点で敗戦した。その後も2年春・夏と三季連続で甲子園に出場。背番号10ながらもエースとして活躍し、連続8強入りを果たした。2年夏の甲子園では、3回戦まで自責点0、4試合を投げて防御率1.40と好投し、チームのベスト8入りに貢献した。

3年夏は予選で32回1/3を無失点、44奪三振という内容で甲子園に出場したが、甲子園では体調不良により本来の投球が出来なかった。しかし、初戦を完封で飾るなど、不調に苦しみながらも甲子園では3試合37奪三振と存在感を見せ付け、その後の全日本選抜チームに選ばれた。日米親善高校野球派遣前に練習試合で大学生相手に3回無安打7三振無失点で好投し、全日本選抜のエースに選ばれた。智弁和歌山高校時代は異例の「絶対的エース」としてマウンドを守った。監督の高嶋仁が例年複数投手制を採用するなか、岡田のみは絶対的エースとして君臨した。そのためか、メディアから下級生時には「高嶋監督の秘蔵っ子」、最後の夏は「夏の申し子」と呼ばれた。スカウトも「岩瀬仁紀2世」と絶賛していた。高校の1学年先輩に坂口真規、1学年後輩に西川遥輝がいる。

2009年10月29日に行われたドラフト会議では、菊池雄星を外した中日ドラゴンズから1位指名を受け、入団した。背番号は、前年オフにMLBアトランタ・ブレーブスに移籍した川上憲伸が着用していた11。入団会見で、「エースとして活躍したいので、少しでも近づけるように、技術を磨いてしっかりやっていきたい」と意気込みを語った。

中日時代

2012年までは一軍登板がなかった。同年5月12日には結婚が発表され[5]、オフには川上憲伸の中日復帰に伴い、背番号を同年にボルチモア・オリオールズに移籍したチェンが着用していた21に変更した。

2013年は、開幕2戦目となる3月30日の対横浜DeNAベイスターズ戦(ナゴヤドーム)で一軍初登板を果たし、2回を1安打2奪三振の無失点に抑えた[6]。4月3日の対阪神タイガース戦(京セラドーム大阪)では先発した中田賢一の乱調により、5回にリリーフ登板して1回を三者凡退に抑えた。チームはその後逆転したため勝利投手となり、プロ入り初勝利となった[7]。その後も安定した投球を続け、飛躍の一年となった。

2014年は、先発投手陣が手薄だったことからキャンプより先発の調整に取り組む。オープン戦で結果を出し、開幕ローテーション入りを果たした。炎上、好投を繰り返すが、不安定なまま防御率が悪化し、先発ローテーションから外れた。その後、ファームでリリーフとしての調整を経て、一軍復帰。一軍復帰後は安定した投球を見せ、リリーフのままシーズンを終えた。

2015年は、開幕を二軍で迎えたが、ほどなくして一軍に昇格する。序盤は登板間隔が非常に空き調整が難しかったが、好投を続けた。交流戦以降は登板回数が増えたが、ビハインド時の登板が主であった。交代後の投手が打たれ岡田に自責点が付くことがあったが、シーズンを通して好投続け、50試合登板で防御率は1点台でシーズンを終えた。

2016年は、開幕当初に打ち込まれ、二軍で調整を強いられるも、一軍復帰後は僅差のビハインドでの登板という役割が与えられた。5月、6月と徐々に調子を上げていくと、6月は月間防御率1.08を記録し、その後は勝ちパターンのリリーフになる。オフの10月24日に出場登録を抹消された菅野智之の代替選手として「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された [8]。日本vsオランダ戦に無死1、2塁で登板。1死1,2塁で、自らの暴投で2、3塁のピンチを招くも無失点で切り抜け、勝利投手となった。

2017年は、1月24日に「2017 ワールド・ベースボール・クラシック」の日本代表に選出されたことが発表された。シーズンは当初から不調で、血行障害の手術に踏み切り、一年間治療に専念した。

2018年は、血行障害から復帰し、防御率は5.06だったものの、中継ぎとして27試合に登板した。

2019年は、抑えを務めるライデル・マルティネスが国際大会出場に伴い長期離脱を余儀なくされたため、マルティネスの復帰まで抑えを担うこととなった。7月23日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では2点差の9回にサビエル・バティスタから同点本塁打を浴び、同30日の対阪神戦(阪神甲子園球場)では入団して間もないヤンハービス・ソラーテにサヨナラ弾を浴びるなどしたが、終わってみれば13セーブをあげ、守護神として一定の活躍をした。

2020年は、開幕から抑えを務めるも、7月9日の東京ヤクルトスワローズ戦では4点を失い逆転を許す[9]など投球に精彩を欠き、僅か3セーブで抑えの座を剥奪された[10]。防御率は前年より悪化し4.88だったものの、奪三振率は10.13と高い水準だった。

2021年は、19試合の登板で0勝1敗、防御率4.86の成績だった。オフの11月14日に750万円減の2400万円で契約更改[11]

2022年、5月4日のDeNA戦(横浜スタジアム)で8年ぶりに先発登板したが、5回3失点で敗戦投手となった[12]。一軍では2試合に先発して2敗に終わり、シーズン終了後にサイドスローへ転向する事を明かした[13]

選手としての特徴

平均球速約140km/h[14]、最速149km/h[15]ストレートと微妙に曲がるシュート(ツーシーム)・スライダーを駆使する[16]

人物

20歳の時点で、既に結婚しており[5]、2012年10月29日に第1子となる長女が誕生している[17]

男性5人組コーラス・グループLUVの楽曲「10年先の僕へ」のミュージック・ビデオに出演している[18]

入団時に「10年後の日本代表入り」を目標として語ったが、2016年11月の侍ジャパン強化試合及び2017年3月のWBCの日本代表に選ばれたことで、10年と待たずして目標を達成した。

夫婦揃ってAAAの大ファン。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2013 中日 66 3 0 0 0 7 5 2 15 .583 362 87.0 67 6 37 0 2 67 4 0 27 27 2.79 1.20
2014 38 7 0 0 0 3 7 1 4 .300 307 72.2 67 5 31 1 2 51 0 0 39 35 4.33 1.35
2015 50 0 0 0 0 0 1 0 12 .000 225 57.1 38 1 15 0 2 55 2 0 10 10 1.57 0.92
2016 57 0 0 0 0 3 1 0 13 .750 273 64.2 62 4 18 0 2 66 1 0 28 23 3.20 1.24
2017 9 0 0 0 0 0 2 0 2 .000 31 7.0 9 1 1 0 0 4 0 0 5 4 5.14 1.43
2018 27 0 0 0 0 1 0 0 6 1.000 99 21.1 24 2 13 0 0 19 1 0 13 12 5.06 1.73
2019 53 0 0 0 0 3 2 13 7 .600 207 50.1 44 8 14 1 1 53 0 0 20 20 3.58 1.15
2020 29 0 0 0 0 2 2 3 3 .500 112 24.0 28 3 14 2 0 27 2 0 20 13 4.88 1.75
2021 19 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 74 16.2 23 1 6 0 0 10 0 0 9 9 4.86 1.74
2022 2 2 0 0 0 0 2 0 0 .000 29 6.0 9 1 4 0 0 5 0 0 6 6 9.00 2.17
通算:10年 350 12 0 0 0 19 23 19 62 .452 1719 407.0 371 32 153 4 9 357 10 0 177 159 3.52 1.29
  • 2022年度シーズン終了時

WBCでの投手成績










































2017 日本 2 0 0 0 0 3 1.0 0 0 1 0 0 1 1 0 0 0 0.00

年度別守備成績



投手












2013 中日 66 2 26 1 0 .966
2014 38 6 14 0 1 1.000
2015 50 4 9 2 0 .867
2016 57 4 9 1 1 .929
2017 9 0 1 0 0 1.000
2018 27 1 2 0 1 1.000
2019 53 1 8 0 2 1.000
2020 29 1 4 0 1 1.000
2021 19 1 3 0 1 1.000
2022 2 0 1 0 0 1.000
通算 350 20 77 4 7 .960
  • 2022年度シーズン終了時

記録

初記録

背番号

  • 11(2010年 - 2011年)
  • 21(2012年 - )

登場曲

  • 「Charge&Go!」AAA(2013年 - 2014年、2014年は登板時のみ)
  • 「10年先の僕へ」LUV(2014年、打席時のみ)
  • 「C'mon, C'mon」ワン・ダイレクション(2015年 - )
  • SHOW TIME」AAA(2016年 - )

代表歴

脚注

  1. ^ 中日 - 契約更改 - プロ野球. 日刊スポーツ. 2022年11月17日閲覧。
  2. ^ 裏方さんへの感謝。ドラゴンズ岡田俊哉が語る「偶然」と「必然」”. CBC (2020年4月8日). 2023年1月11日閲覧。
  3. ^ 筒香嘉智の同期、あいつ今何してる? 11人の「2009年ドラフト1位」その後【2021人気記事】”. Sportiva (2021年12月24日). 2023年1月11日閲覧。
  4. ^ 岡田 俊哉 侍ジャパン選手プロフィール”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト. 2023年1月11日閲覧。
  5. ^ a b 【中日】3年目岡田が保育士と結婚 日刊スポーツ 2012年5月23日閲覧
  6. ^ “岡田、速球でグイグイ!2イニング無失点デビュー”. CHUNICHI web (中日スポーツ). (2013年3月31日). http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201303/CK2013033102000091.html 2013年5月10日閲覧。 
  7. ^ “中日 岡田 4年目初勝利「“行け”と言われるところで喜んで投げるだけ」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年4月4日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/04/04/kiji/K20130404005543140.html 2013年4月12日閲覧。 
  8. ^ 侍ジャパン強化試合 日本代表選手背番号および追加出場選手のお知らせ 野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト (2016年10月24日)
  9. ^ 【中日】守護神・岡田俊哉が9回に一挙4失点で逆転負け|テレビ東京スポーツ:テレビ東京”. テレビ東京. 2022年5月19日閲覧。
  10. ^ 【中日】昨季はクローザー剥奪…岡田俊哉が巻き返しへ”3人斬り”発進「気持ちを入れて上がった」:中日スポーツ・東京中日スポーツ”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ. 2022年5月19日閲覧。
  11. ^ 【中日】岡田俊哉は20%以上ダウン、750万円減の2400万円でサイン「2年間ふがいない成績…来年やるしかない」”. 中日新聞社 (2021年11月14日). 2021年11月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
  12. ^ 【中日】投打に精彩を欠き連勝は『3』でストップ 8年ぶり先発の岡田は粘投も5イニング3失点”. 中日新聞社 (2022年5月4日). 2022年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
  13. ^ 【中日】サイド転向の岡田俊哉は1900万円で更改「このままで終わらないように」”. 中日新聞社 (2022年11月16日). 2023年1月11日閲覧。
  14. ^ 『2014 プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2014年、156頁頁。ISBN 978-4-905411-17-8 
  15. ^ 2019年9月11日対広島22回戦にてマーク
  16. ^ 岡田、WBCで使える!鋭角シュート”. 中日スポーツ (2017年2月22日). 2017年3月15日閲覧。
  17. ^ 中日岡田が20歳でパパ! 妹は6歳で叔母 日刊スポーツ 2012年11月4日閲覧
  18. ^ LUV「10年先の僕へ」のMusic Videoに岡田俊哉選手が出演!中日ドラゴンズ公式ウェブサイト

関連項目

外部リンク